貴方が飲まないオレンジジュース

雑に四つ折りにされた紙がいかにも適当な担任が作ったくじ引きという感じがした。

まぁ、問題は全然そこじゃない。何ならそんなことは本当にどうでもいい。問題なのは

「はーい、監督って紙に書かれている人は手を挙げてー」

ガチか。紙に書かれた内容は閉じても開いても変わることはないので渋々私は手を挙げる。私のそんな様子には一切気を止めることはなく文化祭実行委員が黒板に私の名前を連ねた。

『文化祭 劇 シンデレラ 』

先程は他人事で眺めていた文字が急に現実味を帯びて押し寄せてくる。なんでもいいやって投票した演目だって、いざ監督に任命されると途端に気が重い。台詞の多いシンデレラや王子様はなかなか決まらなさそうだし、演じる人と衣装や照明、大道具などを纏めなくてはならないことを考えるだけで気が遠くなりそうだった。

実行委員に代わって黒板の前に立つことになり、胃の奥が疼く。人前で話すこともそれぞれの役割をとりまとめることも出来ないわけではない。クラスメイトのある程度とは話したこともあるし、私は部活も家庭科部だから運動部の子に比べたらきっと動きもとれる。

断る程じゃないし……今更断れる空気でもないし。

「これから、配役を」

教室中の皆の視線が一斉に私一人に集まった。途端に言おうとした言葉が頭から消える。え、あれ、教卓ってこんなに大きかったっけ。頭の奥がチカチカする。

あ、私今、動転している。

その時だった。

「あ、俺もです」

あっさりとした口調だった。彼は無駄のない動きでこちらにやってくると黒板に書かれた私の名前の横に自らの名前を連ねる。

状況が掴めない私はそんな彼をぽかんと見つめた。

『副監督 柳 隼人』

ん?そんな役割あるの。

「え、柳くんも監督なの」
「あーなんか副もあるっぽい」

そんなことを言いながら見せてくれた折り目のある白い紙には副監督という文字が並んでいた。

まぁ、ひとりだと色々大変だからじゃない?と言葉を続けて担任の方に「そうですよねー」と声を掛ける彼。

「……ま、そうだな。ひとりだと大変だしなぁ」

パイプ椅子に深く腰をかけてのんびりと返事をする担任の声に僅かな間があったことには、きっと私と彼しか気がついていないだろう。

「んじゃ、配役を決めていこうと思います」

ー矢田さんだけだったら優しいから大丈夫って思ってたら柳も監督なのかよ。絶対お前厳しいに決まってる!
ーうわぁ。柳いたらサボれねぇぞ
ーこいつ副のくせに仕切り始めたな

柳くんが黒板の前に立った途端にわらわらと男子に軽い野次を飛ばされているのは彼の親しみやすさからなのだろう。

「あー、うるせぇなぁ。俺は放課後はどうしても部活で手伝えない時があるからこういう時にできるだけ動こうとしてんだよ。じゃあ、永倉が王子かシンデレラな」
「ハァ!?隼人、全役俺にやらせる気かよ!」

黒板、ごめんけど書くのお願い。

こそっと告げられた声に慌ててチョークを握り締めると配役を書き並べる私の顔を今は誰にも見ないで欲しい。

久々に近くで感じる彼の気配。いつ見ても姿勢の良い広い背中。朝練終わりを感じさせるミントの制汗剤の香り。

ばか。ばかばかばか。

知ってるよ。分かってるよ。優しいもん、柳くん。
私じゃなくても、誰であってもこうしたんだろうし。周りをよく見ていて、頭の良い、押し付けがましくない優しさなのだ、彼の優しさは。……そういうところも、本当に好き。

これ以上、好きにさせないでよ。
あゆちゃんのこと、好きな癖に。

胸の奥、心臓の中を流れる血液という血液が甘く、そして苦く、沸騰してしまいそう。

みんな恥ずかしがってやりたがらないだろうと踏んでいたシンデレラ役も王子様役も意外と早く決まった。永倉くん含めた帰宅部グループの子達が劇に出てくれるというのも大きいと思う。照明や音源、大道具もスムーズに決まり気の良い子達ばかりの今年のクラスに感謝するばかり。

教卓に視線を遣ると置きっぱなしになっている折り目の残った白い紙。書かれている折り目正しい副監督という文字。彼が勝手に作り出した役割。

気づいてるよ。ちゃんと。

彼の筆跡、私が見間違えるわけない。


以前よりも、日が落ちるのが早くなった。

「あゆちゃんね、別れたんだよ」
「……へぇ」

あゆちゃんと先輩が別れて一ヶ月。柳くんは以前と変わらずだ。私と柳くんがそれなりに仲の良い友達なら柳くんとあゆちゃんの関係性は友達の友達。応援したいわけではないはずなのにその焦ったさに私の方が落ち着かない。

……いいじゃん、利用すれば。私のこと。

貴方だったら、いいよ。

早めに部活を切り上げて教室に戻ってくると柳くんがひとりで背景の色を塗る作業をしているところだった。体育館の点検でバレー部は今日オフだと聞いている。大道具の子達もさっきまで居たらしいけれどやらなくてはならない作業もそれ程残っていないし家が遠い子もいるからと彼が先に帰してしまったらしい。

菫色の空が綺麗。窓の外からは金星がよく見えた。薄く埃の被った空き教室の床に膝が擦れて少しだけ、痛い。

模造紙を黙々と夜の色に染めていく彼の手付きは先程と変わらずで動揺は見て取れない。やっぱりあゆちゃんが彼氏と別れたことはもう既に知っていたことなのかも。

「袖」
「……っあ!ありがとう気づかなかった」

仮説が固まる前に制服のブラウスの袖を掴まれて思考が止まる。どうやら先程汚れないように捲っていた筈の袖が下がってきていたらしい。そわそわしながら腕を捲り直している間も彼は落ち着いた様子で私の傍らに置かれていたバケツを遠ざけている。

彼のそんな様子に頭をもたげたのは自分勝手な感情で。

面白くない。つまらない。胸をざわつかせるのも、動揺するのも、いつも私ばかりで彼にとって私の言葉はきっとそよ風程度の力もない。

揺らいでよ。私の発する言葉、行動、表情ひとつで貴方を困らせられたらいいのに。

「……告白、しないの」
「……え?」

好きなんでしょ。

ねぇ柳くん。頑張ってさ、アタックしなよ。

告白してね、それで振られてしまえ。

とかいってそのまま本当にあゆちゃんと付き合ったらどうしようって思ってる。

そうなったら、本当にどうするんだろうな私。

でもあゆちゃんが柳くんと付き合って長続きする未来も見えないなぁ。すぐ別れそう。

私ね、あんまり良い子じゃなくて。だから失恋の悲しみに付け入ってでも貴方のこと欲しい。