⑤
何も鵜飼に言うことができなくて、立ち尽くす。
体育館の中には鳥や虫のざわめきが流れ込んでくるだけ。
まだ暑さの残る風が鵜飼の髪を撫でていく。
ボールを拾って戻って来る鵜飼を目で追った。
僕のそばに来ると、鵜飼はニカっと笑った。
「花崎、トスやってみない?」
トスって、スパイクを打つときに上がるやつだよな、と考えて首を傾げる。
僕がさっきやったのは、アンダーと言われるレシーブだ。
手を組んで腕でボールを跳ね返すだけの、素人でもなんとかなるレシーブ。
けれど、トスを上げるのは、頭上でボールを包み込んで放つテクニックの必要な技。
「僕には無理じゃないかな」
バレー部の皆がフワリとトスを上げる姿は見ているけれど、素人の僕に出来るとは思えない。
「手の形は、こう」
鵜飼は僕の目の前で見本を見せてくる。大きな手だ。
「こう?」
鵜飼を真似て手の形を作る。手を丸くしてボールを包み込めるように意識した。
「うん。ちょっとだけ位置を整えるよ。手のひらでキャッチするんじゃないんだ。指の部分で包む感じ」
鵜飼が僕の手に触れる。
――うっわ。指、長いなぁ。
その手を見つめて、鵜飼は色白だな、と思う。いや、もともと知っていることなのだけれど。
スポーツ選手って日焼けしているイメージがあるから。いや、それは野球とか陸上競技か。
そんなことを考えて、僕は胸のドキドキに気が付かない振りをする。
意識したらだめだ。密着する鵜飼にバレてしまう!
「それで、こう、額の前にして」
「あ、うん」
近い距離に緊張するこちらに構わず、鵜飼は僕の手を持ち上げてポーズを作る。
鵜飼の腕と僕の腕が触れあう。僕はこんなに緊張するのに鵜飼は何ともないのだろうか。
チラッと彼を見れば、鵜飼は教えることに夢中になっている。
今の鵜飼の瞳にはハートが宿っていない。
――これがきっと普通だ。友人として、普通。
そう思うと胸が痛い。惚れ薬が切れたら、きっと鵜飼から熱のこもった目を向けられることはなくなる。
急に体温が下がったように気持ちが沈む。
「花崎、大丈夫?」
ついぼんやりとしてしまった。
「あ、うん。平気」
「う~ん、フォームはいいから続けたら出来そうだけど。花崎の体調が心配だし、やめとくか」
「いや、ちょっとやってみたい。ここの手の中にボールを受けるんだろ?」
トスのポーズを崩さずに鵜飼に微笑みかけた。すると鵜飼は嬉しそうに目を細める。
「そ、こんな感じ」
片手でバレーボールを掴んだ鵜飼が、オーバートスの構えをしている僕の手の中にポスンとボールをおさめる。
――うっわ。バレーボールって片手で持てちゃうのか。すっげ。
そんなところに見惚れた。
僕の手の中にボールが触れたと思ったのは一瞬で、そのまま鵜飼が僕からボールを離す。
放物線を描くさまをイメージできるように、ゆっくり鵜飼がボールを操る。
「ボールが自分のところに来るまで待つのが大切なんだ。自分から触れに行ってしまうと、ボールを包むことができないから。って、分かりにくいか。一回、トスやってみる?」
「うん。やるだけ」
「じゃ、いくぞ」
鵜飼が柔らかい弧を描くボールを僕にトスした。
ボールはちょうど僕の額の位置に向ってくる。
――よし! じっと待つ。それで、返す。
アンダーレシーブも何とか二回は返したし、きっとできるだろう。そう思ったけれど。
僕の手に来たボールは、僕の手にベチンと叩かれた。包み込んだつもりだったのに。
トントンと床に転がるボールを見て、少し笑った。
「鵜飼、やっぱし鵜飼はすごいや。フワッとなんてできないや」
「あはは。急にやらせたから、俺が悪い。ごめん。いや、なんかさ、花崎とバレーができたらいいな、とか欲がでたわ」
――僕とバレーするのが、嬉しいのかな。
もしかしたら惚れ薬のせいかもしれないけれど、鵜飼がそう思っているのなら、トスの練習をしてみよう。
もし僕がトスをできるようになったら、『え? オーバートスができるのか!』とか言いながら大喜びするかもしれないし。
――うん。ちょっと、頑張ってみよっかな。
楽しみになってくる。胸がソワソワする。自分用にボールを買ってみよう。心の中でそっと考えた。
「なぁ、花崎。こっち」
鵜飼はコートの中心に歩き、僕を手招きする。
「なに?」
ついていくと、その場に鵜飼が座ってバレーボールを脇に置く。僕も鵜飼の近くに座った。
「ここに来て」
「うん」
ポンポンと鵜飼が自分の真横を手でたたく。僕は座ったまま鵜飼の隣に移動した。
「鵜飼、ここでいい?」
鵜飼の身体に肩が触れる。もう慣れた鵜飼の体温。
――鵜飼はアタッカーだから、かな。上半身の、胸筋とか、厚みが凄いんだよな。とか、やめやめ!
意識すると必ず僕の心臓がドッドッと動くから、なるべく考えないようにしなくては。
「足伸ばして」
「ああ、うん」
ストレッチでもするのかな、と思った時。
「じゃ、お邪魔します」
――は? はぁあ⁉
心の中の絶叫が口から漏れなくて良かった。驚きすぎて僕は口をパクパクさせた。
「う、鵜飼?」
「最高すぎ。幸せ~」
僕の太ももに頭を乗せた鵜飼がモゾっと動く。
横向きで頭を乗せた鵜飼が上向きになった。
――うわわ! ヤバいし! 色気が! つか、そんなに見つめるなぁぁあ!
ド緊張で僕の身体がカチコチに固まった。
だって、あの鵜飼が、僕に膝枕されて、ごろっと寝転がっているんだよ?
熱がこもった瞳で僕を見上げてるし! 僕はどこを見たらいいんだよぉ!
「花崎、ちょっとだけ、こうしていていい? 足痛くない?」
目を細めて僕を見上げる鵜飼にキュンと胸が動く。はらりと流れる前髪。いつもと違う角度の鵜飼。
――夢の中、みたいだ。
「いい、よ」
僕の声に、鵜飼の頬が緩やかに上がる。鵜飼の手が伸びてくる。そのゆっくりとした動きに目が奪われる。
そして、鵜飼の手が僕の頬に触れた。
――マジ⁉ どうなってんの⁉ つか、頬っぺたぁぁ!
頭の中ではパニック状態なのに、驚きの言葉はひとつも僕の口から出ていない。
黙って何でもないフリをしている。
だって、今は、鵜飼をゆっくり休ませてあげたいから。
そんな思いが僕の口を閉じさせる。
――うん。鵜飼が、こうしたいなら、いい。
僕の頬から顎を熱い指がなぞっていく。それだけで呼吸が荒くなりそうだ。
顎に沿っていた指が、一瞬だけ僕の下唇に、触れた。
その瞬間に僕の心拍が爆上がりした。
――心臓の音が、バレませんように!
身体を動かすことができず、熱くなる頬を隠すこともできず、僕は膝の上の鵜飼を見つめ続けた。
唇がワナワナと震える。
「花崎は、綺麗だな」
小さな低い声が耳に届く。
「そ、そんなことは、ないと思うけど……」
必死に答えた僕の声が震えている。リラックスしている鵜飼と自分との格差が恥ずかしい。
僕はキュッと唇を結んだ。
茶色の瞳に全てが見透かされているようで、少し悔しい。
鵜飼はくるっと向きを変えて、また横向きになる。
――まだ、このままがいいのかな。
静かな体育館に抜ける風が心地いい。
僕はそっと目を閉じた。
太ももに乗る重みが、嬉しい。まるで僕に甘えているようで、勘違いをしそうになる。
――ん? 勘違い? 何を?
よく分からない自分の考えに首を傾げたくなる。最近、鵜飼に振り回されているなぁと思う。
だけど。
これも、結構いいかも。そんな風に思う自分がいる。
鵜飼の頭に触れたい衝動を抑えながら、僕は少し微笑んだ。
何も鵜飼に言うことができなくて、立ち尽くす。
体育館の中には鳥や虫のざわめきが流れ込んでくるだけ。
まだ暑さの残る風が鵜飼の髪を撫でていく。
ボールを拾って戻って来る鵜飼を目で追った。
僕のそばに来ると、鵜飼はニカっと笑った。
「花崎、トスやってみない?」
トスって、スパイクを打つときに上がるやつだよな、と考えて首を傾げる。
僕がさっきやったのは、アンダーと言われるレシーブだ。
手を組んで腕でボールを跳ね返すだけの、素人でもなんとかなるレシーブ。
けれど、トスを上げるのは、頭上でボールを包み込んで放つテクニックの必要な技。
「僕には無理じゃないかな」
バレー部の皆がフワリとトスを上げる姿は見ているけれど、素人の僕に出来るとは思えない。
「手の形は、こう」
鵜飼は僕の目の前で見本を見せてくる。大きな手だ。
「こう?」
鵜飼を真似て手の形を作る。手を丸くしてボールを包み込めるように意識した。
「うん。ちょっとだけ位置を整えるよ。手のひらでキャッチするんじゃないんだ。指の部分で包む感じ」
鵜飼が僕の手に触れる。
――うっわ。指、長いなぁ。
その手を見つめて、鵜飼は色白だな、と思う。いや、もともと知っていることなのだけれど。
スポーツ選手って日焼けしているイメージがあるから。いや、それは野球とか陸上競技か。
そんなことを考えて、僕は胸のドキドキに気が付かない振りをする。
意識したらだめだ。密着する鵜飼にバレてしまう!
「それで、こう、額の前にして」
「あ、うん」
近い距離に緊張するこちらに構わず、鵜飼は僕の手を持ち上げてポーズを作る。
鵜飼の腕と僕の腕が触れあう。僕はこんなに緊張するのに鵜飼は何ともないのだろうか。
チラッと彼を見れば、鵜飼は教えることに夢中になっている。
今の鵜飼の瞳にはハートが宿っていない。
――これがきっと普通だ。友人として、普通。
そう思うと胸が痛い。惚れ薬が切れたら、きっと鵜飼から熱のこもった目を向けられることはなくなる。
急に体温が下がったように気持ちが沈む。
「花崎、大丈夫?」
ついぼんやりとしてしまった。
「あ、うん。平気」
「う~ん、フォームはいいから続けたら出来そうだけど。花崎の体調が心配だし、やめとくか」
「いや、ちょっとやってみたい。ここの手の中にボールを受けるんだろ?」
トスのポーズを崩さずに鵜飼に微笑みかけた。すると鵜飼は嬉しそうに目を細める。
「そ、こんな感じ」
片手でバレーボールを掴んだ鵜飼が、オーバートスの構えをしている僕の手の中にポスンとボールをおさめる。
――うっわ。バレーボールって片手で持てちゃうのか。すっげ。
そんなところに見惚れた。
僕の手の中にボールが触れたと思ったのは一瞬で、そのまま鵜飼が僕からボールを離す。
放物線を描くさまをイメージできるように、ゆっくり鵜飼がボールを操る。
「ボールが自分のところに来るまで待つのが大切なんだ。自分から触れに行ってしまうと、ボールを包むことができないから。って、分かりにくいか。一回、トスやってみる?」
「うん。やるだけ」
「じゃ、いくぞ」
鵜飼が柔らかい弧を描くボールを僕にトスした。
ボールはちょうど僕の額の位置に向ってくる。
――よし! じっと待つ。それで、返す。
アンダーレシーブも何とか二回は返したし、きっとできるだろう。そう思ったけれど。
僕の手に来たボールは、僕の手にベチンと叩かれた。包み込んだつもりだったのに。
トントンと床に転がるボールを見て、少し笑った。
「鵜飼、やっぱし鵜飼はすごいや。フワッとなんてできないや」
「あはは。急にやらせたから、俺が悪い。ごめん。いや、なんかさ、花崎とバレーができたらいいな、とか欲がでたわ」
――僕とバレーするのが、嬉しいのかな。
もしかしたら惚れ薬のせいかもしれないけれど、鵜飼がそう思っているのなら、トスの練習をしてみよう。
もし僕がトスをできるようになったら、『え? オーバートスができるのか!』とか言いながら大喜びするかもしれないし。
――うん。ちょっと、頑張ってみよっかな。
楽しみになってくる。胸がソワソワする。自分用にボールを買ってみよう。心の中でそっと考えた。
「なぁ、花崎。こっち」
鵜飼はコートの中心に歩き、僕を手招きする。
「なに?」
ついていくと、その場に鵜飼が座ってバレーボールを脇に置く。僕も鵜飼の近くに座った。
「ここに来て」
「うん」
ポンポンと鵜飼が自分の真横を手でたたく。僕は座ったまま鵜飼の隣に移動した。
「鵜飼、ここでいい?」
鵜飼の身体に肩が触れる。もう慣れた鵜飼の体温。
――鵜飼はアタッカーだから、かな。上半身の、胸筋とか、厚みが凄いんだよな。とか、やめやめ!
意識すると必ず僕の心臓がドッドッと動くから、なるべく考えないようにしなくては。
「足伸ばして」
「ああ、うん」
ストレッチでもするのかな、と思った時。
「じゃ、お邪魔します」
――は? はぁあ⁉
心の中の絶叫が口から漏れなくて良かった。驚きすぎて僕は口をパクパクさせた。
「う、鵜飼?」
「最高すぎ。幸せ~」
僕の太ももに頭を乗せた鵜飼がモゾっと動く。
横向きで頭を乗せた鵜飼が上向きになった。
――うわわ! ヤバいし! 色気が! つか、そんなに見つめるなぁぁあ!
ド緊張で僕の身体がカチコチに固まった。
だって、あの鵜飼が、僕に膝枕されて、ごろっと寝転がっているんだよ?
熱がこもった瞳で僕を見上げてるし! 僕はどこを見たらいいんだよぉ!
「花崎、ちょっとだけ、こうしていていい? 足痛くない?」
目を細めて僕を見上げる鵜飼にキュンと胸が動く。はらりと流れる前髪。いつもと違う角度の鵜飼。
――夢の中、みたいだ。
「いい、よ」
僕の声に、鵜飼の頬が緩やかに上がる。鵜飼の手が伸びてくる。そのゆっくりとした動きに目が奪われる。
そして、鵜飼の手が僕の頬に触れた。
――マジ⁉ どうなってんの⁉ つか、頬っぺたぁぁ!
頭の中ではパニック状態なのに、驚きの言葉はひとつも僕の口から出ていない。
黙って何でもないフリをしている。
だって、今は、鵜飼をゆっくり休ませてあげたいから。
そんな思いが僕の口を閉じさせる。
――うん。鵜飼が、こうしたいなら、いい。
僕の頬から顎を熱い指がなぞっていく。それだけで呼吸が荒くなりそうだ。
顎に沿っていた指が、一瞬だけ僕の下唇に、触れた。
その瞬間に僕の心拍が爆上がりした。
――心臓の音が、バレませんように!
身体を動かすことができず、熱くなる頬を隠すこともできず、僕は膝の上の鵜飼を見つめ続けた。
唇がワナワナと震える。
「花崎は、綺麗だな」
小さな低い声が耳に届く。
「そ、そんなことは、ないと思うけど……」
必死に答えた僕の声が震えている。リラックスしている鵜飼と自分との格差が恥ずかしい。
僕はキュッと唇を結んだ。
茶色の瞳に全てが見透かされているようで、少し悔しい。
鵜飼はくるっと向きを変えて、また横向きになる。
――まだ、このままがいいのかな。
静かな体育館に抜ける風が心地いい。
僕はそっと目を閉じた。
太ももに乗る重みが、嬉しい。まるで僕に甘えているようで、勘違いをしそうになる。
――ん? 勘違い? 何を?
よく分からない自分の考えに首を傾げたくなる。最近、鵜飼に振り回されているなぁと思う。
だけど。
これも、結構いいかも。そんな風に思う自分がいる。
鵜飼の頭に触れたい衝動を抑えながら、僕は少し微笑んだ。
