キミがためのシェイクスピア〜天才による天才のための青春エチュード〜

「待ってくれ、久城」

 神野洸太は、真顔になった。

「俺たちはまだ付き合ってないはずだが……?」

 久遠蒼も、真顔で返した。

「ああ、だから正確には浮気ではないのかも知れないが、ここはあえて浮気と呼ばせてもらおう」

 神野洸太と久城蒼は、見つめ合った。

 一秒、二秒、三秒、四秒、五秒——。

「——俺は浮気なんてしてない!!」
「——嘘つけこの告白保留野郎!!」

 その五秒間は、恋に落ちるための時間ではない。
 男たちがブチ切れるために必要な時間だ。

 俺たちは同時に丸めた台本を手に取った。

 ——負けられない戦いがここにある。

「こっちは告白しているんだぞ!?」
「考えさせてくれって言っただろう!」

 久城が一閃。
 俺が避ける。

「いつまで考えている気だ!」
「考えるのはもう終わった!」

 久城がターンして追いかける。
 俺も逆回りに逃げる。

「じゃあ答えを寄越せ!」
「それは最終公演が成功してからだ!」

 久城の手が俺の首の後ろに伸びる。
 俺はギリギリでしゃがみ込んで回避する。

「これ以上待たせるというのか!?」
「そっちが告白してきたんだからそれぐらい待て!」

 久城の台本が俺の背中に振り下ろされる。
 俺は大きく飛び退いてから体勢を立て直す。

「僕に告白されておいてなんだその態度は!」
「お前こそ付き合う前から浮気を疑うな!」

 俺が全力疾走で舞台袖に逃げ込む。
 それを読んでいた久城に回り込まれる。

「疑われるようなことをするからだろう!?」
「そんなことをした覚えはない!!」

 大股で俺に向かって詰め寄ってくる久城。
 後ろ歩きで後ずさっていく俺。

「いいから白状しろ!!」
「無罪を自白しろっていうのか!?」

 俺たちはホールの上で、睨み合う。

 上手(かみて)——つまりは右側には、俺
 下手(しもて)——つまりは左側には、久城。

 お互いに向かい合って間合いを計る。
 その手には固く丸めた台本が剣のように握り締められている。

 沈黙。沈黙。沈黙。

 そして探り合いの末、先に動いたのは——。

「——僕の告白に答えずに逆井と何をしていた!」

 久城が台本を振り下ろす。
 目の前にある俺の頭をめがけて。

 しかし、俺は広げた台本で受け止めた。

「——恋バナだ!」

 パシーンと台本と台本がぶつかり合う音が響く。

「……こい……ばな……?」

 久城の手から丸められた台本が滑り落ちた。

「そうだ」
「逆井と……恋バナ……?」
「たまたま図書館で会ったから話を聞いてもらった」

 俺は舞台に落ちた武器もとい台本を拾い上げる。

「よりにもよって逆井に……?」

 久城は呆然とその場に膝を突く。

「恋愛経験なんてないだろ、アイツ」
「それがパートナーがいるらしい」
「パートナー!?」

 裏返った久城の声に俺は頷いた。
 やはり久城もこれは知らなかったようだ。
 改めて誤解を解くために俺は久城と向き合う。

「俺が逆井と浮気したと思ってたのか?」
「図書室の奥の部屋でふたりきりだったと聞いて……」
「誰から聞いた?」

 久城は口ごもりながらも答える。

「……日野がたまたま見かけたって」

 その名前を聞いた俺は頭を抱えた。

「なるほど……〝イジワル〟か……」
「イジワル……?」

 訝しむ久城の前に俺は座り込んだ。

「俺たちは一杯……いや二杯食わされたみたいだ」

 実は告白の返事以外にも久城に言ってないことがある。

 それは、日野のことだ。

 俺は久城からの告白の後、日野と話した。
 
 日野に脚本を書いてやる約束を取り消すためだ。

 俺は日野の代わりにオースティン役に選ばれたが、その罪悪感に耐え切れずに詫びとして脚本を書いてやろうとしていた。
 でも久城と話したことでそれが間違っていることに気付いた。

 台本を覚えなかったから日野は役を降ろされた。
 
 それなのに代役の俺が詫びてしまったら周りに示しがつかない。
 
 その上、久城の判断を疑っていることになってしまう。

『——だからお前に新しく脚本は書いてやれない』

 久城と話して気付いたことを日野に伝えた。
 なるべく傷付けないように、丁寧に。

 すると信じられない事実が判明した。
 
「——日野が台本を覚えてこなかったのはわざとだ」
「はぁ!?」

 とんでもない声量がホールに響いた。
 隣にいる俺の耳が死にかける。

「どういうこと!?」

 ……久城がキレるのも当たり前だ。
 これには俺も驚かされた。

 まさか最初から日野の策略に巻き込まれていたと誰が気付くだろうか。

『僕はオースティン役を降ろされたかったんです』

 日野はニコニコしながら告げる。

『だから洸太先輩は気にしないでくださいね』

 その返答に俺は呆気に取られる。

『お、降ろされたかったって——』
『はい! だって舞台に立つ洸太先輩が見たかったんですもん』

 全く悪びれずに日野は顎に指を添える。

『だからわざと台詞は入れてきませんでした!』

 そしたら久城先輩は僕をオースティン役から降ろして、洸太先輩を指名するって分かってましたから!と日野は無邪気に語った。

『久城先輩はオースティン役を洸太先輩に演じて欲しそうだったし、それを南田先輩に愚痴ってるところも聞きました! 僕も同じ気持ちだったからこうなって嬉しいですぅ〜!』

 甘ったるい声で語る日野に俺は後ずさった。

 日野は、俺の前では常にいい後輩だった。
 だから久城の話を聞いた時も不思議だった。
 久城に喧嘩を売る日野の姿が全く想像できなくて。

 だが、今なら分かる。

『お、オースティン役を演じたかったって……』
『それは本音ですよ。でも来年演じるので大丈夫です』

 オースティンじゃなくてオリヴァー役ですけど……と宣言した日野は満面の笑みだ。

『あわよくば罪悪感に負けた洸太先輩に脚本を書いてもらえたらいいなぁって思ってましたけど……流石は久城先輩! 止められちゃいましたねぇ〜』

 そう言いながらも日野はちっとも悔しそうではなかった。

 それどころか、ニコニコしながら可愛らしく小首を傾げる。

『新しく脚本を書いてもらうのは諦めます。でもすでに書かれた脚本は全て演劇部に置いていってくれますよね?』
『それは……』
『くれますよね?』

 ライトブラウンの大きな瞳が俺を捉える。
 しかし、そこには光が宿っていない。
 目も笑っていない。

 まるでただの空洞がそこにあるみたいな——。

『ね?』

 ……こ、怖い!
 久城よりも怖い!

『……はい』

 そして俺は負けた。

『ふふふ、ありがとうございます。洸太先輩!』
『いや……どういたしまして……』
『最終公演も頑張ってくださいね!』
『あ、ああ……』
『洸太先輩が演じるオースティンと久城先輩が演じるオリヴァーがどんな結末を迎えるのか、すっごく楽しみなんです!』
『あ、でも結末は台本に書いてあって——』
『——洸太先輩!』

 俺の言葉が明るい声に遮られる。

『僕は、先輩たちの絆を信じてます! たとえ困難が降りかかったり、イジワルなことをされたりしても、お二人なら乗り越えられるって!』
『困難……? イジワル……?』
『はい!』

 日野はニコッと笑った。

『僕、先輩たちのことを心から応援してますから!』

 後輩の笑顔を二度と見たくないと思ったのはそれが初めてだった。


「つまり俺たちは後輩に応援という名のイジワルを受けたんだ。逆井の件もわざと誤解するように——」
「あのクソ後輩め——!」

 説明の途中で久城が咆哮する。
 気持ちは分かるが、そろそろ俺の耳が壊れそうだ。

「落ち着いてくれ、久城」
「落ち着けるわけないだろう!? 僕たちは騙されていたんだぞ!?」
「確かにわざと台本を覚えてこなかったことも、俺に脚本を書かせようとしたこともよくないことだが……」
「逆井のこともだ!!」
「それもお前が揶揄われたんだと思うが……」
「あああ! まったく腹が立つ!」

 やはり殴っておけばよかった! と恐ろしいことを叫ぶ久城。

 その隣で俺は苦笑いをする。

 日野に騙されたことは、久城にとっては耐え難いことなのだろう。

 しかし、俺は日野の思惑が判明したことで逆に気が楽になった。

 俺は久城の隣に立つべきだったのかもしれない。
 それを周りからも望まれていたのかもしれない。

 そう思えるようになったから。


 それに久城に浮気を疑われた件についても別の見方をすれば、悪いことではないような気がした。

 だって俺が逆井とふたりきりでいるだけであんなに怒るということは——。

「本当にお前は俺のことが好きなんだな……」

 俺がしみじみと呟けば、久城がピタリと止まった。

 そしてブリキのおもちゃのようなぎこちない動きで振り返る。

「な、何を言って——!!」
「おお……」

 耳まで赤くなっている久城に俺は感嘆の声を漏らす。

「久城も照れるのか……」
「どういう意味かな、それは!?」

 久城が逆ギレ……いや、照れギレして俺の胸ぐらを掴む。

「そもそもお前が悪いんだろう!」
「何がだ?」
「全部だよ! 僕が日野なんかに揶揄われる羽目になったのも、お前が僕の告白を保留にしているせいだろう!」
「それは……」

 図星を突かれた俺は言い返せない。

「どうせ答えは出ているんだろう!? 教えなよ!」
「いや、最終公演が終わってからじゃないと……」
「なんでそこにこだわるんだよ! 変なやつだな!」
「その変なやつを好きになったのはお前だろうが」
「なっ……」

 そう言い返せば今度は久城が黙り込む。

 俺たちはお互いに思うところがあるらしい。
 このままだとこんなやりとりが永遠に続いてしまいそうだった。

 だから俺は意を決して久城と向き合う。

「俺は胸を張ってお前の隣に立てるようになりたいんだ、久城」

 今の俺ではまだ久城に想いは伝えられない。
 だからこそ決意だけは伝えておきたい。

「そのために最終公演を成功させなきゃいけない」

 久城の肩を掴んだまま俺は訴える。

「俺はお前の足を引っ張らないと証明したいんだ」
「神野……」
「だから待っててくれないか」

 真剣な目で久城を見つめる。

 照明の下でミルクティー色の髪と青い瞳が輝く。
 それは、なんて美しいのだろう。

 この輝きをずっとすぐ近くで見ていたいと思った。

「オースティン役を演じ切れたらお前に好きだと伝える——だから俺と一緒に最高の舞台を作ってくれないか?」

 その声が、ふたりきりの舞台に溶けた。





 神野洸太と久城蒼は、お互いに見つめ合う。

 一秒、二秒、三秒、四秒、五秒——。

「——お前、今、僕のことを好きって言った?」
「——すまない! 口が滑った! 今のなし!」

 その五秒間は、恋に落ちるための時間ではない。
 男が追いかけ、男が逃げ惑うために必要な時間だ。

 俺たちは同時に丸めた台本を手に取った。

 ——負けられない戦いがここにある。

「おい、好きって言ったよな!? なぁ!?」
「言ってない! 言ってないから!」

 久城が一閃。
 俺が避ける。

「いいや、言ったね! 認めろ! 保留野郎!」
「保留したくてしてるわけじゃない! さっき言っただろ!」

 久城が追いかける。
 俺は逃げる。

「最終公演が終わってからじゃないと無理なんだ!」
「何が無理だ! こっちだって無理だよ!」

 久城の手が俺の腕に伸びる。
 俺が振り払って回避する。

「三年待てたなら二週間くらい待て!」
「三年待ったからもう待てないんだよ!」

 俺が全力疾走で舞台袖に逃げ込もうとする。
 それを読んでいた久城に回り込まれる。

「このせっかち!」
「黙れ、粗忽者!」

 俺に向かって詰め寄ってくる久城。
 後ろ歩きで後ずさっていく俺。

「——いいから今すぐ認めろと言っているんだ!」
「——だからまだダメだって言ってるだろう!?」

 ホールの上で、見つめ合う。

 上手(かみて)——つまりは右側には、久城。
 下手(しもて)——つまりは左側には、俺。

 お互いに向かい合って間合いを計る。

 その手には固く丸めた台本が剣のように握り締められている。

 沈黙。沈黙。沈黙。

 そして探り合いの末、動いたのは——。

「——お前ら、いい加減にしろぉッ!!!」

 二人分のスポットライトが俺たちを照らす。

「うわっ!?」
「なんだ!?」

 あまりの眩しさに俺たちが固まる。
 
 続けて声が聞こえる。

「ちゃんと練習しろって言ってんだろうが——!!」

 つんざくような大声が客席後方から舞台を貫く。

 見上げてみれば、スポットライトを操作するために天井から突き出たガラス張りの小部屋から叫ぶ男がいる。

「お前らふざけてんなら役降ろすぞッ!?」

 ——舞台監督、南田絢斗。

「いたのか、南田……!」
「というか、ずっと見てたのか……?」

 神野洸太と久城蒼は、同時に顔を見合わせる。

 観客はいないと思っていた。
 しかし、どうやらそうではなかったらしい。

「ふふ……」
「ははは……」

 俺たちは自然と笑い声を溢した。

 それから二人揃って両手を上げる。

「すまなーい!!」
「ごめんなさぁーい!!」

 そんな謝罪の声に返ってきたのは、見事な罵声。

「この馬鹿どもが——ッ!」

 愚かな天才たちを眩い光は照らし続けていた。