無事にテストが終わり、日常が戻ってきた。
いつものように昴と朝食を取り、授業を受ける。
そんな日常が。
数日前、風音生徒会長に連れていかれた昴は、その後も変わった様子を見せなかった。
なかなか首を突っ込めないまま、今日までオレのモヤモヤも晴れずにいる。
そんな中、深刻な面持ちの昴に呼び止められた。
「瑛」
「ん?」
「これ、瑛の家の鍵」
震える手で、鍵を返される。
一瞬、心臓が凍りついたような感覚に襲われた。
そうだ。
テスト期間中という条件で、昴に来てもらっていたんだ。
「あ、そっか。テスト終わったもんな」
「……うん、ありがと」
「いや、お礼を言うのはこっちだよ。マジでありがとな!」
胸の内を隠し、何とか笑顔を作る。
二人の間に、気まずい空気が流れた。
「瑛」
その空気を変えたのは、昴だった。
「体育祭まで、朝ご飯、一緒に食べられ、ない、です」
「そ……っか」
昴の善意に甘えてばかりのオレには、それしか返せなかった。
それから、ろくに話せないまま三日が過ぎた。
話題になったのはテストの点数くらい。
昴は無事に赤点を回避できたらしい。
何度も礼を言われ、オレが「昴が頑張ったからだよ」と返す。
それだけだった。
昔の、近からず遠からずの距離へ戻ってしまったような気がする。
朝練が終わる頃には、昴の鞄はすでに教室にある。
早朝から登校しているのに、どこで何をしているのかは分からない。
放課後も、話す暇もなくどこかへ消えていく。
当たり前になりかけていた日常がなくなり、胸の奥がざわついた。
***
ロングホームルーム。
「体育祭だぁぁぁ!」
教卓に手をついて絶叫しているのは、スポーツ刈りの野球部員兼体育委員、亮介だ。
拳を握り、抑え切れない感情を爆発させている。
「やっと来た! 俺の出番!」
その発言を、翔馬がフフッと鼻で笑った。
「そんなこと言うなら、ウチの瑛は毎日出番だけどね」
「ぐうの音も出ない……。てる、野球部はいつでもお前を待ってるよ」
涙目で黒板へ向き直り、乱れた字で『体育祭について! 色々決める!』と書く。
再び振り返った時には、満面の笑みを浮かべていた。
「目指すは優勝! そして大会MVP! 優勝特典は、九月に行われる文化祭の出店優先権!」
「やっぱ文化祭は、一番人気の模擬店をやりたいよね~!」
翔馬の発言に、皆が頷く。
文化祭は、体育祭と同じくらい盛り上がる学校行事だ。
中でも模擬店は花形で、競争率が高い。
体育祭で優勝すれば、他のクラスとの競合を気にせず、好きな形態を選べる。
皆が必死になるのも納得だった。
「さらに! 優勝クラスから選ばれる大会MVPには、生徒会が許可する範囲で、何でも要望できる権利!」
亮介の声量が最大になる。
大会MVP。
優勝クラスの中で、特に活躍した生徒へ贈られる賞だ。
その報酬は、とんでもない特権らしい。
「前回MVPを取った三年の先輩は、文化祭で自由に使えるゴールドカードをもらったって。マジで何でも聞いてくれるらしい」
「すげぇ……」
どこかから感嘆の声が漏れる。
「過去には、生徒会の完全バックアップで告白場所を用意してもらった人もいるらしいよ」
女子の囁きも聞こえた。
いい。
それ、めちゃくちゃ青春だろ!
オレまでドキドキしてしまう。
「へぇ。告白、ねぇ」
後ろで頬杖をつく翔馬が、オレを見ながら意味ありげに呟いた。
また、変な勘違いをしているらしい。
どう訂正しようかと考えていると、教卓から亮介の声が響く。
「そんな体育祭の目玉! 全クラス対抗男女混合リレーのメンバーを決めたいと思います!」
教室が一気に盛り上がる。
「陸上部の鈴川さんと、アンカーの瑛は確定として」
活発な女子である鈴川さんは、「いいよ~」と軽く答えた。
オレも勝手に決められているが、クラスの役に立てるなら本望だ。
「あと女子一人、男子一人。やりたいヤツいる?」
一人の女子生徒が手を挙げた。
「私、出てもいいですか?」
「お! 白百合さん! もちろん~! ほかに出たい女子はいない?」
亮介が教室を見回す。
白百合さんは文武両道だ。
皆の納得した表情を確認し、黒板へ名前を書き足した。
「じゃあ、女子は決定! それじゃあ男子だ! 出たいヤツ~! はい、俺~!」
自分の問いかけに即答する亮介。
「僕も~!」
翔馬も挙げた手を大きく振る。
妥当なメンバーだ。
二人とも出たいなら、オレが抜けるのもありだろう。
そう考えた時、予想だにしなかった声が対角線上から聞こえた。
「お、俺、出たいです」
「え、昴?」
思わず声を漏らす。
「酒神、マジ!?」
「走れるの!?」
走れはするだろ。
遠回しに失礼な翔馬へ、軽くチョップを食らわせる。
「ウウウウウ、ウン」
すごく動揺しているが、大丈夫だろうか。
昴は昔から本が好きなインドア派で、運動が得意な印象はなかった。
それは、オレの思い込みだったのだろうか。
「走ります! 走らせてください!」
昴が勢いよく立ち上がる。
予想外の展開に、教室がざわついた。
その騒ぎを、亮介の大声が沈める。
「じゃあ、三人で決戦か!」
ニヤリと笑い、指の関節を鳴らす。
翔馬も受けて立つように立ち上がった。
殺伐とした空気の中、オレは手を挙げる。
「オレ、やりたいヤツに譲るよ……」
「何言ってんだ。てるはクラス一、足が速いだろ」
「瑛が出なきゃ始まんないからね。これは、二番を決める戦いなんだよ」
「そ、そう……」
二人の圧に負け、しぶしぶ手を下ろす。
「ここはグラウンドで実力勝負だね……」
翔馬がブレザーを脱ぎ、教室の扉へ向かおうとした時だった。
「いや、ここはじゃんけんだ」
「え?」
「すまん。メンバー表の提出、今日のロングホームルーム終了までなんだわ。ほかの種目も決めるし、グラウンドへ出てたら間に合わん」
「コイツ……!」
亮介の計画性のなさは、テストの頃から滲み出ていた。
どうやら想像以上だったらしい。
翔馬は怒りを拳へ封じ込め、亮介を睨む。
「……じゃんけん。いけます」
昴も鋭い目つきで立ち上がり、前へ進んだ。
まるで歴戦の戦士の目だ。
そんな表情もできるのかと、新たな一面に驚かされる。
亮介、翔馬、昴が教卓の前に集まった。
オレは一番前の席という特等席で、戦いを見守る。
沈黙のあと、男子高校生たちの真剣な声が教室へ轟いた。
「「「じゃんけん、ぽん!」」」
亮介がグー。
翔馬と昴がパー。
「ぐぁぁぁぁ!」
敗北した亮介は、頭を抱えて絶叫し、その場に項垂れた。
勝者たちは敗者の声など聞こえないように、互いを睨み合う。
「「じゃんけん、ぽん!」」
昴がチョキ。
翔馬もチョキ。
あいこだ。
昴の拳は、力を込めすぎて震えている。
額から一滴の汗が伝った。
このリレーに、じゃんけんに、そこまで真剣になるか?
「「じゃんけん、ぽん!」」
昴がパー。
翔馬もパー。
昴は大きく息を吸い、ゆっくり吐いた。
翔馬を見る目は、獲物を狙う肉食動物のようだ。
どうして、そこまでリレーにこだわるのだろう。
二人の背後にある黒板が目に入り、答えに気づく。
リレーのメンバーには、白百合さんがいる。
そうか。
昴は、白百合さんと一緒に走りたいんだ。
いや、その先にあるMVPと特権を狙っているのかもしれない。
主人公が勇気を振り絞り、これまで目立たなかった力を発揮する体育祭。
まさにラブコメ展開だ!
頑張れ、昴!
心の中で声援を送り、二人の戦いを見守る。
「「じゃんけん、ぽん!」」
昴がグー。
翔馬がチョキ。
「ありゃ、負けちゃった」
翔馬は自分の手を見つめ、ため息を吐く。
「か、かか勝てた……ありがとう……」
ありがとう?
遠くを見つめる勝者の反応には疑問が残ったが、オレは主人公の勝利に心の中で湧いていた。
「じゃあ、酒神が最後のメンバーってことで! 補欠は俺が適当に出しとくな~」
先ほどまでの落胆はどこへやら。
元気を取り戻した亮介が、黒板へ昴の名前を書き込む。
「託したよ~、すばる君!」
「は、はい!」
翔馬は昴の大きな背中をバシバシ叩いた。
昴の表情は硬い。
思わず声をかける。
「あんま気負うなよ?」
すると翔馬がこちらへ寄り、肩を組んできた。
「そそ~。何てったって、後ろには瑛がいるから」
「オレに重圧かけんな」
「アハ」
翔馬は舌を覗かせて笑う。
「瑛、俺、頑張るから!」
「……おう! 無理だけはすんなよ」
「うん」
オレの言葉に、昴は困ったように少し笑った。
いつものように昴と朝食を取り、授業を受ける。
そんな日常が。
数日前、風音生徒会長に連れていかれた昴は、その後も変わった様子を見せなかった。
なかなか首を突っ込めないまま、今日までオレのモヤモヤも晴れずにいる。
そんな中、深刻な面持ちの昴に呼び止められた。
「瑛」
「ん?」
「これ、瑛の家の鍵」
震える手で、鍵を返される。
一瞬、心臓が凍りついたような感覚に襲われた。
そうだ。
テスト期間中という条件で、昴に来てもらっていたんだ。
「あ、そっか。テスト終わったもんな」
「……うん、ありがと」
「いや、お礼を言うのはこっちだよ。マジでありがとな!」
胸の内を隠し、何とか笑顔を作る。
二人の間に、気まずい空気が流れた。
「瑛」
その空気を変えたのは、昴だった。
「体育祭まで、朝ご飯、一緒に食べられ、ない、です」
「そ……っか」
昴の善意に甘えてばかりのオレには、それしか返せなかった。
それから、ろくに話せないまま三日が過ぎた。
話題になったのはテストの点数くらい。
昴は無事に赤点を回避できたらしい。
何度も礼を言われ、オレが「昴が頑張ったからだよ」と返す。
それだけだった。
昔の、近からず遠からずの距離へ戻ってしまったような気がする。
朝練が終わる頃には、昴の鞄はすでに教室にある。
早朝から登校しているのに、どこで何をしているのかは分からない。
放課後も、話す暇もなくどこかへ消えていく。
当たり前になりかけていた日常がなくなり、胸の奥がざわついた。
***
ロングホームルーム。
「体育祭だぁぁぁ!」
教卓に手をついて絶叫しているのは、スポーツ刈りの野球部員兼体育委員、亮介だ。
拳を握り、抑え切れない感情を爆発させている。
「やっと来た! 俺の出番!」
その発言を、翔馬がフフッと鼻で笑った。
「そんなこと言うなら、ウチの瑛は毎日出番だけどね」
「ぐうの音も出ない……。てる、野球部はいつでもお前を待ってるよ」
涙目で黒板へ向き直り、乱れた字で『体育祭について! 色々決める!』と書く。
再び振り返った時には、満面の笑みを浮かべていた。
「目指すは優勝! そして大会MVP! 優勝特典は、九月に行われる文化祭の出店優先権!」
「やっぱ文化祭は、一番人気の模擬店をやりたいよね~!」
翔馬の発言に、皆が頷く。
文化祭は、体育祭と同じくらい盛り上がる学校行事だ。
中でも模擬店は花形で、競争率が高い。
体育祭で優勝すれば、他のクラスとの競合を気にせず、好きな形態を選べる。
皆が必死になるのも納得だった。
「さらに! 優勝クラスから選ばれる大会MVPには、生徒会が許可する範囲で、何でも要望できる権利!」
亮介の声量が最大になる。
大会MVP。
優勝クラスの中で、特に活躍した生徒へ贈られる賞だ。
その報酬は、とんでもない特権らしい。
「前回MVPを取った三年の先輩は、文化祭で自由に使えるゴールドカードをもらったって。マジで何でも聞いてくれるらしい」
「すげぇ……」
どこかから感嘆の声が漏れる。
「過去には、生徒会の完全バックアップで告白場所を用意してもらった人もいるらしいよ」
女子の囁きも聞こえた。
いい。
それ、めちゃくちゃ青春だろ!
オレまでドキドキしてしまう。
「へぇ。告白、ねぇ」
後ろで頬杖をつく翔馬が、オレを見ながら意味ありげに呟いた。
また、変な勘違いをしているらしい。
どう訂正しようかと考えていると、教卓から亮介の声が響く。
「そんな体育祭の目玉! 全クラス対抗男女混合リレーのメンバーを決めたいと思います!」
教室が一気に盛り上がる。
「陸上部の鈴川さんと、アンカーの瑛は確定として」
活発な女子である鈴川さんは、「いいよ~」と軽く答えた。
オレも勝手に決められているが、クラスの役に立てるなら本望だ。
「あと女子一人、男子一人。やりたいヤツいる?」
一人の女子生徒が手を挙げた。
「私、出てもいいですか?」
「お! 白百合さん! もちろん~! ほかに出たい女子はいない?」
亮介が教室を見回す。
白百合さんは文武両道だ。
皆の納得した表情を確認し、黒板へ名前を書き足した。
「じゃあ、女子は決定! それじゃあ男子だ! 出たいヤツ~! はい、俺~!」
自分の問いかけに即答する亮介。
「僕も~!」
翔馬も挙げた手を大きく振る。
妥当なメンバーだ。
二人とも出たいなら、オレが抜けるのもありだろう。
そう考えた時、予想だにしなかった声が対角線上から聞こえた。
「お、俺、出たいです」
「え、昴?」
思わず声を漏らす。
「酒神、マジ!?」
「走れるの!?」
走れはするだろ。
遠回しに失礼な翔馬へ、軽くチョップを食らわせる。
「ウウウウウ、ウン」
すごく動揺しているが、大丈夫だろうか。
昴は昔から本が好きなインドア派で、運動が得意な印象はなかった。
それは、オレの思い込みだったのだろうか。
「走ります! 走らせてください!」
昴が勢いよく立ち上がる。
予想外の展開に、教室がざわついた。
その騒ぎを、亮介の大声が沈める。
「じゃあ、三人で決戦か!」
ニヤリと笑い、指の関節を鳴らす。
翔馬も受けて立つように立ち上がった。
殺伐とした空気の中、オレは手を挙げる。
「オレ、やりたいヤツに譲るよ……」
「何言ってんだ。てるはクラス一、足が速いだろ」
「瑛が出なきゃ始まんないからね。これは、二番を決める戦いなんだよ」
「そ、そう……」
二人の圧に負け、しぶしぶ手を下ろす。
「ここはグラウンドで実力勝負だね……」
翔馬がブレザーを脱ぎ、教室の扉へ向かおうとした時だった。
「いや、ここはじゃんけんだ」
「え?」
「すまん。メンバー表の提出、今日のロングホームルーム終了までなんだわ。ほかの種目も決めるし、グラウンドへ出てたら間に合わん」
「コイツ……!」
亮介の計画性のなさは、テストの頃から滲み出ていた。
どうやら想像以上だったらしい。
翔馬は怒りを拳へ封じ込め、亮介を睨む。
「……じゃんけん。いけます」
昴も鋭い目つきで立ち上がり、前へ進んだ。
まるで歴戦の戦士の目だ。
そんな表情もできるのかと、新たな一面に驚かされる。
亮介、翔馬、昴が教卓の前に集まった。
オレは一番前の席という特等席で、戦いを見守る。
沈黙のあと、男子高校生たちの真剣な声が教室へ轟いた。
「「「じゃんけん、ぽん!」」」
亮介がグー。
翔馬と昴がパー。
「ぐぁぁぁぁ!」
敗北した亮介は、頭を抱えて絶叫し、その場に項垂れた。
勝者たちは敗者の声など聞こえないように、互いを睨み合う。
「「じゃんけん、ぽん!」」
昴がチョキ。
翔馬もチョキ。
あいこだ。
昴の拳は、力を込めすぎて震えている。
額から一滴の汗が伝った。
このリレーに、じゃんけんに、そこまで真剣になるか?
「「じゃんけん、ぽん!」」
昴がパー。
翔馬もパー。
昴は大きく息を吸い、ゆっくり吐いた。
翔馬を見る目は、獲物を狙う肉食動物のようだ。
どうして、そこまでリレーにこだわるのだろう。
二人の背後にある黒板が目に入り、答えに気づく。
リレーのメンバーには、白百合さんがいる。
そうか。
昴は、白百合さんと一緒に走りたいんだ。
いや、その先にあるMVPと特権を狙っているのかもしれない。
主人公が勇気を振り絞り、これまで目立たなかった力を発揮する体育祭。
まさにラブコメ展開だ!
頑張れ、昴!
心の中で声援を送り、二人の戦いを見守る。
「「じゃんけん、ぽん!」」
昴がグー。
翔馬がチョキ。
「ありゃ、負けちゃった」
翔馬は自分の手を見つめ、ため息を吐く。
「か、かか勝てた……ありがとう……」
ありがとう?
遠くを見つめる勝者の反応には疑問が残ったが、オレは主人公の勝利に心の中で湧いていた。
「じゃあ、酒神が最後のメンバーってことで! 補欠は俺が適当に出しとくな~」
先ほどまでの落胆はどこへやら。
元気を取り戻した亮介が、黒板へ昴の名前を書き込む。
「託したよ~、すばる君!」
「は、はい!」
翔馬は昴の大きな背中をバシバシ叩いた。
昴の表情は硬い。
思わず声をかける。
「あんま気負うなよ?」
すると翔馬がこちらへ寄り、肩を組んできた。
「そそ~。何てったって、後ろには瑛がいるから」
「オレに重圧かけんな」
「アハ」
翔馬は舌を覗かせて笑う。
「瑛、俺、頑張るから!」
「……おう! 無理だけはすんなよ」
「うん」
オレの言葉に、昴は困ったように少し笑った。
