文化祭二日日、優勝を祝してクラスのみんなで打ち上げをすることになった。
ジュースは差し入れすると担任が言ってたから用意していなかったのだけど、いざ受け取ったダンボールを開いてみると見事にラインナップが偏ってしまっている。
まぁ、あの人らしいといえばそうか。
思わず私と柳くんは顔を見合せて苦笑いした。
「あー、自転車を出せばスーパーまで五分だし、オレンジジュースとか買ってくる」
「え、でも麦茶にカフェオレ、炭酸飲料まであるし量としては足りるとは思うよ」
今にも走り出しそうな様子に慌てて引き止めて私が言うと、彼は困ったような表情になる。
「いやでもさ、カフェイン系の飲み物も炭酸飲料も苦手な子だっているだろ」
瞬時に悟った。あぁ、そうだ。あゆちゃんはカフェイン系の飲み物も炭酸飲料も飲めない。
あゆちゃん、オレンジジュース好きだもんね。
好きな子のことは、よく見てるものだ。
「……そっか。たしかにそうだね」
あの子だって麦茶は飲めると思うけど。
分かってる。そんな事実は恋を前にすればただの野暮だってことくらい。
「荷物多いから手伝えってクラスラインに送っといたから男子がすぐ来ると思う!」
「ありがとう。ごめんね、じゃあお願いする!」
爽やかに駆けていくその後ろ姿が見えなくなるまで私は彼を見送った。
知らず知らずのうちに、それでもたしかに積み上がっていた期待が脆く崩れ去っていく。
思わせぶりの方が、まだましだった。
彼は本当に、彼女のことしか見えていない。
彼にとっての女の子はあゆちゃんだけ。あゆちゃんと、それ以外。だから私からの好意にも気が付かない。
「……全然まだ、好きなんじゃん」
忘れたいって言ってたのに。
嘘つき。
「こはちゃーん!!監督業お疲れ様ー!」
「隼人もありがとー!」
机を寄せた上に頼んだピザやお菓子を広げて騒々しい打ち上げが始まった。
いつの間に買ってきたのかうち鳴らされたクラッカーといい、いつも以上の賑やかさだった。
楽しかった二日間が終わってしまうことが、皆寂しくて堪らないのだ。
教室の隅では、柳くんが男子のダル絡みと騒ぎに巻き込まれている。
クラスの子達とひと通り写真も撮れたところであゆちゃんの姿を探すと、既にマイペースな彼女は紙皿にピザやらお菓子やらを盛っているところだった。
「あゆちゃんーオレンジジュース回ってきたよ」
紙コップと一緒に渡すと彼女が首を傾げた。
「ありがとう。でも大丈夫。カフェオレ飲むから」
予想だにしなかった言葉だった。
「……あゆちゃん、こういう時いつもオレンジジュース選ぶのに珍しいね」
「たしかに!いつもはそうかも。私ね最近カフェイン系の飲み物克服したんだけど、そしたらなんか急に興味出てきたんだよね。だから今は色んなメーカーのやつ飲んでるところ!」
そう言いながら紙コップにカフェオレを注ぐ彼女を私は黙って見つめる他なかった。
賑やかな教室のざわめきが遠のく。
あゆちゃんは悪くない。悪くない。でも、責めたくなってしまう私だって、悪くないでしょ。言うならばやっぱり、この世界の運命を双方向にしなかった神様が全部悪い。
あゆちゃん、あゆちゃん、あのね。
貴方が選ばなかったそのオレンジジュース、
それは貴方の為のものであり
そして私が心の底から欲しかったものなんだよ。
ラベルに描かれたオレンジの上を結露が通り過ぎる。
「こはるは何飲むー?」
「……オレンジジュース、飲もうかな」
喉を潤してくれるはずの揺らめく橙色の液体が今は焼けるように痛い。その中には私が欲しくて欲しくてたまらないものが、たしかに込められているはずなのに、その成分の一滴だって私の栄養にはならない。
噛み合わないこの世界でやっぱり彼が振り返ってくれないことへの、絶望。
私が渇望しているものを他人が選ばないことの残酷さ。
だけどきっと、それは私も同じ。
「矢田さんが、俺のことを好きじゃないことは分かってる。でも、諦めきれない」
昨日されたあの人の告白が頭をよぎる。
私が彼からの好意を欲しくて堪らないように
私に好きだと言ってくれたあの人の好きを、心から渇望している誰かがこの校舎の中にいるのかもしれない。
じゃあ、どうすればいい。私は、どうしたらいい。
無性に走り出してしまいたかった。赤いスカーフも硬いローファーも全部、ぜんぶ放り投げて走り出す。何もない道で躓いたら仰向けに転がって、届きもしない空に向かって手を伸ばそうとするの。そうしてそのまま私は二度と立ち上がりたくない。
刹那的に生きたかった。
昨日も明日もなくて、今この瞬間しか存在しないような、そんな世界を生きたかった。
そうすれば私はきっとあの机の向こうにいる彼の胸に飛び込んで今この想いをありったけの叫びで訴えてやる。
ねぇ、私を見てよ。
返事はいらない。ただ、私の叫びを、聞いて。
けれど私は未来を考え、そして過去を見て生きている。
だから、そんなことは出来ない。
打ち上げも終わると辺りはすっかり夜だった。
校舎を出ると、肌寒い空気に少し顔を顰める。隣を歩いているあゆちゃんも寒そうに身体を震わせていた。そんな彼女に私が身を寄せるとくすくすと笑い声をあげる。
不思議と張り詰めていた心が解けるような声だった。
そういえば、柳くんはあゆちゃんといっしょにツーショットくらいは撮ったのだろうか。
お化け屋敷が嫌いなあゆちゃんはたしか途中一時間だけ別行動をしていたはず。
「なぁに、どうしたのこはる」
無防備な彼女。不思議なことに、なぜか私はこれまでどれほど柳くんへの片思いがしんどかったとしてもその苦しみがあゆちゃんへの嫉妬心へと変わったことがない。
たぶん、無意識のうちに私も魅せられているんだろう、彼女という底知れない引力に。
だからかな。
柳くんのことについて、それとなく尋ねようとあゆちゃんのの横顔を伺っていたはずなのに、ぽろりと零れ落ちたのはまるで違う言葉だった。
「昨日ね、告白された」
彼女の黒目がちな瞳がくるりと瞬く。
あゆちゃん、私、どうしよう。
好きな人がいるのに、今私、揺らいでる。
片思いのしんどさを知っているから、簡単に好意を跳ね除けられない。どれ程の勇気を込めて、告白してくれたのかなって思ったら余計にそうで。でもそれって、結局相手のことを考えているようでただ自分の身勝手な優しさを押し付けているだけな気がする。
「もし、私がこの心のままでその人と付き合ってしまったら、それは裏切りになるのかな」
「そうかなぁ。……もしそうなら、私も河合くんとこのまま付き合ったら、裏切りってことになるんだろうけどそれは違うと私は思う」
好きってそんなオセロみたいに黒と白ではっきり分かれてるわけじゃないでしょ。もっと曖昧で、グラデーションでさ、一緒に過ごすうちに気がつけば一色になってしまっているような、そういうものなんじゃないかな。
「いいんじゃない、付き合ってみれば」
私はそれが悪い事だとは、思わない。
「だってそうやって、忘れていくんだと思う」
そうやって忘れても、いいんだよ。
緩やかな肯定がすとんと胸におさまる。
「……そっかぁ。なんか良いね、そういうの」
そのしなやかなさが。形は変えても折れはしないような彼女の生き方が。地に足が付いていないと思っていた彼女の価値観が今は違うものに見える。
余計な力が入っていなくて
きっと彼女の好きは、柔らかいのだ。
ずっと、一途であることが正しさだと思っていた。
でも、違うのかもしれない。勿論、素敵なことであることには変わりないけれど、一途であることが人を幸せにするとは、限らないのだ。
私の好きは、余裕がなくて固くてとげとげしくて、石ころのようなそれがいつも私の心を削っていた。
だから、あゆちゃんの言っていることは間違ってない。その方が、たぶん幸せになれる。
幸せに、幸せに。
はらりとしたものが降ってくる。
「ありがとう。あゆちゃん」
「?なんかわからないけどよかった」
はらり。はらり。
あぁ、でも。
小さな腕でそれでも大事に抱えていた入れ物の中、そこから何かが零れ落ちた。大事なものだったかもしれない。いずれにしたって燃え尽きてしまえばただの塵に等しい。
私は「それ」を、選べない。
入れ物の容量は決まっている。
私のそこは彼でいっぱいで他のものは何ひとつ入りそうになかった。
きっと私はこの地獄しか、選べない。
一途は、執着と紙一重でそれは狂気とよく似ている。
そうか。私と彼は、愛し方が似ているのだ。
似ているから、交わらない。けれど永遠に続くこの平行線にいる限り、少なくとも彼と私の見ている景色はきっと同じだろう。
馬鹿な女。
でも、それでいい。
だって別に幸せになりたいから、彼のことを好きになったわけじゃないもの。
せっかく貰ったオレンジジュースをやっぱり私は飲み干さないで生きていく。
後悔はない。
この生き方こそが、私らしい。
ジュースは差し入れすると担任が言ってたから用意していなかったのだけど、いざ受け取ったダンボールを開いてみると見事にラインナップが偏ってしまっている。
まぁ、あの人らしいといえばそうか。
思わず私と柳くんは顔を見合せて苦笑いした。
「あー、自転車を出せばスーパーまで五分だし、オレンジジュースとか買ってくる」
「え、でも麦茶にカフェオレ、炭酸飲料まであるし量としては足りるとは思うよ」
今にも走り出しそうな様子に慌てて引き止めて私が言うと、彼は困ったような表情になる。
「いやでもさ、カフェイン系の飲み物も炭酸飲料も苦手な子だっているだろ」
瞬時に悟った。あぁ、そうだ。あゆちゃんはカフェイン系の飲み物も炭酸飲料も飲めない。
あゆちゃん、オレンジジュース好きだもんね。
好きな子のことは、よく見てるものだ。
「……そっか。たしかにそうだね」
あの子だって麦茶は飲めると思うけど。
分かってる。そんな事実は恋を前にすればただの野暮だってことくらい。
「荷物多いから手伝えってクラスラインに送っといたから男子がすぐ来ると思う!」
「ありがとう。ごめんね、じゃあお願いする!」
爽やかに駆けていくその後ろ姿が見えなくなるまで私は彼を見送った。
知らず知らずのうちに、それでもたしかに積み上がっていた期待が脆く崩れ去っていく。
思わせぶりの方が、まだましだった。
彼は本当に、彼女のことしか見えていない。
彼にとっての女の子はあゆちゃんだけ。あゆちゃんと、それ以外。だから私からの好意にも気が付かない。
「……全然まだ、好きなんじゃん」
忘れたいって言ってたのに。
嘘つき。
「こはちゃーん!!監督業お疲れ様ー!」
「隼人もありがとー!」
机を寄せた上に頼んだピザやお菓子を広げて騒々しい打ち上げが始まった。
いつの間に買ってきたのかうち鳴らされたクラッカーといい、いつも以上の賑やかさだった。
楽しかった二日間が終わってしまうことが、皆寂しくて堪らないのだ。
教室の隅では、柳くんが男子のダル絡みと騒ぎに巻き込まれている。
クラスの子達とひと通り写真も撮れたところであゆちゃんの姿を探すと、既にマイペースな彼女は紙皿にピザやらお菓子やらを盛っているところだった。
「あゆちゃんーオレンジジュース回ってきたよ」
紙コップと一緒に渡すと彼女が首を傾げた。
「ありがとう。でも大丈夫。カフェオレ飲むから」
予想だにしなかった言葉だった。
「……あゆちゃん、こういう時いつもオレンジジュース選ぶのに珍しいね」
「たしかに!いつもはそうかも。私ね最近カフェイン系の飲み物克服したんだけど、そしたらなんか急に興味出てきたんだよね。だから今は色んなメーカーのやつ飲んでるところ!」
そう言いながら紙コップにカフェオレを注ぐ彼女を私は黙って見つめる他なかった。
賑やかな教室のざわめきが遠のく。
あゆちゃんは悪くない。悪くない。でも、責めたくなってしまう私だって、悪くないでしょ。言うならばやっぱり、この世界の運命を双方向にしなかった神様が全部悪い。
あゆちゃん、あゆちゃん、あのね。
貴方が選ばなかったそのオレンジジュース、
それは貴方の為のものであり
そして私が心の底から欲しかったものなんだよ。
ラベルに描かれたオレンジの上を結露が通り過ぎる。
「こはるは何飲むー?」
「……オレンジジュース、飲もうかな」
喉を潤してくれるはずの揺らめく橙色の液体が今は焼けるように痛い。その中には私が欲しくて欲しくてたまらないものが、たしかに込められているはずなのに、その成分の一滴だって私の栄養にはならない。
噛み合わないこの世界でやっぱり彼が振り返ってくれないことへの、絶望。
私が渇望しているものを他人が選ばないことの残酷さ。
だけどきっと、それは私も同じ。
「矢田さんが、俺のことを好きじゃないことは分かってる。でも、諦めきれない」
昨日されたあの人の告白が頭をよぎる。
私が彼からの好意を欲しくて堪らないように
私に好きだと言ってくれたあの人の好きを、心から渇望している誰かがこの校舎の中にいるのかもしれない。
じゃあ、どうすればいい。私は、どうしたらいい。
無性に走り出してしまいたかった。赤いスカーフも硬いローファーも全部、ぜんぶ放り投げて走り出す。何もない道で躓いたら仰向けに転がって、届きもしない空に向かって手を伸ばそうとするの。そうしてそのまま私は二度と立ち上がりたくない。
刹那的に生きたかった。
昨日も明日もなくて、今この瞬間しか存在しないような、そんな世界を生きたかった。
そうすれば私はきっとあの机の向こうにいる彼の胸に飛び込んで今この想いをありったけの叫びで訴えてやる。
ねぇ、私を見てよ。
返事はいらない。ただ、私の叫びを、聞いて。
けれど私は未来を考え、そして過去を見て生きている。
だから、そんなことは出来ない。
打ち上げも終わると辺りはすっかり夜だった。
校舎を出ると、肌寒い空気に少し顔を顰める。隣を歩いているあゆちゃんも寒そうに身体を震わせていた。そんな彼女に私が身を寄せるとくすくすと笑い声をあげる。
不思議と張り詰めていた心が解けるような声だった。
そういえば、柳くんはあゆちゃんといっしょにツーショットくらいは撮ったのだろうか。
お化け屋敷が嫌いなあゆちゃんはたしか途中一時間だけ別行動をしていたはず。
「なぁに、どうしたのこはる」
無防備な彼女。不思議なことに、なぜか私はこれまでどれほど柳くんへの片思いがしんどかったとしてもその苦しみがあゆちゃんへの嫉妬心へと変わったことがない。
たぶん、無意識のうちに私も魅せられているんだろう、彼女という底知れない引力に。
だからかな。
柳くんのことについて、それとなく尋ねようとあゆちゃんのの横顔を伺っていたはずなのに、ぽろりと零れ落ちたのはまるで違う言葉だった。
「昨日ね、告白された」
彼女の黒目がちな瞳がくるりと瞬く。
あゆちゃん、私、どうしよう。
好きな人がいるのに、今私、揺らいでる。
片思いのしんどさを知っているから、簡単に好意を跳ね除けられない。どれ程の勇気を込めて、告白してくれたのかなって思ったら余計にそうで。でもそれって、結局相手のことを考えているようでただ自分の身勝手な優しさを押し付けているだけな気がする。
「もし、私がこの心のままでその人と付き合ってしまったら、それは裏切りになるのかな」
「そうかなぁ。……もしそうなら、私も河合くんとこのまま付き合ったら、裏切りってことになるんだろうけどそれは違うと私は思う」
好きってそんなオセロみたいに黒と白ではっきり分かれてるわけじゃないでしょ。もっと曖昧で、グラデーションでさ、一緒に過ごすうちに気がつけば一色になってしまっているような、そういうものなんじゃないかな。
「いいんじゃない、付き合ってみれば」
私はそれが悪い事だとは、思わない。
「だってそうやって、忘れていくんだと思う」
そうやって忘れても、いいんだよ。
緩やかな肯定がすとんと胸におさまる。
「……そっかぁ。なんか良いね、そういうの」
そのしなやかなさが。形は変えても折れはしないような彼女の生き方が。地に足が付いていないと思っていた彼女の価値観が今は違うものに見える。
余計な力が入っていなくて
きっと彼女の好きは、柔らかいのだ。
ずっと、一途であることが正しさだと思っていた。
でも、違うのかもしれない。勿論、素敵なことであることには変わりないけれど、一途であることが人を幸せにするとは、限らないのだ。
私の好きは、余裕がなくて固くてとげとげしくて、石ころのようなそれがいつも私の心を削っていた。
だから、あゆちゃんの言っていることは間違ってない。その方が、たぶん幸せになれる。
幸せに、幸せに。
はらりとしたものが降ってくる。
「ありがとう。あゆちゃん」
「?なんかわからないけどよかった」
はらり。はらり。
あぁ、でも。
小さな腕でそれでも大事に抱えていた入れ物の中、そこから何かが零れ落ちた。大事なものだったかもしれない。いずれにしたって燃え尽きてしまえばただの塵に等しい。
私は「それ」を、選べない。
入れ物の容量は決まっている。
私のそこは彼でいっぱいで他のものは何ひとつ入りそうになかった。
きっと私はこの地獄しか、選べない。
一途は、執着と紙一重でそれは狂気とよく似ている。
そうか。私と彼は、愛し方が似ているのだ。
似ているから、交わらない。けれど永遠に続くこの平行線にいる限り、少なくとも彼と私の見ている景色はきっと同じだろう。
馬鹿な女。
でも、それでいい。
だって別に幸せになりたいから、彼のことを好きになったわけじゃないもの。
せっかく貰ったオレンジジュースをやっぱり私は飲み干さないで生きていく。
後悔はない。
この生き方こそが、私らしい。
