二年前、俺は風見ヶ丘学園高等部に入学した。
私立の中高一貫に高校から入ったのは、偶然だ。
いじめというほどでもないが、うっすらと公立の中学で浮いていた俺に、県外の進学校を勧めてくれたのは当時の担任である。
風見ヶ丘学園は、男子校だ。
いわゆるミッション系のお坊ちゃん校。
部活は多彩で、校風も自由。
特待生制度と寮があり、それに俺はホイホイと釣られた。
特待生になれば、授業料以外も全額免除になる。
成績だけなら良い方だった俺はあっさり合格して、特待生になった。
だからといって、目立つ生徒でもない。
新入生代表は別の奴だったし、特待生は他にも数名いた。
つまり、俺——神野洸太の印象は、地味なガリ勉というのが妥当なところだった。
一方で、久城蒼は真逆である。
顔面国宝かと思うほど美しい顔立ち。
生まれつきらしいミルクティー色の髪。
そして恵まれた骨格とスタイルに、青い瞳。
異国の血を色濃く受け継ぐ男は、そこにいるだけで目立つ。
なにより久城蒼を久城蒼たらしめているのは、その刺々しい……いや、輝かしい性格である。
「中等部から演劇部に在籍している久城蒼です。主演以外は演る気はありません、以上」
部活初日でとんでもない挨拶をぶちかました久城を目の前に、俺は唖然とするしかなかった。
俺だったら逆立ちしても出来ない挨拶。
その場の空気は、当然の如く死んだ。
しかし、それもいつものことだったらしい。
しばらくしてからまばらな拍手が起きて、苦笑いと共に次の挨拶に移る。
「アイツ、マジで主役しかやらねえんだよな」
そう教えてくれたのは南田だった。
俺と久城の同期で、後に部長となる生徒だ。
痛んだ茶髪をピンクのヘアゴムで結んでハーフアップにしている平成の香りがする令和の男は、久城と同じく中等部から演劇部に所属していた。
自称・久城のお守り役らしく、性格と面倒見がいい。
それこそ高等部から入った俺にも何かと世話を焼いてくれて、お陰で演劇部に馴染めた。
「つーか、なんでオメーみてえのが演劇部なんだ?」
南田は俺に問いかけた。
稽古場の窓から差し込む光が色素の薄い髪に反射して、文字通りにキラキラと輝いている久城を眺めながら、黙り込む。
あの久城の顔面に見慣れている南田なら、この俺なんてカカシ同然に違いない。それなのに同じ演劇部にいることは、さぞかし不思議だろう。
「オレや久城は目立ちたがり屋だから分かるけどよぉ、お前はそんな感じしねーじゃん?」
「ああ、まぁ……あまり目立つのは好きじゃないな……」
俺が口籠もれば南田は目を見開いて首を傾げた。
獣のような瞳孔を前にまるで獲物になった気分だ。
無意識のうちにジャージに埋もれながら答える。
「……本当は文芸部に入りたかったんだ」
「ん? じゃあ、入りゃいいじゃん?」
「……いや、なんかちょっと、見学に行ったら、合わなくて」
「合わない〜? それこそなんか書いてりゃいいだけだろ」
「そうなんだが……」
俺はまたもや言葉に詰まった。
文芸部志望の地味男が、なぜ演劇部にいるのか。
大した理由じゃないのだが、誤解されると困る。
言葉を選びに選んで、俺は続けた。
「……き、脚本を書いてみたくて」
嘘じゃない。
でも本当でもない。
そんな入部理由を伝えれば南田は興味なさそうに「フ〜ン?」と頷いた。
疑っているようだが、これ以上説明したくはない。
せっかく馴染めてきたのに、また浮くなんて真っ平御免だ。
俺には〝誰かさん〟のような強さはない。
「——基礎練中に私語なんて余裕だね」
はっきりと通る声に俺と南田の肩がギクリと揺れた。
錆びたブリキのおもちゃみたいにゆっくりと振り返れば、そこには氷の女王もとい氷の王子の冷ややかな目線がある。
「筋トレは終わったんだろうな」
「あー、まだ途中で……」
「お喋りって、やるべきことが終わった人が暇を潰すためにやることだと思っていたけれど、いつ終わらせたの?」
至極真っ当な指摘に嫌味を含ませて口にする久城は、確実に性格が悪い。
それか、俺か南田、もしくは両方が嫌いか。
「僕の同期として恥ずかしくない振る舞いをしてほしいかな」
それだけ告げると久城は、もう俺たちに見向きもしなかった。
アイツは基礎練をとっくに終えている先輩たちのもとへ向かうと新人公演のための台本選びに参加する。
当然、主役以外を演じる気はないのだろう。
それに値する顔と才能と実力を、久城は持っている。
「そういや新人公演じゃ一年は全員役者だぜ」
「え?」
柔軟中、俺の背中を押しながら南田は呟いた。
「う、うそだろう……!?」
「マジだって」
俺があからさまに狼狽えると南田は笑う。
「どうせ久城以外は目立たねえから安心しろよ」
「それならよかった……」
「でもマジで演りたい役ねえの?」
脚本家希望とはいえ役者経験は必須だろ、と南田に言われて俺は小さく唸った。
「じゃあ……木の役で……」
「お遊戯会か! そんな役ねえよ!」
「なら……世界樹で……」
「規模感デカくすんな! 逆に目立つだろ!」
南田の声に何人かの部員が振り返って笑っていた。
そんな南田のツッコミは舞台上でも冴え渡り、新人公演でも名脇役として実力を発揮した。
俺は木の役にも満たない端役を手に入れた。
そして、僅かな出番にも関わらず、見事に失敗。
新人公演全体の足を引っ張った。
それでも主演の久城は無事に公演を成功させた。
客席からの拍手はほとんど久城のもので、公演後のアンケートにも久城の名前がずらりと並び、ときどき南田の名前が混ざっていた。
もちろん、そこに俺の名前はない。
それから一度も俺は舞台に立たなかった。
……立つはずがなかった。
それなのに——。
「じゃあ、冒頭からいくぞ」
ホールの上で、見つめ合う。
上手——つまりは右側には、久城。
下手——つまりは左側には、俺。
「ま、待ってくれ!」
俺は台本も持たずに声を張った。
久々に大声を出したせいで痰が絡んで咳き込む。
「俺でいいわけない!」
「往生際が悪いぞ、神野」
主役のくせして悪役みたいなことを言う久城に震え上がる。
「せめて南田だろう!?」
「アイツにはアイツにしか演じられない役があるのは、お前も知っているはずだが?」
「そ、そうだけど……」
「なら始めるぞ」
「いやいや! 本当に考え直せ!」
誰もいない観客席に俺の声が響き渡る。
珍しく吃っていない。
でもそのことに気付く余裕はなかった。
「俺たちは来年卒業する!」
「そうだな」
「これが最終公演だ!」
「ああ、そうだ」
「お前にとって最後の主演なんだぞ!?」
——なのに、お前の相手役が俺でいいわけあるか!
俺の渾身の叫びを久城は鼻で笑った。
「なら、死ぬ気で演れ」
「は?」
「むしろ、いっそ死ね」
「はぁああ!?」
「あははははッ!」
久城は悪魔みたいに笑いながら、その青い瞳を見開いた。
「これは、僕たちのための舞台だ」
そうだろう?と問いかけてくる久城に俺は絶句する。
「いいからやるぞ、冒頭からだ」
二人だけの舞台。
太陽の光の代わりに照明が降り注ぐ。
『死人が生き返るはずがない。ならば発想の転換だ』
演技を始めてしまった久城の前で、俺は泣きそうになりながら頭の中にある台本を捲った。
『せ、生者が死人の元にいく。しょれこそが僕らの目標だ』
案の定、台詞をを噛みまくった僕に久城が舌打ちをする。
「……もう一度」
また冒頭の台詞が繰り返される。
『死人が生き返るはずがない』
俺が書いた台詞が、ハキハキとした声で紡がれる。
それに続くのは、よれよれとした情けのない声。
『しぇ、生者が——』
「もう一回ッ!!」
「うう……」
「泣くな!」
「泣いてない!」
俺は思わず叫び返す。
——絶対に上手く行くはずなんてないのに!
舞台はいまだに久城蒼と神野洸太のふたりきりだった。
私立の中高一貫に高校から入ったのは、偶然だ。
いじめというほどでもないが、うっすらと公立の中学で浮いていた俺に、県外の進学校を勧めてくれたのは当時の担任である。
風見ヶ丘学園は、男子校だ。
いわゆるミッション系のお坊ちゃん校。
部活は多彩で、校風も自由。
特待生制度と寮があり、それに俺はホイホイと釣られた。
特待生になれば、授業料以外も全額免除になる。
成績だけなら良い方だった俺はあっさり合格して、特待生になった。
だからといって、目立つ生徒でもない。
新入生代表は別の奴だったし、特待生は他にも数名いた。
つまり、俺——神野洸太の印象は、地味なガリ勉というのが妥当なところだった。
一方で、久城蒼は真逆である。
顔面国宝かと思うほど美しい顔立ち。
生まれつきらしいミルクティー色の髪。
そして恵まれた骨格とスタイルに、青い瞳。
異国の血を色濃く受け継ぐ男は、そこにいるだけで目立つ。
なにより久城蒼を久城蒼たらしめているのは、その刺々しい……いや、輝かしい性格である。
「中等部から演劇部に在籍している久城蒼です。主演以外は演る気はありません、以上」
部活初日でとんでもない挨拶をぶちかました久城を目の前に、俺は唖然とするしかなかった。
俺だったら逆立ちしても出来ない挨拶。
その場の空気は、当然の如く死んだ。
しかし、それもいつものことだったらしい。
しばらくしてからまばらな拍手が起きて、苦笑いと共に次の挨拶に移る。
「アイツ、マジで主役しかやらねえんだよな」
そう教えてくれたのは南田だった。
俺と久城の同期で、後に部長となる生徒だ。
痛んだ茶髪をピンクのヘアゴムで結んでハーフアップにしている平成の香りがする令和の男は、久城と同じく中等部から演劇部に所属していた。
自称・久城のお守り役らしく、性格と面倒見がいい。
それこそ高等部から入った俺にも何かと世話を焼いてくれて、お陰で演劇部に馴染めた。
「つーか、なんでオメーみてえのが演劇部なんだ?」
南田は俺に問いかけた。
稽古場の窓から差し込む光が色素の薄い髪に反射して、文字通りにキラキラと輝いている久城を眺めながら、黙り込む。
あの久城の顔面に見慣れている南田なら、この俺なんてカカシ同然に違いない。それなのに同じ演劇部にいることは、さぞかし不思議だろう。
「オレや久城は目立ちたがり屋だから分かるけどよぉ、お前はそんな感じしねーじゃん?」
「ああ、まぁ……あまり目立つのは好きじゃないな……」
俺が口籠もれば南田は目を見開いて首を傾げた。
獣のような瞳孔を前にまるで獲物になった気分だ。
無意識のうちにジャージに埋もれながら答える。
「……本当は文芸部に入りたかったんだ」
「ん? じゃあ、入りゃいいじゃん?」
「……いや、なんかちょっと、見学に行ったら、合わなくて」
「合わない〜? それこそなんか書いてりゃいいだけだろ」
「そうなんだが……」
俺はまたもや言葉に詰まった。
文芸部志望の地味男が、なぜ演劇部にいるのか。
大した理由じゃないのだが、誤解されると困る。
言葉を選びに選んで、俺は続けた。
「……き、脚本を書いてみたくて」
嘘じゃない。
でも本当でもない。
そんな入部理由を伝えれば南田は興味なさそうに「フ〜ン?」と頷いた。
疑っているようだが、これ以上説明したくはない。
せっかく馴染めてきたのに、また浮くなんて真っ平御免だ。
俺には〝誰かさん〟のような強さはない。
「——基礎練中に私語なんて余裕だね」
はっきりと通る声に俺と南田の肩がギクリと揺れた。
錆びたブリキのおもちゃみたいにゆっくりと振り返れば、そこには氷の女王もとい氷の王子の冷ややかな目線がある。
「筋トレは終わったんだろうな」
「あー、まだ途中で……」
「お喋りって、やるべきことが終わった人が暇を潰すためにやることだと思っていたけれど、いつ終わらせたの?」
至極真っ当な指摘に嫌味を含ませて口にする久城は、確実に性格が悪い。
それか、俺か南田、もしくは両方が嫌いか。
「僕の同期として恥ずかしくない振る舞いをしてほしいかな」
それだけ告げると久城は、もう俺たちに見向きもしなかった。
アイツは基礎練をとっくに終えている先輩たちのもとへ向かうと新人公演のための台本選びに参加する。
当然、主役以外を演じる気はないのだろう。
それに値する顔と才能と実力を、久城は持っている。
「そういや新人公演じゃ一年は全員役者だぜ」
「え?」
柔軟中、俺の背中を押しながら南田は呟いた。
「う、うそだろう……!?」
「マジだって」
俺があからさまに狼狽えると南田は笑う。
「どうせ久城以外は目立たねえから安心しろよ」
「それならよかった……」
「でもマジで演りたい役ねえの?」
脚本家希望とはいえ役者経験は必須だろ、と南田に言われて俺は小さく唸った。
「じゃあ……木の役で……」
「お遊戯会か! そんな役ねえよ!」
「なら……世界樹で……」
「規模感デカくすんな! 逆に目立つだろ!」
南田の声に何人かの部員が振り返って笑っていた。
そんな南田のツッコミは舞台上でも冴え渡り、新人公演でも名脇役として実力を発揮した。
俺は木の役にも満たない端役を手に入れた。
そして、僅かな出番にも関わらず、見事に失敗。
新人公演全体の足を引っ張った。
それでも主演の久城は無事に公演を成功させた。
客席からの拍手はほとんど久城のもので、公演後のアンケートにも久城の名前がずらりと並び、ときどき南田の名前が混ざっていた。
もちろん、そこに俺の名前はない。
それから一度も俺は舞台に立たなかった。
……立つはずがなかった。
それなのに——。
「じゃあ、冒頭からいくぞ」
ホールの上で、見つめ合う。
上手——つまりは右側には、久城。
下手——つまりは左側には、俺。
「ま、待ってくれ!」
俺は台本も持たずに声を張った。
久々に大声を出したせいで痰が絡んで咳き込む。
「俺でいいわけない!」
「往生際が悪いぞ、神野」
主役のくせして悪役みたいなことを言う久城に震え上がる。
「せめて南田だろう!?」
「アイツにはアイツにしか演じられない役があるのは、お前も知っているはずだが?」
「そ、そうだけど……」
「なら始めるぞ」
「いやいや! 本当に考え直せ!」
誰もいない観客席に俺の声が響き渡る。
珍しく吃っていない。
でもそのことに気付く余裕はなかった。
「俺たちは来年卒業する!」
「そうだな」
「これが最終公演だ!」
「ああ、そうだ」
「お前にとって最後の主演なんだぞ!?」
——なのに、お前の相手役が俺でいいわけあるか!
俺の渾身の叫びを久城は鼻で笑った。
「なら、死ぬ気で演れ」
「は?」
「むしろ、いっそ死ね」
「はぁああ!?」
「あははははッ!」
久城は悪魔みたいに笑いながら、その青い瞳を見開いた。
「これは、僕たちのための舞台だ」
そうだろう?と問いかけてくる久城に俺は絶句する。
「いいからやるぞ、冒頭からだ」
二人だけの舞台。
太陽の光の代わりに照明が降り注ぐ。
『死人が生き返るはずがない。ならば発想の転換だ』
演技を始めてしまった久城の前で、俺は泣きそうになりながら頭の中にある台本を捲った。
『せ、生者が死人の元にいく。しょれこそが僕らの目標だ』
案の定、台詞をを噛みまくった僕に久城が舌打ちをする。
「……もう一度」
また冒頭の台詞が繰り返される。
『死人が生き返るはずがない』
俺が書いた台詞が、ハキハキとした声で紡がれる。
それに続くのは、よれよれとした情けのない声。
『しぇ、生者が——』
「もう一回ッ!!」
「うう……」
「泣くな!」
「泣いてない!」
俺は思わず叫び返す。
——絶対に上手く行くはずなんてないのに!
舞台はいまだに久城蒼と神野洸太のふたりきりだった。
