幼馴染でも友達でもない、いけすかない男と可愛いあの子

「じゃあ、この後、耳の洗浄と毛玉取りをするので、もうしばらくたこちゃんをお預かりしたいんだけど……トイレとか、大丈夫かな? 一回、外に連れて行く?」
 先生から病院の駐車場でトイレをさせておいで、と言われて、天海がリードを受け取る。
 それから、天海とたこちゃんは外に出ていった。一人は残った方がいいということで、俺は、待合室で待機だ。
 ガラス張りの出入り口の前で、地面のにおいを嗅いでうろうろしているたこちゃんを眺めていたら、フィラリア用の薬を持った犬堂先生がやってきて、薬について簡単に説明してくれた。
 それから、言いづらそうに「ところで……」と続ける。
「キミ、もしかして相模原城南の雪村君?」 
 受診票には、代表として天海の名前しか書いていない。
 なんで知ってるんだろうと思いつつ頷くと、犬堂先生は興奮した様子で俺の肩をがっちり掴んできた。 
「やっぱり! いや、僕の姉の息子がね、小学生でサッカーやってるんだよ。去年の全国中学校サッカー大会を見に行って、それからキミに憧れてるんだ。机にも、雑誌から切り抜いた雪村君の写真を飾っててさ。甥っ子も、あんまり背が高くなくてね……あっ、ごめん、ごめん、そういうつもりじゃなくって」
「はは、いいっすよ。それより、マジで嬉しいなあ。サッカー少年から憧れられるなんて。光栄っす」
「雪村君は、いないの? こう、プロとかじゃなくて、もっと身近な選手で憧れてる人とか、ライバルとか」
「あー……」
 それなら、天海だ。
 俺がこれまで見たシュートの中で、一番カッコよかったのは、天海 雄飛のボレーと、トラップから流し込む弾丸シュートだ。
 軌道を途中で変えてゴールに押し込む強烈なシュートは、とても小学生、それも中学年の子供のテクニックとパワーとは思えなかった。
 真似したくて、こっそり早朝や夕暮れの公園で練習に明け暮れたのを、今でもはっきり覚えている。
 一人でボールを投げたり、リフティングをしたりして、タイミングを合わせてシュートして。その繰り返しを、数えきれないくらいやった。
 けど結局、無人のゴールでは近いことができても、ディフェンスのプレッシャーに負けずに勝負に出る度胸も、技術も俺にはなくて、憧れは今でも憧れのままだ。
 シュートを決めた天海の背中は、最高にカッコよかった。
 左脚を軸に身体を浮かび上げて、思い切りよく右脚を振り抜く姿も、シュート後にチームメイトからもみくちゃにされる前に、一瞬だけフリーズしたようにボールがゴールネットを揺らすのを見ている姿も、全部、全部忘れられない。
 サッカーを続けていたら、天海はとんでもない化け物になってたんじゃないかと思う。
 天海のサッカーは、強いだけじゃなくて、美しかったから。人を魅了する華があったから。
「今は、とくにいないですね」
 尊敬する選手や先輩はいるけれど、天海に対して抱いたような鮮やかな感情は、誰にも持てない。
 この先も、きっと——。そう俺は、確信している。
 
 それから怪我のこととか、普段の練習のことなんかを犬堂先生と話をしていたら、天海が戻ってきて、たこちゃんは再び診察室に連れて行かれた。
「いい人だよな、犬堂先生」
 さっきと違って抵抗せず、すんなり先生に着いて行くたこちゃんを眺めつつ同意を求めると、なぜか天海はブスッとした顔をしていた。
「そうだな。ところでお前、俺が外にいた間、あの先生となに話してたんだよ。ずいぶん楽しそうだったけど」
「んふ。聞きたいか? 犬堂先生の甥っ子が、俺のファンなんだってさ。すごくね? そいで、ちょっと話をね」
「はっ。だらしねえ、ブスな顔しやがって」 
 不機嫌丸出しの低い声。しかも、鼻で笑ってきやがった。
 ムカついたから、Tシャツから出た天海の腕をギュッと抓ってやる。いってぇ、と文句を言う天海に、少し溜飲が下がる。
「いいだろ。浮かれたって。それはそうと、たこちゃん、やっぱりお年寄りだったな」
「ん。いろいろ、考えねえとな……」
「うちの学校さ、来週の火曜で終わりなんだ。そしたら夏休みの間、ほんとに天海んちに泊まっていいの? 水曜日から行くよ? ずっといるよ?」
 もう一回、きちんと確認しておきたくて、天海の顔を覗き込む。まあ、ダメって言われても、押しかけるつもりではいるんだけど。
「いいっつってるだろ。俺一人じゃ、たこの世話なんかできねえよ」
「俺さ、リハビリも頑張って、ちゃんと役に立つから」
「おう。あんま、無理すんなよ。別に、いるだけでもそれなりに役には立つから」 
「それなりって……ムカつくぅ」
 じっとりと睨んでみるが、またしても「ふはっ、やっぱブッサ」と天海に笑われてしまった。
 こいつ、鏡で見るテメエのお綺麗な顔が標準だと思ってんじゃねえぞ。
「天海さーん、終わりましたよー。たこちゃん、すっごくお利口さんでした。毛玉をとって、全体的に長さを整えて、足の裏の毛もバリカンしたので、次からはお家でお風呂に入れて大丈夫ですよ」
 しばらく天海と話していたら、女性の看護師さんが、たこちゃんを診察室から連れて出てきた。
 たこちゃんは毛が少し短くなって、すっきりした見た目になった。
 もともと可愛かったけれど、シャンプーもして綺麗にしてもらって、いっそう可愛くなっている。それに、ふんわりハーブ系のいい香りがする。
「よかったな、たこ。さっぱりしただろ」
 天海は屈んでたこちゃんの顔を両手で包むと、わしゃわしゃ撫でた。たこちゃんは嬉しいみたいで、尻尾を左右にふわふわと揺らしている。
「私、トリマーの資格も持っているので、相談があったらいつでも聞いてくださいね」 
 それは心強いんだけど、看護師さん、天海の顔を見過ぎじゃないか……? なんか目がキラキラしてるし。ムカついたので、自由に動かせる脚で天海の脛を蹴っておいた。
 それから会計を済ませて次回の来院日の予約をしていると、カウンターにあるカルテを取りにきた犬堂先生に声をかけられる。
「うちの病院、保護団体さんには診察料や治療費の割引をしてるんだけど、この子の治療費も割引させてください。もしも費用のことや、日頃の世話で困ることがあったら、すぐに相談して。絶対に途中で治療をやめないで。いい?」
 相場がわからないけれど、検査をして、カットもして薬もだしてもらったのに会計が安かったのは、割引をしてくれていたからなのか。俺はお金を出せないから、あんまり口も出せないけれど、すごくありがたい。
 この病院を選んで、本当によかった。俺たちは改めて犬堂先生にお礼を言って、たこちゃんと一緒に病院を後にした。