幼馴染でも友達でもない、いけすかない男と可愛いあの子

 で、翌日の正午前。
 スポーツで培った切り替えの早さと強メンタルを引っ提げて、俺は天海が暮らす駅に降り立った。
 昨日の夜は、失恋の悲しさで身体中がいっぱいになって布団を頭から被って泣いたりしたが、一晩経ったらだいぶ頭がクリアになった。
 この恋で、俺は完全なアンダードッグなのだ。失うものがない格下からの下剋上、上等じゃねえか。
 この夏、天海の横にべったりくっついていられるのは、どこの誰だか知らねえ天海の想い人じゃなく、この俺だ。
 昔から知ってるけど、距離は近くない。しかし、同じ競技に心血を注いだ間柄ゆえに、普通の友達以上に通じ合うところが、今でもある。
 このカテゴライズできない関係こそが、天海のガードを緩めていると分析した。
 本来、天海は警戒心が強いタイプなんじゃないかと俺は読んでいる。
 勤勉な生徒が多い進学校とはいえ、青春真っ只中の高校生だ。天海の学校にだって、夏休みをあいつと過ごしたい人間なんて男女問わず大勢いるだろう。
 だって、天海の写真を見ただけで、うちのクラスの奴らはあんなに盛り上がってたんだぞ。
 しかし、天海は毎日家にいる。というか、あいつの周りには人の気配がない。
 この事実から導き出されるのは、天海から見て一緒にいたい人間はいないということだ。なお、天海の片思いの相手については横に置いておく。
 で、俺である。俺は、たこちゃんのお世話の手伝い、いわばたこちゃんのオマケではあるが、なんと一緒に暮らすことを許されている。
 これはもう、天海からの俺の評価が一定の基準を大きく上回っていることの証左であると言って、いいでしょう。
 ということは、ベタだけど家庭的なところを見せたり、意外な一面を見せることで、勝率ゼロからでもひっくり返せる可能性はある。
 そう考えて、掃除、洗濯、炊事、ひと通り母さんに習ってきた。インスタントで身につけた、恐ろしく脆い付け焼き刃なことが気になるが、やってやる。
 同性だとかどうにもならないことは考えても仕方ないから、知らん。
 ふんふんと鼻息も荒く待ち合わせ場所の駅前の時計塔前に行くと、もう天海とたこちゃんが来ていた。
 俺に気づいて天海の口が「あ」と開く。それから、たこちゃんが後ろ脚で立ち上がって、尻尾をぶんぶん振りながら、キャンキャンと騒いだ。
 興奮しているたこちゃんに引っ張られながら、天海が俺の前まで来てくれる。
「たこちゃあああん」
 走ってきたたこちゃんの頭を思い切り撫でる。
 嬉しい。俺は世話をあまりできなかったし、たこちゃんからは天海のオマケくらいにしか思われてないんじゃないかと卑屈になってたから、こんなに喜んでもらえて、ちょっと泣きそうだ。
「天海、迎えに来てくれて、ありがとう」
「? おう……」
 さっそく、可愛らしさをアピールしようとにっこり笑って天海にもお礼を言っておく。
 天海は困惑している様子だが、まあいいだろう。こういったアピールもたぶん、筋トレと一緒で毎日の積み重ねだ。 
「なにか食べたいものとか、やってほしいこととかあったら、なんでも言えよ。俺、こう見えて家庭的だから」
「……なんか、お前キモいんだけど……」
「失礼な。あとな、俺、明日病院なんだけど、松葉杖取れそうな気がするんだ。痛みも減って、安定してきた感じがするし。そしたら家でもリハビリできるようになるし、ちょっとずつ運動量増やしたいなって。たこちゃんの散歩も行きたい」
「そっか。じゃあ、俺もリハビリ手伝うよ。一緒にやる。無理しすぎないように、見張ってやるよ」
 これまで呆れた調子だった天海の声のトーンが、急に優しくなる。ふんわりとした穏やかな笑顔に見惚れてしまった。
 恋心を自覚してから改めて見ると、こいつの笑顔、破壊力がエグい。
 なんて、俺がメロメロしてどうするんだよ。自分の恋愛偏差値の低さとチョロさが悔しい。
 けど天海も、俺じゃなくて好きな人相手にそういうとこを見せればいいのに。愚かな奴め。
 そうやって油断している間に、ぬるっとお前の懐に入って、落としてやる。

 三日ぶりに訪れた天海の家は、綺麗に整っていて、たこちゃんのトイレのにおいもあまり気にならなかった。
 あと、真新しい犬用のベッドが置いてある。買ったのかと聞いたら、天海は「買ったけど、あんまりここで寝ない」とちょっと不満げな顔でたこちゃんを見た。
「なんか、この部屋、あんまりにおいがついてないみたいだけど。なんかした?」
 深呼吸しても、やっぱりあんまりにおわない。
「こいつ、なるべくトイレは外で済ませたいみたいで。夜中以外は散歩の時に河川敷でしてる」
 俺、大きい方は地面に落ちる前にビニールでキャッチできるようになったんだぜ、なんて言って天海が笑う。
 思うんだけど、天海って大きな病院のボンボンって感じじゃ、全然ないよな。
 いや、見た目とか振る舞いには品があるんだけど、汚れ仕事や面倒ごとを全然厭わないんだもん。
「えー、すごい。たこちゃん、綺麗好きなんだ」
「あれからちょっと調べたんだけどさ、たこってやっぱり、それなりに大事に飼われてたんだと思う。こいつさ、最初からわりと素直だったじゃん。あれって、保護犬にしては珍しことみたい」
 そうなの? 隣に座っているたこちゃんを見た。たこちゃんは、はっはっと舌を出して目を輝かせ、意欲的な顔をしている。うん、確かにこの子は人なれしている。
「虐待されて育つとさ、動物も人間自体が怖くなるみたいなんだよ。でも、たこは違った。俺たちと会った時は、あんなとこであんな風にひとりぼっちだったけど、過去に誰かの優しさに触れてたんじゃないのかな」
「でもさ、警察にも保健所にも、飼い主は名乗り出ないじゃん。たこちゃんは可愛がってくれた人に、捨てられた可能性もあるってこと……だよな。なんか、余計に残酷だね……」
 家族だと、ずっと一緒だと信じてた人に去られるなんて、どれだけ辛いことだろう。
 最初からなにもないよりも、途中から大切なものが無くなるほうが、ずっと苦しいのではないか。
 ぞのほうが人を信じられなくなりそうだと思ったけれど、同意を求めた天海からの返事は、まったく俺の価値観とは違うものだった。
「そうか? 俺は、幸せな思い出って、それだけで生きてく支えになると思う。なにもないよりは、きっと、ずっといいよ」
「え、と……天海……?」
 なんだか、目を伏せる天海がすごく遠い。
 間に深くて真っ暗な溝があって、天海へ手を伸ばしても絶対に届かないような、焦りを感じた。
「ごめん、俺の言い方が悪かったな。雪村の考えだって、正しいよ。俺は、そう思うってだけ」 
 そんなふうに謝られたら、しつこくは聞けない。
 俺は天海のことを知りたいけれど、天海は俺に話したくないことがある。そのことだけは、はっきりわかった。
 悲しいけれど、これが今の俺たちの距離だ。少し近づけたと思ったら、そのぶん後ろに下がられてしまう。
 たこちゃんより天海のほうが、よっぽど懐かせるのが難しい野良犬みたいだ。