「ところで雪村、荷物届いてたぞ。寝室に運んどいたからな」
「あ。ありがとう。ちょっと見てくる」
もう完全に、さっきまでの話をするつもりがない様子の天海から、連絡事項を伝えられる。
俺も気にしていないフリをして寝室に向かい、荷解きをしようとしたのだが、その前にベッドに置かれた天海の制服のワイシャツが目に入った。
まるで新品みたいに真っ白で綺麗だ。俺の制服なんてあっという間に袖とか襟とか汚くなって、最近は洗濯機で洗えてすぐ乾くポロシャツばっか着てるのに。
あれ? よく見ると一番下のボタンが取れかけている。直そうと思って買ったのか、シャツの横にはストアテープが貼られたままの携帯用裁縫セットがあった。
「あまみー、お前のシャツのボタン、付け直しちゃうな」
リビングに聞こえるような声で報告してから、裁縫セットに入っていた小さなハサミを手に取る。
そして、ベッドに腰掛け、だるだるに伸びている糸を切ろうとし——
「あー! やっべ、やっちまったああ」
うっかり、誤って布まで切ってしまった。
俺の絶叫に驚いて、天海が慌てて寝室に入ってきた。
「どうした! なんかあったか?」
「ごめん……ボタン付けようとして、切っちゃった……」
ちょっと切れ込みの入ってしまったシャツを顔の前に掲げ、ぎゅっと目を閉じて謝る。
「はあ……なあにが、家庭的だよ。お前なんて、どうせ並縫いも真っ直ぐにできねえズボラ野郎だろ。それに、このハサミもうまく扱えなかったんだろ」
「うう……ほんとに、ごめんなさい……余計なことした……」
もう、最低だ。なんで、ボタン付けなんて余計ことをしようと思ったのだろう。
普段だったら、絶対にこんないらないこと、しなかった。さっきの話で感じたもどかしい気持ちをどうにかしたくて、天海との距離を早く詰めたくて、やらかしてしまった。
アドベンチャーゲームなら、バッドエンドに続くようなルートを選択してしまった。
「別に怒ってねえよ。着ちまえば見えねえし。でもお前、今日、ちょっとおかしいぞ。なんかあったのか?」
「ううん。なんもない。世話になってばっかだし……少しはお前の役に立ちたいと思ったんだけど……」
そろそろとシャツを膝の上に下げ、切ってしまった箇所を見ながら弁解する。
お前のことが好きだって気がついたんだなんて、言えるわけないだろ。
「いや、そんなん気にしなくていいから。普通にしてろよ」
そう言いながら、天海が俺の横に座った。ベッドのスプリングが揺れて、ドキッとする。
「ごめん。でも俺、本当に角煮は作れるようになったんだよ? 日曜の夜も、月曜の夜も、火曜の夜も三夜連続で作ったから、自信あるんだ」
「……なんで?」
お前のために決まってるだろうが!
俺だけじゃなく雪村家全員、三夜連続で角煮を食べたんだぞ。父さんなんて、とばっちりで弁当にも角煮を詰められてたんだからな。
「いや、天海に食べさせたくって。だから買い物に行きたいんだけど、どこのスーパーがいいんだろ。あ、金は俺がちゃんと出すぞ!」
「……材料は、買ってあるけど……」
天海が膝の上で組んだ指を落ち着かない様子でもじもじ動かしながら、ぼそぼそ言う。
「え……なんで?」
「だって……お前が、作ってくれるって、言ったんだろ」
そっぽを向いた天海の、ふわふわの髪の毛からのぞく耳の端が真っ赤だ。
色が白いから照れてるのがわかりやすくて、どちゃくそに可愛い。好きだって自覚したら、天海のことが可愛く見えて仕方ない。
プライドの高い男だから、笑っちゃダメだと思いつつ、ブフッと吹き出してしまった。
「なに笑ってんだよ。ちゃんと調べて、なんか、星みたいなのとかまで買ってきたんだからな! ちゃんと成功させろよ」
天海の声を聞いて、俺たちが喧嘩をしていると思ったのか、ドアの向こうからたこちゃんのキュウキュウという鳴き声がする。開けて欲しいみたいで、カリカリとドアを引っ掻く音も聞こえてきた。
やべ、と小さく言って、天海がたこちゃんのところに向かう。
俺もとりあえず、母さんが持たせてくれたレシピノートとエプロンだけ取り出して寝室を出る。
栄養が偏っている天海には、バランスの良い副菜も食べさせたいし、なにを作ってやろうかな。
高校生一人暮らしの家には圧力鍋なんてものは当然ないし、普通の鍋だと煮込む時間が長いから、早々に料理を始めたんだけど……なぜか横に天海もずっとくっついている。
たこちゃんは、お気に入りのタオルを持ってソファに寝転んでいる。なるほど、ベッドは使ってくれないわけか。でも先週、俺がいた時はソファの後ろか床にしかいなかったのに、ずいぶんと警戒心が薄れたみたいだ。
柔らかい場所でリラックスしている姿を見るだけで、俺がいない間、天海がたこちゃんにたっぷり愛情を注いでいたことがよくわかる。
洗い物が出ると「俺やる」と言って、すぐに洗ってくれるのはありがたい。
が、肉の表面を焼いていると「これだけでも美味そうじゃね?」なんて手を出そうとするし、「なあ、卵入れていい?」と下茹で中の灰汁が浮いた鍋にゆで卵を入れようとするしで、子供みたいだ。
「天海、ほかに食べたいものってある? お前、もっと野菜食べたほうがいいよな。お、冷蔵庫にキュウリあるじゃん、これでなんか作るか」
野菜室を開けると、袋に入ったキュウリがある。それを取り出して天海を見ると、顰めっ面をされた。
「それは、たこが食べるやつ。キュウリはカブトムシみたいな味がするから、いらねえ……」
「ぶは。カブトムシなんか食ったことねえだろ。ガキみてえなこと言ってんじゃねえよ。だいたい、カブトムシはどっちかっつったら、海老みたいな味なんじゃねえの? ほら、海老の尻尾とゴキブリって、同じ味っていうじゃん?」
「サイテー。俺、もう海老食えねえ」
そう言いながら天海はキュウリをひったくると、冷蔵庫に戻してしまった。
「角煮の日は角煮と米だけでいい。明日からバランス良く食べる」
「しょうがねえなあ。今日だけだからな」
こいつ、小学生の頃の方が大人じゃなかったか? コーチや周りの大人に対して優等生然とした敬語を使っていたすましたガキが、こんな成長をするなんて。ああでも、外では今も大人びてるんだよな。
「じゃあ俺、そろそろたこの散歩に行ってくる。外もあんまり暑くないし」
たこちゃんは、散歩という言葉を理解しているらしい。ソファから飛び降りてリビングと廊下を隔てるドアの前に移動し、天海の動きを注意深く目で追っている。
そしてリードを取りに玄関に行く天海について行き、そのまま玄関でリードをつける。
リードをつけている間もたこちゃんは興奮が止まらない様子で、その場での足踏みしながら、まっすぐ玄関ドアを見ている。
「そういえば天海さ、たこちゃんの首輪、変えたよね。リードも買い替えたの?」
駅前まで迎えに来てくれた時に気づいていたが、たこちゃんの首輪はボロボロの赤い革製のものから、カッコいいナイロン製の黒いものに変わっている。首への負担が軽そうだし、脚が長くて、顔もシュッとしているたこちゃんに似合っている。
リードも、初日にディスカウントショップで買ってきたロープみたいなのじゃなくて、平たいナイロン製のものに変わっていた。たぶん、首輪とお揃いのブランド。
「ああ。あの首輪、毛を巻き込んでて金具も劣化してたからな。それにこいつ、散歩の時に引っ張るようになってきたんだよ。だから、リードも買い直した」
「へええ……なんか、どっちも高級そうだね」
「怪我されたら困るだろ。必要な買い物だ。あ、餌も調べてプレミアムフードってやつ買い直したから。あとで量とか教えるから、古い方は食べさせるなよ」
「わかった」
そう返事はしたけど、なんだか、少し不安になってきた。言っていることは正しいし、俺が口出せることじゃないんだけどさ……。
天海、お父さんから生活費をかなり貰ってるって言ってたけど、それにしても、こんなにポンポンお金を使えるものなのかな?
見るからに派手にお金を使うのが好きなボンボンって感じなら、使いきれないほどお金を貰ってるんだな、金持ちってすげえな、としか思わないんだけど。
けど天海って、そういうタイプにも思えないんだ。俺と一緒の、ごく普通の家庭の子が所属するジュニアチームで、汚れたボールを蹴ってたイメージが強いからかな。
単にこれまで親から渡されてる生活費を無駄遣いせずに貯めてたから、たこちゃんにお金をかけられるのかもしれないんだけど。なんか腑に落ちない。
でも、こんなとこに住んで大病院の息子で、家が裕福なのは確かだし、お金のことなんて失礼すぎてしつこく聞けないよなあ……。そんなことをつらつらと考えながら、見送る。
「いってらっしゃい。たこちゃんもいい子にするんだよ」
「ん。いってくる」
玄関のドアが閉まると、口元がむずむずして緩んでしまう。
だってこんなやり取り、まるで同棲してるみたいじゃないか。まあ、実際は期間限定の居候なんだけども。
初めての恋に浮かれて、極端にお馬鹿さんになっていた俺は、天海のお金の使い方に対して覚えた違和感をすっかり忘れてキッチンに戻った。
「あ。ありがとう。ちょっと見てくる」
もう完全に、さっきまでの話をするつもりがない様子の天海から、連絡事項を伝えられる。
俺も気にしていないフリをして寝室に向かい、荷解きをしようとしたのだが、その前にベッドに置かれた天海の制服のワイシャツが目に入った。
まるで新品みたいに真っ白で綺麗だ。俺の制服なんてあっという間に袖とか襟とか汚くなって、最近は洗濯機で洗えてすぐ乾くポロシャツばっか着てるのに。
あれ? よく見ると一番下のボタンが取れかけている。直そうと思って買ったのか、シャツの横にはストアテープが貼られたままの携帯用裁縫セットがあった。
「あまみー、お前のシャツのボタン、付け直しちゃうな」
リビングに聞こえるような声で報告してから、裁縫セットに入っていた小さなハサミを手に取る。
そして、ベッドに腰掛け、だるだるに伸びている糸を切ろうとし——
「あー! やっべ、やっちまったああ」
うっかり、誤って布まで切ってしまった。
俺の絶叫に驚いて、天海が慌てて寝室に入ってきた。
「どうした! なんかあったか?」
「ごめん……ボタン付けようとして、切っちゃった……」
ちょっと切れ込みの入ってしまったシャツを顔の前に掲げ、ぎゅっと目を閉じて謝る。
「はあ……なあにが、家庭的だよ。お前なんて、どうせ並縫いも真っ直ぐにできねえズボラ野郎だろ。それに、このハサミもうまく扱えなかったんだろ」
「うう……ほんとに、ごめんなさい……余計なことした……」
もう、最低だ。なんで、ボタン付けなんて余計ことをしようと思ったのだろう。
普段だったら、絶対にこんないらないこと、しなかった。さっきの話で感じたもどかしい気持ちをどうにかしたくて、天海との距離を早く詰めたくて、やらかしてしまった。
アドベンチャーゲームなら、バッドエンドに続くようなルートを選択してしまった。
「別に怒ってねえよ。着ちまえば見えねえし。でもお前、今日、ちょっとおかしいぞ。なんかあったのか?」
「ううん。なんもない。世話になってばっかだし……少しはお前の役に立ちたいと思ったんだけど……」
そろそろとシャツを膝の上に下げ、切ってしまった箇所を見ながら弁解する。
お前のことが好きだって気がついたんだなんて、言えるわけないだろ。
「いや、そんなん気にしなくていいから。普通にしてろよ」
そう言いながら、天海が俺の横に座った。ベッドのスプリングが揺れて、ドキッとする。
「ごめん。でも俺、本当に角煮は作れるようになったんだよ? 日曜の夜も、月曜の夜も、火曜の夜も三夜連続で作ったから、自信あるんだ」
「……なんで?」
お前のために決まってるだろうが!
俺だけじゃなく雪村家全員、三夜連続で角煮を食べたんだぞ。父さんなんて、とばっちりで弁当にも角煮を詰められてたんだからな。
「いや、天海に食べさせたくって。だから買い物に行きたいんだけど、どこのスーパーがいいんだろ。あ、金は俺がちゃんと出すぞ!」
「……材料は、買ってあるけど……」
天海が膝の上で組んだ指を落ち着かない様子でもじもじ動かしながら、ぼそぼそ言う。
「え……なんで?」
「だって……お前が、作ってくれるって、言ったんだろ」
そっぽを向いた天海の、ふわふわの髪の毛からのぞく耳の端が真っ赤だ。
色が白いから照れてるのがわかりやすくて、どちゃくそに可愛い。好きだって自覚したら、天海のことが可愛く見えて仕方ない。
プライドの高い男だから、笑っちゃダメだと思いつつ、ブフッと吹き出してしまった。
「なに笑ってんだよ。ちゃんと調べて、なんか、星みたいなのとかまで買ってきたんだからな! ちゃんと成功させろよ」
天海の声を聞いて、俺たちが喧嘩をしていると思ったのか、ドアの向こうからたこちゃんのキュウキュウという鳴き声がする。開けて欲しいみたいで、カリカリとドアを引っ掻く音も聞こえてきた。
やべ、と小さく言って、天海がたこちゃんのところに向かう。
俺もとりあえず、母さんが持たせてくれたレシピノートとエプロンだけ取り出して寝室を出る。
栄養が偏っている天海には、バランスの良い副菜も食べさせたいし、なにを作ってやろうかな。
高校生一人暮らしの家には圧力鍋なんてものは当然ないし、普通の鍋だと煮込む時間が長いから、早々に料理を始めたんだけど……なぜか横に天海もずっとくっついている。
たこちゃんは、お気に入りのタオルを持ってソファに寝転んでいる。なるほど、ベッドは使ってくれないわけか。でも先週、俺がいた時はソファの後ろか床にしかいなかったのに、ずいぶんと警戒心が薄れたみたいだ。
柔らかい場所でリラックスしている姿を見るだけで、俺がいない間、天海がたこちゃんにたっぷり愛情を注いでいたことがよくわかる。
洗い物が出ると「俺やる」と言って、すぐに洗ってくれるのはありがたい。
が、肉の表面を焼いていると「これだけでも美味そうじゃね?」なんて手を出そうとするし、「なあ、卵入れていい?」と下茹で中の灰汁が浮いた鍋にゆで卵を入れようとするしで、子供みたいだ。
「天海、ほかに食べたいものってある? お前、もっと野菜食べたほうがいいよな。お、冷蔵庫にキュウリあるじゃん、これでなんか作るか」
野菜室を開けると、袋に入ったキュウリがある。それを取り出して天海を見ると、顰めっ面をされた。
「それは、たこが食べるやつ。キュウリはカブトムシみたいな味がするから、いらねえ……」
「ぶは。カブトムシなんか食ったことねえだろ。ガキみてえなこと言ってんじゃねえよ。だいたい、カブトムシはどっちかっつったら、海老みたいな味なんじゃねえの? ほら、海老の尻尾とゴキブリって、同じ味っていうじゃん?」
「サイテー。俺、もう海老食えねえ」
そう言いながら天海はキュウリをひったくると、冷蔵庫に戻してしまった。
「角煮の日は角煮と米だけでいい。明日からバランス良く食べる」
「しょうがねえなあ。今日だけだからな」
こいつ、小学生の頃の方が大人じゃなかったか? コーチや周りの大人に対して優等生然とした敬語を使っていたすましたガキが、こんな成長をするなんて。ああでも、外では今も大人びてるんだよな。
「じゃあ俺、そろそろたこの散歩に行ってくる。外もあんまり暑くないし」
たこちゃんは、散歩という言葉を理解しているらしい。ソファから飛び降りてリビングと廊下を隔てるドアの前に移動し、天海の動きを注意深く目で追っている。
そしてリードを取りに玄関に行く天海について行き、そのまま玄関でリードをつける。
リードをつけている間もたこちゃんは興奮が止まらない様子で、その場での足踏みしながら、まっすぐ玄関ドアを見ている。
「そういえば天海さ、たこちゃんの首輪、変えたよね。リードも買い替えたの?」
駅前まで迎えに来てくれた時に気づいていたが、たこちゃんの首輪はボロボロの赤い革製のものから、カッコいいナイロン製の黒いものに変わっている。首への負担が軽そうだし、脚が長くて、顔もシュッとしているたこちゃんに似合っている。
リードも、初日にディスカウントショップで買ってきたロープみたいなのじゃなくて、平たいナイロン製のものに変わっていた。たぶん、首輪とお揃いのブランド。
「ああ。あの首輪、毛を巻き込んでて金具も劣化してたからな。それにこいつ、散歩の時に引っ張るようになってきたんだよ。だから、リードも買い直した」
「へええ……なんか、どっちも高級そうだね」
「怪我されたら困るだろ。必要な買い物だ。あ、餌も調べてプレミアムフードってやつ買い直したから。あとで量とか教えるから、古い方は食べさせるなよ」
「わかった」
そう返事はしたけど、なんだか、少し不安になってきた。言っていることは正しいし、俺が口出せることじゃないんだけどさ……。
天海、お父さんから生活費をかなり貰ってるって言ってたけど、それにしても、こんなにポンポンお金を使えるものなのかな?
見るからに派手にお金を使うのが好きなボンボンって感じなら、使いきれないほどお金を貰ってるんだな、金持ちってすげえな、としか思わないんだけど。
けど天海って、そういうタイプにも思えないんだ。俺と一緒の、ごく普通の家庭の子が所属するジュニアチームで、汚れたボールを蹴ってたイメージが強いからかな。
単にこれまで親から渡されてる生活費を無駄遣いせずに貯めてたから、たこちゃんにお金をかけられるのかもしれないんだけど。なんか腑に落ちない。
でも、こんなとこに住んで大病院の息子で、家が裕福なのは確かだし、お金のことなんて失礼すぎてしつこく聞けないよなあ……。そんなことをつらつらと考えながら、見送る。
「いってらっしゃい。たこちゃんもいい子にするんだよ」
「ん。いってくる」
玄関のドアが閉まると、口元がむずむずして緩んでしまう。
だってこんなやり取り、まるで同棲してるみたいじゃないか。まあ、実際は期間限定の居候なんだけども。
初めての恋に浮かれて、極端にお馬鹿さんになっていた俺は、天海のお金の使い方に対して覚えた違和感をすっかり忘れてキッチンに戻った。
