天国と地獄。
高校生にとって、七月はそう形容するのにふさわしい月だと思う。
前半には期末テスト。後半には夏休み。負のイベントと正のイベントを兼ね備えた七月は、学生生活を凝縮しているといっても過言ではない。
だがそんな七月も、期末テストさえ乗り切ってしまえば、あとは天国を待つのみ。テストが終わればテスト休みに短縮授業なので、ほぼ夏休みとも言える。
そうテスト休み。テストに心血を注いだ心身を労わるもよし。休みだった部活動に専念するもよし。各々が思い思いの活動に勤しむ期間。
そんなテスト休みのとある日。
俺は休むでもなく、部活動をするでもなく。
遊園地にいた。
「むっはー! テンション上がるねー!」
俺の前を歩く夕月が、両手を上げてひときわテンションの高い声を上げる。楽しげな声は、そこかしこで流れるBGMかき消す勢いだ。
「子どもじゃないんだから、あんまり走り回るなよ」
「いーじゃん、遊園地なんて久しぶりなんだしー」
白いシャツと、リボンのついた赤いキュロットスカートが、彼女の動きに合わせて翻る。ポニーテールもふわふわと、まるでエサを前にした犬の尻尾みたいなはしゃぎっぷりだ。
「次、あれ乗ろうよー!」
「おっ、フリーフォールか。いいチョイスだな星宮」
夕月の隣で頷くのは、ラフなTシャツとジーンズに身を包んだ昴。こちらも同じくテンション高め。
「フリーフォールって、たしか足が宙に浮いて一気に落ちるのよね。私は遠慮しておこうかしら……」
「俺も。ちょっと休憩したい」
そんな二人とは正反対に若干引き気味なのが二人。俺と部長だ。
かれこれアトラクション三連続。平日で園内が空いているせいで待ち時間がほぼないこともあって、休む暇なく乗り物に身体を揺さぶられている。せっかく人も少なくてのんびりできるんだから、もう少しゆっくり回ってもいいじゃないか。
「えー。とばり先輩も行きましょうよー。てかハルは怖いだけなんじゃないのー?」
「なんだー晴人、そうなのか?」
「違う。純粋に休みたいからだ」
「私たちはかまわないから、二人で行ってきていいのよ?」
部長が提案する。が、夕月はまったく聞く耳を持たないで、
「まーまー、二人とも。とりあえず乗りましょーよ。乗ればきっと楽しいですってー」
「おいこら――」
「あ、ちょ――」
右手で俺の腕を、左手で部長のそれをつかむと、アトラクションの列へと向かってずるずると引っ張っていく。
絶叫系は正直、得意じゃない。部長もそんな顔をしている。けれど、俺たちの要望ばかり通すわけにはいかない。
なにせ、今日の主役は夕月だ。俺と部長は、あくまで見守り役。
俺と部長、それに夕月と昴。この四人で遊園地に来たのは、テスト終了の打ち上げというわけではない。仲の良い友だち同士で遊びに来た、それもまた違う。
全ての発端は、期末テスト前に夕月が部室へとやって来た時に遡る。
今まで依頼人用のパイプ椅子に座る人は、初対面の人ばかりだった。
だから、俺はあくまでまったく関係のない他人という立場で、依頼人と彼らが持ち込む依頼を捉えることができていた。冷静に、外側から。
でも今回は違った。そこに座っているのは俺がよく知る人物、幼なじみの星宮夕月だった。
「驚いたわ。まさか、あなたが依頼してくるなんて」
そうは言うものの、部長の表情はいつも通りだった。対する夕月は今まで見たことないような緊張した硬い表情で、両手をひざに置いている。俺はというと、事態をまだうまく飲み込めず、部長に促されてなんとかアイスココアを用意したといったところだ。
夕月が、依頼。
つまりは、諦めたい何かがあって来たということだ。
夕月にも、そんなものがあったのか。
別におかしくはない。夕月だってひとりの人間、高校生だ。ここに来た依頼人たちのように悩み、苦しみ、諦めたいと願うことがあって普通だ。それが今、たまたま彼女の中にあるということ。ただそれだけだ。
そうだと頭ではわかっているのに、心がもやもやするのはどうしてなんだろうか。
「すみません、とばり先輩。わたしなんかが来ちゃって」
「遠慮することはないわ。『諦め屋』は誰の依頼であっても拒みはしないもの」
部長はいつもと同じように小さく微笑んで、
「それで、星宮さんが諦めたいものって、何かしら」
「えっと、それは……ですね」
歯切れが悪い。
「あんまり聞かれたくないなら、俺は席を外すぞ?」
もしかすると、男の俺がいない方がいいのかもしれない。そもそも俺は『諦め屋』の一員ではないわけだし。俺が『諦め屋』として依頼人の――夕月の話を聞かなければならない理由はないのだ。
「いいの。ハルにも聞いておいて、ほしい」
が、夕月は俺をこの場に留める。
「えっと、ですね」
言葉を切って、夕月は二、三度深呼吸をする。そしてふうー、と息を吐いてから真剣な顔つきになると、薄紅色の唇を動かし、言った。
「諦めたいんです……好きな人、を」
「好きな人?」
「お前、それ……」
夕月に好きな人がいる。まずその事実に俺は驚いた。そんな話、噂でも聞いたことがなかった。誰を好き、とか。いつから、とか。
だが彼女は俺の知らない間に恋に悩み、果たしてここにやって来た。依頼人として。
好きな人を諦める。それはつまり、自分が抱いた恋心を、相手ともっと一緒にいたいという淡い想いを、相手と結ばれたいという願いを、終わらせるということ。
そしてその道を、自ら選択するということ。
「いいの、か?」
口をついて出たのは、そんなセリフだった。
「やめた方がいいんじゃないか、そんな依頼。なにも、ここに来ることはないだろ」
諭すように言う。
「いきなり諦めるとかじゃなくてさ。普通に恋愛相談とかでいいんじゃないか? 男の俺に相談するのが嫌なら、部長だけでもいいし」
「晴人くん」
頬に当たる冷たい風のように、部長が俺の名前を呼ぶ。そこで俺ははっとした。胸の辺りにあったモヤモヤの正体を、理解した。
俺は、少しショックだったのだ。疎外感を覚えていたのだ。小さいころからの仲で、お互い知らないことなんかないはずだと思い込んでいた彼女が、いつの間にか思い悩み――俺の知らないところで「諦める」という結論を出していたことに。
でも夕月だって、ちゃんと考えたんだろう。その結果として、諦めたくて、ここにいる。だったら俺は、まずそのことを何よりも尊重しなければならない。
「星宮さん」
俺が黙ったのを横目で確認すると、部長は話を再開させる。
「よく来てくれたわね。あなたの好きな人を諦めたいという依頼、たしかに受けさせていただくわ」
「お願いします」
いつになく真面目な表情のまま、夕月が小さく頭を下げる。
「早速だけど、星宮さんの好きな人って、誰なのかしら?」
「あ、えっと……」
強張った表情が今一度、硬さを増す。そりゃそうだろう、本人相手ではないとはいえ、自分が好意を寄せる相手を口に出して他人に告げるのは、誰だって緊張する。まして、付き合いの長い俺にも言おうとしているのだから。
……まさか、俺、とかじゃないよな。
我ながら思い上がりも甚だしいと承知しているけど、浮かんでしまうのだから仕方ない。
だけどそれはないだろう。もし仮に夕月の好きな人が俺だったとして、それを諦めようとして、わざわざ本人のいる『諦め屋』に相談に来るわけがない。相談の時点で間接的な告白をするという、なんとも後味の悪い結果になるだけだ。
「その……」
考えを巡らせている間に決心がついたのか、夕月は口を開く。
「同じ陸上部の……その」
陸上部で夕月と交流のある男子と言えば……
「もしかして、昴か?」
「!」
ぴくり。三度夕月の身体に力が入る。そして数秒経って小さく頷いた。どうやら正解を当ててしまったらしい。
「そっか、昴のことを……」
教室で三人一緒に昼食をとったりした光景を思い浮かべる。あの時からすでに、夕月は昴のことが気になっていたということなんだろう。こんなに近くに相手がいたというのに、気がつかなかった俺はなんて鈍感だったんだ。
「晴人くんも知り合いみたいね。どんな人なの?」
「ああ、名前は午塚昴。俺と同じクラスで、いかにも運動部って感じのやつで、活発な性格だな。ちょっとおおざっぱなとこはあるけど」
けど、同じ部活で仲良くしていて性格も合いそうだし、お似合いのふたりに思える。まだまだ一緒に過ごす時間もあるだろうし、なにも今諦めなくても。
「その午塚くんに彼女はいるのかしら?」
「俺は聞いたことないけど……夕月は心当たりあるのか?」
「えっ? あ、うん。いないみたい。けど」
「けど?」
夕月は顔を伏せる。
「この間、男子同士で話してるのを聞いちゃって……気になってる人は、いるみたい。陸上部以外の人、で……」
「夕月……」
そういうことか。昴が想いを寄せる相手は、少なくとも自分ではない。それで夕月は諦めるという結論に至った。
本当にいいのか。
もう一度訊きそうになったが、隣から視線を感じる。これ以上言って彼女の心を乱すのはやめなさい、部長の黒い瞳はそう語りかけていた。
「そうね……」
部長はそれだけ言うと、口元に手を当てて黙り込む。考えているのだ。夕月が昴のことを諦める方法を。恋を諦める手段を。
「一番きっぱり諦められる方法となると、やっぱり告白して――想いを午塚くんに伝えて断られることね」
提案したのは、そんな方法だった。
「シンプルだけど、それが星宮さんにとっても明朗な結果として受け取れるんじゃないかしら」
「は、はい……」
「問題はいつ、どこでするか、ね。時間の融通が利きやすいのはやっぱり学校なんでしょうけど――」
「あの」
考えを整理する部長に、夕月が声を挟む。
「こんなこと言うのはおこがましいかもなんですけど……どうせなら一度くらいはデートしてからが、いいです……」
「夕月……」
それが夕月の望む形なのだと悟った。『デート』なんて言葉、いつもの夕月ならふざけて言いそうな単語だけど、今の彼女は真剣そのものだ。
「わかったわ」
そして、部長はそんな依頼人のすべての願いを聞き受ける。きちんと諦めさせるために。
「それじゃあデートした後に告白する、という流れでいきましょうか。もちろん、デートプランは私も一緒に考えるし、当日も近くで見守ることにするわ。あとは午塚くんをどう誘うかだけど……星宮さんが誘いにくいなら、私たちの方でやるわよ?」
「いえ、私が誘います。私のことですし、それくらいは」
「じゃあお願いするわね。後はどこにデートに行くか、ね。もうすぐ期末テストだからその後のテスト休みに行く方がいいかしら?」
「たぶん、その方が予定を合わせやすいと思います」
「わかったわ。本当なら依頼から一週間が原則なんだけど、今回は特例ということにするわ」
二人の間で話が進んでいく。夕月は俺にも話を聞いていてほしいと言ったけれど、俺にできることはなさそうだ。それに夕月ならきっと大丈夫だ。ちゃんと諦めて、いつもどおりの笑顔でまた俺のことをからかいにくるだろう。俺はそれを待っていればいい。そう、それでいい。
「えっと、それでもう一つお願いがあるんですけど」
「気にしなくていいわ。星宮さんは依頼人なんだもの。なんでも言って?」
部長が笑みを向けると、夕月はもう一度唇にきゅっと力を込める。それからどういうわけか、俺の方を一瞥して、
「デートなんですけど、二人きりだと緊張するので……とばり先輩とハルも一緒についてきてくれませんか?」
高校生にとって、七月はそう形容するのにふさわしい月だと思う。
前半には期末テスト。後半には夏休み。負のイベントと正のイベントを兼ね備えた七月は、学生生活を凝縮しているといっても過言ではない。
だがそんな七月も、期末テストさえ乗り切ってしまえば、あとは天国を待つのみ。テストが終わればテスト休みに短縮授業なので、ほぼ夏休みとも言える。
そうテスト休み。テストに心血を注いだ心身を労わるもよし。休みだった部活動に専念するもよし。各々が思い思いの活動に勤しむ期間。
そんなテスト休みのとある日。
俺は休むでもなく、部活動をするでもなく。
遊園地にいた。
「むっはー! テンション上がるねー!」
俺の前を歩く夕月が、両手を上げてひときわテンションの高い声を上げる。楽しげな声は、そこかしこで流れるBGMかき消す勢いだ。
「子どもじゃないんだから、あんまり走り回るなよ」
「いーじゃん、遊園地なんて久しぶりなんだしー」
白いシャツと、リボンのついた赤いキュロットスカートが、彼女の動きに合わせて翻る。ポニーテールもふわふわと、まるでエサを前にした犬の尻尾みたいなはしゃぎっぷりだ。
「次、あれ乗ろうよー!」
「おっ、フリーフォールか。いいチョイスだな星宮」
夕月の隣で頷くのは、ラフなTシャツとジーンズに身を包んだ昴。こちらも同じくテンション高め。
「フリーフォールって、たしか足が宙に浮いて一気に落ちるのよね。私は遠慮しておこうかしら……」
「俺も。ちょっと休憩したい」
そんな二人とは正反対に若干引き気味なのが二人。俺と部長だ。
かれこれアトラクション三連続。平日で園内が空いているせいで待ち時間がほぼないこともあって、休む暇なく乗り物に身体を揺さぶられている。せっかく人も少なくてのんびりできるんだから、もう少しゆっくり回ってもいいじゃないか。
「えー。とばり先輩も行きましょうよー。てかハルは怖いだけなんじゃないのー?」
「なんだー晴人、そうなのか?」
「違う。純粋に休みたいからだ」
「私たちはかまわないから、二人で行ってきていいのよ?」
部長が提案する。が、夕月はまったく聞く耳を持たないで、
「まーまー、二人とも。とりあえず乗りましょーよ。乗ればきっと楽しいですってー」
「おいこら――」
「あ、ちょ――」
右手で俺の腕を、左手で部長のそれをつかむと、アトラクションの列へと向かってずるずると引っ張っていく。
絶叫系は正直、得意じゃない。部長もそんな顔をしている。けれど、俺たちの要望ばかり通すわけにはいかない。
なにせ、今日の主役は夕月だ。俺と部長は、あくまで見守り役。
俺と部長、それに夕月と昴。この四人で遊園地に来たのは、テスト終了の打ち上げというわけではない。仲の良い友だち同士で遊びに来た、それもまた違う。
全ての発端は、期末テスト前に夕月が部室へとやって来た時に遡る。
今まで依頼人用のパイプ椅子に座る人は、初対面の人ばかりだった。
だから、俺はあくまでまったく関係のない他人という立場で、依頼人と彼らが持ち込む依頼を捉えることができていた。冷静に、外側から。
でも今回は違った。そこに座っているのは俺がよく知る人物、幼なじみの星宮夕月だった。
「驚いたわ。まさか、あなたが依頼してくるなんて」
そうは言うものの、部長の表情はいつも通りだった。対する夕月は今まで見たことないような緊張した硬い表情で、両手をひざに置いている。俺はというと、事態をまだうまく飲み込めず、部長に促されてなんとかアイスココアを用意したといったところだ。
夕月が、依頼。
つまりは、諦めたい何かがあって来たということだ。
夕月にも、そんなものがあったのか。
別におかしくはない。夕月だってひとりの人間、高校生だ。ここに来た依頼人たちのように悩み、苦しみ、諦めたいと願うことがあって普通だ。それが今、たまたま彼女の中にあるということ。ただそれだけだ。
そうだと頭ではわかっているのに、心がもやもやするのはどうしてなんだろうか。
「すみません、とばり先輩。わたしなんかが来ちゃって」
「遠慮することはないわ。『諦め屋』は誰の依頼であっても拒みはしないもの」
部長はいつもと同じように小さく微笑んで、
「それで、星宮さんが諦めたいものって、何かしら」
「えっと、それは……ですね」
歯切れが悪い。
「あんまり聞かれたくないなら、俺は席を外すぞ?」
もしかすると、男の俺がいない方がいいのかもしれない。そもそも俺は『諦め屋』の一員ではないわけだし。俺が『諦め屋』として依頼人の――夕月の話を聞かなければならない理由はないのだ。
「いいの。ハルにも聞いておいて、ほしい」
が、夕月は俺をこの場に留める。
「えっと、ですね」
言葉を切って、夕月は二、三度深呼吸をする。そしてふうー、と息を吐いてから真剣な顔つきになると、薄紅色の唇を動かし、言った。
「諦めたいんです……好きな人、を」
「好きな人?」
「お前、それ……」
夕月に好きな人がいる。まずその事実に俺は驚いた。そんな話、噂でも聞いたことがなかった。誰を好き、とか。いつから、とか。
だが彼女は俺の知らない間に恋に悩み、果たしてここにやって来た。依頼人として。
好きな人を諦める。それはつまり、自分が抱いた恋心を、相手ともっと一緒にいたいという淡い想いを、相手と結ばれたいという願いを、終わらせるということ。
そしてその道を、自ら選択するということ。
「いいの、か?」
口をついて出たのは、そんなセリフだった。
「やめた方がいいんじゃないか、そんな依頼。なにも、ここに来ることはないだろ」
諭すように言う。
「いきなり諦めるとかじゃなくてさ。普通に恋愛相談とかでいいんじゃないか? 男の俺に相談するのが嫌なら、部長だけでもいいし」
「晴人くん」
頬に当たる冷たい風のように、部長が俺の名前を呼ぶ。そこで俺ははっとした。胸の辺りにあったモヤモヤの正体を、理解した。
俺は、少しショックだったのだ。疎外感を覚えていたのだ。小さいころからの仲で、お互い知らないことなんかないはずだと思い込んでいた彼女が、いつの間にか思い悩み――俺の知らないところで「諦める」という結論を出していたことに。
でも夕月だって、ちゃんと考えたんだろう。その結果として、諦めたくて、ここにいる。だったら俺は、まずそのことを何よりも尊重しなければならない。
「星宮さん」
俺が黙ったのを横目で確認すると、部長は話を再開させる。
「よく来てくれたわね。あなたの好きな人を諦めたいという依頼、たしかに受けさせていただくわ」
「お願いします」
いつになく真面目な表情のまま、夕月が小さく頭を下げる。
「早速だけど、星宮さんの好きな人って、誰なのかしら?」
「あ、えっと……」
強張った表情が今一度、硬さを増す。そりゃそうだろう、本人相手ではないとはいえ、自分が好意を寄せる相手を口に出して他人に告げるのは、誰だって緊張する。まして、付き合いの長い俺にも言おうとしているのだから。
……まさか、俺、とかじゃないよな。
我ながら思い上がりも甚だしいと承知しているけど、浮かんでしまうのだから仕方ない。
だけどそれはないだろう。もし仮に夕月の好きな人が俺だったとして、それを諦めようとして、わざわざ本人のいる『諦め屋』に相談に来るわけがない。相談の時点で間接的な告白をするという、なんとも後味の悪い結果になるだけだ。
「その……」
考えを巡らせている間に決心がついたのか、夕月は口を開く。
「同じ陸上部の……その」
陸上部で夕月と交流のある男子と言えば……
「もしかして、昴か?」
「!」
ぴくり。三度夕月の身体に力が入る。そして数秒経って小さく頷いた。どうやら正解を当ててしまったらしい。
「そっか、昴のことを……」
教室で三人一緒に昼食をとったりした光景を思い浮かべる。あの時からすでに、夕月は昴のことが気になっていたということなんだろう。こんなに近くに相手がいたというのに、気がつかなかった俺はなんて鈍感だったんだ。
「晴人くんも知り合いみたいね。どんな人なの?」
「ああ、名前は午塚昴。俺と同じクラスで、いかにも運動部って感じのやつで、活発な性格だな。ちょっとおおざっぱなとこはあるけど」
けど、同じ部活で仲良くしていて性格も合いそうだし、お似合いのふたりに思える。まだまだ一緒に過ごす時間もあるだろうし、なにも今諦めなくても。
「その午塚くんに彼女はいるのかしら?」
「俺は聞いたことないけど……夕月は心当たりあるのか?」
「えっ? あ、うん。いないみたい。けど」
「けど?」
夕月は顔を伏せる。
「この間、男子同士で話してるのを聞いちゃって……気になってる人は、いるみたい。陸上部以外の人、で……」
「夕月……」
そういうことか。昴が想いを寄せる相手は、少なくとも自分ではない。それで夕月は諦めるという結論に至った。
本当にいいのか。
もう一度訊きそうになったが、隣から視線を感じる。これ以上言って彼女の心を乱すのはやめなさい、部長の黒い瞳はそう語りかけていた。
「そうね……」
部長はそれだけ言うと、口元に手を当てて黙り込む。考えているのだ。夕月が昴のことを諦める方法を。恋を諦める手段を。
「一番きっぱり諦められる方法となると、やっぱり告白して――想いを午塚くんに伝えて断られることね」
提案したのは、そんな方法だった。
「シンプルだけど、それが星宮さんにとっても明朗な結果として受け取れるんじゃないかしら」
「は、はい……」
「問題はいつ、どこでするか、ね。時間の融通が利きやすいのはやっぱり学校なんでしょうけど――」
「あの」
考えを整理する部長に、夕月が声を挟む。
「こんなこと言うのはおこがましいかもなんですけど……どうせなら一度くらいはデートしてからが、いいです……」
「夕月……」
それが夕月の望む形なのだと悟った。『デート』なんて言葉、いつもの夕月ならふざけて言いそうな単語だけど、今の彼女は真剣そのものだ。
「わかったわ」
そして、部長はそんな依頼人のすべての願いを聞き受ける。きちんと諦めさせるために。
「それじゃあデートした後に告白する、という流れでいきましょうか。もちろん、デートプランは私も一緒に考えるし、当日も近くで見守ることにするわ。あとは午塚くんをどう誘うかだけど……星宮さんが誘いにくいなら、私たちの方でやるわよ?」
「いえ、私が誘います。私のことですし、それくらいは」
「じゃあお願いするわね。後はどこにデートに行くか、ね。もうすぐ期末テストだからその後のテスト休みに行く方がいいかしら?」
「たぶん、その方が予定を合わせやすいと思います」
「わかったわ。本当なら依頼から一週間が原則なんだけど、今回は特例ということにするわ」
二人の間で話が進んでいく。夕月は俺にも話を聞いていてほしいと言ったけれど、俺にできることはなさそうだ。それに夕月ならきっと大丈夫だ。ちゃんと諦めて、いつもどおりの笑顔でまた俺のことをからかいにくるだろう。俺はそれを待っていればいい。そう、それでいい。
「えっと、それでもう一つお願いがあるんですけど」
「気にしなくていいわ。星宮さんは依頼人なんだもの。なんでも言って?」
部長が笑みを向けると、夕月はもう一度唇にきゅっと力を込める。それからどういうわけか、俺の方を一瞥して、
「デートなんですけど、二人きりだと緊張するので……とばり先輩とハルも一緒についてきてくれませんか?」
