思ったより軽いケガだったから、翌日には琢磨は登校してきた。
手に巻かれた包帯を見て皆がざわつく。
「お、おい、あの手のケガ……」
「誰とやり合ったんだ」
「怖いよう」
「おい見ろ。さすがの三上も怖いんだろうな。ほら、視線逸らしてる」
「……というか、雨雲背負ってない?」
申し訳なさすぎて合わせる顔がない。
奈落の底まで落ち込むあまり、声をかけられたのにも気づかなかった。
「……君、三上君?」
慌てて顔を上げる。
「あ、ああ。勅使河原君おはよう……」
「大丈夫?」
「? 何が?」
「その……具合悪そうだから怪我でもしたのかと思って」
ケガをしたのは琢磨だ。
「いいや。なんともないよ。寝不足ってだけで」
嘘ではない。
トイレの中でも楽勝で熟睡できるこの俺が、昨日だけはいつまで経っても眠れなかった。
「心配してくれてありがとう」
「あ、うん。……なんともないんだ」
一瞬、勅使河原の顔に妙な表情が浮かんだ気がした。
「……それなら、よかったよ」
勅使河原の背を見送りながら、俺は何をやってたんだろう……と再び自己嫌悪に陥った。
昔、初めて琢磨をケガさせた時、こう心に誓ったんじゃないか。
ただ強いだけじゃダメだ。琢磨みたいに相手を思いやれる、優しいやつになろうって。
じゃあどうしたらいいって考えて、優しい王子様になろうと思ったのに。
なのに、琢磨をまたケガさせたんじゃ意味がない。
教室のドアがガラリと開けられる。
「おはよう」
「おはようございまーす」
担任はさりげなく俺の席に近づくと、軽く肩を叩いてこう耳打ちしてきた。
「昼休み、職員室来れるか」
「は、はい……」
「昨日の件で話がある」
担任は自分の椅子に腰を下ろすと、
「まあ座れ」
と、空いていた椅子を俺の前に押し出した。
「やっぱりあのドレスにカミソリが仕込まれていた。しかも、かなりわかりにくい形で。お前、犯人に心当たりあるか」
「いや、全然……」
ガキ大将だった保育園時代から不良だった中学校までならともかく、高校で恨みを買うようなマネをした覚えは一度もない。
「だろうな」
担任は溜め息を吐いた。
「だがな、恨みって自分が何かしたから買うってわけでもないんだよなあ。お前にはまだわからないかもしれないが」
「……?」
何もされていないのに恨む? なんで?
担任は苦笑し、顎に手を当てた。
「真柴は恨まれるってより恐れられてるだろうしなあ。やっぱりお前を狙ったんだろうな」
「……」
「で、昨日職員会議で決まったんだが、悪戯にしては悪質すぎるということで、真柴の親に被害届を出してもらうよう頼んだ」
「学校とか政治家ってフショージは内密に揉み消すものかと思ってました……」
「おいおいおい」
呆れたように腕を組む。
「まあ、最近は色々うるさい時代だからな。警察に協力は求めるが、学校側でも一応調査することになっている」
ただ、やっぱり内密での調査になるのでこの件は黙っていろとも。
「わかりました……」
俺はノロノロと立ち上がった。
「おい、三上。あんまり思い詰めるなよ。お前のせいじゃないんだからな」
「はい……」
職員室から出ると、窓の外では雨が降っていた。
顔が映りにくくなっててよかったと思う。
俺は今世界で一番情けない顔をしている。
王子様以前の問題だ。
「琢磨にも……合わせる顔がねえよ……」
その呟きは雨音に混じって消えた。
何も言わずに琢磨を避けることはできただろう。
でも、俺は三年前もそうして逃げている。
だから、今回はせめて最後に向き合って伝えなければと思った。
――その日の放課後、琢磨はいつものように俺を待っていた。
「蓮君」
嬉しそうに俺の名前を呼ぶ。
その笑顔に胸がズキリと痛んだ。
本当に痛いのは琢磨なのに。
早くきり出さなきゃと思うのに、なかなか言葉が出てこない。
「今日元気ないね。どうしたの?」
いや、むしろお前はなんでそんなに元気で幸せそうなんだ。
結局俺は琢磨の笑顔に押されて、自宅前まで来ても話を切り出せなかった。
くそっ、こんなのは……こんな意気地無しは王子様じゃない!
「――琢磨」
俺はまっすぐに琢磨を見つめた。
「話がある」
「何? お腹空いたの? 冷蔵庫に材料あるならまたご飯作るけど」
「違うわい!」
こいつの中の俺像はどうなってるんだ!
「じゃあ、どうしたの。一緒にカップ麺買いに行くのは嫌だよ。塩分多すぎるって何度も言ったよね?」
あああ、もう!
俺はついに吐き出した。
「こういうことさ……もう、やめねえ?」
薄茶色の目にすっと影が落ちた――気がした。
「……こういうことって?」
またポツポツと雨が降り始める。
「だから、こうやって一緒に帰ったり……メシ食ったり……」
「何言ってるんだよ。蓮君、狙われているんだよ。一人じゃ危険だ」
……なんだよ。お前、いつの間にそんなカッコよくなったんだよ。
これじゃお前が王子様みたいじゃないか。
「そういうのも……やめてくれ」
もうどう言えばいいのかわからない。
だから俺は――もうこれしかないと思って、決して言ってはいけないセリフを口にした。
「重いって言うか……」
琢磨がわずかに目を見開く。
駄目だ。琢磨の顔をこれ以上見られない。
俺は目を逸らして言葉を続けた。
「お前に守られるとか、プライドが傷つくっていうか……」
嘘だ。全然嫌じゃない。
でも、他に諦めてくれそうな理由が思いつかない。
琢磨は優しいやつだ。
俺が傷つくと言えば引いてくれる――そう、思っていた。
雨足が一段と強くなる。
ああ……俺は卑怯者の最低野郎だ。
「……蓮君。顔を上げてよ」
俺は恐る恐る琢磨を見上げた。
「わかった。仕方ないね」
そ、そうか。わかってくれたか!
俺が悪いなと謝ろうとしたその時、不意に肩に琢磨のケガした右手が置かれた。
「……なんて言うと思った?」
「えっ……」
「僕、ずっと後悔していたんだ。あの時どうして何もしなかったんだろうって」
「お前……何言って……」
「子どもでもさ、その気になれば連絡も取れたんだよね。SNSをブロックされても、電話でも、手紙でも、直接会いに行くことだってできた。なのに……諦めた。……後悔したよ」
琢磨はどうしちまったんだ?
こんな琢磨、俺は知らない。
琢磨は俺の濡れた前髪に触れながら、唇の端に笑みを浮かべた。
「蓮君が今何を考えているのかよくわかるよ。僕に怪我させて悪い。だからこれ以上何も起きないように離れよう……かな? でもね、僕は嬉しいんだよ。蓮君を守って、同じ手に怪我ができて」
俺は口を開きかけたけれども、パクパクすることしかできなかった。
「これで蓮君、また僕を忘れられなくなったろ?」
「お前……本当に、琢磨かよ……」
「そうだよ」
琢磨はまだ笑いながら手を髪から頬に滑らせた。
「蓮君がそういう手段を使うなら、僕も使わせてもらうね」
手、段?
「君のせいで利き手に怪我したんだ。責任、取ってくれるよね?」
手に巻かれた包帯を見て皆がざわつく。
「お、おい、あの手のケガ……」
「誰とやり合ったんだ」
「怖いよう」
「おい見ろ。さすがの三上も怖いんだろうな。ほら、視線逸らしてる」
「……というか、雨雲背負ってない?」
申し訳なさすぎて合わせる顔がない。
奈落の底まで落ち込むあまり、声をかけられたのにも気づかなかった。
「……君、三上君?」
慌てて顔を上げる。
「あ、ああ。勅使河原君おはよう……」
「大丈夫?」
「? 何が?」
「その……具合悪そうだから怪我でもしたのかと思って」
ケガをしたのは琢磨だ。
「いいや。なんともないよ。寝不足ってだけで」
嘘ではない。
トイレの中でも楽勝で熟睡できるこの俺が、昨日だけはいつまで経っても眠れなかった。
「心配してくれてありがとう」
「あ、うん。……なんともないんだ」
一瞬、勅使河原の顔に妙な表情が浮かんだ気がした。
「……それなら、よかったよ」
勅使河原の背を見送りながら、俺は何をやってたんだろう……と再び自己嫌悪に陥った。
昔、初めて琢磨をケガさせた時、こう心に誓ったんじゃないか。
ただ強いだけじゃダメだ。琢磨みたいに相手を思いやれる、優しいやつになろうって。
じゃあどうしたらいいって考えて、優しい王子様になろうと思ったのに。
なのに、琢磨をまたケガさせたんじゃ意味がない。
教室のドアがガラリと開けられる。
「おはよう」
「おはようございまーす」
担任はさりげなく俺の席に近づくと、軽く肩を叩いてこう耳打ちしてきた。
「昼休み、職員室来れるか」
「は、はい……」
「昨日の件で話がある」
担任は自分の椅子に腰を下ろすと、
「まあ座れ」
と、空いていた椅子を俺の前に押し出した。
「やっぱりあのドレスにカミソリが仕込まれていた。しかも、かなりわかりにくい形で。お前、犯人に心当たりあるか」
「いや、全然……」
ガキ大将だった保育園時代から不良だった中学校までならともかく、高校で恨みを買うようなマネをした覚えは一度もない。
「だろうな」
担任は溜め息を吐いた。
「だがな、恨みって自分が何かしたから買うってわけでもないんだよなあ。お前にはまだわからないかもしれないが」
「……?」
何もされていないのに恨む? なんで?
担任は苦笑し、顎に手を当てた。
「真柴は恨まれるってより恐れられてるだろうしなあ。やっぱりお前を狙ったんだろうな」
「……」
「で、昨日職員会議で決まったんだが、悪戯にしては悪質すぎるということで、真柴の親に被害届を出してもらうよう頼んだ」
「学校とか政治家ってフショージは内密に揉み消すものかと思ってました……」
「おいおいおい」
呆れたように腕を組む。
「まあ、最近は色々うるさい時代だからな。警察に協力は求めるが、学校側でも一応調査することになっている」
ただ、やっぱり内密での調査になるのでこの件は黙っていろとも。
「わかりました……」
俺はノロノロと立ち上がった。
「おい、三上。あんまり思い詰めるなよ。お前のせいじゃないんだからな」
「はい……」
職員室から出ると、窓の外では雨が降っていた。
顔が映りにくくなっててよかったと思う。
俺は今世界で一番情けない顔をしている。
王子様以前の問題だ。
「琢磨にも……合わせる顔がねえよ……」
その呟きは雨音に混じって消えた。
何も言わずに琢磨を避けることはできただろう。
でも、俺は三年前もそうして逃げている。
だから、今回はせめて最後に向き合って伝えなければと思った。
――その日の放課後、琢磨はいつものように俺を待っていた。
「蓮君」
嬉しそうに俺の名前を呼ぶ。
その笑顔に胸がズキリと痛んだ。
本当に痛いのは琢磨なのに。
早くきり出さなきゃと思うのに、なかなか言葉が出てこない。
「今日元気ないね。どうしたの?」
いや、むしろお前はなんでそんなに元気で幸せそうなんだ。
結局俺は琢磨の笑顔に押されて、自宅前まで来ても話を切り出せなかった。
くそっ、こんなのは……こんな意気地無しは王子様じゃない!
「――琢磨」
俺はまっすぐに琢磨を見つめた。
「話がある」
「何? お腹空いたの? 冷蔵庫に材料あるならまたご飯作るけど」
「違うわい!」
こいつの中の俺像はどうなってるんだ!
「じゃあ、どうしたの。一緒にカップ麺買いに行くのは嫌だよ。塩分多すぎるって何度も言ったよね?」
あああ、もう!
俺はついに吐き出した。
「こういうことさ……もう、やめねえ?」
薄茶色の目にすっと影が落ちた――気がした。
「……こういうことって?」
またポツポツと雨が降り始める。
「だから、こうやって一緒に帰ったり……メシ食ったり……」
「何言ってるんだよ。蓮君、狙われているんだよ。一人じゃ危険だ」
……なんだよ。お前、いつの間にそんなカッコよくなったんだよ。
これじゃお前が王子様みたいじゃないか。
「そういうのも……やめてくれ」
もうどう言えばいいのかわからない。
だから俺は――もうこれしかないと思って、決して言ってはいけないセリフを口にした。
「重いって言うか……」
琢磨がわずかに目を見開く。
駄目だ。琢磨の顔をこれ以上見られない。
俺は目を逸らして言葉を続けた。
「お前に守られるとか、プライドが傷つくっていうか……」
嘘だ。全然嫌じゃない。
でも、他に諦めてくれそうな理由が思いつかない。
琢磨は優しいやつだ。
俺が傷つくと言えば引いてくれる――そう、思っていた。
雨足が一段と強くなる。
ああ……俺は卑怯者の最低野郎だ。
「……蓮君。顔を上げてよ」
俺は恐る恐る琢磨を見上げた。
「わかった。仕方ないね」
そ、そうか。わかってくれたか!
俺が悪いなと謝ろうとしたその時、不意に肩に琢磨のケガした右手が置かれた。
「……なんて言うと思った?」
「えっ……」
「僕、ずっと後悔していたんだ。あの時どうして何もしなかったんだろうって」
「お前……何言って……」
「子どもでもさ、その気になれば連絡も取れたんだよね。SNSをブロックされても、電話でも、手紙でも、直接会いに行くことだってできた。なのに……諦めた。……後悔したよ」
琢磨はどうしちまったんだ?
こんな琢磨、俺は知らない。
琢磨は俺の濡れた前髪に触れながら、唇の端に笑みを浮かべた。
「蓮君が今何を考えているのかよくわかるよ。僕に怪我させて悪い。だからこれ以上何も起きないように離れよう……かな? でもね、僕は嬉しいんだよ。蓮君を守って、同じ手に怪我ができて」
俺は口を開きかけたけれども、パクパクすることしかできなかった。
「これで蓮君、また僕を忘れられなくなったろ?」
「お前……本当に、琢磨かよ……」
「そうだよ」
琢磨はまだ笑いながら手を髪から頬に滑らせた。
「蓮君がそういう手段を使うなら、僕も使わせてもらうね」
手、段?
「君のせいで利き手に怪我したんだ。責任、取ってくれるよね?」
