お茶には遅く、夕食には早い時間のファミリーレストランは空いていた。
広い店内には花商の制服を着た生徒がチラホラと座っている。詮索するような視線を無視して、三人は奥のボックス席に陣取った。清高と有香が並び、テーブルを挟んで向かいに宮脇が腰を下ろす。
注文を済ませて、それぞれドリンクをテーブルに置くと、
「それで?」
と有香が宮脇に向けて問いかけた。妹以外の若い女性とは、ほとんど話したことのない宮脇は、気まずさを隠すようにメロンソーダをスプーンで忙しなくかき回しながら、
「それでって?」
と聞き返す。
「だから、妹さんが襲われたのは、いつ、どこでよ? 一応、私が知らないとこでキヨが悪さした可能性もあるでしょ。アリバイ調べだよ」
有香はカップから紅茶のティーバッグを皿に取り出し、至極真面目に言った。
「取り調べかよ。パパにやり方教わった?」
清高がからかうのを冷たい目で黙らせ、
「パパは関係ない。で、どうなの?」
と首を傾げる。宮脇は四角い顎を撫でてちょっと考え込み、
「……先週末の塾帰りや。すぐに花邑にカチ込みたかったけど、土日は休みやから」
と答えた。
「先週の金曜? 何時頃? 現場はどの辺?」
「夜九時過ぎ。塾は駅前や。いつもはオレが迎えに行くんやけど、この日はちょっとバイトが長引いて間に合わんかった。あんな目に遭うって分かってたら、塾で待たせてたのに……」
宮脇は悔しげに拳を握る。
「金曜九時。キヨはどこに居たの?」
冷たく問われた清高は、
「マジで取り調べじゃん。ちょっと待ってよ……」
と言いながら、ぺしゃんこのスクールバッグを開け、中を漁って財布を取り出す。中からいくつもクシャクシャのレシートを引っ張りだして日時順に並べ、そのうちの一枚を指先で挟んで持ち上げた。
「あ、あった。コレ、霞町のコンビニのレシート。二十一時三分! 霞町から駅まではバイクでも十分かかるし、あの日オレは徒歩移動だったから、もっと時間がかかるはずだ。だからオレは完全無罪よ。疑うなら竜弥さんに聞いてもらってもいい」
それを聞いて有香は盛大に顔をしかめる。
「アンタまだあの男と付き合いあるの?」
「それについてはノーコメント」
宮脇は何気なく清高が投げ出したレシートを手に取り、避妊具の品名が印刷されているのに気づいて、すぐにテーブルに投げ出した。清高は、宮脇の耳の先が赤くなっているのに目ざとく気付き、
「何? ミヤワキクン、ドーテー?」
とニヤつく。宮脇はギョロリと清高を睨み、テーブルを拳で叩いて
「関係ないやろ」
と低声で凄んだ。そこに、注文したメニューが運ばれてきた。有香は笑い転げる清高の頭を叩き、テーブルの上に散らかったレシートをまとめて元の財布に押し込んだ。
有香は宣言通りマロンパフェを一人で味わい、清高はアップルパイの中身の煮リンゴばかりをスプーンでほじくり出して食べている。行儀が悪い。
何も頼まなかった宮脇が手持ち無沙汰でドリンクをすすっていると、清高がパイ皮だけを載せたスプーンを差し出して、
「食う?」
と機嫌の良い猫のような顔で笑った。嫌がるのを分かっていてやっているのだろう。宮脇がムッとしつつスプーンに噛みつくと、一瞬切れ長の目を丸くし、その後に爆笑した。
「アハハハ! ミヤワキクン、アンタおもしれーな!」
宮脇はしかめ面のまま口の中のものを飲み込み、
「ワシは誰が妹を襲ったかを知りたい。協力してくれ」
とテーブルに額が着くほど頭を下げる。
「……ミヤワキクンはイイお兄ちゃんだねえ。良いよ、協力する。オレも、オレのフリして悪さしてるヤツのさばらしとくのは気分が悪い。有香、知ってる情報を教えてくれよ。ミヤワキクンの件以外にもなんかあるだろ?」
紅茶のカップに口をつけつつ高速でスマホをいじっていた有香は、画面から目を離さないまま、
「そういうと思って、今パパに詳細送ってもらった。……始まったのは先週くらいかららしいね。花邑の制服着た金髪の長髪が、繁華街で他校の不良に喧嘩売って通報されたり、ちょっかい掛けられた女の子が交番に訴えてきたり……そんな大した悪さじゃないけど、犯人がキヨじゃないかって噂が結構流れてるみたい」
と言った。
「聞いてねえぞ。誰だ、んなしょーもねえ事やってるヤツ! いっぺん心当たりあるヤツ全員ブチのめすか」
清高はイライラとストローを噛みつぶす。
「やめなよ。顔見たらキヨじゃないってすぐ分かるよ」
宮脇は有香の意見に頷く。簡単に見間違いが起こるようなツラではない。しかし清高は憂鬱そうに頬杖を突いた。
「どーだろーね……まあちょっと探り入れてみる。なんか分かったら連絡するから、ID教えといて」
怠そうにスマホを差し出され、宮脇は慌てて尻ポケットから自分のスマホを取り出した。その画面がバキバキに割れているのを見て、清高はまた腹を抱えて笑う。
「ヒャハハ! 画面バッキバキ! ミヤワキクンっぽ~い」
「うるさいわい! ワシのこと何も知らんやろが!」
赤面する宮脇からスマホを取り上げ、あっという間に連絡先を交換する。
「これ、オレのIDね。そっちも情報掴んだら知らせてよ」
宮脇は頷いてメロンソーダを飲み干し、
「ほな、ワシはもう帰るわ。これ、慰謝料」
と財布から取り出した二千円をテーブルに置いて席を立った。
◆◇◆◇◆
ファミレスを後にした宮脇は、両手をポケットに突っ込んで通りをのし歩く。女子生徒の多い花商の近くでは、自分の黒い学ランが浮いているように思えて居心地が悪い。妹の仇討ちのつもりで勇んでやって来たのに、ひどい肩透かしを食らってしまった。
花商のキヨタカモトイの名前は、以前から知っていた。
清高の通う花邑商業高校と、宮脇の通う岩瀬川工業高校は、どちらも学力レベルは底辺で、県下でも悪名の高い不良校だ。駅を挟んで東西に位置する二校の生徒同士は、昔から対抗意識が強い。岩瀬川の不良どもを牛耳っている宮脇の耳には、花商のキヨタカの噂がしょっちゅう飛び込んできていた。
曰く、腕っ節よりもずる賢さでのし上がった卑怯者、やたらとツラが良く、女を侍らせて貢がせている、女に稼がせた金を賭博につぎ込んでいる……等々。
噂は色々出回っている割に、本人を知る者は少なく、宮脇も今日初めて顔を見た。
ツラを拝んだ後では、彼が前に出たがらないのも理解できた。あんな整った容姿では、出て行くだけで恨みを買う。ケンカの弱い卑怯者だという噂も、やっかみから来るでっちあげだろう。
やりあった時間は短いが、清高は明らかに喧嘩に慣れていた。殴ることにも、殴られることにも、まるで躊躇いがない。喧嘩では腕力で優れる者よりも、躊躇いがない者が強い。だからアイツはきっと強い。
妹を襲ったのが清高でないことは分かった。しかし、だとしたら一体誰がやったのだろう?
清高が他にも濡れ衣を着せられているというのも気に掛かる。出会ったばかりだが、宮脇は既に清高を友のように感じている。友の窮地を見捨てるわけにはいかない。
「帰ったらもう一回良子に話を聞いてみるか……」
夕暮れの空の下、独りごちて家路を急いだ。
◆◇◆◇◆
「良いヤツだったね、ミヤワキクン」
ファミレスに残った清高は、宮脇が置いて行った二千円を手に持ってニヤニヤと笑った。
「今頃向こうはアンタみたいなのと知り合ったことを後悔してるわよ」
有香は二杯目の紅茶にミルクを注ぎ、
「それよりアンタ、未だに原田と付き合ってんの? いい加減、止めな」
と顔を上げて清高を見た。
「心配してくれてんの? 有香ちゃん優しいね」
「……そりゃ心配するわよ。アンタになんかあったら泰巳さんが悲しむ」
茶化す清高に、有香は唇を尖らせる。
泰巳というのは清高の姉だ。兄弟仲はすこぶる悪い。姉は三年前に家を出て行ったきり連絡を取っていない。
「姉貴はオレがどっかで野垂れ死んでも泣いたりしねーし、悲しまねえよ」
清高が不機嫌に鼻の頭に皺を寄せて言うと、
「そんなことない。アンタは泰巳さんのこと全然分かってないよ」
と有香は激しく首を振った。
「まだそんなこと言ってるの。いい加減姉貴に夢見るの止めな?」
呆れて言うと、
「だったらアンタも原田に夢見るの止めな?」
と即座に返され、憮然となる。
「……そりゃ無理だ。オレまだ竜弥さんのこと好きだもん」
「だったら、私も無理だよ。まだ泰巳さんのこと好きだもん」
二人は一瞬目を見交わし、同時に溜め息を吐く。
清高はそれ以上言い合うのを避けて、ボンヤリと窓に目を向けた。ガラスの向こうには薄闇が広がっている。口が裂けても都会だとは言えないが、自然豊かな田舎というわけでもない。首都圏からは微妙に遠く、人口はジリ貧で特筆するような産業もない。随分昔に開発された住宅地には空き家が増え、町を貫く国道沿いには大企業の物流倉庫が並んでいる。どこにでもある中途半端な地方都市。この町で清高と有香は生まれた。
清高家は基が二歳、泰巳が七歳の時に母を亡くしている。仕事で家を空けがちだった父親は、親しかった隣人の山上家に姉弟を預けた。情に厚い有香の父母はそれを引き受け、清高姉弟と有香は家族同然に育った。
有香は当時から姉の泰巳にべったり懐いていて、泰巳も有香を可愛がっていた。二人は本当の姉妹よりも親密で、ほとんど恋人同士のようだった。ハグや軽いキスは当たり前で、それ以上の事もしていたのではないかと清高は疑っている。
泰巳は高校を卒業すると、家族にも山上家にも行く先を告げずに一人で町を出て行った。
当時中学生だった清高は、姉の行動を不思議だとは思わなかった。たまにしか家に帰らない父は、姉を無料の家政婦扱いしていたし、自分とそっくりの顔をした姉が、性欲ばかり強い男たちに囲まれて苦労していたのを知っているからだ。
冷静だった清高と違って、有香は酷く落ち込んだ。学校も行かず、部屋に閉じこもるようになり、食事もほとんど取らなくなった。「元気づけてやって欲しい」と有香の両親にすがりつかれた基は、ない知恵を振り絞って、姉のフリをして有香の部屋を訪ねた。夢と現実を混同するほど精神的に参っていた有香は、基を泰巳だと思い込んだ。まだ声変わりも完全には終わっていなかった基は、驚くほど姉に似ていたからだ。
そこから二人の奇妙にねじれた関係が始まった。
キスをしたのはどちらからだったか、もう覚えていない。姉そっくりの基に、有香は秘めた欲望をぶつけ、基は受け入れた。しかし、それを男女の関係とは言えないだろう。基の欲望は女性に向かわなかったし、有香は基が男であることを認めなかった。
しかし、自傷しながらさらにお互いを傷つけあうような日々は、長くは続かなかった。基の背が伸び、姉の服を着ることができなくなると、二人とも正気に戻らざるを得なくなる。そのまま疎遠になっても不思議はなかったが、二人はお互いだけが知る秘密を抱えて、ただの幼なじみに戻ることを選んだ。
「オレたちって、ややこしい関係だよねえ」
清高が過去を思い出しながら呟くと、有香は泣きそうな顔になった。
「……後悔してる?」
「全然。有香は?」
「……アンタってさあ」
有香は何か言いたげだったが、結局言わずに
「もう帰る」
と鞄を持って立ち上がる。
「じゃあオレも帰る~。送っていくよ」
「何言ってんの、隣でしょ!」
軽口をたたき合いつつ、二人は微妙な距離を保って家路を辿った。
広い店内には花商の制服を着た生徒がチラホラと座っている。詮索するような視線を無視して、三人は奥のボックス席に陣取った。清高と有香が並び、テーブルを挟んで向かいに宮脇が腰を下ろす。
注文を済ませて、それぞれドリンクをテーブルに置くと、
「それで?」
と有香が宮脇に向けて問いかけた。妹以外の若い女性とは、ほとんど話したことのない宮脇は、気まずさを隠すようにメロンソーダをスプーンで忙しなくかき回しながら、
「それでって?」
と聞き返す。
「だから、妹さんが襲われたのは、いつ、どこでよ? 一応、私が知らないとこでキヨが悪さした可能性もあるでしょ。アリバイ調べだよ」
有香はカップから紅茶のティーバッグを皿に取り出し、至極真面目に言った。
「取り調べかよ。パパにやり方教わった?」
清高がからかうのを冷たい目で黙らせ、
「パパは関係ない。で、どうなの?」
と首を傾げる。宮脇は四角い顎を撫でてちょっと考え込み、
「……先週末の塾帰りや。すぐに花邑にカチ込みたかったけど、土日は休みやから」
と答えた。
「先週の金曜? 何時頃? 現場はどの辺?」
「夜九時過ぎ。塾は駅前や。いつもはオレが迎えに行くんやけど、この日はちょっとバイトが長引いて間に合わんかった。あんな目に遭うって分かってたら、塾で待たせてたのに……」
宮脇は悔しげに拳を握る。
「金曜九時。キヨはどこに居たの?」
冷たく問われた清高は、
「マジで取り調べじゃん。ちょっと待ってよ……」
と言いながら、ぺしゃんこのスクールバッグを開け、中を漁って財布を取り出す。中からいくつもクシャクシャのレシートを引っ張りだして日時順に並べ、そのうちの一枚を指先で挟んで持ち上げた。
「あ、あった。コレ、霞町のコンビニのレシート。二十一時三分! 霞町から駅まではバイクでも十分かかるし、あの日オレは徒歩移動だったから、もっと時間がかかるはずだ。だからオレは完全無罪よ。疑うなら竜弥さんに聞いてもらってもいい」
それを聞いて有香は盛大に顔をしかめる。
「アンタまだあの男と付き合いあるの?」
「それについてはノーコメント」
宮脇は何気なく清高が投げ出したレシートを手に取り、避妊具の品名が印刷されているのに気づいて、すぐにテーブルに投げ出した。清高は、宮脇の耳の先が赤くなっているのに目ざとく気付き、
「何? ミヤワキクン、ドーテー?」
とニヤつく。宮脇はギョロリと清高を睨み、テーブルを拳で叩いて
「関係ないやろ」
と低声で凄んだ。そこに、注文したメニューが運ばれてきた。有香は笑い転げる清高の頭を叩き、テーブルの上に散らかったレシートをまとめて元の財布に押し込んだ。
有香は宣言通りマロンパフェを一人で味わい、清高はアップルパイの中身の煮リンゴばかりをスプーンでほじくり出して食べている。行儀が悪い。
何も頼まなかった宮脇が手持ち無沙汰でドリンクをすすっていると、清高がパイ皮だけを載せたスプーンを差し出して、
「食う?」
と機嫌の良い猫のような顔で笑った。嫌がるのを分かっていてやっているのだろう。宮脇がムッとしつつスプーンに噛みつくと、一瞬切れ長の目を丸くし、その後に爆笑した。
「アハハハ! ミヤワキクン、アンタおもしれーな!」
宮脇はしかめ面のまま口の中のものを飲み込み、
「ワシは誰が妹を襲ったかを知りたい。協力してくれ」
とテーブルに額が着くほど頭を下げる。
「……ミヤワキクンはイイお兄ちゃんだねえ。良いよ、協力する。オレも、オレのフリして悪さしてるヤツのさばらしとくのは気分が悪い。有香、知ってる情報を教えてくれよ。ミヤワキクンの件以外にもなんかあるだろ?」
紅茶のカップに口をつけつつ高速でスマホをいじっていた有香は、画面から目を離さないまま、
「そういうと思って、今パパに詳細送ってもらった。……始まったのは先週くらいかららしいね。花邑の制服着た金髪の長髪が、繁華街で他校の不良に喧嘩売って通報されたり、ちょっかい掛けられた女の子が交番に訴えてきたり……そんな大した悪さじゃないけど、犯人がキヨじゃないかって噂が結構流れてるみたい」
と言った。
「聞いてねえぞ。誰だ、んなしょーもねえ事やってるヤツ! いっぺん心当たりあるヤツ全員ブチのめすか」
清高はイライラとストローを噛みつぶす。
「やめなよ。顔見たらキヨじゃないってすぐ分かるよ」
宮脇は有香の意見に頷く。簡単に見間違いが起こるようなツラではない。しかし清高は憂鬱そうに頬杖を突いた。
「どーだろーね……まあちょっと探り入れてみる。なんか分かったら連絡するから、ID教えといて」
怠そうにスマホを差し出され、宮脇は慌てて尻ポケットから自分のスマホを取り出した。その画面がバキバキに割れているのを見て、清高はまた腹を抱えて笑う。
「ヒャハハ! 画面バッキバキ! ミヤワキクンっぽ~い」
「うるさいわい! ワシのこと何も知らんやろが!」
赤面する宮脇からスマホを取り上げ、あっという間に連絡先を交換する。
「これ、オレのIDね。そっちも情報掴んだら知らせてよ」
宮脇は頷いてメロンソーダを飲み干し、
「ほな、ワシはもう帰るわ。これ、慰謝料」
と財布から取り出した二千円をテーブルに置いて席を立った。
◆◇◆◇◆
ファミレスを後にした宮脇は、両手をポケットに突っ込んで通りをのし歩く。女子生徒の多い花商の近くでは、自分の黒い学ランが浮いているように思えて居心地が悪い。妹の仇討ちのつもりで勇んでやって来たのに、ひどい肩透かしを食らってしまった。
花商のキヨタカモトイの名前は、以前から知っていた。
清高の通う花邑商業高校と、宮脇の通う岩瀬川工業高校は、どちらも学力レベルは底辺で、県下でも悪名の高い不良校だ。駅を挟んで東西に位置する二校の生徒同士は、昔から対抗意識が強い。岩瀬川の不良どもを牛耳っている宮脇の耳には、花商のキヨタカの噂がしょっちゅう飛び込んできていた。
曰く、腕っ節よりもずる賢さでのし上がった卑怯者、やたらとツラが良く、女を侍らせて貢がせている、女に稼がせた金を賭博につぎ込んでいる……等々。
噂は色々出回っている割に、本人を知る者は少なく、宮脇も今日初めて顔を見た。
ツラを拝んだ後では、彼が前に出たがらないのも理解できた。あんな整った容姿では、出て行くだけで恨みを買う。ケンカの弱い卑怯者だという噂も、やっかみから来るでっちあげだろう。
やりあった時間は短いが、清高は明らかに喧嘩に慣れていた。殴ることにも、殴られることにも、まるで躊躇いがない。喧嘩では腕力で優れる者よりも、躊躇いがない者が強い。だからアイツはきっと強い。
妹を襲ったのが清高でないことは分かった。しかし、だとしたら一体誰がやったのだろう?
清高が他にも濡れ衣を着せられているというのも気に掛かる。出会ったばかりだが、宮脇は既に清高を友のように感じている。友の窮地を見捨てるわけにはいかない。
「帰ったらもう一回良子に話を聞いてみるか……」
夕暮れの空の下、独りごちて家路を急いだ。
◆◇◆◇◆
「良いヤツだったね、ミヤワキクン」
ファミレスに残った清高は、宮脇が置いて行った二千円を手に持ってニヤニヤと笑った。
「今頃向こうはアンタみたいなのと知り合ったことを後悔してるわよ」
有香は二杯目の紅茶にミルクを注ぎ、
「それよりアンタ、未だに原田と付き合ってんの? いい加減、止めな」
と顔を上げて清高を見た。
「心配してくれてんの? 有香ちゃん優しいね」
「……そりゃ心配するわよ。アンタになんかあったら泰巳さんが悲しむ」
茶化す清高に、有香は唇を尖らせる。
泰巳というのは清高の姉だ。兄弟仲はすこぶる悪い。姉は三年前に家を出て行ったきり連絡を取っていない。
「姉貴はオレがどっかで野垂れ死んでも泣いたりしねーし、悲しまねえよ」
清高が不機嫌に鼻の頭に皺を寄せて言うと、
「そんなことない。アンタは泰巳さんのこと全然分かってないよ」
と有香は激しく首を振った。
「まだそんなこと言ってるの。いい加減姉貴に夢見るの止めな?」
呆れて言うと、
「だったらアンタも原田に夢見るの止めな?」
と即座に返され、憮然となる。
「……そりゃ無理だ。オレまだ竜弥さんのこと好きだもん」
「だったら、私も無理だよ。まだ泰巳さんのこと好きだもん」
二人は一瞬目を見交わし、同時に溜め息を吐く。
清高はそれ以上言い合うのを避けて、ボンヤリと窓に目を向けた。ガラスの向こうには薄闇が広がっている。口が裂けても都会だとは言えないが、自然豊かな田舎というわけでもない。首都圏からは微妙に遠く、人口はジリ貧で特筆するような産業もない。随分昔に開発された住宅地には空き家が増え、町を貫く国道沿いには大企業の物流倉庫が並んでいる。どこにでもある中途半端な地方都市。この町で清高と有香は生まれた。
清高家は基が二歳、泰巳が七歳の時に母を亡くしている。仕事で家を空けがちだった父親は、親しかった隣人の山上家に姉弟を預けた。情に厚い有香の父母はそれを引き受け、清高姉弟と有香は家族同然に育った。
有香は当時から姉の泰巳にべったり懐いていて、泰巳も有香を可愛がっていた。二人は本当の姉妹よりも親密で、ほとんど恋人同士のようだった。ハグや軽いキスは当たり前で、それ以上の事もしていたのではないかと清高は疑っている。
泰巳は高校を卒業すると、家族にも山上家にも行く先を告げずに一人で町を出て行った。
当時中学生だった清高は、姉の行動を不思議だとは思わなかった。たまにしか家に帰らない父は、姉を無料の家政婦扱いしていたし、自分とそっくりの顔をした姉が、性欲ばかり強い男たちに囲まれて苦労していたのを知っているからだ。
冷静だった清高と違って、有香は酷く落ち込んだ。学校も行かず、部屋に閉じこもるようになり、食事もほとんど取らなくなった。「元気づけてやって欲しい」と有香の両親にすがりつかれた基は、ない知恵を振り絞って、姉のフリをして有香の部屋を訪ねた。夢と現実を混同するほど精神的に参っていた有香は、基を泰巳だと思い込んだ。まだ声変わりも完全には終わっていなかった基は、驚くほど姉に似ていたからだ。
そこから二人の奇妙にねじれた関係が始まった。
キスをしたのはどちらからだったか、もう覚えていない。姉そっくりの基に、有香は秘めた欲望をぶつけ、基は受け入れた。しかし、それを男女の関係とは言えないだろう。基の欲望は女性に向かわなかったし、有香は基が男であることを認めなかった。
しかし、自傷しながらさらにお互いを傷つけあうような日々は、長くは続かなかった。基の背が伸び、姉の服を着ることができなくなると、二人とも正気に戻らざるを得なくなる。そのまま疎遠になっても不思議はなかったが、二人はお互いだけが知る秘密を抱えて、ただの幼なじみに戻ることを選んだ。
「オレたちって、ややこしい関係だよねえ」
清高が過去を思い出しながら呟くと、有香は泣きそうな顔になった。
「……後悔してる?」
「全然。有香は?」
「……アンタってさあ」
有香は何か言いたげだったが、結局言わずに
「もう帰る」
と鞄を持って立ち上がる。
「じゃあオレも帰る~。送っていくよ」
「何言ってんの、隣でしょ!」
軽口をたたき合いつつ、二人は微妙な距離を保って家路を辿った。
