箱庭の呪縛


 失意の底へ沈んだ心は、そう簡単には元に戻せない。
 秋を越え、年を越え、寒さの厳しい季節が通り過ぎても……僕は受験勉強に対する意欲が全く湧かなかった。蓮根に付けられた傷は、それだけ深かったのだ。第一志望の大学の合格発表日、スマホの画面に並んだ無機質な[不合格]の文字を見つめながら、僕はただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
「はぁ……やっぱりそうだよな」
 正直、当然の結果だと自分でも思う。蓮根への果てしない復讐心と、どこへ行っても居場所が無い孤立感に苛まれ、結局僕は最後までまともに机に向かうことができなかった。そんな人間が合格を勝ち取れるほど、大学受験は甘くない。すがるような思いで受けた第二志望の大学も、容赦なく[不合格]を突き付けられた。
 不甲斐なさと虚無感が押し寄せる。もう一年勉強する為に、浪人して予備校にでも通うか……? いや、今の僕にそんな気力は残されていない。この時の僕は、もはや生きることに対して心が折れていたと言っても過言ではなかった。
(どうして……。どうして僕だけが、こんな目に遭わなきゃいけないんだ……)
 高校生活を無惨に踏みにじられた挙げ句、未来の選択肢まで奪われた。自暴自棄になりながら、自分の哀れな運命を呪う。

 その後、僕は両親の助言を受けて、共通テストの点数のみで合否が決まる大学を探した。この時、既に卒業式を終えた三月中旬。偏差値のランクを大幅に下げれば、まだ最終募集に間に合う私立大学が残っていた。
 すぐに資料を取り寄せて出願。直接大学へ行って試験を受けるわけではないから実感は無いけど、その大学からは[合格]の判定を貰うことができた。
 ひとまず大学生になれることが決まり、深く安堵する。だけど……こんな形で進学先を決めてしまうことは、自分の中でも不本意ではあった。僕は行くつもりなんて全くなかった、滑り止めの滑り止め──第三志望の大学へ入学を決めた。

   *

 桜が咲く季節になっても、胸の中のしこりは消えなかった。
 初めて袖を通す新品のスーツに身を包み、臨んだ入学式。キャンパスを行き交う新入生達の浮かれた空気の中に、僕はどうしても馴染めずにいた。周りが希望に満ちた表情をしていることが羨ましくもあり、どこか疎(うと)ましくもあった。

 そんな入学式から数日が経った、ある日の講義終わり。
 同じ学部の人達で集まり、親睦を深める目的で「みんなでボウリングに行こう」という流れになっていた。当然、例外なく僕にも声が掛かる。気は進まなかったけど断る理由も思いつかず、僕は流されるまま大学近くのボウリング場へと足を運んだ。
 周りの新入生たちが一球投げる度に歓声を上げたり、ハイタッチを交わしたりして盛り上がる中、僕はレーンの端で静かに自分の順番を待っていた。
「次、上杉だろ? ドカンとかましてやれよ!」
 大きな声でそう言って僕の背中を叩いたのは、名簿順の学籍番号で並べられ同じグループになった小川(おがわ) 秀介(しゅうすけ)だった。見るからに熱血といった雰囲気でノリが良く、初対面の相手にも物怖じせず距離を詰めてくるタイプだ。
「おい秀介、初対面で圧が強すぎるだろ。もっとゆっくり親睦を深めろよ──」
 そのすぐ後ろで、同じく一緒のグループである江藤(えとう) 純(じゅん)が冷ややかな声で宥(なだ)めている。「えぇ~今日くらいはいいだろ~」と騒ぎ立てる小川を、江藤は終始冷徹な目線で見つめていた。

「じゃあ、投げるよ」
 僕はボールを手に取り、レーンの前に立つ。
 すると、頭の中にふっと懐かしい風景が蘇ってきた。高校時代、放課後にカズと何度も通った地元のボウリング場の、あの風景。
『透は右足の踏み込みが甘いんだよ。もっと腰を落とせって!』
 運動神経が抜群だったカズは、ボウリングでもコツを掴むのが早く、僕にフォームのアドバイスをくれた。まだ青春を謳歌(おうか)していた17歳。カズと一緒に過ごした、あの頃の楽しかった思い出。
 無意識のうちに、僕はカズに叩き込まれたフォームを再現していた。勢いよく放たれたボールは、綺麗な直線を描きながらレーンの中央を突き進み、吸い込まれるように一番ピンへ直撃。
 バコォン! という快音を響かせ、十本のピンが一瞬で弾け飛ぶ。自分で見ても美しいストライクだった。

「──よしっ」
 小さくガッツポーズをしながら後ろを振り返ると、目を丸くした小川と江藤の表情が目の前に飛び込んでくる。
「うぉー! マジかよ上杉! めちゃくちゃ綺麗に決まったじゃん!」
 小川は僕の肩を揺さぶりながら、まるで自分のことのように大はしゃぎする。
「──綺麗なラインだったな、上杉。実に無駄の無いフォームだ」
 江藤も少し驚いたように目を細め、感心したように頷いていた。
 僕はその後も順調にスコアを伸ばし続けた。ダブルやターキーを連発し、最終的にスコアは二百を軽々と超えた。親睦会には似つかわしくない数字に、周りの新入生達からも「すげえ」「プロかよ」とどよめきが起こる。

「おい上杉! 何でそんなにボウリングうまいんだよ!?」
 最後のゲームが終わって親睦会がお開きになるやいなや、小川が興奮気味に肩を組みながら尋ねてきた。
「えっ? あぁ、いや……高校の時に友達とよく行っててさ」
 彼の距離の詰め方に戸惑いながら、そう答える。
 すると同時に、脳裏にカズの眩しい笑顔が浮かんだ。共にスコアを競い合った思い出が、今でもこうして僕の指先に残っている。そう思うと──どこか切なくもあり、少しだけ胸が温かくなった。
「へぇ──相当やり込んでたんだな。通りでプロ顔負けなスコアを叩き出すわけだ」
 隣で腕を組む江藤が、静かな声で納得したように呟く。彼はあまり感情が表に出ないけど、その表情には確かな好奇心を感じる。
「なぁ、透って呼ばせてくれ。よかったら連絡先も交換しようよ。今度は親睦会じゃなくて、純粋に一緒に遊びたい」
「俺にも教えてよ! これからよろしくな、透!」
 小川と江藤の勢いに押される形で、僕はポケットからスマホを取り出した。
「う、うん──。こちらこそ、ありがとう──」

 大学で初めてできた友達、小川と江藤。他の誰かとワイワイ楽しく過ごすなんて本当に久しぶりで、人として生きている実感を存分に味わうことができた。
 ずっと灰色のまま止まっていた僕の時間。これからもずっと止まっていると思っていた。だけど──新しく出会った二人の友達によって、ほんの少しだけ時間が動き始めた気がした。