宮脇がそのメッセージに気付いたのは、翌朝のことだった。
いつも通り、泥酔した後の記憶はない。気がついたら小汚いフローリングの床に転がっていた。全身が痛い。呻きながら起き上がると、隣にむくんだ顔の鈴木が鼾を立てて寝ていた。しょぼつく目で周りを見渡し、ここが鈴木が一人暮らししているアパートの一室だと気づく。清高の姿はどこにもなく、宮脇は安堵と落胆を同時に味わった。時刻を確認しようとポケットから取り出したスマホを触り、通知に気づく。
『お友達からはじめてみる?』
見た途端、頭に残っていたアルコールの気配が吹き飛んだ。
「な、何を!?」
思わず叫ぶと、鈴木が目を擦りながら起き上がる。
「ミヤさん、うるせー……」
宮脇は慌てて亀のように身体を丸くして画面を隠したが、鈴木は興味ない様子で欠伸をしながら部屋を出て行く。しばらくして盛大に小便の音が響いてきた。
宮脇はもう一度画面を見る。表示されている文字は変わらない。送信者は清高だった。
『お友達からはじめてみる?』
何度読んでも意味が理解できない。手汗がどっと湧いてきてスマホが滑った。メッセージを遡ってみても他に未読はない。一体これはどういう文脈で送られてきたのだ。
お友達〝から〟とはどういうことだ。自分と清高はもうずっと友達で、これから先もずっと友達だ。そこからどこへ向かうというのか。
トイレから戻ってきた鈴木に、
「おい、ワシ昨日酔ってキヨになんか言うてたか……?」
と聞いてみると、ひどく嫌そうな顔をされた。
「んなの、知るわけねえっすよ。キヨ君は基本オレらと離れたとこで飲んでたしー。帰る前ミヤさんがウザ絡みしてんなーとは思ったけど、何しゃべってるかまで聞いてねえし。絡まれて膝枕で寝転がられて、キヨタカ君かなりウザそうだったっすよ」
「ひ、ひざまくら!? ワシそんなんしてたんか……?」
サッと頭から血が引いた。全く覚えていない。鈴木は冷蔵庫を開けて水を取り出し、
「ミヤさん、いっつも酔いが回ったらキヨ君のことばっか話し出すんスよ。思い出話から始まって、最後は『帰ってきて欲しい~』ってクダ巻くでしょ」
とウンザリしたように言う。
「待ってくれ。ワシ酔ったらキヨの話ばっかりしてるんか……?」
「も~、これだよ! 毎回毎回勘弁して欲しいっすよ。アンタ絶対記憶なくすから、何回も同じ話聞かされるこっちは耳タコ! 昨日は本人いたから、本人に根掘り葉掘り聞いてたんじゃねっすか? ミヤさんが絡みに行った後、キヨ君すぐ帰っちゃったし。余っ程ウザかったんじゃね?」
鈴木の声はあからさまに面倒そうだ。全く自覚がなかった宮脇は、話を聞いて地味にショックを受けていた。
考え始めるとドツボにはまるから、普段は極力清高の事を思い出さないようにしていたのだが、その分酔った時にタガが外れていたらしい。
「スマン……迷惑かけて……」
「良いけどね、オレはミヤさんと飲むの好きだから。でもキヨ君がどう思ったかは分かんないから、早めに謝った方が良いじゃねっすか?」
鈴木はそう言って宮脇に背を向け、テレビを点けた。バラエティ番組の賑やかな音声が流れ始める。宮脇はまたスマホの画面に見入った。
『お友達からはじめてみる?』
宮脇が答えを探しあぐねて画面上で指をさまよわせていると、大音量で着信音が響き渡った。
「うわっ……!」
慌てて通話ボタンを押すと、
『なんだ、起きてんじゃん。なんで返事くんないの』
と通話口から清高の声がして、頭に血が上る。
「あ、キヨ君、昨日はお疲れっした! 今ちょうどキヨ君の話しててぇ」
鈴木が通話口に寄ってくるのを押しのけ、宮脇はダッシュでトイレに飛び込んで鍵をかけた。
『そこ鈴木んち? あんま迷惑かけてやるなよ』
宮脇は気を落ち着かせるために深呼吸する。掃除の行き届いていないトイレの空気が不快だが、そんな事には構っていられなかった。
「返事って……その、ワシとお前はずっと友達やんけ。友達からて言われても……」
口早に言うと、清高は軽く溜め息を吐いたようだった。
『ああ、そういう感じ? だったらそれでいいよ。オレとミヤはいつまでも学生時代の友達』
「ちょ、ちょ、ちょい待てや!」
『何だよ?』
「過去形にするな!」
『じゃあ今も友達。ずっと友達のまま。会えなくても友情は続くだろ?』
冷たく柔らかな声で問われ、宮脇は言葉に詰まった。何度も唾を飲み込んで、ようやく一言
「……会われへんへんのは嫌や」
と伝えると、微かに笑うのが聞こえた。
『何で会いたいの?』
「なんでって……顔が見たいから」
『なんで顔見たいの?』
「げ……元気かどうか知りたい……」
『それは電話でも分かるだろ。 ちゃんと考えて答えろよ』
優しい声でたたみかけられて逃げ場を失う。スマホの画面の隅では、充電の必要を告げる赤ランプが灯っていた。宮脇は焦る。
「心配なんや、また原田みたいな男に騙されてないかって……」
『オレが誰と付き合おうが、お前には関係ないだろ。身内じゃねえんだし。オレが金持ちで誠実な相手と付き合ってたら、お前は安心すんのかよ?』
清高が知らない相手とくっついて、幸せそうに笑うところを想像すると、自分の中でなにかがグニャリと歪むような感覚があった。グニャリ、グニャリと心がねじれていくその感覚を、上手く言葉にできない。
「……嫌やな」
かろうじてそれだけ言うと、
『じゃあどうして欲しいわけ? お前はオレとどうなりたいの?』
と苛立ちを含んだ声で問い詰められる。
「……ワシがお前の隣に居りたい……ワシ、キヨの事が好きなんや……」
辿り着いた結論に呆然としながら答えると、思い切り舌打ちされた。
『シラフでも言えるんじゃねーか。もっと早く言えよ!』
「そんなん、ワシかて今気づいたんや!」
『遅ぇよ、ボケッ! オレもお前のこと好きだよ。だから友達からはじめてみるかって聞いてんじゃん』
ようやく清高のメッセージが理解できて、宮脇は絶句した。
この感情が恋愛感情なのか、ただの子どもっぽい友への執着なのか、宮脇はまだ判断できない。なにせまともに恋をしたことがないせいで、全てが未知だ。
清高はそれを分かっているから、『友達から』と手を差し伸べてくれた。
その先に何があるのかは分からない。でも側にいたいという気持ちに偽りはない。
清高の顔が見たいと思った。近づいて、顔を見て、直に声を聞いて、この関係の先にある者が何かを確かめたい。
「……顔が見たい」
ポツリと漏らすと、スピーカーから聞こえてくる密やかな笑い声に耳をくすぐられた。
『見に来れば良いじゃん』
甘さを含んだ声で言われ、胸に火が付く。そうだ。向こうが戻って来ないなら、こっちから行けば良い。
「ほな今から行く……!」
宮脇は電話を切り、勢いよくトイレのドアを押し開ける。ドアの前で耳をそばだてていたらしい鈴木が、額を押さえて転がった。
「スマン、鈴木! 邪魔したな。今度埋め合わせするわ」
玄関に放り出されていたジャケットを肩に引っかけて外へ飛び出す。
外は穏やかに晴れていた。宮脇は駐車場まで走り、愛車に乗り込んでナビを起動する。清高の住所は車を買ったときから登録済みだ。もっと早く押しかければ良かった。自分が意気地なしだったせいで随分時間を無駄にした。
高速を飛ばせば、夜には東京に着く。細い生活道路から国道に出て、宮脇は車を一気に加速させた。
◆◇◆◇◆
ナビを頼りに辿り着いた先は、狭い土地にギュウギュウにアパートや小さな商業ビルがひしめき合った一角だった。宮脇は三十分四百円の料金に慄きつつ駐車場に車を止め、空を見上げて深呼吸する。空はもう真っ暗で、半分欠けた月が浮いていた。
清高の住処は、敷地ギリギリに建てられたほとんど三角柱のような建物の三階だった。ビルの狭い階段を三階まで上り、表札の出ていないスチール扉の前で一瞬立ち尽くす。耳を澄ませても聞こえるのは外の喧噪ばかりで、中の気配は感じられない。
宮脇はもう一度深呼吸し、覚悟を決めてインターホンを鳴らす。心臓が口から飛び出しそうなほど激しく打っていた。
「おせーんだよ!」
扉を開けた清高は、寝起きのむくんだ顔をしていた。腫れぼったい瞼、寝癖の付いたクシャクシャの髪に、だらしないスウェット姿。それを目にした途端、どうしようもない恋しさが胸に溢れる。それが全ての答えだった。
「好きやった、ずっと」
一歩踏み出して細い身体に抱きつくと、
「お友達から始めてみる?」
と笑い含みの声で言われる。肩に顔を埋めて必死に頷くと、強く抱き返された。
いつも通り、泥酔した後の記憶はない。気がついたら小汚いフローリングの床に転がっていた。全身が痛い。呻きながら起き上がると、隣にむくんだ顔の鈴木が鼾を立てて寝ていた。しょぼつく目で周りを見渡し、ここが鈴木が一人暮らししているアパートの一室だと気づく。清高の姿はどこにもなく、宮脇は安堵と落胆を同時に味わった。時刻を確認しようとポケットから取り出したスマホを触り、通知に気づく。
『お友達からはじめてみる?』
見た途端、頭に残っていたアルコールの気配が吹き飛んだ。
「な、何を!?」
思わず叫ぶと、鈴木が目を擦りながら起き上がる。
「ミヤさん、うるせー……」
宮脇は慌てて亀のように身体を丸くして画面を隠したが、鈴木は興味ない様子で欠伸をしながら部屋を出て行く。しばらくして盛大に小便の音が響いてきた。
宮脇はもう一度画面を見る。表示されている文字は変わらない。送信者は清高だった。
『お友達からはじめてみる?』
何度読んでも意味が理解できない。手汗がどっと湧いてきてスマホが滑った。メッセージを遡ってみても他に未読はない。一体これはどういう文脈で送られてきたのだ。
お友達〝から〟とはどういうことだ。自分と清高はもうずっと友達で、これから先もずっと友達だ。そこからどこへ向かうというのか。
トイレから戻ってきた鈴木に、
「おい、ワシ昨日酔ってキヨになんか言うてたか……?」
と聞いてみると、ひどく嫌そうな顔をされた。
「んなの、知るわけねえっすよ。キヨ君は基本オレらと離れたとこで飲んでたしー。帰る前ミヤさんがウザ絡みしてんなーとは思ったけど、何しゃべってるかまで聞いてねえし。絡まれて膝枕で寝転がられて、キヨタカ君かなりウザそうだったっすよ」
「ひ、ひざまくら!? ワシそんなんしてたんか……?」
サッと頭から血が引いた。全く覚えていない。鈴木は冷蔵庫を開けて水を取り出し、
「ミヤさん、いっつも酔いが回ったらキヨ君のことばっか話し出すんスよ。思い出話から始まって、最後は『帰ってきて欲しい~』ってクダ巻くでしょ」
とウンザリしたように言う。
「待ってくれ。ワシ酔ったらキヨの話ばっかりしてるんか……?」
「も~、これだよ! 毎回毎回勘弁して欲しいっすよ。アンタ絶対記憶なくすから、何回も同じ話聞かされるこっちは耳タコ! 昨日は本人いたから、本人に根掘り葉掘り聞いてたんじゃねっすか? ミヤさんが絡みに行った後、キヨ君すぐ帰っちゃったし。余っ程ウザかったんじゃね?」
鈴木の声はあからさまに面倒そうだ。全く自覚がなかった宮脇は、話を聞いて地味にショックを受けていた。
考え始めるとドツボにはまるから、普段は極力清高の事を思い出さないようにしていたのだが、その分酔った時にタガが外れていたらしい。
「スマン……迷惑かけて……」
「良いけどね、オレはミヤさんと飲むの好きだから。でもキヨ君がどう思ったかは分かんないから、早めに謝った方が良いじゃねっすか?」
鈴木はそう言って宮脇に背を向け、テレビを点けた。バラエティ番組の賑やかな音声が流れ始める。宮脇はまたスマホの画面に見入った。
『お友達からはじめてみる?』
宮脇が答えを探しあぐねて画面上で指をさまよわせていると、大音量で着信音が響き渡った。
「うわっ……!」
慌てて通話ボタンを押すと、
『なんだ、起きてんじゃん。なんで返事くんないの』
と通話口から清高の声がして、頭に血が上る。
「あ、キヨ君、昨日はお疲れっした! 今ちょうどキヨ君の話しててぇ」
鈴木が通話口に寄ってくるのを押しのけ、宮脇はダッシュでトイレに飛び込んで鍵をかけた。
『そこ鈴木んち? あんま迷惑かけてやるなよ』
宮脇は気を落ち着かせるために深呼吸する。掃除の行き届いていないトイレの空気が不快だが、そんな事には構っていられなかった。
「返事って……その、ワシとお前はずっと友達やんけ。友達からて言われても……」
口早に言うと、清高は軽く溜め息を吐いたようだった。
『ああ、そういう感じ? だったらそれでいいよ。オレとミヤはいつまでも学生時代の友達』
「ちょ、ちょ、ちょい待てや!」
『何だよ?』
「過去形にするな!」
『じゃあ今も友達。ずっと友達のまま。会えなくても友情は続くだろ?』
冷たく柔らかな声で問われ、宮脇は言葉に詰まった。何度も唾を飲み込んで、ようやく一言
「……会われへんへんのは嫌や」
と伝えると、微かに笑うのが聞こえた。
『何で会いたいの?』
「なんでって……顔が見たいから」
『なんで顔見たいの?』
「げ……元気かどうか知りたい……」
『それは電話でも分かるだろ。 ちゃんと考えて答えろよ』
優しい声でたたみかけられて逃げ場を失う。スマホの画面の隅では、充電の必要を告げる赤ランプが灯っていた。宮脇は焦る。
「心配なんや、また原田みたいな男に騙されてないかって……」
『オレが誰と付き合おうが、お前には関係ないだろ。身内じゃねえんだし。オレが金持ちで誠実な相手と付き合ってたら、お前は安心すんのかよ?』
清高が知らない相手とくっついて、幸せそうに笑うところを想像すると、自分の中でなにかがグニャリと歪むような感覚があった。グニャリ、グニャリと心がねじれていくその感覚を、上手く言葉にできない。
「……嫌やな」
かろうじてそれだけ言うと、
『じゃあどうして欲しいわけ? お前はオレとどうなりたいの?』
と苛立ちを含んだ声で問い詰められる。
「……ワシがお前の隣に居りたい……ワシ、キヨの事が好きなんや……」
辿り着いた結論に呆然としながら答えると、思い切り舌打ちされた。
『シラフでも言えるんじゃねーか。もっと早く言えよ!』
「そんなん、ワシかて今気づいたんや!」
『遅ぇよ、ボケッ! オレもお前のこと好きだよ。だから友達からはじめてみるかって聞いてんじゃん』
ようやく清高のメッセージが理解できて、宮脇は絶句した。
この感情が恋愛感情なのか、ただの子どもっぽい友への執着なのか、宮脇はまだ判断できない。なにせまともに恋をしたことがないせいで、全てが未知だ。
清高はそれを分かっているから、『友達から』と手を差し伸べてくれた。
その先に何があるのかは分からない。でも側にいたいという気持ちに偽りはない。
清高の顔が見たいと思った。近づいて、顔を見て、直に声を聞いて、この関係の先にある者が何かを確かめたい。
「……顔が見たい」
ポツリと漏らすと、スピーカーから聞こえてくる密やかな笑い声に耳をくすぐられた。
『見に来れば良いじゃん』
甘さを含んだ声で言われ、胸に火が付く。そうだ。向こうが戻って来ないなら、こっちから行けば良い。
「ほな今から行く……!」
宮脇は電話を切り、勢いよくトイレのドアを押し開ける。ドアの前で耳をそばだてていたらしい鈴木が、額を押さえて転がった。
「スマン、鈴木! 邪魔したな。今度埋め合わせするわ」
玄関に放り出されていたジャケットを肩に引っかけて外へ飛び出す。
外は穏やかに晴れていた。宮脇は駐車場まで走り、愛車に乗り込んでナビを起動する。清高の住所は車を買ったときから登録済みだ。もっと早く押しかければ良かった。自分が意気地なしだったせいで随分時間を無駄にした。
高速を飛ばせば、夜には東京に着く。細い生活道路から国道に出て、宮脇は車を一気に加速させた。
◆◇◆◇◆
ナビを頼りに辿り着いた先は、狭い土地にギュウギュウにアパートや小さな商業ビルがひしめき合った一角だった。宮脇は三十分四百円の料金に慄きつつ駐車場に車を止め、空を見上げて深呼吸する。空はもう真っ暗で、半分欠けた月が浮いていた。
清高の住処は、敷地ギリギリに建てられたほとんど三角柱のような建物の三階だった。ビルの狭い階段を三階まで上り、表札の出ていないスチール扉の前で一瞬立ち尽くす。耳を澄ませても聞こえるのは外の喧噪ばかりで、中の気配は感じられない。
宮脇はもう一度深呼吸し、覚悟を決めてインターホンを鳴らす。心臓が口から飛び出しそうなほど激しく打っていた。
「おせーんだよ!」
扉を開けた清高は、寝起きのむくんだ顔をしていた。腫れぼったい瞼、寝癖の付いたクシャクシャの髪に、だらしないスウェット姿。それを目にした途端、どうしようもない恋しさが胸に溢れる。それが全ての答えだった。
「好きやった、ずっと」
一歩踏み出して細い身体に抱きつくと、
「お友達から始めてみる?」
と笑い含みの声で言われる。肩に顔を埋めて必死に頷くと、強く抱き返された。
