僕のかわいいが一番ッ!

 雫くんから発せられた「デート」という単語にあたふたしてしまった。車道を走るクルマのライトがやけに明るく感じた。


「デートってのは、その……デート?」
「そう! デートだよ!」
「デート……」


 デートといえば、好きな人と好きな人が楽しい場所に行って楽しんでイチャイチャする、あれのことだ。
 想像するだけで熱くなってきて、ほっぺに手を当てる。


「やっぱり可愛い対決と言ったらデートでしょ!」
「そうだけど……僕たち二人で?」
 雫くんは歩みと喋りをやめない。
「うん! 智弥くんと三人で水族館とかどう?」


 中学の時に転校した彼ともいつかデートをするかもしれない。そのためには、デート中の可愛いを知らないと、あれやこれやで失敗してしまう。それは絶対に避けたい。
 言い出しっぺの雫くんなら術を知っているに違いない。
 こくんと頷いて雫くんに笑みを見せた。


「いいよ!」
「あっでも、まずはデートの予行練習! 二人きりで行こっ!」
「どこ行くの?」


 人差し指を顎に置いて、考えているそぶりを見せた。


「うーん……そうだなー……あっ! ○ンリオピューロランドは?」
「えっ! 行きたい!」


 思わず目を見開いた。可愛いで作られた国だ。前から行ってみたいとちょうど思っていた。カチューシャに、キャラクターとのグリーティング、とにかく可愛いでいっぱいなはず。


「でしょ! 僕もずっと気になってたんだー!」


 一旦立ち止まって、互いのスケジュールを確認すると今週末が空いており、日程がすぐに決まった。


「じゃあー! 今週末ね!」


 忘れちゃダメだよー、と言葉を付け加えて、手を振りながらホームへと降りていった。


「デートかぁ……」


 ポツリとホームで一人呟いた。
 電車に揺られながら、スマホでぽちぽちとデートについて調べてみることにした。

 カップル向けプラン、ロマンチックなデート……
 綺麗な夜景が画像で表示されている。
 僕には少し大人っぽいな……
 デート中の仕草は……?

 検索に夢中になっていると、自分の降りなければいけない駅より次の駅のアナウンスが流れていた。鞄をお腹に抱えながら慌てて電車を降りた。


 次の日、登校すると二人がまた笑顔で喋っていた。雫くんは僕を見るなり、座ったまま腕をグッと掴んできた。


「僕らデート行くんだよー」
「えっ、展開早! まだ俺らって出会って時間経ってないよな……?」


 言われてみればそうだ。一日一日が濃厚でそんな気がしなかった。


「智弥くんとは、また今度ね」


 後ろの席から声をかけながら、肩に手を置いた。智弥くんは体を雫くんに向けたままで、顔だけをこちらに向けた。


「俺だけ置いてけぼりかぁ。なんか寂しいなぁ」
「予行練習だからねー!本番楽しみにしておいて」


 雫くんはニッと歯を見せ、悪戯な笑みをしている。雫くんの腕が僕から離れていく。経験が豊富そうな雫くんと一回デートの予行練習したくらいで勝てるとは思えないけど、学校で一番になるには挑むしかない勝負だ。


「デート対決負けないからね」


 自分の中の自分に言うつもりで呟いた。


「僕だって負けるつもりはないよっ」


 顎を少し上げて腕を組んでいた。お互い負ける気はないらしい。
 

 ついに明日が雫くんとのデート予行練習の日になった。
 湯船に浸かりながら、マッサージをしていた。


「デート、デートかぁ……」


 これまでデートなんてしたことない。
 中学の時に告白は何回かされたことはあるけれど、付き合ったことはなかったし……
 マッサージを止めて、顔をゆっくり沈めた。息を吐いてぶくぶくと気泡を出す。

 もし彼とデートできたら……

 キリッとした目つきの"彼"から見つめられたり、観覧車で甘い空気になったり、お化け屋敷であざとく抱きついてみたりして、かっこいい声で可愛いなって言ってもらったり。


「っぷはぁ!」


 水面から顔を出して息を吸った。
 そんなの幸せすぎて耐えられないかも。
 でも、もしそうなった時には一番可愛くありたい。
 その為には、明日のデートで雫くんから可愛いを吸収しないと。


「頑張るぞー」
 

 勢いよく立ち上がると体から滝のようにお湯が滴り落ちた。



 今日は雫くんをいつも以上に観察する、と心に決めていた。学生鞄についているくまちゃんキーホルダーをお出かけ用のリュックに付けながら一応威嚇する。


「今日だって僕の方が可愛いんだからね」


 今のところは雫くんは勝てない相手かもしれないけれど、いつかの未来には僕が一番になるんだから。

 クローゼットを開き、今日の服を出していく。
 制服という縛りがない中で僕に似合う一軍の可愛い服を選んだ。これなら戦える、と鏡の自分を褒めてみる。自然と口角も上がった。


 集合時間よりも少し早くに着くことができた。○ンリオピューロランドから一番近い駅で雫くんのことを待っていた。駅の天井にはキャラクターが描かれたステンドグラスから透けた光が地面をキラキラと照らしている。

 少ししてからパタタッと走ってくる音が聞こえた。音の方に目を向けると、水色のカーディガンを羽織った雫くんが、僕の視線に気付いて手を振っている。制服の時と雰囲気は似ているが、いつもよりも可愛さが増している気がする。


「ゆうくーん!」


 僕に辿り着いた雫くんはいつもとまた違う良い香りがした。少しだけ大人なフレグランスだ。心臓がドキッと居場所を知らせた。雫くんは流石だと思った。


「お待たせ! 結構待った?」


 まだ待ち合わせ時刻の二分前。遅刻していたとしても雫くんは可愛さでどうにかなるのだろうけれど、早めの行動ができるのもまた良いんだろうな。
 そんなことを一瞬考えてから首を振った。


「全然。僕もさっき来たところ」
「良かったー!じゃあ、行こっか!」


 雫くんがさりげなく僕の手を優しく握った。
 反射的に手を振りほどいてしまった。


「あっ、ごめん……」
「ううん! こっちこそごめん。デートの予行練習で舞い上がってたみたい」
「ごめん……手を繋ぐのは本気で好きになった人が良くて……」


 別に雫くんが嫌だという訳ではないのに、なぜか目に涙が溜まってくる。頭には転校していった"彼"のことが浮かんでいた。


「ごめんねっ! そうだよね……!」


 珍しく雫くんが目をキョロキョロさせ狼狽していた。


「いや、ごめん……」


 重い足取りで駅からパークまで向かった。このまま今日のデートの予行練習は暗い空気のまま……かと思っていた。



「「かわいいいいーー」」

 入場するや否や、周りに迷惑にならない程度に二人で叫んだ。さっきまでの微妙な空気は可愛いを前にしてどこかに消え去った。
 目に見える全てが可愛いに溢れている。入り口からショップに行く道ですら心臓が弾けちゃうくらい可愛いが広がっていた。
 スキップしながら向かったショップにはもこもこのぬいぐるみやちっちゃな鞄が置かれていた。


「可愛いね」
「ね、可愛い」


 可愛いがたくさん集まっているフロアに可愛いものが好きな二人が放たれた。
 まずはカチューシャを決めたい。


「うーん……これも可愛いなぁ」


 様々なキャラクターを手に取り、真剣にどのカチューシャにするかを悩んでいると、肩をポンポンと叩かれた。振り向くと既にカチューシャを一つだけ持って雫くんが立っていた。


「ねぇこれ! めっちゃ可愛くない?」


 手元のカチューシャには、水色をしたペンギンモチーフのペンペラくんマスコットが付いている。
 雫くんに似合い過ぎている。


「かわいい……あっ!いや!ペンペラくんがね?」


 口からこぼれ落ちてしまった言葉を慌てて拾った。


「んふふー。じゃあ、僕はこれで決まりー!」


 お菓子をもらった子供みたいに無邪気に笑っていた。
 カチューシャが置かれている棚に目線を戻すと、またすぐに雫くんが僕の肩を叩いた。


「ゆうくんは……これとかどう?」


 眼前に差し出されたのは、ピンクの羊がモチーフのメェールマスコットが付いたカチューシャだった。


「そうかなぁー?」


 試しに受け取って鏡に合わせてみる。
 うん、まぁ、とてもとても可愛かった。多分ここにあるキャラの中で一番僕らしいと思う。
 頭に合わせるのをやめてレジに体を向けた。


「別に雫くんが選んでくれたからとかじゃないからね。ただ可愛かったから」
「僕ってば、見る目あるなぁ!」
「そんなんじゃないってば」


 雫くんの言葉を軽くいなしてレジに向かった。


 二人とも早速装着してみる。近くにあった鏡を見ながら、雫くんに選んでもらったメェールカチューシャを頭に着けると、うん。可愛い。
 横を見ると雫くんもカチューシャを調整している。


「どう? 出来てるー?」


 マスコットが少し横を向いていた。


「ちょっとズレてる」


 少しだけ身長の低い雫くんのカチューシャの向きを直してあげる。上目遣いで僕のことを見てきた。


「どう?」


 光の入った宝石のような瞳が眩しい。どこかしこで流れている可愛い音楽は、彼のために鳴っているのかと思わせられる。


「まぁ、可愛いかな」
「でしょー!」


 音符が見えるほどにるんるんしている。


「はい、これ」
「なにこれ?」


 突然雫くんからメェールのもふもふポーチを渡された。


「僕からのプレゼントー! 僕のはこれね」


 いつの間にかペンペラくんのポーチが斜めかけされており、ポンポンと叩いて示した。ペンペラくんが笑っている。


「……ありがと」


 貰ったポーチを斜めかけしてみる。
 可愛い。カチューシャと相まってとっても可愛い。
 敵に塩を送る、って言葉があったと思うが、今まさにその状況な気がする。よく分からないけど。


「僕って何でも似合うのかも!」


 本当はそんなことないのを分かっているのに苦し紛れに笑った。
 すると雫くんはあはっと笑った。


「そうかもっ! ゆうくんって可愛い」


 今日の雫くんはなんだか変だ。いつもよりも素直な気がする。
 アトラクションに並んでついに僕たちの順番になった。
 四人まで乗れるライドに二人で横並びに乗る。いってらっしゃーい、と手を振るお姉さんに、手を振り返した。この行為がより可愛い世界へと没頭させる。
 絵画の中を進むような世界観のライドが進んでいくと、キャラクターたちがお出迎えしてくれた。スイーツのフィギュアがある場面では、こないだの家庭科室と同じ甘い香りがふんわり漂っていた。

 目を向けたもの全てが可愛かった。キャラクターのちょっとした動きに見惚れてしまう。可愛いのキャパオーバーで、「可愛い……」と呟くことしか出来なかった。

 思っているよりも急な坂があったり、一瞬ドキドキした場面もあったが、終始可愛さに圧倒されていた。隣に座っている雫くんも、可愛い!と目を輝かせていた。


「可愛かったねー」
「ね!」
「そろそろお昼食べよっ! 僕お腹空いたー」


 お腹を手で抑えている雫くんが切り出した。


「うん! 食べよっ!」


 フードコートに着くと、カレーの美味しそうな香りがしてくる。
 ぐーと二人のお腹が鳴った。
 僕はカチューシャと同じメェールのピンクカツカレー、雫くんはペンペラくんのブルーオーシャンラーメンを選んだ。

 お互い向き合うように対面で座る。
 まずは写真撮影から。
 雫くんと料理が入るように内カメを向けた。カメラを向けられた雫くんはモデルみたいにポーズを取った。

 僕も負けじと自分が一番良く写る角度に顔の向きを調整した。
 何枚かパシャパシャと撮影した。写真を確認してみると、どの瞬間も雫くんは輝いている。


「ゆうくん、後で送ってー!」


 スマホの中の輝きそのままに雫くんが言った。
 やっぱり可愛くて悔しくて、本当は送りたくない。


「後でね」
「ありがとっ!」


 雫くんはやっぱりどんな時も可愛さを怠らない。


「いただきますっ!」
「いただきます!」


 同じくらいのタイミングで一口目を食べる。
 ピンク色の見た目とは裏腹に濃厚で深い味わいがして驚いた。つい頬が緩む。


「おいしっ!」


 一口食べたことでよりお腹が空いてきた。


「美味しいー!」


 目の前で可愛らしいラーメンを食べている雫くんもかなりお腹が空いていたようで、持ち上げた麺をフーフーしながら食べ進んでいた。
 僕もパクパクと食べ進めていく。ふとフードコートを眺めてみると、カップルや小さな子どもを連れたファミリーが団欒している。


「デート……」


 雫くんとのデート予行練習は正直楽しい。可愛いに囲まれる、ってこんなにも楽しくて、可愛くて大好きなんだって思わされた。

 でも……

 中学時代の彼を思い出した。彼とここに来ることが出来るんだろうか。イメージが湧かない。僕が彼とデートなんでそもそも出来るんだろうか。
 思考に飲まれ、目の前が徐々に真っ暗になってくる。


「ちょっとーゆうくん!」


 深い迷宮に迷い込んでいるところを雫くんが救い出した。


「……ん? なに?」
「そんな浮かない顔してたら僕に可愛さ対決負けちゃうよ?」


 雫くんはまん丸な目を細めて、ふくれ顔をした。


「ごめん、ちょっと考え事してた……」
「もうー! 僕だけ見ててよー!」


 パッと開かれた瞳の中に吸い込まれる。目を離そうとしても離せない吸着力があった。


「ゆうくんも、可愛いよ!」


 ほら、また僕のことを褒める。いつもは反抗するのに。

 雫くんは何がしたいの……?

 少しばかり考えを巡らせてみたが、一向に分からなくて目を逸らしてカレーを勢いよく食べた。
 黙々と食べていると、ふふっと笑い声が前から聞こえた。
「ほら! ゆうくん、よそ見してるから!」
「してないよぅ!」


 反抗した僕の口の端を紙ナプキンで拭った。


「……ありがとう」
「……可愛い」


 雫くんはぼそっとさりげなく呟いて、メンマを口に入れていた。もぐもぐと膨らんだほっぺが大福みたいだった。
 やっぱり今日の雫くんは何か変だ。
 違和感を抱えたまま、お昼ご飯を食べ終えた。


「ねぇ、雫く」
「メェールのグリーティングあるよ! 行こっ!」


 違和感を解消するために聞こうとして開かれた口は、雫くんに閉ざされてしまった。
 整理券を貰ってから、グリーティングが出来る場所に入る。中に入ると、僕たちよりも少しだけ大きなメェールが可愛らしく僕たちを出迎えた。


「メェール! 可愛いー!」


 カチューシャをつけている僕よりも雫くんの方がテンションが上がっていて、ぴょんぴょん跳ねている。
 メェールのグリーティングの後は、ショーパレードというものを見に行った。
 たくさんのキャラクターが派手な衣装に身を包まれ、全てを魅了していた。
 最後にまたショップに戻り家族へのお土産を探すことになった。


「どうしようー、迷っちゃう!」


 カゴに山盛りなグッズが入っている。パッと見るにメェールちゃんとペンペラくんのぬいぐるみに、タオルにペンに小物がたくさん。


「そんなに買うの?」
「えーダメ?」


 あざとくコテンと首を傾けて、子犬が甘えている目をしていた。


「いや……僕が買ってあげるわけじゃないからあんまり言えないけど……お金無くなっちゃうよ?」
「そっかぁー! えー、どうしようかなー!」


 わんわん言いながら商品を戻していき、山盛りだったカゴの中は少しずつ減っていった。
 それを横目に見ながら、僕も家族へのお土産を探す。もちろん、智弥くんへのお土産もだ。

 キャラクターのマスコット型のチーズケーキが置かれていて、手に取った。
 大きさの割に重みがあって、お得なお土産だ。これは家族へのお土産。

 智弥くんのは……

 お土産売り場で目線を迷わせた。


「これ……可愛い!」


 ペンペラくんの足跡型のチョコクランチを手に取った。表紙のペンペラくんがとっても可愛い。これに決まりだ!
 まだあれこれ悩んでいる雫くんに近付いていく。


「雫くん。これ智弥くんに……って、なんで雫くんも同じの持ってるの!」


 別の場所にも置いてあったらしく、雫くんの手元にも僕が選んだものと同じペンペラくんチョコクランチがあった。


「智弥くんに良いなぁって思ったから! ゆうくんも同じの選んだんだね!あはっ!」


 無邪気な笑顔を見せた。ぽわっと心の音が鳴った。何も言えずに黙っていると、雫くんがパッと顔を明るくさせた。


「あ!じゃあ、二人で同じものあげよっか!ね!」
「……うん」


 雫くんの意見に流されるままチョコクランチを抱え直した。
 あとは自分へのお土産を選ぶ時間だ。


「どうしよう……」


 売り場を右往左往して探す。ピンとくるものがない。
 うーん……
 立ち止まって見た先にたまたまペンペラくんのペンが置かれていた。


「……可愛いなぁ」


 ぼそっと誰にも聞こえないくらいの音量で呟いた。頭には今日の雫くんが浮かんでいた。
 キョロキョロと周りを見回し、雫くんが遠くにいることを確認してからペンを手に取ってそそくさとレジへと向かった。

 お土産を買い終わり、○ンリオピューロランドを後にした。外は少しのオレンジ色を残して紺に染まっていた。


「ゆうくんはお土産何買ったのー?」


 お互いの手にはお土産の袋がぶら下がっている。


「内緒ー! 雫くんは?」
「じゃあ僕も内緒ー!」


 雫くんは目を細めて笑っていた。


「今日はゆうくんの勝ちかも! とーっても可愛かった!」
「ほんと?」


 これまでを振り返ってみたが、どう考えても雫くんの方が勝っていた気がする。けど、彼がそう言ってくれるなら……


「ありがとっ!」
「次は、智弥くんとの本気デート対決だからねっ!」


 雫くんがニッと挑戦的な笑みを浮かべた。僕も負けじと顎をクイっと上げる。


「絶対雫くんには負けないから!」
「僕も負けないよ!」


 互いに睨み合ってからニコッと笑った。これから上がる月が雫くんを照らした。


「今日はもう帰ろっか!」
「うん!」


 帰りの電車は途中まで一緒で、横並びで席に座った。少しの間流行りのコスメについて話した後、無言が増え始めた。

 気付くと雫くんが目を閉じていた。こてんと僕の方に頭を乗せた。なんだか心地よい重さだった。スゥスゥと寝息を立てて無防備に寝ている雫くんはありがちな表現で言うと天使みたいだった。

 僕も話し相手がいなくなり、なんだかうとうとしてきて頭が重くなってくる。雫くんの頭に気付くともたれかかっていた。すると、心が穏やかになってそのまま目を閉じ意識を失った。

 僕の髪が優しく撫でられているのに気付き、目をゆっくり開いた。いつの間にか横にいた雫くんは目を覚ましていた。


「あ、ゆうくん起きた? 乗り換えの駅までもうそろそろだよ」
「ん、ありがと……」


 寝ぼけ眼のまま雫くんを見つめる。雫くんはいつもより優しく聖母のような顔をしていて思わず見入ってしまっていた。


「……ゆうくん、可愛い……」


 雫くんは僕を見ながらそっと聞こえるか聞こえないかくらいの音量で呟いた。
 その言葉の意味を理解するのに少し時間がかかって、気付いた時には一瞬で顔を赤くしてしまった。目を逸らして、聞こえなかったふりをした。


*


 三人の予定が合い、水族館デートをすることになった。もちろん可愛い対決のため。水族館の最寄り駅で待ち合わせをする。今の時刻は待ち合わせ時間より五分ほど早い。


「おはようー」
「おはよっ!」


 待ち合わせ場所に着くと既に智弥くんが先に来ていた。智弥くんの服は、可愛らしい雫くんと違って白のTシャツに黒色の羽織り、黒ズボンというシンプルなものでなんだか心臓が速くなる。「彼」の私服に似ている雰囲気だった。中学の時に似た服の「彼」と映画館に行った。あの時に感じた感情がぶり返してくる。

 それのせいか、智弥くんがいつもよりもかっこよく見えた。

 勝手にドキドキしている僕には気付かず、智弥くんは呟いていた。


「なんかあれだよな、デートって言っても三人いたらデート感ないよな」
「そ、そうかな?」


 僕たちから言い始めたデートだけど、智弥くんの口からデートという言葉が出されると無性に緊張する。
 デートと言っても可愛い対決のためだけのデートなのに。
 自身のじっとりとした手汗を感じていると、雫くんが道に花を咲かせながら近付いてきた。


「ごめーん! 電車遅れてたぁ!」


 本来の調子を出せていない僕をよそ目に、普段と変わらぬ雫くんはへにゃっと笑っていた。前と同じ大人なフレグランスが香ってくる。


「いいよいいよ。じゃあ、行きますか」
 
 智弥くんが率先して地図を調べてくれて、最寄駅から水族館へと歩み始めた。

*

 出発から数分後、智弥くんは歩みを止めた。水族館の建物は見え始めていたが、まだ辿り着いていない。


「あのさ……流石に暑いんだけど……」


 智弥くんを真ん中にして僕たちが両腕を掴んでいた。僕は身体を少しだけ前に屈めて、腕を掴んでいる雫くんに意思を表明した。


「僕が先に智弥くんを掴んでた!」
「僕の方が先でしょー!」


 雫くんも負けじと反抗してくる。絶対に僕の方が早かったのに。


「双子の弟がいるみたいだな」


 智弥くんは僕らを見ながら呆れていた。それでも腕を離さない二人にはぁとため息をついた。


「まぁいいや」


 そのまま智弥くんは両腕に二人を連れて、チケット売り場へと向かった。


「高校生三枚でお願いします」


 智弥くんが率先して入館チケットを購入してくれた。


「学生証のご提示お願いいたします」
「あっはい!」


 全員が財布から貰ったばかりの学生証を差し出した。


「ご提示ありがとうございました」
 
 クラゲの写真が印刷されたチケットをそれぞれ受け取った。
 近くの柱に寄ってチケットを配ってくれた智弥くんに呟いた。


「智弥くんの学生証もっと見せてよ」
「え? 俺の? やだよ」


 嫌、とは言いつつももう一度財布から学生証を取り出してくれた。雫くんと共に両端から覗いてみると、学生証には白いシャツに強張った面持ちの智弥くんの写真が載っていた。


「ふふっ、かわいいー」
「緊張してるー!」
「うるせぇって! 二人のも、ほら出して!」
「僕らのはねぇ……」
「ねぇ……」


 雫くんと顔を見合わせてニヤニヤとする。


「なんでよ! 見せてよー」
「僕らのは企業秘密だから」
「はぇ? どういうこと?」
「まぁまぁ」


 腑に落ちていない智弥くんの背中を押して入口へと向かわせる。


「いやー、俺二年ぶりくらいかも。中学ん時の校外学習で来た時くらいだなぁ」
「僕もかも!」


 雫くんが智弥くんの言葉に対して、元気に返事をする。

 ぼーっと僕も水族館の思い出を思い出していた。水族館は去年校外学習で来た。その時には横に「彼」が居てデートみたいだなって浮かれていた。一緒に見たイルカショーが結構激しくて僕らにバシャンと水がかかったのを覚えている。二人でびしょびしょになりながら笑っていた。


「え、来部は?」
「あっ、僕も校外学習で来たよー! イルカショーがすごかった記憶!」
「確かに。イルカショー良いんだよなー。今日もやってんのかな」
「やってるみたいよ!」


 いつの間にかパンフレットを手にしていた雫くんがパラパラと見ながら答えた。
 パンフレットを覗き込んだ智弥くんが話をまとめた。


「じゃあ、後で見てみっかー」


*


「おーーすげーー!」


 智弥くんはメインの大きな水槽に夢中になっていた。壁のように広がった水槽は、上からの光で天使の梯子がゆらゆら揺れていた。群れを成した魚たちが優雅に泳いでいる。
 僕も智弥くんと同じように夢中になって見ていると、そっと影が近付いてきた。


「ゆうくんこっち来て」


 雫くんが僕の耳元に周りの人が聞こえないくらいこっそり呟いてくる。腕を引っ張られて、少し離れた場所へと連れて行かれた。


「見て!」


 雫くんが指した先には、壁に丸く小さな枠があり、その真ん中が水槽になっていた。覗いてみると蟹がのそのそと歩いている。


「なぁに?」
「蟹の甲羅見て。ハートあるよ」
「ほんとだ。可愛い……」


 確かに蟹の甲羅にはほんの少し歪なハートの柄があった。可愛いと思った。
 でも、それよりも頭の中はハテナでいっぱいだった。今日は雫くんと僕との対決で、ジャッジするのは智弥くんだ。僕に雫くんが可愛さアピールする意味はない。


「雫くん何……?」


 ハートの蟹から目を離して、雫くんに目線を戻した。

 突然、頬にそっと手を添えられた。これでは逃げられそうもない。僕より身長の低い彼は僕を見る時自然と上目遣いになる。暗い館内なのに彼の目の中に星が煌めいた。唇が薄く開く。


「ねぇ、僕の可愛いを見逃さないで」
「……え?」


 それを言うなら智弥くんに言うべきだと思う。

 もしかして……

 あまりに可愛いが弱すぎるからそこで黙って見ておけ、みたいなことなのかもしれない。

 どういう意味?と聞くために口を開こうとしたその時。雫くんはニコッと僕に笑いかけた。その表情はいつも見せるものよりもとびきり輝いていて、優しかった。
 その一瞬は、時が止められたみたいに感じられた。

 雫くんはくるっと僕に背を向け、智弥くんの元に小走りで寄って行った。小悪魔らしい仕草だ。
 やっぱり雫くんは強い。でも、そんなことをされても僕は負けない。めげずに智弥くんの元へと戻った。

 僕たちはメインの水槽を離れ、通路を進んでいった。先には魚以外の生き物のコーナーが現れてきた。


「アザラシいる! あ!あっちにペンギンもいんじゃん!」


 僕らよりもテンションの高い智弥くんに付いて回った。


 智弥くんはお腹を摩っていた。


「流石にお腹空いたなぁ。 二人とも何食べんの?」
「僕は……」


 レジの後ろに表示されているメニュー表を見上げた。


「シロクマラーメンにしようかな」


 こないだ雫くんがラーメンを食べていたのを見たから、というのは黙っておいた。


「僕はアザラシカレー!」
「んーじゃあ俺は…… ペンギンオムライスにするかな」


 それぞれレジに並び、注文していく。
 レジのところに置かれたメニューをもう一度見てみると、可愛らしいカワウソのピックが刺さったジュースを発見した。赤と青の二種類があり、ラーメンに追加で青の方を二人には内緒で頼むことにした。

 いざ食べ物を受け取り、二人の待つ席に向かうと雫くんのトレイにも僕が頼んでない方の赤色のジュースが置かれていた。


「あ、ゆうくんもこのジュース頼んだんだね」
「うん。可愛かったから」


 四人席で智弥くんの隣も空いていたが、荷物が既に置かれていて座れず、仕方なく雫くんの隣に座った。


「じゃー集まったし。いただきます」
「「いただきます!」」


 早速智弥くんはオムライスを崩していく。黄色のヴェールがはだけると赤色がチラリと見える。

 僕はまずドリンクを飲むことにした。カップを持ち上げると綺麗な青色が下に沈んでいる様子がよく見える。かき混ぜて飲むらしい。上は炭酸水でしゅわしゅわしている。カワウソのイラストが付いた赤色のストローが映えている。くるくるとストローでかき混ぜると青が透明とじわぁと混ざり合い、透き通った海の色になっていった。

 突如横から影が伸びてきてジュースを覆った。


「いただきっ!」
「あっ! それ僕の!」


 僕が持っていたジュースを雫くんがいきなりちゅーっと飲んだ。
 僕のジュースを飲んだ雫くんは目を細くしてニマァと笑っている。


「ゆうくんのジュース美味しいー!」


 雫くんには何もかも越されてばかりだ。僕は雫くんのジュースを横から奪い取って同じようにちゅーっと吸った。


「あーそれ僕のー!」


 ラズベリーのような酸っぱさと甘さが混ざり合ってしゅわしゅわしていた。


「美味しいー」


 雫くんにわざと大袈裟に言ってみる。
 返答を確認する前に智弥くんが言った。


「二人とも本当仲良いよね」
「別にっ!」


 あれっ……? 


 思わず雫くんの方を見てしまう。これまでだったら二人で声が重なるところだったのに。
 なぜか雫くんは口角をニタりと上げている。


「仲良いよっ! 僕ら!」
「見ててそう思うよ」


 まるで保護者が子どもを見るように智弥くんは微笑んだ。
 ご飯を食べ終えた僕たちはイルカショーが行われるという場所へと向かった。

 まだ開始まで少し時間があるが既に多くの人が集まっていた。観覧席の端っこの方にちょうど三人分席が空いていて、そこに座った。もちろん真ん中に智弥くんを置いて、両端に僕と雫くんが座った。水槽がかなり近い。

 愉快な音楽と共にお姉さんが出てきてショーが始まった。
 イルカが左右からバァーンと交差するように飛び跳ねたり、輪っかをくぐったりしている。


「おぉー! すごーー!」


 みんながイルカに夢中になっている。ふと隣の智弥くんを見つめる。「彼」のことが濃厚に思い出された。「彼」もイルカショーを見て顔を輝かせていた。

 じーっと見ているとそれに智弥くんが気付いて、小声で僕に喋り掛けた。


「ほら! 俺見てないでイルカ見ないと!」
「可愛い対決だから隙を見計らってる」


 本当は「彼」を思い出していたけど、言わなかった。今日は智弥くんジャッジの可愛い対決だ。


「可愛いとか今はいいから!ほら!イルカすごいよ!」


 僕の肩をバシバシと叩いてショーに向かせようとした。


「可愛くなきゃダメだから……」


 目を伏せて自分に言い聞かせるように呟いた。今ここで一番になれなかったら「彼」だって振り向いてくれるはずがない。


「えー! まぁもうそれならいいけど……あっ、すご!」


 智弥くんはすぐにイルカショーへと目線を戻した。


*


「いやー意外と面白かったなぁ! 久々に来たからかなー」
「やっぱり僕らがいたからかなぁ?」


 帰り道も智弥くんの両腕をそれぞれ掴みながら、あざとくコテンと首を傾げて聞いてみる。


「それは違うだろ」


 ピシャリと言い放つ智弥くんに「えーん酷い」と言いながらわざとらしく泣きついた。雫くんはひょいっと横から顔を出した。


「それで、可愛い対決の結果は? 僕? ゆうくん?」
「あー、忘れてた。えーと……ドローで」
「なんでー?」
「忘れてペンギンとか見ちゃって、それが可愛くてあんま覚えてないわ。あ、可愛い対決はペンギン! あー、いやアザラシか……? イルカも可愛かったな……」


 一人でぶつぶつと呟いている智弥くんを尻目に雫くんと顔を見合わせてふふっと笑い合った。