引退したらやりたいこと

  ——なあ、部活引退したら何したい?
俺はクーラーが効いた部屋で一日中ゴロゴロしたい
うわあ、ええなそれ。追加しよ。他は?
デート
デート?誰と?
大河と?
オレと?ははっ、アホなん?お前

*

「部活……引退してきたわ!!!」

 夜、寮に戻ったオレは涼真の顔を見た瞬間に涙が決壊した。

 高校三年の秋。

寮生である小湊大河はサッカー部を引退した。

高校最後の公式戦は最後まで勝ち進みたかったけど及ばなかった。

試合に負け、引退という事実を突きつけられると、煩わしかった練習でさえ急に懐かしく思えてくる。

心にポッカリと穴が空いたみたいで寂しい。

「ん、おつかれ。ははっ、号泣じゃん」

 相部屋の住人である鮎川涼真だ。

部屋の入り口でぼろぼろと泣くオレを見て笑ってくる。

「うっさい。それよりもこれ何なん」

 部屋のローテーブルには、寮で禁止されているはずのスナック菓子が山積みにされている。

「引退パーティだろ」

「引退パーティ?」

「おん。お前、『お互い引退したら部屋でパーティしよな〜』って言ってただろ」

 そんなことオレ言うたかな。

鼻水を啜りながら記憶を遡る。

全然、思い出されへん。

いつ言うたんやろ。

「さてはお前、忘れてるだろ」

 涼真が呆れた顔して、ため息をつく。

「ちょっとだけな。……でも、ありがとう。なんかめっちゃ嬉しいわ。ふっ、へへ。ふへへ」

 想像もしていなかったお菓子の量に泣いていたことを忘れて笑ってしまう。

涼真、こんないっぱいのお菓子どこに隠してたんかな。

寮監にバレへんように、ちびちび集めてくれてたんかな。

 目の前にいる男は、そんなマメなことをする男には見えない。

それなのに今日のために準備をしてくれていたのだと思うと、さっきポカリと空いた心の穴が塞がっていくような感覚になる。

「ちなみに、ジュースもあります」

 涼真がドドンっと二段ベッドの下から2Lのコーラを出してきた。

「うっわ!!最高やんけ、最高や」

「しかも二本ある」

 二本!?

「なんでやねん。ははっ」

 なんで同じコーラ二本やねん。

そこはコーラとオレンジジュースとか他の飲み物にするやろ。

「え、大河がコーラ飲みたいって言ってたから」

 コーラ二本の原因はオレやった。

お前が好きなやつは用意せんかったんか。

愛おしきアホやな。

 涼真がふんっとドヤ顔をしてマグカップにコーラを注ぐ。

勢いよく注がれたコーラはしゅわしゅわと泡立って弾ける良い音がする。

「オレ、炭酸久しぶりに飲むんやけど」

「俺もお前とのために我慢してた」

「ほんまに?漢気すぎるやん」

 サッカー部のオレも、バスケ部の涼真も部活の体作りの一環として、高校に入学してから三年間ずっと炭酸飲料もスナック菓子も禁止されていた。

学校の売店のおばちゃんですら認識してるから売ってくれへん。

飲めるのは、正月の三日間と春休みの遠征終わりに帰省する数日だけ。

だから、あかんとは思うけどその数日間は朝から晩まで常に炭酸を飲んでいた。

飯の時もいつでも。

それやのに、それやのに。

寮で、しかも夜に炭酸とお菓子。

ポテチにチョコ、クッキーまで並んでる。

こんなん許されてええんか。

みんなに内緒でいっぱい食べる。

なんという魅力的な背徳感や。

「じゃあ、大河と俺の引退をお祝いしまして……せーの」

「かんぱいっ!!!」

 カンっと涼真と乾杯する。

表面張力で何とか溢れずに済んでいたコーラがちょっとだけ机に垂れた。

「うわあ、やば」

 慌ててマグカップから貴重なコーラが溢れ出るのを防ごうと啜る。

口の中が甘く弾ける刺激でいっぱいになる。

うまい。

もう正月に飲んだコーラより百倍うまい。

いや一億倍かも。オレはごくごくと一気に飲み干した。

「てかさ、涼真。お前今日試合、観にきてたやろ」

「え?うん」

 涼真が少し驚いたように返す。

「いつからいてたん?」

「ウォーミングアップから」

「はっや。くそ早いやんけ」

 オレが涼真を見つけたのは試合後半だった。

「じゃあなんで試合終わってすぐ声かけてくれへんかったん?オレ、めっちゃ探したんやで」

「え?いや、これの用意もあるし、先輩とか後輩とかさ、チームとの時間の方が大切かなって思って」

 涼真は山積みのお菓子を指差した。

「気使わんでええのに。それに事前に言うといてくれたら、試合中にお前に向けて何かパフォーマンスしたったのに」

「いらね」

 涼真が興味なさそうにポテチを数枚重ねて口にいれる。

「そこは欲しがれよ!……で、どうやった?オレ、かっこよかった?」

「んまあ、かっこよかったといえば、かっこよかったかもな。雰囲気いつもと全然違ってたし」

「そっかあ。うわーイケメンに褒められると照れるなあ」

「八割くらいは可愛らしい感じだったな。子どもみたいに泣きすぎて」

 それは余計な一言やろ。

でも涼真なりの照れ隠しやろうな。

「はあ?なんやそれ」

 まあ、でも。

ちょっと嬉しいような、小恥ずかしいような、くすぐったいような気がする。

胸の奥がほわほわと温かい感じ。

その理由は分からへん。

引退したての高揚感かもしれへんし、大量のお菓子たちによる背徳感かもしれへん。

ただ確実に分かるのは、涼真とこうやって狭い部屋でアホなことしてるこの瞬間は大人になっても覚えているだろうなってこと。



 鮎川涼真はクールな見かけによらず陽気な奴だ。

高校一年の初めからずっと同じ部屋だけど、第一印象はすっごいスカしてそうな奴だった。

188cmもあるバスケ部で、無駄にさらっとした黒髪。

おまけに室内競技特有の透けそうな肌に、目尻のホクロ。

涼という字が似合うイケメンだ。

 最初の頃はつまらなそうな奴やなって警戒していたけど、喋ってみると一瞬で気が合った。

すぐにピーンと来た。

こいつ静かに笑かしてくるタイプやって。

それに、これはオレの勝手な思い込みではあるけど、そういう奴が一番女子からモテる。

アホそうには見えんのに面白い。

運動が出来て、背も高くて、クールで、愉快な男。

それに引き換え、オレは174cmのサッカー部。

もちろん日焼けしまくってる。

髪の毛だって、表面は日焼けしてるから全体的に茶色っぽい。

オレは陽気な方やし、それなりにモテてきたと思うけど、涼真と比べるとモテ度は低いような気がする。

「なあ、大河。去年作ったリストのこと、覚えてる?」

 お菓子を食べ、一息ついた涼真が聞いてきた。

「リスト?」

「やっぱり。忘れてる」

 涼真はわざとらしくため息をついて、オレを睨む。

「去年、引退してからやりたいことっていうリスト作っただろ」

 涼真に言われた途端、思い出した。

たしか高三になる前の冬だった。

サッカー部もバスケ部も練習がキツくて、寮からの逃亡を企てた日だ。

逃げようと思ったのに、雪がものすごい降ってて、二人で諦めた。

せっかく逃亡用に荷造りしたのに。

それで、オレたちは部屋に戻って現実逃避することにした。

それぞれが二段ベッドに寝転がって喋ると喋りにくいから、床に布団引き直して、隣同士で適当に寝転がって夜更かしした。

「思い出した!!あれや、あのノート、どこ行ったん?」

「ここ。これ」

 涼真はフッと笑って、『引退したらやりたいことリスト』と雑な字で書かれたノートをオレに見せた。

「これこれ。すっかり忘れてたわ。涼真、ずっと持っててくれたん?」


「うん。お前、1週間もしないうちにリストを作った記憶を失ってそうだったから」

 数日はちゃんと覚えてた。

でもテスト勉強とか試合とかで更なる追い込みが来て、記憶を失ってた。

「うっ……ごめんて」

 胸を銃で撃たれたような仕草をして謝る。

「じゃあ、早速開きますか」

 オレの渾身の演技はあっさりとスルー。

そして涼真はクスッと笑ってノートを開いた。

涼真の対面に座っていたオレはズルズルと移動して、涼真の隣に座り直した。

涼真の肩に腕を乗せる。

さらに涼真にもたれて、だらける。

去年の自分は何を書いたのだろう。

空いている手でマグカップを掴み、三杯目のコーラをごくごくっと飲み干した。

「えっと、まず一つ目は……『クーラーの効いた部屋で一日中ゴロゴロする』だって」

「クーラー!?いきなり無理やん」

 もう季節は秋だ。

カーディガンとか羽織り出してるくらいなのに、クーラーなんかかけたら風邪を引く。

「だな」

 涼真も呆れたように笑う。

「いや、わかるけどさ。去年のオレらが言いたいことは」

 毎日部活漬けで基本的に休みがない日々だったから、本来なら練習がある時期に練習のことを考えずにだらけてみたかったんやと思う。

「んー他は?」

「他は『放課後の教室に残る』だって」

「放課後の教室……?」

「そう」

「残って何するん?」

「何も書いてない」

 さすが去年の俺たちや。

続いて出てきた内容でさえ、消灯後のテンションに任せただけで何も考えてなさそうや。

「んーでもさ、俺たちって放課後の教室って残ったことなくね?」

 涼真に言われてハッとする。

言われてみれば、たしかに放課後に教室に残ったことはない。

いつも放課後になった瞬間、部室に向かってダッシュするからだ。

もはや担任のエビセンよりも先に教室を飛び出しているくらいだ。

だからみんなが帰った後の教室なんて知らない。

「なんかおもろそうな気もするな」

 具体的に何するかは思い浮かばん。

けどなぜか無性にワクワクする。

多分、この案を書いたのは涼真やな。

「放課後の居残り、やるだろ?グミとか持っていこうぜ」

 涼真が笑う。

近所の悪巧みをする子どもみたいな笑顔だ。

「うっわ。ここでお菓子はやばいやろ。天才や。やるしかないな」

 オレもつられて同じ悪ガキ顔になる。

教室でお菓子なんて悪いにも程がある。

バレたら速攻、体育教官室送りや。

ハイリスクハイリターンすぎる。

でももうワクワクしてきてる。

止められん。

サッカー部を引退したてでしんみりしてたけど、そんなんしてる場合じゃない。

「他は?他は?」

「他に書いてるのはー、『引退した日に部屋で菓子パする』『みかん水飲む』『学校終わりに寄り道』『制服デート』『遊園地デート』『学祭に出る』『ズル休みして出かける』『寮で炭酸飲んでポテチを5袋くらい食べる』『朝ゆっくり学校に行く』『食堂で昼飯食べる』『彼女を作る(大河だけがやたらとほざいてる)』だって。あとは『朝練休む』とかまあいろいろ書いてるけど」

「はははっ」

 くだらない。

想像以上にくだらない。

いつでもできるって言われそうや。

けど、どれもほとんど出来たことはない。

学校の真隣に寮があるせいで、練習終わりに寄り道なんて出来たことないし、制服で出かけるなんてこともない。

いつもドロドロで汗だくのジャージで帰るだけ。

それに毎日、朝練があったおかげで余裕で二回目の朝飯を教室で食ってた。

彼女っていっても、ガチガチの部活生活を送りすぎてこの三年間でまともにできてたことがない。

一瞬で別れる。

ずっと部活漬けの生活を送ったから普通の男子高校生の生活がまずイメージつかん。

「でもすげーやりたいだろ?」

「おん。めちゃくちゃ実行したい」

 引退してから大学へ進学するまでの数か月くらい普通の男子高校生をやってみたい。

「まあ。まず、炭酸飲むのとポテチはクリアやな」

「だな。とりあえず何からする?」

「んー、『放課後の教室に居残る』ちゃう?簡単そうやし」

「たしかにな。じゃあ明日、さっそく教室に残ってみるか」

 オレは無言で頷いた。

そしてオレたちは無言でカチャンっと二回目の乾杯をした。

「でもさあ、涼真。デート系はハードル高いな。今オレたち彼女おらんし」

 別にモテないというわけではないが、涼真もオレも恋人はいない。

お互いに最後の公式戦に全力をかけていたのもあって、浮いた話すらない。

「とりあえず、しばらくは彼女いなくてもできるやつ実行すれば良いだろ」

「そうやけどさー」

 そりゃあ涼真はモテるだろうし、焦る要素はないだろうな。

「……卒業までにやりたいことリスト、全部実行できへんかったら嫌やな」

 せっかく涼真と作ったリストなんや。

どうせなら、ちゃんと全部実行したい。

「んーそれなら、俺と大河ですればよくね?」

「なにを?」

「デートを」

「デートを!?オレたちで?」

「そう」

 涼真は全く表情も変えないまま、チョコをポイっと口に放り込んだ。

「オレら男二人で制服デートとか、遊園地デートするん?」

「いえ〜す。他にあるか?ってか、これ去年もこの話したと思うけど」

「え゙、そうなん?……そうなんか」

 去年から変わらず同じことを言うてるんか、オレは。

ということは、涼真は去年も二人でデートしたら良いって言うたんか。

「お前……根性あるなあ」

 男相手に男からデートしようぜ、なんて言葉を涼しい顔して言えるなんて根性があるとしか思われへん。

さすが名前に涼という字が入ってるだけある。

「ははっ。じゃ、大河。お前は根性ねーの?」

 煽られた。

すぐ煽ってくる。

涼真の悪い癖だ。

こうやってすぐにオレを焚き付けてくる。

「あ、あるよ。あるある。めっちゃある」

「めっちゃあんのかよ。ウケる」

「ウケんな!」

 そしてオレはきっちりと涼真の煽りに反応してしまう。

すぐに涼真のペースに乗せられてしまう。

「そんじゃ、彼女ができない場合は俺とデートするってことで」

「まあ仕方なくやで、仕方なく。……でもやっぱり恋はしたいよなあ」

 オレはポテチを食べる。

「まあな。恋愛禁止的な雰囲気はあったからな、俺たち」

「そうなんよなあ」

 公に恋愛禁止とは言い渡されてはいないけど、恋愛なんかにうつつを抜かすなよ的な雰囲気を顧問たちから度々感じていた。

だからLINEはできても、長電話をすることも制服デートをすることもできない。

校内ですら一緒に遊ぶこともできない。

できるとするなら、年末年始に遊びに出かけるくらいだ。

そんな限定的なデートを喜んでしてくれる彼女はいない。

だから初めは秘密の恋みたいな感じに思えても、付き合ったらすぐに現実が見えて別れてしまう。

「しかも通い組と違って俺らは監獄に住まいだからな」

 涼真が笑う。

まだ電車通学とか自転車通学なら希望はあったかもしれない。

けど、オレたちは体育会系のごりごりの男子ばっかりが収容された寮に住んでいる。

いつどこを歩いても、ムキムキとでかい奴が視界に入る。

しかも男しかいないことを良いことに、たまにパンツ一丁で歩き回っている監獄の猛者までいる。

そういう奴に限ってバッキバキに体が仕上がってるから見惚れてしまうのも否めない。

その中でも涼真みたいな絵に描いた爽やか系の体育会系は珍しいくらいだ。

「俺がエスコートしてやるから楽しみにしてろよ」

 涼真が手元も見ずにオレのコップを手に取り、コーラを飲む。

「は?まず人のコーラ勝手に飲むな。それと、お前は黙ってオレにエスコートされとけ」

 涼真へ一気にツッコミを入れて、ついでに口の中に鷲掴みにしたポテチを強引に入れてやった。

涼真はもぐもぐと静かに口を動かした。

騒がしかった部屋がほんの一瞬だけ静かになり無言の涼真と目が合う。

涼真は何を思ったのか、パチリとオレに向かってウインクをした。

「ははっ、ウインクしてくんな」

 ばかばかしい涼真のウインクを喰らって、心臓の鼓動が少しだけ速くなる。

意外とオレは涼真とのデートにちょっとだけワクワクしているのかもしれない。

いや、これはかなり楽しみにしてるのかも。

胸に手を置いて心音を確認していると、窓の外からはビュウっと風が吹く音がした。