再び目が覚めた時には、原田は姿を消していた。つけっぱなしの作業用スタンドライトだけが暗い室内をボンヤリと照らしている。頭痛が酷い。両手で額を押さえると、脂汗で指がぬるついた。ひどく嫌な夢を見ていた気がする。
両肘をついて身体を起こすと、自分が素っ裸なことに気がついた。パンツすら身につけておらず、局部まで丸出しだ。ギョッとして飛び上がったが、身体に何かされた痕跡はない。ただ脱がされただけのようで、ひとまず安堵した。
深呼吸して気を落ち着けてから枕元を探ったが、そこに置いていたはずのスマホは見当たらない。慌てて枕をひっくり返すが、そこにもない。カバーを外しても、毛布をどかしてみても見当たらない。それどころか、靴も、服も、財布も、何もかもなくなっていた。原田が持っていったとしか考えられない。
「やられた……!」
裸足のまま階段を駆け下りた清高は更に驚く。
店はすっかり空っぽになっていた。商品はもちろん、レジも金庫も撤去されている。シャッターは下ろされ、天井付近の壁にある換気用の小窓は、新聞紙で目張りされていた。隙間からわずかに差し込む光で外が明るいことは分かるが、正確な時間は分からない。どこにも時計がないからだ。
出入り口のドアにも当然鍵がかかっているが、これは内側から開けられる。しかし、問題はシャッターだった。持ち上げようと手を掛けてもびくともしない。いくら力を入れて揺すっても、持ち上がる気配は全くなかった。
「マジかよ……監禁じゃん……」
清高は呆然とカウンターにもたれかかり、頭を抱えた。裸の足裏から床の冷気が伝わってきて膝が震える。震えるのは寒さのせいだけではなかった。
清高の身近には不在を案じる者がいない。異変に気づくとしたら姉か山上有香だろうが、素行不良の清高が二、三日家に帰らないことは普通だから、通報するまでにかなり時間が掛かるだろう。それまでに原田が戻ってきたら、何をされるか分からない。
「冗談じゃねえ」
清高は両腕で自分の身を抱いて震えた。原田と共に地獄に落ちる気はない。自分はあくまで恋愛がしたかっただけだ。
「逃げないとヤバい……!」
原田が目の前で吸った煙草は、恐らく何らかの薬物だったのだろう。でなければ、眠りの浅い自分が衣服を剥がれても気づかないほど熟睡するなど有り得ない。今も続いている頭痛も、薬物の含まれた煙を吸ったためだと考えれば納得だ。次に原田が戻ってきた時、もっと直接的に薬物摂取を強制される可能性が高い。
清高は逃げ道を探すため、まず灯りを付けようと天井灯のスイッチを押した。しかし反応はない。二階へ戻って、トイレと一体になったシャワールームを確認したが、ここも灯りはつかなかった。ブレーカーを落としてあるようだ。配電盤は屋外にあるから、電気は諦めるしかない。蛇口を捻ると水は出た。
「水だけで生き延びられるのって、何日くらいだっけ?」
呟いてみたが、答えが分かるはずもない。
シャワールームを出て、次は窓のシャッターを開けようとと試みる。しかし、予想通りびくともしなかった。
暗い部屋で、唯一の光源は作業台の上の電気スタンドだ。電源コードの先は小さなモバイルバッテリーに繋がっている。これが切れたら灯りはなくなる。他に電源はないかと作業台を探ってみたが、引き出しも、壁のラックも空っぽだった。昨日床に積んであった段ボール箱も全て撤去されている。
一縷の望みをかけてベッドの下を覗き込むと、カードが一枚落ちていた。埃まみれのそれを、腕を伸ばして拾い上げる。昨日ひっくり返してしまった段ボールに入っていたカードが、一枚だけベッドの下に入り込んだのだろう。
見た目は一階のレジ横に置いてあったショップカードとほぼ同じだが、表にも裏にも連絡先や地図が載っていない。
「印刷ミスか?」
照明に近づけてよく観察すると、カードの側面が薄い層になっていると分かった。端を指で揉み、破らないように細心の注意を払って層をはがしていく。中に半透明のセロファンのようなシートが挟まっていた。
それを見た瞬間、清高は頭の中で激しく火花が散るのを感じた。
警察が捜査中の新種のドラッグ。カードに挟まれて流通している。金谷のカードショップで現物が出た。金谷の後ろにいる半グレ・ドウヤマ。そして、さらに後ろに存在する新興のドラッグディーラー……。
『クスリの出所はおそらくメキシコ』
山上有香の父はそう言っていた。メキシコの公用語はスペイン語だ。そして、スペイン語を流暢に話す原田、原田の本命〝princesa〟……───
バラバラの記憶が一つに繋がっていく。
導き出される事実は一つ。金谷、ドウヤマの後ろに居る黒幕と原田が繋がっている……もしくは原田自身が黒幕だったと言うことだ。
さっき原田は『もうすぐ女王が死んで王女の時代になる』と言っていた。Princesaは原田の恋人なんかではない。海外マフィアの隠語だ。おそらく近々海の向こうで勢力図が変わるような事件が起こる予定で、原田はそのために一旦日本を離れなければいけなくなった。自分の不在中に日本国内のビジネスを回す人間として、清高に目をつけたのだ。
「冗談じゃねえ、そんなもんに巻き込まれてたまるか……!」
一気に血の気が引いた。手が震えてカードが机に落ちる。カードの秘密に気づいたことが、原田にバレたら不味い。清高は震えながらカードを細かく破いてトイレに流し、埃まみれになった手を冷たい水で何度も洗った。
「ヤバいヤバいヤバい……」
思った以上に危ない状況だった。
原田は『オレが待ってる答えはSiだけだ』と言い残した。つまり、Siと言うまで出してはもらえず、Siと言ったが最後、死ぬまで表社会に出られなくなるということだ。
「マジでヤバい。詰んでる……」
震えながら必死に逃げる方法を考える。
中からシャッターが開けられない以上、逃げられる可能性が最も高いのは原田が戻ってきたその瞬間だ。不意打ちで一発食らわせて外に出て、通行人に通報してもらうしかない。喚きながら全裸で走れば、誰かは気づくだろう。最低の恥さらしだが、クスリの売人になるよりはよっぽどマシだ。
清高はシーツと毛布をできる限り身体にきつく巻き付け、バッテリー付きの電気スタンドを抱えて、一階のカウンターの影に身を潜めた。
毛布を被ったまま深く息を吸いこむと原田の体臭が鼻腔に満ちて、清高は泣きたい気分になった。この毛布の下で何度も抱き合った。原田のセックスはいつも優しかった。嫌な行為を強要されたことはない。
───いや、本当にそうだったかな……
清高は背を丸めて膝を抱える。エロいことに好奇心があったのは確かだ。触れられて嬉しかったのも、ときめいたのも事実だ。
けれど、全てが自分の意志だったのかというと、自信がなくなる。原田は優しかったが、安心させてはくれなかった。常に「捨てられるかもしれない」という不安を抱かされ、本当は望んでいないことまでしていたような気がする。
『できないの? 気持ちよくないの? もう無理なんだ? 基はまだ子どもだね』
からかうように言われると、後に退けなかった。舐められたくなかった。そして、無理をしてでも要求に応えると、原田は甘く優しい言葉をくれた。自分は飴と鞭で調教されて、自ら子飼いの犬になったのだ。
清高は全身が縮む程、深く息を吐く。有香も宮脇も警告してくれていたのに、今になるまで原田の危険さが分からなかった。自分はバカだ。
──竜弥さん、いつからオレを裏家業に引き込むつもりでいたのだろう?
グレーな仕事をさせる機会はいくらでもあったはずだ。少しずつ段階を踏んで引きずり込まれたなら、清高はきっと原田を拒めなかった。いきなり監禁するなんてやり方はスマートじゃないし、原田らしくもない。
──ひょっとしたら、今の状況は想定外なのかも……」
国内でビジネスが軌道に乗る前に金谷がパクられ、ドウヤマに捜査の手が及んだ。別ルートを開拓しなければいけなくなったところに、本国で何かが起きて、急遽日本を離れなければならなくなった。
「だから、本当ならもっと時間をかけて取り込むつもりだったオレを、慌てて使える駒に仕立てようとしてる……?」
言葉にすると、そんな気がしてくる。
「竜弥さんとドウヤマって関係あるのかな?」
もしも関係があるのなら、ドウヤマの線から原田にも捜査の手が及ぶかもしれない。そうなれば、助かる可能性がある。そうなってくれ、と清高は心から祈った。
両肘をついて身体を起こすと、自分が素っ裸なことに気がついた。パンツすら身につけておらず、局部まで丸出しだ。ギョッとして飛び上がったが、身体に何かされた痕跡はない。ただ脱がされただけのようで、ひとまず安堵した。
深呼吸して気を落ち着けてから枕元を探ったが、そこに置いていたはずのスマホは見当たらない。慌てて枕をひっくり返すが、そこにもない。カバーを外しても、毛布をどかしてみても見当たらない。それどころか、靴も、服も、財布も、何もかもなくなっていた。原田が持っていったとしか考えられない。
「やられた……!」
裸足のまま階段を駆け下りた清高は更に驚く。
店はすっかり空っぽになっていた。商品はもちろん、レジも金庫も撤去されている。シャッターは下ろされ、天井付近の壁にある換気用の小窓は、新聞紙で目張りされていた。隙間からわずかに差し込む光で外が明るいことは分かるが、正確な時間は分からない。どこにも時計がないからだ。
出入り口のドアにも当然鍵がかかっているが、これは内側から開けられる。しかし、問題はシャッターだった。持ち上げようと手を掛けてもびくともしない。いくら力を入れて揺すっても、持ち上がる気配は全くなかった。
「マジかよ……監禁じゃん……」
清高は呆然とカウンターにもたれかかり、頭を抱えた。裸の足裏から床の冷気が伝わってきて膝が震える。震えるのは寒さのせいだけではなかった。
清高の身近には不在を案じる者がいない。異変に気づくとしたら姉か山上有香だろうが、素行不良の清高が二、三日家に帰らないことは普通だから、通報するまでにかなり時間が掛かるだろう。それまでに原田が戻ってきたら、何をされるか分からない。
「冗談じゃねえ」
清高は両腕で自分の身を抱いて震えた。原田と共に地獄に落ちる気はない。自分はあくまで恋愛がしたかっただけだ。
「逃げないとヤバい……!」
原田が目の前で吸った煙草は、恐らく何らかの薬物だったのだろう。でなければ、眠りの浅い自分が衣服を剥がれても気づかないほど熟睡するなど有り得ない。今も続いている頭痛も、薬物の含まれた煙を吸ったためだと考えれば納得だ。次に原田が戻ってきた時、もっと直接的に薬物摂取を強制される可能性が高い。
清高は逃げ道を探すため、まず灯りを付けようと天井灯のスイッチを押した。しかし反応はない。二階へ戻って、トイレと一体になったシャワールームを確認したが、ここも灯りはつかなかった。ブレーカーを落としてあるようだ。配電盤は屋外にあるから、電気は諦めるしかない。蛇口を捻ると水は出た。
「水だけで生き延びられるのって、何日くらいだっけ?」
呟いてみたが、答えが分かるはずもない。
シャワールームを出て、次は窓のシャッターを開けようとと試みる。しかし、予想通りびくともしなかった。
暗い部屋で、唯一の光源は作業台の上の電気スタンドだ。電源コードの先は小さなモバイルバッテリーに繋がっている。これが切れたら灯りはなくなる。他に電源はないかと作業台を探ってみたが、引き出しも、壁のラックも空っぽだった。昨日床に積んであった段ボール箱も全て撤去されている。
一縷の望みをかけてベッドの下を覗き込むと、カードが一枚落ちていた。埃まみれのそれを、腕を伸ばして拾い上げる。昨日ひっくり返してしまった段ボールに入っていたカードが、一枚だけベッドの下に入り込んだのだろう。
見た目は一階のレジ横に置いてあったショップカードとほぼ同じだが、表にも裏にも連絡先や地図が載っていない。
「印刷ミスか?」
照明に近づけてよく観察すると、カードの側面が薄い層になっていると分かった。端を指で揉み、破らないように細心の注意を払って層をはがしていく。中に半透明のセロファンのようなシートが挟まっていた。
それを見た瞬間、清高は頭の中で激しく火花が散るのを感じた。
警察が捜査中の新種のドラッグ。カードに挟まれて流通している。金谷のカードショップで現物が出た。金谷の後ろにいる半グレ・ドウヤマ。そして、さらに後ろに存在する新興のドラッグディーラー……。
『クスリの出所はおそらくメキシコ』
山上有香の父はそう言っていた。メキシコの公用語はスペイン語だ。そして、スペイン語を流暢に話す原田、原田の本命〝princesa〟……───
バラバラの記憶が一つに繋がっていく。
導き出される事実は一つ。金谷、ドウヤマの後ろに居る黒幕と原田が繋がっている……もしくは原田自身が黒幕だったと言うことだ。
さっき原田は『もうすぐ女王が死んで王女の時代になる』と言っていた。Princesaは原田の恋人なんかではない。海外マフィアの隠語だ。おそらく近々海の向こうで勢力図が変わるような事件が起こる予定で、原田はそのために一旦日本を離れなければいけなくなった。自分の不在中に日本国内のビジネスを回す人間として、清高に目をつけたのだ。
「冗談じゃねえ、そんなもんに巻き込まれてたまるか……!」
一気に血の気が引いた。手が震えてカードが机に落ちる。カードの秘密に気づいたことが、原田にバレたら不味い。清高は震えながらカードを細かく破いてトイレに流し、埃まみれになった手を冷たい水で何度も洗った。
「ヤバいヤバいヤバい……」
思った以上に危ない状況だった。
原田は『オレが待ってる答えはSiだけだ』と言い残した。つまり、Siと言うまで出してはもらえず、Siと言ったが最後、死ぬまで表社会に出られなくなるということだ。
「マジでヤバい。詰んでる……」
震えながら必死に逃げる方法を考える。
中からシャッターが開けられない以上、逃げられる可能性が最も高いのは原田が戻ってきたその瞬間だ。不意打ちで一発食らわせて外に出て、通行人に通報してもらうしかない。喚きながら全裸で走れば、誰かは気づくだろう。最低の恥さらしだが、クスリの売人になるよりはよっぽどマシだ。
清高はシーツと毛布をできる限り身体にきつく巻き付け、バッテリー付きの電気スタンドを抱えて、一階のカウンターの影に身を潜めた。
毛布を被ったまま深く息を吸いこむと原田の体臭が鼻腔に満ちて、清高は泣きたい気分になった。この毛布の下で何度も抱き合った。原田のセックスはいつも優しかった。嫌な行為を強要されたことはない。
───いや、本当にそうだったかな……
清高は背を丸めて膝を抱える。エロいことに好奇心があったのは確かだ。触れられて嬉しかったのも、ときめいたのも事実だ。
けれど、全てが自分の意志だったのかというと、自信がなくなる。原田は優しかったが、安心させてはくれなかった。常に「捨てられるかもしれない」という不安を抱かされ、本当は望んでいないことまでしていたような気がする。
『できないの? 気持ちよくないの? もう無理なんだ? 基はまだ子どもだね』
からかうように言われると、後に退けなかった。舐められたくなかった。そして、無理をしてでも要求に応えると、原田は甘く優しい言葉をくれた。自分は飴と鞭で調教されて、自ら子飼いの犬になったのだ。
清高は全身が縮む程、深く息を吐く。有香も宮脇も警告してくれていたのに、今になるまで原田の危険さが分からなかった。自分はバカだ。
──竜弥さん、いつからオレを裏家業に引き込むつもりでいたのだろう?
グレーな仕事をさせる機会はいくらでもあったはずだ。少しずつ段階を踏んで引きずり込まれたなら、清高はきっと原田を拒めなかった。いきなり監禁するなんてやり方はスマートじゃないし、原田らしくもない。
──ひょっとしたら、今の状況は想定外なのかも……」
国内でビジネスが軌道に乗る前に金谷がパクられ、ドウヤマに捜査の手が及んだ。別ルートを開拓しなければいけなくなったところに、本国で何かが起きて、急遽日本を離れなければならなくなった。
「だから、本当ならもっと時間をかけて取り込むつもりだったオレを、慌てて使える駒に仕立てようとしてる……?」
言葉にすると、そんな気がしてくる。
「竜弥さんとドウヤマって関係あるのかな?」
もしも関係があるのなら、ドウヤマの線から原田にも捜査の手が及ぶかもしれない。そうなれば、助かる可能性がある。そうなってくれ、と清高は心から祈った。
