セカイが終わるその日、ぼくらは永遠の環を結んだ

 ――世界が滅ぶまで、あと九日。

 八月二十二日。
 しまなみ海道を渡ってから、昴の体調が悪化した。
 波の音が寂しく響く海沿いの道。
 容赦なく照りつける太陽から逃れ、ぼろぼろのコンビニの影に入った。
 昴は壁に背中を預けてゆっくり座り込む。
 日陰で海風もあり、ここなら休めるはずだ。
 使い古したタオルで、彼の額の汗を何度も丁寧にぬぐう。
「ごめん……ほんとに……ごめんな、花奈……」
「こういうときは、ありがとう、でしょ?」
「でも、申し訳なくて……さ……はぁ……ふぅ……」
 病気になってから、両親にもこうやって謝り続けてきたのだろうか。
 見せてもらった家族写真の、幼く無邪気な昴。
 あの子がこんなに苦しそうに謝っていたのかと思うと、涙が出そうになる。
「今日……休憩……四回目、だよな……ごめんな……」
「私は昴の恋人なんだから助けるのは当然でしょ。気にしないで」
「へへ……セカイで一番かわいい恋人……へへへ……」
 こういう話をすると、ちょっと元気になってくれる。
 そうやって少しでも笑ってくれるだけで、私はたまらなく嬉しかった。
「薬、飲むでしょ? はい、水」
 水筒のフタに水を注ぎ手渡す。
 昴はピルケースから錠剤を取り出し、緊急用の頓服薬を飲み込んだ。
 四国に渡ってから、この頓服を飲む回数が増えている。
 ……残りは、あといくつあるんだろう。


 いつもなら三十分ほどで落ち着くはずの動悸が、一時間経っても治まらない。
「……症状が悪化してる」
 昴の言葉に、ひゅっと喉が鳴った。
「……でも、しまなみ海道が原因じゃないからな。単純に疲労の蓄積だと思う」
 気遣うように先回りして言われた。
 慢性疾患を抱える人は自分の体調を客観的に観察する癖がついていると、同じ病気だった祖父から聞いたことがある。だから、彼の見立ては正しいはずだ。
「飲んでいる薬の量を、今日から増やそうと思う」
 中学生のときも症状が重くなって常備薬を増やしたことがある、と昴は説明してくれた。
「ただ、問題がひとつある……」
 差し出されたピルケースを見なくても、言いたいことはわかった。
「そのペースで飲むと……薬が足りない?」
 昴は日頃の常備薬と、発作時の頓服薬の二種類を服用している。
 隕石が落ちる八月三十一日より前に尽きてしまったら――
 ボストンバッグから『名医が教える心臓の教科書』を取り出し、素早くページをめくる。
「……よかった。薬がなくなっても、すぐに命に関わるわけじゃないんだ」
「そうだ。でもな……」
 常備薬が切れれば心不全や不整脈のリズムを抑えられなくなる。
 それ以上に危険なのは、発作を抑える頓服薬の残りがごくわずかなことだ。
 これがなければ激しい動悸と呼吸困難と激しい動悸に襲われ、意識が遠のいていく。
 ――死が、確実に近づく。
「……そんなの、やだ」
「……花奈?」
「昴が死んじゃうなんて絶対にいや……」
 出会って三週間。
 ふたりでここまで旅をして、想いを伝え合って。
 今の私にとって、昴の存在はあまりにも大きい。
 好きというだけじゃない。
 尊敬できるひと。
 応援したいひと。
 支えたいひと。
 そして、ずっとそばにいて欲しいひと。
 たとえ地球が滅びようとも――
「……ねぇ、昴。どうしても父母ヶ浜じゃなきゃダメなの?」
 失礼な問いだとわかっていても、目的より彼の命を優先したかった。
「近くの綺麗な砂浜じゃダメ? 空き家を見つけて、地球最後の日まで私と暮らして、最後の日は砂浜で一緒に隕石を見ながら――」
「花奈」
 低く真剣な声に、身体が震える。
「俺は父母ヶ浜へ行く」
「死んじゃったら意味ないんだよ!?」
「もともと俺は命を賭けてる」
 瀬戸内の波音が、ふたりの間を冷たく隔てる。
 ――父母ヶ浜は、家族で旅行した思い出の海なんだ。まだ父さんと母さんも仲が良くて、だから俺もすごく幸せで……。
 ――そういう想い出こみで、あの海が大好きなんだ。だから、俺がセカイで一番好きな海で死にたい。
「家族の思い出に浸って死ぬために行くんでしょ……? それなら、私がそれ以上の思い出を作るよ。したいこと、叶えたい夢、全部私が叶えてあげるから!」
 駄々をこねる子どものように、涙が溢れて止まらない。
「私より先に死んだら許さない……死ぬときも一緒じゃなきゃ、絶対やだ……!」
 昴がじっと私を見つめている。
 吸い込まれそうなブラックオパールの瞳。
 ……お願い、昴。私と一緒に生きて。
「――俺は独りでも行く」
 呼吸が止まった。
「ねぇ、どうして……? 死んじゃうんだよ?」
「父母ヶ浜へ行こうと決めた理由は、花奈の言う通りだった。でも、今は違う」
 昴の指先が、私の涙をそっとぬぐう。
「……こんな病を背負わせたセカイを、見返すために行くんだ」
 強い決意を宿した声が胸を貫く。
「俺だって幸せになれる。こんなにかわいい彼女ができて、最高に楽しい旅ができて、今の俺は人生で一番幸せだ」
「それって……私が昴を幸せにしてるってこと?」
「そうだ。だから、それをセカイに見せつけてやりたい。俺は運命に逆らうために、父母ヶ浜へ行くんだ」
 ――ああ、昴はこういうひとだった。
 普段は無邪気で、ばかっぽくて。
 なのに、芯はとても強い。
 重い病気に決して屈せず、どんな絶望の中でも希望を見つけて前を向く。
 だからこそ、私は彼に惹かれたのだ。
 その生き方を、私は今、自分の身勝手さで否定してしまった。
 なんて、ひどいことを……。
 私は昴の彼女なのに……最低だ……。
「ごめんなさい、昴……ごめんなさい……!」
「うわっ、泣くなって。ってか、泣かせたのは俺だよな、ごめん……!」
 大きな腕が私を優しく包み込む。
「……泣かせてごめん、花奈。俺のために言ってくれたのに」
 重い運命を背負いながら、どうしてここまで他人に優しくなれるのだろう。
 私の恋人は本当に強いひとだ。
 その腕の中で呼吸を整え、名残惜しさを振り切って身体を離す。
「私、決めた」
 ――パチンッ!
 気合を入れ直すため、両手で自分の頬を思い切り叩いた。
「い、痛っ……!?」
 乾いた音に、昴が思わず自分の頬を押さえて目を丸くする。
「私は昴と一緒に父母ヶ浜へ行く。いざとなったら背負ってでも連れて行く。そのための作戦を、今から立てる」


 昴が身体を休めている間に、父母ヶ浜へたどり着くための作戦を立てた。
 隕石が落下する八月三十一日の夕方まで、ここから徒歩だけで進んだとして四日から五日。
 今は八月二十二日。世界が滅ぶまで、あと九日。だから、四日ほど余裕がある。
 浜松から大阪まで、姫路から岡山まで、車で移動できたおかげだ。
 地図を持って、座り込んでいる昴の隣に肩を寄せる。
「へへ……」
 昴は嬉しそうに身体をくっつけてきた。
「ちょ、ちょっと。私、汗いっぱいかいてるから」
「そんなの、どうでもいい」
 彼はこつんと額を私の頭にあて、すりすりと擦りつける。甘える大型犬みたいだ。
「ば、ばか……!」
 心臓が飛び出そうだけど、そんな昴が愛しくて許してしまう。
 ずっとこうしていたい気持ちを切り替え、私は作戦を説明した。
「まずは空き家を見つけて、三日間休む」
 昴の体調を整え、蓄積された疲労を回復させるためだ。
「おう」
 力強い返事に、確かな信頼を感じて胸が温かくなる。
「回復して薬を減らせたら一番いい。でも、そうじゃない場合に備えて、大きな病院に立ち寄りながら父母ヶ浜を目指す」
 広げた愛媛県東予地方の地図には、六カ所の総合病院に赤丸をつけてある。
「昴の薬を確保しながら進もう」
 百人規模の入院患者を抱える大病院なら、拡張型心筋症の治療薬があるはず。
「一番近くの総合病院はここ。次はここ。海沿いから山の方へ移動して、新居浜からは国道十一号線を進んで……」
「病院のどこに薬があるのか、わかるのか?」
「薬剤部ってとこにある」
「そっか。花奈のお母さん、看護師だから」
 中学生の頃まで聞いていたお母さんの仕事の話が、今になって役に立つなんて。
 薬の名前は昴から聞いて、ノートにメモしてある。
「ICUの薬品庫や緊急外来にもあるはずだよ」
「……俺の恋人は世界で一番頼もしいな」
「私が昴を守るから」
「その台詞、俺が言いたかったなぁ」
「いつか機会はあるよ」
「もうすぐ地球が滅ぶのに?」
「じゃあ、地球を滅ぼす隕石から私を守って」
「ぶっ! ハードル高過ぎっ!」
「間違いなく人類の歴史上、一番高いハードルだね」
 私が笑うと、昴も笑う。
 やっと、また笑い合えた。
「おねーちゃん、なにしよん?」
 手足に砂のついた、小学生低学年くらいの兄妹から声をかけられた。
「こんにちは。お姉ちゃんたちは旅をしてるんだよ」
 地元の子なら知っているかもしれない。
「この辺りで、泊まれる家を探してるの。どこかにあるかな?」
「あるよー!」
「わっ。すごい」
「聞いてみるもんだな、花奈」
「こっちー! はよー!」


 昴はリビングのソファーベッドに横になっている。
 濡れタオルで汗を拭くと、落ち着いた表情の彼がふわっと微笑んだ。
「新婚っぽいな、こういうの」
「そ、そうだね……」
 不意の一言に胸が高鳴る。
 その背後で、がちゃっと玄関のドアが開いた。
「おねーちゃん、おるー!?」
「おるー!?」
 さっきの兄妹だ。
 パタパタとスリッパを鳴らして玄関へ向かうと、兄妹とお母さんらしきふくよかな女性がいた。
「相方さんは、休んどん?」
「あ、はい。ソファーで休ませてもらってます」
「これ、食べてね」
 たくさんのタッパーと、大きなガラス瓶のジュースが玄関の床に並べられる。
「これ、じゃこ天よ。ちぃとあぶったら美味しいんよ。こっちのタッパーは、ばら寿司ね。卵あったらよかったんやけど」
 続けて、冷たいキュウリ、氷と水、そして愛媛のみかんジュース。
 幸い塩分が少なめのものばかりで、ありがたくて恐縮してしまう。
「お遍路さんなんて偉いねぇ。若い子が回ってくれたら、お大師さんも喜ばれるんよ」
 お遍路さんとは、四国を巡ってお大師さま――空海さまの足跡をたどる人達のことだ。
 私が真っ白なワンピースに日傘、昴も白いパーカーとキャップを身につけているから、勘違いしたのだろう。
「ほうじゃ。うちに白衣と輪袈裟あるけん、使う?」
「あ、いえ、滅相もないです! そんな大切なもの、いただくわけには……この服のままで十分ですから」
「終末やけんねぇ。お遍路さんの服、手に入らんひとが増えとるんよ」
「ほ、本当に大丈夫ですから……」
 私たちはお遍路さんじゃないのに、なんだか心苦しい。
 けれど、昴の身体を思えば、これらの食べ物は黄金よりも価値がある。
 せめて道中にお遍路さんの寺があったら、遠くからでも手を合わせよう。
「ここ、太陽光発電やけん。電気、好きなだけ使って休んだらええよ。お湯も沸かせる。困ったことがあったら、あっち、私らの家やけん声かけて」
 東側の家が、この家族の家らしい。
「晩ご飯もあとで持ってくるけんね。うち、いろいろ余っとるんよ」
「なにからなにまで本当にありがとうございます」
「八月三十一日の夕方には全部なくなるけんね。ええことに使わんといけんのよ。そしたら、お大師さんが極楽へ連れて行ってくれるけん」
 私はこの家族とお大師様に心から感謝した。


 食後、昴が少し元気になった。
 私たちは予定通り、この家で三日間過ごす。
 掃き出し窓を開けていると風が涼しい。
 カーペットに並んで座り、縁側の小さな庭を見る。
 花壇の先は住宅を区切る灰色の壁だ。
 夏の陽光を受け、手入れのされていない雑草が逞しく輝いている。その生命力が、終末でも生きていると主張するように元気をくれた。
 うちわで風を送ると、昴は気持ちよさそうに目を細めた。ネコみたい。
 ――チリィィ……ン。
 風鈴が鳴る。地球が滅ぶとは思えない平和な夏の午後。
「昴。じゃこ天、食べる?」
 小魚を骨や皮ごとすり潰して揚げた、このあたりの名産品。独特の食感と濃厚な旨味が美味しい。
 塩分控えめが基本の昴でも、少量なら大丈夫だ。
 あのお母さんの助言通り、軽くあぶると香ばしい匂いが立った。
「花奈。あーん」
「食べさせて欲しいの?」
「彼女ができたら――」
「はいはい。夢だったんだね」
「そういうこと。あーん」
「んもう」
 苦笑しながら手を添え、こんがり焼けて夕日色になった平べったいじゃこ天を差し出す。
 昴はひとくちで、ぱくりと食べた。
「うまっ! うまっ……!」
 さっき食べたばら寿司も、とっても美味しかった。
 ここに来て栄養のある食事が摂れるなんて、お大師様のお導きかと思うような奇蹟だ。
 私たちの旅は運がいい。
 悪意に触れたり、襲われたりしてもおかしくないのに、出会った人たちはみんな温かかった。
 残された時間の中でも、愛情や日常を失わない人間は強い。
 旅立つ前の私とは大違いだ。
 そんな強さを持つ恋人の横顔を見る。
「恋人っていうより、夫婦みたいに過ごしてるよな……」
「ふ、夫婦……!」
 顔中が真っ赤になる。見なくてもわかる。絶対そうなってる。
 ……油断した。不意打ちだから、なお照れた。
 ずっと、こんな時間が続けばいいのに。
 でも、口には出さない。
 父母ヶ浜を目指す昴の覚悟を知っているから。
「花奈ってさ。隕石が落ちてこなかったら、なにしてた?」
 私が死のうとしていたのは、“白昼夢”があったから。それ無しでは、自殺する勇気もない。それなら、うーん……。
「普通の人生かな。つまらないなって感じながら、なんとなく生きて……普通に就職してたと思う。結婚は……私には難しそう」
「なに言ってんだよ。花奈はかわいいし、性格も最高だぞ?」
 昴は無邪気に笑って言う。
 ようやく落ち着いてきた私の頬に、また熱を持つ。
「そんなこと言ってくれるの昴だけだよ。でも、ありがと……」
 素直にお礼を言えた自分に少し驚く。
「じゃあ、昴は?」
「途中で、死んでるんじゃないかなー。旅する前から徐々に悪化してたしな」
 大好きな人の死を連想し、息が詰まる。
 けれど、昴は太陽のように明るく笑った。
「だからさ、今の方がずっと幸せなんだ。大好きな恋人と旅してるんだから」
 またさらりと、大好き、と言う。
 その言葉をもっと聞きたくて、敢えて尋ねた。
「……本当に幸せなの? もうすぐ地球が滅ぶのに」
「だから、だよ。花奈との時間が、その一秒が、すっげぇ楽しい!」
 昴ならそう言ってくれると思った。
「実は私も。すっごく楽しい」
「だろ~!? ははっ!」
 終末なんて吹き飛ばすように笑い合う。
「あ、でもさ。もし俺が病気じゃなくて、隕石も落ちてこなくて、ふたりが普通の高校生として出会ってたら……」
 切ない仮定の続きを待つ。
「告白するなら、しまなみ海道じゃなくて……やっぱり学校の屋上がいいな」
「屋上? ありきたりじゃない?」
「いいんだよ、青春なんだから。放課後の夕焼けの中で、フェンスの横で『好きです、付き合ってください』って言うの。良くない?」
「……ふふっ、いいね。私、絶対にオッケーするよ」
「やったっ!」
 顔を見合わせて笑い合う時間が、たまらなく愛しい。
「あ、そうだ。昴。明日の朝だけど」
「わかってるよ。寝坊禁止、だろ?」
「ううん。寝坊解禁。好きなだけ眠って回復に努めて」
「花奈は神。いや、俺の恋人だった」
 ひとりツッコミに吹き出してしまう。
 こんなふうに穏やかな時間を過ごす。
 夜も私が食事を作り、昴が幸せそうに平らげ、寝室の布団で身体を休めた。

 * * * *

「地球が滅ぶまでに、大窪さんまで行けそうなん?」
 お世話になった家の前で、兄妹とお母さんが見送ってくれる。
 空には高い入道雲。旅立つには絶好の日だ。
「はい。必ずたどり着きます」
「ふたりで、な?」
 昴の言葉に強く頷いた。
 大窪寺は八十八カ所の結願の寺。
 結局、父母ヶ浜へ行くと言うことができなかった。
 優しいウソってことでいいさ、と昴は笑ってくれたけれど。
「本当にありがとうございました」
 野菜やじゃこ天を持たせてもらい、ボストンバッグはずっしり重い。
「おねーちゃん、これ。あげる」
 兄妹の妹さん――ミカちゃんが、海で拾った小さな貝殻を差し出してくれた。
「わぁ、綺麗。ありがとう。お守りにするね」
 ミカという名前の漢字を聞いたら、“未来の花”だと教えてくれた。
 あのスーパーで未来が産んだ赤ちゃんの名前――未花ちゃんと同じだ。
 未花ちゃんも成長したら……この世界が続いていたら、こんな感じのかわいい女の子になったんだろうな。
「それじゃあ、行ってきます」
 手を振って歩き出す。
 最後までお父さんの姿は見えなかったけれど、地球最後の瞬間までどうか穏やかでありますようにと祈った。

 * * * *

 一軒目の総合病院に立ち寄った。
 外観に荒れた様子はなく、今にも正面の自動扉から人が出てきそうだ。
 周囲に気を配り玄関へ近づく。
 電気の消えた扉を手動でこじ開けようと昴が踏ん張ったが、びくともしない。
「非常口を探す? それとも、ガラスを割って入ろうか……」
「……やめよう、花奈」
 薄暗い院内の奥を、昴はじっと見つめていた。
 その視線の先に、ぬぅっと人影が現れる。
 思わず息を呑み、後退りした。
 ひとつ、ふたつ、みっつ……影が静かに増えていく。
 動かず、こちらを睨みつけている。
「花奈。この感じはやばい」
「でも、薬……」
 中の人たちは外の“悪意”から逃げてきたのだ。
 だから、彼らにとっては私たちこそが“悪意”に見えるんだ。
「……見てくれ、花奈。あいつら武器を持ってる」
 暗がりの中、点滴スタンドやモップの柄を槍のように構え、パイプ椅子を盾にする人影が見えた。
 必死に命とわずかな薬を守ろうとする、怯えた目。
 その恐怖が、いつ攻撃に転じてもおかしくない。
 私たちは身の危険を察し、この病院を諦めて先へ進むことにした。


 二軒目の病院もダメだった。
 ここは一軒目と異なり外観がぼろぼろで、自動ドアのガラスが粉々に散らばっていた。
 誰の気配もなく中に入れたが、どこもかしこも荒らされている。
 薬剤部を見つけたものの棚は倒され、引き出しごと奪われていた。
 ラベルの剥がされた無数の錠剤が床に散乱し、どれが心臓病の薬なのか見当もつかない。
 ICUの薬品庫や緊急外来を探そうと廊下へ出た。
「花奈。後ろに下がって」
 薄暗い廊下で、昴が私をかばうように前へ出る。
 かすかに鉄の匂いが漂ってきた。
「……誰かいるの?」
「床を見てくれ」
 ぶちまけられたような血痕。
 滴り落ちた跡が、奥へと続いている。
 しかし先は暗くて見えず、どこまで続いているかもわからない。
「今すぐここを出るぞ、花奈」
 私は頷き、二軒目の病院も諦めることにした。


 道中、中年の夫婦に出会った。
 崩壊した店を巡り食料を探しているというふたりに、情報交換として釜揚げしらすのタッパーを渡し、病院について尋ねた。
 基本的に廃墟か、危険な人達のたまり場になっているらしい。
「まだ誰かが働きよる病院もあるって聞いとるな」
「避難所みたいになっとる場所もあるらしいよ」
「……そうですか。ありがとうございました」
 昴も帽子を取ってお辞儀をする。
 私は諦めない。
 昴も最初から一ミリも諦めていない。
 大好きな人の命を繋ぐ薬を、必ず手に入れてみせる。


 夕暮れの土手道を歩く。
 右には青々とした並木が影を落とし、左には街を東西に分ける川が光を揺らしていた。
 傾いた陽がふたりの影を長く伸ばし、世界が静かに金色へと染まる。
 白いワンピースも彼の薄手のパーカーも山吹色を帯びていた。
 海岸線に工場が並ぶこの街にも隕石は落ちたようで、近くの校舎や対岸の住宅街が破壊されているのが見えた。
 けれど土手の木々は無事で、夕暮れの光に包まれながら盛夏の葉を揺らしている。
 隣を歩く昴のペースが落ち、呼吸も荒くなっていた。
「今日はここまでにして空き家を探そう、昴」
「……ん。花奈がそう言うなら」
 昴は斜面に腰掛けた。私もボストンバッグを置いて隣に座る。
 少し無理をさせてしまったかもしれない。
「……ごめんな、花奈」
「ううん。私のペース配分ミス。ごめんなさい」
「……違う。俺ががんばりたかったから……ほんとごめんな……」
 昴は病気のことになると、途端にごめんを繰り返す。
 普段の明るい彼とはまるで別人。
 ありがとうと言ってほしいと伝えても、結局はごめんねを繰り返してしまう。
 それだけ病気のことで自分を責め、傷ついてきたのだろう。
 悲しさと悔しさで、唇を強く噛んだ。
「昴の夢ってさ」
 明るい話をしたくて、彼にそう話しかけた。
「……俺の夢……がどうかした?」
「えっと……たくさんあっていいね、って……」
 楽しませるような会話が下手すぎて、我ながらあきれる。
「……花奈はないのか? 夢」
「特になかったよ。でも、強いて言うなら……生きてるって実感したかったかな」
「なかった……ってことは、今はあるんだ?」
「昴と旅をしてきて、毎日、生きてるって感じてる。だから残り少ない時間を大切にしたい。それが夢っていうか目標っていうか」
「ははっ……最高じゃん。めっちゃいい夢だよ」
「ありがと。昴は?」
 私にできることなら全部叶えてあげたい。
「花奈のおかげでたくさん叶ったけど、どうしても叶えられない夢がひとつあるんだ……」
「夏祭りのときにも言ってたね。教えて」
「……幸せな家庭を作ること」
 昴がそれを望むのは自然だ。
 でも、どうして叶えられないと思い詰めるのだろう。
「両親が仲良くて、子供を大切にして……ただそれだけだけど、うちはそうじゃなかった。俺が病気になって、失ってしまった。全部、俺のせいだ――」
 それは違うって何度も言ってきたのに。あとでお説教だ。
「……花奈のおかげで、たくさん夢が叶った。もう充分だよ」
 ――幸せな家庭を作ること。
 それなら私でも……ううん、私だからこそ――
「昴……子供は無理でも、お嫁さんなら作れるよ。……わ、私っていう恋人がいるんだから」
 高熱でうなされているときみたいに顔が熱い。
 そうなるのも当然だ。
 だって、今すぐプロポーズしてと、私は彼を急かしているのだから。
「花奈、それはできない」
「どう、して……?」
「こんな俺が結婚なんてしちゃだめだ。いつ死ぬかわからない重い病気で、幸せな家庭なんて作れない。迷惑をかけて、相手の人生を奪うことになる……」
 その言葉に、全身の血が沸騰した。
 あまりの怒りに、熱い涙が滲む。
 苦しくて、悔しくて、悲しくて――なにより許せなくて。
「昴の――――……」
 しまなみ海道で叫んだときよりも大きな声で――
「ばかぁーーーっ!!」
「ど、どうした、花奈!? 確かに俺はばかだけどさ……!」
 驚いて後ずさる昴へ、一気に距離を詰める。
「私は……! 病気でも、もうすぐ地球が滅ぶとしても、前を向いて真っ直ぐ突き進む昴を心から尊敬してる! すごいって本当に思う!」
 ……ああ、だめだ、涙が本当にとまらない。
「昴は真夏の太陽みたいな笑顔で、私を何度も何度も肯定してくれた!」
 私は叫ぶ。どれだけ彼が素晴らしい人間なのかを。
 セカイ中に響かせるように。
「私は昴が大好き! 笑顔も、がんばる姿も、全部好き!」
 昴の胸に手のひらを当てた。
 刻まれる鼓動が、私の未来そのものに思えた。
 たとえ残り少ない未来だとしても――
「がんばる昴の心臓も大好き。だから私も全力で肯定する! 世界中のひとがだめな奴だって言っても、私は素晴らしいひとだって叫ぶ! だから昴自身でも、自分を傷つけるようなこと言ったら許さない! 怒る! めっちゃ怒るんだからぁーーー!」
「……花奈」
 昴が私へ手を伸ばす。きっと涙をふいてくれようとしたんだろう。
 でも、私はその手をぱんっと弾いた。
「は、花奈!?」
 そのまま、土手の草むらへ飛び込む。
「ここならあるはず……お願い、見つけさせて……!」
 子供の頃は見つけられなかった。
 膝をつき、ワンピースの汚れも構わず目を凝らす。
「なにか探してるなら一緒に探すよ、花奈」
「昴は休んでて。私が見つけなきゃ意味がないから」
 十分、二十分と時間が過ぎる。宿を探して、晩ご飯を作らなければならないけれど、今はこれを見つけることのほうがずっと大切だ。
 けれど、空がますます赤く染まっていく。
 夜になっても探す? 明日も? もうすぐ地球が滅ぶのに?
 昴を父母ヶ浜へ連れて行かなければならないのに。今しかないのに。お願いだから、見つかって――!
「あった!」
 私は“それ”を根元から摘み取って、昴の前に戻った。
「四つ葉のクローバーか、それ?」
 返事もせずに、四つ葉のクローバーの茎を、そっとほぐして柔らかくする。
 小さい頃に作ろうとして、見つけられず作れなかった指輪。
 けど、今度はちゃんと茎を輪にできた。
 ――四つ葉のクローバーの指輪。
「左手。薬指。出して」
「えっ?」
「早く!」
「お、おう……」
 私は昴の指にそっと填めた。
 彼の綺麗な薬指に、四つ葉のクローバーがちょこんと乗る。
 完璧な指輪じゃない。
 ただの、小さな緑の輪っかだ。
 すぐに落ちてしまいそうな儚い指輪だけど、今の私にはこれがせいいっぱい。
「……花奈、これ」
 昴は意味を理解してくれた。
「四つ葉のクローバーの花言葉は――“幸せ”。婚約指輪にはちょうどいいでしょ?」
「……本当にいいのか、俺で?」
「私は! 昴と一緒にいて幸せ! あなたはとっくに私を幸せにしてる! もうすぐ滅ぶセカイでも、昴と一緒なら幸せなの! だから、ああだこうだ言わずに、私と結婚しろおおおぉぉぉーーー!!」
 私の魂ぜんぶを込めた、全力の逆プロポーズ。
 間近で叫んだから、昴がまた驚いた。
 いや、驚いたのは、私がぼろぼろと泣きじゃくっているからか。
 汚れた手の甲で頬の涙を拭いていると、優しい両腕で抱きしめてくれた。
 土で汚れた私の身体を、なんのためらいもなく。
「……花奈はいつも俺のために泣いてくれるよな……。ごめんな、泣かせてしまって……」
「謝るなぁ……! こういうときはありがとうって言えって、私は、何回も……!」
 最後は嗚咽で言葉にならなかった。
「俺の家族の写真を見せたときも、俺の証明のために父母ヶ浜を目指したいって言ったときも、そして今も、花奈は俺のために泣いてくれた……」
 自分のことでは泣けないのに、昴のこととなると私の涙腺はすぐ壊れる。
 そういえば、好きになる前からそうだったな。
「私と結婚してよぉ、昴……」
「…………」
 昴は返事をしてくれない。
「……どう、して……ねぇ、どうしてなの?」
 昴にかけられた呪いはそこまで強力なの。この四つ葉のクローバーの指輪じゃだめなの?
「……花奈、ちょっとだけ待っててくれ」
 逆プロポーズを断られたショックで呆然としている私を置いて、昴は土手の草むらへ身を投げ出した。
 膝をついて、なにかを探す。
 ああ、そうか……昴は、こういうひとだった。
「俺、探すの初めてだから……でも、絶対見つける……!」
 うん、そのあたりで探すといいよ。
 四つ葉のクローバーは同じ株から二本目、三本目が生えていることがある。
「あった!」
 昴は立ち上がって、駆け戻ってきた。その手には四つ葉のクローバーがあった。
「ど、どうやって作ったんだ、さっき? 普通に輪っかを作ればいいのか?」
「私が作ろうか?」
「いや、俺が作りたい、作らなきゃだめだ」
「じゃあ、茎をそっとほぐして……」
 昴はあっという間に、形の整った指輪を作った。
 私が作ったものより綺麗かもしれなくて、ちょっと嫉妬する。
 ……あ、でも、そのほうがいいのか。
 だって、この指輪は私に――
「左手を出す前に……花奈。じっとしてて」
「ん」
 理由はわからないけど昴に従う。彼は片手で地面に置いていたリュックを開けて、新しいタオルを取り出した。
 これもミカちゃんたちのお母さんからもらったものだ。
 そのタオルで、私の汗だらけの顔を拭いてくれる。
「……土、ついてる。そんな花奈もかわいいけどな」
「ひっ」
 消えたいくらい恥ずかしいけど、昴が拭いてくれるから耐える。
 びっくりするほど柔らかで優しいタオルが気持ちいい。
「綺麗になったよ、花奈」
 大事なことを言う前に、彼は私を綺麗にしてくれた。こういうところも大好き。
「じゃあ左手を出して、花奈」
「……はい」
 夕陽に照らされた彼の真剣な表情にどきりとして、思わず敬語になりながら素直に左手を差し出す。
 昴は私の薬指に、すっと四つ葉のクローバーの指輪を填めてくれた。
「俺と――結婚してください」
「……はい。ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
 しっかりと彼の美しいブラックオパールの瞳を見つめて返事をした。
「ありがとう、花奈。ありがとう……愛してる……。俺にこんなにかわいくて素敵なお嫁さんができるなんて……ほんと、信じられないよ」
 昴が私を――お嫁さん――と呼んでくれた。
 嬉しい。でも、それは彼のお嫁さんになれたことだけじゃない。
 彼はやっと自分を肯定できたのだ。
 結婚してもいいのだと。
 ようやく自分を――その心臓ごと、肯定できた。
 それがなによりも、本当に、なによりも嬉しかった。
「終末だからね。信じられないようなことだって当たり前のように起きるよ」
「そうだな。ははっ」
 見つめ合って、笑い合う。
 とてもいい雰囲気になって、ゆっくりと目を閉じてしまいそうになったけど、恥ずかしさに耐えられなくなって、私は彼に抱きついた。
「あれ?」
 そういうタイミングだと、昴も思ったんだ。ごめんね。もうちょっとだけ待って。
 時間がないのはわかってるけど、もうちょっとだけ――
 このまま静かに彼の心臓の鼓動を感じる。力強く、結婚を喜んでくれているように鳴っていた。
「んじゃ、行くか」
 もっとくっついていたかったけど、寝床を探さなきゃいけない。
 私が離れると、昴は手を差し出す。
「手を繋ごう、花奈。夫婦になって初めての散歩だ」
 その手をぎゅっと握り返す。彼がくれた“お嫁さん”という響きを、胸のなかで愛おしく噛みしめながら。
 紺色に変わりつつある夕暮れの空を、複数の流れ星が流れ落ちる。
 まるで、私たちを祝福してくれているようだった。
 こうして“白昼夢”を捨てた私は滅びゆく世界で、四つ葉のクローバーの婚約指輪という――かけがえのない、たったひとつの幸せを手に入れた。

 * * * *

 土手を下りた住宅街で、鍵の開いている平屋の空き家を見つけた。
 玄関と雨戸の施錠をしっかり確認し、安全を確保する。
 お風呂場の残り水をお借りして手足の泥を洗い流し、汚れてしまった大切な白いワンピースは手洗いして脱衣所に干した。
「私の部屋着、もう汗くさいのしか残ってなくて……」
「なら、これ着ろよ。洗濯してあるから綺麗だぞ」
 昴がリュックから出して手渡してくれたのは、彼のシンプルなグレーのTシャツだった。
 ボストンバッグにあった薄手のショートパンツを穿き、その上から借りたTシャツをかぶる。
 男の子用のサイズだから肩が大きく落ちて、袖は肘まで隠れ、裾はお尻まですっぽり覆ってしまう。
 首元からふわりと香る昴の匂いに、なんだか胸の奥がくすぐったくて、消え入りたいくらい恥ずかしい。
 それから私たちは、キッチンで夕飯の支度をした。
 できあがったお皿を持って、庭に面した縁側に並んで腰を下ろす。
 掃き出し窓を少しだけ開けると、涼しい夜風がすうっと通り抜けていった。
 足元に置いた懐中電灯には白いハンドタオルを巻きつけてある。ぼんやりと柔らかい光が、ふたりの手元を優しく照らしていた。
 じゃがいもが煮える甘い匂いと、ツナの油の香りが、夜の空気にゆっくり広がっていく。
「……できたよ。熱いから気をつけてね」
 昴が受け取った紙皿から、白い湯気が立ちのぼる。
 柔らかい光に透けて、まるで小さな雲みたい。
 ひと口食べた瞬間、昴の目がぱっと明るくなる。
「……うまっ……これ、めっちゃうまっ……!」
 いつもの感想。何度聞いても嬉しい。そして、かわいい。
 私は思わず笑ってしまう。
「花奈のさ、お父さんとお母さんについて教えて欲しいんだ」
 熱々の料理を美味しそうに頬張りながら、昴が尋ねてきた。彼はさらに続ける。
「自分のお嫁さんの家族について詳しく知りたいと思うのは当然だろ?」
 ……お、お嫁さん。
 今さらながら嬉しいのと恥ずかしいのとで顔中が熱くなる。
 夜でよかった。
 よく逆プロポーズなんてしたなぁ、私。
「前に話したとおりだよ。警察官のお父さんと看護師のお母さん」
「……仕事に行って、帰ってこなくなったんだよな。でも、人となりっていうか、どんなひとだったのか知りたいんだ」
 なるほど、納得。
「えっと、じゃあ、お父さんから」
 膝の上で指を組みながら、ぼんやりと父の姿を思い出す。
「お父さんは警察官。寡黙で静かで、あんまり返事してくれないひと。私が一方的に話すばっかり。でも、お母さんが言うには喜んでるんだって。私が小学生のときにプレゼントした財布――開くときにバリバリって音がする安い財布を、大切にずっと使ってくれてた……」
「優しいお父さんだな」
「うん……。お母さんは看護師。私にはすごく厳しくて、いつも小言ばっかり。でも、授業参観には絶対に来てくれたし、テストでいい点数を取ったり、読書感想文で賞をもらったりしたときは、手の込んだごちそうを作ってくれた……。厳しかったけど、親友みたいなお母さんで、大好きだった」
「……うん」
「高校に入ってからは、なんだか恥ずかしくてあんまり話さなくなっちゃって……」
 お母さんと、ちょっとぎくしゃくしている時期もあった。
「ふたりとも、こんな世の中になったのに、毎朝仕事に行ってた。『どうして行くの?』って聞いても、こんな世の中だからこそ、自分たちを必要とする人達がいるからって……。そうして、ある日……ふたりとも帰ってこなくなった」
 膝の上の手に、ぎゅっと力が入る。
 ぶかぶかのTシャツの裾を握りしめると、胸の奥でずっと凍りついていた冷たい棘が疼き出した。
「……立派だと思う。世のため人のために命を懸けて、尊敬すべき親だと思う。でもね……」
 喉の奥が熱くなって、声が小さく震えた。
「寂しかった。苦しかった。世界の終わりを前にして……どうしてお父さんもお母さんも、私を選んでくれなかったんだろうって。見知らぬ誰かのためじゃなくて、最後の日くらい、たったひとりの娘のそばにいて欲しかったって……ずっと、悔しかった。私は両親にすら選ばれなかった……」
 ずっと胸の底に沈めて、誰にも言えなかった醜い本音。
「こんな世界で必死に戦ってる親に対して、そんなこと思うなんて……私、最低の娘だよね。誇りに思うどころか、見捨てられたって駄々こねて、恨んだりして……」
 俯く私の肩を、温かい手がそっと抱き寄せた。
「最低なんかじゃない」
 昴の声は、静かで、驚くほど力強かった。
「当たり前だろ。花奈はまだ高校生なんだぞ。親に一番に愛されたい、そばにいてほしいって願うのが、どうして最低なんだよ。花奈はちっとも悪くない」
「……昴……」
「俺が花奈を選ぶ。この地球がどうなろうと、誰が花奈を置いていこうと、俺は絶対に花奈を置いていかない。セカイのなによりも、俺は花奈を一番に優先する」
「……っ……」
 瞳から零れ落ちた涙が、ぶかぶかの昴のTシャツの胸元へ、ぽたりと濃い染みを作っていく。
 許されたんだ。
 親を恨んでしまう自分も、寂しくて泣いていた幼い自分も、全部。
 昴の温もりに包まれながら、私はゆっくりと息を吐き出した。
「……私ね」
「ん?」
「昴と結婚してよかった」
「へへっ、そうだろ、そうだろ?」
 自慢げに胸を張る昴の笑顔が愛おしくてたまらない。
「というわけで、おかわり」
「はいはい。たくさん食べてね。あなた」
「ぶふっ!?」
 吹き出しそうになる昴を見て、私はくすくすと笑った。


 食べ終えた紙皿を片付け、懐中電灯の灯りをさらに絞る。
 ふたりで並んで縁側に座り、夜空を見上げた。
 今夜は月が出ていない。
 その代わり、吸い込まれそうなほどの満天の星が頭上に広がっていた。
 天の川の淡い白光の合間を、緑や紫の薄いオーロラのカーテンが幽玄に揺らめいている。
 そして――何本ものまばゆい光の筋が、夜空を音もなく切り裂いて流れていく。
 滅びの足音であるはずの隕石の光は、恐ろしいほどに綺麗だった。
「……なぁ、花奈。人間ってさ、もとは星の屑からできてるんだって」
 隣で星空を見上げていた昴が、ぽつりと口を開いた。
「星の屑……?」
「そう。大昔の超新星爆発で飛び散った星の欠片が、何十億年もかけて引き合って、集まって……巡り巡って、地球になって、俺たちになったんだ」
 昴は自分の左手と、私の左手をそっと重ねた。
 お揃いの、四つ葉のクローバーの指輪。
「だからさ。俺と花奈がこうして出会って、こんなにも惹かれ合っているのも……偶然じゃない気がするんだ。何十億年も前から、星の屑だった俺たちはずっと引かれ合ってたんじゃないかって」
「……なにそれ。ロマンチックすぎて、ちょっと恥ずかしいよ」
「だろ? でも、俺は本気で思ってるよ。想いの強さって、宇宙最強の引力なんだ」
「宇宙最強の……引力」
「そう。どれだけ離れていても、絶対に引き寄せ合う。だから俺たちは出会えたんだ」
 あまりにも途方もなくて、けれど世界一まっすぐな言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……ふふっ。じゃあ、星の屑だった大昔の私たちは、宇宙の暗闇をただ漂ってたってこと?」
「そうそう。んで、俺の星の屑が花奈を求めて、ゆっくり近づいていくんだ。何億年、何十億年もかけてな」
「スケール大きすぎ」
「宇宙がデカいんだから仕方ないだろ? 宇宙の外にも、別の宇宙があるくらいなんだからさ」
 私はくすくすと笑いながら、昴の腕にぎゅっと抱きつき、その肩に頭を預けた。
「……またオカルト?」
 私がぼそっとつぶやくと、風がふたりの髪を優しく揺らした。
 安心しきった体から、心地よく力が抜けていく。
 瞼が重くなり、まどろみへと沈みかけていたとき――隣で、カチッと小さな画面が灯った。
 青白い光が、昴の優しい横顔を照らし出す。
 ……また、あのメールだ。
「……私というお嫁さんがいるのに、まだどこかの未来のお嫁さんに送ってるの?」
 わざとらしくジト目を向けると、昴は困ったように眉を下げて笑った。
「あ、あれは冗談だって。……本当はさ、別の宇宙の、別の地球にいる俺へ送ってるんだ」
「……別の、地球?」
「そう。この地球は終わっちゃうけど、別の宇宙の俺に、俺が生きた証を残したくてさ。……タイムカプセルみたいなもんだよ」
 自嘲気味に呟いてから、昴はふと、照れくさそうに指先をとめた。
「……なぁ、花奈」
「ん?」
「花奈のメールアドレス、教えてくれないか」
「え……? 電波なんて、どこにも通じないのに?」
「いいじゃん、夫婦なんだから。それにさ……未来の俺だけじゃなくて、花奈にも送りたいんだ。俺たちが一緒に生きた証を」
「…………」
 胸の奥が、ぎゅっと締めつけられるように熱くなる。
「……うん。いいよ」
 教えたアドレスを、昴は一文字ずつ、宝物を確かめるようにゆっくりと打ち込んでいく。
 やがて、画面をタップする小さな音。
 送信完了の文字が、暗闇に淡く浮かんで消えた。
 夜空を、ひときわ大きな流れ星が長い尾を引いて流れていく。
 世界が終わるまでの、静かで、永遠みたいな夜だった。