運命の相手はお前かよ!?

 "運命の赤い糸"という伝承を信じているだろうか。

 元は中国から伝わったものが変化したもので、いつか結ばれる恋人同士は、お互いの小指が見えない赤い糸で結ばれている──なんていう、女性なら一度なら夢見たことがあるだろう、大層ロマンチックな伝承である。
 見えないのに繋がっているのが分かるなんて非現実的だけれど、伝承や伝説というものは往々にしてそういうものだ。存在しないから、証明できないからこそ信じられるという気持ちも分からなくはない。

 ただ、おれだけはそれに異を唱えることができる。

 何故なら──おれにはその運命の赤い糸を見ることができるからだ。

 ああ、待ってほしい。決してファンタジーに脳を支配されたからでも、中学2年生特有の全能感に浸っているわけでもない。おれだってできればこんなこと、脳内であっても言葉にしたくはない。もう高校生になって半年は過ぎたのだから、なおさらだ。

「男のくせに花の世話なんて気持ち悪ぃ。さすが学年一のモテ男はやることが違うな?」

 校舎裏、決して広いとはいえない花壇の前。登校時間より随分と早い閑散とした時間帯に、おれはホースで花に水やりをしていた。中心から外側にかけて層になるように広がった葉牡丹の葉から水が滴っている。

「おはよう。えーと……おれ達、初めて話すよね? おれは淀川誠士郎。君は──」
「知ってるよ。知ってるから話に来たんだろうが。馬鹿にしやがって、こんなスカした野郎に取られたと思うと気分悪ぃ。どいつもこいつも、こんな男のどこがいいんだ?」

 水道を捻って改めて振り返ると、恰幅の良い男子生徒とその半歩後ろに身を縮こませた女子生徒がいる。女子生徒はクラスメイトだが、男子生徒の方には前述の通り見覚えが無かった。
 男子生徒は明らかにイライラした様子で語気を強めていく。空気を和ませようと自己紹介を挟んでみたのだけど、どうも火に油を注いだようで男子生徒は紹介に応じてくれなかった。

「お前がオレの女を誑かしたのは知ってんだよ。彼氏持ちの女とコソコソ連絡を取りやがって……! お前のせいで別れたいとか言い出してんだぞ! どう責任とるつもりだ! あ!?」
「もういい加減にしてよ! 私が淀川君のことを好きになったのは、私の勝手なんだから……! それに相談してたのだって、あんたがそうやって誰にでも突っかかって喧嘩腰なのが嫌だったから」
「な、じゃあ、別れる前提で浮気してたってことかよ!?」

 男子生徒は今にも掴み掛かってきそうな剣幕でひどく興奮していて、まともな話し合いができる状態ではない。女子生徒は気休め程度に男子生徒の袖を掴んでいるが、それでは制止にはならないだろう。抜いてしまったが最後、怒りの矛先は相手を突き刺すまで収まらないのだ。

「落ち着いて。おれは彼女とはただのクラスメイトで、彼女の言う通り君達の相談に乗っていただけだよ。それだけだ」
「だから、それじゃあおかしいだろうが! お前がオレのあることないこと言って……こいつを言いくるめたんじゃねぇのか!? そうじゃなきゃオレと別れるなんて、お前のことが好きだなんて言うわけねぇだろ!」

 男子生徒がヒートアップしながら詰め寄ってくる。女子生徒はおどおどしながら自分の彼氏を見て、おれに視線を合わせ……顔を赤くして俯いた。気まずそうに組まれた手のひときわ細い指からは赤く細い糸が伸びていた。
 そして、それは──隣にいる男子生徒とは繋がっていなかった。即ち彼らは運命の相手ではないということ。おれはそれを確認して、彼らの関係性の歪み方に得心がいったのだった。

 いつ見ても非現実的だと思うし、たかが毛糸のような糸だけで運命の相手だ、なんてどうかしている。おとぎ話でも信じている方がまだ可愛げがあるかもしれない。

 それでも、おれは自分の目に映る不可視の糸の存在を信じざるを得ない。おれが夢見がちなわけではなく、これは経験に基づいているのだが──


「相談に乗ってもらってるうちに好きになったの。淀川君は優しくて気が利いて、そんな風に怒鳴ったりしない。ちゃんと私を尊重してくれる。それに比べてあんたは、大声を出したりして言うことを聞かせるだけじゃない! それでよく好きでいてもらえると思うよね!」
「……このっ……!」

 男子生徒は怒りに顔を震わせて大きな拳を握りしめた。流石に女性に手を挙げるのは気が引けたのか、石のように固い拳はおれを目掛けて振りかざす。

 あ、まずい。

 そう思った時には既に遅かった。口が切れる痛みを想像して身体が強張り──パシャリ、と音がした。


「良いシチュエーションだ。そのまま止まって。何枚か撮りたい」


 下から声がする。

 おれ達の足元には、なぜか仰向けに寝そべってカメラを構えている生徒がいた。

「きゃ、誰!?」
「うわっ!?」

 驚いた男子生徒はその場でたたらを踏む。花壇に足をひっかけて転びかけ、おれはそれを上手に受け止めた。身体を捻った状態で受け止めたから、左手で腰を、右手で手を支え、まるで映画のダンスシーンのようなポーズで停止してしまった。

「大丈夫? 足捻ったりしてない?」
「は、はぁ!? ねぇよ!」
「良いポーズだ、では失礼。そのまま5分ほどキープして」
「お前は何なんだよ! やめろ撮るな!」

 パシャシャシャシャ、というカメラの連射の音で男子生徒は我に返り、おれをぐいと押しのけて距離を取る。怒りで顔が赤くなっていたが、今の頬の赤らみはそれとは違うような気がした。

「ぼくは1年3組八重橋大和。出席番号は29番。好きな食べ物は冷たいアイス」
「八重橋……ああ、"変人”の……噂通りのおかしな奴だな」

 制服に土やら草やらが満遍なく付着しているが、八重橋は全く意に介さず寝そべりながらカメラの液晶モニターを覗き込んでいた。線の細い髪は色素が薄いのか、太陽の光で淡い茶色に見える。前髪も襟足も校則からはかなり逸脱しているようだが、彼の端正な顔立ちにはむしろしっくりくる長さであった。

 "学校一の変人”──八重橋大和。おれも名前くらいは聞いたことがあった。

 なんでも無断欠席遅刻早退は当たり前で、授業を抜け出しては校庭の木に登ったり、職員室に無断で入っては大目玉を食らっていたり、荷物も持たずに早退してそのまま帰ってこなかったり……など、本当か嘘かは分からないが、とにかく噂に事欠かない人物である。
 不良というには行動原理が全く読めないので、"変人”というレッテルを貼られてしまったのだろう。

「惜しい。さっきのは良い題材だと思ったんだけど。痴情のもつれによる三角関係なんて滅多に撮れない。再現はぼくの流儀に反するけど、もう一度見たいくらいだ」
「ペラペラとうるせぇな、用事が終わったらさっさとどっか行け」
「用というなら一生終わらない」

 ファインダーを覗き、八重橋はカメラ越しにおれ達を見た。

「お前達がここで騒動を起こし続けるなら、こんなに撮り甲斐があることもない」
「……キモ。もういいわ。淀川、二度とこの女にちょっかい出すんじゃねぇぞ」

 おれの返事を聞く前に、男子生徒は大きな足音を立てて去って行った。女子生徒はため息をついてそれを見送る。

「別れるって言ってるのに、いつまで彼氏面してるのあいつ……。ごめんね、淀川君。変なことに巻き込んで」

 女子生徒は前髪を頻繁に触り、上目づかいでおれを見上げた。言いづらそうに口を尖らせる仕草も、所在なさげにもじもじとさせる手も、潤んだ瞳も、その動作は何度も見たことがあるものだった。おれは思わず身構える。

「それで……こんな時に言うのもなんだけど、もしよかったら私と付き合ってくれたりする? ほら、付き合わないとあいつずっと私の彼氏面するかもしれないから怖くて……淀川君が守ってくれたら嬉しいんだけど」

 そして、おれは決まってこう返す。

「ありがとう、嬉しいよ。でもごめんね」

 一体何度この言葉で人の気持ちを退けてきたのだろう。初めから数える気もなかったけど、これがあの男子生徒のような人の勘に触るのならば、その数を覚えていないのは罰当たりなのかもしれない。
 だがショックを受けて目を見開き口を手で覆う仕草は、おれの目には最早テンプレートのように色褪せて映る。入学して半年、碌に関わりもしてこなかった癖に、表面だけを見て好意をぶつけることは暴力と何が違うのだろう。

「失恋か。それもまた一興」
「……! 撮らないでよ、最低っ!」

 未だに寝転がってシャッターを切る八重橋に女子生徒は涙目になりながら地面を蹴る。八重橋は跳ねた土からカメラを守ったが、それ以外、特に顔全体は守れずに土を浴びていた。女子生徒は肩を怒らせながら校舎に帰って行ってしまった。

「……あー、大丈夫……じゃないね、全然」
「カメラなら無事」
「あ、そう?」

 目鼻の整った顔は無残にも土や草で汚れている。だが八重橋はそれを拭おうともせず、首にかけているカメラばかりを気にしていた。いくら見目が麗しくともこの行動では変人と呼ばれても致し方がない。

「でも、人の告白をあんな風に言っちゃだめだよ。真剣なんだからさ」

 顔を上げた八重橋と初めて目が合う。浴びた土がぼたりと落ちた。

「お前にはあれが真剣に見えたのか」
「え?」
「ぼくには脅しに見えた」

 そんなことないよ、どれも嬉しい。

 と言おうとしたのだけれど、乾いた舌がへばりついてうまく言葉にならない。ただこちらを見ているだけなのに何もかもを見透かされている気分だった。

 図星だった。

 悪意が暴力なら、好意だって暴力だ。
 自分勝手に期待してはそれを押し付けて、望み通りの反応が返ってくることを期待している。それを"告白”なんて綺麗な言葉に隠している。好意など、実のところ欲望という醜悪な感情でしかないのに。

 そうかな、とおれは眉を下げて困った顔をした。こういう時は曖昧に濁しておくに限る。

 ──だが、あり得ないものが目に飛び込み、おれは思わず八重橋の左腕を思いきり掴んでしまった。


「何」
「……あっ、いや、これ──」

 何、と言われても説明することはできなかった。何故なら"それ”はおれ以外には見えないものだからだ。

 嘘だろ。
 今まで、ずっと“おれだけ”にはなかったのに。


 左手の小指。
 そこには見間違いようがなく、赤い糸が巻き付かれていた。

 そして、それは──おれの小指に続いていたのだった。