「オレだったら恥ずかしくて舞台に立てねーよ!」
舞台袖は、喧騒に包まれていた。
いつもならホールで響く声もここでは通らない。
しばらくの沈黙の後、返ってきたのは無駄な大声。
「えぇ!? なんて??」
「もういい! さっさと片付けるぞ!」
南田はそう吐き捨てると舞台監督としてさっさと指示を出す。
「大道具は全部出せ! 小道具は適当にまとめろ!」
ドレスの裾を思い切り引き上げながら舞台袖を歩き回る南田の様子はなかなかに滑稽だ。
でも余計なことは言わないでおいた。
これ以上、名脇役を怒らせるわけにはいかない。
何せ、俺たちが色々と無茶を求めたのだから。
「——神野!」
部員たちがごった返す中でもその声はまっすぐ俺に届いた。
「久城!」
華やかな舞台衣装を着た久城が駆けてくる。
俺も似たような衣装を着ているが雰囲気は異なる。
久城が濃い青なのに対して俺は鮮やかな橙色だ。
衣装担当は、「深夜と朝焼けの対比を——」と言っていたが、おそらく俺がパッとしない顔だからこの色にしたんだろう。
でもお陰で久城の隣にいても見劣りしない。
「ほら、早くこっち!」
「どうした? カーテンコールは終わったよな?」
俺の腕を引いて舞台袖から連れ出そうとする久城に戸惑う。
すると久城はホールの出入り口を示した。
「メインキャストは観客をお見送りするんだよ」
「ああ……なんか見たことあるような……」
「やったことなかった?」
「新人公演では端役だったからな……」
苦笑いする俺を連れて久城はホールの裏の階段から出入り口に向かう。
そこにはたくさんの観客たちがいた。
そのうちのひとりが俺に気付く。
「あ、オースティンだ!」
「オリヴァーもいる!」
それを皮切りに客が一斉にこちらへ振り向く。
視線の数にたじろぎそうになる。
しかし、静かに腰に添えられた手に気付いた。
ふと隣を見れば久城が微笑んでいる。
「さあ、行こうか——オースティン」
主役に声を掛けられ、俺も頷く。
「ああ、オリヴァー」
そして、共に観客たちの前へと踏み出した。
——最終公演は、大成功だった。
満員御礼——とはいかずとも、後輩たちが作ってくれたポスターやチラシのお陰で、部員の身内や知り合い以外にもそこそこ客も入った。
意外なことに逆井宗一郎も見に来てくれていた。
実際にその姿は確認できなかったが、公演後のアンケートに凄まじく細かい字で嫌味ったらしい感想を書いているやつがいた。
確実に逆井宗一郎である。
それ以外にいない。
そこには、『最後の山場で元の台本と大きく異なるやりとりがあり、それが陳腐ながらも非常に愉快で、連れとも一緒に楽しめた』と珍しく褒め言葉が綴られていた。
流石は、文芸部の部長。
俺の台本を読み込んでから観に来てくれたようだ。
そんな逆井が褒めてくれたやりとりは、なんと公演直前に追加したシーンである。
きっかけは練習で久城が違和感を持った部分だ。
度重なる裏切りのせいで失意に沈んだオリヴァーが死者の国に留まろうとするが、それをオースティンが説得する。
『二度も裏切られた。三度目がないと言えるのか?』
『キミが恐れるのもわかる。でも信じてくれ!』
オースティンは必死に訴えかける、
しかし、オリヴァーは後ずさる。
『どうやってお前を信じればいいんだ……』
オリヴァーの切なげな声が響く。
この直後にオースティンが言葉をかけて、オリヴァーはそれをすぐに信じるという展開だった。
二人の信頼と絆を示すシーンとして俺はこの場面を書いたつもりだった。
しかし、観客からすればどこか無理がある。
そんな久城からの指摘に俺も考えさせられた。
『確かにきっかけがあった方が分かりやすいな……』
『それにせっかくの山場がすぐに終わってしまうのも面白くないような気がしてね』
『うん、もうちょっと派手な展開が欲しいところだ』
そうして久城と話し合った結果、そこにアドリブを入れることにした。
『ここまでずっとそばにいたじゃないか』
『……オースティン』
『キミは僕を救ってくれた。今度は僕がキミを救う番だ』
オースティンがオリヴァーに手を差し伸べる。
『共に生きよう、オリヴァー』
——その手をオリヴァーが叩き落とす。
『何が共に生きようだ! 馬鹿にしやがって!』
『オリヴァー!?』
立ち上がったオリヴァーがオースティンを睨む。
『お前はいいよな。恋人が死んでたんだから!』
『なんだと!? 生きてた方がいいに決まってる!』
負けじと言い返すオースティン。
しかし、オリヴァーも止まらない。
『他の奴と結婚していてもか?』
『キミが振られたんだから仕方がないだろう』
うっかりオースティンがキツい一言を浴びせる。
それをきっかけにふたりは抱えていた不満をぶつけ合う。
ここから先がアドリブだ。
『振られただと!? この俺が!?』
『そういう傲慢さがダメだったんじゃないか?』
立ち上がって向かい合うふたり。
勢いに任せて腰に帯びた剣を抜く。
『それ言うならお前だって変わらないだろう!』
『どこがだ! 少なくともキミよりはマシだね!』
オリヴァーが一閃。
オースティンが避ける。
『誰のせいでカロンに見つかったと思ってるんだ!』
『キミが他人の席に勝手に座るからだろう!?』
オリヴァーがターンして追いかける。
オースティンも逆回りに逃げる。
『あれが知恵というものだよ、愚か者が!』
『他の乗客が困っていたのにモラルはないのか!』
オリヴァーの手がオースティンに伸びる。
オースティンはしゃがみ込んで回避する。
『死人に会いに行くのにモラルなんてあるか!』
『墓参りと同じく死者に敬意を払え!』
オリヴァーの足が蹴り上がる。
オースティンは飛び退いてから体勢を立て直す。
『死んだ恋人に会いに行くのが墓参りか!?』
『言葉の綾だ! いちいち面倒なやつだな!』
オースティンが全力疾走で岩陰逃げ込もうとする。
それを読んでいたオリヴァーに回り込まれる。
『面倒ってなんだ! お前のほうが面倒だろう!?』
『少なくとも僕の方がお前よりもマシだ!』
大股で俺に向かって詰め寄ってくるオリヴァー
思わず後ろ歩きで後ずさっていくオースティン。
『俺がいなければここまで来れなかったくせに!』
『それはキミだって同じだろうが!!』
そして、ふたりがホールの上で、睨み合う。
上手——つまりは右側には、オースティン。
下手——つまりは左側には、オリヴァー。
お互いに向かい合って間合いを計る。
その手には剣が握り締められている。
沈黙。沈黙。沈黙。
その探り合いの末、動いたのは——。
『——アンタたち、いい加減にしなさいよッ!!』
ふたりの間から生えるようにひとりの女が現れる。
オースティンの亡き恋人——マーガレットだ。
『死者の王がアンタたちを探し回っているのに喧嘩してる場合!?』
彼女は男たちが言い争う姿に見かねて、仲裁する。
『それとも二人で死者の国に閉じ込められて、永遠に岩を運ぶ仕事でもしたいの!?』
その台詞にオリヴァーとオースティンは思わず顔を見合わせる。
『岩を運ぶ仕事……?』
『死者の国にも仕事があるのか?』
『そりゃあるだろう……国だし?』
『俺たちは死んでから労働するのか?』
混乱する男たちにマーガレットは呆れ返る。
『二人とも教養がないのは分かった! いいから行くわよ!』
そして最初こそオースティンと生きるためにオリヴァーを犠牲にしようとしていたマーガレットは、最終的には二人を現世まで道案内してくれる。
まさしくこの物語には欠かせない名脇役だ。
そんなマーガレットを演じるのは、この男——。
「なんだこのシーンは! オレは聞いてねえぞ!!」
——南田絢斗である。
ちなみにこれは公演二週間前にアドリブのシーンを入れると言った直後の反応である。
「アドリブってバッカじゃねえの!?」
俺たちが言い争うからいい感じのタイミングで出てきてくれと頼んだのだが、もちろん怒られた。
「南田のアドリブはないし、負担も少ないと——」
「負担だよ! いい感じってなんだよ!」
「僕らの間に入るだけじゃないか。お得意だろう?」
「好きで間に入ってるわけじゃねーわ! クソが!」
南田は思いつく限りの汚い言葉でひと通り俺たちを罵った後に、快諾してくれた。
そしてアドリブシーンも——大成功。
逆井のようにアドリブでのやりとりを気に入ってくれたお客さんも多かったようで、アンケートにはそのシーンの感想も多く寄せられていた。
自分の役の名前が書かれているのは新鮮だった。
同時にとても誇らしい気持ちになる。
やっと新人公演で失敗した自分があの舞台から降りられたような心地がした。
ちなみにアドリブはこのシーンだけではない。
久城が無理やり捩じ込んだものもある。
それは最後の最後。
無事に現世に戻った場面である。
『ようやく、戻ってこれたんだな……』
死者への未練を断ち切って、生者の世界で生きていくことを決めたふたり。
この旅を通じて絆を育んだ彼らは、今後の人生でも協力し合うことを誓う。
『改めて俺からも言わせてくれ、オースティン。俺と共に生きてくれないか』
そんなオリヴァーに、オースティンは迷わず頷く。
『ああ、もちろんだ。オリヴァー、我が生涯の友よ』
そして朝日を模した照明の下でふたりは抱き合う。
そんなエンディングだったのだが——。
『——いいや、お前はそれ以上の存在だ』
そこへ久城がいきなりアドリブを捩じ込んできた。
しかも抱き合うこと以上の身体的接触を伴って。
俺は驚いて固まってしまった。
だが、演技としては問題はなかった。
俺は久城を受け入れればいいだけだったから。
「……マーガレットにも見せつけようか?」
「頼むからこういうときは黙っててくれ」
凄まじい歓声の中、二人は緞帳の向こうに消えた。
このアドリブは意外にも絶賛された。
観客には、本気で涙した者もいたらしい。
その一方で、呆れ返った者もいる。
それが、南田である。
このアドリブに対する南田の感想は冒頭の通り。
しかし、まだ言い足りないらしい。
「——お前らマジで馬鹿なの?」
南田はモップを片手に俺たちを見下ろす。
観客が一人もいなくなったホール。
残っているのは、主演と脚本と舞台監督だけだ。
「馬鹿とはなんだ、馬鹿とは」
久城は床から剥がしたばかりの養生テープを俺の手の甲に勝手に貼り付ける。
これはバミリと呼ばれる舞台の立ち位置や大道具の配置場所を示す目印だ。
学校側の許可を得て貼っていたものだが、公演が無事に終わったので全て剥がし、モップや雑巾がけで掃除をしている。
こういう後片付けも含めて演劇だと俺は思う。
家に帰るまでが遠足だと言うみたいに。
「くっ付いた途端に馬鹿なアドリブしやがって」
南田はやる気なくモップの軸に寄りかかりながら鼻を鳴らす。
久城のアドリブについては俺からは何も言えない。
熱心に雑巾掛けする俺の代わりに返事をするのは、久城だ。
「いいだろう、最終公演だ。僕の舞台じゃないか?」
「オレらの舞台な? オマエだけじゃねーから!」
「僕が演出で主演なんだから僕の舞台だろう?」
「じゃあ脚本の神野の舞台でもあるだろうが!」
「なら僕と神野の舞台。これでいいかな?」
「いいわけねえだろ! どんだけオマエらがオレに苦労かけたと思ってんだ!」
相変わらず南田と久城の言い争いは絶えない。
だが、別に俺が複雑な気持ちになることはない。
南田がどれほど俺たちの仲を取り持ってくれていたか、知っているからだろう。
南田には本当に頭が上がらない。
「ありがとう、南田」
「おお!? 急になんだよ……!」
改めて礼を述べれば急過ぎたのか驚かれた。
そのリアクションに俺も照れてしまう。
「いや、本当に苦労をかけたなと思って……」
「ああ……まあな?」
「気にするな、神野。コイツは俺たちみたいな天才を世話するのが趣味みたいなもんなんだ」
「趣味じゃねーよ! それこそ悪趣味過ぎんだろ!」
久城の無茶苦茶な言い分に南田が突っ込む。
そんないつもの光景に気持ちが和らぐ。
それと同時に、これだけ世話になった南田にはきちんと報告しなければと思った。
俺は立ち上がって久城の隣に並んだ。
背筋を正して久城と共に南田と向き合う。
「南田。もう気付いていると思うが、お前には言っておかなくてはいけないことがあって——」
南田も意図を察し、モップに寄りかかるのをやめる。
「あー、うん。そういうのいらねえよ?」
「いや、ここはきちんと言わせてほしい」
「あの、マジでいらねえよ?」
「俺と久城は——」
「だから聞けよ! オレの話を!」
しかし、最後まで言い終える前にモップの先を顔へ突きつけて遮られてしまった。
埃だらけのモップに後ずさると久城が前に出る。
「おい、その汚いものを俺の神野の顔に近付けるな」
「彼氏面かよって思ったけど、いつもと変わんねえ」
「そうか、久城は俺の彼氏か……え、俺は?」
「お前も僕の彼氏だろう」
「なるほど、彼氏と彼氏か……」
「その確認はオレの前でやる必要あったか?」
俺たちが照れながらもお互いを見つめ合う南田がまた溜息を吐く。
今日の南田は何度も溜息を吐く。
まるで溜息製造機だ。
せっかくの幸せが逃げていきそうだから俺たちがお裾分けしなくては。
「オマエらが付き合ったのはもう分かったから」
ようやくモップの先を下ろした南田が、再びモップの軸に寄りかかる。
「そうか、じゃあ言うことがあるよね?」
「え、お祝儀でも要求されんの!?」
恐れ慄く南田を久城が鼻で笑った
「言葉で祝えと言っているんだ、このボンボンが」
「誰がボンボンだ」
「じゃあ、プレミアムリッチ凡人?」
「その特別感溢れる呼び方はやめろっつってんだろ!」
久城が差し出した手を南田は思い切り叩く。
ふたりの仲に嫉妬することはないが、こうやって戯れ合うのは俺も嫌いじゃない。
俺もそれに混ざりたくて手を出したら、何故かそっと久城に手を重ねられた。
いや、お前じゃなくて南田……と思ったが、その南田が久城の肩越しに余計なことは言うなという顔で首を横に振っていたので、俺は甘んじて久城の手を受け入れることにする。
南田の言うことはいつも正しい。
そして久城の手は俺よりも少しだけ大きかった。
「……これが天才の手か」
俺が呟くと久城が笑った。
「お前の手もそうだろう?」
妙に嬉しそうに久城が言う。
俺が握り返せば、もっと嬉しそうに微笑む。
「ふふ、やっと捕まえたね」
そうして青い瞳を輝かせている久城を俺はいつまでも見ていたいと思った。
「——あの、オレがいるの分かってるよな?」
そんな俺たちに南田が容赦無く突っ込む。
それに俺は苦笑し、久城は舌打ちをする。
「お前はさっさと祝福しろ」
「アー、オメデトウゴザイマス」
「心がこもってないな、それでも役者か?」
「うるせ〜! 変な夢見て泣いてたやつがよぉ!」
「殺すぞ」
「恩人に殺意を向けんじゃねえ」
空いている方の手で中指を立てる久城に、両手で親指を下に向ける南田。
ガキのようなやりとりに俺も笑ってしまう一方で、恩人という言葉には頷く。
そういえば、南田は言っていた。
『お前が思ってる以上に、アイツはお前のことが好きだぜ?』
あの時は、その言葉を素直に信じられなかった。
でも今なら分かる。
俺が思っている以上に、久城は俺のことが好きで——その逆も然りだと。
最初から南田の言葉を信じておけばよかったのかもしれない。
そう考えると南田への恩は返し切れないだろう。
感謝と謝罪をいくら重ねても間に合わない。
それでも言わないよりは言ったほうがいい。
俺は再び礼を繰り返すために口を開きかける。
「南田、お前には心からの感謝を——」
「でもまあ、よく三年も両片思い拗らせてたよなぁ」
それを南田の呆れた声が遮った。
「は?」
「え?」
俺と久城の顔が引き攣る。
しかし、南田は気付いていない。
「お互いに初対面で一目惚れしてんのに全然気付かねえし」
それどころか、憐れむような視線を向けた。
「オマエらがロミオとジュリエットだったら喜劇も悲劇も始まんねえわ」
南田は、笑いながら俺たちに言い放つ。
「——最初から最後までずっと両思いだもんな」
まるで誰もが知っている真実のように。
その瞬間、俺たちの世界がひっくり返った。
頭上に無数に走る、真っ黒なライトの骨組み。
舞台袖に張り付いた深紅の袖幕。
足元に広がる木目はベージュ。
窓からは傾きかけた夕陽のオレンジ。
南田が持っているモップは、霞んだイエロー。
俺のパーカーは、地味なグレー。
久城の瞳は、鮮やかな蒼。
初めて見た時、こんなに綺麗な男がいるのかと衝撃を受けた。
そして、その瞳の中に映りたいと願った。
——いや、まさか。
そんなわけがない。
そんなはずがないんだ。
「俺ってずっと久城のことが好きだったのか!?」
「僕ってずっと神野のことが好きだったのか!?」
神野洸太と久城蒼が叫ぶ。
南田絢斗は大きく目を見開いた。
「知らなかったのかよ!?」
神野洸太は久城蒼が好きだ。
久城蒼は神野洸太が好きだ。
それを南田絢斗は三年前から知っていた。
舞台袖は、喧騒に包まれていた。
いつもならホールで響く声もここでは通らない。
しばらくの沈黙の後、返ってきたのは無駄な大声。
「えぇ!? なんて??」
「もういい! さっさと片付けるぞ!」
南田はそう吐き捨てると舞台監督としてさっさと指示を出す。
「大道具は全部出せ! 小道具は適当にまとめろ!」
ドレスの裾を思い切り引き上げながら舞台袖を歩き回る南田の様子はなかなかに滑稽だ。
でも余計なことは言わないでおいた。
これ以上、名脇役を怒らせるわけにはいかない。
何せ、俺たちが色々と無茶を求めたのだから。
「——神野!」
部員たちがごった返す中でもその声はまっすぐ俺に届いた。
「久城!」
華やかな舞台衣装を着た久城が駆けてくる。
俺も似たような衣装を着ているが雰囲気は異なる。
久城が濃い青なのに対して俺は鮮やかな橙色だ。
衣装担当は、「深夜と朝焼けの対比を——」と言っていたが、おそらく俺がパッとしない顔だからこの色にしたんだろう。
でもお陰で久城の隣にいても見劣りしない。
「ほら、早くこっち!」
「どうした? カーテンコールは終わったよな?」
俺の腕を引いて舞台袖から連れ出そうとする久城に戸惑う。
すると久城はホールの出入り口を示した。
「メインキャストは観客をお見送りするんだよ」
「ああ……なんか見たことあるような……」
「やったことなかった?」
「新人公演では端役だったからな……」
苦笑いする俺を連れて久城はホールの裏の階段から出入り口に向かう。
そこにはたくさんの観客たちがいた。
そのうちのひとりが俺に気付く。
「あ、オースティンだ!」
「オリヴァーもいる!」
それを皮切りに客が一斉にこちらへ振り向く。
視線の数にたじろぎそうになる。
しかし、静かに腰に添えられた手に気付いた。
ふと隣を見れば久城が微笑んでいる。
「さあ、行こうか——オースティン」
主役に声を掛けられ、俺も頷く。
「ああ、オリヴァー」
そして、共に観客たちの前へと踏み出した。
——最終公演は、大成功だった。
満員御礼——とはいかずとも、後輩たちが作ってくれたポスターやチラシのお陰で、部員の身内や知り合い以外にもそこそこ客も入った。
意外なことに逆井宗一郎も見に来てくれていた。
実際にその姿は確認できなかったが、公演後のアンケートに凄まじく細かい字で嫌味ったらしい感想を書いているやつがいた。
確実に逆井宗一郎である。
それ以外にいない。
そこには、『最後の山場で元の台本と大きく異なるやりとりがあり、それが陳腐ながらも非常に愉快で、連れとも一緒に楽しめた』と珍しく褒め言葉が綴られていた。
流石は、文芸部の部長。
俺の台本を読み込んでから観に来てくれたようだ。
そんな逆井が褒めてくれたやりとりは、なんと公演直前に追加したシーンである。
きっかけは練習で久城が違和感を持った部分だ。
度重なる裏切りのせいで失意に沈んだオリヴァーが死者の国に留まろうとするが、それをオースティンが説得する。
『二度も裏切られた。三度目がないと言えるのか?』
『キミが恐れるのもわかる。でも信じてくれ!』
オースティンは必死に訴えかける、
しかし、オリヴァーは後ずさる。
『どうやってお前を信じればいいんだ……』
オリヴァーの切なげな声が響く。
この直後にオースティンが言葉をかけて、オリヴァーはそれをすぐに信じるという展開だった。
二人の信頼と絆を示すシーンとして俺はこの場面を書いたつもりだった。
しかし、観客からすればどこか無理がある。
そんな久城からの指摘に俺も考えさせられた。
『確かにきっかけがあった方が分かりやすいな……』
『それにせっかくの山場がすぐに終わってしまうのも面白くないような気がしてね』
『うん、もうちょっと派手な展開が欲しいところだ』
そうして久城と話し合った結果、そこにアドリブを入れることにした。
『ここまでずっとそばにいたじゃないか』
『……オースティン』
『キミは僕を救ってくれた。今度は僕がキミを救う番だ』
オースティンがオリヴァーに手を差し伸べる。
『共に生きよう、オリヴァー』
——その手をオリヴァーが叩き落とす。
『何が共に生きようだ! 馬鹿にしやがって!』
『オリヴァー!?』
立ち上がったオリヴァーがオースティンを睨む。
『お前はいいよな。恋人が死んでたんだから!』
『なんだと!? 生きてた方がいいに決まってる!』
負けじと言い返すオースティン。
しかし、オリヴァーも止まらない。
『他の奴と結婚していてもか?』
『キミが振られたんだから仕方がないだろう』
うっかりオースティンがキツい一言を浴びせる。
それをきっかけにふたりは抱えていた不満をぶつけ合う。
ここから先がアドリブだ。
『振られただと!? この俺が!?』
『そういう傲慢さがダメだったんじゃないか?』
立ち上がって向かい合うふたり。
勢いに任せて腰に帯びた剣を抜く。
『それ言うならお前だって変わらないだろう!』
『どこがだ! 少なくともキミよりはマシだね!』
オリヴァーが一閃。
オースティンが避ける。
『誰のせいでカロンに見つかったと思ってるんだ!』
『キミが他人の席に勝手に座るからだろう!?』
オリヴァーがターンして追いかける。
オースティンも逆回りに逃げる。
『あれが知恵というものだよ、愚か者が!』
『他の乗客が困っていたのにモラルはないのか!』
オリヴァーの手がオースティンに伸びる。
オースティンはしゃがみ込んで回避する。
『死人に会いに行くのにモラルなんてあるか!』
『墓参りと同じく死者に敬意を払え!』
オリヴァーの足が蹴り上がる。
オースティンは飛び退いてから体勢を立て直す。
『死んだ恋人に会いに行くのが墓参りか!?』
『言葉の綾だ! いちいち面倒なやつだな!』
オースティンが全力疾走で岩陰逃げ込もうとする。
それを読んでいたオリヴァーに回り込まれる。
『面倒ってなんだ! お前のほうが面倒だろう!?』
『少なくとも僕の方がお前よりもマシだ!』
大股で俺に向かって詰め寄ってくるオリヴァー
思わず後ろ歩きで後ずさっていくオースティン。
『俺がいなければここまで来れなかったくせに!』
『それはキミだって同じだろうが!!』
そして、ふたりがホールの上で、睨み合う。
上手——つまりは右側には、オースティン。
下手——つまりは左側には、オリヴァー。
お互いに向かい合って間合いを計る。
その手には剣が握り締められている。
沈黙。沈黙。沈黙。
その探り合いの末、動いたのは——。
『——アンタたち、いい加減にしなさいよッ!!』
ふたりの間から生えるようにひとりの女が現れる。
オースティンの亡き恋人——マーガレットだ。
『死者の王がアンタたちを探し回っているのに喧嘩してる場合!?』
彼女は男たちが言い争う姿に見かねて、仲裁する。
『それとも二人で死者の国に閉じ込められて、永遠に岩を運ぶ仕事でもしたいの!?』
その台詞にオリヴァーとオースティンは思わず顔を見合わせる。
『岩を運ぶ仕事……?』
『死者の国にも仕事があるのか?』
『そりゃあるだろう……国だし?』
『俺たちは死んでから労働するのか?』
混乱する男たちにマーガレットは呆れ返る。
『二人とも教養がないのは分かった! いいから行くわよ!』
そして最初こそオースティンと生きるためにオリヴァーを犠牲にしようとしていたマーガレットは、最終的には二人を現世まで道案内してくれる。
まさしくこの物語には欠かせない名脇役だ。
そんなマーガレットを演じるのは、この男——。
「なんだこのシーンは! オレは聞いてねえぞ!!」
——南田絢斗である。
ちなみにこれは公演二週間前にアドリブのシーンを入れると言った直後の反応である。
「アドリブってバッカじゃねえの!?」
俺たちが言い争うからいい感じのタイミングで出てきてくれと頼んだのだが、もちろん怒られた。
「南田のアドリブはないし、負担も少ないと——」
「負担だよ! いい感じってなんだよ!」
「僕らの間に入るだけじゃないか。お得意だろう?」
「好きで間に入ってるわけじゃねーわ! クソが!」
南田は思いつく限りの汚い言葉でひと通り俺たちを罵った後に、快諾してくれた。
そしてアドリブシーンも——大成功。
逆井のようにアドリブでのやりとりを気に入ってくれたお客さんも多かったようで、アンケートにはそのシーンの感想も多く寄せられていた。
自分の役の名前が書かれているのは新鮮だった。
同時にとても誇らしい気持ちになる。
やっと新人公演で失敗した自分があの舞台から降りられたような心地がした。
ちなみにアドリブはこのシーンだけではない。
久城が無理やり捩じ込んだものもある。
それは最後の最後。
無事に現世に戻った場面である。
『ようやく、戻ってこれたんだな……』
死者への未練を断ち切って、生者の世界で生きていくことを決めたふたり。
この旅を通じて絆を育んだ彼らは、今後の人生でも協力し合うことを誓う。
『改めて俺からも言わせてくれ、オースティン。俺と共に生きてくれないか』
そんなオリヴァーに、オースティンは迷わず頷く。
『ああ、もちろんだ。オリヴァー、我が生涯の友よ』
そして朝日を模した照明の下でふたりは抱き合う。
そんなエンディングだったのだが——。
『——いいや、お前はそれ以上の存在だ』
そこへ久城がいきなりアドリブを捩じ込んできた。
しかも抱き合うこと以上の身体的接触を伴って。
俺は驚いて固まってしまった。
だが、演技としては問題はなかった。
俺は久城を受け入れればいいだけだったから。
「……マーガレットにも見せつけようか?」
「頼むからこういうときは黙っててくれ」
凄まじい歓声の中、二人は緞帳の向こうに消えた。
このアドリブは意外にも絶賛された。
観客には、本気で涙した者もいたらしい。
その一方で、呆れ返った者もいる。
それが、南田である。
このアドリブに対する南田の感想は冒頭の通り。
しかし、まだ言い足りないらしい。
「——お前らマジで馬鹿なの?」
南田はモップを片手に俺たちを見下ろす。
観客が一人もいなくなったホール。
残っているのは、主演と脚本と舞台監督だけだ。
「馬鹿とはなんだ、馬鹿とは」
久城は床から剥がしたばかりの養生テープを俺の手の甲に勝手に貼り付ける。
これはバミリと呼ばれる舞台の立ち位置や大道具の配置場所を示す目印だ。
学校側の許可を得て貼っていたものだが、公演が無事に終わったので全て剥がし、モップや雑巾がけで掃除をしている。
こういう後片付けも含めて演劇だと俺は思う。
家に帰るまでが遠足だと言うみたいに。
「くっ付いた途端に馬鹿なアドリブしやがって」
南田はやる気なくモップの軸に寄りかかりながら鼻を鳴らす。
久城のアドリブについては俺からは何も言えない。
熱心に雑巾掛けする俺の代わりに返事をするのは、久城だ。
「いいだろう、最終公演だ。僕の舞台じゃないか?」
「オレらの舞台な? オマエだけじゃねーから!」
「僕が演出で主演なんだから僕の舞台だろう?」
「じゃあ脚本の神野の舞台でもあるだろうが!」
「なら僕と神野の舞台。これでいいかな?」
「いいわけねえだろ! どんだけオマエらがオレに苦労かけたと思ってんだ!」
相変わらず南田と久城の言い争いは絶えない。
だが、別に俺が複雑な気持ちになることはない。
南田がどれほど俺たちの仲を取り持ってくれていたか、知っているからだろう。
南田には本当に頭が上がらない。
「ありがとう、南田」
「おお!? 急になんだよ……!」
改めて礼を述べれば急過ぎたのか驚かれた。
そのリアクションに俺も照れてしまう。
「いや、本当に苦労をかけたなと思って……」
「ああ……まあな?」
「気にするな、神野。コイツは俺たちみたいな天才を世話するのが趣味みたいなもんなんだ」
「趣味じゃねーよ! それこそ悪趣味過ぎんだろ!」
久城の無茶苦茶な言い分に南田が突っ込む。
そんないつもの光景に気持ちが和らぐ。
それと同時に、これだけ世話になった南田にはきちんと報告しなければと思った。
俺は立ち上がって久城の隣に並んだ。
背筋を正して久城と共に南田と向き合う。
「南田。もう気付いていると思うが、お前には言っておかなくてはいけないことがあって——」
南田も意図を察し、モップに寄りかかるのをやめる。
「あー、うん。そういうのいらねえよ?」
「いや、ここはきちんと言わせてほしい」
「あの、マジでいらねえよ?」
「俺と久城は——」
「だから聞けよ! オレの話を!」
しかし、最後まで言い終える前にモップの先を顔へ突きつけて遮られてしまった。
埃だらけのモップに後ずさると久城が前に出る。
「おい、その汚いものを俺の神野の顔に近付けるな」
「彼氏面かよって思ったけど、いつもと変わんねえ」
「そうか、久城は俺の彼氏か……え、俺は?」
「お前も僕の彼氏だろう」
「なるほど、彼氏と彼氏か……」
「その確認はオレの前でやる必要あったか?」
俺たちが照れながらもお互いを見つめ合う南田がまた溜息を吐く。
今日の南田は何度も溜息を吐く。
まるで溜息製造機だ。
せっかくの幸せが逃げていきそうだから俺たちがお裾分けしなくては。
「オマエらが付き合ったのはもう分かったから」
ようやくモップの先を下ろした南田が、再びモップの軸に寄りかかる。
「そうか、じゃあ言うことがあるよね?」
「え、お祝儀でも要求されんの!?」
恐れ慄く南田を久城が鼻で笑った
「言葉で祝えと言っているんだ、このボンボンが」
「誰がボンボンだ」
「じゃあ、プレミアムリッチ凡人?」
「その特別感溢れる呼び方はやめろっつってんだろ!」
久城が差し出した手を南田は思い切り叩く。
ふたりの仲に嫉妬することはないが、こうやって戯れ合うのは俺も嫌いじゃない。
俺もそれに混ざりたくて手を出したら、何故かそっと久城に手を重ねられた。
いや、お前じゃなくて南田……と思ったが、その南田が久城の肩越しに余計なことは言うなという顔で首を横に振っていたので、俺は甘んじて久城の手を受け入れることにする。
南田の言うことはいつも正しい。
そして久城の手は俺よりも少しだけ大きかった。
「……これが天才の手か」
俺が呟くと久城が笑った。
「お前の手もそうだろう?」
妙に嬉しそうに久城が言う。
俺が握り返せば、もっと嬉しそうに微笑む。
「ふふ、やっと捕まえたね」
そうして青い瞳を輝かせている久城を俺はいつまでも見ていたいと思った。
「——あの、オレがいるの分かってるよな?」
そんな俺たちに南田が容赦無く突っ込む。
それに俺は苦笑し、久城は舌打ちをする。
「お前はさっさと祝福しろ」
「アー、オメデトウゴザイマス」
「心がこもってないな、それでも役者か?」
「うるせ〜! 変な夢見て泣いてたやつがよぉ!」
「殺すぞ」
「恩人に殺意を向けんじゃねえ」
空いている方の手で中指を立てる久城に、両手で親指を下に向ける南田。
ガキのようなやりとりに俺も笑ってしまう一方で、恩人という言葉には頷く。
そういえば、南田は言っていた。
『お前が思ってる以上に、アイツはお前のことが好きだぜ?』
あの時は、その言葉を素直に信じられなかった。
でも今なら分かる。
俺が思っている以上に、久城は俺のことが好きで——その逆も然りだと。
最初から南田の言葉を信じておけばよかったのかもしれない。
そう考えると南田への恩は返し切れないだろう。
感謝と謝罪をいくら重ねても間に合わない。
それでも言わないよりは言ったほうがいい。
俺は再び礼を繰り返すために口を開きかける。
「南田、お前には心からの感謝を——」
「でもまあ、よく三年も両片思い拗らせてたよなぁ」
それを南田の呆れた声が遮った。
「は?」
「え?」
俺と久城の顔が引き攣る。
しかし、南田は気付いていない。
「お互いに初対面で一目惚れしてんのに全然気付かねえし」
それどころか、憐れむような視線を向けた。
「オマエらがロミオとジュリエットだったら喜劇も悲劇も始まんねえわ」
南田は、笑いながら俺たちに言い放つ。
「——最初から最後までずっと両思いだもんな」
まるで誰もが知っている真実のように。
その瞬間、俺たちの世界がひっくり返った。
頭上に無数に走る、真っ黒なライトの骨組み。
舞台袖に張り付いた深紅の袖幕。
足元に広がる木目はベージュ。
窓からは傾きかけた夕陽のオレンジ。
南田が持っているモップは、霞んだイエロー。
俺のパーカーは、地味なグレー。
久城の瞳は、鮮やかな蒼。
初めて見た時、こんなに綺麗な男がいるのかと衝撃を受けた。
そして、その瞳の中に映りたいと願った。
——いや、まさか。
そんなわけがない。
そんなはずがないんだ。
「俺ってずっと久城のことが好きだったのか!?」
「僕ってずっと神野のことが好きだったのか!?」
神野洸太と久城蒼が叫ぶ。
南田絢斗は大きく目を見開いた。
「知らなかったのかよ!?」
神野洸太は久城蒼が好きだ。
久城蒼は神野洸太が好きだ。
それを南田絢斗は三年前から知っていた。
