明日を希う少年と少女

 2020年6月3日(水)――

 「今度の土曜日、俺ら四人で水族館に行こうぜ」
 憂樹の突然の提案に、陽子と友郎が驚く。愛那は隣で嬉しそうにニコニコしていた。
 「愛那が行ってみたいってうるさくてさぁ。せっかくなら、みんなでどうかなって」
 「ねっ! 二人も一緒に行こうよ!」
 じっとりとした暑さが鬱陶しく感じる季節になり、塾の冷房が神様のように感じ始めていたある日、四人は教室の後方で話をしていた。
 「うん、私はいいよ」
 陽子はチラッと友郎を見た。
 「うん、俺も行ける」
 ホッと胸を撫で下ろす。友郎と一緒に行きたかったのもあったが、そもそもこのカップルに一人でついて行くのは気が引けたからだ。
 「よしっ! 決まりね! 十三時に『百合野町』待ち合わせで」
 「あ、そうなの? ここからみんなで行かないの?」
 「うん、俺と愛那は午前中からデートする予定だから」
 「あ……なるほど」
 まぁ、それもそうか……と思った。友郎の最寄駅は「香澄町駅」で、他の三人は「杉ノ宮駅」、
 「百合野町駅」までは別々の路線だった。

 片一方がカップルとなると、「残りの二人」は妙に意識してしまう。
 陽子はどうにか自分たちも、
 ――カップルらしく過ごせられたら嬉しいな……。
 と、心のどこかで思いながら、隣で必死にノートを取る友郎をチラッと見ていた。

 二〇二〇年六月六日(土)――
 予報では夕方から雷を伴う雨が降るらしく、家を出るのに少し億劫(おっくう)になる空模様だった。湿気が多く、なるべく汗をかきたくなかったが、陽子は髪を後ろで二つに結び、仕方なく徒歩で駅に向かうことにした。
 歩いていると案の定、額に汗が滲み、前髪が心配になる。通り過ぎる雑居ビルの窓ガラスで、ささっと髪を確認しては、服をパタパタとして涼気を必死で取り込みながら歩いた。

 駅に着くと、すぐさまコンビニに入り体の熱を冷ました。適当に店内をふらついて、お茶でも買おうと飲み物コーナーへ向かうと、そこには同じように涼気を必死で取り込む友郎がいた。
 缶のコーラに手を伸ばしているところだった。
 「えっ、どうして友郎くんがここにいるの?」
 「あっほら、あの二人いないから、陽子ちゃん一人になると思って……」
 「ええぇぇ〜〜〜……。いいのに別に……ありがとう」
 嬉しさで、自分でもわかるくらい顔が赤くなる。その恥ずかしさでさらに体が熱くなるのを感じた。
 「ううん。どうせなら、一緒に行けた方がもっと楽しいじゃん?」
 「そうだね。――あっ、それ私奢るよ! こないだのお返しねっ」
 そう言って、陽子は友郎のコーラを取り上げた。
 「――あ、いいよ気使わなくてっ」
 「いーのっ。ここまで来てくれたんだし」
 「さんきゅ……」
 陽子は素直に嬉しくて、テンションが高くなってしまっていると気づいたが、にやける顔を抑えきれなかった。鼻歌混じりでレジに向かい、ドヤ顔で友郎に缶を渡した。
 「はい、どーぞっ」
 「ありがとう。――また、今度なにか俺に奢らせて?」
 「うんっ。期待してる」
 陽子は『また』という響きが新鮮で、嬉しかった。

 ――またこんな風に一緒に出かけたい。これが『デート』ってやつなのかな……。

 「俺、自転車で来たんだよね。帰り大丈夫かな……」
 友郎は高架下の駐輪場を指差した。
 「そうだったの……? 夕方から雷だって。友郎くん打たれちゃうんじゃない?」
 「俺なら避けられるよ」
 「ムリだからっ」
 ケラケラと笑い合う。陽子はとても楽しくて、隣で笑う彼も楽しそうで、
 ――今日はもうこの二人でいいじゃん。
 と思った。口に出しては――、言えなかった。

 普段電車に乗らないため切符を買うのに少し緊張したが、なんとか無事予定通りの電車に乗ることができた。車内はやけに空いていて、わざわざ隣に座ることが不自然に感じてしまうほどだった。
 「この電車、結構空いてるんだな……」
 「そうだね。……座ろっか」
 「いいよ。立っとく」
 彼はそう言って窓の外を興味深そうに眺めている。陽子はそんな彼の横顔を見つめていた。スラッと高い背に、短めの髪。シュッとした顎のライン。変に格好つけない純粋で可愛らしい仕草。目の前の爽やかな少年に、陽子はすっかり心を奪われていた。たまに目が合うと、お互い照れくさそうな表情を見せた。妙に緊張して会話もあまりなかったが、それでも陽子は居心地が良かった。

 ものの五分足らずで『百合野町駅』に到着し、憂樹と愛那と合流した。
 「あれ、二人一緒に来たの?」
 「あ、友郎くんがわざわざ同じ電車で――」
 「――あっ、『同じ電車』じゃなくて、『同じ時間』に着いただけ! 俺、蝶子(ちょうじ)線だし」
 「あっそうそう!」
 「――ふぅん……」
 愛那が友郎の目を見た。
 陽子は慌てて友郎に合わせたが、二人にはバレてなさそうだ。思わず秘密にしたけれど、「秘密」という感覚が少しドキドキして嬉しかった。ただ、なんで彼がわざわざ秘密にしたのかわからなかった。
 ――私と二人で来たこと、あんまり知られたくないのかな……。
 嬉しいような、モヤっとするような感覚だった。

 「ほんじゃ、早速向かいましょう! ここからはバスに乗ります!」
 まるで添乗員のような口調で憂樹が先導をする。
 百合野町駅は、「蝶子(ちょうじ)線」と「山吹(やまぶき)線」が交差する少し大きめの駅で、四人の最寄り駅よりも人の行き来が多く、栄えていた。北口には、古くからあるデパートが幅を利かせていて、ある程度の買い物はすべてまかなえる程だった。午前中、そこのゲームセンターで、憂樹と愛那はデートしていたという。

 おそらくその時にでも確認しておいたのだろう、バス乗り場へとスムーズに案内をした憂樹は得意げな顔を見せた。
 「おぉ、詳しいんだな」
 友郎が感心した様子で彼を持ち上げた。
 時刻表よりも三分遅れでバスが来て、涼を求める四人は食い気味に車内へと乗り込んだ。

 当たり前のようにカップルが隣同士で腰を降ろしたため、陽子は一瞬戸惑った。しかし、その後ろに座った友郎が、隣の席をトントンと軽く叩いたので、しれっと横に座った。友郎の顔がやっぱり赤くなっていて、きっと自分も赤いのだろうと感じて、二人してそっぽを向いてしまっていた。
 「見て、変わった像があるよ!」
 「ほんとだ! よくわからん形だな!」
 愛那が窓の外を指さして、憂樹がバカにしたように笑った。誰がなんのために作ったかわからない、不思議な形をした大きなモニュメント像がロータリーの端にあった。
 ――いつか二人でデートする時、あそこで待ち合わせをするのだろうか……。
 陽子の妄想が友郎に伝わったかのように、
 「待ち合わせ場所かな……」
 彼がそう言ってこっちに振り返るので、陽子はドキッとして目を逸らし、
 「多分そうじゃないかな」
 と答えた。

 「さぁ、こちらが昨年オープンしたばかりの『大英水族館』です!」
 憂樹が今度はバスガイドの真似をした。バスは水族館の前に停車し、入館受付を済ます。入ってすぐに「淡水のいきもの」コーナーが四人を迎える。
 「すごーい! 愛那、ここずっと来てみたかったんだよね」
 「意外と水族館ってすごいな!」
 早速カップルがはしゃぎ始める。
 「私さ、魚が好きで結構詳しいんだけど、友郎くんは好きな魚とかいる?」
 陽子が何気なく問いかける。
 「え? うーん……トロとか?」
 「――え……?」
 友郎の言葉に、三人が固まる。
 「いやそれマグロの部位だろっ!」
 憂樹のツッコミでみんなが笑う。友郎は恥ずかしそうに顔を赤らめて笑った。
 「いや俺あんまり魚とかわかんねーよっ」
 照れた顔があまりにも必死で、それがまた、陽子のツボを刺激した。

 壁の案内に今日のイベントスケジュールが記載されていて、十五時からは「イルカショー」とあった。
 「よし、じゃあ十五時にイルカショーのとこ集合で! いったん二組で解散なっ!」
 「――えっ」
 そう言って、憂樹と愛那はあからさまな目配せをして友郎と陽子を残し、そそくさと行ってしまった。陽子は呆れた素振りをしつつ、心の中では喜んだ。
 「――じゃあ、行こっか」
 なんとなく友郎も照れているような気がして、嬉しかった。

 「『ペンギンの世界』だって」
 友郎が看板を指差した。
 「え! 行きたい!」

 それから二人はおよそ一時間、二人きりの時間を過ごし、色んな話をした。陽子の好きな魚の話、ナポレオンフィッシュの名前の由来について――。
 集合の時間になりイルカショーの会場近くに集まったが、憂樹と愛那はまだいないようだった。陽子は友郎に一言告げ、トイレへと向かった。一人で待機していた友郎のもとに、愛那がやってきた。
 「あれ? 憂樹は?」
 「トイレだよ。陽子も?」
 「うん」
 「――ふうん」
 そう言って愛那は友郎を横目でチラッと見た。
 「今日さ、陽子と一緒の電車で来たでしょ」
 「えっ……。なんで?」
 「わかるよ、二人の反応見てたら」
 愛那は少し笑って続けた。
 「――二人は、付き合わないの?」
 「いやぁ……別にそんなんじゃないよ……」
 「……そうなの? じゃあ私友郎くんに乗り換えちゃおうかな」
 「――えっ? ……いやっ、それは……」
 「――って嘘うそ! 本気にしないでよっ」
 愛那は笑って友郎の背中を叩いた。友郎は少し赤くなっていた。
 「陽子と私は親友だから。高校も、一緒に秀桜西高校目指すんだ」
 「えっ……西高っ。そうなんだ、すごいなぁ……」

 「おう。お待たせ。何の話?」
 トイレから戻ってきた憂樹が、愛那の肩に手を回した。
 「ううん。なんでもないよ」
 なぜか愛那ははぐらかした。
 その後陽子も合流をして、四人はイルカショーを観た。

 「すごかったねぇー! 私イルカ大好きになっちゃった」
 「うわーっ。じゃあ俺イルカになろっかな!」
 カップルの相変わらずのやり取りに、友郎と陽子も思わず笑う。
 「そういえば二人とも、『スイちゃん』見た? 産まれたてでめちゃめちゃ可愛かったね!」
 「見た見た! この水族館の人気者になりそうだよね!」
 女子二人がペンギンの赤ちゃんで盛り上がる。

 水族館の出口に向かうとお土産屋があり、四人は吸い込まれるように中に入った。カラフルなイルカのキーホルダーが目に留まった憂樹はみんなに提案をした。
 「よし、四人お揃いでコレを買おう!」
 「いいねぇ! 愛那は緑がいいかな! 憂樹は青だね」
 陽子が友郎を見ると目が合った。
 「俺は……赤かな。陽子ちゃんは?」
 突然の『陽子ちゃん』呼びにドキッとしつつ、気に留めていないフリをして、
 「私は黄色にしようかな」
 と答えた。
 四人は嬉しそうにレジへ向かい、中学生らしく微笑ましい時間を過ごし帰路についた。

 百合野町駅に到着すると、十六時を十五分ほど過ぎていたが気温は下がる様子もなく、今にも降り出しそうな雲が空を覆っていた。
 「降り出す前に帰っちゃおう!」
 憂樹の提案に全員賛同して、駅構内へと急いだ。
 「じゃあ、俺蝶子線だから……!」
 「あ、そうか! じゃあまた来週、塾でな!」
 憂樹は素直に答えたが、愛那はクスッと笑っていた。陽子は気が気でなかった。
 ――自転車、杉ノ宮駅にあるけど、どうするんだろう……。
 本当に彼は別の電車で帰ってしまうのだろうか。陽子は急に寂しくなった。友郎は三人に手を振り、2番線ホームへの階段を登っていってしまった。
 三人は杉ノ宮駅に降りると、雨がポツポツと小さな駅の屋根を叩き始め、遠くで雷鳴が低く響くのが聞こえた。
 「まずいっ。それじゃあ二人とも、また来週な! 今日はありがとう!」
 「あ――ちょっと待ってよっ! ごめん、またね陽子!」
 愛那は憂樹を追いかけて、雨が強くなる前に帰ってしまった。残された陽子は妙に落ち着かなかった。このまま帰ってしまっていいのだろうか。彼が自転車を取りに来るかもしれない、そしたらまた会えるかもしれない――。そんな小さな希望を抱き、駐輪場の屋根の下で待つことにした。
 雨足が強くなり、駐輪場の薄い屋根を、雨が大きな音を立てて叩き続ける。一緒に帰れなかった寂しさ、来週の水曜日まで会えない寂しさが、急に切なくなり胸を締め付けた。

 「――えっ……なんで……。もしかして、待っててくれたの?」
 少し息を切らして友郎が現れた。
 「うん。遅いよ……。なーんて」
 「ごめん、こっそり同じ電車に乗ろうと思って走ったんだけど、間に合わなくて――……」
 「ううん、私が勝手に待ってただけなんだから」
 友郎が来たことが嬉しくて、思わず少しだけイジワルをする。そしてにやけてしまう。
 「……友郎くん傘、ないよね」
 「でも全然大丈夫だよっ! 雷避けながら帰るわっ」
 「――よかったら、送らせて?」
 少しだけ真剣な目を見せた。友郎は少し驚いて遠慮をしたが、陽子は食い下がった。

 自転車を押す友郎の横を、陽子が傘を差して歩く。ふいに訪れた初めての相合傘に照れつつ、彼も初めてであってほしいと、心の中で祈った。
 「今日、楽しかったね。みんなでお出掛けするの」
 「そうだね! 憂樹って意外としっかり者だよな。事前に色々調べたりしてて。俺感心しちゃったよ」
 「芦沢くん、愛那ちゃんにゾッコンだもんね。良いとこ見せようと普段から頑張ってるんだって。愛那ちゃんは可愛いから色んな人から言い寄られてて、芦沢くんは『俺は必死なんだよ』って言ってた」
 「へぇー……そうなんだ。憂樹もモテるだろうに。イケメンでも意外と健気なんだなぁ」
 横断歩道に差し掛かり、傘を気にしつつ水溜まりを避けて渡った。
 「でもね――、私、友郎くんも素敵だと思うよ」
 「え――?」
 自分でもなにを言い出しているのかわからず、顔が熱くなったが、構わず続けた。
 「友郎くんも純粋で健気だし、勉強頑張ってるのも知ってるし、今日みたいにわざわざこっちの駅まで来てくれるのだって……すごく優しいし。――って、なに急に言ってるんだろうね。あはっ」
 陽子は恥ずかしくなって、語尾を少し濁した。
 「陽子ちゃん……俺……」
 そう言って歩く足を止め、彼は深呼吸をした。ふぅーっと息を吐き、何かを決意したような顔を見せた。目が合った陽子は、これから何を言われるのか、直感でわかった。
 「……俺陽子ちゃんが好きです。俺と、付き合ってほしい――」
 傘を叩く雨の音が聞こえないほど、高鳴る心臓の音が陽子の耳を塞いだ。少しの沈黙があり、先に口を開いたのは友郎だった。
 「なんで……泣いてるの……?」
 「――え? あ、ごめん。なんでか……わからないんだけどっ」
 彼女の頬を濡らしたのは雨ではなく大粒の涙だった。自分でも気づかないほど、なぜ泣いているのかわからなかった。慌てて手のひらで頬を拭い、再び友郎を見た。
 「――多分……不安だったのかも……。だって、今日一緒の電車で行ったこと……みんなに内緒にしてたでしょ? あんまり知られたくないのかなって。愛那ちゃんに」
 「え……、なんで、一葉さんに?」
 「だって……水族館で二人が話しているの、聞いちゃったんだもん……。愛那ちゃん、きっと友郎くんのこと好きだもん……」
 「いやいやいやっ! それはないよ! だって……憂樹が彼氏だよ?」
 「わかるの。愛那ちゃんとは一年生の頃から一緒だったから、色んな話もしてきたし。愛那ちゃんに取られちゃう気がして――」
 「それはないよ。一葉さんがどう思っていようとも、俺は陽子ちゃんが好きだから。その……不安にならないでいいよ」
 恥ずかしそうに、けれども真剣な眼差しで自分を見つめる。
 嬉しかった。その単純で飾らない、ありきたりな言葉が彼らしくて、スッと胸の中に入り込み、無意識に抱えていた不安や寂しさをあっという間に溶かしてくれた。
 「――ありがとう……。私も友郎くんが好きです。私でよければ、ぜひお願いします」
 ――『好き』とか『付き合う』とか、よくわかっていなくて、今も正直あんまりわからない。みんなこんな感じなのかな?
 けれども、陽子はとても幸せを感じていた。
 こうして出逢ってから約二ヶ月、友郎は陽子にとって唯一の、大切な「恋人」となった――。