お友達からはじめましょう

 原田に抱かれた日の夜は眠れない。翌日、清高は寝不足のまま登校し、授業をほとんど居眠りして過ごした。下校する時間になっても眠気は去らず、欠伸をしながら校門を出ると、背後から大声で呼び止められた。
「おい! そこの金髪! ちょっと顔貸せ!」
「……何だぁ?」
 清高は中途半端に伸ばした金髪をかき上げながら不機嫌に振り返る。その途端、理由も告げずに殴りかかられた。
「いきなり何しやがる!?」
 飛びすさって拳を避けたが、間髪入れずに二発目が飛んでくる。
「うるさい!」
 咄嗟に手の平で受けると、肘まで痺れた。強烈なパンチだ。キャアと悲鳴が上がり、近くを歩いていた同じ高校の生徒たちが慌てて二人から遠ざかる。
「喧嘩売ってくるなら買うぜ!」
 清高は大声で怒鳴り、持っていた鞄を側溝に放り投げて身構えた。用心深く周囲をうかがう。
 襲撃者は大柄な男一人だった。鬼瓦めいた強面は清高の記憶にない。太い首に手入れの悪そうな曇った銀のチェーンを巻いている。身につけている黒い学ランは、同じ町にある岩瀬川工業高校の制服だ。岩工は清高の通う花邑商業高校とは伝統的に仲が悪く、昔はしばしば学校ぐるみの抗争になっていたかったらしいが、今はそんなことはない。
 つまり、全く初対面の相手に待ち伏せされて、いきなり喧嘩を売られたことになる。
「オマエ、名前は?」
 清高は鋭く睨み付けたが、襲撃者は名乗ることもなく襟元に掴みかかってくる。清高はその腕を取って関節を逆に捻り上げた。しかし、完全に極まる前に腕を外されて投げ飛ばされる。硬いアスファルトに叩き付けられる痛みで、アドレナリンに火がついた。
 清高は受け身を取ってすぐ立ち上がり、低い姿勢から相手の腹めがけてタックルする。今度は学ランの男が地面に倒れる番だった。その腰に馬乗りになって思い切り頬を殴りつけたが、相手はダメージを受けた様子もなく一気に跳ね起きる。
 清高は驚きながら距離を取り、慎重に間合いをとって男と対峙した。頬を腫らした男も、隙無く構えて清高の様子をうかがっている。少しの間のやりとりで、お互い油断のできない相手だと理解したようだ。

 イイ喧嘩ができそうな予感に、清高は大柄な学ラン男を睨み上げて薄らと笑う。
「何笑とんじゃい!」
 男は苛立ったように言って、清高の顔めがけて右ストレートを繰り出してきた。
「あっぶね!」
 清高は慌てて身体を反らした。空振りの拳が耳元でブンと音を立てる。当たればダメージの大きそうなパンチだが、大ぶりでノーコンだ。よく見れば躱せる。
 足の動きを鈍らせるのが上策だと判断し、清高は相手の脛めがけてローキックを放つ。掴みかかってくる腕をかいくぐって膝裏にもう一発。上体がぐらつく。狙い通りの効果に口角が上がる。
「オマエ、さっきからヘラヘラしやがって! 自分のやったことわかっとんのか!」
 大声と共に両手で掴みかかられた。至近距離での組み合いになると、細身で軽い清高は不利だ。体重を掛けて押されると、堪えかねて踵を踏んだ靴の底がズルリと滑る。清高は奥歯を噛みしめて相手の襟元を締め上げた。
 のぞき込んだ目の奥に、激しい暴力への衝動が燃えている。きっと自分の目にも同じ炎が燃えているだろう。欲情に似た興奮が全身を駆け巡る。

──このまんまキスでもしてやったら、コイツどうすんだろ?

 らちもない考えが脳裏をよぎった。

 一対一のタイマンはセックスと似ている気がする、と清高は高揚に身を任せながら考える。
 どっちも身体の感覚を研ぎ澄まして、みっともなく息を荒げて、マウント取ったり取られたり。イイ相手と当たれば、アドレナリンが脳内でジャブジャブ湧き出して、理性も恥も外聞も吹っ飛ぶ。
 相手の目線一つ、呼吸一つ見逃さないように神経を張り詰めて、追いかけて追い返される。
 今は世界中にお前とオレだけ。
 そんな風に誰かと抱き合ったら、どんなに気持ちが良いだろう?

 至近距離で睨み合ったまま微かに唇を歪めて笑うと、相手は仁王のようなイカツイ顔をさらにしかめ、頭突きを食らわせてきた。衝撃で目の前に星が飛ぶ。
「……っ、つぅ~!」
 たまらず手を離して後ろへ下がり、額を押さえた。とんでもない石頭だ。目の前に星が飛んでクラクラする。清高は両手を前に出して、拳を固めている相手に待ったをかけた。
「待て! オレに何の恨みがある!?」
「ワシの妹に乱暴したんはオマエやろうが!」
 また大振りのストレート。ふらつく足で後ろに下がって交わす。頭突きのダメージは中々去ってくれない。
「妹!? 何のことだよ!? 知らねえよ!」
 時間を稼ぐために質問すると、
「宮脇良子! 一中の二年! 知らんとは言わせんぞ!」
 と胸ぐらを掴み上げられる。
「ハぁ!? 中坊!? 知るか! 声も掛けたことねーよ!」
 すると、学ランの男は戸惑ったように目を瞬かせて手を緩めた。
「ホンマか……?」
 清高は力強く頷いてみせる。その拍子に、中途半端に伸ばした髪をくくったゴムが切れ、色を抜いた金髪が額に落ちかかった。男はしかめっ面で黙り込む。

 そこに、
「キヨ、また喧嘩してんの? いい加減にしなよ。今度は何やったの?」
 と一人の女子生徒が割り込んできた。清高と同じ高校のジャケットを着て、真っ直ぐな黒髪をショートボブにした怜悧な風貌の女子だ。
「何もしてねえよ。コイツがいきなり殴りかかってきたんだ」
「いきなり? どういうこと?」
 小柄な女子に睨みあげられた学ランの男は、気圧されたように一歩後ろに下がる。
「……俺の妹がコイツに乱暴されたんや」
「それホントにキヨだったの? キヨはバカだけ、ど女に手を挙げたりしないよ。アンタが直接見た?」
「いや、直接は見てないけど……」
 さっきまでの闘志をすっかり失った様子の男に、清高は肩をすくめた。
「売られた喧嘩を買うのはいいけど、人違いで殴られるのはイヤだぜ」
「……宮脇良子、ホンマに知らんのか?」
「知らねえ。しつこいな。その子、ホントにオレになんかされたって言ってんの?」
「……花邑商業の制服着た金髪ロン毛の男に、腕掴まれて路地に連れ込まれそうになったって。ワシの知り合いが声かけたら、すぐ顔隠して走って逃げたらしいけど……」
「ひでえ! そりゃ絶対オレじゃねえよ! 大体花邑制服着た金髪ロン毛って、オレ以外にも一杯いるだろ」
 清高が憤慨すると、間に入った女子が馬鹿にするような笑いを漏らした。
「あんまいないよ。金髪長髪。ダサいもん」
「マジで? え、オレ、ダサいの?」
「キヨは顔がキレイだから似合ってるけど」
 清高は一瞬片眉を上げて嫌そうな表情をしてから、
「でも、そりゃオレじゃねえよ。オレは死んでも女に刃物向けたりしねー。人違いだぜ」
 と学ラン男に向き直って、胸元を軽く拳で叩いた。相手はその手を払いのけてズイと近寄る。
「ほな誰が良子をやったんじゃい!」
「知らねーよ。他の金髪ロン毛探せや!」
 再び額を付き合わせて睨み合う二人の傍らで、黒髪ショートボブの女子は
「……私ちょっと心当たりあるかも。最近花邑の名前出して他校にちょっかい掛けてるのがいるらしいんだよね」
 と考え込みながら言った。
「あ? 何ソレ? オレ知らねえよ? 誰がんなことしてやがんだよ」
「私も詳しくは知らない。パパからチラッと聞いただけだもん。キヨが花邑のアタマなんだから、ちゃんと校内シメめとけってパパ言ってたよ」
 清高は顔をしかめて天を仰ぐ。
「ッカー! アタマって! オレはそーゆーのじゃないってば。おじさんに言っといてよ」
「それはアンタが直接言って」
 一人蚊帳の外に置かれていた学ランが、
「待て、話が分からん。キヨって……お前が花邑商業のキヨタカモトイか?」
 と指さすと、清高は素早く相手の指をはたき落とした。
「人に名前聞く前にテメーが名乗れよ。幼稚園で教わらなかったか?」
 わざと腰をかがめて、相手の顔を下から睨み上げる。学ランの男は苛立って額に青筋を浮かべつつも、
「宮脇大志(みやわき たいし)。岩瀬川工業で番張っとる。せやけど、今は岩瀬川の番長として来たんやない。良子の保護者としてオトシマエつけに来たんや」
 と律儀に答えた。それを聞いた途端、清高は吹き出し、
「『番張っとる』!? ヒーッ! ねえ有香(ありか)聞いた? 今時真顔で『番張っとる』っていうヤツいるんだ?」
 と腹を抱えて笑う。
「お前が聞いたんやないかい! 喧嘩売っとるんか、ワレ」
 宮脇と名乗った男の青筋がビクリと震える。清高は笑いすぎて涙の浮かんだ目元を拭い、
「ごめんごめん。喧嘩は売ってねえよ。オレは買い専だから!」
 と両手を合わせてから、
「岩瀬川のアタマ張ってるミヤワキくんね。りょーかいりょーかい。オレあんま他校の不良に興味ねえから、アンタのことも知らねえんだけど、今覚えたよ。オレは清高基。清潔、高潔、基本のキ、でキヨタカモトイ」
 と自己紹介する。宮脇はバツが悪そうに
「スマン。オマエがキヨタカだとは知らんかった。個人的なトラブルを解決したかっただけや。岩瀬川の代表として花商に因縁つけに来たわけやないから、大事にせんといてくれ」
 と言い、軽く頭を下げた。
「わかった……てか、オレが花商のトップって訳でもないから、誰も気にしないよ」
「トップじゃない? ほな、花商を仕切ってるのは誰なんや?」
「誰も仕切ってないよ。今時チームで団結して不良やってるの、岩瀬川くらいでしょ。まあトラブルあると、何となくオレんとこに話が持ち込まれるけどさあ」
「それをトップって言うんちゃうんか?」
「そーでもない。ただのご意見番みたいなもん。花商は元々そっちと違って軟派だから、言うほどトラブルもないしね」
「そうなんか……。ところで、そっちの女の子は?」
「これ? 山上有香(やまがみ ありか)。父親がケーサツカンやってる。オレの……一応カノジョ? みたいな?」
 有香と紹介された女子はひどく嫌そうに眉を寄せ、
「彼女じゃない。ただの腐れ縁よ」
 と冷たく言い放つ。宮脇は厳つい顔に似合わないドングリ眼を瞬かせて清高と有香の顔を何度も見比べた。
「キヨタカは決まったカノジョがおるんか」
「あっ、ミヤワキクン、君も『花邑の清高はオンナ使って成り上がった』とか、そういう低俗な噂信じてるタイプ? それデマだから。オレがモテるのやっかんだヤツが流した真っ赤なウソ。オレは意外とマジメよ?」
 図星を指された宮脇は、清高から目を逸らして「すまん」と小声で呟いた。清高はその肩に軽く自分の肩をぶつけてクククと鳩のように笑い、
「そんで? ミヤワキクンの妹の話、詳しく聞かせてよ。なんかオレにも関係あるっぽし。ここじゃなんだから、ファミレスでも行く?」
 と道路を挟んだ反対側に掲げられた派手な看板を指す。有香が手を挙げてそれに賛成した。。
「行こ! 私パフェ食べたい。限定の栗のヤツ」
「え~、オレはアップルパイが良いな~。半分こしようよ」
「イヤ! パフェを一人で食べたいの! アンタのおごりで!」
「え~? なんでおごり!?」
「喧嘩、止めてあげたでしょ? そのお礼!」
 二人は仲よさげにしゃべりながら横断歩道へ向かう。着いて行くべきか宮脇が迷っていると、
「何? 来ねえの?」
 と清高が振り返った。
 初秋の透明な日射しが清高の周囲を縁取り、色の抜けた髪と白い肌を儚く透けさせている。それが似合う繊細に整った目鼻立ちと、細身の長身。

 宮脇は思わず感心した。ちょっと見たことのない程のツラの良さだ。花商のキヨタカに女を取られたと恨み言を言うヤツが多いのもうなずける。話し方も嫌味がないし、モテて当然だと納得せざるを得ない。
 その清高の滑らかな額が赤く腫れ、形の良い薄い唇の端が切れている。自分が勘違いで暴力を振るったからだ。宮脇は申し訳なさに居ても立っても居られなくなり、急いで清高と有香の前に回り込んで、
「すまん! 確かめもせずに殴りかかって悪かった!」
 と直角近くまで腰を折って、大声で謝罪した。清高は切れ長の目を一瞬見開いた後、端正な顔をクシャクシャにして笑い崩れる。
「ミヤワキ君ってばマジメ~! 良いよ。後で一発ヤラしてくれるか、パフェとドリンクバー奢ってくれたら許す」
「奢る! 殴ってくれてもエエ!」
 宮脇がキッパリ言うと、清高は
「そういう意味じゃないけど……アンタ面白いなあ」
 と、ますます笑った。