清高の自宅は、線路と国道を挟んで宮脇の家と東西逆の位置にある。再開発の予定もない古い建売住宅街は、無人のまま放置された空き家が目立つ。しんと静まりかえった道を、清高は低く鼻歌を歌いながら歩いた。
腹も気持ちも心地よく満たされている。いくら寝不足で参っていたとは言え、神経質な自分が他人の布団であんなに気持ち良く眠れたのは予想外だった。
宮脇の側に居ると気が抜ける。『花商のキヨタカ』を演じる必要もなければ、姉や他の誰かの代わりにされることもなく、嫉妬や恋情のような面倒な感情を向けられる事もない。素朴な気遣いが心地良く、楽で居られる。
──次会う約束ができたのは良かった
フワフワとした上機嫌は、しかし、自宅に前まで辿り着いた途端に急降下した。赤ん坊の泣き声が門の外まで聞こえてきている。赤ん坊に罪がないのは分かっているが、どうしても耳障りだと思ってしまう。
玄関の引き戸を開けると、狭い三和土にはベビーカーがデンと鎮座していた。
「たためよな……」
姉に聞こえないよう小声で呟いてサンダルを蹴り脱ぐ。いつも通り父の靴はなかった。最後に顔を合わせたのは一月前だ。次にいつ帰ってくるかは分からない。
赤子の声を聞きたくなくて、耳をふさいだまま暗い廊下を進むと
「ちょっと!」
と居間の戸から顔を出した姉に呼び止められた。
「……何?」
「何? じゃないわ。オムツ買って来てってメッセ送っただろが! 何手ぶらで帰ってきてんの?」
「は? 知らねー。自分で買いに行けや」
「ハ? テメー私にそんな口きけるご身分か? 散々テメーのオムツ変えてやったんだから、恩返ししろや」
姉は腕に赤ん坊を抱えたまま、ものすごい形相で睨め上げてくる。堂に入ったガンつけに、清高は深く溜息をついた。ここで断ると後が余計に面倒になる。不本意ながら、すぐ従ったほうがマシだ。
「わかった。今から買ってくる……」
「じゃあコレ。店員に見せて選んでもらって」
未使用のオムツを一つ投げ渡され、清高は
「は!? コレ持って行けってか!?」
と思い切り顔をしかめた。
「銘柄もサイズもいっぱいあるの! 適当に買ってこられても使いもんにならねーから、実物持って行けっていってんの」
姉はぴしゃりと言って居間に引っ込む。
「マジかよ最悪……」
清高は床に落ちたオムツを二本指で摘まみ上げてポケットに突っ込み、脱いだばかりのサンダルに再び足を入れた。
最寄りのドラッグストアは住宅街の端にある。サンダルを引きずりながら自動ドアを潜って中に入ると、店内は空いていた。身を縮めてベビー用品の棚に向かい、持たされたオムツと同じ絵柄のパッケージを探したが、種類が膨大すぎてどれが正解なのか全く分からない。恥を忍んで近くにいる女性店員に聞くか、適当に買って帰って姉にぶたれるか? 究極の二択で迷って立ち竦んでいると、
「基?」
と後ろから声を掛けられた。振り返ると、栄養ドリンクのパックをいくつも抱えた壮年の男性が立っている。山上有香の父だ。背は高くないがガッチリした体格で、姿勢は良いが酷く疲れた顔をしている。清高は無言で軽く頭を下げた。山上は清高に近寄り、オムツの並ぶ棚を見て首を傾げる。
「泰巳ちゃんに頼まれたのか?」
「……そっす。見本を渡されたんですけど、どれか分かんなくて」
清高がポケットから未使用のオムツ一枚を取り出すと、山上は苦笑して、
「ああ、そりゃそうだよなあ。オレもわからん」
と店員に声を掛けてくれた。清高は気遣いにホッとする。清高にとって、オムツを片手に店員に声を掛けることは、ナンパするより余程ハードルが高かった。
店員に教えてもらったパッケージを手に取ってレジに並ぶと、山上も同じ列に並ぶ。精算が終わって、
「ありがとうございます。助かったっす」
と礼を言うと、山上は
「礼を言われるほどでもないよ。お前も大変だな」
と笑った後に、急にシリアスな表情になり、
「それより、ちょっと時間良いか?」
と顎で店の外を示した。
自販機の横にあるベンチに並んで座ると、山上はポロシャツの胸ポケットからタバコを出して火をつけ、深々と煙を吸い込んで吐き出す。その疲れた横顔を、清高がじっと見つめていると、
「やらねえぞ?」
と睨まれた。
「いらねえっす。ヤニは好きじゃないんで」
「好きかどうか判断できるって事は、吸ったことあるんだな? 未成年よ」
「……ケムリが、っす」
「おう、そりゃスマン」
山上はニヤリと笑い、清高に煙かかからないよう若干身体を横向けた。
「山上さん、今日非番ですか?」
「いや、今からまた捜査本部よ」
山上は県警の生活安全課に所属する現職の刑事だ。清高を含めた素行不良の少年はしばしば世話になっている。買い込んだ栄養ドリンクは現場への差し入れか、と清高は見当をつけた。
「ドウヤマの件、本部立ってるんですか?」
ドウヤマというのは、先日清高と宮脇を襲った金谷のバックにいる半グレ集団のリーダーだ。山上は深々と煙を吸い込み、特大の溜息と共に吐き出す。
「ドウヤマってか、ヤツの扱ってた薬物の件だ。長山公園で金谷に刺されたのはドウヤマの手下で、友部ってチンピラだ。取り調べに対しては、だんまりを決め込んでる。ドウヤマは行方不明のまま。有力な情報もなし。友部が金谷の店に薬物を下ろしてたのは確実だが、薬物の出所はまだつかめてない」
「カードショップで売ってたヤツですか?」
「そうだ。ゲーム用のカードを二枚に剥離して、間に薬物のシートを挟んで売ってたらしい。経口摂取でLSDに似た幻覚症状を起こす新種のドラッグだ。在庫は押さえたが、入手経路がわからない。東京でも同じようなのが出回り始めてるって噂で、そっちへ問い合わせたら、どうもメキシコから入ってきてるらしいと回答があった。正体不明の新参にシマを荒らされて、老舗の組も敏感になってるって話だ」
「へ~、メキシコ……南米だっけ?」
清高にはあまり想像のつかない国だ。
「いや、北米。麻薬カルテルとマフィアが牛耳ってるような国だよ。金谷は末端の売人で、ドウヤマ以外とは繋がりがないらしいが、実刑食らって壁の中に入りたいって泣いてたよ。よっぽど怖い目に遭ったんだろ。お前も十分気をつけろ。何かあったら、署でもオレの携帯でも良いから、すぐ連絡してくれ」
短くなったタバコを携帯灰皿でもみ消した山上は、清高に向き直って低く言った。
「そんな、おおげさっすよ。オレはクスリとは関係ねえし」
「お前が金谷と揉めなければ、警察はドウヤマという手がかりを掴めなかった。ドウヤマがお前を知ってたら、復讐されても不思議はないぞ」
「ハ!? イヤ、オレはドウヤマなんか知らねっすよ! 半グレと関わった事もねえし」
「向こうはそう思っちゃいない。しばらくは夜遊び止めて、大人しくするんだな。自宅近辺は重点的に警邏するように指示してあるが、何かあったらすぐ一一〇番するよう、泰巳ちゃんにも伝えておいてくれ」
山上は一方的に言い終えて立ち上がり、栄養ドリンクの入った袋を引きずるようにしながら、駐車場に止めてある車へと姿を消した。
清高はしかめ面で夜空を見上げて溜息をつく。ひどく嫌な気分だった。自分が素行の悪い不良少年である自覚はあるが、姉や山上家に迷惑をかけるのは心外だった。喧嘩や賭け事は好きだが、クスリや犯罪には関わりたくない。
金谷に関わったのは失敗だった。けれど、学生相手のしょぼいカード賭博が、海外マフィアの関わる薬物取引に繋がるなんて、予想できるはずもない。タイミングの悪いことに、今は家に姉の子もいる。半グレの逆恨みで家を狙われたら大変なことになる。
不安に駆られた清高は、オムツの袋を担ぎ上げて走り出した。
息を切らせて家の前まで戻ると、開けっぱなしの掃き出し窓から幼児番組の音楽が小さく漏れ聞こえていた。慌てて玄関を開け、居間に飛び込むと、姉は座卓に伏せて眠り込んでいる。その横でバウンサーに乗った赤ん坊が、テレビに向かってご機嫌にバタついていた。
「ねーちゃん、窓あけっぱにすんな。戸締まりちゃんとしろ!」
清高はオムツの袋を姉にぶつけ、窓を乱暴に閉めて鍵をかけた上で、厚手のカーテンをしっかりと引いた。泰巳は頭をさすりながら上体を起こす。
「……ッテェな。何すんの。窓くらいでガタガタ抜かすなよ」
「最近この辺は治安悪いんだよ。言っとくけど、知らねえヤツがピンポン押しても絶対出るなよ。配送は全部置き配にしたほうがいい。見覚えのない人間がウロウロしてたら、すぐ警察に通報してくれ。嫌な感じがしたら、有香ん家に行けよ」
「何? 何の話? 治安良くないのは前からじゃん」
泰巳は弟と同じように整った顔を不快げに歪ませる。
「違う。昔より危なくなってンだよ! てかアンタさあ、そろそろ赤ん坊連れてダンナんとこ帰れば? もう二週間だぜ?」
「帰るも何も、ここはアタシの家だっつの。他に帰るとことかねーし」
「ダンナとはもう離婚したのかよ?」
「そもそも籍入れてない。アタシはここでこの子育てるから。イヤならテメーが出ていきな」
清高はウンザリした気分で首を振った。
「とにかく戸締まりは気をつけろ。親父にも言っといて」
「テメーで言えや」
泰巳は冷たく答え、赤ん坊のオムツを替え始める。清高は居間の戸を乱暴に閉めて階段を駆け上がり、二階の自室へ逃げ込む。たっぷり昼寝したはずなのに、なんだか酷く疲れていた。階下からは派手な泣き声が響いてきている。神経がチリチリと焼けるように苛立った。スマホを見ると、原田からの着信が一件。二〇分程前に掛かってきていたようだ。掛け直す気にもなれず、清高は面倒を避けるためにスマホの電源を切った。
腹も気持ちも心地よく満たされている。いくら寝不足で参っていたとは言え、神経質な自分が他人の布団であんなに気持ち良く眠れたのは予想外だった。
宮脇の側に居ると気が抜ける。『花商のキヨタカ』を演じる必要もなければ、姉や他の誰かの代わりにされることもなく、嫉妬や恋情のような面倒な感情を向けられる事もない。素朴な気遣いが心地良く、楽で居られる。
──次会う約束ができたのは良かった
フワフワとした上機嫌は、しかし、自宅に前まで辿り着いた途端に急降下した。赤ん坊の泣き声が門の外まで聞こえてきている。赤ん坊に罪がないのは分かっているが、どうしても耳障りだと思ってしまう。
玄関の引き戸を開けると、狭い三和土にはベビーカーがデンと鎮座していた。
「たためよな……」
姉に聞こえないよう小声で呟いてサンダルを蹴り脱ぐ。いつも通り父の靴はなかった。最後に顔を合わせたのは一月前だ。次にいつ帰ってくるかは分からない。
赤子の声を聞きたくなくて、耳をふさいだまま暗い廊下を進むと
「ちょっと!」
と居間の戸から顔を出した姉に呼び止められた。
「……何?」
「何? じゃないわ。オムツ買って来てってメッセ送っただろが! 何手ぶらで帰ってきてんの?」
「は? 知らねー。自分で買いに行けや」
「ハ? テメー私にそんな口きけるご身分か? 散々テメーのオムツ変えてやったんだから、恩返ししろや」
姉は腕に赤ん坊を抱えたまま、ものすごい形相で睨め上げてくる。堂に入ったガンつけに、清高は深く溜息をついた。ここで断ると後が余計に面倒になる。不本意ながら、すぐ従ったほうがマシだ。
「わかった。今から買ってくる……」
「じゃあコレ。店員に見せて選んでもらって」
未使用のオムツを一つ投げ渡され、清高は
「は!? コレ持って行けってか!?」
と思い切り顔をしかめた。
「銘柄もサイズもいっぱいあるの! 適当に買ってこられても使いもんにならねーから、実物持って行けっていってんの」
姉はぴしゃりと言って居間に引っ込む。
「マジかよ最悪……」
清高は床に落ちたオムツを二本指で摘まみ上げてポケットに突っ込み、脱いだばかりのサンダルに再び足を入れた。
最寄りのドラッグストアは住宅街の端にある。サンダルを引きずりながら自動ドアを潜って中に入ると、店内は空いていた。身を縮めてベビー用品の棚に向かい、持たされたオムツと同じ絵柄のパッケージを探したが、種類が膨大すぎてどれが正解なのか全く分からない。恥を忍んで近くにいる女性店員に聞くか、適当に買って帰って姉にぶたれるか? 究極の二択で迷って立ち竦んでいると、
「基?」
と後ろから声を掛けられた。振り返ると、栄養ドリンクのパックをいくつも抱えた壮年の男性が立っている。山上有香の父だ。背は高くないがガッチリした体格で、姿勢は良いが酷く疲れた顔をしている。清高は無言で軽く頭を下げた。山上は清高に近寄り、オムツの並ぶ棚を見て首を傾げる。
「泰巳ちゃんに頼まれたのか?」
「……そっす。見本を渡されたんですけど、どれか分かんなくて」
清高がポケットから未使用のオムツ一枚を取り出すと、山上は苦笑して、
「ああ、そりゃそうだよなあ。オレもわからん」
と店員に声を掛けてくれた。清高は気遣いにホッとする。清高にとって、オムツを片手に店員に声を掛けることは、ナンパするより余程ハードルが高かった。
店員に教えてもらったパッケージを手に取ってレジに並ぶと、山上も同じ列に並ぶ。精算が終わって、
「ありがとうございます。助かったっす」
と礼を言うと、山上は
「礼を言われるほどでもないよ。お前も大変だな」
と笑った後に、急にシリアスな表情になり、
「それより、ちょっと時間良いか?」
と顎で店の外を示した。
自販機の横にあるベンチに並んで座ると、山上はポロシャツの胸ポケットからタバコを出して火をつけ、深々と煙を吸い込んで吐き出す。その疲れた横顔を、清高がじっと見つめていると、
「やらねえぞ?」
と睨まれた。
「いらねえっす。ヤニは好きじゃないんで」
「好きかどうか判断できるって事は、吸ったことあるんだな? 未成年よ」
「……ケムリが、っす」
「おう、そりゃスマン」
山上はニヤリと笑い、清高に煙かかからないよう若干身体を横向けた。
「山上さん、今日非番ですか?」
「いや、今からまた捜査本部よ」
山上は県警の生活安全課に所属する現職の刑事だ。清高を含めた素行不良の少年はしばしば世話になっている。買い込んだ栄養ドリンクは現場への差し入れか、と清高は見当をつけた。
「ドウヤマの件、本部立ってるんですか?」
ドウヤマというのは、先日清高と宮脇を襲った金谷のバックにいる半グレ集団のリーダーだ。山上は深々と煙を吸い込み、特大の溜息と共に吐き出す。
「ドウヤマってか、ヤツの扱ってた薬物の件だ。長山公園で金谷に刺されたのはドウヤマの手下で、友部ってチンピラだ。取り調べに対しては、だんまりを決め込んでる。ドウヤマは行方不明のまま。有力な情報もなし。友部が金谷の店に薬物を下ろしてたのは確実だが、薬物の出所はまだつかめてない」
「カードショップで売ってたヤツですか?」
「そうだ。ゲーム用のカードを二枚に剥離して、間に薬物のシートを挟んで売ってたらしい。経口摂取でLSDに似た幻覚症状を起こす新種のドラッグだ。在庫は押さえたが、入手経路がわからない。東京でも同じようなのが出回り始めてるって噂で、そっちへ問い合わせたら、どうもメキシコから入ってきてるらしいと回答があった。正体不明の新参にシマを荒らされて、老舗の組も敏感になってるって話だ」
「へ~、メキシコ……南米だっけ?」
清高にはあまり想像のつかない国だ。
「いや、北米。麻薬カルテルとマフィアが牛耳ってるような国だよ。金谷は末端の売人で、ドウヤマ以外とは繋がりがないらしいが、実刑食らって壁の中に入りたいって泣いてたよ。よっぽど怖い目に遭ったんだろ。お前も十分気をつけろ。何かあったら、署でもオレの携帯でも良いから、すぐ連絡してくれ」
短くなったタバコを携帯灰皿でもみ消した山上は、清高に向き直って低く言った。
「そんな、おおげさっすよ。オレはクスリとは関係ねえし」
「お前が金谷と揉めなければ、警察はドウヤマという手がかりを掴めなかった。ドウヤマがお前を知ってたら、復讐されても不思議はないぞ」
「ハ!? イヤ、オレはドウヤマなんか知らねっすよ! 半グレと関わった事もねえし」
「向こうはそう思っちゃいない。しばらくは夜遊び止めて、大人しくするんだな。自宅近辺は重点的に警邏するように指示してあるが、何かあったらすぐ一一〇番するよう、泰巳ちゃんにも伝えておいてくれ」
山上は一方的に言い終えて立ち上がり、栄養ドリンクの入った袋を引きずるようにしながら、駐車場に止めてある車へと姿を消した。
清高はしかめ面で夜空を見上げて溜息をつく。ひどく嫌な気分だった。自分が素行の悪い不良少年である自覚はあるが、姉や山上家に迷惑をかけるのは心外だった。喧嘩や賭け事は好きだが、クスリや犯罪には関わりたくない。
金谷に関わったのは失敗だった。けれど、学生相手のしょぼいカード賭博が、海外マフィアの関わる薬物取引に繋がるなんて、予想できるはずもない。タイミングの悪いことに、今は家に姉の子もいる。半グレの逆恨みで家を狙われたら大変なことになる。
不安に駆られた清高は、オムツの袋を担ぎ上げて走り出した。
息を切らせて家の前まで戻ると、開けっぱなしの掃き出し窓から幼児番組の音楽が小さく漏れ聞こえていた。慌てて玄関を開け、居間に飛び込むと、姉は座卓に伏せて眠り込んでいる。その横でバウンサーに乗った赤ん坊が、テレビに向かってご機嫌にバタついていた。
「ねーちゃん、窓あけっぱにすんな。戸締まりちゃんとしろ!」
清高はオムツの袋を姉にぶつけ、窓を乱暴に閉めて鍵をかけた上で、厚手のカーテンをしっかりと引いた。泰巳は頭をさすりながら上体を起こす。
「……ッテェな。何すんの。窓くらいでガタガタ抜かすなよ」
「最近この辺は治安悪いんだよ。言っとくけど、知らねえヤツがピンポン押しても絶対出るなよ。配送は全部置き配にしたほうがいい。見覚えのない人間がウロウロしてたら、すぐ警察に通報してくれ。嫌な感じがしたら、有香ん家に行けよ」
「何? 何の話? 治安良くないのは前からじゃん」
泰巳は弟と同じように整った顔を不快げに歪ませる。
「違う。昔より危なくなってンだよ! てかアンタさあ、そろそろ赤ん坊連れてダンナんとこ帰れば? もう二週間だぜ?」
「帰るも何も、ここはアタシの家だっつの。他に帰るとことかねーし」
「ダンナとはもう離婚したのかよ?」
「そもそも籍入れてない。アタシはここでこの子育てるから。イヤならテメーが出ていきな」
清高はウンザリした気分で首を振った。
「とにかく戸締まりは気をつけろ。親父にも言っといて」
「テメーで言えや」
泰巳は冷たく答え、赤ん坊のオムツを替え始める。清高は居間の戸を乱暴に閉めて階段を駆け上がり、二階の自室へ逃げ込む。たっぷり昼寝したはずなのに、なんだか酷く疲れていた。階下からは派手な泣き声が響いてきている。神経がチリチリと焼けるように苛立った。スマホを見ると、原田からの着信が一件。二〇分程前に掛かってきていたようだ。掛け直す気にもなれず、清高は面倒を避けるためにスマホの電源を切った。
