幼馴染でも友達でもない、いけすかない男と可愛いあの子

「あー、美味かったなああ」
 スープまで満喫して、店を出る。あまり動けない今、体脂肪の増加を避けたくて替え玉は我慢したが、やっぱり食べておけばよかったかなあ。
「なあなあ、天海。ほかにも美味い店、知ってるのか? 俺、ほかの店にも行ってみたい」
「はあ? それは俺に連れてけってことかよ」
 ダメなのかと聞くと、渋々ではあるものの「気が向いたらな」と返ってきたから、行ってくれるということなんだろう。
 でもなあ……ラーメン屋だと、あんまり話せないんだよな。すぐ出ないといけないし。
 自然にそう考えてしまって、自分で自分に驚く。サッカーもしていないこいつと話すことなんて、なにもないだろうと思う一方で、どういうわけか天海の横に居心地の良さを感じていた。
 なんでだろう? ほんとに久しぶりに会ったのに。こいつが俺になにも期待していなくて、俺もこいつになにも期待していないからだろうか?
「やった。じゃあ、連絡先交換しよ。待って、スマホ出す」
 俺が立ち止まって何とかリュックからスマホを出そうとするのを、天海が待ってくれる。
 やっと取り出せたと思って見上げると、天海は定食屋と雑居ビルの間の細い路地の奥をじっと見ていた。
 視線の先を追うと、ポリバケツや畳んだ段ボールが置かれた陰、日の当たらない狭い隙間に、少し大きめの犬が項垂れて座っている。
 口元を見ると、デフォルメされたタコの絵が印刷されたタオルを咥えていた。
「飼い犬……じゃ、ねえよなあ……」
 天海がそろそろと近づくと、犬は咥えていたタオルをポトンと落としてきた。
 それから、三角の垂れ耳をピクピク動かしながら天海の顔をじっと見ている。
 近くで観察すると、犬はずいぶんと痩せていた。肋骨の形がわかるほどだ。元は白と茶色の斑模様だと思われる長めの毛も、絡まってゴワゴワで、全体的に灰色く汚れている。
 野良犬っぽいけど、赤っぽい革の首輪をしているから迷子なのだろうか?
「これ……くれるってことか?」 
「いや、これとなにかを交換してくれって、言ってんじゃねえのか? 食いもんとか、寝るとことか、そういうもんと交換して欲しいんだと思う」
 俺が覗き込むと、地面に落ちたタオルを見つめたまま天海が答える。
「えっ。交渉してるってことか? 犬って、そんなに頭いいの?」
「お前よりは賢いんじゃねえの?」
 天海がしゃがんでタオルを取ろうとすると、犬はサッとタオルを再び口の中に収めた。なるほど、タダでは渡さないらしい。
「ほんとだ。お前すげえな、どうして犬がなに考えてんのかわかったんだ?」
「いや、別に見てりゃわかんだろ。しっかし、こいつ痩せてんな……」
「なあ、こういうのってどこに連絡したらいいんだ? 愛護センターみたいなとことか?」
「うーん……どうだろうな。子犬ならともかく、こいつは大人だよな。おまけに雑種っぽいし、そこそこデカい」
 それがなにか問題でも? 首を傾げると、天海が口元を覆って大きな溜め息をついてから、低い声で言った。
「殺処分になる可能性が高えってことだよ。センターに保護されても、飼いたがる人間はいないかもしれねえってこと」
「えっ……」
 殺処分……。なんで? こいつ、大人しいし、人を襲ったりしそうにない。それなのに、子犬じゃない、身体が大きいってだけで、死なないといけないのか?
「そんなの! そんなのダメだよ! どうしよう、天海……どうしたら……うち、妹がアレルギーで動物飼えないし……どうしよう……」
 こいつを助ける方法を考えたいけれど、家には連れて帰れない。動物病院とかに相談したら、助けてもらえるのだろうか? オロオロしていたら、犬の顔を見つめていた天海が口を開いた。
「……雪村は、助けたいのか?」
「当たり前だろ! 放っとくなんて、できねえよ」
「仕方ねえな。見捨てるのも寝覚めが悪ぃし、うちに連れてくか。雪村も付き合えよ」
「は……?へ?」
「とりあえず、俺はコンビニでリードの代わりになりそうな紐と、こいつが食えそうなもん買ってくるから。お前はここで待ってろ」
 そう言い残すと、天海は一人で表通りに走っていってしまった。
「なんかわかんないけど、お前は大丈夫、だと思うぞ。あいつが帰ってくるの、一緒に待ってよう」
 置いていかれた俺は、犬に声をかけてみる。
 人間の言葉なんてわからないよなあ……と思ったのに、犬は俺の顔をじっと見てから、腹を地面につけて伏せると、黙って表通りを眺めた。
 その様子を見て、感心してしまう。これまであんまり接する機会がなかったけど、犬っていうのは俺が思うよりもずっと賢いのかもしれない。
 俺も犬に倣って表通りの方を見て、天海が戻るのを待った。
 しばらくすると、コンビニの袋を下げた天海が戻ってきた。急いで買い物を済ませてきたのだろう、髪の毛が少し乱れている。
 これしかなかったと言いながら、天海はゴソゴソと袋からビニール紐を取り出した。それを首輪のDカンに通すのを見守る。
 犬は天海の腕にかかっているビニール袋が気になる様子で、鼻を突っ込もうとしていたが、「じっとしてくれよ」と言われると大人しくなった。
 天海が紐を結んでいる間に俺は持ち手側を切っておくかと思い、コンビニの袋からのぞいていたハサミを手に取った。しかし、なかなかうまく切れずにビニール紐が裂けて、切り口がボロボロになる。
「それ、普通のハサミだし、お前にはアレだろ」
 天海が声をかけてくるが、お前にはアレとは、どういう意味だろうか。言いたいことがわからずに見返すと、ハサミを取り上げられた。
「雪村、左利きだろ。これしかなかったから買ったけど、切れ味も良くなさそうだし、使いづらいんじゃねえの?」
 同じハサミを使っているとは思えないほど、容易かつ綺麗に天海が紐を切り落とす。
 それを持ち手にするために輪っか状に結ぶのを見ながら、俺は驚きと戸惑いで「え」と、声を漏らした。
「お前、俺の利き手なんか、よく覚えてたな……」
「左利きの左サイドバックなんて、希少価値じゃん。お前の利き腕と利き脚なんて、覚えてるよ」
 こちらを見ることのなくさらっと言われて、俺は混乱してしまう。
 天海のことが、わからない。もうサッカーはやっていないと、興味なさそうに言っていたのに。同じジュニアチームにいたという接点しかなかった、学校さえ違う俺の利き腕を当たり前のように記憶してるなんて。
 そのことになぜだか頬が、胸がじわりと熱くなって、俺は「ふうん。なんか、ここあちぃな」なんて言いながら、ぎこちなく地面に目を落とした。
「これ、大丈夫か? 犬が暴れたらちぎれそう……」
「俺の家まで五分くらいだし、そんくらいならへーきだろ。餌も買ってきたから、着いたらとりあえず食わせてやらねえと」
 紐を結び終えた天海は立ち上がり、ちょんちょんと何度か紐を引っ張って解けないことを確認してから、犬を連れて表通りに出た。
 ビニール紐で繋いだ痩せた犬を連れた高校生と、松葉杖をついた高校生。
 俺たちは夕暮れ時の駅前繁華街ではどうしても目立ってしまい、道行く人の視線を感じながら歩いた。
「なあ、お前んち、いきなり犬連れて帰って平気なのか? 家族の人は?」
「へーき。あ。俺が今住んでるとこ、そこ」
 天海の視線の先を辿ると、駅前のタワーマンションに繋がる。
「え? あの、でっかいマンション?」 
「そ。なんかね、父親の同級生が働いてる会社がデベロッパーらしくて、勧められて投資目的で買ったんだって。最初は賃貸に出すつもりだったみたいだけど、学校から近いし住んだらって言われて。父親は別に家があるから、あそこに住んでんのは俺だけ」
「へええ……なんか、すげえな」
 庶民の俺には理解できない話だなあ……と間抜けにも半口を開けて、周囲の建物から群を抜いて背の高いマンションを眺める。
 そして、ふと気づく。父親は別に家があるからって、どういうこと? てか、お母さんは? 
 疑問に思ったが、見上げた天海の顔からはなんの感情も読み取れなくて、聞くのも躊躇われてしまう。
 前まで来てみると、天海が住んでいるというマンションは縦だけではなく横にもそこそこデカくて、入り口まで続く長いアプローチはモダンな植栽で彩られていた。
 オートロックを解除してエントランスをくぐる天海に続くと、マンションの一階は無人のエレベーターホールで、エレベーターでまず二階に行く。
 ペット可物件だけど、共有スペースは歩かせられないからと天海に抱きかかえられても、犬はまったく抵抗しない。こいつ、すげえ静かだけど大丈夫なんだろうか。おとなしすぎて、どこか悪いんじゃないかと心配になる。
 二階はソファが設置された広々とした空間になっていて、奥にコンシェルジュの人がいるカウンターがある。
 コンシェルジュさんたちから「おかえりなさいませ」と挨拶をされて、天海は「こんにちはー」と会釈をしているが、場違い感から俺はオロオロしてしまう。
 コンシェルジュさんがいるホールを抜けて、またオートロックを解除して居住区に続くエレベーターに乗り、天海は十五階というボタンを押した。エレベーター内では、音量を絞ったジャズミュージックが流れている。
 狭くて、ほかに人がいない空間に入れて、俺はほっと息をつく。
「あー、緊張したああ。あんなカウンターがあって、ホテルみたい」
「管理人さんみたいなもんだよ。いろいろ頼む人もいるんだろうけど、俺は挨拶しかしたことない」
 なんてことないように言い返されて「はへえ……」と、変な声が出てしまう。
 すげえな、と思うと同時に疑問が浮かぶ。こいつって、どういう暮らしをしてるんだろう。
 なんか、俺や俺の周りの奴ら——たとえば木原みたいな友達や部活仲間とは、決定的に違う気がする。
 金持ちだから住む世界が違う、みたいな単純なことではなくて、もっと深い部分でなにかが違う気がする。
 けど、具体的にどこがどう違うのか、うまく説明はできない。
 裕福な家の息子で、勉強ができて進学校に通ってて、もうサッカーはやっていなくて——
 俺が天海について知ってることって、これだけだ。
 初めて会ったのは幼稚園児の時で、幼馴染と呼べなくもない年齢からお互いのことを知っている。
 でも、実際は学校も別で練習以外でこいつに会ったことはないから、幼馴染は違う気がする。
 それでも俺に一番影響を与えたのは間違いなくこいつだから、ただの知人では片付けられない。
 偶然再会して、これから俺たちの関係に名前がつくことになるんだろうか? 友達? なんか違う気がする……。
 考えれば考えるほど胸の奥がむずむずしてきて、なぜか恥ずかしくなって横を見ると、じっとこちらを見ている犬と目があった。