逆井宗一朗と関わりが深い人物といえば、久城蒼——ではない。
どちらかといえば、神野洸太の方だろう。
逆井は、俺が入部したかった文芸部の部長になった男だ。
そして脚本のオープンコンペで俺と競い合った相手でもある。
まず大前提として部内公演(うちの部だと春の新入生歓迎公演、夏の新人公演、秋の文化祭公演、そして冬の最終公演)の脚本はほとんど俺が書いている。
脚本担当なのだから当たり前だ。
しかし、今回ばかりは演出を担当する久城の意向によって部内に留まらず校内から広く募る公募制——すなわちオープンコンペティションが採用されたのだ。
とはいえ、俺がやることは変わらなかった。
いつものように脚本を書き上げて提出する。
ただ、それだけ。
俺から脚本を受け取った久城も普段通りで『相変わらず早いな』という一言だけ返して終わった。
その後は、順調にコンペが進んだらしい。
ある日、久城から『お前の脚本に決まった』と告げられた。
俺は頷いた。
驚くこともなかった。
まあそうだろうなと思っていたから。
その一週間後にオーディションも実施され、主演も久城で決まった。
最後まで久城は主演を譲らないのだなと結果に納得しつつも、ふと疑問に思ったことを聞いてみた。
『そういえば脚本はどうやって決まったんだ?』
脚本選考に関わっていないからこその無邪気な問い。
それを聞いた久城が顔を顰めたことを覚えている。
『……俺はお前の脚本を選んだ』
俺は別に久城の投票先には興味なかったのだが、俺に対する気遣いなのかアイツはそんな前置きしてから続けた。
『最終選考には二つ残った』
久城が舌打ちをする。
『ひとつはお前。もうひとつは——』
そういえば久城はその男の話をするとき、とても嫌そうな顔をしていた。
『——文芸部の、逆井宗一郎』
今もそうだ。
「文芸部如きが演劇部に話しかけるなんて身の程知らずだね」
久城蒼は片目を細めて美しい顔を歪ませた。
王子と呼ばれる男がしてはいけない表情を浮かべている。
しかし、逆井も逆井で負けていない。
「おやおやぁ、部活動差別ですか? この悲しみをうっかりSNSにつらつらと書き込んでしまったらどうしましょうねえ?」
〝ペンは剣より強し〟を令和的な解釈で悪用しようとしている逆井もなかなかにヴィラン顔だ。
逆井は久城ほど顔立ちは整っていない(そもそも久城の顔に勝てる相手を見てみたい)が、個性的で魅力的な造形なので、久城と並ぶと漫画のキャラみたいに見えてくる。
その迫力に負けて脇に追いやられているのは、俺と南田だ。
南田もよく見れば端正で、化粧映えするタイプの女顔だが、すっぴんだと逆井や久城の華やかさに負けてしまう。
俺はもちろん言わずもがな。
そんな俺らはさしずめ、モブ①とモブ②と言ったところか。
「あ、ああ……騒がしくしてすまな——」
「オイ、勝手なことぬかしてんじゃねえよ! 逆井ィ!」
だが、早々にモブ①に裏切られる。
食堂で俺たちが騒がしくしていたのは事実なので、それについては謝ろうとしたのだが、南田のヤジに遮られてしまった。
南田が平成のヤンキー気質を受け継いだ令和の男だったことをすっかり忘れていた。
「南田、俺たちが騒がしかったのは事実で——」
「だったらそれだけ言えばいいだろうが! 誰が猿だって?」
「……まあ、それはそうだが」
憤慨する南田の前に言い返す言葉が尽きてしまった。
確かに俺たちがうるさくしているなら、それだけを注意すればいい話で、サーカスの猿と揶揄する必要はない。
……そもそもサーカスの猿ってなんなんだ?
猿山なら見たことがあるが、何が違うのだろう。
サーカス観客未経験の俺は怒りの前に困惑が来る。
だが、プライドが高い役者たち——久城と南田の気には触ったようだから、それなりに酷い罵倒なのかもしれない。
なるほど、罵倒された対象の立場によって感じ方が異なる罵倒語か、興味深い。
そんなふうに俺が勝手に考えを深めていると急に矛先がこちらへ向けられた。
「ああ、神野氏。わざわざ謝罪してくれるなんて素晴らしく殊勝ではありませんか。しかし、その振る舞いも久城氏や南田氏に好かれるためのパフォーマンスだと思うとがっかりですねぇ」
「……なに?」
突然の悪意に俺の顔も強張る。
南田は目を見開いたまま固まっていたし、久城にいたっては般若のような表情を浮かべていて、怖すぎる。
それでも逆井は怯まない。
「媚びをを売るのがお上手なんでしょう、神野氏ぃ? お陰で大した実績もないのに久城氏の相手役に抜擢され、脚本も選ばれた——毎度のように神野氏が書いた脚本が選ばれるなら、オープンコンペとはなんだったのでしょうねぇ〜?」
「それは……」
正直、痛いところを突かれたと思った。
部外にも広く募っておいて、蓋を開けてみればいつも部内で脚本を書いている俺が選ばれたら、応募した奴らにとっては面白くない。
出来レースを疑うのも当然のことだ。
さらに、久城はすでにオーディションで決まっていた役者を降ろして、俺を相手役に指名し直した。
俺が嫌がっているという事実は関係なく、俺へのあきらかな依怙贔屓に見える。
そして何より——。
「しかも神野氏が書かれた脚本を拝読してみれば、どれも主役は久城氏への当て書き。そりゃあ選ばれるに決まっています」
「——ッ!」
俺は何も言い返せなかった。
だってそれも事実だったから。
当て書きとは、あらかじめ演じる役者を想定してから(当ててから)脚本を書くことだ。
俺が書いている脚本において主役は久城への当て書き——久城が演じることを想定している。
つまり久城が主演であることを前提で書いた。
俺なりの考えがあってそうしているが、久城に媚びを売っていると言われてしまえば否定は出来ない。
「……そうだな、それは——」
それでも意図を説明するべきかと俺は口を開いた。
だが、逆井が早口で言葉を滑り込ませてくる。
「ほら、本人も認めております! 最初から神野氏が選ばれるのが決まっていたのだとしたらワタシたちが書いたものはいったいなんだったのでしょう? 演劇部は、参加者の期待を裏切り、労力を奪ったことに対して正式な謝罪と、選考のやり直しを——」
鬼の首を獲ったかのように興奮する逆井。
それを俺は苦々しい顔で聞いているしかなかった——が。
「——逆井宗一郎」
ただ、久城が逆井の名前を呼んだ。
それだけでその場の温度が数度下がった。
逆井は、こめかみをぴくりと震わせる。
「なんでしょうか、久城氏? ワタシの話はまだ途中で……」
再び口を開こうとした逆井を久城が堂々と遮った。
「ああ、聞かせてもらったよ。コンペで自分の脚本が選ばれると信じていたのに、それが思い上がりだと突きつけられて傷付き、神野を逆恨みをしているという話だったかな?」
「は、はぁ……?」
とんでもない要約に、あれほど弁舌に長けた逆井ですら言葉を失う。
「何を言って——」
「すまない、僕は君のように回りくどく話すのは苦手でね。結論を急いでしまった。しかし、君との会話には生産性がないから早く話を終わらせた方がお互いのためだろう?」
久城は柔らかく微笑むが、目だけは笑っていない。
逆井はまるで魚のように口をパクパクさせていた。
久城の毒々しい態度に圧倒されて何も言えない。
俺の隣では南田が「あーあ、始まっちまった……」と全てを諦めた目で遠くを見ていた。
そんな周りの反応を久城は気にすることもない。
優雅に胸の前で腕を組んだ。
「さて——本来ならば落選者にわざわざ説明する必要はないのだが、負け犬の遠吠えが騒がしいので教えてあげよう」
「なっ! ま、負け犬とは、失礼な……」
「おや、僕らがサーカスの猿なら、君は負け犬だろう?」
久城は目を伏せて、クククッ……と喉を鳴らした。
その笑顔はゾッとするほど美しく、恐ろしい。
ゆっくり瞼を開くと青く冷たい瞳で逆井を射抜く。
「まず、今回の脚本コンペについて不正は一切ない」
「は……」
「選考は匿名投票制。応募された脚本も作者名未公開での審査が実施された。僕も含めて投票に参加した部員全員がどの脚本を誰が書いたのか、最終決定まで把握していなかった」
その説明に逆井と俺が同時に目を見開いた。
詳しい選考方法については俺も聞かされていない。
誰がどの脚本に投票したか分からない匿名投票制。
作者も明かされないまま脚本の内容だけでの勝負。
そんな厳正に行われているとは知らなかった。
「嘘だ……!」
逆井がまるでサスペンスドラマで追い詰められた犯人のように苦しげな声を絞り出した。
しかし、久城は名探偵役のように冷静に言い返す。
「嘘じゃない。顧問に確認すれば分かることだ」
今すぐ聞きに行こうか、と久城は自信に満ちた声で問うた。
間違いなく本当のことなのだろう。
「いいや……行かなくていい……」
逆井がたじろぐように二、三歩後ずさる。
大袈裟な動きが好きなやつだ。
たぶん、俺よりも役者に向いている。
「せ、選考に公平を期したのは理解しました。それでも久城氏が選考に深く関わったのは変わりませんでしょう?」
逆井は冷や汗をかきながらも必死に久城に反論しようとした。
要するに選考方法に公平性を持たせたところで、久城の権力で俺の脚本が選出されたのではないかと疑っているのだ。
当然の疑念だが、これについても久城は毅然として答える。
「確かに俺は演出として最終選考に参加し、他の部員と同じく望ましいと思った脚本に一票を投じた。しかし、それ以外の選考には参加していない」
「なぜ……?」
俺も逆井と同じく疑問に思った。
演出ならばどうして脚本選考に最初から参加しなかったのか。
久城は一瞬だけ視線を逸らして声を詰まらせかけたが、すぐに姿勢を正した。
そして、薄い唇を開く。
「——俺も匿名で脚本を提出していたからだ」
沈黙。
しばらくの後に、爆発。
「はぁ!?」
「えっ!?」
「マジ!?」
意外過ぎる答えに三者三様のリアクションがある。
俺や逆井だけではなく、南田まで驚いている。
本当に部員には知らされていなかったらしい。
まさか久城が脚本コンペに参加してたなんて。
久城は渋い顔をしながらも頷いた。
「本当だ。最終選考には残らなかったけれどね」
だから最終選考から投票に参加したのか。
この上なく、公平な振る舞いだと俺は思う。
同時にこのコンペに不正がなかったことへの何よりの証明にもなる。
久城が好きに脚本を選ぶつもりだったなら、コンペなど開かずに部員の意見を無視して久城が書いた脚本を選んだだろう。
しかし久城は不正を行うどころか、自らコンペに参加した。
そして自分が書いた脚本が選考に残っているうちは投票に参加せず、自分の脚本が選考に落ちてから改めて投票に参加し直したのだ。
公平過ぎるくらいに公平だ。
それをここで明かした久城にも拍手を送りたい。
こっそり自作した脚本をコンペに忍び込ませておいて落選したなんて、天才として持て囃されてきた久城にとってはどれほどの屈辱だろうか。
その事実を俺たちに明かすのも悔しいはずだ。
それでも部員を守るために行動した久城の勇気は素晴らしい。
このことについて語る久城の顔が少しばかり引き攣っているように見えるのは、久城もまだ十八歳の若人だからだろう。
同じ状況に立たされたら俺だってきつい。
きっとあんなふうに堂々と立ってはいられない。
それでも久城の背筋はピンと伸びたまま丸まることはない。
……やはり久城はすごいやつだ。
「そ、そんなわけが……!」
「事実だ。これに関しても顧問に確認してもらっていい」
「くぅ……!!」
久城に見つめ返された逆井が呻き声を漏らす。
これで逆井の主張が的外れであると証明された。
まさしく万事休すと言ったところだろう。
しかし、逆井宗一郎という男は往生際が悪い。
「け、けれど……神野氏の脚本で、久城氏への当て書きが行われていたのは事実で……」
「ああ、そうだな」
苦し紛れに指摘した逆井を久城はあっさり肯定した。
「神野の脚本では、当て書きが行われている。今回の主役のオリヴァーもまた久城蒼への当て書きであることは認められる」
「で、では——」
「——しかし、それがなぜ問題なんだ?」
逆井が石のように固まった。
「え……?」
そんな情けない声を久城は鼻で笑う。
「コンペで募集したのは、最終公演——つまりは三年生にとっては卒業公演を兼ねている。キャストは三年生が中心に選ばれる。それは贔屓ではなく、当然の配慮だ。そして主役もオーディションによって選ばれることが決まっていた。しかも、こちらも投票制」
「うぐっ……」
逆井が顔を顰めた。
これはコンペの応募要項にも記載されていた。
最終公演は、俺たち三年生にとっては卒業公演。
メインキャストも基本的には三年生で固める。
そして主演は部内での公開オーディションの投票で決まる。
それを知らないなら単なる確認不足か、忘れていたのだろう。
久城もその隙に気付いてニヤリと笑う。
「三年生がメインキャストを演じる予定と分かっているなら当て書きも許容範囲だろう」
「け、けれども神野氏は脚本としてオーディションにも関わっているのでありましょう!? 職権濫用の可能性が——」
それでもしつこく食い下がってくる逆井。
久城はそれすらも一蹴した。
「確かに脚本として神野もオーディションに立ち会ったが、彼は審査に口を出すことはできない」
その説明に俺は無言でウンウンと頷く。
「うちの部では、脚本と演出の意見が対立することを避けるために、脚本担当にはキャスティングの権限は与えられない」
その答えに逆井は目を丸くした。
他の学校ではどうか知らない。
でも少なくともうちではそうだ。
というのも俺が入部する前までは脚本と演出の間で何度かキャスティングについて意見が食い違い、オーディションを進めるのが大変だったらしい。
脚本担当がキャスティングに関わることは多い。
ただし、俺は違った。
脚本を書いているうちにだいたい誰が選ばれるか分かるので、わざわざ審査に加わる必要がない。
また俺の予想を裏切るようなキャスティングでもそれはそれでどんな舞台になるのか楽しみにしている。
そのため俺が脚本を担当するようになってからはキャスティングの権限は返上している。
つまりは共同演出などの他の役割を追加で引き受けない限り、うちの部では脚本担当者がオーディション審査に直接的に関わる権限はないということだ。
そして今回の公演で俺は脚本だけ引き受けていた。
演出は久城で、舞台監督は南田だ。
職権濫用どころか、俺には職権が存在しないのだ。
「神野が俺の相手役に選び直されたことも問題ない」
逆井が黙り込んでいるうちに、久城は畳み掛ける。
「俺の相手役であるオースティンは、主役のオリヴァーが登場するシーンのほとんどに出てくる。つまり、主演の立ち稽古を円滑に進めるためにも、台詞の暗記は必須。オーディションでは、これをオースティン役の条件にしていた。しかし、オースティン役に選ばれたはずの役者は、その条件を満たせなかった。役を降ろされるのも当然であるし、逆に条件を満たしている神野が選出し直されたことも不自然なことではない」
……うむ、立て板に水のごとし見事な主張である。
実は、キャストが決定してからも役者の練習態度や演技力不足によって役を降ろされることはある。
オーディション後は公平性よりも舞台を成功させることや演劇の質を上げることが重要視されるからだ。
演劇は、いわゆるチームプレイ。
チームメイトの足を引っ張れば、サッカーやバスケなどのスポーツと同じようにレギュラーの交代があると言ったら分かりやすいだろうか。
今回はオースティンがその対象だった。
オースティンは、いわゆる準主役である。
今回の脚本で描かれているのは『死者の国へ恋人を迎えにいく二人の男』だ。
その二人の男こそ、オリヴァーとオースティンだ。
それぞれが亡くした恋人を迎えにいくために協力して死者の国に向かうというストーリー。
オースティンの出番の多くがオリヴァーの出番と被っているので、稽古でもオースティン役はオリヴァー役の久城と一緒に練習することになる。
そんなオースティン役の条件が台詞の早期暗記である。
オリヴァー役の稽古を始めるには、オースティン役もまた台詞を覚えていなければならない。
だから久城はオースティン役の条件に稽古開始から一週間以内に台詞をすべて暗記することを求め、合格したキャストもそれに同意した。
だが実際には暗記出来なかったので役を降ろされた。
代わりにキャスティングされたのが俺である。
理由は、台詞をすべて暗記しているから。
……当然だ。
その脚本を書いたのが俺なんだから。
さて、説明が長くなってしまった。
要するに脚本である俺がオースティン役に指名されるイレギュラーはありつつも、それを含めて逆井が訴えるような不正は行われていないということだ。
「ご理解頂けたかな?」
これで、逆井の主張は完璧に崩壊した。
もうこれ以上、逆井は駒を動かせない。
投了、もしくはチェックメイト。
「逆井宗一郎」
久城は静かに文芸部の部長の名前を呼んだ。
逆井は石像のようにその場から動けない。
それを見て、久城は微笑んだ。
「——他に言い分は?」
眼鏡がずり落ちた逆井の頭上に「 LOSE」の四文字が浮かんで見えた。
どちらかといえば、神野洸太の方だろう。
逆井は、俺が入部したかった文芸部の部長になった男だ。
そして脚本のオープンコンペで俺と競い合った相手でもある。
まず大前提として部内公演(うちの部だと春の新入生歓迎公演、夏の新人公演、秋の文化祭公演、そして冬の最終公演)の脚本はほとんど俺が書いている。
脚本担当なのだから当たり前だ。
しかし、今回ばかりは演出を担当する久城の意向によって部内に留まらず校内から広く募る公募制——すなわちオープンコンペティションが採用されたのだ。
とはいえ、俺がやることは変わらなかった。
いつものように脚本を書き上げて提出する。
ただ、それだけ。
俺から脚本を受け取った久城も普段通りで『相変わらず早いな』という一言だけ返して終わった。
その後は、順調にコンペが進んだらしい。
ある日、久城から『お前の脚本に決まった』と告げられた。
俺は頷いた。
驚くこともなかった。
まあそうだろうなと思っていたから。
その一週間後にオーディションも実施され、主演も久城で決まった。
最後まで久城は主演を譲らないのだなと結果に納得しつつも、ふと疑問に思ったことを聞いてみた。
『そういえば脚本はどうやって決まったんだ?』
脚本選考に関わっていないからこその無邪気な問い。
それを聞いた久城が顔を顰めたことを覚えている。
『……俺はお前の脚本を選んだ』
俺は別に久城の投票先には興味なかったのだが、俺に対する気遣いなのかアイツはそんな前置きしてから続けた。
『最終選考には二つ残った』
久城が舌打ちをする。
『ひとつはお前。もうひとつは——』
そういえば久城はその男の話をするとき、とても嫌そうな顔をしていた。
『——文芸部の、逆井宗一郎』
今もそうだ。
「文芸部如きが演劇部に話しかけるなんて身の程知らずだね」
久城蒼は片目を細めて美しい顔を歪ませた。
王子と呼ばれる男がしてはいけない表情を浮かべている。
しかし、逆井も逆井で負けていない。
「おやおやぁ、部活動差別ですか? この悲しみをうっかりSNSにつらつらと書き込んでしまったらどうしましょうねえ?」
〝ペンは剣より強し〟を令和的な解釈で悪用しようとしている逆井もなかなかにヴィラン顔だ。
逆井は久城ほど顔立ちは整っていない(そもそも久城の顔に勝てる相手を見てみたい)が、個性的で魅力的な造形なので、久城と並ぶと漫画のキャラみたいに見えてくる。
その迫力に負けて脇に追いやられているのは、俺と南田だ。
南田もよく見れば端正で、化粧映えするタイプの女顔だが、すっぴんだと逆井や久城の華やかさに負けてしまう。
俺はもちろん言わずもがな。
そんな俺らはさしずめ、モブ①とモブ②と言ったところか。
「あ、ああ……騒がしくしてすまな——」
「オイ、勝手なことぬかしてんじゃねえよ! 逆井ィ!」
だが、早々にモブ①に裏切られる。
食堂で俺たちが騒がしくしていたのは事実なので、それについては謝ろうとしたのだが、南田のヤジに遮られてしまった。
南田が平成のヤンキー気質を受け継いだ令和の男だったことをすっかり忘れていた。
「南田、俺たちが騒がしかったのは事実で——」
「だったらそれだけ言えばいいだろうが! 誰が猿だって?」
「……まあ、それはそうだが」
憤慨する南田の前に言い返す言葉が尽きてしまった。
確かに俺たちがうるさくしているなら、それだけを注意すればいい話で、サーカスの猿と揶揄する必要はない。
……そもそもサーカスの猿ってなんなんだ?
猿山なら見たことがあるが、何が違うのだろう。
サーカス観客未経験の俺は怒りの前に困惑が来る。
だが、プライドが高い役者たち——久城と南田の気には触ったようだから、それなりに酷い罵倒なのかもしれない。
なるほど、罵倒された対象の立場によって感じ方が異なる罵倒語か、興味深い。
そんなふうに俺が勝手に考えを深めていると急に矛先がこちらへ向けられた。
「ああ、神野氏。わざわざ謝罪してくれるなんて素晴らしく殊勝ではありませんか。しかし、その振る舞いも久城氏や南田氏に好かれるためのパフォーマンスだと思うとがっかりですねぇ」
「……なに?」
突然の悪意に俺の顔も強張る。
南田は目を見開いたまま固まっていたし、久城にいたっては般若のような表情を浮かべていて、怖すぎる。
それでも逆井は怯まない。
「媚びをを売るのがお上手なんでしょう、神野氏ぃ? お陰で大した実績もないのに久城氏の相手役に抜擢され、脚本も選ばれた——毎度のように神野氏が書いた脚本が選ばれるなら、オープンコンペとはなんだったのでしょうねぇ〜?」
「それは……」
正直、痛いところを突かれたと思った。
部外にも広く募っておいて、蓋を開けてみればいつも部内で脚本を書いている俺が選ばれたら、応募した奴らにとっては面白くない。
出来レースを疑うのも当然のことだ。
さらに、久城はすでにオーディションで決まっていた役者を降ろして、俺を相手役に指名し直した。
俺が嫌がっているという事実は関係なく、俺へのあきらかな依怙贔屓に見える。
そして何より——。
「しかも神野氏が書かれた脚本を拝読してみれば、どれも主役は久城氏への当て書き。そりゃあ選ばれるに決まっています」
「——ッ!」
俺は何も言い返せなかった。
だってそれも事実だったから。
当て書きとは、あらかじめ演じる役者を想定してから(当ててから)脚本を書くことだ。
俺が書いている脚本において主役は久城への当て書き——久城が演じることを想定している。
つまり久城が主演であることを前提で書いた。
俺なりの考えがあってそうしているが、久城に媚びを売っていると言われてしまえば否定は出来ない。
「……そうだな、それは——」
それでも意図を説明するべきかと俺は口を開いた。
だが、逆井が早口で言葉を滑り込ませてくる。
「ほら、本人も認めております! 最初から神野氏が選ばれるのが決まっていたのだとしたらワタシたちが書いたものはいったいなんだったのでしょう? 演劇部は、参加者の期待を裏切り、労力を奪ったことに対して正式な謝罪と、選考のやり直しを——」
鬼の首を獲ったかのように興奮する逆井。
それを俺は苦々しい顔で聞いているしかなかった——が。
「——逆井宗一郎」
ただ、久城が逆井の名前を呼んだ。
それだけでその場の温度が数度下がった。
逆井は、こめかみをぴくりと震わせる。
「なんでしょうか、久城氏? ワタシの話はまだ途中で……」
再び口を開こうとした逆井を久城が堂々と遮った。
「ああ、聞かせてもらったよ。コンペで自分の脚本が選ばれると信じていたのに、それが思い上がりだと突きつけられて傷付き、神野を逆恨みをしているという話だったかな?」
「は、はぁ……?」
とんでもない要約に、あれほど弁舌に長けた逆井ですら言葉を失う。
「何を言って——」
「すまない、僕は君のように回りくどく話すのは苦手でね。結論を急いでしまった。しかし、君との会話には生産性がないから早く話を終わらせた方がお互いのためだろう?」
久城は柔らかく微笑むが、目だけは笑っていない。
逆井はまるで魚のように口をパクパクさせていた。
久城の毒々しい態度に圧倒されて何も言えない。
俺の隣では南田が「あーあ、始まっちまった……」と全てを諦めた目で遠くを見ていた。
そんな周りの反応を久城は気にすることもない。
優雅に胸の前で腕を組んだ。
「さて——本来ならば落選者にわざわざ説明する必要はないのだが、負け犬の遠吠えが騒がしいので教えてあげよう」
「なっ! ま、負け犬とは、失礼な……」
「おや、僕らがサーカスの猿なら、君は負け犬だろう?」
久城は目を伏せて、クククッ……と喉を鳴らした。
その笑顔はゾッとするほど美しく、恐ろしい。
ゆっくり瞼を開くと青く冷たい瞳で逆井を射抜く。
「まず、今回の脚本コンペについて不正は一切ない」
「は……」
「選考は匿名投票制。応募された脚本も作者名未公開での審査が実施された。僕も含めて投票に参加した部員全員がどの脚本を誰が書いたのか、最終決定まで把握していなかった」
その説明に逆井と俺が同時に目を見開いた。
詳しい選考方法については俺も聞かされていない。
誰がどの脚本に投票したか分からない匿名投票制。
作者も明かされないまま脚本の内容だけでの勝負。
そんな厳正に行われているとは知らなかった。
「嘘だ……!」
逆井がまるでサスペンスドラマで追い詰められた犯人のように苦しげな声を絞り出した。
しかし、久城は名探偵役のように冷静に言い返す。
「嘘じゃない。顧問に確認すれば分かることだ」
今すぐ聞きに行こうか、と久城は自信に満ちた声で問うた。
間違いなく本当のことなのだろう。
「いいや……行かなくていい……」
逆井がたじろぐように二、三歩後ずさる。
大袈裟な動きが好きなやつだ。
たぶん、俺よりも役者に向いている。
「せ、選考に公平を期したのは理解しました。それでも久城氏が選考に深く関わったのは変わりませんでしょう?」
逆井は冷や汗をかきながらも必死に久城に反論しようとした。
要するに選考方法に公平性を持たせたところで、久城の権力で俺の脚本が選出されたのではないかと疑っているのだ。
当然の疑念だが、これについても久城は毅然として答える。
「確かに俺は演出として最終選考に参加し、他の部員と同じく望ましいと思った脚本に一票を投じた。しかし、それ以外の選考には参加していない」
「なぜ……?」
俺も逆井と同じく疑問に思った。
演出ならばどうして脚本選考に最初から参加しなかったのか。
久城は一瞬だけ視線を逸らして声を詰まらせかけたが、すぐに姿勢を正した。
そして、薄い唇を開く。
「——俺も匿名で脚本を提出していたからだ」
沈黙。
しばらくの後に、爆発。
「はぁ!?」
「えっ!?」
「マジ!?」
意外過ぎる答えに三者三様のリアクションがある。
俺や逆井だけではなく、南田まで驚いている。
本当に部員には知らされていなかったらしい。
まさか久城が脚本コンペに参加してたなんて。
久城は渋い顔をしながらも頷いた。
「本当だ。最終選考には残らなかったけれどね」
だから最終選考から投票に参加したのか。
この上なく、公平な振る舞いだと俺は思う。
同時にこのコンペに不正がなかったことへの何よりの証明にもなる。
久城が好きに脚本を選ぶつもりだったなら、コンペなど開かずに部員の意見を無視して久城が書いた脚本を選んだだろう。
しかし久城は不正を行うどころか、自らコンペに参加した。
そして自分が書いた脚本が選考に残っているうちは投票に参加せず、自分の脚本が選考に落ちてから改めて投票に参加し直したのだ。
公平過ぎるくらいに公平だ。
それをここで明かした久城にも拍手を送りたい。
こっそり自作した脚本をコンペに忍び込ませておいて落選したなんて、天才として持て囃されてきた久城にとってはどれほどの屈辱だろうか。
その事実を俺たちに明かすのも悔しいはずだ。
それでも部員を守るために行動した久城の勇気は素晴らしい。
このことについて語る久城の顔が少しばかり引き攣っているように見えるのは、久城もまだ十八歳の若人だからだろう。
同じ状況に立たされたら俺だってきつい。
きっとあんなふうに堂々と立ってはいられない。
それでも久城の背筋はピンと伸びたまま丸まることはない。
……やはり久城はすごいやつだ。
「そ、そんなわけが……!」
「事実だ。これに関しても顧問に確認してもらっていい」
「くぅ……!!」
久城に見つめ返された逆井が呻き声を漏らす。
これで逆井の主張が的外れであると証明された。
まさしく万事休すと言ったところだろう。
しかし、逆井宗一郎という男は往生際が悪い。
「け、けれど……神野氏の脚本で、久城氏への当て書きが行われていたのは事実で……」
「ああ、そうだな」
苦し紛れに指摘した逆井を久城はあっさり肯定した。
「神野の脚本では、当て書きが行われている。今回の主役のオリヴァーもまた久城蒼への当て書きであることは認められる」
「で、では——」
「——しかし、それがなぜ問題なんだ?」
逆井が石のように固まった。
「え……?」
そんな情けない声を久城は鼻で笑う。
「コンペで募集したのは、最終公演——つまりは三年生にとっては卒業公演を兼ねている。キャストは三年生が中心に選ばれる。それは贔屓ではなく、当然の配慮だ。そして主役もオーディションによって選ばれることが決まっていた。しかも、こちらも投票制」
「うぐっ……」
逆井が顔を顰めた。
これはコンペの応募要項にも記載されていた。
最終公演は、俺たち三年生にとっては卒業公演。
メインキャストも基本的には三年生で固める。
そして主演は部内での公開オーディションの投票で決まる。
それを知らないなら単なる確認不足か、忘れていたのだろう。
久城もその隙に気付いてニヤリと笑う。
「三年生がメインキャストを演じる予定と分かっているなら当て書きも許容範囲だろう」
「け、けれども神野氏は脚本としてオーディションにも関わっているのでありましょう!? 職権濫用の可能性が——」
それでもしつこく食い下がってくる逆井。
久城はそれすらも一蹴した。
「確かに脚本として神野もオーディションに立ち会ったが、彼は審査に口を出すことはできない」
その説明に俺は無言でウンウンと頷く。
「うちの部では、脚本と演出の意見が対立することを避けるために、脚本担当にはキャスティングの権限は与えられない」
その答えに逆井は目を丸くした。
他の学校ではどうか知らない。
でも少なくともうちではそうだ。
というのも俺が入部する前までは脚本と演出の間で何度かキャスティングについて意見が食い違い、オーディションを進めるのが大変だったらしい。
脚本担当がキャスティングに関わることは多い。
ただし、俺は違った。
脚本を書いているうちにだいたい誰が選ばれるか分かるので、わざわざ審査に加わる必要がない。
また俺の予想を裏切るようなキャスティングでもそれはそれでどんな舞台になるのか楽しみにしている。
そのため俺が脚本を担当するようになってからはキャスティングの権限は返上している。
つまりは共同演出などの他の役割を追加で引き受けない限り、うちの部では脚本担当者がオーディション審査に直接的に関わる権限はないということだ。
そして今回の公演で俺は脚本だけ引き受けていた。
演出は久城で、舞台監督は南田だ。
職権濫用どころか、俺には職権が存在しないのだ。
「神野が俺の相手役に選び直されたことも問題ない」
逆井が黙り込んでいるうちに、久城は畳み掛ける。
「俺の相手役であるオースティンは、主役のオリヴァーが登場するシーンのほとんどに出てくる。つまり、主演の立ち稽古を円滑に進めるためにも、台詞の暗記は必須。オーディションでは、これをオースティン役の条件にしていた。しかし、オースティン役に選ばれたはずの役者は、その条件を満たせなかった。役を降ろされるのも当然であるし、逆に条件を満たしている神野が選出し直されたことも不自然なことではない」
……うむ、立て板に水のごとし見事な主張である。
実は、キャストが決定してからも役者の練習態度や演技力不足によって役を降ろされることはある。
オーディション後は公平性よりも舞台を成功させることや演劇の質を上げることが重要視されるからだ。
演劇は、いわゆるチームプレイ。
チームメイトの足を引っ張れば、サッカーやバスケなどのスポーツと同じようにレギュラーの交代があると言ったら分かりやすいだろうか。
今回はオースティンがその対象だった。
オースティンは、いわゆる準主役である。
今回の脚本で描かれているのは『死者の国へ恋人を迎えにいく二人の男』だ。
その二人の男こそ、オリヴァーとオースティンだ。
それぞれが亡くした恋人を迎えにいくために協力して死者の国に向かうというストーリー。
オースティンの出番の多くがオリヴァーの出番と被っているので、稽古でもオースティン役はオリヴァー役の久城と一緒に練習することになる。
そんなオースティン役の条件が台詞の早期暗記である。
オリヴァー役の稽古を始めるには、オースティン役もまた台詞を覚えていなければならない。
だから久城はオースティン役の条件に稽古開始から一週間以内に台詞をすべて暗記することを求め、合格したキャストもそれに同意した。
だが実際には暗記出来なかったので役を降ろされた。
代わりにキャスティングされたのが俺である。
理由は、台詞をすべて暗記しているから。
……当然だ。
その脚本を書いたのが俺なんだから。
さて、説明が長くなってしまった。
要するに脚本である俺がオースティン役に指名されるイレギュラーはありつつも、それを含めて逆井が訴えるような不正は行われていないということだ。
「ご理解頂けたかな?」
これで、逆井の主張は完璧に崩壊した。
もうこれ以上、逆井は駒を動かせない。
投了、もしくはチェックメイト。
「逆井宗一郎」
久城は静かに文芸部の部長の名前を呼んだ。
逆井は石像のようにその場から動けない。
それを見て、久城は微笑んだ。
「——他に言い分は?」
眼鏡がずり落ちた逆井の頭上に「 LOSE」の四文字が浮かんで見えた。
