午前中の授業を終えたおれは、弁当を持ってやって来たクラスメイトに今朝の話をしてみることにした。
「八重橋? ああ、変人って呼ばれてる……そういえば今日も何かやらかしたって言ってたな。土を食おうとしてたとか、なんとか……」
「それは流石に誇張しすぎかな。土を顔につけてはいたけど」
「なんだ一緒にいたのか。知り合い?」
「いやぁ、全然。初めて話したよ。なんて言うか……独特な人だよね。自分の世界があるっていうか」
「何考えてるのか分かんねーし、話も通じねーんだよな。オレ、友達がいるからよく3組に行くんだけどよ、たまに鉢合わせるとよく分からんこと言いながら写真撮られるんだよ。ホラーかと思うぜ」
彼の名前は海老名渉。高校入学後にできた初めての友人だ。坊主に日焼けした肌が特徴的で、典型的な野球部、という見た目をしている。体格の良さと見た目で怖そうと敬遠されがちだが、全くそんなことはなく、むしろ人付き合いに関しては硬派で慎重である。
その真面目で実直な性格もさることながら、おれには彼に全幅の信頼を寄せる理由がある。彼には中学生から付き合っている彼女がおり、その写真でお互いの小指に赤い糸が結ばれていた時、おれは心の中で涙を流しながらガッツポーズをした。
どれだけ話が巧みで面白い人でも、スポーツが得意だとしても、勉強ができるとしても、恋人に誠実であるとは限らない。だから渉が恋人と良好な関係を築けていると知った時、心の底から祝福したのだった。渉には是非結婚式に呼んでもらいたい。結婚式のスピーチも任されよう。
「で、その八重橋が何?」
「特に話題があるわけじゃないんだけど。今日初めて話したから、どんな人なのかと思ってさ」
「どんな人も何も、噂の通りだよ。どこに行くにもカメラを持ってる変なやつ。盗撮してるわけじゃねーから問題にはなってねーが……いや、盗撮じゃなきゃ良いわけでもねーけどよ」
渉は大きな銀色の弁当箱を2つ机に広げる。ひとつはおかずで、もう1つの弁当箱には白米がぎゅうぎゅうに押し込められていた。こんなに蓄えた栄養が脂肪にならず筋肉になっているかと思うと人類の仕組みは神秘的である。おれは普通に食べたら太るので、栄養バランスを考えて作っていた。
「それよりお前、まーた告白されたんだって?」
白米を掬っていた手が一瞬止まり、そのまま口に運ぶ。おれがひとくち食べている間に渉は唐揚げを3つも平らげていた。
「そうだね。お断りしたよ」
「だろーな。もう驚きもしなくなったわ。入学してから先輩を凌いで“学年一のモテ男”だもんな。驚きを通り越して最早自慢だね」
「どうして?」
「そりゃあお前、お前が顔だけのナルシスト野郎だったら友達になんかなってねーからだよ。顔よし、性格よし、振る舞いよしときたら僻む隙もあったもんじゃねー」
そう言って、渉は弁当箱のフタをおれに向ける。所々へこんだり傷ついたりしているが、その蓋はぼんやりとおれの姿を映していた。
父親譲りの茶髪を無造作に流し、寝癖は適当にワックスで整えている。朝洗面台にいる時間なんて5分にも満たないだろう。蓋が歪んでいるせいなのか、なんだか間抜けな顔に見えた。
「褒め言葉として受け取っておくよ。ありがとう」
「逆に褒め言葉じゃなきゃなんだってんだ。お前って性格はいいのに、妙なところで卑屈だよな」
「そう言われても、別に普通に過ごしてるだけだよ。人に優しくするのは当然だし。顔は……よく分からないけどさ」
「オレはオリちゃんの好きなアイドルをちゃーんと把握してるからな。そこら辺のイケメンと芸能人の区別ぐらいつく。お前は確実に芸能人顔。オレがお前の家族なら事務所に推薦してるだろうな」
「それは流石に持ち上げすぎ。おれ、別に運動とか得意じゃないよ?」
「それもギャップになるからな、イケメンってのは」
渉は唐揚げをおかずに残りの白米をかっこむ。まだ昼休みが始まってから10分も経っていないのだが、食べるのが速すぎやしないだろうか。
ちなみに「オリちゃん」というのは渉の彼女のニックネームである。
渉の弁当箱の蓋を持ち、もう片方の手で頬を触る。一般的な美醜の判断くらいはつくけれど、それを自分に当てはめるのは難しい。
くっきりとした二重と彫りの深さ、通った鼻筋。顔のパーツは本当に母親に似ている。自分の顔に対して思うのはそれくらいだ。
「淀川誠士郎。話がある」
突然、教室と廊下を隔てる窓が空く。
食事による血糖値の上昇と早起きのせいで眠気が襲ってきていたが、急に入り込んできた9月の薄ら寒い空気が無理矢理おれを覚醒させる。教室でいちばん廊下側の席に座っていたおれと渉は覗いてきた奴の顔をしかと見ることになった。
「あー……八重橋君。どうしたの?」
「校舎裏の花。あれはお前が管理してる?」
「うん。おれというか、美化委員の仕事だけどね」
「花が踏まれている」
それだけを言うと、八重橋は窓をピシャリと締めて立ち去って行った。おれと渉は箸を持ったまま呆然としてしまう。教室は相変わらずクラスメイトの声で埋め尽くされていた。
「噂をすればだな。行くのか?」
「ん。まだ時間あるし、行ってくるよ」
おれはお昼ご飯もそこそこに廊下に出たが、既に八重橋の姿は見えなくなっていた。
もしかして、朝の腹いせで花に八つ当たりをされたのだろうか。だとしたらとんだ筋違いだが、無いとも言い切れない。おれは早足で校舎裏に向かい、花壇を確認すると──2株ほどの葉牡丹に足跡が着いていた。
花壇をよく見れば足跡が着いているのはそこだけで、恨みを晴らすように踏み荒らされたわけではなさそうだ。それに思い出せば、ここは朝揉め事があった場所である。バタバタしているうちに誰かが誤って踏んでいたのかもしれない。おれも慌てて教室に戻ってしまったし──
「花は息災か?」
「うわーっ!!」
突然、目の前に逆さになった人が現れる。それは花壇のすぐそばにある木の枝にぶらさがった八重橋だった。
「なんだ……八重橋君か。もう少しびっくりさせない登場の仕方とかないの?」
「いつも普通の視点ではつまらない。これでもマンネリしている方」
だとしても驚かせる必要は無いと思うが、という言葉が口をついて出るところだったが、恐らくは右から左に聞き流されてしまうだろう。
八重橋は足だけで枝にぶら下がりながら、それでもカメラだけはしっかりと抱えていた。その左手の小指には赤い糸が絡まっていて、間違いなくおれの小指へと繋がっている。
見慣れているものだ。いつも誰かの小指に巻きついていて、最早風景と変わらないくらい、おれにとっては当たり前のもの。でも、それは10年あまりおれにだけはなかった。だからだろうか。あまりにも実感が湧かない。
渉が彼女と結ばれていると知った時は自分のことのように嬉しかったのに、いざ自分のこととなると、この糸の存在そのものを疑いたくなる。見間違いかもしれないなんて、何百回、何千回思ったのか分からない。それでもそこに在るのならば、赤い糸は存在している。この結論も一体何度出したというのだろう。
ぶら下がってカメラの液晶を確認している八重橋を見上げた。ひっくり返ったせいで髪に隠れていた顔面が余すところなくお出しされている。絶妙なバランスで整えられた顔は、たとえ逆さまになっていても様になっていた。この奇行さえなければ女子が放っておかなかったことだろう。
「八重橋君、おれと付き合わない?」
赤い糸で結ばれた人は運命の相手である。それはたとえ、好き同士でなくとも関係ない。
性別なんてどうでもいい。無駄な恋愛に振り回されるくらいならそれくらいは些事である。人生は有限なのだから、彼だってパートナーが早く決まるに越したことは無い。
「付き合わない」
「これからよろし──え? 付き合わない?」
「付き合わない」
「あれぇ……えっと、理由を聞いてもいいかな?」
「理由というのなら、そちらが先に提示すべきでは?」
「それは確かに……」
ぶらぶらと身体を揺らしながら八重橋は純粋な疑問を並べる。意地悪をしているのではなく本当に分からない、と逆さのまま首をかしげていた。
おかしいな。おれに告白してくる人は大体この決まり文句なのだけど、それでは足りないらしい。付き合って下さい、だけで話が終わると思っていたおれは言葉が詰まってしまった。
理由と聞いて思いつくのは「淀川君が好きだから」というワンパターンの台詞だった。むしろそれ以外の理由を出された記憶がない。好きでなければ付き合いたいと思うこともないのだから、自然と言えば自然な理由だった。
別に八重橋のことが好きなわけではないからこれは理由にはならない。付き合いたいから付き合いたいおれは、情熱的な告白とは最も真逆に位置していた。理由と目的が逆どころか、目的そのものが理由なのである。
かといって他に説得力のある理由といえば、おれにしか見えない"赤い糸”だけど……いや、これこそ理由になんてなりはしない。口にしたら最後、学校一の変人というレッテルが八重橋からおれに移るだけだ。
適当に嘘をついてそれらしい理由にしようか。
しかし、じいと見つめる不動の瞳を前に不格好な嘘を並べるのは──ひどく恥ずかしかった。
「普通の視点じゃつまらないって言ってたでしょ。おれも同じ」
好きですと言って、自分も好きだからお付き合いをする。好きじゃなくなればお別れをする。恋愛とは至極シンプルで分かりやすい。でもおれは、その前提が邪魔でしょうがない。誰にも証明できない感情に縛られることのなんと不自由なことか。
「なるほど」
聞きようによれば最低で最悪な理由だけれど、八重橋は意外にも納得したようにカメラを構える。
「なら、その代わりにぼくの被写体になってもらうことにする」
そうして、おれ達の歪なお付き合いがシャッター音と共に始まった。
予測不可能な未来でも、これが正しい恋愛なのだと、信じて。
「八重橋? ああ、変人って呼ばれてる……そういえば今日も何かやらかしたって言ってたな。土を食おうとしてたとか、なんとか……」
「それは流石に誇張しすぎかな。土を顔につけてはいたけど」
「なんだ一緒にいたのか。知り合い?」
「いやぁ、全然。初めて話したよ。なんて言うか……独特な人だよね。自分の世界があるっていうか」
「何考えてるのか分かんねーし、話も通じねーんだよな。オレ、友達がいるからよく3組に行くんだけどよ、たまに鉢合わせるとよく分からんこと言いながら写真撮られるんだよ。ホラーかと思うぜ」
彼の名前は海老名渉。高校入学後にできた初めての友人だ。坊主に日焼けした肌が特徴的で、典型的な野球部、という見た目をしている。体格の良さと見た目で怖そうと敬遠されがちだが、全くそんなことはなく、むしろ人付き合いに関しては硬派で慎重である。
その真面目で実直な性格もさることながら、おれには彼に全幅の信頼を寄せる理由がある。彼には中学生から付き合っている彼女がおり、その写真でお互いの小指に赤い糸が結ばれていた時、おれは心の中で涙を流しながらガッツポーズをした。
どれだけ話が巧みで面白い人でも、スポーツが得意だとしても、勉強ができるとしても、恋人に誠実であるとは限らない。だから渉が恋人と良好な関係を築けていると知った時、心の底から祝福したのだった。渉には是非結婚式に呼んでもらいたい。結婚式のスピーチも任されよう。
「で、その八重橋が何?」
「特に話題があるわけじゃないんだけど。今日初めて話したから、どんな人なのかと思ってさ」
「どんな人も何も、噂の通りだよ。どこに行くにもカメラを持ってる変なやつ。盗撮してるわけじゃねーから問題にはなってねーが……いや、盗撮じゃなきゃ良いわけでもねーけどよ」
渉は大きな銀色の弁当箱を2つ机に広げる。ひとつはおかずで、もう1つの弁当箱には白米がぎゅうぎゅうに押し込められていた。こんなに蓄えた栄養が脂肪にならず筋肉になっているかと思うと人類の仕組みは神秘的である。おれは普通に食べたら太るので、栄養バランスを考えて作っていた。
「それよりお前、まーた告白されたんだって?」
白米を掬っていた手が一瞬止まり、そのまま口に運ぶ。おれがひとくち食べている間に渉は唐揚げを3つも平らげていた。
「そうだね。お断りしたよ」
「だろーな。もう驚きもしなくなったわ。入学してから先輩を凌いで“学年一のモテ男”だもんな。驚きを通り越して最早自慢だね」
「どうして?」
「そりゃあお前、お前が顔だけのナルシスト野郎だったら友達になんかなってねーからだよ。顔よし、性格よし、振る舞いよしときたら僻む隙もあったもんじゃねー」
そう言って、渉は弁当箱のフタをおれに向ける。所々へこんだり傷ついたりしているが、その蓋はぼんやりとおれの姿を映していた。
父親譲りの茶髪を無造作に流し、寝癖は適当にワックスで整えている。朝洗面台にいる時間なんて5分にも満たないだろう。蓋が歪んでいるせいなのか、なんだか間抜けな顔に見えた。
「褒め言葉として受け取っておくよ。ありがとう」
「逆に褒め言葉じゃなきゃなんだってんだ。お前って性格はいいのに、妙なところで卑屈だよな」
「そう言われても、別に普通に過ごしてるだけだよ。人に優しくするのは当然だし。顔は……よく分からないけどさ」
「オレはオリちゃんの好きなアイドルをちゃーんと把握してるからな。そこら辺のイケメンと芸能人の区別ぐらいつく。お前は確実に芸能人顔。オレがお前の家族なら事務所に推薦してるだろうな」
「それは流石に持ち上げすぎ。おれ、別に運動とか得意じゃないよ?」
「それもギャップになるからな、イケメンってのは」
渉は唐揚げをおかずに残りの白米をかっこむ。まだ昼休みが始まってから10分も経っていないのだが、食べるのが速すぎやしないだろうか。
ちなみに「オリちゃん」というのは渉の彼女のニックネームである。
渉の弁当箱の蓋を持ち、もう片方の手で頬を触る。一般的な美醜の判断くらいはつくけれど、それを自分に当てはめるのは難しい。
くっきりとした二重と彫りの深さ、通った鼻筋。顔のパーツは本当に母親に似ている。自分の顔に対して思うのはそれくらいだ。
「淀川誠士郎。話がある」
突然、教室と廊下を隔てる窓が空く。
食事による血糖値の上昇と早起きのせいで眠気が襲ってきていたが、急に入り込んできた9月の薄ら寒い空気が無理矢理おれを覚醒させる。教室でいちばん廊下側の席に座っていたおれと渉は覗いてきた奴の顔をしかと見ることになった。
「あー……八重橋君。どうしたの?」
「校舎裏の花。あれはお前が管理してる?」
「うん。おれというか、美化委員の仕事だけどね」
「花が踏まれている」
それだけを言うと、八重橋は窓をピシャリと締めて立ち去って行った。おれと渉は箸を持ったまま呆然としてしまう。教室は相変わらずクラスメイトの声で埋め尽くされていた。
「噂をすればだな。行くのか?」
「ん。まだ時間あるし、行ってくるよ」
おれはお昼ご飯もそこそこに廊下に出たが、既に八重橋の姿は見えなくなっていた。
もしかして、朝の腹いせで花に八つ当たりをされたのだろうか。だとしたらとんだ筋違いだが、無いとも言い切れない。おれは早足で校舎裏に向かい、花壇を確認すると──2株ほどの葉牡丹に足跡が着いていた。
花壇をよく見れば足跡が着いているのはそこだけで、恨みを晴らすように踏み荒らされたわけではなさそうだ。それに思い出せば、ここは朝揉め事があった場所である。バタバタしているうちに誰かが誤って踏んでいたのかもしれない。おれも慌てて教室に戻ってしまったし──
「花は息災か?」
「うわーっ!!」
突然、目の前に逆さになった人が現れる。それは花壇のすぐそばにある木の枝にぶらさがった八重橋だった。
「なんだ……八重橋君か。もう少しびっくりさせない登場の仕方とかないの?」
「いつも普通の視点ではつまらない。これでもマンネリしている方」
だとしても驚かせる必要は無いと思うが、という言葉が口をついて出るところだったが、恐らくは右から左に聞き流されてしまうだろう。
八重橋は足だけで枝にぶら下がりながら、それでもカメラだけはしっかりと抱えていた。その左手の小指には赤い糸が絡まっていて、間違いなくおれの小指へと繋がっている。
見慣れているものだ。いつも誰かの小指に巻きついていて、最早風景と変わらないくらい、おれにとっては当たり前のもの。でも、それは10年あまりおれにだけはなかった。だからだろうか。あまりにも実感が湧かない。
渉が彼女と結ばれていると知った時は自分のことのように嬉しかったのに、いざ自分のこととなると、この糸の存在そのものを疑いたくなる。見間違いかもしれないなんて、何百回、何千回思ったのか分からない。それでもそこに在るのならば、赤い糸は存在している。この結論も一体何度出したというのだろう。
ぶら下がってカメラの液晶を確認している八重橋を見上げた。ひっくり返ったせいで髪に隠れていた顔面が余すところなくお出しされている。絶妙なバランスで整えられた顔は、たとえ逆さまになっていても様になっていた。この奇行さえなければ女子が放っておかなかったことだろう。
「八重橋君、おれと付き合わない?」
赤い糸で結ばれた人は運命の相手である。それはたとえ、好き同士でなくとも関係ない。
性別なんてどうでもいい。無駄な恋愛に振り回されるくらいならそれくらいは些事である。人生は有限なのだから、彼だってパートナーが早く決まるに越したことは無い。
「付き合わない」
「これからよろし──え? 付き合わない?」
「付き合わない」
「あれぇ……えっと、理由を聞いてもいいかな?」
「理由というのなら、そちらが先に提示すべきでは?」
「それは確かに……」
ぶらぶらと身体を揺らしながら八重橋は純粋な疑問を並べる。意地悪をしているのではなく本当に分からない、と逆さのまま首をかしげていた。
おかしいな。おれに告白してくる人は大体この決まり文句なのだけど、それでは足りないらしい。付き合って下さい、だけで話が終わると思っていたおれは言葉が詰まってしまった。
理由と聞いて思いつくのは「淀川君が好きだから」というワンパターンの台詞だった。むしろそれ以外の理由を出された記憶がない。好きでなければ付き合いたいと思うこともないのだから、自然と言えば自然な理由だった。
別に八重橋のことが好きなわけではないからこれは理由にはならない。付き合いたいから付き合いたいおれは、情熱的な告白とは最も真逆に位置していた。理由と目的が逆どころか、目的そのものが理由なのである。
かといって他に説得力のある理由といえば、おれにしか見えない"赤い糸”だけど……いや、これこそ理由になんてなりはしない。口にしたら最後、学校一の変人というレッテルが八重橋からおれに移るだけだ。
適当に嘘をついてそれらしい理由にしようか。
しかし、じいと見つめる不動の瞳を前に不格好な嘘を並べるのは──ひどく恥ずかしかった。
「普通の視点じゃつまらないって言ってたでしょ。おれも同じ」
好きですと言って、自分も好きだからお付き合いをする。好きじゃなくなればお別れをする。恋愛とは至極シンプルで分かりやすい。でもおれは、その前提が邪魔でしょうがない。誰にも証明できない感情に縛られることのなんと不自由なことか。
「なるほど」
聞きようによれば最低で最悪な理由だけれど、八重橋は意外にも納得したようにカメラを構える。
「なら、その代わりにぼくの被写体になってもらうことにする」
そうして、おれ達の歪なお付き合いがシャッター音と共に始まった。
予測不可能な未来でも、これが正しい恋愛なのだと、信じて。
