すれ違う生徒たちに二人の行き先を尋ね、静かな北校舎までたどり着いた。
校舎裏では、昴と翔馬が向かい合っていた。
声をかけようとしたが、聞こえてきた会話に衝撃を受け、足が止まる。
咄嗟に、二人から見えない物陰へ身を潜めた。
「すばる君。対抗リレー、僕と代わって」
「え……?」
今にも消えそうな昴の声。
すぐに割って入りたい。
それなのに、驚きが勝って身体を動かせなかった。
昴は声を絞り出し、反論しようとする。
「で、でも、エントリーは変更できな……」
「キミが棄権すれば、補欠の僕が入る。すばる君が頑張ってたことは知ってるけど、僕の方が勝率は高いと思う」
「で、でも……」
「じゃあ、三百メートルを最後までペースを落とさず走り切れる?」
「それはっ……!」
鋭い指摘に、昴は何も言えなくなった。
オレが行かないと。
何とかしないと。
一歩を踏み出そうとした、その時だった。
「すばる君って、瑛の友達だよね?」
「うん」
突然自分の名前が出てきて、身体が止まる。
「実はさ、僕ら、クラスで瑛と白百合さんをくっつけようって話になってて」
「……え?」
昴の声が震えた。
オレも予想外の発言に、口元を押さえる。
だから亮介は、あんなにニヤニヤしていたのか。
ようやく違和感の正体が分かった。
「瑛にMVPになってもらって、最高のシチュエーションを作ってほしいの」
「……それは、瑛に聞いたの? 瑛がそう言ったの?」
「いや、聞いてないけど……でも、そうでしょ。二人はお似合いだし、瑛も満更じゃなさそうだったし」
オレが翔馬の勘違いを訂正しなかったからだ。
ずっと曖昧にしたままだったから、こんなところまで話が進んでしまった。
どうすれば、この状況を変えられる?
考えを巡らせていると、それまでオドオドしていた昴が顔を上げた。
「……でも、俺はMVPになりたい!」
真っ直ぐな目。
心の底からの叫びだった。
翔馬は僅かに眉を下げる。
「でも、クラスの優勝もかかってる。これは、すばる君一人の問題じゃないよ」
翔馬も間違ってはいない。
だからこそ、昴は唇を噛み、それ以上言い返せなかった。
けれど、オレの心は奮い立っていた。
気づけば、二人の間へ割って入っていた。
「翔馬」
「……あ、瑛。聞いてた?」
気まずそうに尋ねる翔馬へ頷き、頭を下げる。
「ごめん。オレが悪かった」
「え……?」
オレを動かしたのは、かつて昴からかけられた言葉だった。
『他人は全て察せるわけじゃない。だから、気づいた本心は、ちゃんと言葉にしないとね。どんどん拗れて、手遅れになっちゃう』
気づいた本心を言葉にして、相手へ伝える。
オレは翔馬に、「違う」と本気で伝えただろうか。
勘違いしたまま走り去る翔馬を、心から呼び止めただろうか。
場の空気に流され、自分の言いたいことを途中で止めてばかりいた。
遠回しに誤魔化し、本音を伝えなかった。
そのせいで、昴まで巻き込んでしまった。
堂々と望みを口にした昴を見て、オレはようやく気づいたのだ。
深呼吸し、翔馬を真っ直ぐ見つめる。
「翔馬。オレ、白百合さんのことは、いいクラスメイトだと思ってる。それ以上の感情はないよ」
「え、でも……」
翔馬は困惑していた。
伝える機会はいくらでもあった。
これまで逃げてきたのはオレだ。
「オレがすぐに言えてたら、こんなことにはならなかったよな。ごめん。いろいろ考えてくれたんだろ?」
翔馬は眉を歪め、視線を逸らす。
「オレ、ずっとできなかったんだ。本心を口に出すことが」
そう吐露すると、しばらくして翔馬も想いをこぼし始めた。
「瑛は何でもできて、みんなに優しくて。でも、いつもどこか一線を引いてる。何を聞いても『大丈夫』『何でもない』って返ってきて……僕は、瑛の友達って言えるのかなって」
「翔馬……」
余計な心配をかけたくない。
本音を否定されるのが怖い。
そんな逃げ癖が、翔馬を苦しめていた。
「だから、瑛が興味を持ってることが分かって、嬉しかった。瑛のことを理解した気になって、勝手に決めつけた。想いを叶える手伝いができたら、今度こそ本音を話してくれるんじゃないか、少しは頼ってくれるんじゃないかって……」
「……そっか」
翔馬は、そんな想いを抱えていたのか。
本音を伝えたら、本音が返ってきた。
だから、さらに胸の内を言葉にする。
「オレは、昴と走りたい」
何よりも、オレ自身が昴と走りたい。
努力してきた昴の目標を叶えたい。
心からの言葉を伝えると、翔馬は驚いたあと、安心したように笑った。
「……なんだ。そうだったんだ」
昴へ向き直り、深く頭を下げる。
「僕の勘違いで、ごめんね、すばる君。頑張ってきたことまで蔑ろにして」
「い、いや、俺は全然!」
静かに会話を聞いていた昴は、何度も首を振った。
「白百合さんにも謝らないと。本人の気持ちも聞かずに、勝手に話を進めたから」
「翔馬。オレも一緒に謝る。勘違いさせたのはオレだから」
改めて翔馬を見る。
「これからは、ちゃんと言う。自分の気持ちを伝えられるように頑張るから」
昴みたいに。
そんな決意に、翔馬は微笑んで頷いた。
「翔馬、伝えてくれてありがとう。オレは翔馬のこと、信頼できる友達だと思ってる。……今まで、ちゃんと言わなくてごめん」
「っ! やっば~。これをサラッと言えちゃう瑛、やばいね~!」
照れ隠しのように翔馬が声を上げる。
その隣で、昴が呟いた。
「……うん。かっこいい」
昴は耳を真っ赤に染め、視線が合う前に俯いた。
握った拳が、小さく震えていた。
***
三人でざわつく教室へ戻る。
扉を開けた瞬間、翔馬が教室中へ声を響かせた。
「ごめん! みんな、あの話、全部僕の早とちりだった!」
教室が一瞬で静まり返る。
オレも翔馬に続き、本音を語った。
「みんな。オレは昴と一緒に出て、この体育祭で優勝したい。ここまで頑張ってきた昴に、MVPを取ってほしい。誤解させたと思うけど、それがオレの心からの想いだから」
昴を見ると、耳を赤くしたまま笑顔を向けてくれていた。
「みんなを巻き込んで、すばる君の頑張りまで蔑ろにして、ごめんなさい。白百合さんにも、あとで謝ります」
翔馬が深く頭を下げる。
「そうだったのか~。俺らも簡単に乗っかって、すまん!」
亮介も昴とオレへ頭を下げ、クラスメイトたちもそれぞれ謝罪する。
「みんなで、このメンバーで優勝したい!」
声を上げると、クラス中から「おう!」と返ってきた。
本心を言葉にして伝えるのは、怖くて難しい。
けれど伝えれば、相手も本音を返してくれる。
伝えなければ、何も始まらない。
少しずつ変わっている自分を感じた。
それはきっと、昴の行動や言葉に背中を押されたからだ。
胸の奥が、じわりと熱くなった。
***
午後の部が始まる直前、グラウンドへ向かう昴を呼び止めた。
「昴!」
昴は振り返り、不思議そうに首を傾げる。
ポケットから赤いハチマキを取り出し、掲げて見せた。
「大事なもの、落ちてたぞ」
「あ。俺のハチマキ」
昴はポケットへ手を入れ、今になってなくしたことに気づいたらしい。
出席番号十四番。
間違いなく昴のものだ。
差し出したハチマキへ昴の手が触れそうになった瞬間、サッと引っ込めて笑う。
「ちょい、しゃがんで」
「え?」
「オレが着けてやる! 願掛けな。気合い二倍だ」
自信満々に言うと、昴は子どものようにクシャリと笑い、オレと目線を合わせるようにかがんだ。
整った額へハチマキを当て、頭の後ろで蝶々結びにする。
仕上げに締めようとした時、昴が不意にオレのハチマキの端へ触れた。
「ん? どうした?」
「ね、ハチマキ交換しない?」
耳元へ落ちた声は、不意打ちのように甘かった。
鼓動が跳ね上がる。
視線を合わせると、昴はからかう様子もなく、真剣な目で見つめていた。
動揺を隠すように笑う。
「そういうのって、カップルでやるやつだろ?」
「いいじゃん。瑛のを着けたら、速く走れる気がする」
「そう? じゃあ、いいよ。オレのを解いて……」
昴がハチマキの端を握り、引こうとした時。
その手が止まった。
「あっっ、待って。俺の、汗でびちゃびちゃだから、やっぱナシで! ごめん、変なこと言って」
「いや、別に……」
昴の汗くらい気にならない。
そう伝えようとしたが、早口に遮られる。
「いや! びっちゃびちゃでデロデロなので、自分で締め直します! 結んでくれただけで十分! 超絶パワーいただきました! じゃ、じゃあっ!」
昴は少し緩いハチマキを押さえ、足早にグラウンドへ向かっていった。
「え……」
呆気に取られ、その背中を見送る。
「…………ハハッ。ほんと、面白ぇヤツだよな」
かっこいいと思えば、すぐに慌てて、せわしなくなる。
そんな昴を見ていると、オレの口元は自然と緩んでいた。
校舎裏では、昴と翔馬が向かい合っていた。
声をかけようとしたが、聞こえてきた会話に衝撃を受け、足が止まる。
咄嗟に、二人から見えない物陰へ身を潜めた。
「すばる君。対抗リレー、僕と代わって」
「え……?」
今にも消えそうな昴の声。
すぐに割って入りたい。
それなのに、驚きが勝って身体を動かせなかった。
昴は声を絞り出し、反論しようとする。
「で、でも、エントリーは変更できな……」
「キミが棄権すれば、補欠の僕が入る。すばる君が頑張ってたことは知ってるけど、僕の方が勝率は高いと思う」
「で、でも……」
「じゃあ、三百メートルを最後までペースを落とさず走り切れる?」
「それはっ……!」
鋭い指摘に、昴は何も言えなくなった。
オレが行かないと。
何とかしないと。
一歩を踏み出そうとした、その時だった。
「すばる君って、瑛の友達だよね?」
「うん」
突然自分の名前が出てきて、身体が止まる。
「実はさ、僕ら、クラスで瑛と白百合さんをくっつけようって話になってて」
「……え?」
昴の声が震えた。
オレも予想外の発言に、口元を押さえる。
だから亮介は、あんなにニヤニヤしていたのか。
ようやく違和感の正体が分かった。
「瑛にMVPになってもらって、最高のシチュエーションを作ってほしいの」
「……それは、瑛に聞いたの? 瑛がそう言ったの?」
「いや、聞いてないけど……でも、そうでしょ。二人はお似合いだし、瑛も満更じゃなさそうだったし」
オレが翔馬の勘違いを訂正しなかったからだ。
ずっと曖昧にしたままだったから、こんなところまで話が進んでしまった。
どうすれば、この状況を変えられる?
考えを巡らせていると、それまでオドオドしていた昴が顔を上げた。
「……でも、俺はMVPになりたい!」
真っ直ぐな目。
心の底からの叫びだった。
翔馬は僅かに眉を下げる。
「でも、クラスの優勝もかかってる。これは、すばる君一人の問題じゃないよ」
翔馬も間違ってはいない。
だからこそ、昴は唇を噛み、それ以上言い返せなかった。
けれど、オレの心は奮い立っていた。
気づけば、二人の間へ割って入っていた。
「翔馬」
「……あ、瑛。聞いてた?」
気まずそうに尋ねる翔馬へ頷き、頭を下げる。
「ごめん。オレが悪かった」
「え……?」
オレを動かしたのは、かつて昴からかけられた言葉だった。
『他人は全て察せるわけじゃない。だから、気づいた本心は、ちゃんと言葉にしないとね。どんどん拗れて、手遅れになっちゃう』
気づいた本心を言葉にして、相手へ伝える。
オレは翔馬に、「違う」と本気で伝えただろうか。
勘違いしたまま走り去る翔馬を、心から呼び止めただろうか。
場の空気に流され、自分の言いたいことを途中で止めてばかりいた。
遠回しに誤魔化し、本音を伝えなかった。
そのせいで、昴まで巻き込んでしまった。
堂々と望みを口にした昴を見て、オレはようやく気づいたのだ。
深呼吸し、翔馬を真っ直ぐ見つめる。
「翔馬。オレ、白百合さんのことは、いいクラスメイトだと思ってる。それ以上の感情はないよ」
「え、でも……」
翔馬は困惑していた。
伝える機会はいくらでもあった。
これまで逃げてきたのはオレだ。
「オレがすぐに言えてたら、こんなことにはならなかったよな。ごめん。いろいろ考えてくれたんだろ?」
翔馬は眉を歪め、視線を逸らす。
「オレ、ずっとできなかったんだ。本心を口に出すことが」
そう吐露すると、しばらくして翔馬も想いをこぼし始めた。
「瑛は何でもできて、みんなに優しくて。でも、いつもどこか一線を引いてる。何を聞いても『大丈夫』『何でもない』って返ってきて……僕は、瑛の友達って言えるのかなって」
「翔馬……」
余計な心配をかけたくない。
本音を否定されるのが怖い。
そんな逃げ癖が、翔馬を苦しめていた。
「だから、瑛が興味を持ってることが分かって、嬉しかった。瑛のことを理解した気になって、勝手に決めつけた。想いを叶える手伝いができたら、今度こそ本音を話してくれるんじゃないか、少しは頼ってくれるんじゃないかって……」
「……そっか」
翔馬は、そんな想いを抱えていたのか。
本音を伝えたら、本音が返ってきた。
だから、さらに胸の内を言葉にする。
「オレは、昴と走りたい」
何よりも、オレ自身が昴と走りたい。
努力してきた昴の目標を叶えたい。
心からの言葉を伝えると、翔馬は驚いたあと、安心したように笑った。
「……なんだ。そうだったんだ」
昴へ向き直り、深く頭を下げる。
「僕の勘違いで、ごめんね、すばる君。頑張ってきたことまで蔑ろにして」
「い、いや、俺は全然!」
静かに会話を聞いていた昴は、何度も首を振った。
「白百合さんにも謝らないと。本人の気持ちも聞かずに、勝手に話を進めたから」
「翔馬。オレも一緒に謝る。勘違いさせたのはオレだから」
改めて翔馬を見る。
「これからは、ちゃんと言う。自分の気持ちを伝えられるように頑張るから」
昴みたいに。
そんな決意に、翔馬は微笑んで頷いた。
「翔馬、伝えてくれてありがとう。オレは翔馬のこと、信頼できる友達だと思ってる。……今まで、ちゃんと言わなくてごめん」
「っ! やっば~。これをサラッと言えちゃう瑛、やばいね~!」
照れ隠しのように翔馬が声を上げる。
その隣で、昴が呟いた。
「……うん。かっこいい」
昴は耳を真っ赤に染め、視線が合う前に俯いた。
握った拳が、小さく震えていた。
***
三人でざわつく教室へ戻る。
扉を開けた瞬間、翔馬が教室中へ声を響かせた。
「ごめん! みんな、あの話、全部僕の早とちりだった!」
教室が一瞬で静まり返る。
オレも翔馬に続き、本音を語った。
「みんな。オレは昴と一緒に出て、この体育祭で優勝したい。ここまで頑張ってきた昴に、MVPを取ってほしい。誤解させたと思うけど、それがオレの心からの想いだから」
昴を見ると、耳を赤くしたまま笑顔を向けてくれていた。
「みんなを巻き込んで、すばる君の頑張りまで蔑ろにして、ごめんなさい。白百合さんにも、あとで謝ります」
翔馬が深く頭を下げる。
「そうだったのか~。俺らも簡単に乗っかって、すまん!」
亮介も昴とオレへ頭を下げ、クラスメイトたちもそれぞれ謝罪する。
「みんなで、このメンバーで優勝したい!」
声を上げると、クラス中から「おう!」と返ってきた。
本心を言葉にして伝えるのは、怖くて難しい。
けれど伝えれば、相手も本音を返してくれる。
伝えなければ、何も始まらない。
少しずつ変わっている自分を感じた。
それはきっと、昴の行動や言葉に背中を押されたからだ。
胸の奥が、じわりと熱くなった。
***
午後の部が始まる直前、グラウンドへ向かう昴を呼び止めた。
「昴!」
昴は振り返り、不思議そうに首を傾げる。
ポケットから赤いハチマキを取り出し、掲げて見せた。
「大事なもの、落ちてたぞ」
「あ。俺のハチマキ」
昴はポケットへ手を入れ、今になってなくしたことに気づいたらしい。
出席番号十四番。
間違いなく昴のものだ。
差し出したハチマキへ昴の手が触れそうになった瞬間、サッと引っ込めて笑う。
「ちょい、しゃがんで」
「え?」
「オレが着けてやる! 願掛けな。気合い二倍だ」
自信満々に言うと、昴は子どものようにクシャリと笑い、オレと目線を合わせるようにかがんだ。
整った額へハチマキを当て、頭の後ろで蝶々結びにする。
仕上げに締めようとした時、昴が不意にオレのハチマキの端へ触れた。
「ん? どうした?」
「ね、ハチマキ交換しない?」
耳元へ落ちた声は、不意打ちのように甘かった。
鼓動が跳ね上がる。
視線を合わせると、昴はからかう様子もなく、真剣な目で見つめていた。
動揺を隠すように笑う。
「そういうのって、カップルでやるやつだろ?」
「いいじゃん。瑛のを着けたら、速く走れる気がする」
「そう? じゃあ、いいよ。オレのを解いて……」
昴がハチマキの端を握り、引こうとした時。
その手が止まった。
「あっっ、待って。俺の、汗でびちゃびちゃだから、やっぱナシで! ごめん、変なこと言って」
「いや、別に……」
昴の汗くらい気にならない。
そう伝えようとしたが、早口に遮られる。
「いや! びっちゃびちゃでデロデロなので、自分で締め直します! 結んでくれただけで十分! 超絶パワーいただきました! じゃ、じゃあっ!」
昴は少し緩いハチマキを押さえ、足早にグラウンドへ向かっていった。
「え……」
呆気に取られ、その背中を見送る。
「…………ハハッ。ほんと、面白ぇヤツだよな」
かっこいいと思えば、すぐに慌てて、せわしなくなる。
そんな昴を見ていると、オレの口元は自然と緩んでいた。
