東雲とばりは諦める

 午前最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
 途端に空気が弛緩する。騒がしくなる教室。まるで堰を外して水が一気に流れ出すように、生徒たちが席を立ち、動き出す。
「おーい晴人、メシ食おうぜ」
 教科書をカバンにしまったところで、クラスメイトの午塚(うまづか)昴(すばる)が声をかけてくる。昴は隣の席が空いていることを確認すると、どかっと腰を下ろした。
 昴とは、入学直後のオリエンテーションで同じグループだったことがきっかけで話すようになった。夕月と同じ陸上部ということもあって何かと話すようになり、今ではこうして昼休みは昼食を共にしたりしている仲だ。
「相変わらず大きいな、昴の弁当」
 机に広げられた二段の弁当箱を見て言う。ご飯はぎゅうぎゅうに詰められていて、数種類のおかずもはみ出んばかりだ。対して俺の机には、登校中にコンビニで買った総菜パンが二つとコーヒー牛乳。
「いやいや、普通だろ。むしろ晴人が少なすぎじゃね?」
「そうか?」
 むしろこれ以上食べると胃がぱんぱんに膨れて苦しくなってしまう。たしかに昴は運動部という言葉が服を着て歩いているみたいに体格がいいし、これが運動部と文化部の違いってやつか。
 昴はミートボールを二つまとめて口に運びながら言う。
「それにしても、晴人がホントうらやましいぜ」
「なにが?」
「とぼけんなよ。あんな美人の先輩と二人きりの部活だぜ?」
「美人の先輩って……ああ、部長のことか」
 部室の窓際で読書にふける東雲とばりの姿が思い浮かぶ。たしかに立ち居振る舞いは絵になるし、顔立ちだって整っている。かわいい部類に入るとも思う。
 だけど内面がなあ。人をいいように使うときがあるし。そういうのを喜ぶ人もいるのかもしれないけど、俺は御免だ。
「昴がうらやましがるようなことなんて、何もないよ」
「ほんとかー?」
「そんなに気になるなら、いっそ天文部に入部するか? お近づきになれるぞ」
 半分冗談、半分本気で言ってみる。部費獲得のためにも、本来の活動を取り戻すためにも、部員は多い方がいい。それが知った仲ならなおさらだ。
「いんや、俺は陸上一筋だからな」
「ま、昴ならそう言うと思ったよ」
「それに兼部なんて器用なマネ、俺にはできねえよ」
「だよな」
「あーでも美人先輩との部活動はやっぱ憧れるぜー」
 なんてぼやきながら、ご飯を頬張る。よほどお腹が空いていたのか、弁当箱はすでに半分ほど空になっていた。
「それを言うなら、陸上部の方が女子たくさんいるだろ」
 廃部一歩手前の天文部と違って、陸上部は女子だけで二桁はいるだろうに。
「わかってねえなあ晴人は。陸上部の女子なんてぜんぜんだぜ。がさつだし、男子みたいにバクバク食うし――へぶっ」
 すぱん、という小気味のいい音とともに昴の声が強制終了する。原因が見知った人物による後頭部めがけたチョップだということは、俺の位置からよく見えた。
「誰ががさつだって……?」
「いってえー、なんだよ星宮」
 チョップの主――夕月は昴の後ろで腕を組んで仁王立ちしている。
「いいのかなー、そんなこと言って」
 夕月は額に怒りマークをつけたまま笑みを浮かべて、
「今のセリフ、女子キャプテンに伝えようかなー?」
「ちょっ、星宮! それはなしだって!」
 慌てて手を合わせ、昴は拝む。女子キャプテンとやらは陸上部の男子部員に相当恐れられているらしい。
「まったくもー」
 ぶつくさと文句を垂れながらも、本気で告げ口する気はない様子の夕月は、俺の前の席に腰かける。購買で買ってきたらしいビニール袋から焼きそばパンを取り出すと、はむっとかじった。
 俺と昴と夕月。この三人で昼休みを過ごすのは、最近よくある風景の一つだった。それにしても、夕月は違うクラスなのにわざわざ来るなんて昴とは同じ陸上部同士、仲がいいんだな。
「にしても早く梅雨明けねーかな」
「ねー」
 陸上部ふたりは、窓の外に広がる灰色の空を見て愚痴を漏らす。この雨じゃあ、今日もグラウンドはぐちゃぐちゃだろう。
「あ、そうだ。久しぶりに放課後、遊びに行かね?」
 弁当を食べ終えた昴が提案してきた。
「今日も部活休みだからヒマなんだよなー。晴人、いいだろ?」
「いや、俺は部活あるし」
「どうせ天文部も雨だとすることなくね? 星どころか太陽だって見えないんだし」
「そりゃそうだけど……」
 昴の言っていることは間違いない。この天気では天体観測の「て」の字もない。だからといって、放課後が暇なわけではないのだ。今日だって、桜庭先輩の猫探しに行く予定だから。
 だが、依頼とはまったく無関係の昴に、そんな理由を正直に言えるわけもない。
「いや、行きたいのは山々なんだけど」
「けど?」
「まーまー。ハルは用事あるみたいだし」
 どう言い繕ったものかと考えを巡らせていると、意外な方向から助け舟がきた。
「しょーがないから私がつきあってしんぜよー」
「げ、星宮とふたりかよ」
「そんなわけないでしょー。先輩たちと行こうかって話してたから。昴も男子誘って陸上部メンバーで行こうよ」
「それはひと安心だぜ」
「なぬ? 私だけじゃ不満だっていうのか……?」
 ぎゃあぎゃあと、騒がしくなるふたり。部活でも普段からこんなかんじで仲良く言いあっているのが容易に想像できた。ともあれ、変に言い訳せずに済んでよかったと安堵する。
 と、ポケットに入れたスマホが震えた。画面を見ると、メッセージの新着。送り主は隣にいる夕月からだった。
『どーせ依頼のやつでなにかあるんでしょ』
 どうやら、俺の事情を見越したうえでの助け舟らしい。
『悪いな』
 短く一言、返信を打つ。気を遣ってもらったからには一層、のんびりなんてしていられない。
 今一度決意し、俺は昼ごはんのたまごロールにかぶりついた。


 けれど、俺の決意とは裏腹に、数日経っても成果は一向に見えてこなかった。
 この広い町から一匹の猫を見つけるのが難しいことくらいわかっている――そう言ったのは自分だし、こうなることは予想していないわけではなかった。それでも、桜庭先輩の猫を見つけるまではいかなくても、何か手がかりだけでも見つけられるのではないか。そう思って聞き込みを続けた。
 別に俺だって闇雲に探し回ってたわけじゃない。桜庭先輩が聞き込みをしていた範囲を教えてもらって、それ以外の範囲を重点的に歩いて回った。聞き込みできていないエリアなら、もしかしたら有益な情報が得られるかもしれない。そんな期待を抱いての行動だった。
 でも、結果はゼロ。強いて言えば、目撃証言がないということはわかったわけだけど。
「猫がいなくなってから時間が経ってるしなあ」
 灰色の空に向かって、ひとりつぶやく。雨はいつの間にか止んでいたので、俺は傘についた水を落とし、たたむ。
 日没にはまだ時間があるが、いかんせん曇天のせいですでに薄暗い。この暗さの中での聞き込みは難しいだろう。
 ここまで……か。
 沈んだ心を引きずりながら、住宅街を抜けて大きめの通りへ。いくつもできた水たまりをかわしながら、これからのことを考えていた。
『彼女は、諦めることを望んでいるのよ』
『最後に決めるのは彼女自身。私たちは当事者じゃない』
 反芻するのは、東雲とばりの言葉。
 諦めさせていいなんて思えない、なんて言った自分の言葉を曲げるつもりはないけど、こうも成果が出ないと、あらためて痛感させられる。お前のしていることは無駄なんだ、と。
 でも。
 写真に目を落とす。まるまるとした白猫は、表情こそ仏頂面だったが、その毛並みはきちんと整えられており、とても桜庭先輩の大事にしている気持ちが伝わってくる。
 だから、そんな大事な飼い猫を、諦めさせることが正しいなんて……やっぱり俺には思えない――
 バシャアアアアッ!
「ぶわっ!」
 思考と視界が遮られたかと思った直後、身体中に冷たい感触。一瞬にしてずっしりと重たくなった制服。そこでようやく、通り過ぎた車がはねた水をかぶったのだと認識した。
 まさに寝耳に水。いや、この場合は起き耳に水、か?
 なんてしょうもないことを考えているうちに、犯人の車は停まって詫びるどころか、減速さえせずその姿を小さくしていく。声を上げて糾弾する暇さえなかったので、後姿を恨めしくじっと見つめることしかできなかった。
「……はあああ~~」
 ここ数日で一番でかいため息を肺から吐き出す。前髪から滴る水が、目や鼻や頬をだらだらと流れ落ちていく。
 聞き込みの成果の出ないところにこの仕打ち、泣きっ面に蜂とはまさにこのことだな。
「まいったな」
 全身ずぶ濡れになった己の姿に、なんだか笑えてきた。今ならどんな悪いことが起きても動じない気がするぞ。ははは。
「ふ……ぶえっくしゅ!」
 そんなポジティブシンキングを吹っ飛ばすように、くしゃみがついて出る。
 急いで帰るか。夏もすぐそことはいえ、雨上がりのひんやりした空気の中でずぶ濡れはさすがに風邪を引きかねない。
 とりあえずハンカチで顔だけでも拭こうかな……うわハンカチまでぐしょぐしょだ。
 再びため息をつきそうになっていると。
「……ハル?」
 俺をそう呼ぶのは、ひとりしかいない。
 振り向いた先にいたのは予想通り、幼なじみの姿。部活が休みで昴と遊びに行った帰りなのだろう、制服を着ていた。
 彼女はしばし俺の無残な姿をじいっと見た後、こう言った。
「とりあえず、ウチ来る?」