「あれ? 宵山君?」
夕月と別れた後、お茶のペットボトルを捨てるために校舎横の自販機コーナーに行くと、見知った顔の先客がいた。
「桜庭、先輩?」
「奇遇だねー」
笑う彼女の肩からは、大きめのスポーツバッグがさげられている。
「これから部活ですか?」
「うん。暑いから休みたいってのが正直なところだけどね」
なんて言って苦笑する。暑さ対策なのだろう、ふわふわの茶髪はおさげに結われている。
「う~ん、何にしよっかなあ」
先輩は自販機のラインナップを見ながら少し難しい顔を浮かべていた……が。
「あ、そうだ」
何かを思いついたような声を上げて、桜庭先輩はくるりとこちらを向いた。
「宵山君、何飲みたい?」
「え?」
「ほらほら、好きなの選んで選んで」
ピンク色のかわいらしい財布から五百円玉を投入すると、自販機の前に手招きする。
「いや、おごってもらうなんて悪いですよ」
そもそもゴミを捨てに来ただけですし、と付け加える前に、桜庭先輩は口を開く。
「悪いことなんかないよ。これはお礼」
「お礼?」
「そ。依頼を解決してもらったお礼」
その言葉に、俺は胸がチクリと痛むのを感じる。
桜庭先輩の依頼に関して、俺は何もできていない。かといって、真実を告げることもできない。お礼をされる立場になど、到底ないのだ。
「まあ、お礼がジュース一本じゃあ不満かもしれないけどねー」
「そ、そんなことないですって」
「じゃあ遠慮なんてしなくていいから、ね?」
「えっと……」
自販機はすでに全てのボタンを緑に点灯させ、俺を待ち受けている。その隣には、ニコニコ顔の桜庭先輩。さすがにこの状況で断れるわけ、ないか。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
遠慮がちに、アイスコーヒーのボタンを押す。
「すみません、いただきます」
「お礼なんだから、そんなにかしこまらなくてもいいのに」
桜庭先輩は出てきたお釣りで、続けてポカリを購入する。喉が渇いていたのか、すぐさまフタを開けて飲み始めた。
「ぷはー。おいしー」
なんて言う先輩の笑顔はまぶしい。依頼の時は強張ったり沈んだ表情ばかりだったので、少しだけ戸惑ってしまう。だけど、こっちが先輩の本来の姿で、やり方はどうあれ、一度消えかけたけれど取り戻すことができたものだ。
そしてそれは、俺ではなく部長の力で取り戻したもの。
「宵山君、まだもうちょっと時間ある?」
と、桜庭先輩はいつの間にか近くのベンチに移動していた。またしてもちょいちょいと手招きするので、隣に腰かける。
「東雲さんとケンカでもした?」
「え……」
「だって『諦め屋』、もうやってないんでしょ?」
その言葉に、ドキリとした。
「それで、東雲さんは天文部を辞めちゃった」
「先輩、なんで知って」
桜庭先輩はお見通しとばかりに続ける。
「今日、天文部に行った子がいるでしょ? その子、私の中学の後輩なの」
合点がいく。さっき訪れた女子生徒は、桜庭先輩の紹介でやってきたのか。
「仲直りできそう? 東雲さんと」
「……どう、なんでしょう」
本当は喧嘩とは少し違うのだけれど。かといって今の状況をうまく表現する言葉は浮かんでこなかった。
「教室に行っても会えませんし、メッセージも返信こないですし」
あの日――部長が退部届を渡してきて部室を去った日から何度か二年生の教室を訪れたが、すべて空振り。スマホでメッセージを送っても、いわゆる「未読スルー」。
「今日にいたっては休んでましたし」
明日からは夏休みなので事実上、学校で会う機会は失われたといっていい。
「まあ、部長はもう俺と会うつもりはないってことなんでしょうね。……部長がそのつもりなら、しょうがないかもです」
『約束』の負けを自ら認め、自分の意志で天文部を離れていった彼女に、俺が今さら言えることなんてあるのだろうか。
「なんだか、宵山君らしくないね」
「え?」
そんなことを言われるとは思いもしなかったので、反射的に桜庭先輩の方を向く。
「諦めちゃうの? 東雲さんのこと」
「別に諦めるとかじゃあ」
「じゃあ、宵山君は東雲さんに天文部を辞めてほしかったの?」
「それは」
違う。たしかに俺は彼女が行う『諦め屋』を否定してきた。そのために『約束』もした。
だけど、天文部からいなくなってほしいとまでは思っていない。少なくとも、それを伝える必要はある……と思う。
「諦めるなんて、宵山君らしくないよ」
桜庭先輩は言う。
「宵山君、私のときも必死にソフィーを探してくれたよね。諦めずに」
「それは、そうですけど」
あのときの俺の行動は結局のところ、何にも結び付いていない。
「私、うれしかったんだよ? 結果は結果だけど、私は、うれしかったの」
ぎゅっと、ペットボトルを持つ両手に力がこもる。結果からは見えないけど、桜庭先輩の記憶には、俺の行動が残っている。
「あの時私は、諦めるしかないかなって思ってたから、東雲さんのところへ来たの。でも、宵山君はまだ、そうは思ってないでしょ?」
「桜庭、先輩」
「だから、まだ諦めるには早いんじゃないかな」
言って、笑顔をこちらに向ける。
「そう、ですね」
桜庭先輩の言うとおりだ。
俺はまだ、諦めるしかないところまで来ていない。
やれることをやり尽くしたわけじゃない。
ちょっと会えないくらいで、メッセージを無視されるくらい、なんだというのだ。
今こそ部長に見せつけてやるんだ。宵山晴人の諦めの悪さってやつを。
「ありがとうございます、桜庭先輩。なんか元気出ました」
「いやいや、私はなんにもしてないって」
「そんなことないですよ。すごい、先輩っぽかったです」
「なにそれー。ぽいもなにも、本当に先輩なんですけどー?」
むくれるその表情は、なんだか夕月に似ている気がした。
「あ、そういえば宵山君」
「はい?」
まだ何かあるんだろうか。
「夕月ちゃんのこと、振ったんだって?」
「ぶふっ!」
飲みかけていたコーヒーを吹き出しそうになる。
「……本人から聞いたんですか?」
「さー、どうだろうねー。乙女の秘密ってやつかなー」
「はあ」
まあおそらく夕月だろう。
「それにしても宵山君モテモテだねー。すみに置けないなー、このこのー」
ひじでわき腹をつんつんされる。この人、本当はこんなかんじなんだな。
「告白を断ったのは、やっぱりあれ?」
「あれ?」
「東雲さんのことが好きだから?」
「いや、別にそういうわけでは」
「ふふふ」
なんだか意味深な笑み。怖い。
「あっ、私そろそろ行かなきゃ」
と、桜庭先輩がスマホに表示された時刻を見て声を上げた。
「そうだ。ひとつお願い、聞いてくれる?」
「なんですか?」
「東雲さんに会ったら、お礼したいって私が言ってたってこと、伝えてくれないかな? 恩人なのに、このままなんてなんだか嫌だし……あ、もちろんその時は宵山君にもあらためてちゃんとお礼するから」
「そんな、もう十分ですよ」
「十分かどうかは、私が決めるのー」
むう、とまたしても不満げな顔をする。
「わかりました。部長に、ちゃんと伝えておきます」
俺は頷く。桜庭先輩の依頼では、俺は何もできなかった。だからせめて、これくらいはしないといけない。
「ありがとう、じゃあまたね」
ひらひらと手を振って、グラウンドへと走っていく。
「……よし」
残ったアイスコーヒーを一気に飲み、ごみ箱に放り込む。
桜庭先輩に励ましてもらってまでモタモタするなんて、男がすたる。
諦めるのは、まだ早い。
「七海先生はいますか?」
決意を新たにした俺が向かったのは、職員室だった。
ちょうど部活動が行われている時間だからだろう、先生はほとんどおらず、空席のデスクが目立った。もしかしたら七海先生もいないかもしれない、なんて考えは杞憂に終わり、果たして俺が探していた人物は山積みの書類に埋もれるようにして、デスクにかじりついていた。
「あれ、どうしたの宵山君」
こんな暑い日だというのに、七海先生は律儀にもスーツ姿だった。さすがに上着は着ていなかったが、見てるこっちが暑くなる。
「もしかして成績悪かったからってお願いしにきたの? ダメだよー」
「いや、そういうことではなくて」
即座に否定すると、七海先生はなぜだか少しだけしゅんとなった。なんでだろう。
放っておいて、俺は用件を単刀直入に告げる。
「部長の住所、教えてほしいんですけど」
前に聞いたことがある。七海先生は部長のクラスの担任だ。ならば、当然部長の住所を知っているはず。
「部長って、東雲さんの?」
「はい」
「ダメよ」
が、七海先生は首を横に振った。
「天川さんのときも言ったでしょ? 今はプライバシーとか個人情報とか厳しいもの。いくら生徒の頼みでも、それは聞けないわ」
私が高校生のころはいいかげんだったのにねー、と愚痴っぽく漏らしながら、
「そもそも、宵山君と東雲さんは同じ部活じゃない。本人に訊けばいいんじゃないの?」
「それは、まあ」
七海先生の言うことはもっともだ。かといってここで部長が退部届を出してきたことを伝えると話がややこしくなりそうだし。
かといって、ここで足踏みしているわけにはいかない。俺にできること、俺がやるべきことをやらないといけないのだ。
だから……すみません、七海先生。
俺は覚悟を決め、小さく拳を握る。
「それはそうと先生」
「ん?」
「先生も最近忙しいと思いますけど、ちゃんとリフレッシュとかできてますか?」
「え? 突然どうしたの? たしかに期末テストとか成績とかいろいろあったけど、大丈夫よ。もしかして先生のこと心配してくれたの? なんだか照れちゃうなあ」
「それはよかったです。遊園地でも楽しそうでしたしね」
「……え?」
瞬間、七海先生の笑みが硬直した。
「あ、そうそう」
俺はスマホを取り出し、とある写真を見せる。部長が撮影し、メッセージアプリで送り付けてきたあの写真を。
「俺もこの間のテスト休み、遊園地に行ったんです。そこですごくいい写真が撮れたんですよ」
「宵山……君?」
「ほらこれ。着ぐるみに抱きついてる写真なんか特に――」
「ちょっ、ストップ!」
七海先生は大慌てで俺のスマホを奪おうと立ち上がってきた。が、俺はそれをひょいとかわし、わざとらしく別の方向――別の先生が座っている方に目線を移し、七海先生に聞こえるほどの大きさでつぶやく。
「でもどう思うでしょうね。他の先生が聞いたら」
「ぎくり」
「生徒の模範たる七海先生が、まさかテスト休みにこっそり遊園地に行ってるなんて」
「あ、あははー。なんだか宵山君らしくないよ?」
必死に牽制してくる七海先生。だけど、らしいとか、らしくないとか、今はそんなの気にしていられない。
「……先生」
ぴくり、と目の前の小さな方が震える。スーツを着ていなければ、年下の女の子をいじめているみたいな錯覚に陥りそうだった。
「教えて、もらえますよね?」
今一度問う。
「……はい」
うつむくように、七海先生は首肯した。
それから「はあ~」と盛大にため息をつくと、引き出しからファイルを取り出し、メモに写し取っていく。
「こんなはずじゃなかったのになあ」
悔恨にも似た感情がこもった声を漏らしながら、
「もっと生徒から慕われて、頼られる先生になりたかったのに」
「十分頼りにしてますよ」
「それは頼りにしてるんじゃなくて便利使いっていうの! もう、宵山君はもっといい子だと思ってたのに」
「すみません」
俺だって自分がここまでするとは思っていなかった。知らず知らずのうちに、部長に影響されたってことなんだろうか。
七海先生は再度、落ち込むように息を吐くと、山積みになった書類から職人芸のようにファイルを取り出すと、メモに書き写していく。
「はいこれ、東雲さんの住所」
うさぎの耳がついたピンクのメモが渡される。教師の字とは思えないほどかわいらしい丸文字が書かれていた。
「ありがとうございます」
「言っておくけど、これで写真の件はチャラだからね! ちゃんと消しておいてね」
「それはまあ」
「……まあ?」
「善処します」
「もおおおー」
泣きそうな顔になりながら、ぽかぽかぽか、と胸をしこたま叩いてきた。
「宵山君のいじわる」
そう恨み言を放つ七海先生の姿が、あまりにもアンバランスすぎて、俺は妙な背徳感を覚えたのだった。
夕月と別れた後、お茶のペットボトルを捨てるために校舎横の自販機コーナーに行くと、見知った顔の先客がいた。
「桜庭、先輩?」
「奇遇だねー」
笑う彼女の肩からは、大きめのスポーツバッグがさげられている。
「これから部活ですか?」
「うん。暑いから休みたいってのが正直なところだけどね」
なんて言って苦笑する。暑さ対策なのだろう、ふわふわの茶髪はおさげに結われている。
「う~ん、何にしよっかなあ」
先輩は自販機のラインナップを見ながら少し難しい顔を浮かべていた……が。
「あ、そうだ」
何かを思いついたような声を上げて、桜庭先輩はくるりとこちらを向いた。
「宵山君、何飲みたい?」
「え?」
「ほらほら、好きなの選んで選んで」
ピンク色のかわいらしい財布から五百円玉を投入すると、自販機の前に手招きする。
「いや、おごってもらうなんて悪いですよ」
そもそもゴミを捨てに来ただけですし、と付け加える前に、桜庭先輩は口を開く。
「悪いことなんかないよ。これはお礼」
「お礼?」
「そ。依頼を解決してもらったお礼」
その言葉に、俺は胸がチクリと痛むのを感じる。
桜庭先輩の依頼に関して、俺は何もできていない。かといって、真実を告げることもできない。お礼をされる立場になど、到底ないのだ。
「まあ、お礼がジュース一本じゃあ不満かもしれないけどねー」
「そ、そんなことないですって」
「じゃあ遠慮なんてしなくていいから、ね?」
「えっと……」
自販機はすでに全てのボタンを緑に点灯させ、俺を待ち受けている。その隣には、ニコニコ顔の桜庭先輩。さすがにこの状況で断れるわけ、ないか。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
遠慮がちに、アイスコーヒーのボタンを押す。
「すみません、いただきます」
「お礼なんだから、そんなにかしこまらなくてもいいのに」
桜庭先輩は出てきたお釣りで、続けてポカリを購入する。喉が渇いていたのか、すぐさまフタを開けて飲み始めた。
「ぷはー。おいしー」
なんて言う先輩の笑顔はまぶしい。依頼の時は強張ったり沈んだ表情ばかりだったので、少しだけ戸惑ってしまう。だけど、こっちが先輩の本来の姿で、やり方はどうあれ、一度消えかけたけれど取り戻すことができたものだ。
そしてそれは、俺ではなく部長の力で取り戻したもの。
「宵山君、まだもうちょっと時間ある?」
と、桜庭先輩はいつの間にか近くのベンチに移動していた。またしてもちょいちょいと手招きするので、隣に腰かける。
「東雲さんとケンカでもした?」
「え……」
「だって『諦め屋』、もうやってないんでしょ?」
その言葉に、ドキリとした。
「それで、東雲さんは天文部を辞めちゃった」
「先輩、なんで知って」
桜庭先輩はお見通しとばかりに続ける。
「今日、天文部に行った子がいるでしょ? その子、私の中学の後輩なの」
合点がいく。さっき訪れた女子生徒は、桜庭先輩の紹介でやってきたのか。
「仲直りできそう? 東雲さんと」
「……どう、なんでしょう」
本当は喧嘩とは少し違うのだけれど。かといって今の状況をうまく表現する言葉は浮かんでこなかった。
「教室に行っても会えませんし、メッセージも返信こないですし」
あの日――部長が退部届を渡してきて部室を去った日から何度か二年生の教室を訪れたが、すべて空振り。スマホでメッセージを送っても、いわゆる「未読スルー」。
「今日にいたっては休んでましたし」
明日からは夏休みなので事実上、学校で会う機会は失われたといっていい。
「まあ、部長はもう俺と会うつもりはないってことなんでしょうね。……部長がそのつもりなら、しょうがないかもです」
『約束』の負けを自ら認め、自分の意志で天文部を離れていった彼女に、俺が今さら言えることなんてあるのだろうか。
「なんだか、宵山君らしくないね」
「え?」
そんなことを言われるとは思いもしなかったので、反射的に桜庭先輩の方を向く。
「諦めちゃうの? 東雲さんのこと」
「別に諦めるとかじゃあ」
「じゃあ、宵山君は東雲さんに天文部を辞めてほしかったの?」
「それは」
違う。たしかに俺は彼女が行う『諦め屋』を否定してきた。そのために『約束』もした。
だけど、天文部からいなくなってほしいとまでは思っていない。少なくとも、それを伝える必要はある……と思う。
「諦めるなんて、宵山君らしくないよ」
桜庭先輩は言う。
「宵山君、私のときも必死にソフィーを探してくれたよね。諦めずに」
「それは、そうですけど」
あのときの俺の行動は結局のところ、何にも結び付いていない。
「私、うれしかったんだよ? 結果は結果だけど、私は、うれしかったの」
ぎゅっと、ペットボトルを持つ両手に力がこもる。結果からは見えないけど、桜庭先輩の記憶には、俺の行動が残っている。
「あの時私は、諦めるしかないかなって思ってたから、東雲さんのところへ来たの。でも、宵山君はまだ、そうは思ってないでしょ?」
「桜庭、先輩」
「だから、まだ諦めるには早いんじゃないかな」
言って、笑顔をこちらに向ける。
「そう、ですね」
桜庭先輩の言うとおりだ。
俺はまだ、諦めるしかないところまで来ていない。
やれることをやり尽くしたわけじゃない。
ちょっと会えないくらいで、メッセージを無視されるくらい、なんだというのだ。
今こそ部長に見せつけてやるんだ。宵山晴人の諦めの悪さってやつを。
「ありがとうございます、桜庭先輩。なんか元気出ました」
「いやいや、私はなんにもしてないって」
「そんなことないですよ。すごい、先輩っぽかったです」
「なにそれー。ぽいもなにも、本当に先輩なんですけどー?」
むくれるその表情は、なんだか夕月に似ている気がした。
「あ、そういえば宵山君」
「はい?」
まだ何かあるんだろうか。
「夕月ちゃんのこと、振ったんだって?」
「ぶふっ!」
飲みかけていたコーヒーを吹き出しそうになる。
「……本人から聞いたんですか?」
「さー、どうだろうねー。乙女の秘密ってやつかなー」
「はあ」
まあおそらく夕月だろう。
「それにしても宵山君モテモテだねー。すみに置けないなー、このこのー」
ひじでわき腹をつんつんされる。この人、本当はこんなかんじなんだな。
「告白を断ったのは、やっぱりあれ?」
「あれ?」
「東雲さんのことが好きだから?」
「いや、別にそういうわけでは」
「ふふふ」
なんだか意味深な笑み。怖い。
「あっ、私そろそろ行かなきゃ」
と、桜庭先輩がスマホに表示された時刻を見て声を上げた。
「そうだ。ひとつお願い、聞いてくれる?」
「なんですか?」
「東雲さんに会ったら、お礼したいって私が言ってたってこと、伝えてくれないかな? 恩人なのに、このままなんてなんだか嫌だし……あ、もちろんその時は宵山君にもあらためてちゃんとお礼するから」
「そんな、もう十分ですよ」
「十分かどうかは、私が決めるのー」
むう、とまたしても不満げな顔をする。
「わかりました。部長に、ちゃんと伝えておきます」
俺は頷く。桜庭先輩の依頼では、俺は何もできなかった。だからせめて、これくらいはしないといけない。
「ありがとう、じゃあまたね」
ひらひらと手を振って、グラウンドへと走っていく。
「……よし」
残ったアイスコーヒーを一気に飲み、ごみ箱に放り込む。
桜庭先輩に励ましてもらってまでモタモタするなんて、男がすたる。
諦めるのは、まだ早い。
「七海先生はいますか?」
決意を新たにした俺が向かったのは、職員室だった。
ちょうど部活動が行われている時間だからだろう、先生はほとんどおらず、空席のデスクが目立った。もしかしたら七海先生もいないかもしれない、なんて考えは杞憂に終わり、果たして俺が探していた人物は山積みの書類に埋もれるようにして、デスクにかじりついていた。
「あれ、どうしたの宵山君」
こんな暑い日だというのに、七海先生は律儀にもスーツ姿だった。さすがに上着は着ていなかったが、見てるこっちが暑くなる。
「もしかして成績悪かったからってお願いしにきたの? ダメだよー」
「いや、そういうことではなくて」
即座に否定すると、七海先生はなぜだか少しだけしゅんとなった。なんでだろう。
放っておいて、俺は用件を単刀直入に告げる。
「部長の住所、教えてほしいんですけど」
前に聞いたことがある。七海先生は部長のクラスの担任だ。ならば、当然部長の住所を知っているはず。
「部長って、東雲さんの?」
「はい」
「ダメよ」
が、七海先生は首を横に振った。
「天川さんのときも言ったでしょ? 今はプライバシーとか個人情報とか厳しいもの。いくら生徒の頼みでも、それは聞けないわ」
私が高校生のころはいいかげんだったのにねー、と愚痴っぽく漏らしながら、
「そもそも、宵山君と東雲さんは同じ部活じゃない。本人に訊けばいいんじゃないの?」
「それは、まあ」
七海先生の言うことはもっともだ。かといってここで部長が退部届を出してきたことを伝えると話がややこしくなりそうだし。
かといって、ここで足踏みしているわけにはいかない。俺にできること、俺がやるべきことをやらないといけないのだ。
だから……すみません、七海先生。
俺は覚悟を決め、小さく拳を握る。
「それはそうと先生」
「ん?」
「先生も最近忙しいと思いますけど、ちゃんとリフレッシュとかできてますか?」
「え? 突然どうしたの? たしかに期末テストとか成績とかいろいろあったけど、大丈夫よ。もしかして先生のこと心配してくれたの? なんだか照れちゃうなあ」
「それはよかったです。遊園地でも楽しそうでしたしね」
「……え?」
瞬間、七海先生の笑みが硬直した。
「あ、そうそう」
俺はスマホを取り出し、とある写真を見せる。部長が撮影し、メッセージアプリで送り付けてきたあの写真を。
「俺もこの間のテスト休み、遊園地に行ったんです。そこですごくいい写真が撮れたんですよ」
「宵山……君?」
「ほらこれ。着ぐるみに抱きついてる写真なんか特に――」
「ちょっ、ストップ!」
七海先生は大慌てで俺のスマホを奪おうと立ち上がってきた。が、俺はそれをひょいとかわし、わざとらしく別の方向――別の先生が座っている方に目線を移し、七海先生に聞こえるほどの大きさでつぶやく。
「でもどう思うでしょうね。他の先生が聞いたら」
「ぎくり」
「生徒の模範たる七海先生が、まさかテスト休みにこっそり遊園地に行ってるなんて」
「あ、あははー。なんだか宵山君らしくないよ?」
必死に牽制してくる七海先生。だけど、らしいとか、らしくないとか、今はそんなの気にしていられない。
「……先生」
ぴくり、と目の前の小さな方が震える。スーツを着ていなければ、年下の女の子をいじめているみたいな錯覚に陥りそうだった。
「教えて、もらえますよね?」
今一度問う。
「……はい」
うつむくように、七海先生は首肯した。
それから「はあ~」と盛大にため息をつくと、引き出しからファイルを取り出し、メモに写し取っていく。
「こんなはずじゃなかったのになあ」
悔恨にも似た感情がこもった声を漏らしながら、
「もっと生徒から慕われて、頼られる先生になりたかったのに」
「十分頼りにしてますよ」
「それは頼りにしてるんじゃなくて便利使いっていうの! もう、宵山君はもっといい子だと思ってたのに」
「すみません」
俺だって自分がここまでするとは思っていなかった。知らず知らずのうちに、部長に影響されたってことなんだろうか。
七海先生は再度、落ち込むように息を吐くと、山積みになった書類から職人芸のようにファイルを取り出すと、メモに書き写していく。
「はいこれ、東雲さんの住所」
うさぎの耳がついたピンクのメモが渡される。教師の字とは思えないほどかわいらしい丸文字が書かれていた。
「ありがとうございます」
「言っておくけど、これで写真の件はチャラだからね! ちゃんと消しておいてね」
「それはまあ」
「……まあ?」
「善処します」
「もおおおー」
泣きそうな顔になりながら、ぽかぽかぽか、と胸をしこたま叩いてきた。
「宵山君のいじわる」
そう恨み言を放つ七海先生の姿が、あまりにもアンバランスすぎて、俺は妙な背徳感を覚えたのだった。
