「ドッジボール大会……?」
体育着に包まれながら、先生の説明に肩を落とした。年に一回球技大会としてドッジボールをクラス対抗で競い合うことになっていた。
コートの線が描かれた体育館には埃っぽい独特な臭いが漂っている。
「僕、ドッジボール苦手なんだけど……」
誰に聞こえるでもなく呟いた。己の耳を疑うくらいにはやりたくない。
「僕は得意だよっ! ぴゅーんってパーンって」
「擬音多すぎて分かんないって。まぁでも俺も結構ドッヂは得意だな」
隣にいた雫くんはなんだかノリノリだし、智弥くんも腕を組んで余裕な面持ちだ。心なしかいつもより眉毛が凛々しい気がする。
いざ授業でドッジボールの試合が始まった。僕たちは皆同じチームだった。
開始数十分。
自陣のコートには僕しか残っていなかった。
「なんでよー!」
叫びながら迫り来るボールを躱していく。しゃがんで躱すと、髪の毛先ギリギリをボールが掠めた。
「いいぞー! そのまま良いところで受け止めて投げろー!」
味方の誰かが僕に叫んでいる。
やれるもんなら既にやっている。速いボールの受け止め方を知らないので、攻めに転じられない。
数分前、意気込んでいた二人はすぐに離脱した。雫くんは受け止めようとしてボールが弾けてアウトになり、智弥くんに至ってはギリギリで躱そうと余裕ぶって、当てられていた。
ビビリな僕だけが躱し続けて、いつの間にか周りの人たちは誰一人いなくなっていた。
「どうしたらいいのこれー」
「バーン、って受け止めるんだよー」
外野から雫くんがアドバイスを投げかけた。あまりにざっくりだ。
「そんなこと言われても分かんないよー!」
触れようとしても早すぎて怖い。手を出しては引っ込めた。
また一球素早いボールが飛んできたが、そのボールはこれまでよりも少し弱かった。これなら取れるかも、いや、避けた方がいいかな、とコンマの世界で葛藤した。そのせいか脳と足の統率が取れず、下からキュイっと音がして天地がひっくり返った。
地面に転けた僕に情けのボールが飛んできて、ポンっと体に当たった。コロコロと緩く転がっていくボールと同じ目線になっていた。
ピピーッ。
笛の音が鳴り響いて、試合は終了した。
汗だくのまま水筒の水をたっぷりと飲みながら、二人のもとに近づいた。
「来部、躱すのめちゃくちゃ上手いじゃん」
右肩をポンっと智弥くんが叩いた。
「そうかなぁ……」
「そうだよーもしかしてドッジボールの才能あるんじゃない?」
同じように左肩をポンっと雫くんが叩く。二人から褒められて調子に乗って笑った。
「えへへ、そうかも」
そして、迎えたドッジボール大会。クラスを半分に分けて、他のクラスと何回か戦うというトーナメントになっていた。最強と認められたチームは先生たちと戦うことになる。
バゴンッ
「痛ぁいぃ!」
ピピッ「アウト!」
痛みに耐え、目を赤くしながら外野へと向かった。まだ当たったところがジンジンしている。名前は分からないけど、A組の背が高くて焼けた肌が特徴的な強そうな人が投げたボールは迷いがなくて容赦がなかった。まるで火を纏っているようなボールが真っ直ぐに飛んできて太ももを直撃した。
始まって早々に弱々しい僕が狙われたらしい。授業の時になぜあんなに躱せていたのか分からないほどに、あっけなかった。
僕にボールを当てた人はその後も容赦なく次々に当てていっていた。あっという間に僕たちのチームは全滅。外野にいた僕はボールに触れることなく、試合はすぐに終わってしまった。
同じチームである雫くんに駆け寄る。後から智弥くんもやってきた。体操着を肩まで捲り上げている。
「アイツ、バケモンかよ。強すぎんだろ」
「本当にね!当たったところまだ痛いよー」
二人は嘆きながら水筒で喉を潤している。自分の水筒を見渡しても見つからずにこれまでを思い出した。
教室に置きっぱなしだった。
「あ、僕水筒教室に忘れたぁ……」
「僕も一緒に行こうか?」
「ううん、大丈夫!それくらい僕一人で行けるし!」
先生に確認して、合間にある少しの休憩時間に水筒を取りに行く。
体育館は話し声でザワザワしていたが、少し外に出て廊下を歩けば他の学年は授業中なので静かだった。妙な緊張感に包まれている。
「急いで戻らないと……!」
いつもは走ったら怒られる廊下を小走りで進み、教室に辿り着いた。後ろのドアを開ける。
誰もいない教室は異質な気配を醸し出していた。
何も悪いことをしていないのにそーっと慎重に自分の鞄から水筒を取り出す。怪盗の気分を味わいながら、同じようにできるだけ音が出ないように教室を出た。
手には、大粒のダイヤモンド……いや、ワンタッチで開くお気に入りの可愛い水筒。
大切に抱えて逃げるように体育館へ駆けて戻っていく。
あと少しというところで、柱から人影が見えた。人は、小走りだとしても急には止まれないものらしい。
そのまま人影に体がバンっとぶつかった。
「わっ、ごめんなさいっ。大丈夫ですか……?」
目を引くほどの美人だったが、冷たいオーラを放っていた。一瞬だけ目を丸くした後、鋭い目つきで睨まれた。目線がグサリと突き刺さる。
「……っ!」
彼は何も言わずにまたギロリと僕を睨みつけて、逃げていってしまった。
身長も高くて一瞬先輩かと思ったが、同じ色の体育着を着ていたからたぶん一年生なんだろう。こんなところで何を……?
「何組なんだろう……」
体育館に戻ると、僕らのクラスのもう一つのチームが戦っていた。端っこで体育座りをしている雫くんに近付いた。
「あ、やっと戻ってきたぁ」
「水筒あった?」
「うん。無事に戻ってきたよっ!」
本当は人にぶつかったけど、なんとなく隠しておいた。
「他のチームマジで強いわ。俺らのクラス結構ヤバい」
他のクラスの偵察に行っていたらしい智弥くんは情報を持って帰ってきた。
「そうなんだ……怖いなぁ」
大袈裟に肩を摩った。
ピピーッ。
ホイッスルの音が鳴って、僕らのチームはコートに立って外野を決めたりしながら準備をした。相手はD組のチームらしい。
外野を決めるジャンケンにすぐ負けてしまったので、相手チームを観察してみることにした。また強そうな人達がいて、肩を振り回してストレッチをしていた。
その中にストレッチをせず、ミステリアスにスラリと佇む存在感のある人がいた。
「あ、あれさっきの……」
向こうもこちらの目線に気付いた顔をした。小さくペコっと謝罪の意を込めて頭を下げた。すると彼はプイッと目線を逸らした。
こっちが悪かったから、別に反応を返してもらうつもりはなかったけどなんだかモヤモヤする。
「どうしたの? 知り合い?」
雫くんがひょこっと肩から顔を出した。
「いや、別に……」
ピピーッ。
外野の人たちが配置につくと、もう一度ホイッスルが鳴った。試合開始の合図だ。
ボールが真ん中で高く上げられた。チームの中で一番背の高いクラスメイトがジャンプして頑張ってくれたが、ギリギリで向こうにボールが渡ってしまった。
全員がこまめに動いているからか上履きの擦れる音がそこら中に鳴っている。
相手チームに渡ったボールの行方を目で追った。ジャンプボールを受け取ったのは、腕の筋肉が発達していていかにもドッジボールが強そうな人だった。
怖い。そう思ったのも束の間、そのボールはポンっと仲間にパスされた。受け取ったのは、僕がぶつかったあの彼だった。
ボールを受け取った瞬間、彼が纏う空気が変わった。ボールを軽く何度か上に投げて手に慣らしている。
すると彼は大きく振りかぶった。数秒のことだったが、鮮明に僕の目に焼き付いていた。彼の瞳孔はここからでも見えるほどに開き切っていて、鋭角に笑っている。獲物を見つけたハイエナだった。
彼の目線、角度からして僕を狙っているのが分かったが、蛇に締め付けられているかのような感覚に襲われて体を動かせなかった。
僕は息をしてただ食われるのを待っている餌だった。彼の手から離れたボールがシュルシュルと僕を目掛けて飛んでくる。ボールが目線から消えた。
ポスン。
「え……?」
ボールが当たった感覚がしたのは足の爪先だった。気付くと足元にボールが転がっている。
ピピッ「アウト!」
転がっていったボールはチームの人が拾ってくれて攻守交代となった。訳も分からず外野に歩いていく。
スピードの割には当たった感覚が弱かった。それに目の前でボールが消え、足に縫い付けられたかのように吸い込まれていった。
彼は何者……?
外野から彼を見ると先ほどの狂人ぶりは失われ、またクールで何を考えているか分からない雰囲気に戻っていた。
もしかして、ぶつかったのすごく怒ってる……?
試合は進み、両方のチームの人数はかなり減ってきていた。試合をずっと見ていて分かったことがある。
クールな彼は、ドッジボールが異様に強いってことだ。仲間がキャッチするとそのボールは全て彼に渡される。そして、ボールを持つと空気が変わる。
スピードや角度が変幻自在に変わり、絶妙に取れないようになっていた。僕らのチームは殆どが彼の手によってアウトにされていた。
だから、僕に対して怒ってるとかではないはずだ……
雫くんと智弥くんは最後の方まで残っていたが、クールな彼の毒牙にかかり外野へと送られてきた。
「何あの人!強すぎない?」
「ガチでそれ。アイツやべぇわ……」
結局、僕らのチームは負けてしまった。クールな彼が率いるD組チームは最終的に優勝し、先生と戦うことになった。全員でコートを囲みその試合を見守る。
先ほどまでは敵だったが、今はなんとしても先生チームに勝ってほしいという期待を彼らのチームに持っていた。こういう時先生に恨みなどあるわけではないが、どうしても自分の立場側に味方してしまう。
実力はかなり拮抗していて、いい試合だった。スピードの速い球が互いのコートを行き交い、当たった時の音も派手でお祭りを思わせた。
あまりに良い戦いのせいか時間切れとなり、コートに残っている人数が多かった生徒側のチームが勝ちという判断になった。見ていた生徒も含め全員で盛り上がった。
これまでドッジボールなんてやらなければやらないだけ良いと思っていたが、ちょっとだけ思い直した。
ドッジボール大会から一週間が経ったある日、いつものように三人で喋っていると後ろのドアが勢いよくバンっと音を立てて開いた。あまりの音の大きさにクラスの全員が目線を向けた。
そこに立っていたのは、ドッジボール大会の時の彼だった。
切れ長の目をスッと動かし、僕と目が合った瞬間にズカズカと教室内に入ってきた。僕の腕を強く掴んだ。ぐっと持ち上げられ、椅子から立ち上がった。
「こっち……」
「え……? えっ……なにッ……?」
されるがままにずるずると教室を連れ出され、屋上に向かう最上階の踊り場に着いた。掴んでいた腕は解いてくれたが、僕よりも身長が高い彼と壁の間に挟まれてしまった。威圧感が強大で到底動けそうにない。
「……なに?」
彼を刺激しないようにそっと聞いてみる。僕が何かをした覚えは……しっかりある。ドッジボール大会の時にぶつかってしまっている。
彼は手を僕の背後の壁に押し付けた。俗に言う壁ドン状態になっている。先ほどよりも逃げ場がなくなり、背中に冷たい汗が垂れる。
少しの無言の後、彼の口がやっと開いた。
「……あのさ……」
何を言われるのか……。自分の体が硬直しているのが分かった。謝罪が足りなかった、とかかな……?でも、既に試合中にボールを投げられている。
壁にあった彼の手が僕の頭を撫でて、耳へとさわさわ移動した。全身がくすぐったい感覚だった。
まだ彼は喋り出さずに僕のことを撫でながら見つめてくる。
「……⁉︎」
「あーー! ちょっとぉ!」
階段の下から雫くんの声が聞こえてきたと思ったら、パタパタと階段を登ってきていた。階段の下からは智弥くんが顔だけ柱から出して覗いていた。
「えっ? えっ?」
ここにくる時は彼に引っ張られてきたが、今度は雫くんに引っ張られながら、階段を降りさせられた。その間、クールな彼は何もせずにぼーっと見ているだけだった。
「な、なんだったの……?」
連れ去られる前に聞いてみたが、彼は少し目を細めるだけで何も答えなかった。
自分たちの教室まで雫くんに引っ張ってこられた。ちょっとだけ怒っている雫くんを初めて見たが、そんな時も可愛さを忘れていないようだった。
「もう! なんで連れ去られちゃうの!」
「えっでも何か言いたげだったから……」
「ゆうくんは可愛いんだからもっと気を付けて!」
「ごめん……」
どの口が言っているんだ、とちょっぴり思ったけれど、可愛いと認めることになるので言わずにおいた。
その日から、休み時間になるとその彼がそっとやってきて僕を連れ出そうとしてくるようになった。部活の日は家庭科室にまで姿を現し、そっと姿を消す。そんな日が続いていた。
「もうー!あの人なんなの!」
毎回クールな彼が顔を出す度、雫くんがぐるるると威嚇して追い払っていた。雫くんは腕を組みぷんぷんしていた。
「僕にも分かんない……」
「ゆうくん、あの人に何かしたの?」
「んーと……ぶつかっちゃった、かな……ドッジボール大会の日にたまたまそこの廊下でぶつかっちゃって……」
「もしかして、骨折でもしてて相当恨まれたんじゃねーの」
智弥くんがふざけた口調で呟いた。
「そうだったらどうしよう」
真面目な表情で言うと、智弥くんはケタケタと肩を揺らして笑った。
「そんなわけないって。確かドッジボールめちゃくちゃ強かったよな? 優勝してたし。なんなんだろうな。アイツ」
三人で先ほどまで彼がいたところを見つめた。そういえば、彼の名前すら知らない。
*
「テストが近いので、来週小テストやります。しっかり勉強してきて下さい」
分厚い眼鏡をかけた古典の先生が授業の終わり際に発した言葉に、みんながえーと不満を漏らした。
「テスト……こないだ終わったばっかりじゃない?」
智弥くんが振り返って僕に囁いてきた。
五月にテストがあって、次のテストがもう迫ってきていた。色々あったからか本当にあっという間だった気がする。
休み時間になり、またクールな彼が姿を現した。いつものように雫くんが威嚇して彼は立ち去った。
智弥くんはチラッと見た後すぐに視線を戻す。
「まぁ別に何かしてくる訳でもないんだよな……来部に不思議なファン出来たな。というか、そんなことより、テストがやばいわ俺」
「そうだっ!こないだのテストの時は出来なかったけど、みんなでお勉強会する?」
雫くんのアイディアに智弥くんが前のめりになった。
「お、良いな。そういうのあるとやる気出るよな」
「ゆうくんは?」
こてん、と雫くんが首を傾げる。
「もちろん僕も参加したい!早速今日から始める?全員部活ないし!」
「そうしよう。図書館とかでいいか?」
智弥くんの発言にみんなで頷いていると、クラスメイトが雫くんに近づいて肩を叩いた。
「なぁに?」
「江宮、今日日直」
「あっ、忘れてたぁ!」
雫くんは慌てて立ち上がって黒板を消しに向かった。
「あー日直だったんか。日直だるいよなぁ」
愚痴を呟く智弥くんと共にぴょんぴょん飛び跳ねながら、上の方を消そうと頑張っている雫くんを眺めていた。
放課後になり、雫くんが黒板を消したり、日誌を先生に渡したりしているのを待っていた。智弥くんは横の人と楽しそうに喋っていた。僕は図書館に向かう準備をしながらぼーっと座って待っていると、後ろのドアから現れた人影にまた腕を引っ張られ、連れ去られていく。雫くんはまだ時間がかかりそうなので、無理に抵抗せずに連れ去った人物の話を聞いてみようと思った。
前に連れ去られた踊り場に行くのかと思ったが、そこを通り過ぎて社会科準備室の前という普段近くも通らないような場所まで連れてこられた。
前と同じように逃げられないように壁に押し付けられる。
なんで毎回……?
クールな彼の表情を見て、ちょっと驚いた。
僕よりも身長が高いのに少し上目遣いで、子犬みたいに甘える表情をしていた。
彼の大きな手が僕の肩に置かれる。手は少し震えている気がする。
「俺……」
長い溜めがあった。ただならぬ空気に唾を飲み込んだ。彼が息を吸い込んで、言葉を発した。
「……一目惚れした。付き合って欲しい」
「……え?」
目をまん丸にして彼を見る。低くてかっこいい声が耳を通り過ぎて、僕の脳に辿り着いた。
今、告白された?
僕の心拍数が一気に上がった。戸惑っていると彼は目を瞑り、顔を近づけてきた。
「ちょっちょっと!」
手で胸を押して返した。瞑った切れ長の目がゆっくり開かれる。
「……何?」
「いや、何?じゃなくて! 僕オッケーしてないよ!」
「……そうなの? 何も言わないからオッケーなのかと思った」
「そんな訳ないでしょ!っていうか僕、君の名前すら知らないんだけど」
「……そうだったの? 俺は早峰潤」
彼は何の驚きもなく真顔で淡々と答えた。
「は、早峰くんは、僕の名前知ってるの?」
「……当たり前。来部優。家庭部で身長は百六十八センチくらいでしょ」
「合ってる……」
公には公表していない身長まで知られていて背筋がゾクリとした。
「……どう? 付き合ってくれる?」
「……ごめん。早峰くんのこと僕は全然知らないし。ドッジボールが強いってことくらいしか知らないからっ……その付き合うとかよく分かんない」
彼は噛み締めるように微笑んだ。
「そこは覚えててくれてるんだ。嬉しい。来部くんが誰かに当てられるの絶対に嫌だったからちょっと頑張っちゃった。痛くないように当てたんだけど、大丈夫だった? それに、俺のことはこれから知っていけばいいでしょ」
ほとんど息を吸っていないように思えるほど、言葉がつらつらと紡がれていく。断りの言葉を伝えたはずなのに彼は諦めてくれなかった。彼の勇気には感謝したいが、僕には剛志くんがいる。今は会えていなくなって気持ちは変わらない。
「僕っ! 好きな人がいるから」
声が少し上擦ってしまった。剛志くんには届かないはずなのに、声に出して言うと何故か恥ずかしい気持ちになった。
「……俺じゃダメ?」
甘えるような声を出され、髪をサラリと撫でられる。何を言っても彼の耳には通じていないような感覚に襲われた。そして、彼が身体的な距離をぐっと近付けた。
「ちょっ……」
抵抗しようとすると、僕の髪を撫でていた腕がグンっと勢いよく離された。
その腕は雫くんが掴んでいた。
「ちょっと……やめてくれる?」
「雫くん……」
雫くんの、少し色素の薄いまん丸で可愛らしい瞳は上目遣いになっていた。でも、その瞳の奥に小さな炎が見えた。早峰くんは子犬のような表情から冷酷なものに変わっていた。
「ゆうくんのかわいいは僕だけのものなんだから!」
そう言われても雫くんをギロリと睨むだけで、退こうとしない。
「邪魔しないでよ!」
雫くんがピシャリと言い放った。
早峰くんは雫くんに掴まれていた腕を振り解いて、ふんっと鼻を鳴らした後去っていった。
雫くんはふぅーと息を吐いて、振り返る。心配そうに僕を見つめる瞳はキラキラとしていた。まるでヒーローだ。可愛くて、強くて、かっこいい一面もあるなんて、雫くんはすごい。
「ゆうくん大丈夫?」
「……僕は大丈夫。雫くん。ありがと」
その日から変わったことがあった。
クールな彼こと、早峰くんは僕たちの前に姿を見せることはなくなった。学校の中ですれ違うことはあっても、話しかけられたりはしなかった。ただ目がチラッとあって逸らされる。そんな感じだった。
そして、もう一つが。
「ちょっと近くない?」
「ダメ! ゆうくんすぐ連れ去られちゃうんだから」
「そんなことないってば!」
休み時間になると雫くんが僕にぴったりくっついて来るようになった。
「来部、ボディガードが出来て良かったな」
「ちょっと智弥くん! 笑ってないで離してよー」
「いやいや俺はそのままでいいと思うぞ。すぐ連れ去られるし」
「だからそんなことないってば!」
体育着に包まれながら、先生の説明に肩を落とした。年に一回球技大会としてドッジボールをクラス対抗で競い合うことになっていた。
コートの線が描かれた体育館には埃っぽい独特な臭いが漂っている。
「僕、ドッジボール苦手なんだけど……」
誰に聞こえるでもなく呟いた。己の耳を疑うくらいにはやりたくない。
「僕は得意だよっ! ぴゅーんってパーンって」
「擬音多すぎて分かんないって。まぁでも俺も結構ドッヂは得意だな」
隣にいた雫くんはなんだかノリノリだし、智弥くんも腕を組んで余裕な面持ちだ。心なしかいつもより眉毛が凛々しい気がする。
いざ授業でドッジボールの試合が始まった。僕たちは皆同じチームだった。
開始数十分。
自陣のコートには僕しか残っていなかった。
「なんでよー!」
叫びながら迫り来るボールを躱していく。しゃがんで躱すと、髪の毛先ギリギリをボールが掠めた。
「いいぞー! そのまま良いところで受け止めて投げろー!」
味方の誰かが僕に叫んでいる。
やれるもんなら既にやっている。速いボールの受け止め方を知らないので、攻めに転じられない。
数分前、意気込んでいた二人はすぐに離脱した。雫くんは受け止めようとしてボールが弾けてアウトになり、智弥くんに至ってはギリギリで躱そうと余裕ぶって、当てられていた。
ビビリな僕だけが躱し続けて、いつの間にか周りの人たちは誰一人いなくなっていた。
「どうしたらいいのこれー」
「バーン、って受け止めるんだよー」
外野から雫くんがアドバイスを投げかけた。あまりにざっくりだ。
「そんなこと言われても分かんないよー!」
触れようとしても早すぎて怖い。手を出しては引っ込めた。
また一球素早いボールが飛んできたが、そのボールはこれまでよりも少し弱かった。これなら取れるかも、いや、避けた方がいいかな、とコンマの世界で葛藤した。そのせいか脳と足の統率が取れず、下からキュイっと音がして天地がひっくり返った。
地面に転けた僕に情けのボールが飛んできて、ポンっと体に当たった。コロコロと緩く転がっていくボールと同じ目線になっていた。
ピピーッ。
笛の音が鳴り響いて、試合は終了した。
汗だくのまま水筒の水をたっぷりと飲みながら、二人のもとに近づいた。
「来部、躱すのめちゃくちゃ上手いじゃん」
右肩をポンっと智弥くんが叩いた。
「そうかなぁ……」
「そうだよーもしかしてドッジボールの才能あるんじゃない?」
同じように左肩をポンっと雫くんが叩く。二人から褒められて調子に乗って笑った。
「えへへ、そうかも」
そして、迎えたドッジボール大会。クラスを半分に分けて、他のクラスと何回か戦うというトーナメントになっていた。最強と認められたチームは先生たちと戦うことになる。
バゴンッ
「痛ぁいぃ!」
ピピッ「アウト!」
痛みに耐え、目を赤くしながら外野へと向かった。まだ当たったところがジンジンしている。名前は分からないけど、A組の背が高くて焼けた肌が特徴的な強そうな人が投げたボールは迷いがなくて容赦がなかった。まるで火を纏っているようなボールが真っ直ぐに飛んできて太ももを直撃した。
始まって早々に弱々しい僕が狙われたらしい。授業の時になぜあんなに躱せていたのか分からないほどに、あっけなかった。
僕にボールを当てた人はその後も容赦なく次々に当てていっていた。あっという間に僕たちのチームは全滅。外野にいた僕はボールに触れることなく、試合はすぐに終わってしまった。
同じチームである雫くんに駆け寄る。後から智弥くんもやってきた。体操着を肩まで捲り上げている。
「アイツ、バケモンかよ。強すぎんだろ」
「本当にね!当たったところまだ痛いよー」
二人は嘆きながら水筒で喉を潤している。自分の水筒を見渡しても見つからずにこれまでを思い出した。
教室に置きっぱなしだった。
「あ、僕水筒教室に忘れたぁ……」
「僕も一緒に行こうか?」
「ううん、大丈夫!それくらい僕一人で行けるし!」
先生に確認して、合間にある少しの休憩時間に水筒を取りに行く。
体育館は話し声でザワザワしていたが、少し外に出て廊下を歩けば他の学年は授業中なので静かだった。妙な緊張感に包まれている。
「急いで戻らないと……!」
いつもは走ったら怒られる廊下を小走りで進み、教室に辿り着いた。後ろのドアを開ける。
誰もいない教室は異質な気配を醸し出していた。
何も悪いことをしていないのにそーっと慎重に自分の鞄から水筒を取り出す。怪盗の気分を味わいながら、同じようにできるだけ音が出ないように教室を出た。
手には、大粒のダイヤモンド……いや、ワンタッチで開くお気に入りの可愛い水筒。
大切に抱えて逃げるように体育館へ駆けて戻っていく。
あと少しというところで、柱から人影が見えた。人は、小走りだとしても急には止まれないものらしい。
そのまま人影に体がバンっとぶつかった。
「わっ、ごめんなさいっ。大丈夫ですか……?」
目を引くほどの美人だったが、冷たいオーラを放っていた。一瞬だけ目を丸くした後、鋭い目つきで睨まれた。目線がグサリと突き刺さる。
「……っ!」
彼は何も言わずにまたギロリと僕を睨みつけて、逃げていってしまった。
身長も高くて一瞬先輩かと思ったが、同じ色の体育着を着ていたからたぶん一年生なんだろう。こんなところで何を……?
「何組なんだろう……」
体育館に戻ると、僕らのクラスのもう一つのチームが戦っていた。端っこで体育座りをしている雫くんに近付いた。
「あ、やっと戻ってきたぁ」
「水筒あった?」
「うん。無事に戻ってきたよっ!」
本当は人にぶつかったけど、なんとなく隠しておいた。
「他のチームマジで強いわ。俺らのクラス結構ヤバい」
他のクラスの偵察に行っていたらしい智弥くんは情報を持って帰ってきた。
「そうなんだ……怖いなぁ」
大袈裟に肩を摩った。
ピピーッ。
ホイッスルの音が鳴って、僕らのチームはコートに立って外野を決めたりしながら準備をした。相手はD組のチームらしい。
外野を決めるジャンケンにすぐ負けてしまったので、相手チームを観察してみることにした。また強そうな人達がいて、肩を振り回してストレッチをしていた。
その中にストレッチをせず、ミステリアスにスラリと佇む存在感のある人がいた。
「あ、あれさっきの……」
向こうもこちらの目線に気付いた顔をした。小さくペコっと謝罪の意を込めて頭を下げた。すると彼はプイッと目線を逸らした。
こっちが悪かったから、別に反応を返してもらうつもりはなかったけどなんだかモヤモヤする。
「どうしたの? 知り合い?」
雫くんがひょこっと肩から顔を出した。
「いや、別に……」
ピピーッ。
外野の人たちが配置につくと、もう一度ホイッスルが鳴った。試合開始の合図だ。
ボールが真ん中で高く上げられた。チームの中で一番背の高いクラスメイトがジャンプして頑張ってくれたが、ギリギリで向こうにボールが渡ってしまった。
全員がこまめに動いているからか上履きの擦れる音がそこら中に鳴っている。
相手チームに渡ったボールの行方を目で追った。ジャンプボールを受け取ったのは、腕の筋肉が発達していていかにもドッジボールが強そうな人だった。
怖い。そう思ったのも束の間、そのボールはポンっと仲間にパスされた。受け取ったのは、僕がぶつかったあの彼だった。
ボールを受け取った瞬間、彼が纏う空気が変わった。ボールを軽く何度か上に投げて手に慣らしている。
すると彼は大きく振りかぶった。数秒のことだったが、鮮明に僕の目に焼き付いていた。彼の瞳孔はここからでも見えるほどに開き切っていて、鋭角に笑っている。獲物を見つけたハイエナだった。
彼の目線、角度からして僕を狙っているのが分かったが、蛇に締め付けられているかのような感覚に襲われて体を動かせなかった。
僕は息をしてただ食われるのを待っている餌だった。彼の手から離れたボールがシュルシュルと僕を目掛けて飛んでくる。ボールが目線から消えた。
ポスン。
「え……?」
ボールが当たった感覚がしたのは足の爪先だった。気付くと足元にボールが転がっている。
ピピッ「アウト!」
転がっていったボールはチームの人が拾ってくれて攻守交代となった。訳も分からず外野に歩いていく。
スピードの割には当たった感覚が弱かった。それに目の前でボールが消え、足に縫い付けられたかのように吸い込まれていった。
彼は何者……?
外野から彼を見ると先ほどの狂人ぶりは失われ、またクールで何を考えているか分からない雰囲気に戻っていた。
もしかして、ぶつかったのすごく怒ってる……?
試合は進み、両方のチームの人数はかなり減ってきていた。試合をずっと見ていて分かったことがある。
クールな彼は、ドッジボールが異様に強いってことだ。仲間がキャッチするとそのボールは全て彼に渡される。そして、ボールを持つと空気が変わる。
スピードや角度が変幻自在に変わり、絶妙に取れないようになっていた。僕らのチームは殆どが彼の手によってアウトにされていた。
だから、僕に対して怒ってるとかではないはずだ……
雫くんと智弥くんは最後の方まで残っていたが、クールな彼の毒牙にかかり外野へと送られてきた。
「何あの人!強すぎない?」
「ガチでそれ。アイツやべぇわ……」
結局、僕らのチームは負けてしまった。クールな彼が率いるD組チームは最終的に優勝し、先生と戦うことになった。全員でコートを囲みその試合を見守る。
先ほどまでは敵だったが、今はなんとしても先生チームに勝ってほしいという期待を彼らのチームに持っていた。こういう時先生に恨みなどあるわけではないが、どうしても自分の立場側に味方してしまう。
実力はかなり拮抗していて、いい試合だった。スピードの速い球が互いのコートを行き交い、当たった時の音も派手でお祭りを思わせた。
あまりに良い戦いのせいか時間切れとなり、コートに残っている人数が多かった生徒側のチームが勝ちという判断になった。見ていた生徒も含め全員で盛り上がった。
これまでドッジボールなんてやらなければやらないだけ良いと思っていたが、ちょっとだけ思い直した。
ドッジボール大会から一週間が経ったある日、いつものように三人で喋っていると後ろのドアが勢いよくバンっと音を立てて開いた。あまりの音の大きさにクラスの全員が目線を向けた。
そこに立っていたのは、ドッジボール大会の時の彼だった。
切れ長の目をスッと動かし、僕と目が合った瞬間にズカズカと教室内に入ってきた。僕の腕を強く掴んだ。ぐっと持ち上げられ、椅子から立ち上がった。
「こっち……」
「え……? えっ……なにッ……?」
されるがままにずるずると教室を連れ出され、屋上に向かう最上階の踊り場に着いた。掴んでいた腕は解いてくれたが、僕よりも身長が高い彼と壁の間に挟まれてしまった。威圧感が強大で到底動けそうにない。
「……なに?」
彼を刺激しないようにそっと聞いてみる。僕が何かをした覚えは……しっかりある。ドッジボール大会の時にぶつかってしまっている。
彼は手を僕の背後の壁に押し付けた。俗に言う壁ドン状態になっている。先ほどよりも逃げ場がなくなり、背中に冷たい汗が垂れる。
少しの無言の後、彼の口がやっと開いた。
「……あのさ……」
何を言われるのか……。自分の体が硬直しているのが分かった。謝罪が足りなかった、とかかな……?でも、既に試合中にボールを投げられている。
壁にあった彼の手が僕の頭を撫でて、耳へとさわさわ移動した。全身がくすぐったい感覚だった。
まだ彼は喋り出さずに僕のことを撫でながら見つめてくる。
「……⁉︎」
「あーー! ちょっとぉ!」
階段の下から雫くんの声が聞こえてきたと思ったら、パタパタと階段を登ってきていた。階段の下からは智弥くんが顔だけ柱から出して覗いていた。
「えっ? えっ?」
ここにくる時は彼に引っ張られてきたが、今度は雫くんに引っ張られながら、階段を降りさせられた。その間、クールな彼は何もせずにぼーっと見ているだけだった。
「な、なんだったの……?」
連れ去られる前に聞いてみたが、彼は少し目を細めるだけで何も答えなかった。
自分たちの教室まで雫くんに引っ張ってこられた。ちょっとだけ怒っている雫くんを初めて見たが、そんな時も可愛さを忘れていないようだった。
「もう! なんで連れ去られちゃうの!」
「えっでも何か言いたげだったから……」
「ゆうくんは可愛いんだからもっと気を付けて!」
「ごめん……」
どの口が言っているんだ、とちょっぴり思ったけれど、可愛いと認めることになるので言わずにおいた。
その日から、休み時間になるとその彼がそっとやってきて僕を連れ出そうとしてくるようになった。部活の日は家庭科室にまで姿を現し、そっと姿を消す。そんな日が続いていた。
「もうー!あの人なんなの!」
毎回クールな彼が顔を出す度、雫くんがぐるるると威嚇して追い払っていた。雫くんは腕を組みぷんぷんしていた。
「僕にも分かんない……」
「ゆうくん、あの人に何かしたの?」
「んーと……ぶつかっちゃった、かな……ドッジボール大会の日にたまたまそこの廊下でぶつかっちゃって……」
「もしかして、骨折でもしてて相当恨まれたんじゃねーの」
智弥くんがふざけた口調で呟いた。
「そうだったらどうしよう」
真面目な表情で言うと、智弥くんはケタケタと肩を揺らして笑った。
「そんなわけないって。確かドッジボールめちゃくちゃ強かったよな? 優勝してたし。なんなんだろうな。アイツ」
三人で先ほどまで彼がいたところを見つめた。そういえば、彼の名前すら知らない。
*
「テストが近いので、来週小テストやります。しっかり勉強してきて下さい」
分厚い眼鏡をかけた古典の先生が授業の終わり際に発した言葉に、みんながえーと不満を漏らした。
「テスト……こないだ終わったばっかりじゃない?」
智弥くんが振り返って僕に囁いてきた。
五月にテストがあって、次のテストがもう迫ってきていた。色々あったからか本当にあっという間だった気がする。
休み時間になり、またクールな彼が姿を現した。いつものように雫くんが威嚇して彼は立ち去った。
智弥くんはチラッと見た後すぐに視線を戻す。
「まぁ別に何かしてくる訳でもないんだよな……来部に不思議なファン出来たな。というか、そんなことより、テストがやばいわ俺」
「そうだっ!こないだのテストの時は出来なかったけど、みんなでお勉強会する?」
雫くんのアイディアに智弥くんが前のめりになった。
「お、良いな。そういうのあるとやる気出るよな」
「ゆうくんは?」
こてん、と雫くんが首を傾げる。
「もちろん僕も参加したい!早速今日から始める?全員部活ないし!」
「そうしよう。図書館とかでいいか?」
智弥くんの発言にみんなで頷いていると、クラスメイトが雫くんに近づいて肩を叩いた。
「なぁに?」
「江宮、今日日直」
「あっ、忘れてたぁ!」
雫くんは慌てて立ち上がって黒板を消しに向かった。
「あー日直だったんか。日直だるいよなぁ」
愚痴を呟く智弥くんと共にぴょんぴょん飛び跳ねながら、上の方を消そうと頑張っている雫くんを眺めていた。
放課後になり、雫くんが黒板を消したり、日誌を先生に渡したりしているのを待っていた。智弥くんは横の人と楽しそうに喋っていた。僕は図書館に向かう準備をしながらぼーっと座って待っていると、後ろのドアから現れた人影にまた腕を引っ張られ、連れ去られていく。雫くんはまだ時間がかかりそうなので、無理に抵抗せずに連れ去った人物の話を聞いてみようと思った。
前に連れ去られた踊り場に行くのかと思ったが、そこを通り過ぎて社会科準備室の前という普段近くも通らないような場所まで連れてこられた。
前と同じように逃げられないように壁に押し付けられる。
なんで毎回……?
クールな彼の表情を見て、ちょっと驚いた。
僕よりも身長が高いのに少し上目遣いで、子犬みたいに甘える表情をしていた。
彼の大きな手が僕の肩に置かれる。手は少し震えている気がする。
「俺……」
長い溜めがあった。ただならぬ空気に唾を飲み込んだ。彼が息を吸い込んで、言葉を発した。
「……一目惚れした。付き合って欲しい」
「……え?」
目をまん丸にして彼を見る。低くてかっこいい声が耳を通り過ぎて、僕の脳に辿り着いた。
今、告白された?
僕の心拍数が一気に上がった。戸惑っていると彼は目を瞑り、顔を近づけてきた。
「ちょっちょっと!」
手で胸を押して返した。瞑った切れ長の目がゆっくり開かれる。
「……何?」
「いや、何?じゃなくて! 僕オッケーしてないよ!」
「……そうなの? 何も言わないからオッケーなのかと思った」
「そんな訳ないでしょ!っていうか僕、君の名前すら知らないんだけど」
「……そうだったの? 俺は早峰潤」
彼は何の驚きもなく真顔で淡々と答えた。
「は、早峰くんは、僕の名前知ってるの?」
「……当たり前。来部優。家庭部で身長は百六十八センチくらいでしょ」
「合ってる……」
公には公表していない身長まで知られていて背筋がゾクリとした。
「……どう? 付き合ってくれる?」
「……ごめん。早峰くんのこと僕は全然知らないし。ドッジボールが強いってことくらいしか知らないからっ……その付き合うとかよく分かんない」
彼は噛み締めるように微笑んだ。
「そこは覚えててくれてるんだ。嬉しい。来部くんが誰かに当てられるの絶対に嫌だったからちょっと頑張っちゃった。痛くないように当てたんだけど、大丈夫だった? それに、俺のことはこれから知っていけばいいでしょ」
ほとんど息を吸っていないように思えるほど、言葉がつらつらと紡がれていく。断りの言葉を伝えたはずなのに彼は諦めてくれなかった。彼の勇気には感謝したいが、僕には剛志くんがいる。今は会えていなくなって気持ちは変わらない。
「僕っ! 好きな人がいるから」
声が少し上擦ってしまった。剛志くんには届かないはずなのに、声に出して言うと何故か恥ずかしい気持ちになった。
「……俺じゃダメ?」
甘えるような声を出され、髪をサラリと撫でられる。何を言っても彼の耳には通じていないような感覚に襲われた。そして、彼が身体的な距離をぐっと近付けた。
「ちょっ……」
抵抗しようとすると、僕の髪を撫でていた腕がグンっと勢いよく離された。
その腕は雫くんが掴んでいた。
「ちょっと……やめてくれる?」
「雫くん……」
雫くんの、少し色素の薄いまん丸で可愛らしい瞳は上目遣いになっていた。でも、その瞳の奥に小さな炎が見えた。早峰くんは子犬のような表情から冷酷なものに変わっていた。
「ゆうくんのかわいいは僕だけのものなんだから!」
そう言われても雫くんをギロリと睨むだけで、退こうとしない。
「邪魔しないでよ!」
雫くんがピシャリと言い放った。
早峰くんは雫くんに掴まれていた腕を振り解いて、ふんっと鼻を鳴らした後去っていった。
雫くんはふぅーと息を吐いて、振り返る。心配そうに僕を見つめる瞳はキラキラとしていた。まるでヒーローだ。可愛くて、強くて、かっこいい一面もあるなんて、雫くんはすごい。
「ゆうくん大丈夫?」
「……僕は大丈夫。雫くん。ありがと」
その日から変わったことがあった。
クールな彼こと、早峰くんは僕たちの前に姿を見せることはなくなった。学校の中ですれ違うことはあっても、話しかけられたりはしなかった。ただ目がチラッとあって逸らされる。そんな感じだった。
そして、もう一つが。
「ちょっと近くない?」
「ダメ! ゆうくんすぐ連れ去られちゃうんだから」
「そんなことないってば!」
休み時間になると雫くんが僕にぴったりくっついて来るようになった。
「来部、ボディガードが出来て良かったな」
「ちょっと智弥くん! 笑ってないで離してよー」
「いやいや俺はそのままでいいと思うぞ。すぐ連れ去られるし」
「だからそんなことないってば!」
