お友達からはじめましょう

 夕刻、宮脇はバイトの時間を気にしながら、母親が作り置いてあった親子丼を掻き込んでいた。
 長山公園で乱闘があった日からは既に十日が過ぎている。清高とはあれ以来顔を合わせていないが、『金谷の一味がサツにしょっ引かれた。今は起訴待ちで拘留中。余罪もあるっぽいから、しばらくは出てこないと思う』とメッセージが送られてきていた。
「ちょっと、お兄ちゃん! 制服脱ぎっぱなしにしないでって言ってるでしょ!」
 妹の良子に叱られて、宮脇は箸を動かす手を止める。
「ああ、すまん」
 と椅子から腰を上げかけると、良子は首を振ってそれを止めた。
「バイトまで時間ないんでしょ? 今日は許してあげる。でも次からはちゃんとしてよね!」
 小言を言う妹の顔は明るい。変な男に絡まれてから塞ぎ込んでいたが、犯人が捕まったと聞いて安心できたのだろう。宮脇は清高に感謝していた。自分が金谷をボコっただけでは、良子は不安なままだっただろう。清高が知恵を回して警察にタレ込んだおかげで、復讐される可能性はなくなった。
 良子は機嫌良さそうにハミングにしながら宮脇の制服を拾い上げ、
「あれ? ポケットになんか入ってるよ?」
 と首を傾げて、ポケットの中身を引っ張り出す。出てきたのは新品のように磨かれたチェーンネックレスと、小さなシルバーのリングだった。この間、清高から受け取ってすっかり忘れていた。
「なにこの指輪! かわいい! これお兄ちゃんの?」
 良子はリングをつまみ上げて歓声を上げる。
「いや、それは……知り合いの」
 モゴモゴと答えると、目を輝かせて兄を振り返った。
「知り合い? え、もしかしてカノジョ?」
「なんでやねん。男や。返せ」
「えーウソ、これメンズなんだ? でも素敵だな~。つけてみても良い?」
 良子は兄が許可を出す前にリングを指にはめ、うっとりと眺める。
「いーなー、大人っぽくてオシャレで……。私こういうの欲しいんだよね。高いのかな?」
「知らん。でも高いんちゃうか」
「いいなあ……私もうすぐ誕生日なんだけどな~」
 妹に見上げられ、宮脇はウッと言葉に詰まった。

 宮脇は妹に甘い。
 母が酒乱の父親と離婚し、母子三人でこの街へ引っ越して以来、仕事で忙しい母に代わって主に家事を引き受けているのは妹の良子だ。宮脇は今でこそ真面目に学業とバイトに精を出しているが、少し前までは荒れていて、母や妹に苦労をかけた。罪滅ぼしではないが、何か欲しいものがあるのなら何でも買ってやりたいし、自分にできることなら何でもしてやりたいと思っている。しかし、清高の物を勝手に妹にやるわけにはいかない。

 宮脇は丼の底に残った米を口に放り込み、
「よし分かった! それは返さなアカンけど、同じようなん買ったる」
 と決意を込めて言い切った。良子は一瞬顔を輝かせたが、すぐに
「無理しなくて良いよ。ちょっと困らせたかっただけ」
 と首を振って、リングを宮脇に返す。
「いーや、買うたる。楽しみにしとけ」
 宮脇が受けとったリングとチェーンを無造作にズボンのポケットに突っ込みながら言うと、良子は
「期待せずに待っとくね」
 と困ったように笑った。

 宮脇は食卓で宿題をする妹のために場所を空け、流しに食器を運ぶ。丼を洗い始めると、
「お兄ちゃん、やっぱり今も大阪に帰りたいん?」
 とノートに目を向けたままの良子に問いかけられた。普段は完璧に標準語のイントネーションで話す妹だが、家族の前でだけ時折西の訛りが顔を出す。
 宮脇はちょっと考え込み、
「まあ……いや、そうでもない。なんでや?」
 と聞き返した。
「だって、いつまでもコッテコテの関西弁だし。こっちに馴染む気ないのかなって」
「そういうわけやないけど……」
 洗い終えた食器を籠に伏せつつ、宮脇は口ごもる。

 この町に引っ越してきてもう五年になるが、未だに大阪に戻りたい気持ちは強かった。
 宮脇が生まれたのは南大阪の田舎で、近所同士の繋がりの深い地域だった。隣近所の同世代の子どもたちと兄弟のように育ち、血のつながりはないけれど家族のような人たちが沢山周りに居た。酒乱の父親が暴君として君臨していた家には何の未練もないが、故郷のことは今でも恋しい。しかし、夜逃げ同然にここへ越してきたのだから、ほとぼりが完全に冷めるまで故郷に戻ることはできない。
 越してきたばかりの頃は、父に対する怒りや、理不尽な環境の変化に戸惑う気持ちが整理できず、宮脇は酷く荒れていた。絶対に馴染むものかと頑なになって、生活態度も言葉も変えずに突っ張っていた。その態度が周りの反感を買い、喧嘩になる。悪循環だと分かっていたが、どうしても変えられない。頑固なのだ。

「あんまりこだわっても、いいこと無いと思う。そろそろやめたら?」
 妹の冷静な指摘に、宮脇はぐっと言葉に詰まる。五つも年下なのに、妹は自分より余程冷静だし、大人だった。
「まあ、そうかもしれんな。ほな……じゃあ、行ってきます」
 少し打ちのめされた気分で手を拭い、バイト用の作業服を羽織って玄関に向かうと、妹の「気をつけて」という声が小さく聞こえた。

 宮脇は憂鬱な気分でアパートの駐輪場から錆だらけの自転車を引っ張り出し、サドルに跨がる。ペダルに足を掛けると、す盆のポケットでチェーンが金属質の音を立てた。
「あ……コレ返さなアカンな」
 スマホで時間を確認すると、出勤時間まではまだ猶予がある。先日清高に呼び出されたあの店は、今日のバイト先と同じ方向だ。出勤前についでに寄って、リングを返す時間くらいはあるだろう。もし店が閉まっていても、また今度返せば良い。宮脇はそう決めて、軋むペダルを勢いよく踏んだ。

 紫がかった薄闇の中、車の列に交じってガタつく自転車で広い道を飛ばす。十五分ほど一心にペダルを漕いで、町工場が立ち並ぶ狭い道に入ると、どこからかキンモクセイが香った。ふと清高の白い横顔が脳裏に浮かぶ。トモダチになったことを喜んでいたくせに、事件の経緯を報告してきて以来、何の音沙汰もない。それが何となく不満だった。

 町工場のほとんどは既にシャッターを下ろして沈黙しており、狭い路地に人通りは多くない。時折遠くで電車の音がするだけで、町は既に眠ったように静かだ。ガチャガチャとうるさく音を立てる自転車に引け目を感じながら、小さなシルバーショップの前に辿り着く。店先はまだ開いているようで、ドアには【OPEN】の札がかかっていた。広い窓から見える店内には、以前と変わらず客の姿はない。
 そっとドアを開けて中に入ると、すぐに
「こんばんは。何かお探しですか?」
 と声を掛けられた。暗いカウンターの中にいるのは、見覚えのない若い男だ。右の首筋からこめかみまでびっしりと彫られたトライバル柄のタトゥーが目立っている。半袖の腕にも、黒一色の彫り物がびっしり絡みついていた。短い黒い髪、薄く色のついた丸眼鏡、耳や顔の随所にぶら下がる銀のピアス。細身で上背はないが、迫力のある外見だ。この男がオーナーなのだろうか?
 宮脇は一瞬気圧されたが、すぐに気を取り直して、
「いや、買い物に来たんじゃないんです。これ、キヨタカ君に返したいんですけど」
 とポケットから取り出したリングをカウンターに乗せた。タトゥーの男は
「ああ、君はモトイのトモダチ? もうすぐ来るから直接返せば?」
 と眼鏡の奥の目を面白がるように細める。〝モトイ〟と親しげに名を呼ぶのが気に障って、宮脇は
「待ってる時間はないんで、申し訳ないっすけど渡しておいてください」
 と素っ気なく踵を返す。ドアを開けると、
「……これね、オレがモトイに会った頃に作ってやったヤツなの。無くされたらショックだから、戻ってきて良かったよ。君、名前は?」
 と店主の声が追ってきた。振り返ると目が合う。口角は綺麗に上がっているが、色つき眼鏡の奥の目は全く笑っていない。
 宮脇はとてつもなく不愉快になった。会ったばかりだが、この男とはこれ以上会話をしたくない。こんな男の店で働いている清高の気が知れない、と思った。
「名前、教えて?」
「キヨタカに訊いて下さい」

 店主を睨め付けて店を出た宮脇は、自転車を急発進させた。サドルから半分尻を浮かせ、全力でペダルを漕ぐ。あの店主は良くないと勘が告げていた。見た目のせいではない。やんわりと押しつけがましい口調と、絡みつくような鋭い視線に、ヤクザ者特有のいやらしさがあった。
 スピードを緩めないまま急角度で角を曲がると、死角に居た歩行者とぶつかりかける。宮脇は慌てて両手でブレーキを握りしめ、両足の裏を地面に擦り付けた。甲高い音がして、正面衝突直前でギリギリ車体が止まる。
「……ッブねーだろ! どこに目をつけてんだ、気をつけろボケッ!」
 勢いよく罵声を浴びせかけてきたのは清高だった。自転車に乗っているのが宮脇だと気づくと、目をぱちくりさせる。
「あれ? 宮脇? 何してんの、こんなとこで」
 宮脇はバツが悪そうに自転車から降り、
「指輪返しに来た。……前にチェーン磨いてくれたやろ? あの後、オマエの指輪も一緒に持って帰ってたみたいで」
 と軽く頭を下げた。 
「え、わざわざ? そんなの、今度会う時で良かったのに」
「いつ顔会わすかわからんやろが」
 憮然と言うと、清高は
「それもそうか。じゃあ、返して」
 と手の平を差し出す。
「いや……店におった刺青の人に渡した」
「竜弥さんに?」
「名前は知らん。あれ、カタギなんか?」
 宮脇が声を潜めて問うと、清高はヘラりと笑い、
「あー、カタギカタギ。心配ない。知り合いがタトゥーアーティストで、その伝手だってさ。ところで、宮脇はそんなシブい服着てどこ行くの? バイト?」
 と手を伸ばして作業服の襟を指で弾く。
「そうバイト。倉庫で荷物の仕分け。時間やし、もう行くわ」
 宮脇は作業服の裾を伸ばして、再びペダルに足を乗せた。が、動かない。どうやら、さっき急ブレーキをかけた時にチェーンが外れてしまったようだ。サドルから降りて確認したが、暗くてよく見えない。
「故障? こっちで直せば?」
 清高は道の脇にある小さな児童公園を指さす。宮脇が自転車を持ち上げて無人の公園へ運ぶと、何故かついてきた。
「お前もバイト違うんか?」
「いや、今日は竜弥さんと遊ぶだけ。時間も約束してないから別に良いんだ。ほら、早く直せよ」
 清高は自分のスマホのライトをつけて、外れたチェーンを照らす。手助けしてくれるらしい。宮脇は黙ってチェーンと格闘し始めたが、古い自転車はあちこち錆び付いていて、工具なしでは直せそうもない。
「アカンわ。お手上げや」
 と溜め息を吐いて立ち上がると、しゃがんで手元を照らしていた清高は「エエ~」と声を上げた。
「じゃあどうすんの?」
「バイト先に遅刻するって連絡入れて、コレ持って歩いていくしかない。そんなに距離ないから、どないかなるやろ」
「マジかよ。こっからバイト先までどれくらい?」
「歩いて十五分……かなあ」
「十五分!? どんな苦行だよ! ここに放置していったら?」
「そらアカンやろ。盗まれる」
「……ん~……じゃあ竜弥さんの店のガレージ借りる? 多分工具もあるし……」
 歯切れ悪く言う清高に、宮脇はキッパリ首を振って断わる。
「遠慮する。ワシあの人ちょっと苦手や」
「ハハ……ビビってんの?」
「ちゃうわ。ヤクザに借り作りたないだけや」
「だから、竜弥さんはヤクザじゃねえって」
「そうかもしれんけど、ワシはああいう男に関わりたくない。妹もおるしな」
「ああ、妹さんは絶対近づかない方が良いよ。あの人、手が早いし移り気だから」
 清高は両手をポケットに突っ込んで俯き加減に笑った。時折明滅する薄暗い街灯が整った顔を青白く照らす。荒んだ表情が気になった。
「……オマエ、アイツとどういう関係やねん」
「どうって? バイト先のオーナーと従業員だよ」
「でも夜中に遊びに行くんやろ?」
「バイト仲間と遊びに行くことくらい、アンタもあるでしょ?」
 挑むような上目遣いで笑いかけられ、宮脇は黙り込む。確かにバイト先の知り合いと遊ぶことは不思議ではないが、夜中に高校生を呼び出すオーナーは常識外れだ。そう指摘しようと思ったが、口に出す直前で止めた。自分には、清高の行動に口出しする権利がない。
「……まあ……エエけど。気をつけろよ。なんかあったら言えや。ワシにできることあったら協力するし」
 かろうじてそれだけ言うと、清高は短く笑った。
「ハハハッ! 何それ!」
「知らんけど。ほんなら、またな」
 宮脇は壊れた自転車をヒョイと持ち上げて公園を後にする。清高が、遠ざかる作業服の背中に向かって
「なあ! 今度どっか二人で遊びに行こうぜ!」
 と声を掛けると、宮脇は振り向かないまま
「おう」
 と片手を上げた。


 宮脇が見えなくなると、清高は小さなブランコに腰を下ろして、スマホを確認した。店からの着信が一件。タイムスタンプはついさっきになっている。竜弥はいつも店用の携帯電話から通話を掛けてくる。メッセージアプリのIDは知らされていない。それで事足りる程度の関係なのだ、と思うと寂しかった。清高は月のない夜空を見上げて溜息をつく。

 原田竜弥と知り合ったのは、中学三年の冬だった。
 有香に連れられて訪れたハンドメイドのイベントで、原田が店を出していたのだ。女性向けのキラキラしたアクセサリーショップが多い中で、彼のブースだけが異彩を放っていた。清高は原田の作品に夢中になった。シルバーはどれも中学生の小遣いで買えるような値段ではなかったが、細い革紐のブレスレットならギリギリ買えそうで、それを買うと言ったら原田は大幅に値引きしてくれたのだ。大げさに礼を言う清高に向かって、原田は
『高校生になったらバイト代を貯めてシルバーを買いに来て』
 と優しく微笑んだ。薄く色のついたレンズ越しに意味深に見つめられ、手首にそっと革紐を巻かれて、幼い清高の鼓動は止まりそうになった。

 どうしようもない一目惚れだった。

 それから、清高は原田の店に通い詰めた。原田は商売の邪魔にしかならない清高をバイト見習いとして受け入れ、接客やレジの打ち方、アクセサリーの手入れの仕方や簡単な修理方法を教えてくれた。高校に行かずに原田の下で職人になると言った清高をなだめ、勉強の見ることまでしてくれた。清高が商業高校を受験したのは、原田の店の役に立てるかもしれないと思ったからだ。その時の清高にとっては、原田が世界の全てだった。
 そして、中学を卒業する日、原田は『卒業祝いと、今までのバイト代』と言って、清高にリングをくれた。丁度薬指にぴったりのサイズの銀の輪。欲しくてたまらなかった、原田の作品だった。清高は天にも昇らんばかりに舞い上がり、勢い余って原田に淡い恋心を打ち明けたのだ。
 その時のことを思い出すと、今でも羞恥で死にたくなる。しかし、原田は甘ったれたガキの告白を笑わずに受け入れ、優しく抱きしめてくれた。中学を卒業したばかりの子どもに手を出す原田の倫理観は終わっている。しかし、自分を愛してくれる年上の男を心底求めていた当時の清高にとって、そんなことはどうでも良かったのだ。
 清高は原田の手で知らなかった快感を教えられ、満たされなかった部分を埋めてもらって、有頂天になった。知りたかったことを知り、欲しかった物を与えられて、清高は確かに幸せだった。

 しかし半年も経てば恋愛の陶酔感は消え、情熱も冷め始める。原田は清高が求めれば応えてくれるが、恋人とは言えない。プライベートの携帯番号さえ知らず、店の外で会ったこともない。休日に何をしているかも知らない。どこか他の国に清高よりも優先する〝princessa〟が居る。
 勘の良い清高は、原田にとって自分がただの暇つぶし兼、性欲発散用の愛人だと気付いている。それでも、ひょっとしたら自分が高校を卒業して世間的に大人と見なされるようになれば、日本国内で原田のパートナーになれるかもしれない、という淡い望みを捨てきれない。

 今晩も微かな希望に縋るようにここまで来たが、宮脇の顔を見て気が削がれてしまった。宮脇は真っ当だ。後ろめたく淫靡な関係を知られたら、きっと酷く軽蔑されるだろう。
 店へ向かう気がなくなって、このまま帰ってやろうかなとブランコを小さく揺らしていると、握った手の中でスマホが震えた。原田からの着信だ。
「はい?」
 ぶっきら棒に応答すると、
『無事?』
 と尋ねられる。
「はは、無事っすよ。何で?」
『待ってても中々来ないから心配した。今日は止めとく?』
 通話口から聞こえてくる声は優しい。何も期待していないから優しいのだ。
「どーしよっかな……」
 清高は何も考えないまま呟く。実際、どうでも良かった。
『さっきキミのトモダチが来たよ。リング間違って持って帰っちゃったからって、わざわざ返しに来た』
 宮脇のことだ。何となく反抗的な気分になって、
「レジんとこに置いといてよ。明日店開けに行った時に持って帰るから。今日はそっち行くの止めとく」
 と言うと、
『取りにおいで。でないと間違って坩堝(るつぼ)で溶かすかも』
 と、からかうような調子で言われた。

───別にそれでも良いんだけどな……

 憂鬱な気分で顔を上げると、公園の入り口に原田が立っていた。清高は驚いてブランコから飛び降りる。
「なんで居るんすか!?」
「迎えに来た。どうせ近くに居るだろうと思って」
 原田は薄く笑ってスマホを持った手を軽く振る。
「……ソリャドウモ」
 苦い気持ちで側に寄ると、左手を取られてリングを嵌められた。もらった時は薬指にぴったりだったが、今は小指にしかはまらない。
「もうなくすなよ」
 恋人にするようにこめかみに唇を押しつけられると、清高の心は揺れた。やっぱり好きではあるのだ。
「……そういうのいーよ。先シャワー借りて良い?」
 切なさを振り切るようにわざと明るく言うと、原田は「どうぞ」と片眉を上げて微笑した。