「もういいよ、もう美里で居ていいんだよ」
いつか告げる日が来る事が分かっていたのに、私の口からはあまりにも情けない声しか出なかった。美里が美晴と言う人格を生み出してしまった理由は、母親からの暴力で間違いない。でも、きっとそれだけではないと私は思う。
あの頃の美里は周りの女子と比べて群を抜いて人気者だった。男子からだけでなく、女子からも人気だったけれど、一部の女子から嫌がらせを受けていた事も事実だった。出来るだけ私が阻止しようと、更衣室には美里より先に入ったり、朝早く学校へ来て机に何も置かれていないか確認をする日々を送った。そのお陰で度々私が標的になって、靴箱にゴミを入れられたり、ノートに落書きをされた。
そんな事実、碧はきっと一ミリも知らない。美里と並んで人気者だった碧には、彼女達はいい顔をする。美里もそんな碧に告げ口なんてしない。「次に和泉くんが標的になんてされたら私は……」とあの頃の美里はよく言ってた。だから私は美里に「私たち二人だけで耐え抜こう」と、そう言った。
人気者の自分と、イジメらている自分、そして家庭内暴力を受けている自分。美里には学校であった嫌な事を聞いてくれる大人が家にはいない。「お父さんに相談したら?」と私が言うと「心配をかけたくない」とそれだけを言っていたし、「暴力を振るわれていることすら、お父さんは知らない」と言っていた。あの頃の美里には逃げ場がなかったんだと思う。そうやって過ごしているうちに、美里は美晴という人格を生み出していった。
その違和感に気がついたのは、中学生になり、いじめが落ち着いてきた頃。七瀬家では珍しく家族で買い物に行ったと言う話をしてくれた時だった。
「その時美晴がー…」と、確かに美里は言いかけた。私が、「ん?」と、聞き返すと、とても焦った様子で、「ううん!それでねー…」と、話を続けた。その時私は確かに「美晴」と言う名前を耳にした。「美里」と「美晴」姉妹の様な名前だと思った。でも確か美里はずっと一人っ子で、妹が生まれたなんて事も聞いたことがない。数年前に家に遊びに行った時も、勉強机は一つだったし、飾られている写真も、三人家族だったはず。まあ、言い間違いか、私の知らない友達の名前だろうと、この時はそこまで気にしていなかった。と言うのも、「お母さん最近落ち着いてきたんだよね」と聞かされていたからだ。中学になり、いじめもなくなって、家庭も落ち着いてきていた。いい事が起こる前兆だと、私はそう思っていた。なのに―……。
「美里ー?」
あの日は美里が体調不良で、私は様子を見に行こうと家へ訪れた。インターホンが壊れているのか、押しても家の中で鳴っている気配がなかった。ドアノブを捻ると、鍵が開いていた。いくら田舎だからとはいえ……と少し呆れて玄関に足を踏み入れると、なんだか嫌な予感がした。根拠はなかったけれど、ここから離れないと、と思うくらいには空気が重かったのを覚えている。
「美里ー?玄関空いてたんだけどー?大丈夫ー?」
そう声を張ってみると、「栞ちゃん?!」と、美里の驚いたような声が聞こえた。誰かと話している様な感じがして、その相手はお客さんが来ているか、あの母親だろうと思った。でもリビングから駆け足で走ってきた美里を見て、何かとんでもないことが起きていることを覚悟した。頬に拭った後のある赤い血、服についた赤い血、手を隠しているけれど、隠しきれていない滴る赤い血。
「待って栞ちゃん!!」と叫ぶ美里を差し置いて急いでリビングに向かうと、私の覚悟を上回る光景が目に飛び込んできた。心臓の鼓動が速くなり、震えた。血に染まった絨毯やソファー。あの母親だけではない、父親も腹部を刺され倒れていた。
でもそんな光景よりも私を震えさせたのは、後ろから私を追いかけてきた美里の顔が、私の知っている美里では無くなっていた事だった。さっきまでは動揺していたけれど、いつもの美里の顔だったはずなのに、見たことのない表情で立ち尽くしている。そして次の瞬間、さらにとんでもないことを言い出した。
「初めまして、双子の妹の美晴です」
「美晴」それはあの時、私が美里の口から確かに聞いた名前だった。点と点が繋がった、そんな気持ちになった。家族の話をしていたのに、どうして急に「美晴」の名前が出たのか。そしてどうして今まで酷い目にあってきたのに耐え抜いてこれたのか……。
「双子……」
「言うタイミング逃して、そう言えば双子だって言ってなかったね……ごめん」
表情は美晴なのに、今のは美里の言葉だった。一人二役……。その時にやっと、美里は完全なる二重人格だと理解した。それと、コロコロと人格が変わって、二人で会話ができるくらいには重症だと言うことも。
「これは……どう言うこと」と呟いてしまった言葉は、この状況への言葉なのか、美里への言葉なのか、自分でも分からなかった。
「説明すると長くなりそうだから簡潔に言うと、お父さんを刺したお母さんを私が殺したってこと」
そう説明するのは美晴だ。美晴になると声色が少しだけ変わる。重たく、低くなる。美晴のその言葉で、さっき私が口にした言葉が、この状況への言葉になった。
それからはもう、あんなに好きだった美里が怖いと思うくらいに、美里になったり、美晴になったりと、人格が変わった。
硬直する体とは裏腹に、私もスラスラ言葉が出てきた。それは、美晴と私が同じ気持ちを持っていると分かったからだ。美晴は美里を守る言葉しか発しない。どうやら、母親の首を切ったのは美里で、美晴を守る為だったとか。本当は美里の体しかないのだから、訳がわからなくなりそうになりながらも、私は会話を続けた。
ただ、美晴という人格が存在しているだけだ。美里がこうなった場合、私がやることは一つ。
「いっそのこと二人も傷ついて、私が発見したことにする?そしたら、生き残った可哀想な娘たちになれるかも」
それは美里を無実に導くこと。美里を真っ当な人生に戻すこと。ただそれだけだ。それでも、自分でもよくこんなことが頭に出てくるなと、自分の人格を疑いたくなった。でも次の瞬間、私の頭にはなかった事が提案される。
「火を放とう」
そう言う美里の姿をした美晴は、拳を強く握っていた。美里に対する気持ちの強さ、執着、私に対する妬み、嫉みを一気に感じ取る事ができた。
それでも、私は美晴とは向かう先が同じだと思った。美里を守りたい。彼女はただそれだけなのだろう。淡々と話す美晴が考えたシナリオは、瞬時に考えたとは思えないくらいちゃんとしていた。彼女は美里に比べて冷静な判断ができている。
「うん。そのシナリオいいかも。炎が大きくなる前に私が通報すればいいし。焼死した人って解放ができなくて死因がわからないことが多いってテレビで見たことある。お母さんの死因はあくまで焼死ってことにできそう」
私はそんな美晴に対抗するように答えた。なんとか美里も同意し、実行に移される。先ほどまで硬直していた体をなんとか動かし、私は家を出た。すると一気に力が抜け、立ち上がれなくなった。
突然の殺人現場に、突然の二重人格。普通ではあり得ない状況を、なんとか耐え抜いた私は酷い吐き気に襲われ、我慢が出来ずに吐き出した。しばらく動けないでいると、焦げ臭い匂いがして、その時誰かが私の元へ歩いてくるのが見えた。同じ中学の制服を着ている。こんなところ見られたら……いや、その前に通報をしないと……と思ったところで意識が飛んだ。
次に目を覚ました時には公園にいて、サイレンの音が鳴っていた。時計を見ると、さっきからほんの三十分程度しか経っていない。
「起きた?」
突然声がして振り向くと、手に水を持ち、立ち尽くしている相田くんがいた。
「え……なんで……あ、通報!!!」
そう慌てて言うと、相田くんは落ち着いた様子で、「通報したよ、消防と救急」と、顔色を変えずに答えた。
「……ありがと」
「栞ちゃん眠っているみたいだったから一旦ここに連れてきた」
「そう……って、美里は?無事なんだよね?」
「さあ?栞ちゃんをここに運ぶのが精一杯でニュースを見てないし、そもそもまだ、火は消えてないみたいだよ」
相田くんの言葉に驚き、辺りを見渡すと、確かに火と煙が見えた。私の心臓がドクンと鳴り、その衝動で走り出した。
「相田くんが見たこと誰にも言わないで!ここで待ってて」
私は走りながら雑に叫んだ。相田くんからの好意に薄々気がついていた私は、それを利用した。彼はそんなに忠告をしなくても、私に不利なことは言わない。なぜかその自信があった。
美里のマンションの前に着くと、碧が肩を揺らしながら立っていた。ニュースを見て駆けつけたのだろう。野次馬が集まっている中で、中学生の碧は一際目立っていた。
「碧……」
碧の気持ちが背中から伝わってきた。昔から正義感が溢れる性格な碧のことだ。自分のせいだとか、自分がこうしていればと思っているに違いない。幼稚園の頃、私をいじってくる男の子たちから守ってくれた時の碧の背中を思い出した。好きな女の子のピンチを、前兆を知っておきながら救えなかったのは、とても酷なことだと思う。私も、あの時に家に入ったのが私ではなくて碧だったら、どれほど悔しい思いをしただろうか。
碧の手を握った。いつぶりに手を繋いだだろう。私より細かった指はいつの間にか男らしくなった。この手で美里を守りたかったであろう。この手で引き止めたかったであろう。碧が私の手を強く握るから、それに応えるように握り返した。
碧の美里への想いは、随分と前から理解している。だから私は、自分の想いに蓋をして、二人を応援してきた。男は女と恋をして、女は男と恋をする事が、大半の人の中での『普通』になっていることを知っているから。二人がこのまま付き合って、結婚して、幸せに暮らして行けたらいいと思った。私にとっても碧は大切な従兄妹だからそう思えた。『普通』の幸せを二人には手に入れて欲しい。邪魔はしない。私は美里の『親友』であり続けられればそれでいい。『恋人』にはなれなくても、『親友』なら一生だと思った。
けれど、状況が一変した。美里は母親を手にかけ、私が隠蔽をした。そして美晴の存在を理解出来るのはきっと私だけだ。碧は父親の教育で、犯罪者を毛嫌いしている節がある。ニュースで見る犯罪事件に向かって「こんなことする人は人間じゃない」「罪は償うべきだ」そう言っていたのを何度か見た事があるからだ。
美里の状況は最悪だけれど、私にとってはもしかすると好都合なのかもと思うようになった。美里は私と秘密を共有した事で私を心底信用するようになり、正義感溢れる碧を鬱陶しく感じる時が来るかもしれない。その時に隣にいるのは私だ。碧がこの先全てを知る日が来たとしても、もしかしたら受け止められないかもしれない。ヒーローはヒロインがヴィランでも、制裁を与えることが使命だからだ。そして、碧にはそうであって欲しいとも思う。昔から私にとって、碧はヒーローだから、そのままでいて欲しいから、美里は私だけが守る。
自分が美里の側に居たいという思いと、碧の初恋と言う綺麗な思い出を守ってあげたい気持ちが私の覚悟を決めさせた。
美里の家で起こった火事は、事故として処理された。ニュースでも報道され、シナリオ通り、美里は生き残った可哀想な娘になった。
碧に内緒で相田くんに聞いた病院へ一人で行くと、既に美里は目を覚ましていた。どうやら父親側の親戚も私より少し前にお見舞いに来たようで、桃が入った箱が置いてあった。
そして次の瞬間、隣の空席のベッドを見守る美里が、美晴だということに気がつくことになる。
「美里が、目を覚まさないの」
誰もいないはずの綺麗に整頓された隣のベッドを見ながら、そう告げる声は低かった。
「……そう」
「このまま目を覚まさないかもって先生が。事故のショックで閉じこもっているのかもって」
「……そうなっても仕方がないかも。美里、優しい子だから」
あまりの出来事に、あの事件の日の様な体の硬直を感じた。二重人格で、元の人格が無くなるということがあるのだろうか。家に帰り、ネットで調べると、強いショックを受けたりするとそうなる場合もあると書いてあった。元の人格が、作り出した人格に取り込まれたり、自ら元の人格が隠れていたりするらしい。きっと美里は、自分のしてしまった事実を隠しておきたいのだろう。信じられなくて、起きて来れなくなった。美晴に全てを託して、眠り続けたいと願った。
美晴は美里で、美里は美晴で……。考えれば考えるほど、訳が分からなくなる。美晴がこれからどう生きていけば美里にとって好都合なのだろう。そもそも、七瀬美晴なんて人はこの世界には存在していない訳で、その事実を美晴が知ったら美里はどうなってしまうのだろう。
考えれば考えるほど訳が分からなくなるなか、ある事を思いついた。それは美晴が、美里として生きていくこと。そうすれば、美里が目を覚ました時に生活を大きく変えることも無ければ、美晴も堂々と生活が出来る。美晴が家の中や一人の時にしか出て来れなかった人格だと考えたら、もしかしたら窮屈に感じていたかもしれない。それだったらこの話に乗ってくれるかも……と思い、私は提案する事にした。
すると、初めこそ動揺していたものの、案外すんなりと私の提案に乗ってくれた。美晴が外の世界に憧れを持っていたのは確かで、そして何より、美里の人生を守りたいと言った私の意見に賛同してくれたのだ。私と美晴はやはり根本が同じだ。美里が中心で世界が回っている。似た者同士助け合えると思った。
ただ、秘密を共有し続ける事と、秘密を守り続ける為には、『嘘』が必要になってくる。それは私が美里に出会って気持ちを抑え、碧との恋を応援していた時に実感した事。私は美里への好意を秘密にする為に、何度も嘘をついた。好きなタイプを聞かれた時に嘘ついた。映画に出ている俳優の、どちらが好きか聞かれて嘘をついた。碧との遊びに「行ってきなよ」って嘘をついた。お似合いだよって嘘をついた。親友でいられたらそれでいいと、自分にも嘘をついた。
「秘密を貫くには、ひとつの嘘じゃ足りない。嘘に嘘を重ねて、それを真実にしていくしかない」
私がそう告げると、美晴は覚悟を決めたような顔で頷いた。そして、私は美里が眠ったままだと言う、美晴への事実という名の秘密を貫く為に、嘘をつく覚悟をした。
私が、美里の人生を守ろう。
私がみんなを欺こう。
私が、碧を裏切ろう。
私が、一番の悪になろう。
全ては、美里のためにー……。
そう、心に決めて十三年もの間、嘘を、秘密を、守り続けた。なのに、どうだ。美里は全く目を覚まそうとしない。起きてこようとしない。むしろ、美晴の人格が強くなる一方だ。美晴は、美里の身体で、美晴としての人生の夢まで見つけた。いきなり養護教諭の資格を取ったと言われたとき、私は動揺を隠せなかった。なぜ勝手なことばかりするのかと言うと、どうして応援してくれないのと美晴は怒った。最初は私に従順だった美晴は、どんどん年月が経つにつれ、主張が強くなった。それは、反対に美里が薄れているという証拠でもあった。
もう、限界かもしれない。全て話して、精神科に任せるべきなのかもしれない。そもそも、あの火事の時にそうしていたら、こんなことにはなっていなかったのかもしれない。私の選択が、美里の人生を閉じ込めてしまった。そう思う日々が続いて、私はすっかり疲弊していた。
そんな時、私にとって、もっと嫌なことが起きた。美晴と碧が再会をしてしまった事だ。そんなの私のシナリオにはない。神様は誰の味方をしているんだとイライラした。碧に再会してしまった美晴は、ますます美晴としての人生を優先したくなる。そんなこと分かりきっていた。だから八年前、もう一度碧の前から姿を消すように説得したんだ。大人になって再会してしまったら、この八年の年月が全て無駄になる。美晴は、あくまで美里なんだ。いつでも美里の人格が戻ってきてもいいように、社会的地位と普通の生活を手に入れてもらったのに、美晴の欲ばかりが叶っていく。
そんな時、私もある人と再会を果たした。
「栞ちゃん」
会社の前で話しかけられて振り向くと、スーツ姿の相田くんだった。数年会っていなかったからか、大人っぽく成長していて、まるで別人みたいだった。
「えー?!ひ、久しぶり……!どうして会社の前にいるの?」
「栞ちゃんのお母さんに聞いた」
「そ、そう。何か用?」
私にとって、相田くんは救世主でもあり、敵でもある。私は知っている。高校生の頃、美里を演じている美晴に、碧に全部話せと言ったこと。私のシナリオの邪魔をしようとしたこと。私のためだとか言って美晴の良心に訴えたこと。
私のため?そんなの自分のためじゃない。
自分の好きになった栞という理想の女の子が壊れるのが怖いから、私を解放させたいとか言って邪魔をした。
「七瀬さんと和泉くん、再会したんだってね」
「っ、美里から聞いたのね」
相田くんは、あの火事の真実は知っていても、美里の秘密は知らない。どこか怪しいと思われているけれど、私はあの事は誰にも一度も、口にしていない。
「栞ちゃんピンチかなと思って」
「えー、何が?ピンチでも何でもないよ、友達同士の再会は嬉しいし」
「もう言うね、僕知ってるよ、七瀬美里の人生を今じゃ七瀬美晴が生きていること」
「?!なんで、そのこと……もしかして美晴が?!」
相田くんは首を横に振った。
「僕は全部知ってた。ほら、僕って、あの頃変だったでしょ。気づいてたと思うけど、栞ちゃんのことが好きでさ、好きすぎて、いつも後を追っていたんだよ」
「後を追ってたって……じゃああの日、たまたま居合わせたんじゃなくて、後をついてきてたってこと?」
「そう、だから、あの日、僕も七瀬さんに家に入ったんだ」
「そ、それは……やりすきでしょ、いくら私のことが好きだからって人の家に勝手に入るなんて」
「そう、ほんとそうなんだよ。頭がおかしかった。でもだから、七瀬さんの秘密知っちゃったんだ。君と、七瀬さんの会話を、廊下で聞いてた」
そう言われて、私はなんだかホッとしていた。体の力が一気に抜けて、背筋が曲がる。
「……そうなんだ、知ってたのね。なんだ……なんか、肩の荷が下りた感じ。なにこれすごい」
「栞ちゃんは背負いすぎなんだよ、何もかも。あの頃、僕はすぐ栞ちゃんにこのことを言おうとしたんだ。でも、僕の事避けてたでしょ。触れられたくないんだと思って何も言わなかった。七瀬さん、いや、美晴さんには僕が知ってること言ったけど、そうか、あの子は君に言わなかったんだね」
「美晴、知ってたの?」
「うん。きっと、海外にいる君に心配をかけたくなかったんだね。君と彼女は、なんだか合っているようですれ違って、すれ違っているようで合っていて。よくわからないね」
「ええ。目的は一緒なの。美里を守りたくて、私達はあんなことをして、私は美晴にも嘘をついた。でも、十三年も経つと、何が正解か分からなくなる……。ほら、あの頃は十三歳だったでしょ。子供で、衝動的に考えを発したり、行動に移したりできた。でも今はいい大人で、考えも変わってきたの。あの頃の私の選択は正解だったのかって。もしかしたら、美里としてもっと早く生きられる人生があったんじゃないかって最近思うの。美晴の人格が、どんどん強くなっているから、私は焦っているのね。最近、無性にイライラして、仕方がないのよ」
相田くんは、私の隣に腰を掛け、背中をさすってくれた。
「栞ちゃん、もっと楽に考えたらどうかな。君は秘密を抱えすぎて、頭がパンクしてるんだよ。全部話せば、楽になるんじゃない?」
「いや、でも、今更美晴にそんなこと……」
「じゃあこのまま、七瀬さんの人格が無くなってもいいの?」
「……よくない、絶対よくないけど」
「じゃあ、告げるしかないね、真実を。それがみんなを救う術だと思う。和泉くんにも全部話すんだ。いきなりは話せなくても、まずはあの火事の日の出来事とかさ……ほら、双子だっていう美晴さんからの目線に、一旦和泉くんにもなってもらったらいいんじゃない?そしたら彼ならきっと行動に移すよ。正義感が人一倍ある和泉くんだもん。今彼女がしようとしていることを、止めてくれるはずだよ」
「っ、相田くん、そこまで知ってるの?」
「うん、これは美晴さんから聞いたけどね」
「そう……なんだか私は、あんたが一番怖いわよ」
「はは、だろうね。僕もどうしてだか、君のことになるとしつこくなってしまうんだよ。初恋って怖いね」
「……ええ」
相田くんと話して、心が軽くなっている自分がいた。誰かに話すって、こんなにも気持ちを楽にするんだと思った。秘密はひとつの嘘じゃ足りなくて、嘘に嘘を重ねて、嘘を真実にしていかなくてはいけない。でも、嘘を重ねても、守りたかったものは何一つ守れていなかった。
美里は目を覚まさない。美晴は、私の知らないところで壊れていく。そして私は、膨れ上がった秘密に耐えきれず疲弊し、何もかも上手くいかなくなった。
守っているつもりで、美里を閉じ込めていただけだったのかもしれない。
だから私は、決めた。みんなに、全部話す。碧と美晴に、全て、話すの。
いつか告げる日が来る事が分かっていたのに、私の口からはあまりにも情けない声しか出なかった。美里が美晴と言う人格を生み出してしまった理由は、母親からの暴力で間違いない。でも、きっとそれだけではないと私は思う。
あの頃の美里は周りの女子と比べて群を抜いて人気者だった。男子からだけでなく、女子からも人気だったけれど、一部の女子から嫌がらせを受けていた事も事実だった。出来るだけ私が阻止しようと、更衣室には美里より先に入ったり、朝早く学校へ来て机に何も置かれていないか確認をする日々を送った。そのお陰で度々私が標的になって、靴箱にゴミを入れられたり、ノートに落書きをされた。
そんな事実、碧はきっと一ミリも知らない。美里と並んで人気者だった碧には、彼女達はいい顔をする。美里もそんな碧に告げ口なんてしない。「次に和泉くんが標的になんてされたら私は……」とあの頃の美里はよく言ってた。だから私は美里に「私たち二人だけで耐え抜こう」と、そう言った。
人気者の自分と、イジメらている自分、そして家庭内暴力を受けている自分。美里には学校であった嫌な事を聞いてくれる大人が家にはいない。「お父さんに相談したら?」と私が言うと「心配をかけたくない」とそれだけを言っていたし、「暴力を振るわれていることすら、お父さんは知らない」と言っていた。あの頃の美里には逃げ場がなかったんだと思う。そうやって過ごしているうちに、美里は美晴という人格を生み出していった。
その違和感に気がついたのは、中学生になり、いじめが落ち着いてきた頃。七瀬家では珍しく家族で買い物に行ったと言う話をしてくれた時だった。
「その時美晴がー…」と、確かに美里は言いかけた。私が、「ん?」と、聞き返すと、とても焦った様子で、「ううん!それでねー…」と、話を続けた。その時私は確かに「美晴」と言う名前を耳にした。「美里」と「美晴」姉妹の様な名前だと思った。でも確か美里はずっと一人っ子で、妹が生まれたなんて事も聞いたことがない。数年前に家に遊びに行った時も、勉強机は一つだったし、飾られている写真も、三人家族だったはず。まあ、言い間違いか、私の知らない友達の名前だろうと、この時はそこまで気にしていなかった。と言うのも、「お母さん最近落ち着いてきたんだよね」と聞かされていたからだ。中学になり、いじめもなくなって、家庭も落ち着いてきていた。いい事が起こる前兆だと、私はそう思っていた。なのに―……。
「美里ー?」
あの日は美里が体調不良で、私は様子を見に行こうと家へ訪れた。インターホンが壊れているのか、押しても家の中で鳴っている気配がなかった。ドアノブを捻ると、鍵が開いていた。いくら田舎だからとはいえ……と少し呆れて玄関に足を踏み入れると、なんだか嫌な予感がした。根拠はなかったけれど、ここから離れないと、と思うくらいには空気が重かったのを覚えている。
「美里ー?玄関空いてたんだけどー?大丈夫ー?」
そう声を張ってみると、「栞ちゃん?!」と、美里の驚いたような声が聞こえた。誰かと話している様な感じがして、その相手はお客さんが来ているか、あの母親だろうと思った。でもリビングから駆け足で走ってきた美里を見て、何かとんでもないことが起きていることを覚悟した。頬に拭った後のある赤い血、服についた赤い血、手を隠しているけれど、隠しきれていない滴る赤い血。
「待って栞ちゃん!!」と叫ぶ美里を差し置いて急いでリビングに向かうと、私の覚悟を上回る光景が目に飛び込んできた。心臓の鼓動が速くなり、震えた。血に染まった絨毯やソファー。あの母親だけではない、父親も腹部を刺され倒れていた。
でもそんな光景よりも私を震えさせたのは、後ろから私を追いかけてきた美里の顔が、私の知っている美里では無くなっていた事だった。さっきまでは動揺していたけれど、いつもの美里の顔だったはずなのに、見たことのない表情で立ち尽くしている。そして次の瞬間、さらにとんでもないことを言い出した。
「初めまして、双子の妹の美晴です」
「美晴」それはあの時、私が美里の口から確かに聞いた名前だった。点と点が繋がった、そんな気持ちになった。家族の話をしていたのに、どうして急に「美晴」の名前が出たのか。そしてどうして今まで酷い目にあってきたのに耐え抜いてこれたのか……。
「双子……」
「言うタイミング逃して、そう言えば双子だって言ってなかったね……ごめん」
表情は美晴なのに、今のは美里の言葉だった。一人二役……。その時にやっと、美里は完全なる二重人格だと理解した。それと、コロコロと人格が変わって、二人で会話ができるくらいには重症だと言うことも。
「これは……どう言うこと」と呟いてしまった言葉は、この状況への言葉なのか、美里への言葉なのか、自分でも分からなかった。
「説明すると長くなりそうだから簡潔に言うと、お父さんを刺したお母さんを私が殺したってこと」
そう説明するのは美晴だ。美晴になると声色が少しだけ変わる。重たく、低くなる。美晴のその言葉で、さっき私が口にした言葉が、この状況への言葉になった。
それからはもう、あんなに好きだった美里が怖いと思うくらいに、美里になったり、美晴になったりと、人格が変わった。
硬直する体とは裏腹に、私もスラスラ言葉が出てきた。それは、美晴と私が同じ気持ちを持っていると分かったからだ。美晴は美里を守る言葉しか発しない。どうやら、母親の首を切ったのは美里で、美晴を守る為だったとか。本当は美里の体しかないのだから、訳がわからなくなりそうになりながらも、私は会話を続けた。
ただ、美晴という人格が存在しているだけだ。美里がこうなった場合、私がやることは一つ。
「いっそのこと二人も傷ついて、私が発見したことにする?そしたら、生き残った可哀想な娘たちになれるかも」
それは美里を無実に導くこと。美里を真っ当な人生に戻すこと。ただそれだけだ。それでも、自分でもよくこんなことが頭に出てくるなと、自分の人格を疑いたくなった。でも次の瞬間、私の頭にはなかった事が提案される。
「火を放とう」
そう言う美里の姿をした美晴は、拳を強く握っていた。美里に対する気持ちの強さ、執着、私に対する妬み、嫉みを一気に感じ取る事ができた。
それでも、私は美晴とは向かう先が同じだと思った。美里を守りたい。彼女はただそれだけなのだろう。淡々と話す美晴が考えたシナリオは、瞬時に考えたとは思えないくらいちゃんとしていた。彼女は美里に比べて冷静な判断ができている。
「うん。そのシナリオいいかも。炎が大きくなる前に私が通報すればいいし。焼死した人って解放ができなくて死因がわからないことが多いってテレビで見たことある。お母さんの死因はあくまで焼死ってことにできそう」
私はそんな美晴に対抗するように答えた。なんとか美里も同意し、実行に移される。先ほどまで硬直していた体をなんとか動かし、私は家を出た。すると一気に力が抜け、立ち上がれなくなった。
突然の殺人現場に、突然の二重人格。普通ではあり得ない状況を、なんとか耐え抜いた私は酷い吐き気に襲われ、我慢が出来ずに吐き出した。しばらく動けないでいると、焦げ臭い匂いがして、その時誰かが私の元へ歩いてくるのが見えた。同じ中学の制服を着ている。こんなところ見られたら……いや、その前に通報をしないと……と思ったところで意識が飛んだ。
次に目を覚ました時には公園にいて、サイレンの音が鳴っていた。時計を見ると、さっきからほんの三十分程度しか経っていない。
「起きた?」
突然声がして振り向くと、手に水を持ち、立ち尽くしている相田くんがいた。
「え……なんで……あ、通報!!!」
そう慌てて言うと、相田くんは落ち着いた様子で、「通報したよ、消防と救急」と、顔色を変えずに答えた。
「……ありがと」
「栞ちゃん眠っているみたいだったから一旦ここに連れてきた」
「そう……って、美里は?無事なんだよね?」
「さあ?栞ちゃんをここに運ぶのが精一杯でニュースを見てないし、そもそもまだ、火は消えてないみたいだよ」
相田くんの言葉に驚き、辺りを見渡すと、確かに火と煙が見えた。私の心臓がドクンと鳴り、その衝動で走り出した。
「相田くんが見たこと誰にも言わないで!ここで待ってて」
私は走りながら雑に叫んだ。相田くんからの好意に薄々気がついていた私は、それを利用した。彼はそんなに忠告をしなくても、私に不利なことは言わない。なぜかその自信があった。
美里のマンションの前に着くと、碧が肩を揺らしながら立っていた。ニュースを見て駆けつけたのだろう。野次馬が集まっている中で、中学生の碧は一際目立っていた。
「碧……」
碧の気持ちが背中から伝わってきた。昔から正義感が溢れる性格な碧のことだ。自分のせいだとか、自分がこうしていればと思っているに違いない。幼稚園の頃、私をいじってくる男の子たちから守ってくれた時の碧の背中を思い出した。好きな女の子のピンチを、前兆を知っておきながら救えなかったのは、とても酷なことだと思う。私も、あの時に家に入ったのが私ではなくて碧だったら、どれほど悔しい思いをしただろうか。
碧の手を握った。いつぶりに手を繋いだだろう。私より細かった指はいつの間にか男らしくなった。この手で美里を守りたかったであろう。この手で引き止めたかったであろう。碧が私の手を強く握るから、それに応えるように握り返した。
碧の美里への想いは、随分と前から理解している。だから私は、自分の想いに蓋をして、二人を応援してきた。男は女と恋をして、女は男と恋をする事が、大半の人の中での『普通』になっていることを知っているから。二人がこのまま付き合って、結婚して、幸せに暮らして行けたらいいと思った。私にとっても碧は大切な従兄妹だからそう思えた。『普通』の幸せを二人には手に入れて欲しい。邪魔はしない。私は美里の『親友』であり続けられればそれでいい。『恋人』にはなれなくても、『親友』なら一生だと思った。
けれど、状況が一変した。美里は母親を手にかけ、私が隠蔽をした。そして美晴の存在を理解出来るのはきっと私だけだ。碧は父親の教育で、犯罪者を毛嫌いしている節がある。ニュースで見る犯罪事件に向かって「こんなことする人は人間じゃない」「罪は償うべきだ」そう言っていたのを何度か見た事があるからだ。
美里の状況は最悪だけれど、私にとってはもしかすると好都合なのかもと思うようになった。美里は私と秘密を共有した事で私を心底信用するようになり、正義感溢れる碧を鬱陶しく感じる時が来るかもしれない。その時に隣にいるのは私だ。碧がこの先全てを知る日が来たとしても、もしかしたら受け止められないかもしれない。ヒーローはヒロインがヴィランでも、制裁を与えることが使命だからだ。そして、碧にはそうであって欲しいとも思う。昔から私にとって、碧はヒーローだから、そのままでいて欲しいから、美里は私だけが守る。
自分が美里の側に居たいという思いと、碧の初恋と言う綺麗な思い出を守ってあげたい気持ちが私の覚悟を決めさせた。
美里の家で起こった火事は、事故として処理された。ニュースでも報道され、シナリオ通り、美里は生き残った可哀想な娘になった。
碧に内緒で相田くんに聞いた病院へ一人で行くと、既に美里は目を覚ましていた。どうやら父親側の親戚も私より少し前にお見舞いに来たようで、桃が入った箱が置いてあった。
そして次の瞬間、隣の空席のベッドを見守る美里が、美晴だということに気がつくことになる。
「美里が、目を覚まさないの」
誰もいないはずの綺麗に整頓された隣のベッドを見ながら、そう告げる声は低かった。
「……そう」
「このまま目を覚まさないかもって先生が。事故のショックで閉じこもっているのかもって」
「……そうなっても仕方がないかも。美里、優しい子だから」
あまりの出来事に、あの事件の日の様な体の硬直を感じた。二重人格で、元の人格が無くなるということがあるのだろうか。家に帰り、ネットで調べると、強いショックを受けたりするとそうなる場合もあると書いてあった。元の人格が、作り出した人格に取り込まれたり、自ら元の人格が隠れていたりするらしい。きっと美里は、自分のしてしまった事実を隠しておきたいのだろう。信じられなくて、起きて来れなくなった。美晴に全てを託して、眠り続けたいと願った。
美晴は美里で、美里は美晴で……。考えれば考えるほど、訳が分からなくなる。美晴がこれからどう生きていけば美里にとって好都合なのだろう。そもそも、七瀬美晴なんて人はこの世界には存在していない訳で、その事実を美晴が知ったら美里はどうなってしまうのだろう。
考えれば考えるほど訳が分からなくなるなか、ある事を思いついた。それは美晴が、美里として生きていくこと。そうすれば、美里が目を覚ました時に生活を大きく変えることも無ければ、美晴も堂々と生活が出来る。美晴が家の中や一人の時にしか出て来れなかった人格だと考えたら、もしかしたら窮屈に感じていたかもしれない。それだったらこの話に乗ってくれるかも……と思い、私は提案する事にした。
すると、初めこそ動揺していたものの、案外すんなりと私の提案に乗ってくれた。美晴が外の世界に憧れを持っていたのは確かで、そして何より、美里の人生を守りたいと言った私の意見に賛同してくれたのだ。私と美晴はやはり根本が同じだ。美里が中心で世界が回っている。似た者同士助け合えると思った。
ただ、秘密を共有し続ける事と、秘密を守り続ける為には、『嘘』が必要になってくる。それは私が美里に出会って気持ちを抑え、碧との恋を応援していた時に実感した事。私は美里への好意を秘密にする為に、何度も嘘をついた。好きなタイプを聞かれた時に嘘ついた。映画に出ている俳優の、どちらが好きか聞かれて嘘をついた。碧との遊びに「行ってきなよ」って嘘をついた。お似合いだよって嘘をついた。親友でいられたらそれでいいと、自分にも嘘をついた。
「秘密を貫くには、ひとつの嘘じゃ足りない。嘘に嘘を重ねて、それを真実にしていくしかない」
私がそう告げると、美晴は覚悟を決めたような顔で頷いた。そして、私は美里が眠ったままだと言う、美晴への事実という名の秘密を貫く為に、嘘をつく覚悟をした。
私が、美里の人生を守ろう。
私がみんなを欺こう。
私が、碧を裏切ろう。
私が、一番の悪になろう。
全ては、美里のためにー……。
そう、心に決めて十三年もの間、嘘を、秘密を、守り続けた。なのに、どうだ。美里は全く目を覚まそうとしない。起きてこようとしない。むしろ、美晴の人格が強くなる一方だ。美晴は、美里の身体で、美晴としての人生の夢まで見つけた。いきなり養護教諭の資格を取ったと言われたとき、私は動揺を隠せなかった。なぜ勝手なことばかりするのかと言うと、どうして応援してくれないのと美晴は怒った。最初は私に従順だった美晴は、どんどん年月が経つにつれ、主張が強くなった。それは、反対に美里が薄れているという証拠でもあった。
もう、限界かもしれない。全て話して、精神科に任せるべきなのかもしれない。そもそも、あの火事の時にそうしていたら、こんなことにはなっていなかったのかもしれない。私の選択が、美里の人生を閉じ込めてしまった。そう思う日々が続いて、私はすっかり疲弊していた。
そんな時、私にとって、もっと嫌なことが起きた。美晴と碧が再会をしてしまった事だ。そんなの私のシナリオにはない。神様は誰の味方をしているんだとイライラした。碧に再会してしまった美晴は、ますます美晴としての人生を優先したくなる。そんなこと分かりきっていた。だから八年前、もう一度碧の前から姿を消すように説得したんだ。大人になって再会してしまったら、この八年の年月が全て無駄になる。美晴は、あくまで美里なんだ。いつでも美里の人格が戻ってきてもいいように、社会的地位と普通の生活を手に入れてもらったのに、美晴の欲ばかりが叶っていく。
そんな時、私もある人と再会を果たした。
「栞ちゃん」
会社の前で話しかけられて振り向くと、スーツ姿の相田くんだった。数年会っていなかったからか、大人っぽく成長していて、まるで別人みたいだった。
「えー?!ひ、久しぶり……!どうして会社の前にいるの?」
「栞ちゃんのお母さんに聞いた」
「そ、そう。何か用?」
私にとって、相田くんは救世主でもあり、敵でもある。私は知っている。高校生の頃、美里を演じている美晴に、碧に全部話せと言ったこと。私のシナリオの邪魔をしようとしたこと。私のためだとか言って美晴の良心に訴えたこと。
私のため?そんなの自分のためじゃない。
自分の好きになった栞という理想の女の子が壊れるのが怖いから、私を解放させたいとか言って邪魔をした。
「七瀬さんと和泉くん、再会したんだってね」
「っ、美里から聞いたのね」
相田くんは、あの火事の真実は知っていても、美里の秘密は知らない。どこか怪しいと思われているけれど、私はあの事は誰にも一度も、口にしていない。
「栞ちゃんピンチかなと思って」
「えー、何が?ピンチでも何でもないよ、友達同士の再会は嬉しいし」
「もう言うね、僕知ってるよ、七瀬美里の人生を今じゃ七瀬美晴が生きていること」
「?!なんで、そのこと……もしかして美晴が?!」
相田くんは首を横に振った。
「僕は全部知ってた。ほら、僕って、あの頃変だったでしょ。気づいてたと思うけど、栞ちゃんのことが好きでさ、好きすぎて、いつも後を追っていたんだよ」
「後を追ってたって……じゃああの日、たまたま居合わせたんじゃなくて、後をついてきてたってこと?」
「そう、だから、あの日、僕も七瀬さんに家に入ったんだ」
「そ、それは……やりすきでしょ、いくら私のことが好きだからって人の家に勝手に入るなんて」
「そう、ほんとそうなんだよ。頭がおかしかった。でもだから、七瀬さんの秘密知っちゃったんだ。君と、七瀬さんの会話を、廊下で聞いてた」
そう言われて、私はなんだかホッとしていた。体の力が一気に抜けて、背筋が曲がる。
「……そうなんだ、知ってたのね。なんだ……なんか、肩の荷が下りた感じ。なにこれすごい」
「栞ちゃんは背負いすぎなんだよ、何もかも。あの頃、僕はすぐ栞ちゃんにこのことを言おうとしたんだ。でも、僕の事避けてたでしょ。触れられたくないんだと思って何も言わなかった。七瀬さん、いや、美晴さんには僕が知ってること言ったけど、そうか、あの子は君に言わなかったんだね」
「美晴、知ってたの?」
「うん。きっと、海外にいる君に心配をかけたくなかったんだね。君と彼女は、なんだか合っているようですれ違って、すれ違っているようで合っていて。よくわからないね」
「ええ。目的は一緒なの。美里を守りたくて、私達はあんなことをして、私は美晴にも嘘をついた。でも、十三年も経つと、何が正解か分からなくなる……。ほら、あの頃は十三歳だったでしょ。子供で、衝動的に考えを発したり、行動に移したりできた。でも今はいい大人で、考えも変わってきたの。あの頃の私の選択は正解だったのかって。もしかしたら、美里としてもっと早く生きられる人生があったんじゃないかって最近思うの。美晴の人格が、どんどん強くなっているから、私は焦っているのね。最近、無性にイライラして、仕方がないのよ」
相田くんは、私の隣に腰を掛け、背中をさすってくれた。
「栞ちゃん、もっと楽に考えたらどうかな。君は秘密を抱えすぎて、頭がパンクしてるんだよ。全部話せば、楽になるんじゃない?」
「いや、でも、今更美晴にそんなこと……」
「じゃあこのまま、七瀬さんの人格が無くなってもいいの?」
「……よくない、絶対よくないけど」
「じゃあ、告げるしかないね、真実を。それがみんなを救う術だと思う。和泉くんにも全部話すんだ。いきなりは話せなくても、まずはあの火事の日の出来事とかさ……ほら、双子だっていう美晴さんからの目線に、一旦和泉くんにもなってもらったらいいんじゃない?そしたら彼ならきっと行動に移すよ。正義感が人一倍ある和泉くんだもん。今彼女がしようとしていることを、止めてくれるはずだよ」
「っ、相田くん、そこまで知ってるの?」
「うん、これは美晴さんから聞いたけどね」
「そう……なんだか私は、あんたが一番怖いわよ」
「はは、だろうね。僕もどうしてだか、君のことになるとしつこくなってしまうんだよ。初恋って怖いね」
「……ええ」
相田くんと話して、心が軽くなっている自分がいた。誰かに話すって、こんなにも気持ちを楽にするんだと思った。秘密はひとつの嘘じゃ足りなくて、嘘に嘘を重ねて、嘘を真実にしていかなくてはいけない。でも、嘘を重ねても、守りたかったものは何一つ守れていなかった。
美里は目を覚まさない。美晴は、私の知らないところで壊れていく。そして私は、膨れ上がった秘密に耐えきれず疲弊し、何もかも上手くいかなくなった。
守っているつもりで、美里を閉じ込めていただけだったのかもしれない。
だから私は、決めた。みんなに、全部話す。碧と美晴に、全て、話すの。



