引退したらやりたいこと

 橋本さんとのデートが終わり、別れた後はひとりで電車に乗った。

 電車に揺られてる間、ほんとど放心していた。

ぼーっとしすぎて、寮の最寄り駅を乗り過ごしてしまいそうになったくらいや。

「ふう……」

 寮の最寄り駅で電車を降りて時計を見る。

夜の七時。

涼真と遊園地に行った時とはちがって、今日は余裕を持って帰ってこれたんやな。

「はよ、会いたいな……」

 深く息を吐く。

ヒュウっと冷たい風が吹き、顔に触れる。

まさか、橋本さんとのデートで自分の気持ちに気付いてまうとは思わんかった。

こんなにも自分の中に涼真がいるなんてずっと考えてもなかった。

毎日毎日、一日の始めに顔を合わせて、一日の終わりにまた顔を見る。

いつも隣にいるのが当たり前で、ふざけ合っているのが当たり前。

これが特別だなんて思ってもなかった。

「あーあ。橋本さん、一生懸命デートしてくれたのにな」

 感謝と申し訳なさの両方が同時に押し寄せてくる。

遊園地での橋本さんは、ずっとキラキラしてて、オレに向かって笑いかけてくれてた。

手ぇ繋ごうって言うのも勇気を出してくれたんやろうな。

寒い中でもほっぺたをピンクにさせて、ころころ表情変えながらずっと楽しそうに喋ってた。

何回もめっちゃ可愛いって思った。

 それやのに。

それやのにオレは橋本さんが笑う度に、頭には涼真の顔が浮かんでた。

あいつは遊園地に行った時こうやって笑ってたなとか、急流すべりで濡れた髪かきあげてたのかっこよかったなとか、めっちゃアホな顔して昼飯頬張ってたなとか、橋本さんが可愛らしく笑う度に重ねてもうてた。

それで涼真の顔が浮かぶ度に、会いたくなってた。

もう重症や。

「あぁ……もう」

 歩くスピードが自然と速くなる。

一分でも、一秒でも早く涼真のアホな顔が見たい。

気持ちばっかりが前のめりになる。

早歩きが駆け足になる。

通り過ぎる人たちはイルミネーションを見たり、ケーキを買ったり、いろんなところで立ち止まって楽しそうに喋ってる。

クリスマスの夜やもんな。

「はぁっ、はぁ……」

 走る必要なんてないのに、いつの間にか全力で走っていた。

門限まで余裕あるのに。

息を吸い込む度に冷たい空気が喉の奥に張り付く。

白い息が暗い空中に浮かぶ。

 早く。

早く涼真に伝えたい。



 寮に帰寮してからは、急いで靴を下駄箱にぶち込んで、廊下を走って、部屋のドアを開ける。

走って乱れたままの髪とか、整ってない息とか、そんなことどうでもよかった。

とにかく涼真の顔が見たい。

「涼真っ。た、ただいま」

 勢いよく部屋に入ると、涼真は机に頬杖をついてスマホを触っていた。

風呂上がりなのか、部屋の中は柑橘系の爽やかな香りがする。

「おー、おかえり。デートどうだった」

 ふあ、と大きなあくびをした涼真が尋ねる。

「あ、あのっ、あのな、涼真。あのっ」

 言葉が出てこない。

伝えたいことが山ほどあるのに、何から伝えたら良いのか整理ができない。

「あの……えっとなぁ。えっと」

 あかん。

目が熱くなってきた。

唇が震える。

視界が、ぼやけて前が見えへんくなってきた。

「ほんとにどうした、大河。大丈夫か」

 涼真が心配そうに立ち上がる。

涼真を安心させたいけど、部屋の入り口に立ったままで動けない。

「オレ、お前のことが好きや!!」

 とりあえず伝えたい言葉を思いついたまま言った。

「お前のこと、好きで好きで堪らん……みたいや」

言葉と一緒に大粒の涙が頬を伝って落ちた。

「なっ、えぇ……」

 涼真も立ち上がったまま戸惑っている。

信じられない、とでも言いたげな顔をして口をパクパクさせてる。

「お前、後輩とデートに行ったんだろ」

「行った。行ったから、気づいたんや」

 涙がこぼれる。

止めようと思うのに止められへん。

「オレ、お前と離れたくない。ずっと一緒にアホなことして怒られて、喧嘩して、仲直りしたい。オレが隣におるんはこれからもお前だけがいい」

 正直に打ち明ける。

涙があふれくる。

ぼろぼろと粒になって、伝えきれん気持ちが溢れ出てくる。

 涼真が戸惑っている。

オレを見たまま固まってる。

「……橋本さんな、めっちゃ可愛いねん。ずっと一生懸命やし、その姿に何回もキュンってした。それやのに、一日中お前のことが頭から離れへんかった。ははっ……何食べても、何乗っても、ずっとお前のことばっかり頭に浮かんでるねん」

 ぐいぐいと袖で涙を拭う。

「……オレ、お前となら寮の部屋で弁当食うてても楽しいわ」

 鼻を啜ってから、ニッと歯を見せて笑ってみせた。

「あーもう……」

 涼真がグッと顎を上げ、天井を見上げた。

「へ?涼真?」

「お前……、一体俺をどうしたいわけ」

 涼真は片手で目元を隠し、ぼそぼそと言った。

「どうって」

「俺が、今日一日どんな想いでお前を待ってたと思ってんだよ」

 涼真が部屋にある小さな冷蔵庫を指差す。

オレは促されるまま冷蔵庫に手を伸ばし、開けた。

「これ……」

 冷蔵庫の中にはプラスティックカップに入ったショートケーキが二つ置いてあった。

30%割引と書かれたシールが貼られたイチゴのケーキ。

「わざわざ買いに行ったん?」

「そうだよ。コンビニだけどな」

「なんで……」

「まあ、お前を祝ってやろうと思って。もしあの後輩と付き合ったら俺は失恋するけど……ちゃんと……笑顔で祝ってやらないとって思って……買った」

 涼真の声が震える。

 なんでそんなんやのに買いに行ってくれたん。

わざわざ寒いのに。

失恋するけどって、なんなん。

失恋してまで祝うアホな奴おらんやろ。

 心がぽかぽかする。

涼真の泣いてるところ見てると愛おしくなってきて笑ってまう。

「ははっ。涼真も泣いてるやん」

「泣いてねえ。号泣してるお前と一緒にすんな」

 涼真はごしごしと雑に目元を拭ってオレを見た。

それでもオレをまっすぐ見つめる目には、うっすら涙が浮かんでいる。

「やっぱ泣いてるやん」

「泣いてないって。大体な、予想外過ぎんだよ、お前」

「なんでっ」

「こっちは今日一日、何回も、何回も、ケーキまで買ってさあ。……失恋するシミュレーションしてたのに」

 涼真が困ったように笑う。

「ほんと……こんな展開ありかよ。まさか俺の準備が全部無駄になるなんて、考えてなかった」

 涼真がズンズンとオレに向かって歩き、目の前に立つ。

「大河」

「な、なにっ」

 涼真とはいえ、188センチの男に至近距離に立たれるとさすがに威圧感がある。

涼真が深呼吸をした。

「俺も大河のことが好きだ」

 涼真は瞳の中にオレだけを映し、はっきりと言った。

あぁ、そうか。

「オレらって、両思い……なんか」

 その言葉を口にした途端、口元が緩んできた。

心臓からはドキドキと音がするのに、体からは緊張が解けていく感覚がする。

「あはは……ほんま、めっちゃ好きや」

 目の前に立つ涼真に頭をもたれかける。

涼真の鎖骨辺りからは柑橘系のボディソープの香りがする。

「クリスマスが記念日ってことでええ?」

 オレは涼真にもたれたまま尋ねた。

「最高」

 涼真は短く一言だけ返してきた。


 
 涼真に告白した数時間後、オレは涼真の布団の中に潜り込んでいた。

男二人でぎゅうぎゅうの二段ベッド。

狭過ぎて寝返りを打つのも大変なくらいだ。


「なあ、涼真。ケーキ、ありがとうなあ」

 オレは涼真の枕に頭を乗せた。

涼真がコンビニで買ってきてくれたケーキ。

涼真にとっては失恋のショートケーキになるはずだったケーキ。

オレの勢いに任せた告白のおかげで、両思いのケーキになった。

「今までの人生で一番美味かった」

「言い過ぎだろ」

 涼真が笑う。

それでもオレは、これまでの人生の中で一番美味かったって言い切れる。

オレのために、わざわざ寮のルールを破ってまで買いに行ってくれたんや。

嬉しくないはずがない。

思い出すだけで胸がいっぱいになる。

「なあ、オレのこと、いつから好きやったん?」

 さらに調子に乗って涼真に質問する。

「前に言っただろ。放課後の教室で」

「えっ、あれほんまやったん?」

「嘘じゃないって言っただろ」

 涼真が恥ずかしそうにして、オレを睨む。

放課後の教室での告白ごっこの話が本当だったら、一年の春からになる。

「めっちゃ……長いやん」

「まあな。半分、諦めてはいたし、三年間こうして相部屋で過ごせたからちょっと満足してた部分はあったけどな」

 涼真がオレの頬に触れる。

「こうして大河に触れるなんて考えられなかったな」

 涼真が静かに微笑む。

オレはその手の上に自分の手のひらを重ねる。

温かい。

涼真の体温がする。

普通よりも平熱がちょっとだけ高い子どもみたいな体温にホッとする。

「キス、してみてもええ?」

 涼真のちょっと困ったように微笑む顔を眺めていると、無性にキスしてやりたくなった。

「いいよ。しよ」

 涼真の返事を聞いてから、オレはゆっくりと枕から頭を上げ、涼真に近づく。

半分仰向けになった涼真に覆い被さるようにして顔を傾ける。

 ゆっくりと涼真の唇に自分の唇を重ねる。

「ん……」

 喋り声も物音も、何もかもが無音になる。

聞こえるのはオレたちの息遣いだけ。

 勢いでキスをした時とは全然違う。

お互いに試すような感じはないし、勝負を挑むような感じもない。

ただただ、大切に扱おうとする感じだけがある。

「俺からもしたい」

 涼真はひとことそう言って、今度はオレの体はぐいっと押し倒された。

 そしてまた、再びキスをする。

何度も、何度も、軽く口付けをしては離れる。

もどかしい。

「んん……」

 窮屈なベッドの上は動きづらい。

ぎしぎしと、ベッドの軋む音がする。

互いに時々吐息が漏れ、また吸い寄せられるように唇に触れる。

「やべえ。幸せすぎて死にそう」

 涼真の手がオレの頭を撫でた。

優しくて大きな手だ。

「死んだらオレともうキスできへんで。それ以上のお楽しみもな」

「ふ、ははっ。たしかにな」

 涼真が笑った。

でもオレも今は涼真と同じ気持ちや。

幸せすぎてどうにかなりそうや。

「なあ、大河。『引退したらやりたいことリスト』、新しいの作らねえ?」

 ふと、涼真が言った。

「新しいのって何作るん」

「……恋人になってやりたいこと、とか。まあ、なければ別にいいんだけどさ」

 涼真がオレの目をみた。

挑発的な目だ。

「あるよ、あるある。涼真とやりたいこと、めっちゃある」

 オレはすぐに言い返した。

恋人になった涼真とやりたいことなんて、山ほどある。

それにオレたちはもうすぐ高校を卒業する。

お互い大学に進学するから、それはそれでやりたいことがいっぱいある。

「じゃ、今から作る?」

「作ろうぜ。涼真」

「ちょっと待ってろ。ノート取ってくる」

 涼真はオレを乗り越えてベッドから出て、ごそごそと探し始めた。

 しばらくして、またオレの隣にシャーペンとノートを持って戻ってきた。

「これの裏に書こう」

 持ってきたのは『引退したらやりたいことリスト』を書いたノートだった。

ページを開くと、攻略をした項目には線が引いてある。

放課後の教室に残る、食堂で昼飯を食う、制服デートをする。

どれを思い出しても笑ってしまうものばかりだ。


「これ、攻略済みにしとこ」

 オレは涼真の手からシャープペンシルを取った。

「『彼女を作る』、これは実質攻略したも同然やろ」

 オレはそう言って、『引退したらやりたいことリスト』の項目に線を引く。

実際にできたのは彼女じゃなくて彼氏だったけど、ただの彼氏じゃない。

最高の彼氏や。

同じ寮で、同じ部屋で、同じ運動部活生。

三年間、鬼のような規則を一緒に守った戦友でもあるし、悪友でもあった。

「そうだな。攻略済みにしよう」

 涼真も頷く。

さらに涼真はオレからシャーペンを奪い取って、彼女の部分を彼氏に書き直した。


「まだ、残ってるのもあるけど、絶対卒業するまでに攻略するとして、まずは『恋人になってやりたいこと』書きますか」

 涼真がノートを裏返す。

一枚目のページはまっさらだ。

これから書く。

それだけでなぜかワクワクしてくる。

「一つ目はあれやな、えっちなキスをする、やな」

「はあ?くだんね」

「でも、したいやろ。さっき、お前が止めたやん」

「いや、それは自然な流れだっただろ」

「いーや。オレは全然ノリノリやった。お前が勝手に止めたんや」

「じゃ、大河。お前からえっちなキスしてもらえるの楽しみにしておくからな」

 涼真は一行目に『大河からえっちなキスをしてもらう』と書きやがった。

しかも、ふふんっと腹の立つ顔をして。

「ええで。待っとけよ!そのうち不意打ちでしたるわ。衝撃強すぎるからって倒れるなよ」

「はいはい」

「はいは、一回でええねん」

 オレは涼真にもたれかかってツッコんでやった。




 涼真とオレとで作った『引退したらやりたいことリスト』。

彼氏を作る、攻略完了。



 残りはクーラーが効いた部屋で一日中ゴロゴロする、だ。

これはもう、来年の夏休みにでも涼真と実行するしかない。