神野洸太は、まちがいなく天才だ。
同時に、どうしようもない馬鹿でもある。
久城蒼は、生まれて初めて「馬鹿と天才は紙一重」という言葉は真実だと噛み締めていた。
「……なに考えてるの?」
神野から台本の修正案を出された先輩は大変ご立腹だった。
そりゃそうだろう。
高等部からの外進組の一年(しかも演劇経験ナシ)が勝手に台本を書き換えようとしてきたのだ。
先輩たちにとっては失礼だし、気分が悪い。
台本片手に不機嫌顔を浮かべる先輩たち。
だが、神野はそれに気付いていない。
「でも、こっちのほうが——」
「大変申し訳ありません! お時間を取らせてしまいました! 失礼いたします!」
僕は食い下がる神野の頭を無理やり下げさせる。
それから神野を小脇に抱えると先輩たちから逃げた。
「——お前は本当に何をやってるのかな???」
僕は神野を稽古場の隅に追い詰める。
壁際に立つ神野を僕が長い足で脅せば、怪訝な顔で台本を握り締めながら馬鹿は答える。
「いや、その……台詞の修正を……お願いしに……」
「先輩が書いた台本に赤字を入れて直す馬鹿がどこにいるんだ!?」
そうやって必死に叫んでも、ピンときていない様子でこちらを見上げてくる神野に僕は溜息を吐いた。
このポンコツに丁寧に説明してやる。
「いいか、神野。あの台本は先輩たちが新人公演のために用意してくださったものだ」
「それは分かっている」
「いいや、分かってない。つまりはお前よりも経験も実績もある人が書いた台本なんだよ。それをいきなり演劇未経験者のお前が書き換えたところで受け入れられると思うか?」
それを聞いた神野は真剣な表情で考え込んでいた。
よしよし、ちゃんと通じたな——。
そう思ったのも束の間。
「でも俺が書いた台詞の方がいいと思う」
神野は当然のことのように言い放った。
僕は唖然とする。
「……は?」
黒い瞳が僕の間抜けな顔を映している。
「元の台本のままだと主役の良さが損なわれる」
「神野、そういうことじゃ……」
「久城だって『すごくいい』って言ってくれたじゃないか」
「う……」
僕の反応を取り上げられると言い返せない。
だってあれは紛うことのない本音だ。
元の台詞よりも神野が書き直した台詞の方がいい。
それは、僕だって分かっている。
でもそういうことではなくて——。
「だとしても、お前は未経験者で——」
「それの何が悪いんだ?」
はっきりと言い返されて、僕はまた黙ってしまう。
曇りのない瞳が僕を見つめている。
僕の心の底まで見通すように。
「経験があろうとなかろうと俺が書いた方が上手い」
真実を告げるみたいに神野は言い切った。
「それに俺は間違ったことはしていない。相手がどんな立場であっても適切な指摘であったら受け入れるべきだ。そうしないといいものは作れない」
ぐうの音が出ないほどに正しい言い分。
僕は思わず天井を仰いだ。
僕だって同じことを思っている。
いい舞台を作るためには、立場は関係ない。
必要なのは実力であって、実績や経験ではない。
……そんなことは分かっている。
分かっていても通用しない場面があるのだ。
コイツはそれを分かっていない。
それが羨ましくて、どうしようもなくむかつく。
「だとしても、僕らはまだ一年生で、ここは学校で、部活動をしているんだ」
僕は冷酷に告げた。
わざとらしく胸の前で腕を組み、神野を見下ろす。
神野も平均身長以上はあるが、僕の方が高い。
「お前がいくら自分が正しいと主張したところで、判断するのは先輩方だ。正論だからって受け入れられるわけじゃない」
「どうしてだ?」
真っ直ぐに聞き返してくる神野に僕も苦しくなる。
無関係であるはずの場面がフラッシュバックする。
思い出したくなんてないのに。
『——オーデション、残念だったね。また挑戦しよう』
『どうしてぼくはえらばれないの?』
『……どうしてだろうね』
『ぼくのほうがみんなよりじょうずなのに』
『そうだよね……ごめんね……』
どうしてだって?
そんなの僕だって聞きたいよ。
「相手が人間だからだよ」
僕は淡々と答えた。
声が震えないようにするのは、得意だった。
「人間は理不尽だ。思い込みや偏見がある。お前みたいに外進生で、演劇経験もなく、大した実績のないやつが言うことなんて聞くに値しないんだよ」
凍えるように冷たい声を神野に浴びせた。
「お前が天才脚本家なら聞いてもらえたかもね?」
意地悪く、微笑む。
「でも違うんだよ」
目を細めて、眉を上げ、斜めに顔を傾ける。
いかにもヴィランって表情だ。
これを作るのは慣れている。
だって僕が主役を演じられるのは演劇部だけだ。
「分かったかな、凡人くん?」
神野の目が大きく見開かれ、瞳が揺れた。
強いショックを受けていることが伝わってくる。
見ているだけで胸が苦しいが、仕方がない。
誤魔化されるよりもこうやって思い知らされるほうが楽なことを僕は知っている。
「……分かった」
神野は静かに頷いた。
書き直した台本を握り締めて俯いている。
もしかしたら心が折れてしまったかもしれない。
それでも下手な希望を抱いて理想を追い続けるよりはいい。
僕はそう思って——。
「じゃあ、凡人は実績を作ればいいということだな」
神野が顔を上げる。
その表情はさっきまでと何も変わっていない。
それどころかキラキラしているような——。
「……え?」
僕が間抜けな声を漏らせば神野は拳を握り締める。
「俺が一年生で実績も経験もないことを理由に意見が退けられると言うならいずれかを改善すべきだろう」
神野は真面目な顔で指を立てた。
「まず一年生であることは変えられない。次に経験は、これから積むことになる。となれば、実績だ」
「ん? うん……?」
「公演に間に合うかはわからない。しかし最善の努力をしてみよう」
神野は胸に手を当てて力強く頷き、僕を見上げる。
「教えてくれてありがとう、久城」
「ど、どういたしまして……?」
圧倒されながらもなんとか言葉を搾り出すと神野は稽古場の隅から抜け出して出口へと向かった。
影が薄いせいか部活動中でも先輩に咎められることはない。
階段下へ消える神野洸太の背中に久城蒼は叫んだ。
「——なんなんだよ、アイツ!」
その声は何人かの部員を驚かせてしまった。
同時に、どうしようもない馬鹿でもある。
久城蒼は、生まれて初めて「馬鹿と天才は紙一重」という言葉は真実だと噛み締めていた。
「……なに考えてるの?」
神野から台本の修正案を出された先輩は大変ご立腹だった。
そりゃそうだろう。
高等部からの外進組の一年(しかも演劇経験ナシ)が勝手に台本を書き換えようとしてきたのだ。
先輩たちにとっては失礼だし、気分が悪い。
台本片手に不機嫌顔を浮かべる先輩たち。
だが、神野はそれに気付いていない。
「でも、こっちのほうが——」
「大変申し訳ありません! お時間を取らせてしまいました! 失礼いたします!」
僕は食い下がる神野の頭を無理やり下げさせる。
それから神野を小脇に抱えると先輩たちから逃げた。
「——お前は本当に何をやってるのかな???」
僕は神野を稽古場の隅に追い詰める。
壁際に立つ神野を僕が長い足で脅せば、怪訝な顔で台本を握り締めながら馬鹿は答える。
「いや、その……台詞の修正を……お願いしに……」
「先輩が書いた台本に赤字を入れて直す馬鹿がどこにいるんだ!?」
そうやって必死に叫んでも、ピンときていない様子でこちらを見上げてくる神野に僕は溜息を吐いた。
このポンコツに丁寧に説明してやる。
「いいか、神野。あの台本は先輩たちが新人公演のために用意してくださったものだ」
「それは分かっている」
「いいや、分かってない。つまりはお前よりも経験も実績もある人が書いた台本なんだよ。それをいきなり演劇未経験者のお前が書き換えたところで受け入れられると思うか?」
それを聞いた神野は真剣な表情で考え込んでいた。
よしよし、ちゃんと通じたな——。
そう思ったのも束の間。
「でも俺が書いた台詞の方がいいと思う」
神野は当然のことのように言い放った。
僕は唖然とする。
「……は?」
黒い瞳が僕の間抜けな顔を映している。
「元の台本のままだと主役の良さが損なわれる」
「神野、そういうことじゃ……」
「久城だって『すごくいい』って言ってくれたじゃないか」
「う……」
僕の反応を取り上げられると言い返せない。
だってあれは紛うことのない本音だ。
元の台詞よりも神野が書き直した台詞の方がいい。
それは、僕だって分かっている。
でもそういうことではなくて——。
「だとしても、お前は未経験者で——」
「それの何が悪いんだ?」
はっきりと言い返されて、僕はまた黙ってしまう。
曇りのない瞳が僕を見つめている。
僕の心の底まで見通すように。
「経験があろうとなかろうと俺が書いた方が上手い」
真実を告げるみたいに神野は言い切った。
「それに俺は間違ったことはしていない。相手がどんな立場であっても適切な指摘であったら受け入れるべきだ。そうしないといいものは作れない」
ぐうの音が出ないほどに正しい言い分。
僕は思わず天井を仰いだ。
僕だって同じことを思っている。
いい舞台を作るためには、立場は関係ない。
必要なのは実力であって、実績や経験ではない。
……そんなことは分かっている。
分かっていても通用しない場面があるのだ。
コイツはそれを分かっていない。
それが羨ましくて、どうしようもなくむかつく。
「だとしても、僕らはまだ一年生で、ここは学校で、部活動をしているんだ」
僕は冷酷に告げた。
わざとらしく胸の前で腕を組み、神野を見下ろす。
神野も平均身長以上はあるが、僕の方が高い。
「お前がいくら自分が正しいと主張したところで、判断するのは先輩方だ。正論だからって受け入れられるわけじゃない」
「どうしてだ?」
真っ直ぐに聞き返してくる神野に僕も苦しくなる。
無関係であるはずの場面がフラッシュバックする。
思い出したくなんてないのに。
『——オーデション、残念だったね。また挑戦しよう』
『どうしてぼくはえらばれないの?』
『……どうしてだろうね』
『ぼくのほうがみんなよりじょうずなのに』
『そうだよね……ごめんね……』
どうしてだって?
そんなの僕だって聞きたいよ。
「相手が人間だからだよ」
僕は淡々と答えた。
声が震えないようにするのは、得意だった。
「人間は理不尽だ。思い込みや偏見がある。お前みたいに外進生で、演劇経験もなく、大した実績のないやつが言うことなんて聞くに値しないんだよ」
凍えるように冷たい声を神野に浴びせた。
「お前が天才脚本家なら聞いてもらえたかもね?」
意地悪く、微笑む。
「でも違うんだよ」
目を細めて、眉を上げ、斜めに顔を傾ける。
いかにもヴィランって表情だ。
これを作るのは慣れている。
だって僕が主役を演じられるのは演劇部だけだ。
「分かったかな、凡人くん?」
神野の目が大きく見開かれ、瞳が揺れた。
強いショックを受けていることが伝わってくる。
見ているだけで胸が苦しいが、仕方がない。
誤魔化されるよりもこうやって思い知らされるほうが楽なことを僕は知っている。
「……分かった」
神野は静かに頷いた。
書き直した台本を握り締めて俯いている。
もしかしたら心が折れてしまったかもしれない。
それでも下手な希望を抱いて理想を追い続けるよりはいい。
僕はそう思って——。
「じゃあ、凡人は実績を作ればいいということだな」
神野が顔を上げる。
その表情はさっきまでと何も変わっていない。
それどころかキラキラしているような——。
「……え?」
僕が間抜けな声を漏らせば神野は拳を握り締める。
「俺が一年生で実績も経験もないことを理由に意見が退けられると言うならいずれかを改善すべきだろう」
神野は真面目な顔で指を立てた。
「まず一年生であることは変えられない。次に経験は、これから積むことになる。となれば、実績だ」
「ん? うん……?」
「公演に間に合うかはわからない。しかし最善の努力をしてみよう」
神野は胸に手を当てて力強く頷き、僕を見上げる。
「教えてくれてありがとう、久城」
「ど、どういたしまして……?」
圧倒されながらもなんとか言葉を搾り出すと神野は稽古場の隅から抜け出して出口へと向かった。
影が薄いせいか部活動中でも先輩に咎められることはない。
階段下へ消える神野洸太の背中に久城蒼は叫んだ。
「——なんなんだよ、アイツ!」
その声は何人かの部員を驚かせてしまった。
