移りゆく季節よりも早く恋をする女がいる。
桜が散るよりも先に恋に落ち、花火が上がる頃には別れてしまう。彼女の想い人の変遷は目まぐるしい。それでもよく泣き、よく笑う恋多き乙女であるあゆちゃんはとびきり可愛い。本当に、そう思っている。
「また、長続きしなかった……」
「急な、告げられ方だったんでしょ」
ホームルームが終わって真っ先に私の元に来たあゆちゃんは、しおしおとした様子で私の机に腕を置いて隣にしゃがみこんだ。昨日の夜中に来たLINEは「突然振られた」という一言のみで詳細はあまり聞けていない。
しかし彼女の言う突然振られたは本当に文字通りそのままで、なんでも昨日の夜突然電話が掛かってきて「別れてくれ」と言われたらしい。理由は「あゆちゃんが悪い訳では無い、俺の問題」の一点張り。なんだ、その男は。
自分の問題なら、自分の中で収めとけ。
という悪口が頭に浮かんだものの、傷心中の彼女に向ける言葉としては正しくないだろうと感じ心の中にしまい込むことにした。
正直ね、振られるなんて全く思ってなかったの。……なんでかなぁ。タカ先輩、ボブ派だって言ってたのに髪の毛切らなかったからかな。返信速度遅いって拗ねたから?あの時好きって返せなかったから?それとも写真撮って欲しいってお願いしすぎたせいかな。
何をして、何をしなければ、まだ一緒にいられたんだろ。そんなこと考えたって今更なんだけどね。
語尾が少し高くなるのは彼女の強がっている時の癖で。普段コンタクトなのに今日は黒いフレームの眼鏡を掛けている理由もちゃんと分かっているつもり。甘えたがりなのに甘え下手なのがあゆちゃんだから。
春先から使っているせいか毛の艶が失われ始めている兎のペンケースの顔をつつくあゆちゃんの頭を私は思わず撫でる。
「元気ないから、何か好きな飲み物買ってあげる」
「……オレンジジュースがいい」
「はーい、ほんと好きね」
何となしに視線を向けた時計の針は一時間目が始まるまでそれ程時間がないことを指していた。
夏休みも明けてしまった二年三組は、何処か欠伸をこらえるような空気で満ちている。
ホームルーム中でさえも気だるげだった担任ではどうやら夏前より少し短くなった私達のスカートには気付けないみたい。これはとても喜ばしいこと。出来れば、是非とも私の目尻の影がやや濃くなったことにも気づかないで欲しい。
黒板に書かれた九月も何だか先が掠れていて頼りない。もしかしてやる気のない担任の心持ちが、文字にまで移ってしまったのだろうか。なんて、自分の無気力さの責任も担任の書いた文字に預けてそんなことを考える。
ふと、白い背中が私の横を通り過ぎていった。
あ、柳くんだ。
黒板の前に立つ彼が少し骨張った手で掠れた九月を消して書き直すのを見守る。白いチョークで書かれた折り目正しい九月が何だか彼らしい。そして夏休みを挟んでも変わらず、私は反射的に彼の動向を見つめる習慣が抜けていないことも判明してしまった。
真面目で無表情だと近寄り難い空気のある柳くんだけれど話すと意外と気さくだったりする。笑った時に目尻が上がって糸目になるところもかわいい。
バレー部の柳くんは夏休みの間にあまり焼けなかったみたい。以前よりも前髪も短い。私の知らない間に、他の女の子に想いを寄せられたりしたこともあったのかもしれない。考えたくないけど。
その時、彼が急にこちらを振り返った。不整脈を訴える心臓の音とは裏腹に彼の視線が私と交わることはない。
だってその一瞬、 彼の視線は間違いなくあゆちゃんへと注がれていたのだから。つい最近まで先輩に夢中だったあゆちゃんは勿論そんなことには全く気づいていないだろうけど。
不思議だったことがある。
当時小学生女子の間で流行った誕生日占いの本。ピンクの表紙にリボンやハートが描かれた本は大人気で、毎日読書タイムがあった私の小学校では図書室で争奪戦が起きた。結果的には昼休みにクラスの女子みんなで一緒に読むことになったのが懐かしい。
ドキドキしながら開いた私の生まれた日に書かれた右下運命の人の誕生日。その人がどんな性格で何が好きなのかを知りたくて私は運命の人の誕生日のページも調べてみたけれど、その右下には私の誕生日はなかったことを今でも思い出す。
だって、それは私にとってこの世界に御伽噺に出てくるような王子様がいないことよりも絶望的なことだったから。
最悪。最初から、神様は運命に双方向性なんか与えていないのだ。だから私にとっての運命は誰かにとっての運命ではない。
「……忘れられそう?」
あゆちゃんに向けて言ったつもりの言葉。
本当に向けたかった相手は誰にであったか。
「忘れたくないなって思ってる」
それでもね、きっと私は忘れるよ。先輩のこと。
今までもそうだったし、きっとこれからもそう。
意外な言葉に思わずあゆちゃんを見遣るが、瞳の奥を除きたくてもメガネのレンズに反射した青空が彼女の真意を阻む。
本鈴のチャイムが鳴った。
皆が慌てて席に戻っていく様子をぼんやり眺めながら先程言った彼女の言葉の意味を考える。
分からないなぁ。どうやら恋多き乙女の言うことは私には難しいようだ。まぁ共感出来ていたら柳くんのことなんてとうの昔に諦めていたことだろう。何せ、彼氏持ちの女の子を静かに思い続けるような一途な男だ。勝機は限りなくゼロに等しい。
廊下側の前から三番目に座る姿勢の良い彼の横顔、皺のないワイシャツ。下睫毛の長い目元。
その全てが、私の頬に熱を持たせて、心にそっと傷をつける。彼への想いを忘れられるとは到底思えなかった。
でもね、黙って諦めるつもりなんか私だってないよ。
一途なのは私だって同じ。
映画だって漫画だって、格好いいのは一途な人だし、報われて最後に幸せを掴むのはいつだってそういう人じゃない。
捨てられる好きなんて、そんなの恋じゃない。
忘れられるって断言出来るということはあゆちゃんにとって先輩は本気で好きな相手というわけでもなかったのかな。憧れの延長みたいな。
花から花へとひらひら舞う蝶のような彼女の生き方は、地に足がついていなくて何だか不安定な印象を私に抱かせた。
まぁでも、それこそがきっと彼女の魅力で、柳くんだってそういうところに惹かれたのかもしれない。
私だって彼女の衣替えの如く変わっていく恋の話は少女漫画を読んでいるようで聞いていて結構楽しいのだから。
教室の窓から入ってくる柔らかい日差しが心地良い。
私はね、青空が落ちてきたと思ったの。
四月の初め、彼は私の後ろに座っていた。
最初は真面目そうな人だなって思って、気後れしてたんだよ。ちょっと怖そうだなって。
けれど、違うということに気がついたのは本当にすぐで。
ある時、スマホのロック画面がたまたま目に入り、その微笑ましい写真に思わず私は彼に声を掛けた。
「猫、飼ってるんだね」
「うん。可愛いだろ」
年の離れた弟がいるという彼は猫と弟が添い寝している写真を私に見せてふわっと笑う。
あ。て思った。あ、好きだなぁって。
号令が終わって席に着いても、古典の授業が始まっても内容は上の空だった。
夏休み前に電車で一目惚れした先輩と付き合えたときゃらきゃらと笑っていたあゆちゃんの声だけが耳元をそよ風のように通り過ぎていった。
桜が散るよりも先に恋に落ち、花火が上がる頃には別れてしまう。彼女の想い人の変遷は目まぐるしい。それでもよく泣き、よく笑う恋多き乙女であるあゆちゃんはとびきり可愛い。本当に、そう思っている。
「また、長続きしなかった……」
「急な、告げられ方だったんでしょ」
ホームルームが終わって真っ先に私の元に来たあゆちゃんは、しおしおとした様子で私の机に腕を置いて隣にしゃがみこんだ。昨日の夜中に来たLINEは「突然振られた」という一言のみで詳細はあまり聞けていない。
しかし彼女の言う突然振られたは本当に文字通りそのままで、なんでも昨日の夜突然電話が掛かってきて「別れてくれ」と言われたらしい。理由は「あゆちゃんが悪い訳では無い、俺の問題」の一点張り。なんだ、その男は。
自分の問題なら、自分の中で収めとけ。
という悪口が頭に浮かんだものの、傷心中の彼女に向ける言葉としては正しくないだろうと感じ心の中にしまい込むことにした。
正直ね、振られるなんて全く思ってなかったの。……なんでかなぁ。タカ先輩、ボブ派だって言ってたのに髪の毛切らなかったからかな。返信速度遅いって拗ねたから?あの時好きって返せなかったから?それとも写真撮って欲しいってお願いしすぎたせいかな。
何をして、何をしなければ、まだ一緒にいられたんだろ。そんなこと考えたって今更なんだけどね。
語尾が少し高くなるのは彼女の強がっている時の癖で。普段コンタクトなのに今日は黒いフレームの眼鏡を掛けている理由もちゃんと分かっているつもり。甘えたがりなのに甘え下手なのがあゆちゃんだから。
春先から使っているせいか毛の艶が失われ始めている兎のペンケースの顔をつつくあゆちゃんの頭を私は思わず撫でる。
「元気ないから、何か好きな飲み物買ってあげる」
「……オレンジジュースがいい」
「はーい、ほんと好きね」
何となしに視線を向けた時計の針は一時間目が始まるまでそれ程時間がないことを指していた。
夏休みも明けてしまった二年三組は、何処か欠伸をこらえるような空気で満ちている。
ホームルーム中でさえも気だるげだった担任ではどうやら夏前より少し短くなった私達のスカートには気付けないみたい。これはとても喜ばしいこと。出来れば、是非とも私の目尻の影がやや濃くなったことにも気づかないで欲しい。
黒板に書かれた九月も何だか先が掠れていて頼りない。もしかしてやる気のない担任の心持ちが、文字にまで移ってしまったのだろうか。なんて、自分の無気力さの責任も担任の書いた文字に預けてそんなことを考える。
ふと、白い背中が私の横を通り過ぎていった。
あ、柳くんだ。
黒板の前に立つ彼が少し骨張った手で掠れた九月を消して書き直すのを見守る。白いチョークで書かれた折り目正しい九月が何だか彼らしい。そして夏休みを挟んでも変わらず、私は反射的に彼の動向を見つめる習慣が抜けていないことも判明してしまった。
真面目で無表情だと近寄り難い空気のある柳くんだけれど話すと意外と気さくだったりする。笑った時に目尻が上がって糸目になるところもかわいい。
バレー部の柳くんは夏休みの間にあまり焼けなかったみたい。以前よりも前髪も短い。私の知らない間に、他の女の子に想いを寄せられたりしたこともあったのかもしれない。考えたくないけど。
その時、彼が急にこちらを振り返った。不整脈を訴える心臓の音とは裏腹に彼の視線が私と交わることはない。
だってその一瞬、 彼の視線は間違いなくあゆちゃんへと注がれていたのだから。つい最近まで先輩に夢中だったあゆちゃんは勿論そんなことには全く気づいていないだろうけど。
不思議だったことがある。
当時小学生女子の間で流行った誕生日占いの本。ピンクの表紙にリボンやハートが描かれた本は大人気で、毎日読書タイムがあった私の小学校では図書室で争奪戦が起きた。結果的には昼休みにクラスの女子みんなで一緒に読むことになったのが懐かしい。
ドキドキしながら開いた私の生まれた日に書かれた右下運命の人の誕生日。その人がどんな性格で何が好きなのかを知りたくて私は運命の人の誕生日のページも調べてみたけれど、その右下には私の誕生日はなかったことを今でも思い出す。
だって、それは私にとってこの世界に御伽噺に出てくるような王子様がいないことよりも絶望的なことだったから。
最悪。最初から、神様は運命に双方向性なんか与えていないのだ。だから私にとっての運命は誰かにとっての運命ではない。
「……忘れられそう?」
あゆちゃんに向けて言ったつもりの言葉。
本当に向けたかった相手は誰にであったか。
「忘れたくないなって思ってる」
それでもね、きっと私は忘れるよ。先輩のこと。
今までもそうだったし、きっとこれからもそう。
意外な言葉に思わずあゆちゃんを見遣るが、瞳の奥を除きたくてもメガネのレンズに反射した青空が彼女の真意を阻む。
本鈴のチャイムが鳴った。
皆が慌てて席に戻っていく様子をぼんやり眺めながら先程言った彼女の言葉の意味を考える。
分からないなぁ。どうやら恋多き乙女の言うことは私には難しいようだ。まぁ共感出来ていたら柳くんのことなんてとうの昔に諦めていたことだろう。何せ、彼氏持ちの女の子を静かに思い続けるような一途な男だ。勝機は限りなくゼロに等しい。
廊下側の前から三番目に座る姿勢の良い彼の横顔、皺のないワイシャツ。下睫毛の長い目元。
その全てが、私の頬に熱を持たせて、心にそっと傷をつける。彼への想いを忘れられるとは到底思えなかった。
でもね、黙って諦めるつもりなんか私だってないよ。
一途なのは私だって同じ。
映画だって漫画だって、格好いいのは一途な人だし、報われて最後に幸せを掴むのはいつだってそういう人じゃない。
捨てられる好きなんて、そんなの恋じゃない。
忘れられるって断言出来るということはあゆちゃんにとって先輩は本気で好きな相手というわけでもなかったのかな。憧れの延長みたいな。
花から花へとひらひら舞う蝶のような彼女の生き方は、地に足がついていなくて何だか不安定な印象を私に抱かせた。
まぁでも、それこそがきっと彼女の魅力で、柳くんだってそういうところに惹かれたのかもしれない。
私だって彼女の衣替えの如く変わっていく恋の話は少女漫画を読んでいるようで聞いていて結構楽しいのだから。
教室の窓から入ってくる柔らかい日差しが心地良い。
私はね、青空が落ちてきたと思ったの。
四月の初め、彼は私の後ろに座っていた。
最初は真面目そうな人だなって思って、気後れしてたんだよ。ちょっと怖そうだなって。
けれど、違うということに気がついたのは本当にすぐで。
ある時、スマホのロック画面がたまたま目に入り、その微笑ましい写真に思わず私は彼に声を掛けた。
「猫、飼ってるんだね」
「うん。可愛いだろ」
年の離れた弟がいるという彼は猫と弟が添い寝している写真を私に見せてふわっと笑う。
あ。て思った。あ、好きだなぁって。
号令が終わって席に着いても、古典の授業が始まっても内容は上の空だった。
夏休み前に電車で一目惚れした先輩と付き合えたときゃらきゃらと笑っていたあゆちゃんの声だけが耳元をそよ風のように通り過ぎていった。
