ちょうど昼時の駅前通りは、夏休み中の小学生親子やランチタイムと思われる会社員風の人、ギャハギャハ笑いながら友達やカップルで連れ立って歩く学生で、そこそこ賑わっていた。
そこをたこちゃんのリードを持った俺と、天海とで並んで歩く。松葉杖が取れてからは、俺がたこちゃんのリードを持つことも増えてきたんだけど、もしも俺の性別が女性ならカップルが愛犬を散歩しているように見えるのかなあ、なんて考えてしまう。
もしも俺の性別が女性なら天海も、靡いてくれない好きな人のことなんて諦めて、あっさり俺を恋人にしてくれたかもしれない。
でも俺の性別が女性なら、たこちゃんのためとはいえ同じ家で暮らしたりできないよな。
そもそも性別が違ったら、おんなじサッカーチームにはならないから、会ってさえいなかったわけで。難しい。
そんなことを思いながら、あくびをする天海の横を歩いていたら、後ろから可愛らしい声に呼び止められた。
「あれ、天海くん?」
天海と一緒に振り向くと、俺たちと同年代くらいの女の子が、コーヒーショップのドリンクを片手に立っていた。
顔が小さくて背が高くて、大人っぽい綺麗な子だ。天海のことが好きな俺でも、「おお、可愛い……」と見惚れてしまう。
しかし、天海は女の子が誰なのかわかっていないようで「ええと……?」と首を傾げている。
「やだあ、同じクラスなのに覚えてないの?」
女の子は気にした様子もなく笑っている。マジか、普通ムッとするだろ。
天海のクラスメイトってことは勉強もできるわけで。目の前の女子は美人で頭がいいだけに飽き足らず、性格までいいってことか。なんか、嫌だな。横で見ていたくない。
「天海、先に行ってるね。行こ、たこちゃん」
「あ、うん。悪りぃ、すぐ行くから」
少し離れてから振り返ってみると、女の子は天海以外が目に入っていない様子で、熱心に話しかけている。
そうだよなあ、モテるよなあ……。あの女の子が完璧なら、天海だって完璧だ。
俺がずっといけ好かないマウント野郎だと思ってた性格だって、実際はすごく優しくて、口の悪さにも可愛げを感じるほどだ。
けど天海は、あんな綺麗な子にも興味がないらしくて、だから恋人もいない。作らない。
改めて、天海の好きな人ってどんな人なんだろう。まったく想像がつかないと思いながら、信号を待っていたら、後ろから肩を小突かれた。
「お前、後ろから見てたらずいぶん歩き方が安定してきたな。少し前まで、怪我した方を庇ってたのに」
「あれ、天海。もういいの?」
てっきり動物病院に着くギリギリくらいで、追いついてくるだろうと思ってたのに。
「ん。俺、ちょっと学校休んでたんだよ。だから心配してくれたみたい。そんだけ」
「ふうん……って、お前、心配されるほど休んでたって、実はどっか悪いとかじゃねえよな?」
「見てりゃ元気なのわかるだろ。一緒に暮らしてんだから」
まあ、言われてみればそうなんだけども。じゃあ、なんで心配されるほど休んでたんだ? 怪我とか、出席停止期間がある感染症とかかなあ。
「なあ、天海。さっきの子って、お前のこと好きだよな」
「そうかもしれないし、違うかもしれないな。それが、どうかしたか?」
続けてちょっと気になっていたことを聞くと、天海は興味なさそうに答える。
「どうかしたかって……いや、お前の好きな人ってさ、さっきの子より美人なのかなあって、なんとなく気になっただけ。あんな可愛い子が同じクラスにいて、目移りしないもんなの?」
「まあ、美人っていうよりか、可愛いな。あと、他の人に目移りはしない。あんなに負けず嫌いでうるさくて、裏表のないお馬鹿さん、なかなかいねえからな」
「お前……それ、ほんとに好きな人の話ししてんのか……?」
あんまりな言い方に呆れて天海の顔を横目で見て、固まる。
だって、好きな人を思い浮かべているんだろうなって簡単にわかる、柔らかい表情をしてたから。
うるさいとか、お馬鹿さんとか憎まれ口を叩いても、相手のことが愛おしくてたまらない、そんな顔。
なんだよ……幸せそうな顔しやがって。締まりなく眉を下げて、口元を緩めて。揶揄ってやろうと思うのに、空気の塊みたいなのが喉につっかえて言葉が出てこない。
自分から話を振ったくせに、これ以上聞きたくなくて、その後はたこちゃんの話とか、買い物の予定とか、天海の好きな人が入る隙がないような話題を選んで、振り続けた。
動物病院に到着して、診療時間外の札がかたったドアを開けて中に入ると、犬堂先生が六十代くらいの優しそうな女の人と話していた。
「あ、天海君、雪村君、来てくれてありがとう。こちら、電話で話した保護ボランティアをされている桜井さんです」
犬堂先生に促されてお互いに自己紹介をした後、桜井さんがしゃがんで、たこちゃんと視線を合わせる。
「ああ、やっぱり、この子。あのお宅の子だと思います。駅向こうの、文化ホールの近くのお宅で飼われていたワンちゃんにそっくり」
「文化ホールの近く……駅から歩いて二十分くらいのところですよね」
天海が口元に親指を当てて考え込む。たこちゃんを保護した商店街からも、そこまで離れていない。つまり、たこちゃんは自力で家に帰れたのに、ご飯も食べずに街をうろうろしていたことになる。なぜだろう?
「ええ、八代さんっていうお宅で。優しそうなおばあちゃまが、立派なお庭を手入れされているのをよく見かけました。けど、二ヶ月くらい前だったか、お家の前に救急車が停まっているのを見て。近所の方の話だと、それきり入院先で、おばあちゃまが亡くなったそうで……その頃に、よくお庭にいたワンちゃんも姿を見なくなったから、私、てっきりご遺族がワンちゃんを引き取ったんだと思ってたんです。けど、この子の写真を見て。もしかしてって思って」
「え、えと、じゃあ、この子の飼い主さんは、もう亡くなってるってことですか……?」
桜井さんは黙って頷き、たこちゃんの頭を撫でてから立ち上がる。
「よかったら八代さんのお宅、一緒に見に行かれますか? 今は空き家になってしまって門の中には入れないけれど、この子があのお家のワンちゃんなら、なにか反応してくれるかもしれません」
その提案に俺たちは「お願いします」と返事をして、動物病院を後にする。
桜井さんに連れられてやってきたお家は、土塀に囲まれた大きな日本家屋だった。木造の門はぴたりと固く閉ざされていて、〝八代〟と彫られた御影石の表札が掲げられている。
この家が近づいて来た時から、たこちゃんは様子がおかしかった。リードを引っ張って走ろうとしてみたり、かと思えば、立ち止まって俺たちの顔を交互に見て、引き返そうとしたり。
家の前に到着すると、たこちゃんはヒュンヒュン悲しげに鳴きながら、後ろ脚で立ち上がってがりがりと門を引っ掻き始めた。
「たこちゃん……」
天海も俺も、この家に住んでいた人のことをなにも知らない。
けど、たこちゃんの様子だけでわかる。ここが、たこちゃんの育った場所だったんだと。
「たこ、もう中には入れないんだよ」
天海がそっとたこちゃんを抱えて門から離そうとしたところで、背後から明るい調子で声をかけられた。
「あれ、ドンちゃん? ドンちゃんじゃない!」
八代さんの家の斜向かいにある家から、エコバッグを下げて出て来た女性が、「ドンちゃん、ドンちゃん」と言いながら小走りでこちらに来る。
たこちゃんも女性に反応して、ワン! と一声だけ鳴いてから尻尾を振った。
「ドンちゃん、どこに行ってたの? みんな、心配してたよ」
飛びついてくるたこちゃんを撫でている女性に、天海がこの子を駅前で保護したことや、今は預かっていることを説明した。
まあ、まあ、と目を丸くして話を聞いていた女性は、八代さんの家の土塀から覗く、青々とした松の木を見上げながら教えてくれる。
「八代さんね、身内の方、いらっしゃらなかったのよ。ご主人に先立たれてからは、お一人でこの広いお屋敷を綺麗にされていてね。八代さんが倒れたとき、近所でもドンちゃんの世話はどうするのかって、話題になったんですよ。でも、急にいなくなっちゃったから、ドンちゃんは八代さんを探しに行ったんじゃないかって……」
「この子は、可愛がられてたんですね……」
そう俺が呟くと、女性が涙ぐんだ。
「ええ、そりゃあもう。八代さん、ドンちゃんが生き甲斐なのっておっしゃって、朝も夕方も一緒にお散歩してたわよ」
それを聞いたら俺もつられて泣きそうになって、上を向いた。
天海が言った通りだった。
たこちゃんは愛されていて、だからきっと愛情の受け取り方も返し方も知っていた。
会ったことはないけれど、たこちゃんを育てた八代さんは素敵な人だったんだろう。リードを握る手に力がこもる。
俺たち、必ず、たこちゃんに、ドンちゃんに新しいお家を探してみせますから。だから、この子を見守っててください。
人の気配がまったくしない、静かなお屋敷に向かって俺は強く思った。
そこをたこちゃんのリードを持った俺と、天海とで並んで歩く。松葉杖が取れてからは、俺がたこちゃんのリードを持つことも増えてきたんだけど、もしも俺の性別が女性ならカップルが愛犬を散歩しているように見えるのかなあ、なんて考えてしまう。
もしも俺の性別が女性なら天海も、靡いてくれない好きな人のことなんて諦めて、あっさり俺を恋人にしてくれたかもしれない。
でも俺の性別が女性なら、たこちゃんのためとはいえ同じ家で暮らしたりできないよな。
そもそも性別が違ったら、おんなじサッカーチームにはならないから、会ってさえいなかったわけで。難しい。
そんなことを思いながら、あくびをする天海の横を歩いていたら、後ろから可愛らしい声に呼び止められた。
「あれ、天海くん?」
天海と一緒に振り向くと、俺たちと同年代くらいの女の子が、コーヒーショップのドリンクを片手に立っていた。
顔が小さくて背が高くて、大人っぽい綺麗な子だ。天海のことが好きな俺でも、「おお、可愛い……」と見惚れてしまう。
しかし、天海は女の子が誰なのかわかっていないようで「ええと……?」と首を傾げている。
「やだあ、同じクラスなのに覚えてないの?」
女の子は気にした様子もなく笑っている。マジか、普通ムッとするだろ。
天海のクラスメイトってことは勉強もできるわけで。目の前の女子は美人で頭がいいだけに飽き足らず、性格までいいってことか。なんか、嫌だな。横で見ていたくない。
「天海、先に行ってるね。行こ、たこちゃん」
「あ、うん。悪りぃ、すぐ行くから」
少し離れてから振り返ってみると、女の子は天海以外が目に入っていない様子で、熱心に話しかけている。
そうだよなあ、モテるよなあ……。あの女の子が完璧なら、天海だって完璧だ。
俺がずっといけ好かないマウント野郎だと思ってた性格だって、実際はすごく優しくて、口の悪さにも可愛げを感じるほどだ。
けど天海は、あんな綺麗な子にも興味がないらしくて、だから恋人もいない。作らない。
改めて、天海の好きな人ってどんな人なんだろう。まったく想像がつかないと思いながら、信号を待っていたら、後ろから肩を小突かれた。
「お前、後ろから見てたらずいぶん歩き方が安定してきたな。少し前まで、怪我した方を庇ってたのに」
「あれ、天海。もういいの?」
てっきり動物病院に着くギリギリくらいで、追いついてくるだろうと思ってたのに。
「ん。俺、ちょっと学校休んでたんだよ。だから心配してくれたみたい。そんだけ」
「ふうん……って、お前、心配されるほど休んでたって、実はどっか悪いとかじゃねえよな?」
「見てりゃ元気なのわかるだろ。一緒に暮らしてんだから」
まあ、言われてみればそうなんだけども。じゃあ、なんで心配されるほど休んでたんだ? 怪我とか、出席停止期間がある感染症とかかなあ。
「なあ、天海。さっきの子って、お前のこと好きだよな」
「そうかもしれないし、違うかもしれないな。それが、どうかしたか?」
続けてちょっと気になっていたことを聞くと、天海は興味なさそうに答える。
「どうかしたかって……いや、お前の好きな人ってさ、さっきの子より美人なのかなあって、なんとなく気になっただけ。あんな可愛い子が同じクラスにいて、目移りしないもんなの?」
「まあ、美人っていうよりか、可愛いな。あと、他の人に目移りはしない。あんなに負けず嫌いでうるさくて、裏表のないお馬鹿さん、なかなかいねえからな」
「お前……それ、ほんとに好きな人の話ししてんのか……?」
あんまりな言い方に呆れて天海の顔を横目で見て、固まる。
だって、好きな人を思い浮かべているんだろうなって簡単にわかる、柔らかい表情をしてたから。
うるさいとか、お馬鹿さんとか憎まれ口を叩いても、相手のことが愛おしくてたまらない、そんな顔。
なんだよ……幸せそうな顔しやがって。締まりなく眉を下げて、口元を緩めて。揶揄ってやろうと思うのに、空気の塊みたいなのが喉につっかえて言葉が出てこない。
自分から話を振ったくせに、これ以上聞きたくなくて、その後はたこちゃんの話とか、買い物の予定とか、天海の好きな人が入る隙がないような話題を選んで、振り続けた。
動物病院に到着して、診療時間外の札がかたったドアを開けて中に入ると、犬堂先生が六十代くらいの優しそうな女の人と話していた。
「あ、天海君、雪村君、来てくれてありがとう。こちら、電話で話した保護ボランティアをされている桜井さんです」
犬堂先生に促されてお互いに自己紹介をした後、桜井さんがしゃがんで、たこちゃんと視線を合わせる。
「ああ、やっぱり、この子。あのお宅の子だと思います。駅向こうの、文化ホールの近くのお宅で飼われていたワンちゃんにそっくり」
「文化ホールの近く……駅から歩いて二十分くらいのところですよね」
天海が口元に親指を当てて考え込む。たこちゃんを保護した商店街からも、そこまで離れていない。つまり、たこちゃんは自力で家に帰れたのに、ご飯も食べずに街をうろうろしていたことになる。なぜだろう?
「ええ、八代さんっていうお宅で。優しそうなおばあちゃまが、立派なお庭を手入れされているのをよく見かけました。けど、二ヶ月くらい前だったか、お家の前に救急車が停まっているのを見て。近所の方の話だと、それきり入院先で、おばあちゃまが亡くなったそうで……その頃に、よくお庭にいたワンちゃんも姿を見なくなったから、私、てっきりご遺族がワンちゃんを引き取ったんだと思ってたんです。けど、この子の写真を見て。もしかしてって思って」
「え、えと、じゃあ、この子の飼い主さんは、もう亡くなってるってことですか……?」
桜井さんは黙って頷き、たこちゃんの頭を撫でてから立ち上がる。
「よかったら八代さんのお宅、一緒に見に行かれますか? 今は空き家になってしまって門の中には入れないけれど、この子があのお家のワンちゃんなら、なにか反応してくれるかもしれません」
その提案に俺たちは「お願いします」と返事をして、動物病院を後にする。
桜井さんに連れられてやってきたお家は、土塀に囲まれた大きな日本家屋だった。木造の門はぴたりと固く閉ざされていて、〝八代〟と彫られた御影石の表札が掲げられている。
この家が近づいて来た時から、たこちゃんは様子がおかしかった。リードを引っ張って走ろうとしてみたり、かと思えば、立ち止まって俺たちの顔を交互に見て、引き返そうとしたり。
家の前に到着すると、たこちゃんはヒュンヒュン悲しげに鳴きながら、後ろ脚で立ち上がってがりがりと門を引っ掻き始めた。
「たこちゃん……」
天海も俺も、この家に住んでいた人のことをなにも知らない。
けど、たこちゃんの様子だけでわかる。ここが、たこちゃんの育った場所だったんだと。
「たこ、もう中には入れないんだよ」
天海がそっとたこちゃんを抱えて門から離そうとしたところで、背後から明るい調子で声をかけられた。
「あれ、ドンちゃん? ドンちゃんじゃない!」
八代さんの家の斜向かいにある家から、エコバッグを下げて出て来た女性が、「ドンちゃん、ドンちゃん」と言いながら小走りでこちらに来る。
たこちゃんも女性に反応して、ワン! と一声だけ鳴いてから尻尾を振った。
「ドンちゃん、どこに行ってたの? みんな、心配してたよ」
飛びついてくるたこちゃんを撫でている女性に、天海がこの子を駅前で保護したことや、今は預かっていることを説明した。
まあ、まあ、と目を丸くして話を聞いていた女性は、八代さんの家の土塀から覗く、青々とした松の木を見上げながら教えてくれる。
「八代さんね、身内の方、いらっしゃらなかったのよ。ご主人に先立たれてからは、お一人でこの広いお屋敷を綺麗にされていてね。八代さんが倒れたとき、近所でもドンちゃんの世話はどうするのかって、話題になったんですよ。でも、急にいなくなっちゃったから、ドンちゃんは八代さんを探しに行ったんじゃないかって……」
「この子は、可愛がられてたんですね……」
そう俺が呟くと、女性が涙ぐんだ。
「ええ、そりゃあもう。八代さん、ドンちゃんが生き甲斐なのっておっしゃって、朝も夕方も一緒にお散歩してたわよ」
それを聞いたら俺もつられて泣きそうになって、上を向いた。
天海が言った通りだった。
たこちゃんは愛されていて、だからきっと愛情の受け取り方も返し方も知っていた。
会ったことはないけれど、たこちゃんを育てた八代さんは素敵な人だったんだろう。リードを握る手に力がこもる。
俺たち、必ず、たこちゃんに、ドンちゃんに新しいお家を探してみせますから。だから、この子を見守っててください。
人の気配がまったくしない、静かなお屋敷に向かって俺は強く思った。
