「蒼く「仲見ー!お前今日も遅刻ギリギリか!毎回校門に立つ俺の気持ちにもなれ!」
朝学校に行こうとすればあいつがいて。
「話をし「最近ずっと親が迎えに来てくれててさ、蒼の家まで送ろうか?」
「ありがとう、お言葉に甘えようかな」
予備校の帰りにもあいつがいて。
目も合わせないし、来たメッセージにも既読すらつけない。電話も来るけど無視。あまりにも通知の数が多いから通知をオフにした。もう俺のことを気にしないでほしかった。無視をするのも辛い。見たら彼の方へと足が進んでしまいそうだったから。
そこから時間が経ち、今日はあのショッピングモール配信の日だ。ご丁寧に通知をオンにした自分を恨む。
今はただでさえ美月が見られないのに、誰かをエスコートする美月なんて見られない。それなのに推しだから、好きだから見たい気持ちもある。だからもう寝てしまおう、そうすればそんなこと考えなくて済むと思った。
意識の薄い中、自宅に鳴り響くチャイムの音で目が覚めた。スマホの画面をみたら配信の時間まで迫っている。考えないために寝たのにどうして起こされてしまうんだよ。というかこんな時間に来客だなんて珍しい。宅配だろうか、いやそれがあったら母と父は家族グループにメッセージを残すだろうし、俺もなにか頼んではいない。
回覧板だろうか、でも昨日あたりに回ってきたからさすがにそれは違うだろうし。
友達?礼司を始めとした俺の友人たちはだいたいアポとってから俺のもとを訪ねてくるからアポなしの訪問は基本ない。もしかしたら俺寝てたからその連絡に気づかなかったかもしれない。スマホを開きながら部屋を出て階下に降りる。メッセージアプリを見ても誰からも連絡がない。その時、SNSアプリのフォローしている恋リア出演者の一人が意味深な投稿をしているのが目に入った。
「え、さすがにやばすぎるだろ」
なんだろうと考えていると玄関にたどり着き、扉を開けるとそこには夜でも眩しく見える金髪の人間が立っていた。いるはずもない人間がいるからまだ寝ているんじゃないかと自分の眼間を押さえてみるけれどそこにいるのはまごうことなき美月だった。
「は、お前なんでここにいんの?配信は?」
「蒼くんが連絡も返してくれないし、会っても無視してくるから、蒼くんが一番嫌がることをした」
「もしかして」
「俺が配信出ずにここにいるの嫌でしょ」
そう言って力なく笑う美月は、一歩一歩俺の方へと近づき、そのまま俺を抱きしめた。俺の背中に回す手が強い。いつも彼と一緒にいるときは柔軟剤の匂いがするけれど、この美月からは全く違う高級そうな香水の匂いがする。なんだか住む世界が違うのを実感して、逃げようともがくけれど余計に手に力が加わった。
「ちょ、離して」
「無理、そしたら蒼くんにもう弁明できないじゃん」
「聞くから、息できないからもう離せ!」
そう言うと、美月は俺を解放してくれたけれど、ドアを閉めて鍵をかけた。話し終わるまで帰らないと言わんばかりのその様子に観念してため息をついた。
「言っとくけど、ちゃんと蒼くんが許してくれないと俺仕事行かないし、帰らないよ」
「それ、許しを請う立場の態度かよ。わかった、話聞くから」
「じゃあ俺の生い立ちから聞いてくれる?」
「お前が話しやすいように話してよ」
「わかった。俺さ、5つ上に兄がいるんだけど。あ、匂坂菜月ね。その兄とは腹違いの兄弟なんだよね。兄は父さんと父さんの元奥さんの梅さんとの子どもで、俺は亡くなった母さんとの子どもなんだ。梅さんは家具メーカーの家のお嬢様で、派手な金遣いをしていたことを父さんの父、おじいちゃんが怒って離婚させたんだ。それで、父さんは学生時代にずっと好きだった俺の母さんと再婚し、俺を妊娠した」
ごめん長いよね、と言う美月。俺は少し考えたけれど、あまりにも立ち話には適した話しじゃないなと思った。
「リビングで話すか?ゆっくり話したいだろ」
「ありがとう、じゃあお邪魔します」
靴を脱いでスリッパを履き、俺の後をついてくる美月はいつもよりなんだか小さく見えた。
リビングに案内し、ダイニングテーブルに美月を座らせてから、俺は冷蔵庫からお茶を取り出して美月の前に出す。小さい声でありがとうと言う美月は一回大きく息を吸うと、話の続きを始めた。
「母さんの妊娠が発覚すると、梅さんは離婚しているはずなのに、父に引き取られた兄を使って母さんに圧力をかけはじめた。前のお母さんがよかっただの、料理も家事も下手だのを言わすように仕向けたんだよね。それで母さんは心を病んで、俺を産んでからは田舎の病院にずっと入院してる」
ごめんお茶いただくね、というとコップを両手で掴んで飲み口を傾けた。ゆっくりでいいよと言うと、ありがとうと言いながら机にコップを戻した。
「梅さんちの家は大きいし、長男である兄が匂坂の家を継ぐと信じて疑わなかった父さん以外の周りの人達は結構俺に冷たかった。母さんも近くにいなかったからそこから逃げたくて、小学校と中学校まではアメリカにいたんだ。アメリカは恋リアがとにかく人気で、そこで恋リアに興味を持った。日本でも恋リアが人気だって知ってからは俺はあることを思ったんだ」
「あること?」
「恋リアに出れば母さんは俺のこと見てくれるかな、とか、恋リアに出てくる人たちが幸せそうに語るその愛ってやつがわかるんじゃないかと思ってね。日本に帰ってから、恋リアに出るために事務所探しをしていたらその話がどこから漏れたかわからないけれど、梅さんの耳に入った」
「梅さんって前の奥さんだっけ。なんか嫌な予感がしてきたぞ・・・」
「その予感、的中してます」
口角だけ上げて茶化すような言葉を紡いだ彼は、置いていた机の上に手を重ねる。無理に笑かさなくていいんだという気持ちを優しく伝えたかった。その手に目線を動かすと、なんだか少しだけ泣きそうな顔をした美月。視線を左右に行ったり来たりさせながら咳払いをさせて話を続けた。
「梅さんの古い友人が田舎の企業の社長と結婚したんだけど、事業が失敗してどうしようもなくなったところに、その夫婦の娘がインフルエンサーを目指していてその相手役になってくれないかと言われたんだよね」
「それがもしかして、あやりちゃん?」
「そう、あやちゃん。あやちゃんは自分がインフルエンサーとして活躍することで親の会社の借金を返済したいんだと言っていたけれど、俺は梅さんの頼みだから断った。そこから別にありがたい話が来て、ご存知の通りあの恋リアに出れた。最初のシーズンは本当に恋愛が全然わからなくて、全然分量もなかったよね」
「その頑張ってる姿が、俺にとっては眩しくて推したくなったんだからそんな事言うなよ」
「蒼くんのほうが眩しいのなんでわからないんだろう」
「やめろ、その顔面で俺のこと褒めるの、てか続けて」
両手で顔を覆うと、ごめん続けるねと美月は話し始めた。
「その初出演したときのシーズンが放送されてるとき、あやちゃんが俺の家まで訪ねてきたんだよ。どうしても一緒に恋リアに出てほしいって。その恋リアでカップル成立すればインフルエンサーとしての仕事が増えるかららしい。そのお金とネームバリューで家を立て直したいからと。蒼くんには悪いけど、たつあやカップルはつまり、」
「び、ビジネスだったのか・・・」
「そういうこと。だからお互いが嘘で好きと言い続けてたの。ごめんね俺達が本当に好きだったんだよね」
美月は深々と頭を下げた。さすがに応援していたカップルがビジネスだったと本人直々に言われるとさすがに堪えるものがある。二人が紡いできたあの物語はすべて嘘になってしまうんじゃないかと。それでも、こんな風に真剣に説明されたら何も言えない。お互いの背景を知ってしまったら、むしろ高校生でここまで背負っていたんだと二人を労いたい気持ちも湧いてきて。
「そりゃショックはあるけどさ、もしかしたら俺も同じ立場だったなら同じことをしていたのかもしれない。たつあやカップルに恋愛感情はなくとも、お互いがお互いのために今まで動いていたのなら、俺は応援できてよかったって思うかも」
少し目頭が熱くなって、気を毛細血管まで張っておかないと何かがこぼれてしまいそうな気がした。数カ月もの間、恋愛漫画のような模様を描いてくれた二人は、俺には想像もできないほどの重い現実を抱えていた。それでも笑顔で俺達の前に立ってくれていた。ビジネスであれなかれ、十分すぎるほど苦しんだ二人を責める資格は俺にはない。
俺が少し俯くと、美月は俺の横の椅子に座った。俺の頬を掴んで上を向かせると、美月の宝石に負けないくらいの綺麗な瞳が見える。
「俺の名前が書かれたうちわを持って、俺のために叫んでくれて。周りのファンの子たちはスマホ撮影に必死になってたけど、蒼くんだけはずっと俺を見ていたからかな、それで強く心に残ったんだよ」
「恥ずかしいだろ・・・あとでSNS見返したら色んなアカウントに俺の声が乗っててコメント欄でもいじられてた」
「それが俺は嬉しかったの!そのコメント教えて!あとでちょっと然るべきところに「いやいいから!」
先ほどとは打って変わって怒りをにじませた美月を必死になだめる。少し心にずしっとくる話だったけれど、美月のことを知ることができてよかった。
「俺、学校に迷惑かかっちゃいけないと思って芸名使って、見た目も学校行くときは地味めな格好しているのに蒼くんはこんな俺にも話しかけてくれて、蒼くんに出会えて本当に恋リア出れてよかったって思ってる。蒼くんを色んな意味で騙しているような形になって申し訳ない」
「申し訳ない気持ちは本気なんだな?
「うん本気!」
「だったらさっさと配信に行け!もうスタンバイしてもおかしくない時間だろうが!」
「でも、行ってまた話せなく「いいから!お前の気持ち十分伝わったし!俺は美月のお前も、たつきくんのお前も大事だから!ファンとか周りに迷惑かけるのやめろ!」
「わ、わかった!タクシー呼ぶ」
美月はポケットから携帯を取り出す。どうやら電源をオフにしていたらしく、スイッチを入れた途端、とんでもない量の通知が来ていた。
「うわ!」
「ほーら言わんこっちゃない!アプリで早く呼べ!」
「わかった!わ、不在着信210件・・・あ、タクシー呼べた、近くにいるからすぐ来るって」
「今から行っても遅刻だろうな。こりゃスタッフと共演者さん怒ってると思うよ」
「寝坊した体でしっかり謝って、それでも怒ってたらそのときは考える」
「お前が来なくてバラシになってたら?」
「違約金なら払える」
「共演者がSNSにこのこと書いてたら?」
「書かれないように口止めする」
「いやもう書いてるよ」
「え!?」
美月に先ほどの男の子のSNSを見せた途端、玄関先で頭を抱えてしゃがみ込む。俺も同じようにしゃがんで、美月の頭を撫でた。いつもは俺よりも大分高い位置にあるから初めて撫でる頭は思ったよりもふわふわしている。
「ちゃんと謝ってこいよ、ちゃんと配信見るから」
「本当に!?あと連絡先ブロックも?」
「解除するから」
うん、とにっこり笑った美月の後ろで車が到着した音がした。時間ってかなりあっという間に過ぎてしまうんだと笑いそうになる。美月がドアを開けると、そこにはピカピカのタクシーが停まっていて、美月は急いでそのタクシーに乗り込んだ。すぐにドアが閉まり、エンジンがかかるときに彼は窓を開けてこちらに手を振る。その眼はさきほどとは打って変わって晴れやかな雰囲気を纏っていた。俺が遠慮がちに少しだけ振ると、美月は声を上げて笑う。美月の笑い声が起点になったかのようにタクシーはすぐに発射して小さく、そして見えなくなった。
「(配信、見るとするかな)」
背伸びをしながらドアを閉めた俺は、俺を撮るスマホの存在に気づかなかった。
***
「蒼くんおはよう!今日は俺ね、一個撮影あるんだ」
「おはよう、俺は今日も予備校だよ」
次の日、何気ない連絡が来たことに気分が高まる。なんてことはない休日、といいつつももちろん予備校はあるのにどうしてこんなに世界が輝いて見えるのだろうか。
もちろんたつきく…美月とどうにかなりたいという気持ちはないわけではないけれど、それよりかは推しには迷惑をかけたくない気持ちが大きい。
現にたつあやカップルは供給がそこまで多くなく、あやりちゃんの配信のときにビジネスカップルなんじゃないかと騒がれたこともある。
俺が間に入って二人に迷惑をかけるつもりもない。
「そういえばね、俺のことを心配した家の人が昨日俺のあとつけてたみたいでドラマチックな写真撮ってたらしいから送るね」
そのメッセージのあと、美月が昨日俺を抱きしめたときの写真が送られてきた。この隠し撮りの構図といい、夏の夕方の明るいけれど薄暗くなりつつある空の背景がマッチして自分が映ってる写真なのに10秒くらい見入ってしまった。そうじゃなくて!
「おい!消せよ!これ広まったら誤解されるのはお前とあやりちゃん!」
「大丈夫だよ、これ撮った人元々母さんの世話してた優しいおじいちゃんだし」
「じゃあ俺が広める可能性だってあるだろ?」
「蒼くんはそういうことしないってわかってるよ俺」
そのメッセージが来た瞬間、胸がドッという音を立てて大きく動く。確かに俺はそういうことをしないし、保存もしない。さっきも思ったけれど二人の邪魔をしたくない。そう思っているはずなのに、この男はいとも簡単に俺をぐらつかせる。もう少しだけ俺が画面越しに見ていた彼の中に入りたいという欲望が芽を出してしまう。
「大正解!」と送ってニヤけてしまいそうな顔を必死で押さえながら階下に降りて支度を始めた。
少し間が空いて、ニヤニヤとしているうさぎのスタンプを送りつけられた。そのスタンプの下にはこうメッセージが続いていた。
「あやちゃんと話し合ったんだけど、あやちゃんが今度連ドラの高校生役で出るから、放送が開始されるまではカップルとしていようって。ドラマが始まって少し経ったら破局報告をするつもり。それまで待っていてほしい。蒼くんにもあやちゃんにも不誠実だったのを本当に反省しています」
その言葉に、感情をかき乱された。最後に残ったのは悲しい気持ちか、それとも嬉しい気持ちか。複雑な気持ちが入り混じる。
「(あ、あの広告たつあやになってる)」
予備校に向かう途中、チェーン店のドラッグストア前を通ると店舗の外装にシャンプーの広告が大きく表示されていた。二人一緒に映っているわけではないものの、同じシリーズの香りが違うものの広告だった。ビジュアル的にお似合いの二人に、自分が割って入れるはずもない。むしろ俺はこの二人がいるところが大好き。
だというのに、「美月」を知らず、「たつきくん」しか知らなかった俺には戻れない。推しカップルの片割れを好きになってしまうなんて、俺はファン失格だ。
いたたまれなくなって、足早にそこから去った。
朝学校に行こうとすればあいつがいて。
「話をし「最近ずっと親が迎えに来てくれててさ、蒼の家まで送ろうか?」
「ありがとう、お言葉に甘えようかな」
予備校の帰りにもあいつがいて。
目も合わせないし、来たメッセージにも既読すらつけない。電話も来るけど無視。あまりにも通知の数が多いから通知をオフにした。もう俺のことを気にしないでほしかった。無視をするのも辛い。見たら彼の方へと足が進んでしまいそうだったから。
そこから時間が経ち、今日はあのショッピングモール配信の日だ。ご丁寧に通知をオンにした自分を恨む。
今はただでさえ美月が見られないのに、誰かをエスコートする美月なんて見られない。それなのに推しだから、好きだから見たい気持ちもある。だからもう寝てしまおう、そうすればそんなこと考えなくて済むと思った。
意識の薄い中、自宅に鳴り響くチャイムの音で目が覚めた。スマホの画面をみたら配信の時間まで迫っている。考えないために寝たのにどうして起こされてしまうんだよ。というかこんな時間に来客だなんて珍しい。宅配だろうか、いやそれがあったら母と父は家族グループにメッセージを残すだろうし、俺もなにか頼んではいない。
回覧板だろうか、でも昨日あたりに回ってきたからさすがにそれは違うだろうし。
友達?礼司を始めとした俺の友人たちはだいたいアポとってから俺のもとを訪ねてくるからアポなしの訪問は基本ない。もしかしたら俺寝てたからその連絡に気づかなかったかもしれない。スマホを開きながら部屋を出て階下に降りる。メッセージアプリを見ても誰からも連絡がない。その時、SNSアプリのフォローしている恋リア出演者の一人が意味深な投稿をしているのが目に入った。
「え、さすがにやばすぎるだろ」
なんだろうと考えていると玄関にたどり着き、扉を開けるとそこには夜でも眩しく見える金髪の人間が立っていた。いるはずもない人間がいるからまだ寝ているんじゃないかと自分の眼間を押さえてみるけれどそこにいるのはまごうことなき美月だった。
「は、お前なんでここにいんの?配信は?」
「蒼くんが連絡も返してくれないし、会っても無視してくるから、蒼くんが一番嫌がることをした」
「もしかして」
「俺が配信出ずにここにいるの嫌でしょ」
そう言って力なく笑う美月は、一歩一歩俺の方へと近づき、そのまま俺を抱きしめた。俺の背中に回す手が強い。いつも彼と一緒にいるときは柔軟剤の匂いがするけれど、この美月からは全く違う高級そうな香水の匂いがする。なんだか住む世界が違うのを実感して、逃げようともがくけれど余計に手に力が加わった。
「ちょ、離して」
「無理、そしたら蒼くんにもう弁明できないじゃん」
「聞くから、息できないからもう離せ!」
そう言うと、美月は俺を解放してくれたけれど、ドアを閉めて鍵をかけた。話し終わるまで帰らないと言わんばかりのその様子に観念してため息をついた。
「言っとくけど、ちゃんと蒼くんが許してくれないと俺仕事行かないし、帰らないよ」
「それ、許しを請う立場の態度かよ。わかった、話聞くから」
「じゃあ俺の生い立ちから聞いてくれる?」
「お前が話しやすいように話してよ」
「わかった。俺さ、5つ上に兄がいるんだけど。あ、匂坂菜月ね。その兄とは腹違いの兄弟なんだよね。兄は父さんと父さんの元奥さんの梅さんとの子どもで、俺は亡くなった母さんとの子どもなんだ。梅さんは家具メーカーの家のお嬢様で、派手な金遣いをしていたことを父さんの父、おじいちゃんが怒って離婚させたんだ。それで、父さんは学生時代にずっと好きだった俺の母さんと再婚し、俺を妊娠した」
ごめん長いよね、と言う美月。俺は少し考えたけれど、あまりにも立ち話には適した話しじゃないなと思った。
「リビングで話すか?ゆっくり話したいだろ」
「ありがとう、じゃあお邪魔します」
靴を脱いでスリッパを履き、俺の後をついてくる美月はいつもよりなんだか小さく見えた。
リビングに案内し、ダイニングテーブルに美月を座らせてから、俺は冷蔵庫からお茶を取り出して美月の前に出す。小さい声でありがとうと言う美月は一回大きく息を吸うと、話の続きを始めた。
「母さんの妊娠が発覚すると、梅さんは離婚しているはずなのに、父に引き取られた兄を使って母さんに圧力をかけはじめた。前のお母さんがよかっただの、料理も家事も下手だのを言わすように仕向けたんだよね。それで母さんは心を病んで、俺を産んでからは田舎の病院にずっと入院してる」
ごめんお茶いただくね、というとコップを両手で掴んで飲み口を傾けた。ゆっくりでいいよと言うと、ありがとうと言いながら机にコップを戻した。
「梅さんちの家は大きいし、長男である兄が匂坂の家を継ぐと信じて疑わなかった父さん以外の周りの人達は結構俺に冷たかった。母さんも近くにいなかったからそこから逃げたくて、小学校と中学校まではアメリカにいたんだ。アメリカは恋リアがとにかく人気で、そこで恋リアに興味を持った。日本でも恋リアが人気だって知ってからは俺はあることを思ったんだ」
「あること?」
「恋リアに出れば母さんは俺のこと見てくれるかな、とか、恋リアに出てくる人たちが幸せそうに語るその愛ってやつがわかるんじゃないかと思ってね。日本に帰ってから、恋リアに出るために事務所探しをしていたらその話がどこから漏れたかわからないけれど、梅さんの耳に入った」
「梅さんって前の奥さんだっけ。なんか嫌な予感がしてきたぞ・・・」
「その予感、的中してます」
口角だけ上げて茶化すような言葉を紡いだ彼は、置いていた机の上に手を重ねる。無理に笑かさなくていいんだという気持ちを優しく伝えたかった。その手に目線を動かすと、なんだか少しだけ泣きそうな顔をした美月。視線を左右に行ったり来たりさせながら咳払いをさせて話を続けた。
「梅さんの古い友人が田舎の企業の社長と結婚したんだけど、事業が失敗してどうしようもなくなったところに、その夫婦の娘がインフルエンサーを目指していてその相手役になってくれないかと言われたんだよね」
「それがもしかして、あやりちゃん?」
「そう、あやちゃん。あやちゃんは自分がインフルエンサーとして活躍することで親の会社の借金を返済したいんだと言っていたけれど、俺は梅さんの頼みだから断った。そこから別にありがたい話が来て、ご存知の通りあの恋リアに出れた。最初のシーズンは本当に恋愛が全然わからなくて、全然分量もなかったよね」
「その頑張ってる姿が、俺にとっては眩しくて推したくなったんだからそんな事言うなよ」
「蒼くんのほうが眩しいのなんでわからないんだろう」
「やめろ、その顔面で俺のこと褒めるの、てか続けて」
両手で顔を覆うと、ごめん続けるねと美月は話し始めた。
「その初出演したときのシーズンが放送されてるとき、あやちゃんが俺の家まで訪ねてきたんだよ。どうしても一緒に恋リアに出てほしいって。その恋リアでカップル成立すればインフルエンサーとしての仕事が増えるかららしい。そのお金とネームバリューで家を立て直したいからと。蒼くんには悪いけど、たつあやカップルはつまり、」
「び、ビジネスだったのか・・・」
「そういうこと。だからお互いが嘘で好きと言い続けてたの。ごめんね俺達が本当に好きだったんだよね」
美月は深々と頭を下げた。さすがに応援していたカップルがビジネスだったと本人直々に言われるとさすがに堪えるものがある。二人が紡いできたあの物語はすべて嘘になってしまうんじゃないかと。それでも、こんな風に真剣に説明されたら何も言えない。お互いの背景を知ってしまったら、むしろ高校生でここまで背負っていたんだと二人を労いたい気持ちも湧いてきて。
「そりゃショックはあるけどさ、もしかしたら俺も同じ立場だったなら同じことをしていたのかもしれない。たつあやカップルに恋愛感情はなくとも、お互いがお互いのために今まで動いていたのなら、俺は応援できてよかったって思うかも」
少し目頭が熱くなって、気を毛細血管まで張っておかないと何かがこぼれてしまいそうな気がした。数カ月もの間、恋愛漫画のような模様を描いてくれた二人は、俺には想像もできないほどの重い現実を抱えていた。それでも笑顔で俺達の前に立ってくれていた。ビジネスであれなかれ、十分すぎるほど苦しんだ二人を責める資格は俺にはない。
俺が少し俯くと、美月は俺の横の椅子に座った。俺の頬を掴んで上を向かせると、美月の宝石に負けないくらいの綺麗な瞳が見える。
「俺の名前が書かれたうちわを持って、俺のために叫んでくれて。周りのファンの子たちはスマホ撮影に必死になってたけど、蒼くんだけはずっと俺を見ていたからかな、それで強く心に残ったんだよ」
「恥ずかしいだろ・・・あとでSNS見返したら色んなアカウントに俺の声が乗っててコメント欄でもいじられてた」
「それが俺は嬉しかったの!そのコメント教えて!あとでちょっと然るべきところに「いやいいから!」
先ほどとは打って変わって怒りをにじませた美月を必死になだめる。少し心にずしっとくる話だったけれど、美月のことを知ることができてよかった。
「俺、学校に迷惑かかっちゃいけないと思って芸名使って、見た目も学校行くときは地味めな格好しているのに蒼くんはこんな俺にも話しかけてくれて、蒼くんに出会えて本当に恋リア出れてよかったって思ってる。蒼くんを色んな意味で騙しているような形になって申し訳ない」
「申し訳ない気持ちは本気なんだな?
「うん本気!」
「だったらさっさと配信に行け!もうスタンバイしてもおかしくない時間だろうが!」
「でも、行ってまた話せなく「いいから!お前の気持ち十分伝わったし!俺は美月のお前も、たつきくんのお前も大事だから!ファンとか周りに迷惑かけるのやめろ!」
「わ、わかった!タクシー呼ぶ」
美月はポケットから携帯を取り出す。どうやら電源をオフにしていたらしく、スイッチを入れた途端、とんでもない量の通知が来ていた。
「うわ!」
「ほーら言わんこっちゃない!アプリで早く呼べ!」
「わかった!わ、不在着信210件・・・あ、タクシー呼べた、近くにいるからすぐ来るって」
「今から行っても遅刻だろうな。こりゃスタッフと共演者さん怒ってると思うよ」
「寝坊した体でしっかり謝って、それでも怒ってたらそのときは考える」
「お前が来なくてバラシになってたら?」
「違約金なら払える」
「共演者がSNSにこのこと書いてたら?」
「書かれないように口止めする」
「いやもう書いてるよ」
「え!?」
美月に先ほどの男の子のSNSを見せた途端、玄関先で頭を抱えてしゃがみ込む。俺も同じようにしゃがんで、美月の頭を撫でた。いつもは俺よりも大分高い位置にあるから初めて撫でる頭は思ったよりもふわふわしている。
「ちゃんと謝ってこいよ、ちゃんと配信見るから」
「本当に!?あと連絡先ブロックも?」
「解除するから」
うん、とにっこり笑った美月の後ろで車が到着した音がした。時間ってかなりあっという間に過ぎてしまうんだと笑いそうになる。美月がドアを開けると、そこにはピカピカのタクシーが停まっていて、美月は急いでそのタクシーに乗り込んだ。すぐにドアが閉まり、エンジンがかかるときに彼は窓を開けてこちらに手を振る。その眼はさきほどとは打って変わって晴れやかな雰囲気を纏っていた。俺が遠慮がちに少しだけ振ると、美月は声を上げて笑う。美月の笑い声が起点になったかのようにタクシーはすぐに発射して小さく、そして見えなくなった。
「(配信、見るとするかな)」
背伸びをしながらドアを閉めた俺は、俺を撮るスマホの存在に気づかなかった。
***
「蒼くんおはよう!今日は俺ね、一個撮影あるんだ」
「おはよう、俺は今日も予備校だよ」
次の日、何気ない連絡が来たことに気分が高まる。なんてことはない休日、といいつつももちろん予備校はあるのにどうしてこんなに世界が輝いて見えるのだろうか。
もちろんたつきく…美月とどうにかなりたいという気持ちはないわけではないけれど、それよりかは推しには迷惑をかけたくない気持ちが大きい。
現にたつあやカップルは供給がそこまで多くなく、あやりちゃんの配信のときにビジネスカップルなんじゃないかと騒がれたこともある。
俺が間に入って二人に迷惑をかけるつもりもない。
「そういえばね、俺のことを心配した家の人が昨日俺のあとつけてたみたいでドラマチックな写真撮ってたらしいから送るね」
そのメッセージのあと、美月が昨日俺を抱きしめたときの写真が送られてきた。この隠し撮りの構図といい、夏の夕方の明るいけれど薄暗くなりつつある空の背景がマッチして自分が映ってる写真なのに10秒くらい見入ってしまった。そうじゃなくて!
「おい!消せよ!これ広まったら誤解されるのはお前とあやりちゃん!」
「大丈夫だよ、これ撮った人元々母さんの世話してた優しいおじいちゃんだし」
「じゃあ俺が広める可能性だってあるだろ?」
「蒼くんはそういうことしないってわかってるよ俺」
そのメッセージが来た瞬間、胸がドッという音を立てて大きく動く。確かに俺はそういうことをしないし、保存もしない。さっきも思ったけれど二人の邪魔をしたくない。そう思っているはずなのに、この男はいとも簡単に俺をぐらつかせる。もう少しだけ俺が画面越しに見ていた彼の中に入りたいという欲望が芽を出してしまう。
「大正解!」と送ってニヤけてしまいそうな顔を必死で押さえながら階下に降りて支度を始めた。
少し間が空いて、ニヤニヤとしているうさぎのスタンプを送りつけられた。そのスタンプの下にはこうメッセージが続いていた。
「あやちゃんと話し合ったんだけど、あやちゃんが今度連ドラの高校生役で出るから、放送が開始されるまではカップルとしていようって。ドラマが始まって少し経ったら破局報告をするつもり。それまで待っていてほしい。蒼くんにもあやちゃんにも不誠実だったのを本当に反省しています」
その言葉に、感情をかき乱された。最後に残ったのは悲しい気持ちか、それとも嬉しい気持ちか。複雑な気持ちが入り混じる。
「(あ、あの広告たつあやになってる)」
予備校に向かう途中、チェーン店のドラッグストア前を通ると店舗の外装にシャンプーの広告が大きく表示されていた。二人一緒に映っているわけではないものの、同じシリーズの香りが違うものの広告だった。ビジュアル的にお似合いの二人に、自分が割って入れるはずもない。むしろ俺はこの二人がいるところが大好き。
だというのに、「美月」を知らず、「たつきくん」しか知らなかった俺には戻れない。推しカップルの片割れを好きになってしまうなんて、俺はファン失格だ。
いたたまれなくなって、足早にそこから去った。
