引退したらやりたいこと

 遊園地を出てからのオレたちは、腹が減りすぎてラーメン屋に寄った。

間に合うやろって調子に乗ってラーメンとチャーハンを大盛りで食べた。

食べることに夢中になって、時計を見るのを忘れてた。

やっとスマホの時計を見た時は涼真と二人でギョッとした。

寮の門限がそこまで迫っている。

夜の9時。

それがオレたちの寮の門限。

これをすぎたら、寮監しか持ってない鍵で寮の玄関の鍵を閉める。

そうすると内側からしか開けられへん。

つまり、寮監に開けてもらわなあかんくなる。

それは、説教が待ってるということ。

だからオレと涼真は電車に乗ってる以外の時間を全て全力で走った。

改札を出た時間は8時47分。

門限の夜の9時まであとちょっとしかない。


「はぁ……はぁ。やばい、やばい。いけてるか涼真」

 しばらく走り、オレは前を走る涼真に声をかける。

「大丈夫。これぐらい余裕」

 涼真が片手をあげて応える。

息が切れる。

真っ暗な帰り道に白い息が浮かぶ。

「大河……やばい。あと二分しかない」

「あとちょっとや。根性出せ」

 やっと寮が見えてきた。

このまま全力疾走すればギリギリ滑り込めるかもしれない。

早く帰らないと。寮監が玄関の鍵を閉めてしまう。

「あぁっ、やば」

「どした」

「スマホ落ちた!」

 手に持っていたスマホが地面でカツンと音を立てて跳ねた。

大幅なロスタイムや。

もうすぐ寮に入れるところまで来たのに。

寮が見えてるのに。

「涼真!とりあえずお前だけ先帰れ!行け!」

 オレは前を走る涼真に向かって叫んだ。

あと二分なんや。

一回も止まらず走り切って滑り込めるかどうかの瀬戸際なんや。

迷ってる暇はない。

「いや、待ってる。早く拾え」

 涼真はすぐにはっきりと言った。

わざわざ立ち止まって、振り返って。

「早く!!」

「あぁ」

 オレも迷ってる暇はない。

とにかくスマホを拾って立ち上がる。

「行くぞ」

 涼真が再び走り出す。

オレもその後ろを追って走る。

時計を見る余裕はない。

とにかく全力で走る。

門限破ったら怒られる。

寮監、怒ったら怖いんや。

普段は優しいおばちゃんなんやけど、怒る時は普通に怒る。

普段が優しい分、めちゃくちゃ怖い。


——ガチャ。ガチャガチャ。

「あかん、間に合わんかった」

 必死に走って辿り着いた寮の玄関は閉まっていた。

全力で走ったけど時間切れや。

 深く息を吸う。

はぁはぁ、と肩が上下する。

汗が額を流れる。

「最後の最後にやってしまったな」

 隣の涼真も腰に手を当てて、大きく呼吸している。

このままじゃ二人とも寮に入れない。

入れないどころか、普通に説教コースが待ち構えている。

「点呼まではあともうちょっと時間あるよな」

 オレはスマホの画面に浮かんだ21:05という数字を確認し、辺りを見回す。

「俺、瀬戸に連絡してみる」

 涼真は同じ寮で、同じバスケ部である瀬戸に電話をかける。

全力疾走してきたせいで、さっきまで暑かったのに汗が引いて寒くなってくる。

「オレも他にかけてみる」

 オレと涼真は同じ寮という監獄に住んでいる友達に電話をかけていく。

みんなこの時間は夕食を食べ終わって、各々の部屋でまったりしている。

「だめだ。出ない」

 しばらくしたら誰かしら反応してくれるだろうけど、問題は今すぐ反応してほしいということだ。

「やばいな、このままじゃ確実に怒られる」

 涼真がうーんと、腕を組んだ。

「そうや。窓から入るのは?」

 オレは閃いた。

「……あり。二階のトイレからなら入れるかも」

「たしかに!いつも開いてるやん。見回り来るまでに部屋におれたらセーフよな」

 一階のトイレの窓は逃走防止の柵がついてるけど、二階はついていない。

それに幸いなことにオレたちの部屋は一階だ。

オレが寮の中にさえ入ってしまえば、涼真を窓から侵入させられる。これで怒られずに済む。

「それなら俺が大河を担ぐ」

 涼真もすぐに納得しててくれたのか、静かに頷いた。

「トイレに入ったらすぐに部屋に向かうから、涼真はオレらの部屋の前まで移動してな」

「わかった。気をつけろよ」

「任せろ」

 涼真は188センチの長身だし、オレだって170センチ以上はある。

多少、厳しくても肩車をすれば何とかなると思う。

 オレたちはできるだけ身を潜めて走り、二階のトイレの真下に到着した。

予想通り、二階のトイレの窓は何の警戒もなく開いていた。

「開いてるっ」

 ラッキーや。

これで助かった。

勝利を確信して、オレは靴を脱ぎ、スマホも荷物も邪魔になるものは全て地面に置いて涼真の肩にまたがる。

「立つぞ」

 涼真が小声で言う。

「了解。気つけてな」

「大丈夫」

 静かに、物音を立てないように慎重に涼真が立ち上がる。

ぐらぐらと揺れる。

「わわわ……」

「いけるか、大河」

 涼真はオレが落ちないように、両足をしっかり掴んで支えてくれる。

 涼真が立ち上がりきると、視界はぐんと高くなった。

2mを余裕で超えた視界はなかなか高い。

でも、勝負はさらにここからや。

「よし、立つで」

 オレは涼真に声をかける。

涼真はオレの足から手を離し、壁に手をつく。

オレもゆっくり、慎重に、涼真の肩に片足ずつ足を乗せる。

北風が吹くと煽られて、ぐら、ぐらと揺れてしまう。

腹に力を込める。

神経を尖らせ、体全体のバランスを取る。

「ふう……いけた」

 あとは腕を伸ばして窓に手をかけるだけだ。

あと少し。

「お前、部屋の鍵持ってる?」

 涼真のボソボソとした声が足元から聞こえた。

「あっ……」


 一気に血の気が引く。

とにかく二階の男子トイレに侵入することだけを考えていたから、荷物を全て置いてきてしまった。

「……ない。持ってない。ごめん、どうしよ」

 焦る。

せっかく勝利が目の前にあるというのに、オレのしょうもないミスでまたタイムロスをしてしまう。

「だと思った。これ……鍵。右手側から渡すぞ」

 涼真がゴソゴソと動く。

助かった。

さすが涼真や。

「はい、これ。受け取れ」

 涼真が右手を伸ばしている気配がする。

だけど真下を見れない。

見たら体勢を崩して転けてしまいそうになる。

「どこ……」

 手探りで涼真の手を探す。

目の前には壁しかなくて、辺りは暗い。

大きな声で喋ることもできないから正確に探せない。

 どこ。

どこや。

涼真の手。

目一杯、バランスを取りながら右肩を下げて探ると、時々涼真の指先が触れる。

もどかしい。

涼真の指に触れられるのに掴めない。

「くっ……たい、が」

 足元から涼真の苦しそうな声がする。

 そんな時だった。

ふと窓を見上げた瞬間、窓から寮監が覗いていた。

「ひっ、お、おい。涼真!!ストップストップ」

 寮監は静かにオレたちを見下ろしている。

寮監、なんで男子トイレにおるんや。

「なに?大河、ほら鍵……」

「いや、ちゃう見つかった。やばい、降ろしてくれ」

「見つかったなら受け取れよ早く。バタバタすんな、バランス取れねーだろ」

 涼真がさらに腕を伸ばしたのだろうか。

足元が傾く。

「ちがうねんって、とりあえず降ろして」

「何が違うんだよ。もう一回担ぐのしんどいだろ、早く入れ」

「おいっ、話聞けって」

 会話が噛み合わない。

上には寮監、下には話を聞いてない涼真。

逃げ場がない。

「小湊くん、鮎川くん。何をしてるの」

 寮監がやっと言葉を発した。

静かに、穏やかにただ問いかけてきた。

「まさかだと思うけど、ここから侵入しようとしてる?」

 口調は柔らかい。

なのに冷ややかで、ちくりと胸を刺してくる。

「大河……」

 さすがの涼真も察したのか、大人しくなった。

しっかりと門限破りがバレた。

せっかくの楽しい遊園地デートは最悪の終わりを迎えそうだ。



 一番最悪な予想通り、オレと涼真は寮監の部屋に連行された。

寮に入る前にスマホを見ると、電話をかけた奴らから折り返し電話がかかってきていた。

 暖房のかかった寮監の部屋。

寮監のプライベートの部屋というより、寮監の仕事部屋みたいな場所。

「で、どうして門限に間に合わなかったの?」

 机の対面に座る寮監が尋ねた。

オレと涼真は横並びに座らされて、なんだか警察の取り調べみたいだ。

「遊園地行ってたからっす」

「二人とも?」

「そっす」

 寮監は相変わらず穏やかだ。

怖い。

「どうして時間を守れなかったの?時計、見てたら間に合わせることはできたよね?」

 心の居心地が悪い。

じわじわと首を絞められ、逃げ道を奪われていくような居心地の悪さ。

この何とも言えない質問の答えに「はい」は通用しない。

「つい楽しくて、時計を見るのを忘れていました。本当です」

 涼真が口を開いた。

寮監を見て、丁寧に話す。

寮監はふん……と息を吐く。

「そうなのでしょうね。門限に間に合わなかったことについては、ひとまずわかりました。それで……」

 寮監がギロリとオレたちを睨む。

「どうして二階の男子トイレによじ登ってたの?侵入しようと言い出したのはどっちなの」

「こいつっす」

 涼真と声が重なる。

オレは涼真を指さしていたけど、涼真はオレを指さしている。

オレもやけど、涼真め、オレを売りやがった。

 涼真と顔を見合わせる。

多分、こいつは今オレと同じことを考えてるはずや。

これから書かされる反省文を一枚でも少なくしたいってことを。

「二階から入ろって言うたんはお前やろ」

「そもそも窓から入ろうって言ったのは大河だろ」

 涼真は譲らない。

すぐに言い返してくる。

「それにお前が鍵を持って上がらなかったからバレた」

「それなら担ぐ前に確認してくれたら良かったやん」

 互いに反省文をかけて意地になる。

「で、成り行きを話しなさい。

どっちが、先に言い出したの」

「だからこいつっす」

 またお互いに指をさす。

「もう一度聞きますね。どちらが先に言い出したの」

「……オレっす」

「……俺っすね」

 また、声が重なった。

でも今度は互いに自分を指さした。

壁掛け時計の秒針が進む音がする。

寮監がため息をつく。

「俺が窓から入って、自分たちの部屋に戻ろうって言いました。小湊はそれに釣られただけっす」

 涼真が寮監の目を見て伝える。

「なっ、ちゃいます!オレです。一番最初の言い出しっぺはオレで、涼真がそれに乗っただけです。オレが反省文多めに書きます」

 無意識のうちに口から言葉が飛び出していた。

ほんまはオレも悪いのに、庇われて、涼真だけが怒られるのは嫌や。

「いや、こいつのは嘘です。俺です」

「違いますって。オレです。オレ」

「だから俺が」

 涼真と見合って言い合いをしていたら、紅茶を一口飲んだ寮監がマグカップを机に置く音がした。

「わかりました。二人とも、反省文は十枚です。門限を破ったことに対して五枚。今回の反省と次回への改善を考えなさい。それと、残りの五枚は二階の窓から侵入しようとしたことに対してです。危険なことを提案するのも、安易に乗っかるのも、どちらも悪いです。情状酌量の余地はありません」

 寮監は淡々と言った。

「はい。すんません」

 オレと涼真は改めて謝った。

反省文十枚。

ただの門限破りよりも倍になってしまった。


 寮の部屋に戻って、部屋の灯りをつける。

疲れたオレは床に寝転がる。

「寮監の説教、長かったなあ」

 反省文の枚数を言い渡されてから、軽く三十分は説教をくらった。

最初から素直に全て話しなさいとか、順を追って説明しなさいとか、とにかく怒られた。

部活の監督に怒られるよりもじわじわと静かに詰められる方が怖い。

「せっかくの遊園地デートやったのにな」

 楽しかった遊園地の終わりが寮監の説教じゃ嫌すぎる。

自分たちが悪かったとはいえ、後味の悪い終わり方になってしまった。

「大河。これ、はい」

 寝転がって足をバタつかせるオレの頭に何かが乗っかった。

「なにぃ?」

 頭に置かれた物を掴んでみると、手のひらサイズのぬいぐるみのキーホルダーだった。

ふかふかとしたクマのぬいぐるみが、遊園地で買えなかったワニの被り物を被っている。

「これ……」

「ふたり分。俺と大河の」

 涼真は本当に照れくさいのか、口を尖らせ、目も泳がせている。

「お前とのお揃い、あんまなかったし、遊園地に入ってすぐそのワニの被るやつ欲しがってただろ。だから丁度いいかなって、思って……。別に要らなかったら引き取るけど」

 ぼそぼそと言い訳がましく涼真が喋っている。

胸がきゅうっとなる。顔が勝手に笑ってしまう。

「いる!めっちゃいる!」

 オレは涼真の目を見て笑った。

めっちゃ嬉しい。

何これ。

朝からずっとそんなこと考えてたん。

あほやろ、こんなん高いのに。

嬉しい。

「ほんまありがとう。……かわいい、このくま」

 あかん。

嬉しすぎて目ぇ熱い。

なんかもう寮監に怒られたことがこの嬉しさの助走やったように思えてしゃーない。

「そっか。それなら良かった」

 涼真がホッとした顔で笑う。

オレもその笑顔を見て、さらに笑う。



『引退したらやりたいことリスト』の遊園地デート、攻略完了や。