それから何が起きたかは、あまり覚えていない。
清高は高熱でもうろうとしたまま警察へ運ばれ、薬物検査を受けさせられた。結果は白。病院へと移送される途中でプツリと意識が途絶え、気がついたらベッドで点滴の管を腕に刺されて寝転がっていた。
霞む目を瞬いて首を横に向けると、真っ赤な目をした姉と視線がぶつかった。目が合った途端、美しい顔がみるみる般若のような表情に変わり、
「バカ弟! 死ね!」
と罵声を投げつけられる。清高が何か言う前に、泰巳は憤然と病室を出て行ってしまった。
入れ替わりに看護師と若い医師が入ってきて、病状を説明される。症状はただの風邪。寒さと疲労と飢えで弱っていただだそうだ。念のために今晩一晩は病院で過ごし、明日の検査で異常がなければ退院できるらしい。入院費用や着替え一式などは、警察から連絡を受けた姉が用意してくれたようだ。今後一生姉に頭が上がらない借りができてしまった。
医師が病室を去ると、すぐに食事が運ばれてくる。昼食らしい。柔らかい粥はあまり美味くなく、小さなリンゴゼリーだけを食べた。
午後になって、有香が見舞いに訪れた。泣き腫らした顔で何度も謝られ、清高は困惑する。
「なんで謝るの? 有香は何にも悪くないじゃん。悪いのは全部オレだよ」
「だって……アタシのせいじゃん……アタシがアンタを泰巳さんの代わりにして、傷つけたから……だからアンタは原田なんかと付き合ってたんでしょ」
それを聞いて、思わず乾いた笑いが漏れた。
「ハハ……んなこと考えて泣いてたわけ? ちげーよ、オレの性癖に有香や姉貴は関係ないし。単にオレ自身がそうってだけ。竜弥さんに惚れたのはオレがバカだからだよ。有香のせいじゃない」
「でも……」
「逆に有香には感謝してるんだ。自分が女に欲情しないって分かったから。わかんないまま別の女の子と付き合ってたら、余計傷ついたかも知んねーし。お互い様って事にしとこうぜ」
「……それで良いの?」
「良いも悪いもねーよ。誰が悪いって言ったら、姉貴が一番悪くね? 有香にコナ掛けて、勝手に出てって、勝手にガキこしらえて帰ってきてさあ」
笑って言うと、有香は泣き腫らした目で清高を睨んだ。
「泰巳さんのことを悪く言わないで!」
清高は黙って肩をすくめる。有香はしばらく黙っていたが、
「アンタ、大丈夫なの?」
とポツリと問うた。
「熱は下がったし、別に変な病気はないって医者が言ってたから、大丈夫じゃない?」
「そうじゃなくて……精神的に」
「わかんない」
実際、よく分からなかった。ショックで心が麻痺しているのかもしれない。
「アタシにできることがあったら、いつでも言って」
有香は俯いて早口にそう言い、静かに病室を出て行った。
入れ替わるように、ドアを開けて有香の父親が顔を出す。栄養ドリンクの入ったビニール袋を清高に差し出し、
「大変だったな」
とベッド脇の椅子にどかりと腰を下ろした。疲れ切った顔をしている。
「すみません、お世話かけました」
清高が殊勝に頭を下げると、山上は苦笑した。
「ホントにな! 体調は?」
「もう大分いいです。熱も下がったし、明日には退院します」
「そうか、良かった。……悪いが、その後すぐに事情聴取に協力してくれ。ウチの若いのが署まで同行する」
予想できていたことなので、清高はこくりと頷く。
「りゅ……原田はどうなったんすか?」
「堂山を殺した事はすぐにゲロったよ。アイツの持ってた拳銃と、堂山の死体に残ってた玉の線条痕が一致した。現場は霞町の店のガレージ。動機は仲間割れだとよ。ホントかどうかは知らねえが」
原田の店で嗅いだ腐臭がふと鼻先に蘇ってきて、清高は思わず口を塞いだ。あの時、死体はまだガレージにあったのだろう。自分も殺されてもおかしくなかったのだ。今更のように恐怖が湧いてきて、身体が震えた。
「お前が殺されなくて本当に良かったよ。随分前からあの店でバイトしてたんだってな? アイツがドラッグのディーラーだって、気がつかなかったのか?」
言葉は優しいが、山上の視線は厳しかった。清高は力なく首を振る。
「全く……。店は普通だったし、客も、オレがいる時は変なのは来なかったし……」
「まあ、あの店は単なる隠れ蓑だったみたいだからな。帳簿にもおかしな所はなかったし、在庫管理もちゃんとしてる。あそこに薬物を保管してたはずだが、閉店するからシルバーの在庫以外は全部捨てたと、あの男は言い張ってる。原田は殺人とお前の略取誘拐未遂で実刑食らう気満々だ。薬の件を吐いたら、本国から殺し屋が来るだろうからな。あっち流のやり方で殺されちまわないように、しばらくムショ暮らしするつもりなんだろ」
山上は見舞いに持ってきた栄養ドリンクの箱から一本小瓶を引き抜いて、一息に飲み干した。清高が躊躇いながら、
「……オレ、監禁されてる時にカードの現物見ました。バレたらヤバいから破いてトイレに流しちまったけど……」
と言うと、一瞬目を鋭くしたが、すぐに
「それはもう何日も前だろ? 今更下水さらっても無理だろうなあ。そのへんは署で詳しく聞くよ」
と首を振り、窓の外へと目を向けた。
外は秋晴れで、色づきはじめたポプラの葉が風に揺れている。薄青い空に箒で掃いたような雲がたなびき、日差しの割に寒そうだ。
清高は同じように窓の外へと視線を向けながら、
「原田……オレのこと、なんか言ってたっすか……?」
と恐る恐る切り出した。
「……ただのバイトだってよ。監禁したのは、高飛びする時の弾よけにしようと思ったからだとさ。被害届を出して訴えるか?」
苦笑を向けられ、清高は首を振った。そんなことをしても無意味だ。被害者と加害者に別れて法廷で原田と顔を合わせるなんて、真っ平ごめんだった。
「まあ、どっちみち原田は実刑だ。アイツにとっちゃシャバに出た方が危険なんだから、わざわざ刑期を延ばしてやる必要もないな」
山上は独り言のように言う。清高はやるせない気持ちで目を閉じた。
原田が詳しく語らなかったのは、罪をこれ以上重くしないためなのか、それとも気遣いからなのか。どっちにせよ、自分もあの男との関係を口に出すことはないだろう。
「ほんとに、世話かけてすみませんでした……」
深々と頭を下げると、山上は
「一般市民の世話すんのが警察だし、子どもの面倒見るのが親の仕事さ。気にすんな。今晩は事情聴取に備えてしっかり休んどけ」
と言って、清高の髪を煙草臭い指でくしゃりと撫で、疲れた足取り病室を出て行った。
静かな病室に一人残された清高は、ベッドで膝を抱える。
事情聴取でどこまで話せば良いのだろう?
原田は自分を裏稼業に誘ったが、具体的な話は一切していない。ドラッグの話すらほのめかしだけで、princesaの比喩も、意味を説明しなかった。改めて考えると、異様な用心深さだ。
なのに、どうして殺人の方は簡単に警察に嗅ぎつけられたのだろう?
病室で落ち着かない夜を過ごし、あまり眠れないまま朝を迎えた。朝食の後に簡単な検査を受け、退院の許可をもらう。病室に戻ると姉が着替えを持ってきてくれていた。姉は昨日よりは怒っていない様子だか、それでも機嫌はすこぶる悪そうだった。
「心配かけてゴメン」
素直に謝ると、特大の舌打ちが返ってくる。
「アンタは昔っからそう! 私が全部ケツ拭いてくれて当然だと思ってるんでしょ。私はアンタの母親じゃない。アタシがアンタのために色んな人に頭下げて子ども預けて走り回って、どんだけ大変だったか分かってる?」
「ごめん……」
「二度とこんな心配させないで。ちゃんと高校卒業して、テメエのケツくらいテメエで拭けるようになってから遊べ」
何も言い返せず、清高は項垂れた。
泰巳はテキパキと病室を引き払って精算を済ませ、一人でさっさと帰ってしまう。
「清高基さんですか?」
声を掛けてきた男に頷くと、警察手帳を見せられた。
事情聴取はあまり楽しいものではなかった。警察署の狭い一室に通され、一方的に質問される。
「君、原田とどういう関係だったの?」
「ただのバイトです」
「でも相当親しかったみたいだね? 原田の車から君のスマホが見つかったけど、週に何度も電話してた記録があったよ」
刑事はプラスチックの袋に入ったスマホを見せる。清高は無表情に首を振った。
「シフトの調整で連絡を取ってただけです」
「それにしては通話時間が長くない?」
「ついでに世間話をすることもありました」
「どんな話をしたのかな? 学校での悩み事なんかも相談した? たとえば、君の学校のOBである金谷悠叶と君が揉めているとか?」
顔をのぞき込まれ、清高はギュッと眉を寄せた。
「そんな話はしていません」
「本当に? 君は金谷と揉めてたんだよね? 金谷が逮捕された後、堂山が君の情報を集めていたという証拠が挙がってる。ひょっとして、原田は君のために堂山を殺害したんじゃないか?」
清高は虚を突かれて目を丸くする。
「まさか! そんなわけない」
「君はどうして金谷と揉めたんだ? ひょっとして、花邑商業高校でドラッグをさばこうとして、金谷と堂山が邪魔になったんじゃないか? それで、原田に二人を始末してくれるよう頼んだとか?」
「ありえない! それ、原田が言ったんですか?」
強く否定すると、刑事は一口コーヒーを飲み、
「いいや。単なる推測だよ。何の証拠もないから、君を捕まえることはできない」
と無表情に答えた。清高はそれを睨み付ける。
「僕は何もしてない。ただ原田の作るアクセサリーが好きだから、あの店でアルバイトをしてただけです」
「……原田とは本当にアルバイトと雇用主の関係だった?」
「それ以外何があるんですか? 僕はあの人と店以外で会ったこともないし、あの人が店の外で何をやってるかも一切知らない」
刑事はしばらく清高の顔を観察していたが、やがて
「そうか」
と呟いて持っていたペンを机に投げ出した。
「わかった。協力ありがとう。また何かあったら話を聞くから、その時はよろしく頼む」
警察署を出た途端に緊張の糸が切れ、清高は植え込みの縁に座り込んだ。震える指先で頭を抱える。
『原田は君のために堂山を殺害したんじゃないか?』
という刑事の質問が頭から離れなかった。
慎重で周到な原田が、短絡的に人を殺したとは考えにくい。ドラッグの流通ルートは、海外──おそらくメキシコ──から原田が仕入れ、堂山が注文をとりまとめ、金谷やその他の売人に下ろすという仕組みだったのだろう。問屋に当たる堂山は重要なパートナーだったはずだ。
その堂山を殺す原因になったのが、自分だとしたら?
原田は堂山が清高を害そうとしているのを知って、それを止めようとして殺した。そして、急に空いたビジネスパートナーの位置に清高を置こうとした、ということになる。
パートナーは清高でなくても良かったはずだ。別の半グレを見つければ良い。けれど彼は清高を選んだ。『夜にしか飛べない比翼の鳥、地獄の道を這う双頭の蛇』の片割れになってくれと言ったのだ。
ひょっとして、自分は思っていたよりもずっと深く原田に愛されていたのではないか?
「なんなんだよ……」
激しく混乱した清高は、両手で顔を覆って呻いた。
ずっと原田の特別になりたいのになれなくて苦しんでいたのに、本当は最初から特別に甘やかされ、大事にされていたのかもしれない。
常に店用のスマホから通話でしか連絡が来ないことを恨んでいたが、それが、警察沙汰になった時に清高が巻き込まれないようにという配慮だったとしたら?
今さらそれが分かっても、もうどうしようもなかった。
原田は犯罪者だ。ずっとそのことを黙って、清高のことを騙していた。いくら愛されていたとわかっても、もう以前と同じように原田を好きでいることはできない。
「ひでぇよ……」
呟くと鼻の奥がツンとした。
そこへ、
「よう」
とぶっきら棒な声を掛けらる。慌てて目元を拭って顔を上げると、私服のジャージを着た宮脇が前に立っていた。
「ミヤ? お前も警察に呼び出されたのかよ?」
宮脇は仏頂面で隣に腰を下ろし、
「おう。さっきまで事情聴取や」
と短く答える。
「お前にも世話んなったな。迷惑かけてゴメン」
「世話したつもりないし、謝ってもろても嬉しないわ」
「……だよね。殴っても良いよ」
清高が気弱に笑うと、宮脇はフンと鼻を鳴らして横を向く。
「無抵抗の病人殴って何がおもろいねん。やめろや」
「病人じゃねーし。もう退院したよ」
「でも病人みたいな顔しとる」
「はは……。こないだはありがとうな。でも、オレが原田のとこに閉じ込められてるって、どうやって気付いた?」
「あの日の夕方に山上さんが、ウチのガッコまで来たんや。お前と連絡取れへんて言うて」
「あの時、有香も来てたのか!?」
清高が驚いて声を高くすると、宮脇は「しーっ」と口の前に指を立てた。
「あの子は原田の店の場所を知らんかった。お前がわざと知らせてないんやと思ったから、わし一人で行った」
「……悪い。気を遣ってくれてありがとう」
「かまへん。山上さんに店の住所知らせるために電話掛けて、そっからずっと通話状態のままやったから、あの子が異変に気づいて気を利かせて警察に連絡してくれたんや。警察はドウヤマの件で原田を探してるとこやったから、ちょうどええタイミングやったらしいわ」
「そっか……有香が……」
「お前、最初から原田がヤバいって分かってたんやろ? だからあの子が近寄らんようにしてた。なんであんなヤクザモンに近づいたんや!」
宮脇は怒りの籠もった目で清高を睨み、胸ぐらを掴み上げる。
「なんでって、好きだからだよ」
清高はポツリと言って、胸元を掴む宮脇の手を外させた。
「オレは原田に惚れてたの。二人で会う時間を誰にも邪魔されたくなかった。有香に言ったらうるさく言われるから隠してただけ」
宮脇の眉根に皺が寄り、嫌悪とも憐れみともなんとも言えない表情が浮かぶ。清高は自嘲するように笑った。
「オレね、男が好きなの。別に女が嫌いって訳じゃないけど、好きになるのは男。元々見た目がこんなで何もしなくても舐められるのに、バレたらどうなるか分かるだろ? 絶対言えねーじゃん。男友達がいないのは、そのせい」
宮脇は何も言えずに口元を引き結んだ。清高の言うことは理解できる。素行の良くない少年達の群れで、清高は外見だけで既に異質の存在で、それ故の陰口も多く叩かれている。そこにもう一つ異質さが加われば、簡単に排除の対象になるだろう。口が悪い上に配慮に欠ける連中が、なんと言って清高を罵るかは容易に想像が付く。
「オレのしんどさを分かってくれたのが原田だった。だから好きになった。……と思ってたけど、今から思えば、単に丁度良かったのかも知んねえや……。もうわかんねーな……最初はホントに好きだったと思うけど、途中からは意地になってたのかも。ずっと終わらせ方が分かんなくて困ってたから、これで良かったのかもな……」
ポツポツと話す清高の横顔は、今にも消えてしまいそうに儚かった。冬の前触れのような風が傷んだ金色の髪を揺らす。宮脇は喉から胸までをかきむしられるような気持ちになって、ますます眉間の皺を深くした
「ごめんな、こんな話されても困るだろ? せっかく友達になろうって言ってくれたけど、オレはこんなだからさ。忘れてくれよ。じゃあね」
清高は苦笑して立ち上がる。宮脇はその手を掴んで止めた。
「なんで忘れなアカンねん!」
「なんでって……嫌でしょ。友達だと思ってたヤツに性欲向けられてたら」
「せいっ……! いや、オレはそれは分からんけども! その、友達全員にそうなるわけちゃうんやろ?」
「そりゃそうだ。オレにも好みはあるよ」
「ほな別に……友達でエエやんけ」
「でもオレ、ミヤのこと結構好みだもん。一緒に居たらそのうち好きになるよ。それでも良いわけ?」
曖昧な笑みを向けられて、宮脇は硬直した。
「あ……え……?」
どう答えて良いか分からず目を白黒させていると、清高は諦めたように笑う。。
「な? 困るだろ? ちょっとの間だけど、ミヤと友達になれて良かったよ。色々助けてくれてありがとな。サヨナラ」
片手を上げて歩き去る後ろ姿を、宮脇は追いかけることができなかった。
その後、清高と顔を合わせる機会もないまま、慌ただしく時間が過ぎた。
例の事件のことは、派手に尾びれ背びれ胸びれのついた噂話として広まっていた。中には清高に対する事実無根の誹謗中傷も多く含まれていて、宮脇はそういった噂を聞く度に腹を立て、話を広めようとするヤツを殴った。しかし、それで噂がなくなることはない。噂の中には原田と清高の関係を揶揄するものも多く、清高がどれほど傷ついているかを想像すると、胸が痛かった。
事件後、一度だけ、清高の番号に電話をかけてみたことがある。しかし、『おかけになった番号は電源が入っていないか、電波の届かない場所に……』のアナウンスが流れるだけだった。
清高のほうから連絡が来ることはなかった。それはそうだろうな、と思う。自分は彼の告白に対して何も言うことができなかった。今もどう返せば良かったのか、正解が分からないままだ。宮脇は彼と友達でいたいと思うけれど、清高を傷つけずにそれを上手く伝えられる気がしない。
会いに行く踏ん切りが付かないまま冬休みに入ったある日の午後、自宅でダラダラと過ごしていた宮脇のスマホに一通のメッセージが届いた。送信者は山上有香。内容は『キヨの新しい連絡先。前の番号は使えなくなってる。落ち込んでるから、励ましてやって』という文字と電話番号だけ。ひび割れた画面に浮かぶ文字を睨んで、宮脇は低く唸った。
清高は高熱でもうろうとしたまま警察へ運ばれ、薬物検査を受けさせられた。結果は白。病院へと移送される途中でプツリと意識が途絶え、気がついたらベッドで点滴の管を腕に刺されて寝転がっていた。
霞む目を瞬いて首を横に向けると、真っ赤な目をした姉と視線がぶつかった。目が合った途端、美しい顔がみるみる般若のような表情に変わり、
「バカ弟! 死ね!」
と罵声を投げつけられる。清高が何か言う前に、泰巳は憤然と病室を出て行ってしまった。
入れ替わりに看護師と若い医師が入ってきて、病状を説明される。症状はただの風邪。寒さと疲労と飢えで弱っていただだそうだ。念のために今晩一晩は病院で過ごし、明日の検査で異常がなければ退院できるらしい。入院費用や着替え一式などは、警察から連絡を受けた姉が用意してくれたようだ。今後一生姉に頭が上がらない借りができてしまった。
医師が病室を去ると、すぐに食事が運ばれてくる。昼食らしい。柔らかい粥はあまり美味くなく、小さなリンゴゼリーだけを食べた。
午後になって、有香が見舞いに訪れた。泣き腫らした顔で何度も謝られ、清高は困惑する。
「なんで謝るの? 有香は何にも悪くないじゃん。悪いのは全部オレだよ」
「だって……アタシのせいじゃん……アタシがアンタを泰巳さんの代わりにして、傷つけたから……だからアンタは原田なんかと付き合ってたんでしょ」
それを聞いて、思わず乾いた笑いが漏れた。
「ハハ……んなこと考えて泣いてたわけ? ちげーよ、オレの性癖に有香や姉貴は関係ないし。単にオレ自身がそうってだけ。竜弥さんに惚れたのはオレがバカだからだよ。有香のせいじゃない」
「でも……」
「逆に有香には感謝してるんだ。自分が女に欲情しないって分かったから。わかんないまま別の女の子と付き合ってたら、余計傷ついたかも知んねーし。お互い様って事にしとこうぜ」
「……それで良いの?」
「良いも悪いもねーよ。誰が悪いって言ったら、姉貴が一番悪くね? 有香にコナ掛けて、勝手に出てって、勝手にガキこしらえて帰ってきてさあ」
笑って言うと、有香は泣き腫らした目で清高を睨んだ。
「泰巳さんのことを悪く言わないで!」
清高は黙って肩をすくめる。有香はしばらく黙っていたが、
「アンタ、大丈夫なの?」
とポツリと問うた。
「熱は下がったし、別に変な病気はないって医者が言ってたから、大丈夫じゃない?」
「そうじゃなくて……精神的に」
「わかんない」
実際、よく分からなかった。ショックで心が麻痺しているのかもしれない。
「アタシにできることがあったら、いつでも言って」
有香は俯いて早口にそう言い、静かに病室を出て行った。
入れ替わるように、ドアを開けて有香の父親が顔を出す。栄養ドリンクの入ったビニール袋を清高に差し出し、
「大変だったな」
とベッド脇の椅子にどかりと腰を下ろした。疲れ切った顔をしている。
「すみません、お世話かけました」
清高が殊勝に頭を下げると、山上は苦笑した。
「ホントにな! 体調は?」
「もう大分いいです。熱も下がったし、明日には退院します」
「そうか、良かった。……悪いが、その後すぐに事情聴取に協力してくれ。ウチの若いのが署まで同行する」
予想できていたことなので、清高はこくりと頷く。
「りゅ……原田はどうなったんすか?」
「堂山を殺した事はすぐにゲロったよ。アイツの持ってた拳銃と、堂山の死体に残ってた玉の線条痕が一致した。現場は霞町の店のガレージ。動機は仲間割れだとよ。ホントかどうかは知らねえが」
原田の店で嗅いだ腐臭がふと鼻先に蘇ってきて、清高は思わず口を塞いだ。あの時、死体はまだガレージにあったのだろう。自分も殺されてもおかしくなかったのだ。今更のように恐怖が湧いてきて、身体が震えた。
「お前が殺されなくて本当に良かったよ。随分前からあの店でバイトしてたんだってな? アイツがドラッグのディーラーだって、気がつかなかったのか?」
言葉は優しいが、山上の視線は厳しかった。清高は力なく首を振る。
「全く……。店は普通だったし、客も、オレがいる時は変なのは来なかったし……」
「まあ、あの店は単なる隠れ蓑だったみたいだからな。帳簿にもおかしな所はなかったし、在庫管理もちゃんとしてる。あそこに薬物を保管してたはずだが、閉店するからシルバーの在庫以外は全部捨てたと、あの男は言い張ってる。原田は殺人とお前の略取誘拐未遂で実刑食らう気満々だ。薬の件を吐いたら、本国から殺し屋が来るだろうからな。あっち流のやり方で殺されちまわないように、しばらくムショ暮らしするつもりなんだろ」
山上は見舞いに持ってきた栄養ドリンクの箱から一本小瓶を引き抜いて、一息に飲み干した。清高が躊躇いながら、
「……オレ、監禁されてる時にカードの現物見ました。バレたらヤバいから破いてトイレに流しちまったけど……」
と言うと、一瞬目を鋭くしたが、すぐに
「それはもう何日も前だろ? 今更下水さらっても無理だろうなあ。そのへんは署で詳しく聞くよ」
と首を振り、窓の外へと目を向けた。
外は秋晴れで、色づきはじめたポプラの葉が風に揺れている。薄青い空に箒で掃いたような雲がたなびき、日差しの割に寒そうだ。
清高は同じように窓の外へと視線を向けながら、
「原田……オレのこと、なんか言ってたっすか……?」
と恐る恐る切り出した。
「……ただのバイトだってよ。監禁したのは、高飛びする時の弾よけにしようと思ったからだとさ。被害届を出して訴えるか?」
苦笑を向けられ、清高は首を振った。そんなことをしても無意味だ。被害者と加害者に別れて法廷で原田と顔を合わせるなんて、真っ平ごめんだった。
「まあ、どっちみち原田は実刑だ。アイツにとっちゃシャバに出た方が危険なんだから、わざわざ刑期を延ばしてやる必要もないな」
山上は独り言のように言う。清高はやるせない気持ちで目を閉じた。
原田が詳しく語らなかったのは、罪をこれ以上重くしないためなのか、それとも気遣いからなのか。どっちにせよ、自分もあの男との関係を口に出すことはないだろう。
「ほんとに、世話かけてすみませんでした……」
深々と頭を下げると、山上は
「一般市民の世話すんのが警察だし、子どもの面倒見るのが親の仕事さ。気にすんな。今晩は事情聴取に備えてしっかり休んどけ」
と言って、清高の髪を煙草臭い指でくしゃりと撫で、疲れた足取り病室を出て行った。
静かな病室に一人残された清高は、ベッドで膝を抱える。
事情聴取でどこまで話せば良いのだろう?
原田は自分を裏稼業に誘ったが、具体的な話は一切していない。ドラッグの話すらほのめかしだけで、princesaの比喩も、意味を説明しなかった。改めて考えると、異様な用心深さだ。
なのに、どうして殺人の方は簡単に警察に嗅ぎつけられたのだろう?
病室で落ち着かない夜を過ごし、あまり眠れないまま朝を迎えた。朝食の後に簡単な検査を受け、退院の許可をもらう。病室に戻ると姉が着替えを持ってきてくれていた。姉は昨日よりは怒っていない様子だか、それでも機嫌はすこぶる悪そうだった。
「心配かけてゴメン」
素直に謝ると、特大の舌打ちが返ってくる。
「アンタは昔っからそう! 私が全部ケツ拭いてくれて当然だと思ってるんでしょ。私はアンタの母親じゃない。アタシがアンタのために色んな人に頭下げて子ども預けて走り回って、どんだけ大変だったか分かってる?」
「ごめん……」
「二度とこんな心配させないで。ちゃんと高校卒業して、テメエのケツくらいテメエで拭けるようになってから遊べ」
何も言い返せず、清高は項垂れた。
泰巳はテキパキと病室を引き払って精算を済ませ、一人でさっさと帰ってしまう。
「清高基さんですか?」
声を掛けてきた男に頷くと、警察手帳を見せられた。
事情聴取はあまり楽しいものではなかった。警察署の狭い一室に通され、一方的に質問される。
「君、原田とどういう関係だったの?」
「ただのバイトです」
「でも相当親しかったみたいだね? 原田の車から君のスマホが見つかったけど、週に何度も電話してた記録があったよ」
刑事はプラスチックの袋に入ったスマホを見せる。清高は無表情に首を振った。
「シフトの調整で連絡を取ってただけです」
「それにしては通話時間が長くない?」
「ついでに世間話をすることもありました」
「どんな話をしたのかな? 学校での悩み事なんかも相談した? たとえば、君の学校のOBである金谷悠叶と君が揉めているとか?」
顔をのぞき込まれ、清高はギュッと眉を寄せた。
「そんな話はしていません」
「本当に? 君は金谷と揉めてたんだよね? 金谷が逮捕された後、堂山が君の情報を集めていたという証拠が挙がってる。ひょっとして、原田は君のために堂山を殺害したんじゃないか?」
清高は虚を突かれて目を丸くする。
「まさか! そんなわけない」
「君はどうして金谷と揉めたんだ? ひょっとして、花邑商業高校でドラッグをさばこうとして、金谷と堂山が邪魔になったんじゃないか? それで、原田に二人を始末してくれるよう頼んだとか?」
「ありえない! それ、原田が言ったんですか?」
強く否定すると、刑事は一口コーヒーを飲み、
「いいや。単なる推測だよ。何の証拠もないから、君を捕まえることはできない」
と無表情に答えた。清高はそれを睨み付ける。
「僕は何もしてない。ただ原田の作るアクセサリーが好きだから、あの店でアルバイトをしてただけです」
「……原田とは本当にアルバイトと雇用主の関係だった?」
「それ以外何があるんですか? 僕はあの人と店以外で会ったこともないし、あの人が店の外で何をやってるかも一切知らない」
刑事はしばらく清高の顔を観察していたが、やがて
「そうか」
と呟いて持っていたペンを机に投げ出した。
「わかった。協力ありがとう。また何かあったら話を聞くから、その時はよろしく頼む」
警察署を出た途端に緊張の糸が切れ、清高は植え込みの縁に座り込んだ。震える指先で頭を抱える。
『原田は君のために堂山を殺害したんじゃないか?』
という刑事の質問が頭から離れなかった。
慎重で周到な原田が、短絡的に人を殺したとは考えにくい。ドラッグの流通ルートは、海外──おそらくメキシコ──から原田が仕入れ、堂山が注文をとりまとめ、金谷やその他の売人に下ろすという仕組みだったのだろう。問屋に当たる堂山は重要なパートナーだったはずだ。
その堂山を殺す原因になったのが、自分だとしたら?
原田は堂山が清高を害そうとしているのを知って、それを止めようとして殺した。そして、急に空いたビジネスパートナーの位置に清高を置こうとした、ということになる。
パートナーは清高でなくても良かったはずだ。別の半グレを見つければ良い。けれど彼は清高を選んだ。『夜にしか飛べない比翼の鳥、地獄の道を這う双頭の蛇』の片割れになってくれと言ったのだ。
ひょっとして、自分は思っていたよりもずっと深く原田に愛されていたのではないか?
「なんなんだよ……」
激しく混乱した清高は、両手で顔を覆って呻いた。
ずっと原田の特別になりたいのになれなくて苦しんでいたのに、本当は最初から特別に甘やかされ、大事にされていたのかもしれない。
常に店用のスマホから通話でしか連絡が来ないことを恨んでいたが、それが、警察沙汰になった時に清高が巻き込まれないようにという配慮だったとしたら?
今さらそれが分かっても、もうどうしようもなかった。
原田は犯罪者だ。ずっとそのことを黙って、清高のことを騙していた。いくら愛されていたとわかっても、もう以前と同じように原田を好きでいることはできない。
「ひでぇよ……」
呟くと鼻の奥がツンとした。
そこへ、
「よう」
とぶっきら棒な声を掛けらる。慌てて目元を拭って顔を上げると、私服のジャージを着た宮脇が前に立っていた。
「ミヤ? お前も警察に呼び出されたのかよ?」
宮脇は仏頂面で隣に腰を下ろし、
「おう。さっきまで事情聴取や」
と短く答える。
「お前にも世話んなったな。迷惑かけてゴメン」
「世話したつもりないし、謝ってもろても嬉しないわ」
「……だよね。殴っても良いよ」
清高が気弱に笑うと、宮脇はフンと鼻を鳴らして横を向く。
「無抵抗の病人殴って何がおもろいねん。やめろや」
「病人じゃねーし。もう退院したよ」
「でも病人みたいな顔しとる」
「はは……。こないだはありがとうな。でも、オレが原田のとこに閉じ込められてるって、どうやって気付いた?」
「あの日の夕方に山上さんが、ウチのガッコまで来たんや。お前と連絡取れへんて言うて」
「あの時、有香も来てたのか!?」
清高が驚いて声を高くすると、宮脇は「しーっ」と口の前に指を立てた。
「あの子は原田の店の場所を知らんかった。お前がわざと知らせてないんやと思ったから、わし一人で行った」
「……悪い。気を遣ってくれてありがとう」
「かまへん。山上さんに店の住所知らせるために電話掛けて、そっからずっと通話状態のままやったから、あの子が異変に気づいて気を利かせて警察に連絡してくれたんや。警察はドウヤマの件で原田を探してるとこやったから、ちょうどええタイミングやったらしいわ」
「そっか……有香が……」
「お前、最初から原田がヤバいって分かってたんやろ? だからあの子が近寄らんようにしてた。なんであんなヤクザモンに近づいたんや!」
宮脇は怒りの籠もった目で清高を睨み、胸ぐらを掴み上げる。
「なんでって、好きだからだよ」
清高はポツリと言って、胸元を掴む宮脇の手を外させた。
「オレは原田に惚れてたの。二人で会う時間を誰にも邪魔されたくなかった。有香に言ったらうるさく言われるから隠してただけ」
宮脇の眉根に皺が寄り、嫌悪とも憐れみともなんとも言えない表情が浮かぶ。清高は自嘲するように笑った。
「オレね、男が好きなの。別に女が嫌いって訳じゃないけど、好きになるのは男。元々見た目がこんなで何もしなくても舐められるのに、バレたらどうなるか分かるだろ? 絶対言えねーじゃん。男友達がいないのは、そのせい」
宮脇は何も言えずに口元を引き結んだ。清高の言うことは理解できる。素行の良くない少年達の群れで、清高は外見だけで既に異質の存在で、それ故の陰口も多く叩かれている。そこにもう一つ異質さが加われば、簡単に排除の対象になるだろう。口が悪い上に配慮に欠ける連中が、なんと言って清高を罵るかは容易に想像が付く。
「オレのしんどさを分かってくれたのが原田だった。だから好きになった。……と思ってたけど、今から思えば、単に丁度良かったのかも知んねえや……。もうわかんねーな……最初はホントに好きだったと思うけど、途中からは意地になってたのかも。ずっと終わらせ方が分かんなくて困ってたから、これで良かったのかもな……」
ポツポツと話す清高の横顔は、今にも消えてしまいそうに儚かった。冬の前触れのような風が傷んだ金色の髪を揺らす。宮脇は喉から胸までをかきむしられるような気持ちになって、ますます眉間の皺を深くした
「ごめんな、こんな話されても困るだろ? せっかく友達になろうって言ってくれたけど、オレはこんなだからさ。忘れてくれよ。じゃあね」
清高は苦笑して立ち上がる。宮脇はその手を掴んで止めた。
「なんで忘れなアカンねん!」
「なんでって……嫌でしょ。友達だと思ってたヤツに性欲向けられてたら」
「せいっ……! いや、オレはそれは分からんけども! その、友達全員にそうなるわけちゃうんやろ?」
「そりゃそうだ。オレにも好みはあるよ」
「ほな別に……友達でエエやんけ」
「でもオレ、ミヤのこと結構好みだもん。一緒に居たらそのうち好きになるよ。それでも良いわけ?」
曖昧な笑みを向けられて、宮脇は硬直した。
「あ……え……?」
どう答えて良いか分からず目を白黒させていると、清高は諦めたように笑う。。
「な? 困るだろ? ちょっとの間だけど、ミヤと友達になれて良かったよ。色々助けてくれてありがとな。サヨナラ」
片手を上げて歩き去る後ろ姿を、宮脇は追いかけることができなかった。
その後、清高と顔を合わせる機会もないまま、慌ただしく時間が過ぎた。
例の事件のことは、派手に尾びれ背びれ胸びれのついた噂話として広まっていた。中には清高に対する事実無根の誹謗中傷も多く含まれていて、宮脇はそういった噂を聞く度に腹を立て、話を広めようとするヤツを殴った。しかし、それで噂がなくなることはない。噂の中には原田と清高の関係を揶揄するものも多く、清高がどれほど傷ついているかを想像すると、胸が痛かった。
事件後、一度だけ、清高の番号に電話をかけてみたことがある。しかし、『おかけになった番号は電源が入っていないか、電波の届かない場所に……』のアナウンスが流れるだけだった。
清高のほうから連絡が来ることはなかった。それはそうだろうな、と思う。自分は彼の告白に対して何も言うことができなかった。今もどう返せば良かったのか、正解が分からないままだ。宮脇は彼と友達でいたいと思うけれど、清高を傷つけずにそれを上手く伝えられる気がしない。
会いに行く踏ん切りが付かないまま冬休みに入ったある日の午後、自宅でダラダラと過ごしていた宮脇のスマホに一通のメッセージが届いた。送信者は山上有香。内容は『キヨの新しい連絡先。前の番号は使えなくなってる。落ち込んでるから、励ましてやって』という文字と電話番号だけ。ひび割れた画面に浮かぶ文字を睨んで、宮脇は低く唸った。
