秘密の囚人

栞からあの火事の日の出来事を聞いて、もう一度手帳の日記を読み返した。美里として生きている双子の妹の美晴は、本当にあの火事と同じことを繰り返そうとしている。加賀という生徒を守るため、父親を殺し、火を放とうとしているに違いない。
問題は、どうやって止めるか。栞は「碧が言えば美晴だって止まる」とか言っていたけれど、これはそんな簡単な話なのか。僕が話して美晴が止まったとしても、加賀くんの苦しみは止まらない。それを美晴がただ見ているなんてことできるわけがない。話をするだけじゃだめだ。でも具体的に何をしたらいいのか全く浮かばない。
「もしもし」
僕は居ても立っても居られず、美晴に電話を掛けた。全て知られたと分かっている美晴の声はあまりにも元気がなかった。
「…和泉くん」
「えっと……美里じゃなくて、美晴ちゃん」
「うん、美晴でいいよ。今まで騙してた、本当にごめんなさい」
「……うん、ショックだった。正直まだ、処理しきれてないって言うか、混乱してる」
「だよね。ごめん、私の勝手で、また私だけ楽になろうとして」
その美晴の言葉で、高校生の頃を思い出す。火を放ったのは自分だと打ち明けてくれた時、彼女は同じことを言った。あの作文でも語っていたように、秘密を打ち明けた人は、自分が解放されたいと願った人。
「ううん、そんなのは別にいいんだ。確かにショックだし、傷ついたけど、十三年も君は美里として生きてきたんだもん。素直に、すごいと思った。美里を守ろうとする気持ちは、君が一番強い。ありがとう、美里を守ろうとこんなにも頑張ってくれて。俺こそ、何も知らなくて、ごめん。君を傷つけたりしたよね」
「傷なんてつけられてないわ。和泉くんと過ごした高校生活は、私の人生で、唯一の光だよ。楽しかった」
美晴は名残惜しそうな声で話す。
「……なあ、変な事考えないでさ、君は美晴としての人生を生きてみようよ。加賀くんの家のことは、正直俺にどうこうできる話じゃないけど、何か策を考える。だから……」
「栞ちゃんに何か言われた?美晴を止めて、とか言われたでしょ」
「いや、別に」
「ふふ、和泉くんって本当に嘘が下手だね。貴方に止められたら、私の意思は揺らいでしまうかもって思ってた。でも今分かったわ。加賀くんを助けたいって気持ちは、誰にも止められない。それに、もう時間がないの」
「時間がないってなんだよ」
「私は、加賀くんを犯罪者にしない。したくない、だからごめんね。美里が目を覚ましたら、二人で幸せになって」
「いや、ちょ、ちょっと待ってまだ話は」
「ばいばい、和泉碧くん」
一方的に電話が切れた。説得するとか呑気なことを言っている場合ではないことくらいこんな僕でもわかる。俺は急いで学校へ向かった。
学校はまだ授業中だ。静かな運動場が、強い風で砂埃が舞っている。
「お兄さん!!」
振り向くと、舞花ちゃんが息を切らし立っていた。
「舞花ちゃん、授業は?!」
「そんなの加賀くんの方が大事!さっき、加賀くんが早退したの。胸騒ぎがして保健室に行ったら、七瀬先生も居なかった。今日、加賀くんのお父さんが出張から帰ってくる日なの。私のお母さんが病院で働いてるから、同僚から聞いたって言ってた。これって、何かあるのかな」
「っくそ」
急いで美晴に電話をかけるも繋がらない。栞に事の経緯を簡単に説明すると、仕事中だったのにも関わらず今すぐ行くと返事が来た。とりあえず、舞花ちゃんには学校へ戻ってもらい、僕は加賀家へ向かった。
走って走って。向かっている道中、あの火事の日を思い出した。僕は十三年前も、こうやって走って美里の家に向かった。何もしてやれなかった絶望を感じ、ただ立ち尽くして、そんな僕の隣には、栞がいた。あの揺れていた肩は全部知っていたんだ。何もかも、僕だけが知らなかった。相田でも知っていたことを、僕は知らずに、ただ美里が転校しただけだと思い込んで。
全部を知った今の自分に、何ができる?美晴を止めて、加賀くんを救える?加賀くんにとっては今の美晴が唯一の光だ。そんな存在を、僕は止めてもいいんだろうか。十三年前、美晴が火を放とうとしたとき、栞は止めなかった。むしろそれがいいと賛成した。それは、それしか方法がないと思ったからだ。美里と、美晴を、犯罪者にしないための方法が、それしかなかった。だから栞はその事実を嘘で隠して、秘密として自分の中に押し殺した。
じゃあ今僕がすることは、なんだ。起こってしまった、又はこれから起こってしまう出来事を、止めるのではない。その事実を嘘で隠して、秘密として自分の中にとどめるのが、もしかしたら正解で、眠ったままの美里の気持ちを理解することに繋がるのではないか。僕はそんな馬鹿なことを考えながら、加賀家の前で立ち尽くした。
「碧……!」
あの時と同じように後ろから栞の声がする。栞は僕の隣に立ち、手を握ってきた。
「あんたさっ、馬鹿な事考えてないよね」
「え?」
「私は、止めてってあんたにお願いしたのよ。あの時の私を繰り返してなんて言ってない」
「……でも、それは美晴、彼女のためになるのか。加賀くんはそれじゃ救えない。だったら、次は俺が秘密を……」
その瞬間、栞は俺の頬を叩いた。
「馬鹿じゃないの?!碧がそんなことしたら、私が今まで秘密を守ってきた意味がない。私はね、美里が大好きよ。けど、碧のことも大事に思ってる。あの火事の日、血だらけの美里を見て一番初めに何を思ったと思う?あんたの事よ。碧に、こんな美里は見せたらだめだと思った。それは美里自身が望んだことでもあるけど、私もそう思った。碧には、真っ当に生きて、正義を貫いてほしいから。だから嘘をついたの」
「……栞」
「それに、私はまだ碧に言えてないことがある」
「え?」
―ガシャ―ーン
大きな音が聞こえた。確実に加賀家からだ。僕らは二人で目配せをして、家の中に入った。
玄関を入ると、目の前には恐怖で怯えている加賀くんの姿があった。立っているのが精一杯で、でも視線が部屋の中の一点を見つめる。僕らが家の中に入ってきたというのに、こっちを見ようとしない。慌てて加賀くんが見つめている先、リビングであろう部屋に入る。
そこに広がっていたのは、包丁を持った美晴の姿と、気を失っているのかと思われる父親の姿だった。
「美晴……」
僕の声にゆっくり首を動かす美晴の姿は、僕の知っている美里の姿とは似ても似つかない雰囲気だった。
「和泉くん……栞ちゃんも、どうして邪魔しに来たの」
「そ、その人は……」
「あー、まだ死んでないよ。気を失ってるだけ。これから殺して、火を放つから。危ないから二人は帰ってくれる?」
「そ、そんな帰れるわけないだろ?!俺は……俺は……もう誰も犠牲になってほしくないんだ」
こんなこと、やっぱり見過ごせない。彼女にも罪を犯してほしくない。
「ふっ、なんで?私が今美里として生きてるから?それとも、美里と同じ顔をしてるから?私がこれで捕まったり、もしくは死んでも、和泉くんの好きな美里は生きてるし、罪を犯してないよ?栞ちゃんもそう、私に美里として生きさせて、結局二人とも、美里が大好きで、私の人生がどうなろうと別に関係ないでしょ」
ダメだ、僕はやっぱり、こういう時に何も言葉が出てこない。嘘でも吐いて、美晴の良心に訴える?でも、彼女のこんな表情、見たことない。良心があるとは、到底思えない。ふと、栞を見ると、意外にも涙を浮かべていた。
「いやいやいや、栞ちゃん、なに今更泣いてるのよ。良心に付け込もうとしてるの?無理無理。私は、和泉くんより優先したくなる夢を見つけたの。私と同じ境遇の子を助ける。やり方は、確かに間違えてるのかもしれない。でも、こういう人間は、死なないとわからないでしょ」
そういって美晴は包丁の先端を、父親の背中に当てた。
「言うつもりなかった。自然に目覚めてくれるの待ってた」
栞は涙を流しながら、そう言った。僕は何の話か分からず、栞と美晴の顔を交互に見る。美晴も首をかしげている。
「……ん?」
「……美里、もう、あの親はいないよ。美里を苦しめたあの女は死んだよ」
「な、栞、何言ってるんだ?」
加賀家に入ってくる前に言っていた、栞が僕にまだ言えていないこと。まさか……
「私は、美晴だよ?なによ、栞ちゃんまで美里美里って言うの?あの母親も、和泉くんもそう。私のこと見てくれる人なんていない……」
「……あんたは、美里だよ。美晴、もういいよ。もう、美里で居ていいんだよ……」
「……は?」
美晴は血の気の引いた表情になった。何かに気が付いたような、何かを思い出したような、そんな表情。
「これは、本当に今まで誰にも言ってない。美里の秘密。私が美里のためだと思って守ってきた秘密。でも、間違ってた。美晴をこんなに追い込むことになってるなんて、これっぽっちも思ってなかった」
栞は、深呼吸をしてまた話し始める。
「解離性同一性障害。いわゆる二重人格。美晴、あなたの大事な美里は、あなたの中にいるよ」
「……は?」
僕は思わず声を漏らした。ついこないだ美晴の存在に驚いて、混乱していたのに、その美晴が、実は美里だった……?何が本当で、何が嘘か、分からなくなる。
それを聞いた美晴は、絶望と苦しみの表情を浮かべていた。そして、どこか焦っても見える。もしかしたら、彼女自身もそれに薄々気が付いていたのではないか。
そして、僕自身も、頭のどこかではその可能性を考えていた気がする。だってやっぱり、何度考えても、あの頃の美里に双子の妹がいるなんて話はありえない。あの火事のニュースだって、そんなこと報道していなかった。彼女自身は気が付いていなかったかもしれないが、高校生の頃の彼女の笑顔は、時々ちゃんと昔の美里の笑顔だった。ちゃんと、心から笑っていた。目の前にいる彼女は、美里で間違いないんだ。
栞は涙を流し、美里はただ立ち尽くしていた。こんなこと、本当に現実であるのかと、自分の存在を確かめたくなるくらい重い空気が流れた。