東雲とばりは諦める

「あとで絶対ころす」
 恨みに満ちた声が、俺の斜め後ろから聞こえてきた。
 一見、お化け屋敷の演出の一部に間違えそうだが、言葉の矛先は間違いなく俺に向いている。
 薄暗くて見えないが、たぶんお化けも裸足で逃げ出しそうな表情をしていると思う。そう確信できるほどにドスの利いた声だった。
 どっちがお化けだかわからなくなりそうだ。
「悪かったって」
 お化け屋敷を出たとき、どうか俺の命が残っていますように、なんて願いを抱いて謝罪しながら、お化け屋敷内の入り組んだ順路を歩いていく。ちなみに、部長&昴ペアとは時間を空けて入ることにしたので、後方には二人の姿はおろか、声さえ聞こえない。
 夕月は俺の服をぎゅっとつかみながら、
「て、ていうかハルは平気なの?」
「なにが?」
「こういうの……ホラー的なやつ」
「当たり前だろ。こんなの作り物なんだし」
 とは言ったものの、まったく怖くないといえば嘘になる。不気味なBGMに、冷房も寒いくらいきいていて、外の楽しげな雰囲気とはまるで別世界。有名なホラー映画とコラボと銘打ってあっただけあって、通路の脇にある墓地や廃屋、古びた井戸も本格的で妙に生々しい。
 うん、さっさと出るに越したことはない。
「あんまり先に行かないでよね?」
「わかったって」
「ちゃんとお化け出てきたら、ぶちのめしてよね?」
「いや、それはダメだろ……」
 お化け役のスタッフさんがかわいそうだ。
「あーあ、私もお化け屋敷くらい平気になりたいのになー」
「別にいいだろ。女子はお化けが怖いくらいがちょうどいいんじゃないか?」
 夕月の場合、ほかの部分が男勝りだからそれくらいじゃないとバランスがとれない。
「じゃーとばり先輩が怖がってたら、ハルはきゅんとくるの?」
「なんでそこで部長が出てくるんだよ」
 そもそもあの人はお化け屋敷で怖がりなんてしないだろう。まったく想像できない。むしろお化け役の方をおどかしにいきそうだ。
「まあ、万が一怖がったら、その時は思い切り笑うけどな。普段の仕返しに」
「ハルってばけっこう根性曲がってるね」
「うるせ」
「あ、そうだ。無理やり連れてきたんだから、出たらクレープおごってよ」
「クレープって、この間おごってやっただろ?」
 俺はひとつ食べただけでしばらくクレープはいいかなと思ってるのに。
「それはそれ。ここ限定のやつが食べたいのー」
「ったく……。ひとつだけだぞ」
「へへー、やったー」
 うれしそうに笑う夕月は、いつの間にか俺の服から手を放していた。怖いのは少し和らいでいるみたいだ。
 だけど、このとき俺たちは気づくべきだったのだ。
 往々にして、お化け屋敷で会話に夢中になっていると痛い目に遭う、ということに。
 とんとん。
「ちょ、ちょっとハル。変ないたずらしないでよ」
「はあ? 何の話だよ」
「今とんとんしたでしょ、私の肩」
「いや、するわけないだろ」
 そんな命知らずな真似はしない。
「ほんとに……ハルじゃないの?」
「だからそう言って――」
 とんとん。今度は俺の肩に、何かが触れる感触。
 ぞくり、と一気に背筋に悪寒が走った。
「……ねえ、ハル」
「……ああ」
 嫌な予感がして、おそるおそる、二人同時に振り返る。そこには。
 髪の長い白装束のお化けがいた。背後の超至近距離に。
「きっ、きゃああ!」
「うわああっ!」
 シンクロしているかのように同じタイミングで悲鳴を上げ、そして走り出す。
「やばいってハル! あのお化け、追いかけてきてる! 早くやっつけてよ!」
「んなことできるか! 逃げるしかないだろ!」
 無我夢中で逃げる俺と夕月。しかし、走り出してわずか数秒で俺たちの間に違いが生じた。
 夕月の走るスピードがめちゃくちゃ速いのだ。
「ホント無理いい!」
 叫びながら俺を、そしてお化けをぐんぐん引き離していく。
「ちょっ、お前速すぎだって」
「無理なものは無理だもんん!」
「だからって俺を生贄にするなって!」
 前を走る幼なじみに手を伸ばす。が、当然届くはずもない。その差は開くばかり。
「ぷっ」
 と、さっきまで恐怖に包まれていた雰囲気はどこへやら。夕月は噴き出して、
「あははは!」
「おい夕月待てって」
「おいてっちゃうよー!」
「くそっ」
 陸上部、速すぎだろ!
 必死に追いかけながら、俺は心の中で叫んだ。


「はあっ、はあっ……」
「あー、走った走ったー」
 出口から出てきた二人はまるで対照的だった。俺はといえば、精も魂も尽き果てたと、ベンチになだれかかるようにして座っている。正面で立っている夕月は、まだまだ走り足りないといわんばかりだ。
「ハルってば、遅すぎない?」
「はあ、はあ……現役の陸上部と比べるなって……」
 こっちは素人だぞ。
「普通に限界……だっての……ぜえ、ぜえ」
 全力疾走なんて何年ぶりだ。それこそ小学校の運動会に向けてリレーの練習をしていた時以来じゃないだろうか。
「もーだらしないなあー」
 なんて言って、軽い足取りでどこかへ行く。かと思えば、飲み物が入ったカップを両手にすぐに戻ってきた。
「はい、オレンジジュース」
「悪い……」
 ストローで飲むのはまどろっこしいので、ふたを開けてがぶ飲みする。甘酸っぱい液体が喉に一気に流れ込み、渇きと疲労を癒していく。
 夕月は夕月でストローを吸いながら、俺の隣に腰かける。
「あー怖かったー」
「なにがだよ。最後の方笑ってただろ」
 あのまま俺だけ取り残されてお化けに捕まってたらどうするんだ。まあ遊園地のお化け屋敷でそこまではないだろうけど。
「あはは、ハルと一緒だったからかなー」
「はいはい、そうですか」
 俺を身代わりにできたって意味で、だろ。
「ハルこそすごく怖がってたじゃん。お化け屋敷は平気じゃなかったのー?」
「いやお前、あんな風に追いかけられたら誰だってびびるだろ」
 追いかけるタイプのやつなら、最初からそうだと断っておいてほしい。
 もう一度ふたを開けてがぶ飲みする。すでに残っていたのはほとんど氷だった。仕方ないので氷を頬張ってがりがりと噛みつぶす。
 周囲に目を向ければ夕暮れ時で、それこそオレンジジュースに染まったみたいだった。ここからどんどん太陽は姿を隠し、代わりに夜が顔をのぞかせる。あらゆるものを黒く染め上げる夜が。
 そうすれば、今日で一番重要なイベントが始まる。
「パレードのときに告白する、でいいんだよな?」
「……」
「夕月?」
「えっ? あ……う、うん」
「まさかお前、忘れてないだろうな?」
 事前に部長も含めて三人で行った打合せ。そこで話し合った内容――夕月がどのタイミングで、諦めるために告白するのかということ。その結果、日没と同時に始まるパレードで、ということになっていた。そしてパレード開始直前に、俺と部長は適当に言い訳を作ってその場を離れる作戦になっている。
「そ、そんなわけないじゃん、わかってるよ」
 夕月の声には少しだけ戸惑いの色がついていた。当然だろう、これから告白を、それも諦めるための、自分の気持ちを割り切るための告白をしようというのだから。
 そしてそんな彼女に、俺ができることは何もない。かけてやれる言葉すら、どこにもない。
「わかってるよ……」
 自分に言い聞かせるように言う夕月に、俺は沈黙で答えることしかできなかった。