幼馴染でも友達でもない、いけすかない男と可愛いあの子

 天海が出かけて行ってから、もう二時間近く経つ。
 なにかあったんじゃないかと心配していたら、ダイニングテーブルに置いていたスマホが震えた。
 天海かと思って、発信元を確認せずに電話に出てから気づく。俺、天海とまだ連絡先を交換してない。
「あ、行? 俺、山城。お疲れー」
 電話の主は、サッカー部の先輩だった。二年の山城 陽生(やましろ はるき)先輩。センターフォワードの実力者で、三年が引退したらキャプテンになるんじゃないかと言われている人だ。
 一応、連絡先は知っているけど、個人的にやりとりするような仲じゃないのに、どうしたんだろうか。
 なるべくたこちゃんを起こしたくなくて、音を立てないようにキッチンへ移動しながら返事をする。
「お疲れ様っす。どうかしたんですか?」
「いや、お前、病院だったんだろ? 怪我、どんな感じなん?」
「ああ……ありがとうございます。変わらずって感じっす。まだ練習に戻るまで、かかりそうです」
 監督と顧問の先生には、定期的に怪我の経過を報告しているが、他には誰にも連絡をしていなかった。
 だって、もうみんなの気持ちはインターハイに向いている。
 離脱している奴の話なんて、聞いてる暇はないだろう。
「そっか。いや、お前がいないと、俺も調子が出なくてなー。ほら、うち二年はパワータイプばっかで、お前みたいに絶妙な力加減のクロス上げられる奴いないじゃん」
「なんか……すいません、先輩にまで迷惑かけちゃって」
「や、責めたいわけじゃねえよ。でもお前、たまには顔出せよな。俺はお前のこと、可愛いと思ってんだからさあ。俺、いつでも相談乗るし」
 ……うーん、嫌だ。先輩が、俺の心配をしてくれていることは伝わるんだけども、今はちょっと、そういうのを嬉しく思える段階にはいない。
 だって俺、膝の手術をして、まだ杖も取れてないんだ。いつ戻れるのかわからないフィールドを見ても、醜い感情しか湧いてこない。
 申し訳ないけれど、今、ポジティブの押し付けはいらなかった。
 しかし、エースストライカーの先輩という部内において圧倒的な優位性を誇る相手に、そんなことが言えるわけもない。
 お礼を言うかあ……と思ったところで、玄関ドアのロックが解除されたことを知らせる電子音がした。天海だ! やっと帰ってきた。
「あ、すみません、先輩。ちょっと、アレなんで切りますね。あの、インハイ、応援してるんで。頑張ってください。電話、ありがとうございました」
 早口で一気に言うと、電話を切る。
 それから怪我をしている方の脚を庇いながら出迎えに行く。天海はスニーカーを脱いでる途中で、玄関にペットシーツの袋が二つ置いてあった。
「おかえり。たこちゃんいい子だったぞ。今、寝てる」
 気持ち抑えめの声で話したら「寝てんの?」と、驚いたように目を少し見開いてから、天海は小声で返してきた。
「一応、駅前の交番にも迷子の犬を保護したって届けてきた。あと下で、コンシェルジュさんにペット飼育の届出がいるか聞いてきた」
「あ、そっか。飼い主さんが探してるかもしれないもんね。届出って、何か必要なのか?」
「届出は正式に飼うことが決まったらでいいって。あと週明けに保健所にも、電話でいいから連絡をしとくようにって、警察で言われた」
「へええ……犬を保護するのって大変なんだな。それにしても天海、大荷物だな」
「ああ、犬用のシャンプーとか、ウエットティッシュとか、使いそうなもの買ってきた。なあ、お前、誰かと話してなかったか? 家の人?」
「ううん。部活の先輩。なんかさ、大丈夫かって、たまには練習見に来いってさ」
「ふうん。いい先輩じゃん。でもまだ、きちぃだろ。練習見学なんて」
 そう言いながら天海は、俺がペットシーツを持とうとするのを「無理すんな」と制した。
 それから荷物を全部一人で持って、リビングに行く。なんだかなあ……怪我のせいで仕方ないとはいえ、俺は学校でも家でも重いものを持てと言われることが多いし、当然持つべきだと思ってきたから、複雑な気持ちだ。
 それに「まだ、きちぃだろ」って。なんでこいつ、こんなに人の気持ちがわかるんだよ。
「そうそう、あと、本屋でこれも買ってきたんだ」
 天海が袋から、『はじめてワンちゃんと暮らすときに読む本』という笑顔の柴犬のイラストが描かれた黄色い表紙の本と、『超入門・犬のしつけ最新版』という黒いラブラドールレトリーバーの写真が表紙の本を出して、ダイニングテーブルに置く。
 不思議と天海が帰って来ただけで、こざっぱりとした部屋の中がほんのり温かく、柔らかい空間になった気がする。
「こっちは獣医師監修で、こっちは警察犬の訓練士の人が書いてるらしい。ネットでも調べられるけどさ、ちゃんとこういうの読んどいたほうがいいかと思って。俺、ペットシーツ敷いとくから、先に読んどいて」
 わかったと返事をして『はじめてワンちゃんと暮らすときに読む本』を手に取り、ダイニングチェアに座って読み始める。すごいな、知らないことだらけだ。 
 まず、家に来たばかりの犬に構いすぎてはいけない、そっとしておく。ドッグフードは成分表をきちんと見ないといけない。犬にも食べ物のアレルギーがある。
 あと、『犬を保護した場合はまず病院に連れていきましょう』と書かれているが、このへんの動物病院ってどこなんだろう? 病院ってお金かかるよな。そう考えて、はたと気づく。
「天海、天海、買い物、いくらかかったの? 俺も払う」
「あ? いいよ。父親から多めに生活費もらってるし。お前は部活ばっかで、バイトなんかしてねえだろ?」
「それは……そう、だけど……」
 親から貰う毎月の小遣いも、部活の後の買い食いやら海外の試合を観戦するために入っている配信サブスクやらで、ほとんど全部使ってしまっている。
「でも、たこちゃん病院に連れてったほうがいいって、この本に書いてあってさ。金、かかるじゃん。俺がお金出さないのも流石にどうかと思うし、なんか、この脚でも夏休み中にできるバイト……」
 そう言いかけたところで、ものすごく怖い顔で天海が俺を睨んでいることに気づく。
 俺、変なことは言ってないと思うんだけど、なんで? てか、美人の怒った顔、怖っ。
「その脚でもできるバイトねえ。なにするつもりだよ、お前」
「あ、ごめ……なんも考えてない……甘かった、よな」 
 考えの甘さを怒られているのだと思って謝ると、天海は一瞬きょとんとした後に再び眉間に皺を寄せて、フイッと目を逸らした。
「別に、そういうことを怒ったわけじゃねえし。なんも考えてなかったなら、いいよ」
「? じゃあ、なにに対して怒ってたんだよ」
「うるせえ。この世間知らずがよ! お前はお利口に本を読んでろ」
「理不尽!」
 もう、なんなんだよ、こいつ。わけわかんねえ。無計画にバイトしてお金払うなんて言ったのを怒ったのかと思ったのに、違うのかよ。じゃあ、なんで怒ったわけ?
 天海につられて大きな声を出したら、ソファの後ろから「キュウ……」という小さい声がした。
「まずい、天海。たこちゃん起こしちゃった」
 たこちゃんはさっき寝ていた場所よりも奥の方に座って、項垂れている。まるで最初に路地裏で会った時みたいだ。
「怖がらせてごめんな、たこ。別に喧嘩してるわけじゃねえから」
 天海がソファから少し離れた場所にしゃがんで、たこちゃんの方を見て声をかける。
 すると十秒、二十秒と時間が経ってから、たこちゃんがおずおず出てきて、天海の前に座った。
 それから顔だけ前に動かして、くんくんと天海のにおいを嗅ぐ。たこちゃんの尻尾が、控えめに揺れている。
「すげえ……天海って、犬飼ってたことあんの?」 
「いや、ねえよ。犬なんて、とても飼える環境じゃなかったし。こいつがお人好しなんだろ」 
 そう言って、天海はたこちゃんの頭をそっと撫でた。
 俺はそれを羨ましく思いながら、見守る。いいなあ……天海。俺も触りたくて、うずうずしてしまうけど、我慢する。
 それにしても天海、撫でるのがすごく上手い。たこちゃんは目を細めてぶぅぶぅ鼻を鳴らし、頭を天海の手に預けている。
(なんか天海の手、気持ちよさそうだなあ……)
 大きな手で包むようにたこちゃんの頭を撫でつつ、時々親指と人差し指で耳を挟んで、優しくくすぐる。
 爪の形まで綺麗な天海の大きな手の動きを目で追っていたら、なんだか頭がぼうっとしてきた。
 撫でてもらったらどんな感じなのかな……なんてつい考えてしまって、思わず頭を激しく左右に振った。
 いや、あり得ないだろ。天海に撫でられたいなんて! どうかしてる。なにを考えてるんだ俺は。