「疲れた……」
俺はベンチに倒れ込むように腰を下ろすと同時、素直な心情を空気中に投げ出した。
「同感だわ」
隣に部長も座る。いつも内面の見えない表情には、珍しく疲労の色が浮かんでいた。
フリーフォールに引きずられるように四人で乗った後も、夕月はまだまだ乗り足りないらしく、次はジェットコースターだと提案してきた。さすがにもう勘弁してくれと懇願すると、ぶつくさ言いながらも昴と二人で列へと向かっていって、今に至る。
「これで、いいんですよね?」
「ええ」
夕月と昴。俺と部長。二手に分かれての行動は、夕月に伝えていない部長の作戦だ。夕月にできるだけ未練が残らないよう、自然と昴との二人きりの時間を作る。そのために俺と部長は休憩という名目で別行動をとった。疲れたというのも本当だけど。
「二人ともアウトドア派でよかったわ。どちらかがインドア派だったらこの作戦は成立しなかったもの」
部長はベンチに力なく背中を預ける。微かに風が吹いて、彼女を包む空色のワンピースが膝のあたりでゆらゆら揺れた。
「あいつ……今日で諦めるつもりなんですよね」
「あら、こうして一緒に来ておいて、今さら協力しないなんてのはナシよ?」
「わかってますよ」
今回の件で、俺にその資格はない。幼なじみとして近くにいたのに、あいつが悩んでいることに気づいてやれなかったのだ。どうこう言える立場にない。
ならせめて、夕月の望むことに協力してやるのが、せめてもの罪滅ぼしというやつだ。
隣を見れば、部長が虚空を覗き込むように空を見上げていた。この人は、どう考えているんだろう。いつもと同じように、恋に対しても、きちんと諦める手伝いをする。そう思っているんだろうか。
「そういえば部長、今日もそのストールしてるんですね」
ふと気になったので訊いてみた。トレードマークたる青いチェックのストールは、今日も彼女の首元にあった。さすがにフリーフォールに乗っていた時は鞄にしまっていたようだが。
ワンピースからのぞかせる白い腕や足はつやつやしている。肌が弱いと言っていたし、いつも以上に日焼け止めを塗ってきているみたいだ。
「…………」
「な、なんですか?」
気づけば部長は無言でじっ、とこちら視線を向けていた。
「……それだけ?」
「は?」
てっきり「じろじろ見すぎ」とでも言われるかと思ったが、届いたのはそんな言葉だった。
「今日の私の格好を見て、何か言うことはないの?」
「何かってなんですか」
ストールのことはさっき触れた。他に何があるというのか。
「せっかくのデートなのに、女の子の服装に対してコメントはないのかしら?」
「でっ」
思わず舌を噛みそうになった。
「デートって、俺たちは夕月の付き添いでしょ!」
「あら、今日の名目はダブルデートでしょ? 間違いじゃないわ」
「たしかにそうですけど……」
件の夕月たちはこの場にいないのだから、デートの体裁を保つ必要はない。
というのは建前で、実際は面と向かって褒めるのが気恥ずかしいだけだ。正直、すごく似合っていて……かわいいと思う。そんなこと言えないけど。
「この前の展覧会のデートの時だって晴人君は何も言ってくれないし、悲しくなるわね」
「いや、あれこそ依頼のためだったじゃないですか」
「ふうん、晴人君はそんな風に女の子をもてあそぶのね」
「人聞きの悪いこと言わないでください」
このままだとエンドレスで部長のペースが続きそうだったので、俺はわざとらしく咳払いをしてから、ゆっくりめに言う。
「そういうのは、彼氏ができたらその人にでも言ってもらってください」
「あら、残念」
その残念には「服装を褒めてもらえなかった」というより「俺をからかえなかった」ことを意味しているように聞こえた。勘弁してくれ。
俺は脱力してベンチに背中を預ける。今のやりとりの方がある意味ジェットコースターに乗るよりも疲労感があった。このままだと、次はどんなことでおもちゃにされるかわかったものじゃない。夕月たち、早く戻ってこないかな。
なんて考えながら、ぼんやりと前を見つめていた時、
「あ~! 待ってよしゃーく君~」
目の前を、小柄な女性が駆けていく。直後、近くを通りかかっていたサメの着ぐるみを逃がさんとばかりに抱きついた。あのサメ、どこかで見たような……。
俺が記憶をたどっていると、女性がサメを引き連れてこちら来る。
「すみませ~ん。写真撮ってもらえませ、って宵山君!?」
「え?」
なんで俺の名前知ってるんだ?
ん、待てよこの人どこかで……。
「もしかして、七海先生?」
三つ編みの髪型に、黒縁メガネ。それに頭をすっぽり覆っているキャスケット帽。学校で見るいつものスーツ姿とはまるで違うけど、たしかに七海先生だ。サメの着ぐるみにご執心だったのも頷ける。
「七海先生……ですよね?」
「せ、先生? なんのことかなー? もしかして誰かと間違えてませんか? 私はテスト休みで遊びに来た高校生ですよー」
「……」
苦しい。苦しい言い訳にもほどがある。しかも自分を女子高生と偽って。先生、それでいいんですか。
けれどその必死さ故に、これ以上追及することができない。ここは黙って、何も見なかったことにするのが、一人の男としてとるべき行動だ、うん。
カシャ。
「ん?」
「え?」
だが俺の決意は、全く意味のないものになった。小さなシャッター音によって。
「あら」
自分のスマホをこちらに向けた部長が、にっこりと笑う。
「少し失敗してしまったみたいですね。もう一度撮るので、もっと着ぐるみと寄ってもらえませんか?」
「あ……」
部長の姿を視認した七海先生の表情が石膏像のように固まる。部長も笑みを崩さないまま、七海先生からカメラモードにしたスマホを受け取った。
「ほらせっかくなんですから、もっと寄って寄って」
部長の声に、何も知らないしゃーく君着ぐるみが愛らしい動作で七海先生を抱き寄せる。もふもふした胴体に、七海先生が力なく身体をあずける。
「いきますよー、はいチーズ」
カシャ。
再びのシャッター音。そして無言でスマホを受け取る七海先生。撮影した写真が映ったスマホの画面を、ちらりと俺の視界が捉えた。
七海先生の目が死んでいたのは、言うまでもない。
悲哀に満ちた足取りで七海先生が去っていってから数分後。夕月と昴が戻ってきた。
「いやー楽しかったー」
お腹いっぱい満足、といった表情の夕月。それがジェットコースターを満喫したことによるのか、昴と二人きりだったからなのかまでは読み取れない。何はともあれ、部長の作戦はうまくいっているようだ。
「よう晴人、体力は復活したか?」
「まあな」
「じゃあじゃあ次は――」
「次はあれなんてどうかしら?」
提案しようとする夕月に、部長が声を重ねた。そして少し遠くを指さす。
白い人差し指が向くのは――楽しげな雰囲気など微塵も感じさせない、おどろおどろしい外観の建物。ジェットコースターとはまた違った悲鳴が聞こえてきそうな、人を怖がらせることに特化した施設。
「……お化け屋敷、ですか?」
瞬間、夕月の顔が引きつるのがわかった。こいつが怖いものが得意じゃないことは、俺が一番よく知っている。
「いいですね。あれなら乗り物酔いもしなさそうですし」
だけど、俺は部長の提案に乗る。別に夕月に嫌がらせしたいとかではない。これも部長と事前に立てておいた、作戦のひとつだ。思い出づくりのためには、楽しいアトラクションだけじゃなくて、怖い体験も共有しておくのがよいだろう、という。
「べ、べつにあれは今日行かなくてもいいんじゃない? あはは」
「なんだよ星宮。もしかして怖いのかー?」
「ち、違うし!」
からかう昴に慌てて否定する夕月。
「せっかくだから、二人一組に分かれるか」
「ちょ、私まだ行くなんて」
夕月の逃げ場をなくす包囲網ができあがっていく。ふふふ、さっき無理やりフリーフォールに引きずっていった仕返しだ。
「そうね。じゃあ私は晴人くんと行くから――」
「あ、それじゃあ」
予定どおり、夕月と昴がペアになるよう誘導しようとした部長の言葉が、思いもよらない方向からの――昴の声で遮られた。もちろん俺と部長の作戦なんて知る由もない彼は、右手を突き出してこう提案してきた。
「今度はじゃんけんでペア決めないか?」
俺はベンチに倒れ込むように腰を下ろすと同時、素直な心情を空気中に投げ出した。
「同感だわ」
隣に部長も座る。いつも内面の見えない表情には、珍しく疲労の色が浮かんでいた。
フリーフォールに引きずられるように四人で乗った後も、夕月はまだまだ乗り足りないらしく、次はジェットコースターだと提案してきた。さすがにもう勘弁してくれと懇願すると、ぶつくさ言いながらも昴と二人で列へと向かっていって、今に至る。
「これで、いいんですよね?」
「ええ」
夕月と昴。俺と部長。二手に分かれての行動は、夕月に伝えていない部長の作戦だ。夕月にできるだけ未練が残らないよう、自然と昴との二人きりの時間を作る。そのために俺と部長は休憩という名目で別行動をとった。疲れたというのも本当だけど。
「二人ともアウトドア派でよかったわ。どちらかがインドア派だったらこの作戦は成立しなかったもの」
部長はベンチに力なく背中を預ける。微かに風が吹いて、彼女を包む空色のワンピースが膝のあたりでゆらゆら揺れた。
「あいつ……今日で諦めるつもりなんですよね」
「あら、こうして一緒に来ておいて、今さら協力しないなんてのはナシよ?」
「わかってますよ」
今回の件で、俺にその資格はない。幼なじみとして近くにいたのに、あいつが悩んでいることに気づいてやれなかったのだ。どうこう言える立場にない。
ならせめて、夕月の望むことに協力してやるのが、せめてもの罪滅ぼしというやつだ。
隣を見れば、部長が虚空を覗き込むように空を見上げていた。この人は、どう考えているんだろう。いつもと同じように、恋に対しても、きちんと諦める手伝いをする。そう思っているんだろうか。
「そういえば部長、今日もそのストールしてるんですね」
ふと気になったので訊いてみた。トレードマークたる青いチェックのストールは、今日も彼女の首元にあった。さすがにフリーフォールに乗っていた時は鞄にしまっていたようだが。
ワンピースからのぞかせる白い腕や足はつやつやしている。肌が弱いと言っていたし、いつも以上に日焼け止めを塗ってきているみたいだ。
「…………」
「な、なんですか?」
気づけば部長は無言でじっ、とこちら視線を向けていた。
「……それだけ?」
「は?」
てっきり「じろじろ見すぎ」とでも言われるかと思ったが、届いたのはそんな言葉だった。
「今日の私の格好を見て、何か言うことはないの?」
「何かってなんですか」
ストールのことはさっき触れた。他に何があるというのか。
「せっかくのデートなのに、女の子の服装に対してコメントはないのかしら?」
「でっ」
思わず舌を噛みそうになった。
「デートって、俺たちは夕月の付き添いでしょ!」
「あら、今日の名目はダブルデートでしょ? 間違いじゃないわ」
「たしかにそうですけど……」
件の夕月たちはこの場にいないのだから、デートの体裁を保つ必要はない。
というのは建前で、実際は面と向かって褒めるのが気恥ずかしいだけだ。正直、すごく似合っていて……かわいいと思う。そんなこと言えないけど。
「この前の展覧会のデートの時だって晴人君は何も言ってくれないし、悲しくなるわね」
「いや、あれこそ依頼のためだったじゃないですか」
「ふうん、晴人君はそんな風に女の子をもてあそぶのね」
「人聞きの悪いこと言わないでください」
このままだとエンドレスで部長のペースが続きそうだったので、俺はわざとらしく咳払いをしてから、ゆっくりめに言う。
「そういうのは、彼氏ができたらその人にでも言ってもらってください」
「あら、残念」
その残念には「服装を褒めてもらえなかった」というより「俺をからかえなかった」ことを意味しているように聞こえた。勘弁してくれ。
俺は脱力してベンチに背中を預ける。今のやりとりの方がある意味ジェットコースターに乗るよりも疲労感があった。このままだと、次はどんなことでおもちゃにされるかわかったものじゃない。夕月たち、早く戻ってこないかな。
なんて考えながら、ぼんやりと前を見つめていた時、
「あ~! 待ってよしゃーく君~」
目の前を、小柄な女性が駆けていく。直後、近くを通りかかっていたサメの着ぐるみを逃がさんとばかりに抱きついた。あのサメ、どこかで見たような……。
俺が記憶をたどっていると、女性がサメを引き連れてこちら来る。
「すみませ~ん。写真撮ってもらえませ、って宵山君!?」
「え?」
なんで俺の名前知ってるんだ?
ん、待てよこの人どこかで……。
「もしかして、七海先生?」
三つ編みの髪型に、黒縁メガネ。それに頭をすっぽり覆っているキャスケット帽。学校で見るいつものスーツ姿とはまるで違うけど、たしかに七海先生だ。サメの着ぐるみにご執心だったのも頷ける。
「七海先生……ですよね?」
「せ、先生? なんのことかなー? もしかして誰かと間違えてませんか? 私はテスト休みで遊びに来た高校生ですよー」
「……」
苦しい。苦しい言い訳にもほどがある。しかも自分を女子高生と偽って。先生、それでいいんですか。
けれどその必死さ故に、これ以上追及することができない。ここは黙って、何も見なかったことにするのが、一人の男としてとるべき行動だ、うん。
カシャ。
「ん?」
「え?」
だが俺の決意は、全く意味のないものになった。小さなシャッター音によって。
「あら」
自分のスマホをこちらに向けた部長が、にっこりと笑う。
「少し失敗してしまったみたいですね。もう一度撮るので、もっと着ぐるみと寄ってもらえませんか?」
「あ……」
部長の姿を視認した七海先生の表情が石膏像のように固まる。部長も笑みを崩さないまま、七海先生からカメラモードにしたスマホを受け取った。
「ほらせっかくなんですから、もっと寄って寄って」
部長の声に、何も知らないしゃーく君着ぐるみが愛らしい動作で七海先生を抱き寄せる。もふもふした胴体に、七海先生が力なく身体をあずける。
「いきますよー、はいチーズ」
カシャ。
再びのシャッター音。そして無言でスマホを受け取る七海先生。撮影した写真が映ったスマホの画面を、ちらりと俺の視界が捉えた。
七海先生の目が死んでいたのは、言うまでもない。
悲哀に満ちた足取りで七海先生が去っていってから数分後。夕月と昴が戻ってきた。
「いやー楽しかったー」
お腹いっぱい満足、といった表情の夕月。それがジェットコースターを満喫したことによるのか、昴と二人きりだったからなのかまでは読み取れない。何はともあれ、部長の作戦はうまくいっているようだ。
「よう晴人、体力は復活したか?」
「まあな」
「じゃあじゃあ次は――」
「次はあれなんてどうかしら?」
提案しようとする夕月に、部長が声を重ねた。そして少し遠くを指さす。
白い人差し指が向くのは――楽しげな雰囲気など微塵も感じさせない、おどろおどろしい外観の建物。ジェットコースターとはまた違った悲鳴が聞こえてきそうな、人を怖がらせることに特化した施設。
「……お化け屋敷、ですか?」
瞬間、夕月の顔が引きつるのがわかった。こいつが怖いものが得意じゃないことは、俺が一番よく知っている。
「いいですね。あれなら乗り物酔いもしなさそうですし」
だけど、俺は部長の提案に乗る。別に夕月に嫌がらせしたいとかではない。これも部長と事前に立てておいた、作戦のひとつだ。思い出づくりのためには、楽しいアトラクションだけじゃなくて、怖い体験も共有しておくのがよいだろう、という。
「べ、べつにあれは今日行かなくてもいいんじゃない? あはは」
「なんだよ星宮。もしかして怖いのかー?」
「ち、違うし!」
からかう昴に慌てて否定する夕月。
「せっかくだから、二人一組に分かれるか」
「ちょ、私まだ行くなんて」
夕月の逃げ場をなくす包囲網ができあがっていく。ふふふ、さっき無理やりフリーフォールに引きずっていった仕返しだ。
「そうね。じゃあ私は晴人くんと行くから――」
「あ、それじゃあ」
予定どおり、夕月と昴がペアになるよう誘導しようとした部長の言葉が、思いもよらない方向からの――昴の声で遮られた。もちろん俺と部長の作戦なんて知る由もない彼は、右手を突き出してこう提案してきた。
「今度はじゃんけんでペア決めないか?」
