テストまで、あと三日。
今日もオレと昴は二人でペンを走らせていた。
昴の料理をたらふく食べ、満腹になったあとの勉強である。
参考書と課題に必死で向き合う昴を眺めていて、ふと勉強会のことを思い出した。
白百合さんたちも誘って開くつもりだったのに、昴とのこの生活が心地よすぎて、立案者であるオレ自身が積極的になれなかった。
こうして過ごし始めて、一週間と少し。
努力の跡が詰まったノートをめくる。
確実に正解できる問題は増えている。
大人数で勉強するより、このままマンツーマンで教えた方が点数は伸びるのではないか。
昴の点数向上か、恋のステップアップか。
ノートと昴を交互に見ながら、答えの出ない問いに頭を悩ませていた時だった。
テーブルに置いたスマホが震える。
画面には『翔馬』の名前と、サッカーボールのアイコンが表示されていた。
昴の様子をうかがうと、意図を察した彼は笑顔で頷く。
邪魔をしないよう席を立とうとしたところで、不意に袖を掴まれた。
「……いいよ。俺に構わず、ここで出て」
その言葉に甘え、スマホを耳へ当てた。
「あ、もしもし、翔馬?」
『てる~! 夜遅くにごめん!』
「気にしないで」
『実は…………テストがマジでヤバいんだよね』
『てる~! 頼むっ!』
電話の向こうから、亮介の陽気な声も聞こえてくる。
二人で勉強しているのだろう。
「だから、早く手をつけとけって言ったのに」
『てる、時間がある時でいいから、勉強教えてくださいっ!』
切実な願いにため息をつきながら、了承する。
その時、保留にしていた勉強会のことが頭をよぎった。
「いいよ。じゃあ、明日の放課後にでも、みんなを誘って勉強会――」
昴の肩が僅かに跳ねた。
直後、服の袖を強く引かれる。
「ん?」
昴を見ると、その声は電話越しにも聞こえたらしい。
『どうした?』
「いや……何でもない」
慌てて答えるオレの前で、昴がノートの端を指さした。
《てる。相談したいことがある》
そう書かれている。
「今?」
スマホを耳から離して囁くと、昴は真剣な顔で頷いた。
ただ事ではない様子に、オレも姿勢を正す。
「ごめん、またかけ直していい?」
『全然! テストに間に合うならっ!』
通話を切り、改めて昴へ向き直る。
「それで、相談って何?」
「ごめん。電話の途中だったのに」
「大丈夫。またあとでかけ直すし」
「ふぅん。あとで、また……」
昴は俯き、小さな声で呟いた。
「どうした、昴。何か様子がおかしいけど……」
顔を覗き込もうとすると、昴は再びオレの目を捉えた。
「やっと勇気が出たから。瑛には伝えておこうと思って」
「……何を?」
オレが首を傾げると、昴は大きく息を吸った。
「俺とツグミが、実の兄妹じゃないってこと」
普段より二段ほど低い声だった。
いつも優しくオレを見る昴が、今は見たこともない暗い雰囲気をまとっている。
知らなかった友人の一面と、信じられない告白が一気に押し寄せた。
「…………え?」
意味を理解できず、その一言だけを漏らして固まってしまう。
衝撃と困惑。
オレが立ち入っていい話なのかという迷い。
そして、この状況がまさにラブコメ展開だと気づいたのは、昴の告白からしばらく経ったあとだった。
***
オレがツグミちゃんと初めて会ったのは、中学二年の頃だったと思う。
中学も同じだった昴とオレは、近すぎず遠すぎない友人だった。
入学したばかりのツグミちゃんと廊下ですれ違い、彼女から話しかけてくれたのがきっかけだ。
高い位置で結んだツインテールが目を引く、可愛らしい女の子だった。
「あの! 私、酒神昴の妹のツグミと言います!」
「え!? 昴の妹さん?」
コクコクと頷く姿は、小動物みたいだった。
「有真瑛です。よろしくね、ツグミちゃん」
自己紹介すると、ツグミちゃんは突然顔を覆い、肩を震わせ始めた。
「どうしたの?」
「……っ! あのお兄に、こんな、っ、お友達がっ!」
手を離した彼女は、ボロボロと涙を流していた。
慌ててポケットからハンカチを差し出す。
「これ、使って」
「ありがとうございますぅぅ!! 兄をっ、今後とも、よろしくお願いします!」
「こちらこそ」
感情豊かで、昴とは正反対の印象だった。
けれど話すたび、兄を心から大切にしていることが伝わってくる女の子だった。
***
そんな二人が、実の兄妹ではなかったなんて。
「ツグミちゃんとは……血が繋がってないってこと?」
「そう。小学四年の時に両親が再婚した。お互い、連れ子なんだ」
「なんで、オレに話してくれたの?」
「ずっと考えてたんだけど、瑛になら相談してもいいと思って。それに、本音の話をしたでしょ? なら、俺も伝えないとなって」
「昴……話してくれて、ありがとう」
それ以上踏み込む勇気が出ず、そんな返事しかできなかった。
「……驚いた、よね?」
静かに頷く。
年頃の男女が一つ屋根の下。
何も起きないはずはなく――なんて、よからぬ想像をしてしまい、すぐに自分を恥じた。
ツグミちゃんと昴だぞ。
二人は仲のいい兄妹だ。
そんな考えを見透かしたように、昴が真剣な眼差しで告げる。
「……俺は、ツグミを大切な家族だと思ってる」
「そっか」
頭が追いつかず、その一言を絞り出すので精いっぱいだった。
昴は困ったように笑う。
その拍子に、綺麗に整えられた黒髪が揺れた。
そういえば、昴のイメチェンを成功させたのはツグミちゃんだ。
彼女が、この綺麗な髪に触れる。
その光景を想像すると、なぜか胸が騒いだ。
いや、兄妹なら普通だろ。
オレは何を考えているんだ。
次の言葉を見つけられずにいると、昴が目を伏せた。
「ごめん、突然。電話まで遮って、こんな話して」
「謝らないで」
何とかそれだけ返す。
昴はスマホで時間を確かめると、参考書をかき集め、鞄へしまい始めた。
「俺、今日は帰るね。聞いてくれて、ありがとう」
「う、うん。またな」
いつもより早い帰宅だったが、オレも頭を整理したくて、引き止めることはできなかった。
昴を見送ると、すぐに自室の本棚をスライドさせ、数々のラブコメ作品を引っ張り出す。
『お兄ちゃん!』と呼ぶツンデレ妹。
『お兄様~!』と慕う清楚系妹。
最後に『トリせつ』を取り出し、開き慣れたページを開く。
『お兄っ!』
そこには、面倒見のいい妹キャラの挿絵が描かれている。
こうした妹キャラには、大抵ある共通点があった。
「だよな。どのラブコメにも絶対いる。……血の繋がらない妹が」
昴は一体、何者なんだ!?
ラブコメ展開が昴へ寄ってくるのか。
それとも、昴の存在自体がハーレムラブコメなのか。
そして主人公の妹に対する認識は、大抵こうだ。
『大切な家族だ』
でも、そう思っているのは主人公だけ。
それが、テンプレ中のテンプレである。
ここまで主人公適性の高い友人を前にした以上、より一層『友人キャラ』に磨きをかけるしかない。
昴の言葉をきっかけに、自分の気持ちを改めて見つめる。
オレはまだ、たくさんある本心を探している途中だ。
けれど、この気持ちもきっと本物なのだと、自分で信じたい。
主人公の役に立ちたい。
あの時、オレを肯定してくれた昴の力になりたい。
それは紛れもない、オレの本心の一つだった。
***
大きなため息をつきながら玄関を開け、某有名な青いタヌキへ助けを求めるように叫んだ。
「助けて~、ツグミ~!」
「何ですか」
返ってきたのは、学校で聞き覚えのある玲瓏な声だった。
直後、その声の主が姿を現す。
プラチナブロンドの髪。
整いすぎた美しい顔。
お姫様のような立ち姿。
「あ、っ、え?」
戸惑う俺を見て、その美少女は悪戯っぽく笑った。
とりあえず、状況を確認する。
「あの、えっと……なんで、俺ん家に白百合さんが?」
「いたら悪いですか?」
「い、いやぁ。そんなことは……」
白百合さんの圧に負け、視線を逸らした時だった。
「あ、あれ……っ!? お、お兄、今日帰るの早くない?!」
部屋着姿の妹が、慌てた様子で現れる。
「ちょっと友達と気まずい空気になって、耐えられずに帰宅した次第です」
「へぇ。それで?」
白百合さんの美しい声はどこへやら。
低い声で追及される。
「逃げ込もうとした家までこんな感じで気まずくて、どうしようかと……」
どうすればいいか分からず、作り笑いで切り抜けようとする。
しかし、白百合さんの綺麗な顔はさらに険しくなった。
「はぁ……可哀想だから、お家に入れてあげます」
「いや、でも、ここ俺の家……」
「入れてあげます」
「ありがとうございます」
食い気味に押してくるイケメン美少女に負け、腰を低くして自宅へ上がる。
居間へ向かおうとすると、前を歩いていた白百合さんが立ち止まり、俺を振り返った。
「ただで入れるとは思わないでくださいね。今日は寝かせません」
「右に同じく!」
「は、はい……」
俺は帰宅早々、妹と美少女に脅されてしまった。
今日もオレと昴は二人でペンを走らせていた。
昴の料理をたらふく食べ、満腹になったあとの勉強である。
参考書と課題に必死で向き合う昴を眺めていて、ふと勉強会のことを思い出した。
白百合さんたちも誘って開くつもりだったのに、昴とのこの生活が心地よすぎて、立案者であるオレ自身が積極的になれなかった。
こうして過ごし始めて、一週間と少し。
努力の跡が詰まったノートをめくる。
確実に正解できる問題は増えている。
大人数で勉強するより、このままマンツーマンで教えた方が点数は伸びるのではないか。
昴の点数向上か、恋のステップアップか。
ノートと昴を交互に見ながら、答えの出ない問いに頭を悩ませていた時だった。
テーブルに置いたスマホが震える。
画面には『翔馬』の名前と、サッカーボールのアイコンが表示されていた。
昴の様子をうかがうと、意図を察した彼は笑顔で頷く。
邪魔をしないよう席を立とうとしたところで、不意に袖を掴まれた。
「……いいよ。俺に構わず、ここで出て」
その言葉に甘え、スマホを耳へ当てた。
「あ、もしもし、翔馬?」
『てる~! 夜遅くにごめん!』
「気にしないで」
『実は…………テストがマジでヤバいんだよね』
『てる~! 頼むっ!』
電話の向こうから、亮介の陽気な声も聞こえてくる。
二人で勉強しているのだろう。
「だから、早く手をつけとけって言ったのに」
『てる、時間がある時でいいから、勉強教えてくださいっ!』
切実な願いにため息をつきながら、了承する。
その時、保留にしていた勉強会のことが頭をよぎった。
「いいよ。じゃあ、明日の放課後にでも、みんなを誘って勉強会――」
昴の肩が僅かに跳ねた。
直後、服の袖を強く引かれる。
「ん?」
昴を見ると、その声は電話越しにも聞こえたらしい。
『どうした?』
「いや……何でもない」
慌てて答えるオレの前で、昴がノートの端を指さした。
《てる。相談したいことがある》
そう書かれている。
「今?」
スマホを耳から離して囁くと、昴は真剣な顔で頷いた。
ただ事ではない様子に、オレも姿勢を正す。
「ごめん、またかけ直していい?」
『全然! テストに間に合うならっ!』
通話を切り、改めて昴へ向き直る。
「それで、相談って何?」
「ごめん。電話の途中だったのに」
「大丈夫。またあとでかけ直すし」
「ふぅん。あとで、また……」
昴は俯き、小さな声で呟いた。
「どうした、昴。何か様子がおかしいけど……」
顔を覗き込もうとすると、昴は再びオレの目を捉えた。
「やっと勇気が出たから。瑛には伝えておこうと思って」
「……何を?」
オレが首を傾げると、昴は大きく息を吸った。
「俺とツグミが、実の兄妹じゃないってこと」
普段より二段ほど低い声だった。
いつも優しくオレを見る昴が、今は見たこともない暗い雰囲気をまとっている。
知らなかった友人の一面と、信じられない告白が一気に押し寄せた。
「…………え?」
意味を理解できず、その一言だけを漏らして固まってしまう。
衝撃と困惑。
オレが立ち入っていい話なのかという迷い。
そして、この状況がまさにラブコメ展開だと気づいたのは、昴の告白からしばらく経ったあとだった。
***
オレがツグミちゃんと初めて会ったのは、中学二年の頃だったと思う。
中学も同じだった昴とオレは、近すぎず遠すぎない友人だった。
入学したばかりのツグミちゃんと廊下ですれ違い、彼女から話しかけてくれたのがきっかけだ。
高い位置で結んだツインテールが目を引く、可愛らしい女の子だった。
「あの! 私、酒神昴の妹のツグミと言います!」
「え!? 昴の妹さん?」
コクコクと頷く姿は、小動物みたいだった。
「有真瑛です。よろしくね、ツグミちゃん」
自己紹介すると、ツグミちゃんは突然顔を覆い、肩を震わせ始めた。
「どうしたの?」
「……っ! あのお兄に、こんな、っ、お友達がっ!」
手を離した彼女は、ボロボロと涙を流していた。
慌ててポケットからハンカチを差し出す。
「これ、使って」
「ありがとうございますぅぅ!! 兄をっ、今後とも、よろしくお願いします!」
「こちらこそ」
感情豊かで、昴とは正反対の印象だった。
けれど話すたび、兄を心から大切にしていることが伝わってくる女の子だった。
***
そんな二人が、実の兄妹ではなかったなんて。
「ツグミちゃんとは……血が繋がってないってこと?」
「そう。小学四年の時に両親が再婚した。お互い、連れ子なんだ」
「なんで、オレに話してくれたの?」
「ずっと考えてたんだけど、瑛になら相談してもいいと思って。それに、本音の話をしたでしょ? なら、俺も伝えないとなって」
「昴……話してくれて、ありがとう」
それ以上踏み込む勇気が出ず、そんな返事しかできなかった。
「……驚いた、よね?」
静かに頷く。
年頃の男女が一つ屋根の下。
何も起きないはずはなく――なんて、よからぬ想像をしてしまい、すぐに自分を恥じた。
ツグミちゃんと昴だぞ。
二人は仲のいい兄妹だ。
そんな考えを見透かしたように、昴が真剣な眼差しで告げる。
「……俺は、ツグミを大切な家族だと思ってる」
「そっか」
頭が追いつかず、その一言を絞り出すので精いっぱいだった。
昴は困ったように笑う。
その拍子に、綺麗に整えられた黒髪が揺れた。
そういえば、昴のイメチェンを成功させたのはツグミちゃんだ。
彼女が、この綺麗な髪に触れる。
その光景を想像すると、なぜか胸が騒いだ。
いや、兄妹なら普通だろ。
オレは何を考えているんだ。
次の言葉を見つけられずにいると、昴が目を伏せた。
「ごめん、突然。電話まで遮って、こんな話して」
「謝らないで」
何とかそれだけ返す。
昴はスマホで時間を確かめると、参考書をかき集め、鞄へしまい始めた。
「俺、今日は帰るね。聞いてくれて、ありがとう」
「う、うん。またな」
いつもより早い帰宅だったが、オレも頭を整理したくて、引き止めることはできなかった。
昴を見送ると、すぐに自室の本棚をスライドさせ、数々のラブコメ作品を引っ張り出す。
『お兄ちゃん!』と呼ぶツンデレ妹。
『お兄様~!』と慕う清楚系妹。
最後に『トリせつ』を取り出し、開き慣れたページを開く。
『お兄っ!』
そこには、面倒見のいい妹キャラの挿絵が描かれている。
こうした妹キャラには、大抵ある共通点があった。
「だよな。どのラブコメにも絶対いる。……血の繋がらない妹が」
昴は一体、何者なんだ!?
ラブコメ展開が昴へ寄ってくるのか。
それとも、昴の存在自体がハーレムラブコメなのか。
そして主人公の妹に対する認識は、大抵こうだ。
『大切な家族だ』
でも、そう思っているのは主人公だけ。
それが、テンプレ中のテンプレである。
ここまで主人公適性の高い友人を前にした以上、より一層『友人キャラ』に磨きをかけるしかない。
昴の言葉をきっかけに、自分の気持ちを改めて見つめる。
オレはまだ、たくさんある本心を探している途中だ。
けれど、この気持ちもきっと本物なのだと、自分で信じたい。
主人公の役に立ちたい。
あの時、オレを肯定してくれた昴の力になりたい。
それは紛れもない、オレの本心の一つだった。
***
大きなため息をつきながら玄関を開け、某有名な青いタヌキへ助けを求めるように叫んだ。
「助けて~、ツグミ~!」
「何ですか」
返ってきたのは、学校で聞き覚えのある玲瓏な声だった。
直後、その声の主が姿を現す。
プラチナブロンドの髪。
整いすぎた美しい顔。
お姫様のような立ち姿。
「あ、っ、え?」
戸惑う俺を見て、その美少女は悪戯っぽく笑った。
とりあえず、状況を確認する。
「あの、えっと……なんで、俺ん家に白百合さんが?」
「いたら悪いですか?」
「い、いやぁ。そんなことは……」
白百合さんの圧に負け、視線を逸らした時だった。
「あ、あれ……っ!? お、お兄、今日帰るの早くない?!」
部屋着姿の妹が、慌てた様子で現れる。
「ちょっと友達と気まずい空気になって、耐えられずに帰宅した次第です」
「へぇ。それで?」
白百合さんの美しい声はどこへやら。
低い声で追及される。
「逃げ込もうとした家までこんな感じで気まずくて、どうしようかと……」
どうすればいいか分からず、作り笑いで切り抜けようとする。
しかし、白百合さんの綺麗な顔はさらに険しくなった。
「はぁ……可哀想だから、お家に入れてあげます」
「いや、でも、ここ俺の家……」
「入れてあげます」
「ありがとうございます」
食い気味に押してくるイケメン美少女に負け、腰を低くして自宅へ上がる。
居間へ向かおうとすると、前を歩いていた白百合さんが立ち止まり、俺を振り返った。
「ただで入れるとは思わないでくださいね。今日は寝かせません」
「右に同じく!」
「は、はい……」
俺は帰宅早々、妹と美少女に脅されてしまった。
