⑧
いや、僕は中学の頃、バレーボール部の友人はいなかった。僕のことなど話題になっているはずがない。
――うん。きっと、大丈夫だ。
そう自分に言い聞かせても、心の奥が不安に揺れた。これ以上、この一年生たちと話をしたくない。そう思った時。
「お待たせ。ん? 花崎ってうちの一年と知り合い?」
制服に着替えた鵜飼が現れた。その姿を見てホッとする反面、心の奥底で不安がチラチラ顔を出す。
「ううん。鵜飼、帰ろ」
グイっと鵜飼の腕を引いた。鵜飼は少し怪訝な顔をして一年生たちを見た。
「花崎、どうかした?」
――嫌だ。何も、聞かないで。
そう願い、鵜飼の背を押す。
「鵜飼先輩、お疲れさまです」
空気を読んだのか、一年生たちが鵜飼に挨拶をして背を向けた。彼らがいなくなり、ホッと胸を撫でおろす。
「花崎、うちの一年となんかあった?」
とにかくその場から離れたくて薄暗くなった道を早足で進んだ。
僕は鵜飼の質問にすぐに答えられずに、唇の内側をキュッと噛む。
――落ち着け。何でもないし。ただ、出身中学を聞かれただけだ。
ふう、と息を吐いて気持ちを整える。
「鵜飼、ゴメン。なんか、僕がバレーやってるのかって勘違いされてさ。見たら分かるじゃん。僕みたいなひ弱なのが運動してるわけ、ないよな」
はははっと笑ってみせた。上手く笑えたと思う。何とか誤魔化せたはず。
だけど。鵜飼は僕を心配そうに見つめて足を止めた。
「何かは聞かないけど、嫌な思いをしたんだろ? 悪かった。部活見学したから目立ったのかも」
鵜飼の言葉に、部活の感動が蘇る。あのキラキラした瞬間は僕が知らなかった世界だ。
「いや、見学はスッゴイ良かった! 見せてくれてありがとう! こうさ、体育館の床から振動が伝わってきて、心臓がゾワゾワしたよ」
――鵜飼がカッコよかったし。
その一言は言葉に出来ない。思い出すと頬が熱い。
そのまま僕はニコっと笑いかけた。今度はしっかり笑えた。
「あ、うん。それなら良かった。つか、毎日でも見て欲しいし」
鵜飼は照れたように目線を下に向けた。
そんな様子が、あの大迫力のプレーをしていた選手と思えなくて「ははっ」と声を出して笑った。僕の心がホワと温かくなる。
「鵜飼ってすごいんだな。あんなに、その、カッコいい、とか思わなかった」
やっと出た言葉。
素直な言葉を出しただけなのに、僕の心臓がバクバクと音を大きくする。
普通に男同士でも「カッコいい」くらい言うだろう。なのに、どうしてこの一言がこんなに重いのだ。
これまでこんなことは無かったのに。胸がドキドキして言葉が続かない。
「そっか。すっげ嬉しい。今日は花崎がいてくれるから調子良かったんだ。ここんとこ、ちょっとスランプでさ」
――ん? スランプ?
ハッとする。そうだ。僕は鵜飼の願いを叶えてあげたいのだ。
「なぁ、鵜飼が紅茶飲んだ時に願ったのは、どんな願いなんだ?」
「え? そうだなぁ。つか、花崎も試したんだろ? 花崎の願いは?」
鵜飼が口元を隠して僕をちらっと見た。その瞳が優し気に細くなる。
――うわ! ドキッとする!
驚くくらい自分の心が反応して顔が火照る。
――待て、待て。どうした、僕。
きっと部活見学して鵜飼の輝きを知ってしまったから、今日は特別に心が乱されているのだ。
「ぼ、僕の願い、か。それは、えっと、何だったかな?」
鵜飼にときめいている場合ではない! 僕がついた嘘を鵜飼は信じているし、何とかしなくては。
「花崎の願いを知りたいけどな」
――僕の、願い。
心の底から願っていること。
それは。
「目立たずにいたい、かな」
もう裏切られるのは嫌だ。そう考えると、心の奥底に閉じ込めた苦しい記憶が溢れ出る。
――ダメだ!
一気に心が沈み込みそうになり、慌てて前を向いた。
僕は高校生になったのだ。高校では上手くやれている。僕のことは誰も知らない。それに、鵜飼にだけは知られたくない。そう思っているのに。
『いい気になっているからだ! お前みたいな凡人が‼』
殴られるように叩きつけられた言葉たちが耳に蘇る。
歩いているはずの地面が揺らいだ気がした。
「花崎! あっぶな!」
気が付いたら鵜飼に抱き留められていた。
鵜飼の肩にかかっていたスポーツバッグが地面に転がる。
――ヤバ。やっちゃった!
慌てて鵜飼の腕から逃れる。鵜飼はすぐに僕を解放した。
「ご、ゴメン」
「つか、座ろう。やっぱ体調良くないんじゃね? 体育館が暑かった?」
心配そうに僕の背を支える鵜飼に、精一杯の微笑みを向けた。
「あは、よろけた。運動神経ゼロだからさ」
ははっと笑って見せたのに。鵜飼は少しも笑わない。
「辛い時は、辛いって言っていいぞ。何でもない振りはしなくてもいい、と思うけど」
優しい言葉なのに僕の心にグサリと刺さる。
辛いと言ったら?
しんどいと言ったら?
僕の足元が崩れそうになり首をブルブルと横に振った。
――せっかくここまで順調なのだ。全部我慢しておけば、いい。僕が我慢すれば!
僕は一呼吸して顔を上げた。
「何でもない。ごめん。やっぱ、暑かったのかな。支えてくれて助かった」
ニッと笑えば、鵜飼は困ったような笑みを返してくれた。
スポーツバッグを僕が拾おうとしたら『いいよ』と手で制された。
鵜飼がスポーツバッグを拾って肩にかける動きを見守る。
「花崎は、家が遠いんだよな。帰れる?」
「ああ、うん。乗り換えないし。電車に乗れば大丈夫。心配かけて、ゴメン」
「謝る事じゃないって。花崎を誘ったのは俺だし。でも、やっぱさ。見ててもらえると、嬉しいし」
ニッコリ笑う鵜飼の瞳には、やっぱりハートが宿っている。
惚れ薬の効果っていつまで続くのだろう。
そんな疑問が僕の脳裏に生まれた。
いや、僕は中学の頃、バレーボール部の友人はいなかった。僕のことなど話題になっているはずがない。
――うん。きっと、大丈夫だ。
そう自分に言い聞かせても、心の奥が不安に揺れた。これ以上、この一年生たちと話をしたくない。そう思った時。
「お待たせ。ん? 花崎ってうちの一年と知り合い?」
制服に着替えた鵜飼が現れた。その姿を見てホッとする反面、心の奥底で不安がチラチラ顔を出す。
「ううん。鵜飼、帰ろ」
グイっと鵜飼の腕を引いた。鵜飼は少し怪訝な顔をして一年生たちを見た。
「花崎、どうかした?」
――嫌だ。何も、聞かないで。
そう願い、鵜飼の背を押す。
「鵜飼先輩、お疲れさまです」
空気を読んだのか、一年生たちが鵜飼に挨拶をして背を向けた。彼らがいなくなり、ホッと胸を撫でおろす。
「花崎、うちの一年となんかあった?」
とにかくその場から離れたくて薄暗くなった道を早足で進んだ。
僕は鵜飼の質問にすぐに答えられずに、唇の内側をキュッと噛む。
――落ち着け。何でもないし。ただ、出身中学を聞かれただけだ。
ふう、と息を吐いて気持ちを整える。
「鵜飼、ゴメン。なんか、僕がバレーやってるのかって勘違いされてさ。見たら分かるじゃん。僕みたいなひ弱なのが運動してるわけ、ないよな」
はははっと笑ってみせた。上手く笑えたと思う。何とか誤魔化せたはず。
だけど。鵜飼は僕を心配そうに見つめて足を止めた。
「何かは聞かないけど、嫌な思いをしたんだろ? 悪かった。部活見学したから目立ったのかも」
鵜飼の言葉に、部活の感動が蘇る。あのキラキラした瞬間は僕が知らなかった世界だ。
「いや、見学はスッゴイ良かった! 見せてくれてありがとう! こうさ、体育館の床から振動が伝わってきて、心臓がゾワゾワしたよ」
――鵜飼がカッコよかったし。
その一言は言葉に出来ない。思い出すと頬が熱い。
そのまま僕はニコっと笑いかけた。今度はしっかり笑えた。
「あ、うん。それなら良かった。つか、毎日でも見て欲しいし」
鵜飼は照れたように目線を下に向けた。
そんな様子が、あの大迫力のプレーをしていた選手と思えなくて「ははっ」と声を出して笑った。僕の心がホワと温かくなる。
「鵜飼ってすごいんだな。あんなに、その、カッコいい、とか思わなかった」
やっと出た言葉。
素直な言葉を出しただけなのに、僕の心臓がバクバクと音を大きくする。
普通に男同士でも「カッコいい」くらい言うだろう。なのに、どうしてこの一言がこんなに重いのだ。
これまでこんなことは無かったのに。胸がドキドキして言葉が続かない。
「そっか。すっげ嬉しい。今日は花崎がいてくれるから調子良かったんだ。ここんとこ、ちょっとスランプでさ」
――ん? スランプ?
ハッとする。そうだ。僕は鵜飼の願いを叶えてあげたいのだ。
「なぁ、鵜飼が紅茶飲んだ時に願ったのは、どんな願いなんだ?」
「え? そうだなぁ。つか、花崎も試したんだろ? 花崎の願いは?」
鵜飼が口元を隠して僕をちらっと見た。その瞳が優し気に細くなる。
――うわ! ドキッとする!
驚くくらい自分の心が反応して顔が火照る。
――待て、待て。どうした、僕。
きっと部活見学して鵜飼の輝きを知ってしまったから、今日は特別に心が乱されているのだ。
「ぼ、僕の願い、か。それは、えっと、何だったかな?」
鵜飼にときめいている場合ではない! 僕がついた嘘を鵜飼は信じているし、何とかしなくては。
「花崎の願いを知りたいけどな」
――僕の、願い。
心の底から願っていること。
それは。
「目立たずにいたい、かな」
もう裏切られるのは嫌だ。そう考えると、心の奥底に閉じ込めた苦しい記憶が溢れ出る。
――ダメだ!
一気に心が沈み込みそうになり、慌てて前を向いた。
僕は高校生になったのだ。高校では上手くやれている。僕のことは誰も知らない。それに、鵜飼にだけは知られたくない。そう思っているのに。
『いい気になっているからだ! お前みたいな凡人が‼』
殴られるように叩きつけられた言葉たちが耳に蘇る。
歩いているはずの地面が揺らいだ気がした。
「花崎! あっぶな!」
気が付いたら鵜飼に抱き留められていた。
鵜飼の肩にかかっていたスポーツバッグが地面に転がる。
――ヤバ。やっちゃった!
慌てて鵜飼の腕から逃れる。鵜飼はすぐに僕を解放した。
「ご、ゴメン」
「つか、座ろう。やっぱ体調良くないんじゃね? 体育館が暑かった?」
心配そうに僕の背を支える鵜飼に、精一杯の微笑みを向けた。
「あは、よろけた。運動神経ゼロだからさ」
ははっと笑って見せたのに。鵜飼は少しも笑わない。
「辛い時は、辛いって言っていいぞ。何でもない振りはしなくてもいい、と思うけど」
優しい言葉なのに僕の心にグサリと刺さる。
辛いと言ったら?
しんどいと言ったら?
僕の足元が崩れそうになり首をブルブルと横に振った。
――せっかくここまで順調なのだ。全部我慢しておけば、いい。僕が我慢すれば!
僕は一呼吸して顔を上げた。
「何でもない。ごめん。やっぱ、暑かったのかな。支えてくれて助かった」
ニッと笑えば、鵜飼は困ったような笑みを返してくれた。
スポーツバッグを僕が拾おうとしたら『いいよ』と手で制された。
鵜飼がスポーツバッグを拾って肩にかける動きを見守る。
「花崎は、家が遠いんだよな。帰れる?」
「ああ、うん。乗り換えないし。電車に乗れば大丈夫。心配かけて、ゴメン」
「謝る事じゃないって。花崎を誘ったのは俺だし。でも、やっぱさ。見ててもらえると、嬉しいし」
ニッコリ笑う鵜飼の瞳には、やっぱりハートが宿っている。
惚れ薬の効果っていつまで続くのだろう。
そんな疑問が僕の脳裏に生まれた。
