お友達からはじめましょう

「遊ぶて言うてもな……」
 宮脇は自宅のささくれた畳に寝転がり、ボソリと呟いた。ひび割れたスマホの画面には、
『土曜ヒマ?』
 という清高からのメッセージが表示されている。指輪を返しに行った日から、一週間以上も音沙汰なしで、『今度遊びに行こう』は単なる社交辞令だったかとがっかりしたが、どうもそうではなかったようだ。
 幸いなのか、あいにくなのか、土曜はバイトが入っていない。一日ヒマだが、清高と自分で一体どこへ遊びに行けばいいのか想像もつかない。
 どう返事をしようかと画面を睨んでいると、着信音が高らかに鳴り響いた。
「おわっ!」
 慌てて起き上がって通話ボタンを押す。
『今いい?』
 聞こえてきたのは清高の声だ。
「ええけど……」
『土曜ヒマ?』
「せわしないヤツやな! 今返事しよと思ってたとこや」
『通話の方がはえーじゃん。で、ヒマ?』
「ヒマっちゃヒマやけど」
 ストレートに返事をするのが癪で言葉を濁す。清高は気にした風もなく、
『じゃあどっか行こうぜ。金ある?』
 と聞いてくる。
「ない。どっかて、どこやねん」
『ないか~。じゃあ奢ってやるからさ、駅で十一時に待ち合わせで』
 一方的に宣言して、プツリと通話は切れてしまう。宮脇は沈黙したスマホを放り投げ、
「勝手すぎや! なんやねんアイツ……!」
 と再び畳に寝転がった。

 宮脇は単純な男だ。人と会うのに躊躇したりしない。連絡したければ自分から電話を掛けるし、会いたければ相手のテリトリーまで出向いていく。事前に遊ぶ内容について考えたりもしない。全て成り行き任せで、退屈したら勝手に解散すればいい。連(ツル)んでみて性格が合わなければ、距離を置く。
 けれど、清高が相手だとどうも調子が狂う。
 あまりにも共通点がなさ過ぎるからかもしれない。外見も全く違うし、通っている学校も違う。恐らく交友関係も全く被らないだろうし、相手が普段何をしているのか想像もつかない。
 気を遣うなら会わなければ良いのだが、会いたい気持ちはあるのだ。怖いもの見たさというか、興味本位というか、未知の存在に対する好奇心かもしれない。でも、どこか共感できる部分がある気がする。それが何かを知りたかった。
 けれど宮脇は、遊びと言えば喧嘩か麻雀か草サッカーくらいしか知らない。清高と何の話をすれば良いのか、皆目見当も付かなかった。


 約束の土曜日はよく晴れた。
 高架駅へ続く階段の下で、宮脇はソワソワと足踏みする。朝から落ち着かなさすぎて、待ち合わせより大分早く着いてしまった。駅前で誰かと待ち合わせるなんて初めてだ。気を落ち着けようと深く息を吸う。もうキンモクセイの匂いはしなかった。鼻腔に入ってくる空気はただひんやりと埃っぽい。
 清高は待ち合わせ時間しか言わなかったので、宮脇は何も持って来ていない。量販店で買った黒いジャージと通学用のスニーカーを身につけて、スマホとぺしゃんこの財布だけを尻ポケットに押し込んである。

 清高は十一時を五分ほど過ぎて現れた。緩いズボンとパーカーにサンダル履きなのを見て、宮脇はホッとする。妹と母が見ているドラマに出てくる俳優が着ているような洒落めかした服を着ているのではないかと密かに警戒していたのだ。
「よう、待った?」
 ダルそうに片手を上げる清高は、何故かひどく疲れている様子で、元々白い顔には血色が薄く、下瞼にはクッキリとクマが浮いていた。
「待ってはないけど、オマエ、なんかあったんか? 顔色悪いで」
「う~ん……寝不足」
「ほな無理せんと寝てたらエエがな」
「いや、家がくつろげない状態なのよ。だからどっか行きたい。どこ行く? 宮脇良いとこ知らねえ?」
「なんやねん、お前! 人のこと誘っといてノープランか!」
 背中を軽くどやしつけると、清高はクシャリと笑い、
「良いねえ、そのツッコミ。元気出るわ。とりあえず飯食おうぜ、腹減った。ラーメンで良い?」
 と勝手に決めて歩き出す。宮脇は無言で後を追った。

 連れて行かれたのは国道沿いにある駐車場ばかりが広いラーメン屋だった。美味くもマズくもない、ごく普通の中華ソバを出す店だ。場所柄トラック乗りの客が多いから、量だけは充実している。
「わざわざ銭払ろて休みの日に食いに来るような店ちゃうやろ」
 宮脇が突っ込むと、
「良いじゃん。フツーのが食べたいんだよ」
「お前の奢りなんやろな? 電話で約束したぞ」
「ああ、そうだっけ? いいよ、奢るよ。大盛りにトッピングつけても良いし、餃子も頼んで良いよ」
 食券販売機に無造作に万札を突っ込む清高は、どこか上の空で気怠げだった。宮脇は遠慮なくチャーシュー麺大盛りに味玉付きのボタンを押し、少し迷ってからチャーハンと餃子もつける。清高は塩ラーメンの普通盛りだけを選んでいた。

 狭いテーブルで額を突き合わせんばかりにしてラーメンをすする。宮脇はあっという間に食べ終わってしまったが、清高は食が進まない様子だ。
「家でなんかあったんか? 言いたくなかったら無理には訊かんけど……」
 元気のなさが気になってそう聞くと、清高は口の中の麺を飲み込んでから、
「姉貴が子連れで帰ってきて寝不足で参ってる」
 と溜息をついた。
「姉さんおるんか」
「そう。五歳年上。恐怖の大王。最強最悪。災害級の姉貴。家を出て行って、やっと平和になったと思ったのに、いきなりこっちに帰ってきやがったんだ。出てった先で会った男とガキこさえて、その男と掴み合いの喧嘩して飛び出してきたんだと。赤ん坊産んだばっかりなのによくやるよ……」
「つかみ合いのケンカ……」
「そう。姉貴は腕掴まれてアザができた程度だけど、仕返しに酒瓶で殴ったって言ってた。何が原因かは知らねーけどヤバすぎだろ。生後二ヶ月の赤ん坊抱いて、ダンナを酒瓶で殴打するってさ……。その姉貴が帰ってきてんの。ダンナが頭下げて迎えに来るまで絶対帰らないって」
 宮脇は驚きのあまり口に入れかけていた餃子を落とした。宮脇が知る女性は、父に暴力を振るわれてもひたすら耐えていた母と、可愛い妹の良子だけだ。酒瓶を振りかざす姿など、全く想像できない。
 清高は淡々と続ける。
「帰ってきてからオレんち完全に姉貴の天下。親父は元々月に何日かしか家に帰ってこねえし、母親はとっくに死んでるから、オレが赤ん坊の世話させられてんの。まあオムツ変えるとか、ミルク飲ませるくらいはやるけどさあ、赤ん坊って泣くんだよ。ず~~~~~っと泣くの。夜中も昼間も……。オレ元々眠りが浅いし寝付き悪いから、全然寝れてない。今も眠くて死にそう」
 吐き出すように言って、大あくびをした。整った歯並びに尖った犬歯が目立つ。
「それは大変やな」
「大変なんだわ。家にいたら姉貴に奴隷扱いされて無限にこき使われるから、外出ることにした。有香は姉貴にべったりだし、一人でぶらつくのもつまんねーからミヤに声かけたんだ。他に友達いねーからさ……」
 宮脇は『他に友達が居ない』という清高の言葉に優越感をくすぐられつつ、
「別にかまわんけど、ぶらつくって言ってもなあ。ワシ金ないぞ」
 と顔をしかめてみせる。
「どこでもいーよ。ミヤは普段何してんの?」
「ガッコの仲間と麻雀やったり、たまにバッティングセンターとか……」
「バッティングセンター!? マジかよ、シブすぎだろ!」
 何がツボにはまったのか、清高は腹を抱えて笑い出した。
「良いな、シブいよバッセン! 行きたい! オレ野球やったことないけど!」
 はしゃぐ清高に押され、宮脇は訳が分からないまま、普段から通っているバッティングセンターに向かうことになった。

 町は中央を東西に横切る鉄道の線路を境にガラリと雰囲気が変わる。清高の家がある東側は山沿いの住宅地で、宮脇の暮らす西側は古い商工業地域だ。その一角に古びたバッティングセンターはひっそりと佇んでいる。土曜の昼日中、施設は閑散としていて、常連ばかりが黙々と球を打っていた。
 宮脇は受付の女性と軽口を叩きながら二人分の料金を払い、慣れた様子でバットを選ぶ。清高は興味深そうに辺りを見回し、
「お手本見せてよ」
 とベンチに腰を下ろした。宮脇は「よう見とれ」と不敵に笑い、バッターボックスに立つ。
 そうしてワンゲーム二十球を打ち終え、
「どうや!」
 と後ろを振り返ると、清高はベンチに横たわって目を閉じていた。
「オイ! オマエが来たいって言うたんやろが!」
 フードを被った頭を軽くはたくと、
「やべえ……耐えられないほど眠ぃ……」
 と消え入りそうな声が返ってくる。
「アホ。眠いんやったら家帰れ。送ったるから」
「うう……むり……家帰ったら姉貴に捕まるもん……赤ん坊いるし、寝られる訳ねえ……」
 ベンチで丸まる清高を見下ろし、宮脇は大きく溜め息を吐いた。
「……ほなオレんち来い。オカンと良子が帰ってくるまでやったら、寝ててエエ」
 そう言った途端、清高がパチッと目を開いた。
「マジで?」
「客用の布団とかないけど、こんなとこで中途半端に寝るよりなんぼかマシやろ」
 清高はひょいと起き上がり、
「助かる~! やっぱり持つべきものはトモダチだなあ!」
 と宮脇の肩を抱く。宮脇は憮然と口角を下げた。

 バッティングセンターを出た宮脇が、住宅街の路地を歩きながら
「最初からワシの家で寝かしてくれて言うたら良かったんやんけ」
 と愚痴ると、清高は
「やー、それはなんか図々しいかなって。オレなりの遠慮っていうか?」
 と唇を尖らせて俯く。
「遠慮される方がめんどくさいわ」
「じゃあ遠慮するの止める。しばらくおまえんちに泊めてくんない?」
「アホ! それは図々しすぎるやろがい!」
 ヘッドロックをかけると「ギブギブ!」と笑いながら前腕をタップされる。じゃれ合う二人を通行人が遠巻きにして通り過ぎた。


 宮脇の自宅は、築三十年以上はゆうに過ぎていそうな二階建てアパートの一室だった。錆の浮いた外階段を上って、塗装の剥げかけた古い玄関ドアを開けると、小さな三和土に女物の靴と大きなスリッパが並んでいた。短い廊下の向こうには、ビーズを繋いだ可愛らしいのれんがかかっている。
「ヒュー! 良い感じにレトロじゃん!」
 清高はのれんを何度も手でかき分けてジャラジャラ音を立てて上機嫌だ。
 台所兼居間は畳敷きで、その向こうにも和室が二間ある。宮脇はサッと狭い居間を横切って、妹と母の部屋の襖を閉めた。
「宮脇の部屋はこっち?」
 清高は勝手に半開きの襖を開けて宮脇の私室に入る。四畳半ほどの狭い部屋だった。壁際に置かれたハンガーラックにはゴチャゴチャと衣服が掛かり、その下に置かれた衣装ケースからは下着の類いがはみ出している。窓辺にはトレーニング用グッズが乱雑に並べられ、その前に折りたたみ式のローテーブルが置かれていた。テーブルの周りには教科書やノートが転がっているが、どれもあまり使われた形跡がない。その中央に、敷きっぱなしの布団があった。
 清高は早速布団に転がり、
「わー、他人の二オイする~」
 などと枕を抱いて笑っている。
「アホ! やめぇ!」
 宮脇が赤面して枕を取り上げると、
「あ、枕いるって! イイじゃん、くせえとは言ってない」
 と寝転がったまま両手を伸ばしてくるので、その顔めがけて枕を投げつける。
「うわっ! あ、やっぱ枕はちょっとクセェな……」
「ウルサイ! 蹴り出すぞ!」
 横っ腹を軽く蹴るふりをすると、清高は笑ってそれを避けた。
「じゃ、親切に甘えて寝さしてもらうわ」
「おう」
「……一緒に寝る?」
「キッショ! アホ言うとらんと早よ寝ろ」
 ニヤニヤ笑いながら布団にスペースを作る清高の顔めがけて毛布を投げつけ、宮脇は台所へ移動して冷蔵庫から野菜を取り出す。
 枕に頭を乗せて半分目を閉じた清高が、
「料理すんの?」
 と問うと、
「おう。帰ってきて晩飯出来とったら嬉しいやろ」
 と、フラットな声音で答えが返ってくる。普段からやっているのだろう。包丁を握る手つきにはよどみがなかった。
「そっか、今日はお母さんと良子ちゃんはお出かけ?」
「良子ちゃん(、、、)? エラい馴れ馴れしいやないか」
「怒りポイントそこなんだ? じゃあ妹さん。今日はどっか行ってるの?」
「映画や。何や知らんけど、二人とも好きなアイドルがでとるんやて。オマエはしゃべっとらんで、はよ寝ろや。うるさかったら自分でふすま閉めてくれ」
「別に気にならないよ。おやすみ」
 清高は毛布を目元まで引き上げて瞼を閉じる。窓の底から聞こえる車の音と、料理の音が柔らかく耳をくすぐる。タマネギと肉を炒める香ばしい匂いに囲まれていると、すぐに眠気が訪れた。


 宮脇は手早くカレーの下ごしらえを終えて、いつも通りの量の米を炊飯器にセットする。そこで、清高も食べて行くかもしれない可能性に気づいて手を止めた。居間の置き時計は午後四時を指している。清高はよく眠っているようで、微動だにしない。少し考えてから、
「まあエエか……余ったら弁当にしたらエエし」
 と言い訳するように呟いて、一合余計に炊くことに決めた。
 炊飯予約のボタンを押し、調理器具を洗ってカゴに伏せると、やることがなくなる。宮脇はテレビの前に腰を下ろし、電源を入れて競馬中継にチャンネルを合わせた。馬券を買えない未成年だから競馬に興味はないが、バイト先の先輩どもと話を合わせるために、たまに見るようにしている。眠っている清高の邪魔にならないように音量を絞り、床にごろりと寝転がると、じわりと疲労を感じた。

 清高と居ると妙に気を張ってしまう。相手の反応がいちいち気に掛かってペースを乱される。気が合わないわけではない。むしろ合う。それなのに、一緒に居るとどこか落ち着かない気分になる。今だって目はテレビに向いているのに、意識は自室で眠る清高の方に向いたままだ。早く帰って欲しいような、夜になるまで側にいて欲しいような、奇妙な気分になって混乱する。

 いつの間にかテレビの競馬中継は終了して、夕方のニュースが流れていた。結局メインレースでどの馬が勝ったのかも分からないままだ。
 自室の窓からは強い西日が斜めに差し込み、清高の白い顔を照らしている。眩しそうに寝返りを打つのを見て、宮脇はカーテンを引いてやろうと立ち上がった。
 窓際で立ち止まって寝顔を見下ろし、思わず手を止めてしまう。宮脇はあまり顔の美醜にこだわりはない方だが、夕日に照らされた清高は息を呑むほど美しかった。

 同じ男なのにヒゲなど一本も生えなさそうな滑らかな頬が柔らかいオレンジ色に光っている。枕に散った金の髪が後光のようだ。光の束の根元は茶色い。形のいい細い眉も、薄い瞼を縁取る長い睫毛も茶だ。元々色素が薄いのかもしれない。横を向いているせいで左側しか見えないが、薄い耳には小さなピアスが三つ。投げ出された腕や力の抜けた指にもアクセサリーがついている。先日返した細い指輪は、左手の小指にあった。
 宮脇はあの店の主──原田竜弥の顔を思い出して眉を寄せる。あの男は清高とどういう関係なのだろう? 原田はカタギだと清高は笑っていたが、宮脇にはどうもそうは思えなかった。
 あの男からは、父の元をしばしば訪れた借金取りの筋モノと同じにおいがした。ああいうヤカラは、正体をはっきり告げたりしない。利用しようとする相手にはすこぶる優しく、思いやりがあるようなフリで近づいてくる。いくら警戒していても、一度標的にされればいずれ絡め取られる。父もそうだった。
 筋者からすれば、清高は将来性の見込める逸材だろう。やたらと整ったツラは女衒としても、カタギ相手のフロント企業で働かせるにも便利だろう。おまけに腕っ節も思い切りも良いし、頭も回る。ああいう男が清高を構っているというのは、嫌な感じだ。

 顔をしかめてじっと寝顔を見下ろしていると、薄い唇の端がキュッと上がり、切れ長の目が開いた。
「そんな見られると寝てらんないなあ」
 囁くような声は微かに掠れている。宮脇は慌ててカーテンを閉めて、
「スマン! 西日が眩しそうやったから!」
 と良いわけする。
「うわ~もうそんな時間? 結構ねちゃったなあ」
 清高は布団の上で大きく伸びをして、ヒョイと身を起こした。布団の上で胡座をかいて髪を結び直す。
「……お前、知らん人間の家でよう熟睡できるなあ」
 宮脇が呆れながら言うと、
「宮脇が誘ったんじゃん。知らない人間じゃないし。サンキュ。だいぶ楽になったわ」
 立ち上がった清高と間近で目があって、宮脇の心臓は大きく跳ねる。思わず身構えると、清高はふと目を伏せて笑った。色の薄い長い睫毛が頬骨の隆起に繊細な影を落とす。
「あのさ……」
 薄い唇が開いて、桃色の舌が艶やかな白い歯の奥で動く。急にひどく喉が乾いて、宮脇はゴクリと唾を飲み込んだ。
「オレ、」

 その時、玄関が開く音とともに
「ただいま~!」
 という賑やかな声がして、宮脇は慌てて居間へ向かった。
「映画すっごい良かった~! おみやげ買ってきたからお兄ちゃんも一緒に……あれ? お客さん?」
 ビーズのれんを潜って顔を出したのは、中学生くらいの少女だ。
「良子、先に手を洗って……あら、大志(たいし)のお友達? 珍し! なにアンタ、お友達来てるのに布団も出しっぱなしで、だらしない!」
 カールさせた髪を首元でくくった中年の女性が続く。宮脇の妹と母だろう。清高がスウェットのフードを整えながら、
「お邪魔してます。急に上がり込んですみません。僕、ミヤワキクンと親しくさせてもらってる清高と言います」
 と如才のない愛想笑いで会釈すると、二人は驚いたようにポカンと口を開けて固まった。
「あらまあ……ご丁寧に……」
「え、おにーちゃんの友達……? ウソでしょ」
 魂が抜けたように清高の顔を見上げる。
「ジロジロ見るなや。失礼やろ」
 宮脇が間に割って入ると、良子は慌てて手を洗いに洗面所へ向かい、母親は取り繕うような笑みを浮かべ、
「あらあら、ごめんなさいねえ! 大志が友達連れてくるの初めてやからビックリして……。ドーナツ買って来たんやけど、お友達も一緒に食べる?」
 とチェーン店のロゴが入った箱を掲げた。
「いらん、いらん。もう帰るし」
 宮脇が鬱陶しそうに首を振ると、手洗いから戻ってきた良子が
「じゃあアタシがおにーちゃんのも食べちゃお!」
 と母の手から箱を取り上げて封を開ける。
「なんでや! ワシは食うっちゅーねん!」
 宮脇は妹と言い合いを始めたが、清高が後ろから肩に顎を乗せ、
「オレもドーナツ食いたいな。帰った方が良いなら帰るけどサ」
 と耳元で言うと、大げさに飛び上がって
「お前は遠慮っちゅーモンないんかい!」
 と耳を押さえた。
「ないねえ。良子ちゃんはどれ選ぶ? オレはこれが良いな~」
 清高はホワイトチョコレートでお化け風にデコレーションされたドーナツを指さす。良子は真っ赤に頬を染め、
「あ、それアタシが食べたかったヤツで……」
 と言いよどむ。
「そっか、じゃあオレこっちにする~。ミヤ、皿ちょーだい」
「オイ……オマエなあ、エエ加減に……」
 眉間に皺を寄せる宮脇に、母親がヤカンを押しつけ、
「大志、お皿出すついでにお茶も入れて。おかーさんは、このイチゴのにしようかな。大志はどれがいい?」
「どれでも、余ったヤツでエエ。キヨ、おまえ晩飯はどうする?」
 皿を出すついでに宮脇が聞くと、清高は囓りかけていたドーナツから一旦口を離して首を傾げた。
「んー、帰りにどっかで食って帰るつもりだけど」
「ほなワシが作ったカレーで良かったら、ついでに食うて行けや」
 なるべくさりげなく言ったが、声に緊張が滲む。清高はそれには気づかず、驚いたように目を瞬かせた。
「いいのかな? 迷惑じゃない?」
 問いかけに答えたのは宮脇の母だ。
「いいわよ。大志はカレーだけは作るの上手いから安心して。ねえ良子?」
「う、うん! 食べていって下さい。多分美味しいから」
 その時、沸騰したヤカンがピーピー鳴き、宮脇はコンロの火を止めた。
「多分て何やねん。何飲む? インスタントのコーヒーか紅茶、ほうじ茶もあるけど」
「お母さんはコーヒー。クリープいれてな」
「アタシ紅茶! クリープいれてな」
「はいはい知ってる知ってる。キヨに聞いとるんや」
 清高は目を細めて
「なんでもいーよ。宮脇と一緒で良い」
 と答えたが、
「ほな、ほうじ茶やな」
 と言われてギョッとする。
「ドーナツにほうじ茶!? 意外過ぎだろ!」
「ですよね!? おにーちゃんって何にでもほうじ茶合わせるんです。ほらー、おにーちゃん変だって」
「うるさい。ほな何にすんねん! はよ決めろや」
「いや、良いよ、ほうじ茶で」
 宮脇は憮然としつつも全員分のお茶を用意し、ついでに下ごしらえの済んだ鍋にカレールーを放り込んで弱火に掛けた。
 部屋の中はドーナツの甘い香りとコーヒー、紅茶、カレーの匂いで混沌とする。
「晩ご飯作ってくれるのは良いけど、カレーはもうちょっと後の方が良かったんじゃない?」
 良子がドーナツを食べながらぶー垂れると、
「窓開けとこか」
 母親が立って掃き出し窓を開け、ついでに狭いベランダに出て洗濯物を取り込み始めた。

「ミヤんち、家族仲良いんだね」
 清高が笑うと、良子は頬を染めつつ
「そんな事ないです」
 と両手を振る。
「オイ、キヨ。お前は良子の方を向くな」
「何、嫉妬ぉ?」
「あぁん? 違うわ!」
「おにーちゃんは過保護すぎだよ。あっ、そのリング……」
 兄を押しのけた良子は、清高の左小指にはまったシルバーリングに気づいて眉を上げる。
「あ、コレ? 可愛いでしょ。つけてみる?」
 小指からリングを外して渡してやると、良子は嬉しそうに目を輝かせて指に嵌めた。良子の指には大きき過ぎて、中指にはめても回ってしまう。
「ちょっと大きいけど、すごく可愛い! これ、前にお兄ちゃんが持って帰ってきちゃったヤツだよね。お友達のってホントだったんだあ。こういうシンプルでオシャレなの、どこに売ってんですか? あんまり女の子向けのお店には置いてなくて……」
「今度一緒に見に行く?」
「ホントですか!? 行きたい!」
 清高の誘いに、良子は興奮して飛び上がる。それを宮脇が両手で押さえつけた。
「待て! 待て待て待て! それは許さん!」
「なんだよー。心配なら宮脇も一緒に来ればいーじゃん」
「ちゃうわボケ! あの店に良子連れて行くんは誰が一緒でも許さんわい!」
「何言ってんの。竜弥さんとこは高いから無理でしょ。行くのはショッピングモールの中の、もっと安いとこだよ。女の子同士だと入りにくいメンズ向けとかあるし」
 そう言われた宮脇は、何度も妹と清高の顔を見比べて、それでも首を横に振った。
「それでも、なんかアカン。許しがたい」
「ヒャハハ! 過保護~!」
「ですよね!? お兄ちゃん過保護なの! 一人で外出るなとか言うし!」
 兄に向かって唇を尖らせる良子の横顔を見て、清高は少し黙り込んだ。
 この子が被害に遭ったから、宮脇は自分を殴りに来たのだ。あの事件は解決済みとは言え、清高が良からぬ輩の怨みを買っていることは事実だ。

「あ~……そうね、確かに、今オレと外でツルむのはあんま良くないかも」
 ポツリと言うと、良子がいぶかしむような目を向けてくる。清高は空気を変えるように、宮脇の肩に腕を回し、
「よし、じゃあオレとおにーちゃんの二人で買いに行こう!」
 と言った。
「なんでそうなる!?」
「いーじゃん、宮脇は妹になんかあげたいんでしょ?」
「いや……は? なんでそれを知っとんねん」
「だって店に来た時、ユニセックスなアクセ置いてるショーケースずっと見てたじゃん」
 確かに、竜弥の店に呼び出された時、妹に似合いそうな小物を目で探していたのは事実だった。その目線に気付いて今まで覚えている清高の敏さには恐れ入る。
「おにいちゃん、ホントに誕生日プレゼントにリングくれるつもりだったんだ?」
 感激した様子の妹にキラキラした目で見つめられ、宮脇は口ごもって頭を掻く。
「まあ……その……」
「嬉しい! ありがとう! お兄ちゃんのセンスは信用できないけど、お友達さんなら自分で選ぶより素敵なの探してくれそう! よろしくお願いします!」
 期待に満ちた笑顔で言われ、引っ込みがつかなくなった宮脇は
「ま、まあ楽しみにしとってくれや……」
 と頷き、おもしろがるようにニヤニヤ笑いながらドーナツを頬ばっている清高を、怨みを込めてじっとり睨んだ。


「宮脇、料理上手いのな」
 帰りがけ、アパートの階段を降りながら、清高は柔らかい声で言った。
「アホ。カレーなんか誰が作ってもおんなじ味や」
 宮脇は三段ほど間を開けて後を追いながら、呆れたように返事する。とっくに日は沈み、辺りはもう暗くなっていて、不安定に明滅する蛍光灯が清高の影を揺らめかせていた。
「そうかも。でも美味かったよ。ごちそーさま。寝かしてくれたもの助かったわ。サンキュ」
「おう」
「良いおかーさんと妹さんだね」
「まあな。どっちも口うるさいけどな」
「そんで宮脇は良いおにーちゃんだ」
「……るっさいわ」
 階段を降りきって軽く蹴る振りをすると、清高は声を上げて笑い、
「じゃーね。今度は妹さんのプレゼント買いに行こう。また連絡するわ」
 と、サンダルの踵を引きずりながら、駅へ続く小道を歩き出す。宮脇は不意に抑えきれない名残惜しさに駆られ、清高を追いかけた。
 あまり姿勢の良くない背中に追いつくと、振り返った清高は
「何だよ? 見送りは要らねえよ。道は分かる」
 と怪訝そうに片眉を上げる。宮脇はちょっと暗い空を見上げて言葉を探し、
「ちゃう……コンビニ行くんや。牛乳買わなアカンの思い出した」
 と呟く。
「そっか。なら一緒に行こうぜ」
 清高は茶化すことなくフッと目元を緩めて頷いた。

 駅までは、人通りも街灯も少ない住宅街が続く。家々から漂う夕飯の匂いや風呂の湯気の匂いに包まれながら、二人は並んで歩いた。
 並んで歩くのは良いな、と宮脇は思った。正面にいると整った容姿にいちいち動揺してしまうせいで気が休まらないが、隣なら気にせず話せる。
 牛乳の銘柄や、カレーの辛さの好みなど、どうでも良い話をしながらゆっくりと歩くのは、子どもに戻ったような気がして思いがけず楽しかった。

 コンビニの前まで来ると、清高は
「じゃあね」
 とアッサリ手を振って、一人で駅の方へと歩いて行く。宮脇はだらしないサンダル履きが角を曲がって見えなくなるまで見送って、おもむろに引き返す。コンビニには入らず、牛乳は買わないままだった。


 自宅のドアを開けた途端、妹の弾んだ声が飛んでくる。
「おにーちゃん、お帰り。ねえあのお友達の人、どこで知り合ったの? すっごく顔が良かったんだけど!」
「止めとけ。アイツ彼女持ちやぞ」
 宮脇が靴を脱ぎながら言うと、良子はムッと頬を膨らませ、
「違うよ! そんなんじゃなくて、単にお兄ちゃんの知り合いにいなさそうなタイプだから、どこで知り合ったか気になるだけ」
 と自室に向かう宮脇の後を着いていく。
「同じ学校の子なん?」
 母親までもが興味ありげに聞いてくるので、宮脇は溜息をついて、
「花邑商業の三年。名前はキヨタカ。ケンカしかけて仲良うなっただけや。もうほっとけや」
 と襖を閉めて自室に籠もった。

 敷きっぱなしの布団へうつ伏せに倒れ込むと、知らない匂いに鼻先をくすぐられ、宮脇は思わず飛び起きた。
「……っ!」
 清高がつけていた香水だろう。
「クソッ! 小洒落やがって」
 小さく呟いて、短いくせ毛をガシガシとかき回す。頬が熱い。残り香一つで、どうしてこんなに取り乱すのか、自分でも分からなかった。