「じゃあ俺、買い物行ってくるわ」
「ん。わかった」
買い物に行く天海を、玄関まで見送る。リビングに戻ると、たこちゃんはまだ食事をしていた。
ダイニングチェアに座ってその様子を眺めていたら、急にこの状況って、なんなんだ? という疑問が湧いてきた。
久しぶりに会った天海と犬を拾って、天海の家にいる。しかも、今は天海の家に残って留守番をしている——
いや、俺はまだいいんだよ。でも天海は、自分の家に俺をあげるのみならず、留守を任せて買い物に行っているわけで。
普通、よく知らない奴を自分ちに一人で残しとくなんて、嫌じゃないか……?
俺はしないけど、勝手にいろんなもの見られたり、自分の部屋に入られたり、ものを盗まれたり、そういうリスクだってある。俺だったら友達だって、自分の部屋に置いてくことなんてできないかも。
天海は、そのへんを気にしない性格なのか? いや、神経質そうに見えるけどなあ。
……あ。女の子、連れ込んでて慣れてるとか、か?
だって、あの顔だ。天海が通ってる星霜学園は共学だ。真面目な優等生が多い学校なのだろうが、それでもあのビジュの男を、女子が放っておくはずがない。
おまけに今の天海って、言葉遣いは悪いけど、性格だっていい感じだと認めざるを得ない。俺が女の子だったら、まんまと好きになってた気がする。
ってか普通に考えてあいつ、彼女いるんじゃねえの?
それだ! とハッとする。あいつ、妙に丸くなったし。彼女の影響で変わった可能性は十二分にある。
天海の彼女だ。きっとすんごい美人か可愛いかの、どっちかなのだろう。くわえて同じ学校なら、頭もいい。
俺は彼女とか、いたことないからわかんないけど、恋人ができると成長するとか言うしなあ……
天海の隣に顔がぼやけた、スタイルのいい上品な女の子がいるところを想像してしまい、あのクソガキに彼女ねえ……と、感傷的になってしまう。そうして思い出すのは、小学生の頃のことだ。
三年生になる直前の春休み。桜の季節の運動公園は、サッカーをやっている俺たちのほかにも、お花見に来た人や散歩をしている人がいて、賑わっていた。
練習後に、来年からは年齢で固めたチームは卒業して実力で線を引くとコーチに言われて、チーム分けが発表された。
天海は上位のAチームに入ることが決まって、俺はBチーム。
発表の時、あいつはコーチから直々に「天海ならAチームでもすぐにスタメンを狙える。頑張れよ」と声をかけられていた。Bチームの俺は、名前を呼ばれただけだったのに。
あの頃の俺は、ただボールがあるところに向かっていく団子サッカーを卒業できてなくて、ポジションなんてよくわかっていなかった。
それでも足の速さだけはチームで一番だったから、 ボールを奪えることだけは、まああった。
けど結局、天海や身長がある奴らに競り負けてしまって、取られてばかりで。ごくたまにゴール前でボールを持てるチャンスがあっても、身体がでかい奴に簡単に軸をずらされて、シュートなんて決められたことがなくて。
かたや天海は、しっかりフォワードとして動いていた。おんなじ低学年のガキなのに、視野が広くて、他人の動きもしっかり予想してポジショニングしていたと思う。
今思えば、天海がAで俺がBになったのは当然なんだけど、あの時は頑張っているのに評価されないことが悲しくて悔しくて、片付けが終わってみんなが帰った後も涙が止まらなくて、公園の隅っこに蹲って一人で泣いていた。
そうしているうちに陽が傾いて人も減り、風も冷たくなって、親に心配をかけちゃうからと帰ろうとしたところで、後ろから声をかけてきた奴がいた。
——天海 雄飛だ
「雪村さあ、なんで足が速いの、活かさないわけ? 足りないもんばっか追っかけてないで、自分の武器を見ろよ」
涙と鼻水を拭って立ち上がったところで不機嫌そうな声がして、振り返るとまだユニフォーム姿の天海が立っていた。
なんでいるんだ? みんな帰っただろ、とか、その時はそんなことにも思い至らなくて、天海の言葉に気を取られた。
「俺の、武器……?」
「そ。お前、チビだし軽いし、どうやったって身体がデカくて、パワーのある奴に当たり負けする。実際、俺に簡単に負けんじゃん」
「ゔ……お前、バカにしに来たのかよっ」
「ちげえし。俺は親切にも助言してやりにきたの。ま、次の練習からはチームが違うからな。俺からの餞別。せいぜい頑張れよ」
そう言って、ヒラヒラ手を振りながら天海は帰ってしまった。
俺はというと、桜の花びらが散る夕暮れの中、遠くなっていく天海の背中を睨みながら〝俺の武器〟という言葉について、ずっと考えていた。
家に帰ってからも、天海の言ったことについて何度も考えて、親にパソコンを借りてサッカーのポジションについて勉強を始めて、プロの試合を何回も観て自分なりに分析をした。もう泣いている暇なんてなかった。
そして、天海に言われたことの意味がやっとわかった。俺が、正しく俺の武器を活かすために、なにをしたらいいのかも。
それからは走って走って持久力をつけて、ドリブルも練習した。プロの試合もサイドバックを中心に観察して、気がついたことをサッカーノートに書いて、自分のプレーにも活かすようにした。
そうしているうちに、自分が左利きであることが大きな武器になることにも知り、利き足を意識した立ち回りをするようになっていった。
思うようにいかない時は、天海の言葉を何度も思い出して、自分は間違っていないはずだと言い聞かせていたっけ。
その甲斐があって俺は周りが驚くほどの早さで成長し、夏前にはAチームの練習に呼ばれる回数が増えていき、夏が終わる頃には昇格が決まった。
コーチから「頑張ったな、雪村。おめでとう」と言われた時は、自分の考えが間違えてなかったんだって、嬉し涙が出たのを覚えている。
それから、本格的に一緒のチームになった天海に「思ったより、早く来たじゃん」と言われた時のことも、はっきり覚えている。
やっぱり同じチームになったら天海のプレーに目を奪われて、こいつのシュートが見たいと思って、必死に走ってアシストしたことも。今でも、全部はっきり覚えている——
「考えてみたら、天海って最初からいい奴だったのかも……たこちゃんはどう思う?」
見ると、さっきまでご飯を食べていたたこちゃんがいなくなっている。慌てて探すと、ソファと壁の間に身を隠すようにして丸まって寝ていた。
脚の間に、タコのタオルを抱えている。このタオル変なにおいがするんだけど、寝てる間に取り上げて洗ったりしたら、やっぱりかわいそうだよなあ。
「寝ちゃったのか……まあ、たこちゃんからみたら、あいつはいい奴だよな」
助けてくれたわけだし。俺はしばらく寝ているたこちゃんを見てから、物音を立てないようにそっとダイニングに戻る。
それからも俺は何をするでもなく、大人しくダイニングチェアに座っていた。
「ん。わかった」
買い物に行く天海を、玄関まで見送る。リビングに戻ると、たこちゃんはまだ食事をしていた。
ダイニングチェアに座ってその様子を眺めていたら、急にこの状況って、なんなんだ? という疑問が湧いてきた。
久しぶりに会った天海と犬を拾って、天海の家にいる。しかも、今は天海の家に残って留守番をしている——
いや、俺はまだいいんだよ。でも天海は、自分の家に俺をあげるのみならず、留守を任せて買い物に行っているわけで。
普通、よく知らない奴を自分ちに一人で残しとくなんて、嫌じゃないか……?
俺はしないけど、勝手にいろんなもの見られたり、自分の部屋に入られたり、ものを盗まれたり、そういうリスクだってある。俺だったら友達だって、自分の部屋に置いてくことなんてできないかも。
天海は、そのへんを気にしない性格なのか? いや、神経質そうに見えるけどなあ。
……あ。女の子、連れ込んでて慣れてるとか、か?
だって、あの顔だ。天海が通ってる星霜学園は共学だ。真面目な優等生が多い学校なのだろうが、それでもあのビジュの男を、女子が放っておくはずがない。
おまけに今の天海って、言葉遣いは悪いけど、性格だっていい感じだと認めざるを得ない。俺が女の子だったら、まんまと好きになってた気がする。
ってか普通に考えてあいつ、彼女いるんじゃねえの?
それだ! とハッとする。あいつ、妙に丸くなったし。彼女の影響で変わった可能性は十二分にある。
天海の彼女だ。きっとすんごい美人か可愛いかの、どっちかなのだろう。くわえて同じ学校なら、頭もいい。
俺は彼女とか、いたことないからわかんないけど、恋人ができると成長するとか言うしなあ……
天海の隣に顔がぼやけた、スタイルのいい上品な女の子がいるところを想像してしまい、あのクソガキに彼女ねえ……と、感傷的になってしまう。そうして思い出すのは、小学生の頃のことだ。
三年生になる直前の春休み。桜の季節の運動公園は、サッカーをやっている俺たちのほかにも、お花見に来た人や散歩をしている人がいて、賑わっていた。
練習後に、来年からは年齢で固めたチームは卒業して実力で線を引くとコーチに言われて、チーム分けが発表された。
天海は上位のAチームに入ることが決まって、俺はBチーム。
発表の時、あいつはコーチから直々に「天海ならAチームでもすぐにスタメンを狙える。頑張れよ」と声をかけられていた。Bチームの俺は、名前を呼ばれただけだったのに。
あの頃の俺は、ただボールがあるところに向かっていく団子サッカーを卒業できてなくて、ポジションなんてよくわかっていなかった。
それでも足の速さだけはチームで一番だったから、 ボールを奪えることだけは、まああった。
けど結局、天海や身長がある奴らに競り負けてしまって、取られてばかりで。ごくたまにゴール前でボールを持てるチャンスがあっても、身体がでかい奴に簡単に軸をずらされて、シュートなんて決められたことがなくて。
かたや天海は、しっかりフォワードとして動いていた。おんなじ低学年のガキなのに、視野が広くて、他人の動きもしっかり予想してポジショニングしていたと思う。
今思えば、天海がAで俺がBになったのは当然なんだけど、あの時は頑張っているのに評価されないことが悲しくて悔しくて、片付けが終わってみんなが帰った後も涙が止まらなくて、公園の隅っこに蹲って一人で泣いていた。
そうしているうちに陽が傾いて人も減り、風も冷たくなって、親に心配をかけちゃうからと帰ろうとしたところで、後ろから声をかけてきた奴がいた。
——天海 雄飛だ
「雪村さあ、なんで足が速いの、活かさないわけ? 足りないもんばっか追っかけてないで、自分の武器を見ろよ」
涙と鼻水を拭って立ち上がったところで不機嫌そうな声がして、振り返るとまだユニフォーム姿の天海が立っていた。
なんでいるんだ? みんな帰っただろ、とか、その時はそんなことにも思い至らなくて、天海の言葉に気を取られた。
「俺の、武器……?」
「そ。お前、チビだし軽いし、どうやったって身体がデカくて、パワーのある奴に当たり負けする。実際、俺に簡単に負けんじゃん」
「ゔ……お前、バカにしに来たのかよっ」
「ちげえし。俺は親切にも助言してやりにきたの。ま、次の練習からはチームが違うからな。俺からの餞別。せいぜい頑張れよ」
そう言って、ヒラヒラ手を振りながら天海は帰ってしまった。
俺はというと、桜の花びらが散る夕暮れの中、遠くなっていく天海の背中を睨みながら〝俺の武器〟という言葉について、ずっと考えていた。
家に帰ってからも、天海の言ったことについて何度も考えて、親にパソコンを借りてサッカーのポジションについて勉強を始めて、プロの試合を何回も観て自分なりに分析をした。もう泣いている暇なんてなかった。
そして、天海に言われたことの意味がやっとわかった。俺が、正しく俺の武器を活かすために、なにをしたらいいのかも。
それからは走って走って持久力をつけて、ドリブルも練習した。プロの試合もサイドバックを中心に観察して、気がついたことをサッカーノートに書いて、自分のプレーにも活かすようにした。
そうしているうちに、自分が左利きであることが大きな武器になることにも知り、利き足を意識した立ち回りをするようになっていった。
思うようにいかない時は、天海の言葉を何度も思い出して、自分は間違っていないはずだと言い聞かせていたっけ。
その甲斐があって俺は周りが驚くほどの早さで成長し、夏前にはAチームの練習に呼ばれる回数が増えていき、夏が終わる頃には昇格が決まった。
コーチから「頑張ったな、雪村。おめでとう」と言われた時は、自分の考えが間違えてなかったんだって、嬉し涙が出たのを覚えている。
それから、本格的に一緒のチームになった天海に「思ったより、早く来たじゃん」と言われた時のことも、はっきり覚えている。
やっぱり同じチームになったら天海のプレーに目を奪われて、こいつのシュートが見たいと思って、必死に走ってアシストしたことも。今でも、全部はっきり覚えている——
「考えてみたら、天海って最初からいい奴だったのかも……たこちゃんはどう思う?」
見ると、さっきまでご飯を食べていたたこちゃんがいなくなっている。慌てて探すと、ソファと壁の間に身を隠すようにして丸まって寝ていた。
脚の間に、タコのタオルを抱えている。このタオル変なにおいがするんだけど、寝てる間に取り上げて洗ったりしたら、やっぱりかわいそうだよなあ。
「寝ちゃったのか……まあ、たこちゃんからみたら、あいつはいい奴だよな」
助けてくれたわけだし。俺はしばらく寝ているたこちゃんを見てから、物音を立てないようにそっとダイニングに戻る。
それからも俺は何をするでもなく、大人しくダイニングチェアに座っていた。
