キミがためのシェイクスピア〜天才による天才のための青春エチュード〜

 神野洸太は、とにかく無自覚で鈍感な男だ。

 僕の気持ちにも、自分の才能にも気付いていない。
 どちらも並のものではないというのに。

「……誰だ?」

 神野洸太は、久城蒼——僕にとっては落雷だった。

「ああ、外進組じゃね?」

 高校一年生の春——腐れ縁の南田絢斗の返事を聞きながらも、突如として稽古場に現れた男に僕の視線は釘付けだった。

 艶やかな黒髪に、色白の肌。
 目付きはいいとは言えない。
 でも、切れ長で整っている。
 塩顔で、すっきりとした印象。
 男に使う言葉として適切か分からないが、美人だ。

 少なくとも中等部であの顔は見たことがない。
 南田の言った通り外進組——つまり高等部から編入してきた生徒だろう。

 我が風見ヶ丘学園は内部進学ならともかく外部受験はかなり倍率が高いと聞いているから頭もいいはず。

 僕は舌打ちをする。

 顔も良くて賢いだと?
 まさか、この僕のライバルじゃないだろうな。

「……気に食わないな」
「そうかァ〜?」

 僕は南田の間抜けな相槌を無視した。
 そして真新しいジャージを着込んだ男を睨む。

 これが僕と神野洸太との出会いだった。

 ——と、カッコつけたのはいいものの、実際には僕と神野に関係性ができるまでもう少しかかる。

 先に言ってしまおう。
 神野洸太は、僕のライバルではない。

 ライバルどころか——僕は神野と話せなかった。

「おい、南田。行ってこい」
「だからなんでオレなんだよ!?」

 文句を言う南田の背中を蹴り飛ばし、神野のところへけしかけてやる。

 そうでもしなければ神野が演劇部に馴染める気配がしなかったからだ。

 神野洸太は、コミュ障である。

 ただし、これは本人が自称しているだけ。
 正確ではない。

 確かに神野は他人と話すのが絶望的に下手だ。
 挨拶や簡単な受け答えまでは誰とでも出来るようだが、途中からどんどんと会話が噛み合わなくなる。

 おそらく会話している間にも思考はあっちこっちに飛びまくっているのだろう。

 声を聞いていれば分かる。
 会話よりも思考が先に進んでしまっている。

 それに気付いて相手に合わせようとすると逆に遅過ぎて思考が止まってしまい、「あ」とか「う」とかしか言えなくなる。

 コミュ障というより、頭の回転が速いだけだろう。

 同じテンポで話せる相手なら吃ることもない。
 会話が止まることもない。

 神野洸太は、コミュ障ではない。

 だが、神野本人はそれを全く理解していなかった。

 だから、とにかく他人を警戒する。
 特に、自分とは違うと思い込んだ相手には。

「やあ、君が神野——」
「ハジメマシテ! コンニチハ! アリガトウゴザイマシタ!」
「は?」

 気付いたら神野は僕の前からいなくなっていた。

 会話時間、およそ三秒。
 ロボットの自動音声みたいなやりとり。
 それが僕と神野のファーストコンタクトである。

 ……ふざけていると思うだろう?
 これでふざけていないのが、ふざけているんだ。

 それからも神野は、僕をとことん避けた。

 原因は、神野が演劇部に入部した直後に目の当たりにした僕の挨拶ではないか——と推理したのは南田だ。

『——主演以外は演る気はありません、以上』

 その堂々たる宣言の何が悪かったのか僕にはちっとも分からないが、とにもかくにも輝かしい僕の存在は神野の警戒センサーに引っ掛かってしまったらしい。

 その後も僕から話しかけようとしてもダメだった。
 神野は小鼠のように怯えて逃げまくる。
 会話どころかまともに近寄ることすら出来ない。

 たまたま僕と目が合ったときなんか、神野の首があまりに勢いよく横を向いたので、筋を痛めたのではないかと心配になってしまったくらいだ。

 ——このままでは、ダメだ。

 そう思った僕は、南田を派遣することにした。

「なんでオレ!? 自分で行けよ!」
「いいから。あの珍獣を懐柔してこい」
「オレは別に珍獣専門の飼育員じゃねえんだけど!?」

 文句を言いながらも南田は神野の元へと向かう。

 南田絢斗と僕は、中等部から一緒で、腐れ縁だ。
 彼は素晴らしき凡人——すなわち秀才である。

 頭もそこそこ。
 性格も悪くない。
 コミュ力もある。
 運動神経もいい。
 演技力はまずまず。

 どれをやらせてもそれなりで、努力も怠らない。
 何より幼稚舎からの風見ヶ丘っ子。育ちが良い。

 南田は、ただの凡人とは格が違う。
 いわばプレミアム凡人だ。

 だから神野を任せるならば南田がよかった。

 南田だって満更ではないはずだ。

 なにせ、中等部からこの僕の世話係を自ら率先して務めていたいた物好きだ。

 つまり、南田は神野のことも嫌いじゃない。

 その予想通りに、南田と神野はすぐに打ち解けた。

 そして、南田は神野が周りと打ち解けられるように細やかなフォローまでしてやっていた。
 相変わらず面倒見がいい。

 こうして神野は外進組ながらも、我が演劇部に無事に馴染むことが出来た。

 ……さて、ここまでは順調だった。

 他の部員と話せるようになった神野を見た僕は、改めて神野との距離を縮めようと思っていた。

 そこで、問題が発生する。

 ——その一、神野は別に演劇部に入りたかったわけではなかったこと。

 ——その二、神野はいつまで経っても、僕に対する警戒心だけは解いてくれなかったこと。

 どちらも僕にとってはショックだった。

「この世に演劇部に入りたくないやつがいるのか?」
「そりゃいるだろ」
「僕がいるのに?」
「自信あり過ぎかよ」
「そもそも僕と話したくないってなんなんだよ!?」
「知らねえつーの」

 南田の適当な相槌も気にせず、僕は神野を眺める。

 僕と神野との距離はおおよそ七、八メートル。
 教室の最前列と、最後列ぐらいの隔たりだ。

 僕の視線の先では、神野が僕以外の部員と楽しそうに会話している。

 ああやって神野が皆と話せるようになったのも三割くらいは(南田を貸し出してやった)僕のお陰だと言うのに。

「おのれ、神野洸太……!」

 ハンカチを噛み締める——なんて行儀の悪いことは出来ないので、エアーハンカチを噛み締める演技を披露していたら、南田は呆れたように肩を竦める。

「話したいなら、普通に話しかけろよ」
「普通? 僕を凡人と一緒にしないでほしいね」
「だからお前は言い方がキツいって言ってんだよ!」
「はぁ? どこが? 僕は自信を隠さないだけだよ」
「いいから『僕も神野くんと楽しくおしゃべりしたいです』とか言えねえのか!?」
「僕がそんな殊勝なことを言い出したら、それこそ頭がおかしくなったと思われるだろう!?」
「なんでそういう自己分析は出来てんだよ!!」

 そうやっていつものように南田と大声で言い争っていたら遠くからクスクスと笑い声が聞こえてくる。

 神野と話していた先輩が僕らを指さしていた。
 きっとまた僕らの喧嘩を笑っているのだろう。
 僕と南田との言い争いは中等部からの名物らしい。

 ……だとしても、神野にまで笑われるのはなんだか嫌だった。

 苛立った僕は彼らを睨みつける。
 すると窓から風が吹き込んだ。
 神野の髪がサラサラと揺れている。

 僕とは違う、真っ黒でまっすぐな髪。

 それを見ていると妙な気分になった。
 思わず顔を逸らす。

 僕の視線が神野から窓の外へと移る。
 
 晴天。
 憎らしいくらいの青。

「……最悪だ」

 それが久城蒼と、神野洸太の春の始まりだった。