女の人はキャメル色のニットワンピースを着ていて、四つ葉のクローバーのような、花のようなデザインのネックレスをしている。よく知らないけど、有名なブランドのやつだと思う。
空いている方の手に提げている、なにが入るのか謎なくらい小さなバッグも高そうに見える。身も蓋もない言い方だけど、お金持ちそうな人だ。
ただ、いくら天海が大人びているとはいえ、女の人はだいぶ年上で、並んで歩く二人はとても普通の恋人には見えない。
もしかして天海の好きな人って、この人、なんだろうか。家庭を持っている人が好きで、だから諦めてるってこと……とか?
天海には一途に想っている人がいると知っていたのに、こうして突きつけられると思ったよりキツい。
目の前の写真が、ぼやけて歪む。馬鹿だな、俺。片想いだってわかっていたのに、あいつが優しいからどこかで期待していた。
心のなかの、天海との思い出をしまっている場所が破けて、大切にしていたものが砂のようにサラサラ溢れて消えていくみたいだ。寂しい、苦しい。
虚ろな顔をしていたのだろう俺を訝しんで、先輩がスマホを机に置く。
「おーい、行。なんかお前、勘違いしてねえか? あのお友達さあ、ママ活ってやつ? してたらしいよ。女好きの俺から見てもドン引きなんだけど」
「……は? ママ、活……?」
「この人以外にも何人かお客さんがいて、全員お金持ちのマダムで、こうやってデートして荒稼ぎしてたらしいぜ。ママ活ってさあ、やっぱ身体の関係込みだよなあ。お前はどう思う?」
「いや、そんなはず……だってあいつ、お金が必要な理由なんてないし……」
ママ活……天海に限って、そんなことをするはずがない。
だってあいつはお金に困ってないし、なにより好きな人がいるんだ。
「その辺の事情は知らねえけど。なんかあいつ、ママ活がバレて六月に停学になって、それから学校来てないらしいぜ」
学校に、来てない。昨日、天海が言っていた「ちょっと学校休んでたんだよ」という言葉が脳裏に浮かぶ。
違う、違うと思いたいのに、引っ掛かっていた、たこちゃんに使っているお金の出どころの答え合わせもできてしまう。
強く握ったてのひらに嫌な汗が滲む。冷静になりたくて何度も瞬きをするけれど、落ち着けと言い聞かせるほど、頭は真っ白になる。
だって、高校生のママ活なんて違法じゃないのか? てか、ママ活って、具体的になにをするんだ? 身体の関係込み……って、 天海、なんで……?
「お前は、うちのスーパールーキーだし、俺にとっても可愛い可愛い後輩だからさあ。こんなのとつるんで厄介ごとに巻き込まれて、退部になったらって思ったら、心配でさあ。こいつに弱みでも握られてんのか? 俺が話、つけてやろうか?」
「あ、いえ……あの、俺、帰ります。わざわざ、ありがとうございました」
先輩に頭を下げて、トレイを戻して店を出る。
聞いた話が理解できなくて、見せられた写真が脳内をぐるぐる回って、俺は注意力散漫になっていた。
自分の周りをうすぼんやりした膜が覆っているみたいに、地面につく足にも現実味がなくて、周囲の音もよく聞こえなかった。
だから、まったく気がつかなくて、受け身が取れなかった。
背後から近づいてきていた山城先輩に強く腕を引っ張られた俺は、まんまと雑居ビルの間にある細い路地に押し込まれた。
たこちゃんと初めて会った場所によく似た路地は、室外機からだされる熱風と排気口から出る油のにおいがこもった不快な場所で、俺は顔を顰める。
薄暗くて、お店の裏口以外からは人が出入りする気配もなくて、こんな場所に山城先輩と二人でいるのは明らかにまずい。
先輩にどうしたのか、なぜこんなことをするのかと聞く時間も惜しくて、表通りに逃げようとする。しかし、先輩は俺が逃げようとするのを見越していたらしく、巨体で道を塞ぐ。
一歩近づいて距離を詰めてきた山城先輩が、身体を屈めて俺の顔を覗き込んでくる。
鼻先が触れ合いそうな近さに嫌悪感を覚えて身体を捩ると、雑居ビルの薄汚れた外壁に背中がぶつかり、ビルの壁と山城先輩の間に挟まれる格好になる。
「待てって、行。俺さあ、お前のこと好きなんだよ。こんだけ尽くそうとしてるんだから、わかるだろ」
コンクリートの壁に軽く後頭部を打ったことで、痛みに顔を顰めて山城先輩の顔を見上げる。
「お前、あいつのこと好きなんだろ。ちょっと見ただけでわかるぜ。王子様を見るみたいな目ぇしてるもんな」
先輩は両方の口の端を歪に吊り上げて、俺を見下ろしていた。
その顔を見て、なんでこの先輩が俺に付き纏うのか、やっとわかった。
「……先輩さあ、俺が復帰したら、自分の駒として動かしたいんだろ? 俺の弱みでも握りてえのか?」
俺自身が心の底から好きな奴がいるから、わかる。この人は、俺のことが好きなわけじゃない。全然、気持ちの温度が違う。
山城先輩は、俺を支配下に置きたいのだ。自分のためだけに動く駒として、使いたいのだ。
この前の試合で、自分の魅せ場を作るためにチーム内で一番役に立つ人間は、雪村 行だということをこの人は痛感したのだろう。だから手っ取り早く、俺を自分の所有物にしたいのだ。
「は、終わってんな。手ェ離せよ。今なら、無様に負けたせいで正気じゃなかったってことで、水に流してやるからよ」
山城先輩と俺の身長差は二〇センチ近くある。身体の厚みも、筋肉量も全然違うから、力づくでこの状態から抜け出すのは不可能だ。
で、あれば、怒らせるようなことを言って隙を作って逃げるのが得策だろう。
この人は単純だし、すぐに着火できるだろうと俺は高を括っていた。が、意外にも山城先輩は酷薄な笑みを張り付かせたままだった。
「お前、自分の立場考えてモノ言えよ。ここでお前の脚、折ることもできるんだぜ? そしたら年内復帰どころか、もう一回手術になるかもなあ」
「……っ!」
左手で髪の毛を鷲掴みにして、右手で腕を強く掴んで動きを封じたうえで、山城先輩は膝頭で俺の膝のサポーターをぐりぐりと押してきた。
空いている方の手に提げている、なにが入るのか謎なくらい小さなバッグも高そうに見える。身も蓋もない言い方だけど、お金持ちそうな人だ。
ただ、いくら天海が大人びているとはいえ、女の人はだいぶ年上で、並んで歩く二人はとても普通の恋人には見えない。
もしかして天海の好きな人って、この人、なんだろうか。家庭を持っている人が好きで、だから諦めてるってこと……とか?
天海には一途に想っている人がいると知っていたのに、こうして突きつけられると思ったよりキツい。
目の前の写真が、ぼやけて歪む。馬鹿だな、俺。片想いだってわかっていたのに、あいつが優しいからどこかで期待していた。
心のなかの、天海との思い出をしまっている場所が破けて、大切にしていたものが砂のようにサラサラ溢れて消えていくみたいだ。寂しい、苦しい。
虚ろな顔をしていたのだろう俺を訝しんで、先輩がスマホを机に置く。
「おーい、行。なんかお前、勘違いしてねえか? あのお友達さあ、ママ活ってやつ? してたらしいよ。女好きの俺から見てもドン引きなんだけど」
「……は? ママ、活……?」
「この人以外にも何人かお客さんがいて、全員お金持ちのマダムで、こうやってデートして荒稼ぎしてたらしいぜ。ママ活ってさあ、やっぱ身体の関係込みだよなあ。お前はどう思う?」
「いや、そんなはず……だってあいつ、お金が必要な理由なんてないし……」
ママ活……天海に限って、そんなことをするはずがない。
だってあいつはお金に困ってないし、なにより好きな人がいるんだ。
「その辺の事情は知らねえけど。なんかあいつ、ママ活がバレて六月に停学になって、それから学校来てないらしいぜ」
学校に、来てない。昨日、天海が言っていた「ちょっと学校休んでたんだよ」という言葉が脳裏に浮かぶ。
違う、違うと思いたいのに、引っ掛かっていた、たこちゃんに使っているお金の出どころの答え合わせもできてしまう。
強く握ったてのひらに嫌な汗が滲む。冷静になりたくて何度も瞬きをするけれど、落ち着けと言い聞かせるほど、頭は真っ白になる。
だって、高校生のママ活なんて違法じゃないのか? てか、ママ活って、具体的になにをするんだ? 身体の関係込み……って、 天海、なんで……?
「お前は、うちのスーパールーキーだし、俺にとっても可愛い可愛い後輩だからさあ。こんなのとつるんで厄介ごとに巻き込まれて、退部になったらって思ったら、心配でさあ。こいつに弱みでも握られてんのか? 俺が話、つけてやろうか?」
「あ、いえ……あの、俺、帰ります。わざわざ、ありがとうございました」
先輩に頭を下げて、トレイを戻して店を出る。
聞いた話が理解できなくて、見せられた写真が脳内をぐるぐる回って、俺は注意力散漫になっていた。
自分の周りをうすぼんやりした膜が覆っているみたいに、地面につく足にも現実味がなくて、周囲の音もよく聞こえなかった。
だから、まったく気がつかなくて、受け身が取れなかった。
背後から近づいてきていた山城先輩に強く腕を引っ張られた俺は、まんまと雑居ビルの間にある細い路地に押し込まれた。
たこちゃんと初めて会った場所によく似た路地は、室外機からだされる熱風と排気口から出る油のにおいがこもった不快な場所で、俺は顔を顰める。
薄暗くて、お店の裏口以外からは人が出入りする気配もなくて、こんな場所に山城先輩と二人でいるのは明らかにまずい。
先輩にどうしたのか、なぜこんなことをするのかと聞く時間も惜しくて、表通りに逃げようとする。しかし、先輩は俺が逃げようとするのを見越していたらしく、巨体で道を塞ぐ。
一歩近づいて距離を詰めてきた山城先輩が、身体を屈めて俺の顔を覗き込んでくる。
鼻先が触れ合いそうな近さに嫌悪感を覚えて身体を捩ると、雑居ビルの薄汚れた外壁に背中がぶつかり、ビルの壁と山城先輩の間に挟まれる格好になる。
「待てって、行。俺さあ、お前のこと好きなんだよ。こんだけ尽くそうとしてるんだから、わかるだろ」
コンクリートの壁に軽く後頭部を打ったことで、痛みに顔を顰めて山城先輩の顔を見上げる。
「お前、あいつのこと好きなんだろ。ちょっと見ただけでわかるぜ。王子様を見るみたいな目ぇしてるもんな」
先輩は両方の口の端を歪に吊り上げて、俺を見下ろしていた。
その顔を見て、なんでこの先輩が俺に付き纏うのか、やっとわかった。
「……先輩さあ、俺が復帰したら、自分の駒として動かしたいんだろ? 俺の弱みでも握りてえのか?」
俺自身が心の底から好きな奴がいるから、わかる。この人は、俺のことが好きなわけじゃない。全然、気持ちの温度が違う。
山城先輩は、俺を支配下に置きたいのだ。自分のためだけに動く駒として、使いたいのだ。
この前の試合で、自分の魅せ場を作るためにチーム内で一番役に立つ人間は、雪村 行だということをこの人は痛感したのだろう。だから手っ取り早く、俺を自分の所有物にしたいのだ。
「は、終わってんな。手ェ離せよ。今なら、無様に負けたせいで正気じゃなかったってことで、水に流してやるからよ」
山城先輩と俺の身長差は二〇センチ近くある。身体の厚みも、筋肉量も全然違うから、力づくでこの状態から抜け出すのは不可能だ。
で、あれば、怒らせるようなことを言って隙を作って逃げるのが得策だろう。
この人は単純だし、すぐに着火できるだろうと俺は高を括っていた。が、意外にも山城先輩は酷薄な笑みを張り付かせたままだった。
「お前、自分の立場考えてモノ言えよ。ここでお前の脚、折ることもできるんだぜ? そしたら年内復帰どころか、もう一回手術になるかもなあ」
「……っ!」
左手で髪の毛を鷲掴みにして、右手で腕を強く掴んで動きを封じたうえで、山城先輩は膝頭で俺の膝のサポーターをぐりぐりと押してきた。
