久城蒼は、神野洸太が好きだ。
では、神野洸太は久城蒼が好きなのか?
その問いの答えを神野洸太は考え続けている。
『では、共に行こう。二人ならば恐れなどない』
朗々とした声で紡がれる台詞に俺は応える。
『ああ、死者の国でまちゅ、こいびとに——』
「噛むなッ——!!」
「うぎゃーッ!」
そして見事に失敗した俺は主演にぶっ飛ばされる。
スパコーンッといい音がホールに響いた。
「早口過ぎる! 台詞は正確に言え!」
「でもオースティンは即答するはずで……」
「台詞が聞こえなかったら意味ないだろう!」
「ううう……」
舞台上に倒れ込む俺を鬼の形相で見下ろす久城。
そこには好きな相手への甘やかしなんてものは存在しない。
「いいか、もう一度だ」
「頼む、休憩を……」
「ダメだ! さっさと立て!!」
久城は俺を立たせて丸めた台本を鼻先に突きつける。
「今日はこの台詞を仕上げるまで帰さないからな……!」
「ひええ……」
「返事は、『はい』か『イエッサー』だ!」
「はいぃ……!」
そんな情けない声の直後から台詞がまた始まる。
『では、共に行こう。二人ならば恐れなどない』
久城の声を聞きながら俺はひっそりと思う。
こんな台詞をどうして俺は思いついたんだろうか。
久城と二人でいても俺の心にあるのは恐ればかり。
『ああ、死者の国で待つ、恋人に会いに……会いに——』
「そこで詰まるなッ——!」
「おわーッ!!」
——この恐れからどうやったら逃げられる?
舞台に崩れ落ちながらそればかり考えていた。
久城からの告白から、数日後。
最終公演への熱が上がり、練習も厳しくなっていた。
特に久城は必死だ。
新人公演以降、二年以上も演技経験のブランクがある男を天才役者の隣に並べるのだからマトモなやり方では間に合わない。
そのため古代ギリシャ人も驚くほどのスパルタ式で、俺は久城にしごかれまくっている。
……告白への答えを保留にした件への恨みも込められている気もするが、それは甘んじて受け入れるしかない。
あそこまで赤裸々に想いを伝えてくれた久城に俺は非常に残酷なことをしている。
それでも、俺はあの場で答えは出せなかった。
これは久城の才能に対する抵抗でもあった。
「はぁ……」
溜息を吐きながら俺は棚に並んだ本へと手を伸ばす。
部活がない日、放課後の図書館。
紙とインクの匂いが漂うこの場所が俺の憩いの場だ。
本を読んでいる間は余計なことを考えずに済む。
……久城のことを考えたくないわけではない。
ただ、あの日を思い出すとあらゆる物語が霞む。
俺は久城の三年分の想いと共に、天賦の才を見せつけられた。
脚本としては荒削りだった。
生々しい感情を伴うノンフィクションは舞台に向かない。
それなのに久城の口から語られる恋はあまりに魅力的だった。
それこそ、よく考えないうちに頷いてしまいそうになるほどの魔力に等しい何かがある。
俺は当事者でありつつも、第三者——いわば観客として久城の話を冷静に聞いていたつもりだった。
でも次第に自分の頬が火照っていると気付いた。
嬉しかった。
他人に好意を向けてもらえるなんて初めてだ。
しかもその相手が久城蒼だなんて。
俺はどれだけ幸運なのだろう。
舞い上がった気持ちが俺を頷かせようとした。
……しかし、思いとどまった。
『お前は僕の隣にいるべきだ』
久城がそう思ってくれていたことに歓喜した。
それと同時に、込み上げてくるものがある。
——本当に?
本当に俺は久城の隣に相応しいか?
あの輝かしい才能の持ち主の隣に立つのが俺でいいのか?
『お前もそう思ってくれないか』
——俺は、そうは思えない。
いくら久城が俺を天才と呼んでくれても。
その才能ごと俺を好きになってくれたとしても。
俺にはそれが分からない。
久城が語ってくれた俺は魅力的な男に思えた。
自分勝手で、横暴で、その才能で他人を振り回す。
まさに久城と同じ種類の人間。
でもそれが俺なのかどうか、信じられない。
やりたいことをやった。
できることをやった。
ただ、それだけ。
全部、自分のためだった。
誰かのためにやったことなんて一つもない。
久城を主役に当て書きしたことですら、そうだ。
久城蒼が俺の物語の主役に相応しいと思ったから。
久城のためにやったことではない。
久城は三年も思い悩んでくれたというのに。
久城はずっと俺のことを考えてくれたのに。
なにも考えてこなかった俺がその想いを受け取っていいのか。
「……ダメに決まってるだろう」
その結論が俺の胸にこびりついていた。
「はぁあ……」
分厚い本を片手に俺はまた溜息を吐く。
活字はちっとも頭に入ってこない。
この愚かな固定概念を崩すための活路をここに求めているというのに。
今日はもう諦めてしまおうか。
でも明日も同じように諦めてしまうんだろうか。
悶々としたまま本を閉じる——その瞬間だった。
「——おやおや、辛気臭い溜息ですねえ」
聞き覚えがある声に俺はゆっくりと顔を上げる。
「神聖なる図書館に、無駄な二酸化炭素を撒き散らすのはやめて頂きたい」
妙に洒落た丸メガネが蛍光灯の下で光る。
「それともわざと幸福を逃しているんですか?」
ニヤリと口角を持ち上げる悪人顔。
「……逆井宗一郎」
俺は思わずその男の名前を呼ぶ。
そして、ふと思いついた。
まるで天啓みたいに。
「——いいところに来た!」
「は?」
怪訝な顔で固まる逆井宗一郎に神野洸太は微笑んだ。
では、神野洸太は久城蒼が好きなのか?
その問いの答えを神野洸太は考え続けている。
『では、共に行こう。二人ならば恐れなどない』
朗々とした声で紡がれる台詞に俺は応える。
『ああ、死者の国でまちゅ、こいびとに——』
「噛むなッ——!!」
「うぎゃーッ!」
そして見事に失敗した俺は主演にぶっ飛ばされる。
スパコーンッといい音がホールに響いた。
「早口過ぎる! 台詞は正確に言え!」
「でもオースティンは即答するはずで……」
「台詞が聞こえなかったら意味ないだろう!」
「ううう……」
舞台上に倒れ込む俺を鬼の形相で見下ろす久城。
そこには好きな相手への甘やかしなんてものは存在しない。
「いいか、もう一度だ」
「頼む、休憩を……」
「ダメだ! さっさと立て!!」
久城は俺を立たせて丸めた台本を鼻先に突きつける。
「今日はこの台詞を仕上げるまで帰さないからな……!」
「ひええ……」
「返事は、『はい』か『イエッサー』だ!」
「はいぃ……!」
そんな情けない声の直後から台詞がまた始まる。
『では、共に行こう。二人ならば恐れなどない』
久城の声を聞きながら俺はひっそりと思う。
こんな台詞をどうして俺は思いついたんだろうか。
久城と二人でいても俺の心にあるのは恐ればかり。
『ああ、死者の国で待つ、恋人に会いに……会いに——』
「そこで詰まるなッ——!」
「おわーッ!!」
——この恐れからどうやったら逃げられる?
舞台に崩れ落ちながらそればかり考えていた。
久城からの告白から、数日後。
最終公演への熱が上がり、練習も厳しくなっていた。
特に久城は必死だ。
新人公演以降、二年以上も演技経験のブランクがある男を天才役者の隣に並べるのだからマトモなやり方では間に合わない。
そのため古代ギリシャ人も驚くほどのスパルタ式で、俺は久城にしごかれまくっている。
……告白への答えを保留にした件への恨みも込められている気もするが、それは甘んじて受け入れるしかない。
あそこまで赤裸々に想いを伝えてくれた久城に俺は非常に残酷なことをしている。
それでも、俺はあの場で答えは出せなかった。
これは久城の才能に対する抵抗でもあった。
「はぁ……」
溜息を吐きながら俺は棚に並んだ本へと手を伸ばす。
部活がない日、放課後の図書館。
紙とインクの匂いが漂うこの場所が俺の憩いの場だ。
本を読んでいる間は余計なことを考えずに済む。
……久城のことを考えたくないわけではない。
ただ、あの日を思い出すとあらゆる物語が霞む。
俺は久城の三年分の想いと共に、天賦の才を見せつけられた。
脚本としては荒削りだった。
生々しい感情を伴うノンフィクションは舞台に向かない。
それなのに久城の口から語られる恋はあまりに魅力的だった。
それこそ、よく考えないうちに頷いてしまいそうになるほどの魔力に等しい何かがある。
俺は当事者でありつつも、第三者——いわば観客として久城の話を冷静に聞いていたつもりだった。
でも次第に自分の頬が火照っていると気付いた。
嬉しかった。
他人に好意を向けてもらえるなんて初めてだ。
しかもその相手が久城蒼だなんて。
俺はどれだけ幸運なのだろう。
舞い上がった気持ちが俺を頷かせようとした。
……しかし、思いとどまった。
『お前は僕の隣にいるべきだ』
久城がそう思ってくれていたことに歓喜した。
それと同時に、込み上げてくるものがある。
——本当に?
本当に俺は久城の隣に相応しいか?
あの輝かしい才能の持ち主の隣に立つのが俺でいいのか?
『お前もそう思ってくれないか』
——俺は、そうは思えない。
いくら久城が俺を天才と呼んでくれても。
その才能ごと俺を好きになってくれたとしても。
俺にはそれが分からない。
久城が語ってくれた俺は魅力的な男に思えた。
自分勝手で、横暴で、その才能で他人を振り回す。
まさに久城と同じ種類の人間。
でもそれが俺なのかどうか、信じられない。
やりたいことをやった。
できることをやった。
ただ、それだけ。
全部、自分のためだった。
誰かのためにやったことなんて一つもない。
久城を主役に当て書きしたことですら、そうだ。
久城蒼が俺の物語の主役に相応しいと思ったから。
久城のためにやったことではない。
久城は三年も思い悩んでくれたというのに。
久城はずっと俺のことを考えてくれたのに。
なにも考えてこなかった俺がその想いを受け取っていいのか。
「……ダメに決まってるだろう」
その結論が俺の胸にこびりついていた。
「はぁあ……」
分厚い本を片手に俺はまた溜息を吐く。
活字はちっとも頭に入ってこない。
この愚かな固定概念を崩すための活路をここに求めているというのに。
今日はもう諦めてしまおうか。
でも明日も同じように諦めてしまうんだろうか。
悶々としたまま本を閉じる——その瞬間だった。
「——おやおや、辛気臭い溜息ですねえ」
聞き覚えがある声に俺はゆっくりと顔を上げる。
「神聖なる図書館に、無駄な二酸化炭素を撒き散らすのはやめて頂きたい」
妙に洒落た丸メガネが蛍光灯の下で光る。
「それともわざと幸福を逃しているんですか?」
ニヤリと口角を持ち上げる悪人顔。
「……逆井宗一郎」
俺は思わずその男の名前を呼ぶ。
そして、ふと思いついた。
まるで天啓みたいに。
「——いいところに来た!」
「は?」
怪訝な顔で固まる逆井宗一郎に神野洸太は微笑んだ。
